【習作】summer

 夕日が空を鮮やかな赤に染めている。夏は日が沈むのが本当に遅い。6時を過ぎてもここまで明るいのだから。さすがに手元は暗くなってきているけれど。
 セミの鳴く林を抜けて、寺に続く階段をゆっくりと登る。この鳴き声は、ツクツクホウシだっただろうか。夏の終わり頃に鳴くらしいが、残暑で当分は暑いと、昼のテレビで女性キャスターが伝えていたのを思い出した。
 寺の前に立ち、その横にある水道で、バケツに水を入れる。半分ほど入れたら、ひしゃくを持って、花束を片手で抱えながら奥へと延びる石畳を進んだ。
 進んだ先は、小さな墓地。十数家族分の墓石が木陰の下に並ぶ場所だ。
 
 ここに、僕の恋人が眠っている。

 花束を生けて、線香を上げる。目を閉じて静かに手を合わせ、僕は3ヶ月という期間を思った。彼女が死んでから、3ヶ月。未だに彼女の死を認めたくない。
 葬式以来、僕はここに立ち寄らなかった。彼女の家族や友達が必ず一度は訪れていたこの3ヶ月間、決して。そこに行くと、気が狂うと思ったから。
 彼女は、事故で亡くなった。単身事故で、崖から落ちてしまったのだ。原因はブレーキの故障。即死ではあっただろう、と警察が言っていたのをぼんやりと覚えている。
 バケツを持って、来たときと同じ石畳を戻る。妖しげな紅の夕陽が視界を侵していく。何となく視線を下げ、ポケットからスマホを取り出した。電話帳から今日泊まる約束をした友人の名を探す。履歴からすぐに見つかったのでコール。そこそこ早く彼は出てくれた。
『おー、用事終わったか?』
「あぁ、今から行くけど…。本当に何にも手土産無いんだがいいのか?」
『気にすんな。最近お前痩せたからな、俺が腕によりをかけた料理いっぱい食わしてやんよ』
「うん……ありがとう」
『…お前、あまり思い詰めんなよ?一昨日こっちに用事出来たからって連絡寄越してきた時はびっくりしたが……』
「ずっと避けてた墓参りが用事だったから余計に驚いたかい?」
『むしろ行かなかったのが驚きだったからそれは別に。お前なら暇あらば墓参りすると思ってた。少なくとも、一週間経つまでは』
「そっか…。」
 バケツに残った水を水道に捨て、置いてあった場所に返す。その間にも、彼との会話は続き、
『お前さ、自分で思ってるほど器用じゃねぇよ。妙なところで自分を溜め込んだりとかよ。正直見てて痛々しい』
「秋人にそう言われる位なんだから、俺相当危なっかしく見えてんだろうな」
『今、お前の周りでそう思わない奴はいないだろうよ。何だって今日もいきなり墓参りだなんて言い出したのかサッパリわかんねぇ。何かキッカケでもあったのか?』
 秋人のストレート過ぎる言葉は、悪意が無くてただ純粋な心配から来ている。それが分かるから俺もつい口が軽くなる。いつもなら心の底に溜め込める様な想いでも。
「秋人は、というか、多分俺の周りの人は覚えても無いだろうけどさ…今日、記念日なんだ。彼女との」
『…春香ちゃんとの?』
 良く覚えてんなお前、と言う彼に、覚えてないと拗ねるからだよ、と返す。一度、記念日の事を忘れたら可愛らしく頬を膨らませて怒っていた彼女を思い出して、胸の奥が針でつつかれたように痛んだ。空いてる手で胸を押さえつけて痛みに耐え、彼との話を続ける。口調そのものは明るく、
「なぁ」
『ん?』
「なんで…春香は、もうこの世にいないんだろうな」
 涙は出なかったが、俺の声は掠れてひどく弱々しかった。胸の痛みは息苦しいモノに変わり始めていた。電話口の向こう側から、おい、と焦った声が聞こえる。彼を安心させるためにも言葉を出そうとして、でも止めた。ゆっくり歩いていた足を停止させる。
 目の前には何十段にもなる長い下り階段、その脇にはかなり険しい崖があり、地の反対側に沈んでゆこうとする夕日があった。
 その美しさに見とれながら、俺は震える唇で言葉を紡ぐ。
「…俺、もう一度でいいから、春香に会いたいんだ」
『おいっ!?夏貴!話を聞け馬鹿!!早まんなよ!?』
「どうして、この世に彼女がいないんだろうな。どうすれば、彼女を戻せるのかな。いや…」
 どうすれば、彼女と同じ世界へ行けるのかな。
 答えは目の前に、息をのむほどの美しさと共にある。
 秋人の怒声が音割れして鳴るスマホを下ろし、別の手で階段の手すりに触れる。眼下には岩肌が険しい崖。熱い涙が頬を伝い、勢い良く真下へと飛ぼうとして、
 瞬間、服の後ろを引っ張られた。
「ーーーっ!」
 引き戻されて、俺はしりもちをつく。鈍い痛みに顔を歪めながら、俺を引っ張った犯人確認をすべく、ゆっくりと振り返った。そして絶句する。
 俺の後ろで、黒い長髪をなびかせ、優しげに目を細めて笑う女性は、
「………春、香?」
「うん、そうだよ。自分の彼女に3ヶ月会わないだけで顔も忘れちゃったの?」
 わざとらしく頬を膨らませてそっぽを向いた彼女に対して、俺はゆるゆると首を横に振った。どうしたって、有り得なかった。お気に入りの黄色いワンピースにストールをかけて、風に長髪を揺らすのは、どう見たって3ヶ月前に亡くなった俺の彼女で。もうこの世にはいない筈の人で。たった今まで彼女に会おうとして自殺未遂に至った俺の目の前に、彼女が。春香が。
 呆然として、ずっと座り込んだままの俺を見下ろして、春香は小さく笑う。彼女の姿は、何となく夕日の光に飲み込まれていて、
「私がいなくなってから、ずっと、こうだったの?」
「こう、って?」
「元気ない。これじゃ、周りの人みーんな心配するよ。ちゃんと睡眠は取ってる?」
「…ここ最近は、睡眠薬で何とか。分量はちゃんと守ってるよ。たまに勢いで大量服薬しそうになるけど」
「それ、私の後追いのつもりなら、怒るからね」
 本当に怒り出しかねない様子で、彼女は腕を組む。その言葉に、俺は弱々しいく笑い返した。俺の反応を見て、春香はしゃがみこんだ。俺と目線の高さが合うように、地面に膝を突いて。地面についている筈の彼女の膝は、どことなく透き通っているように見えて。
「夏貴くん」
「…」
「私が突然死んじゃったのは、謝る。私も死ぬつもりは無かったんだけどね。亡くなった側としてはもうどうしようもない。まだ生きたかった、まだやりたいことがあったと嘆いても、結局死者なんだから今更どうにかしようもないんだ。でもね、君はまだ生きている。まだ死んでない。まだやりたいことをやれる時間がある。それを放棄して後追いしようだなんて、私が許さない。生きて。生きてまた、可愛い彼女でも見つけて。君にはまだ人生というモノがあるんだから」
 夕日が沈んでゆく。暗くなっていく景色に溶け込むように、彼女の身体の輪郭が薄れていく事に俺は気付いて、でも驚かなかった。その代わりに、また涙を落とした。
「いい?夏貴くん。死者の為に、君の貴重な時間を浪費しないで。振り返っても良い、浸っても良い。でも、それを理由に立ち止まらないでほしい。私は、そんな事をしてほしくない。君の涙より、笑顔の方を見たいんだ。例え近くで見れなくなったとしても」
「春香…」
「私、結構無理してココにいるんだよね。…もうお別れだよ、夏貴くん」
 そっと彼女の手が伸びてくる。柔らかな感触があったであろうその手は、俺の頭を幾度か撫でた。もう輪郭すらも見えなくなり、体の向こう側が透け始めた彼女は、優しく微笑んで、
「じゃぁね、夏貴くん。君の笑顔を祈っているよ」
「あ…春香…!!」
「…大好き」
 小さな想いの言葉を残して、彼女は消えてしまった。夕日が完全に沈み、星の光が空に散らつき始めた。生暖かい風が吹き抜けていく。
 しばらくそのままで、へたり込んでいると、下の階段から俺の名前を呼ぶ男の声がした。バタバタとどう聞いても数段飛ばしで階段を駆け上がってくる男は、俺の姿を見るなり怒鳴り声をあげた。
「夏貴てめぇこの野郎!!心配させやがって!!怪我ねぇか!?」
「秋人…」
「具合は大丈夫か、意識はしっかりしてるか、正気保ってるか?」
「肩を掴んで揺らしながら聞かないでくれ…。俺は無事だよ」
 そうか、と一安心したらしく、彼は肩から力を抜く。何だかんだ心配性の友人のその様子を見て、俺は少しだけ反省した。あまり彼を困らすもんじゃない。
 ふと周囲を見ると、数段下の階段に、液晶の割れた俺のスマホがあった。ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと下りて、それを拾い上げる。こりゃダメだな、修理…いや買い換えか。
「なぁ秋人」
「ん?」
「…明日、スマホ買うのつき合ってくれるか」
 そう言うと、彼は何か言いたげに口を開いて、俺の顔を見ると閉じた。ややあってから彼の笑顔と共におう、と返答がくる。
 つられて俺も笑顔になり、俺たちは夜になりゆく街を眺めながら階段を下りた。もう何か早まった事を考える事は無かった。きっと、これからも。
「…何か良いことあったのか?」
「なんで?」
「いや、なんだ……お前、何か吹っ切った様に見えるから」
 秋人の家に着き、彼のお手製カレーを頂いているとき、ふとしたように彼はそう聞いてきた。それに対し、俺は小さく笑って、
「秘密」
「なっ…」
「おかわりしていいか?」
 有無をいわさずにおかわりをさせてもらう。今までの食欲の無さを戻したかのように俺は腹がすいていた。もう、自殺に走りたくなる程の感情が薄れたからだと思う。
 そうさせてくれたのは、彼女で。
 でも、誰にも言う気はなかった。俺達だけでいい。
 あの妖しげで、気が狂うほど美しい夕陽の光の中で会ったことは。
 明日は秋人と一緒にスマホ探し。そのあとはアパートに戻って、アルバイトを頑張ろう。まだ学生だ。やりたいことも、それをするための時間も沢山ある。
 彼女の祈りに応えるべく、俺は頑張ろう。時々は、過去に立ち止まらせてもらいながら。
 元気良くカレーを食べていく俺を見て、秋人は心底安心したように笑っていた。


 It is over in the summer.
 

【習作】summer

【習作】summer

とりあえず一個書ききろうと思いついた系短編。 相変わらず話の構成雑。今回は少しだけ病んでます。少しだけ。ほんのり風味で。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-24

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