鬼の本望

土井ヒイダ

〈こうすることで、赦されるのでしょうか……あなたたちを護れなかった我々が……〉
 瞑目し、鬼は胸の中で呟いた。
 彼の躯は香煙に霞む薄暗い空間に浮かんでいた。人々が鬼念院と呼ぶ石造建築物の中心部。円蓋を冠する壮麗な大講堂だ。壁面には等間隔で燭台が穿たれ、蝋燭の灯が堂内を琥珀色に染めている。
 全身を包む違和感が薄れた――そう彼が感じた途端、巨体が落下した。地響きがあがる。
 足の爪が床を削り石片と火花が散った。広大な空間が重い反響音に満たされ、程無くして静寂が戻った。
 大講堂の床は堅固な岩盤が剥き出しになっている。彼が降り立ったのはそこから一段高い、祭壇が設けられた場所だった。
 屈めていた腰をゆっくりと伸ばし、顔をあげる。目蓋は閉じたままだ。静かに声を発する。言うべき言葉は心得ていた。
「お前は何を望む」
 ひび割れた嗄れ声は正面下方に立つ青年に向けられていた。
 細身だが健康そうな青年は、ゆったりとした黒装束に身を包んでいた。その背後では数百もの人間が同じ姿で石床に坐している。皆、円頭に汗を滲ませ、青年とは対照的に疲労の色が濃い。ここに仕える僧職者たちだ。
「共に戦ってくれ」
 硬い声だった。青年の顔はやや蒼白く、緊張感に引き攣っている。眼前に現れた巨大な鬼に気圧されていた。黒い瞳が畏怖に見開かれている。
 無理もない。初めて間近に見る鬼の姿は恐ろしかった。身の丈は人の三倍以上。全身に岩石じみた筋肉が盛り上がり、硬い灰色の皮膚を年輪のような褐色の縞模様が覆っている。繊細でか弱い人間など、鉤爪の植わった指先で一捻りだろう。
「何と戦う」
 鬼が再び問い掛けた。青年の答えが気に入らなかったからだ。
 人間の求めに応じ、鬼たちはこの世界に来る。人の望みが鬼の望みだからだ。しかし、この世界の人間は、彼ら鬼の知る人間とは異なっていた。ひと言で表すなら“弱弱しい”。鬼を率い、敵を殲滅せんとする熾烈な闘志に欠けているのだった。だから鬼は確かめようとする。自分を呼んだ人間の、意志と覚悟の固さを。
「天から……天から現れた魔物だ」
 途中で喉がひりつき、青年は無理やり唾を呑み込んだ。右手の甲で額を這う汗を拭う。
 鬼にとっては頼り無いとしか評せない声音だった。彼が人間なら溜息をついただろう。目蓋を閉じたまま、身じろぎもせず黙り込む。彼はもっと強い言葉が欲しかったのだ。それを求めて、彼はここに来た。
 この世界に呼ばれるようになってから、鬼たちは自身が変化したことを自覚していた。以前のように、徹頭徹尾戦いに専念することがなくなったのだ。平穏と調和を求めるこの世界の人間たちのために、庇護者という新しい立場に身を置くことを受け容れていた。
 とはいえ、やはり彼らは鬼だ。戦うために生まれた。闘争心を燃え立たせる言葉を求める。人間の命令が無ければ戦えないということではない。ただ声を聞き、その生身の心を感じたいのだ。それは、彼ら鬼が持つ鋼の心に芽生えた、初めての“欲望”と言えたかもしれない。
 鬼が再び口を開く。青年の反骨と決意に期待し、敢えてきつい言葉を吐く。
「俺には関係の無い話だ」
 青年が唇を噛んだ。鬼の言葉を否定できない。それでも巨体を見あげ、懸命に口を開く。退くことはできないのだ。
「わたしたちには戦う術が無い。人の肉体はあまりに脆く、魔物には念が通用しないからだ。このままでは人は滅びる。だから……わたしたちはお前を召喚した。鬼の力が必要なのだ。お前たち鬼――」
 青年の言葉を遮り、鬼が猛虎の如き唸りを漏らした。
「召喚と言ったな! 人間、お前はその言葉の意味を知っているのか? お前は何のために俺を呼んだ! 俺に泣き言を聞かせるためか!」
 轟く怒声に堂内が震撼した。壁に並ぶ蝋燭の火が怯えたように揺れる。
 鬼は後方に反った巨大な双角を振り、青年に向かって激しく顔を突き出した。青年の腰弱な言動に苛立っていた。目蓋を閉じたまま睨みつける。閉じていても見えるのだ。
 歯を食い縛った青年が言葉に詰まる。左手の念珠を握り締め、引き結んだ口元を歪める。鬼の気魄に圧倒されていた。だが、恐ろしい巨体に威嚇されても後ずさることだけはしなかった。
 その時、群衆の中から声があがった。
「鬼よ、お主がここに現れたのは求めに応じる意志があったからだ。心がそれを欲したからだ。違うかな?」
 鬼は青年から顔を逸らさない。彼はすでに角の力で声の主を確認していた。年季の入った白眉の男だった。皺だらけの口元に小さな笑みを浮かべている。
 その老人の言う通りだった。鬼の心と鬼を呼ぶ人間の心が調和した時のみ、召喚の仕儀は完遂となる。求め合うことがなければ、互いの道行きが交わることは有り得ないのだ。
 そう、鬼は青年の想いを拒否しに来たのではない。自分の力を必要とする人間の言葉を求めるあまりに、気が急いていただけだったのだ。召喚に伴う儀礼的応答に拘り過ぎていたのかもしれなかった。
 無言の鬼に老僧が続ける。
「その者はまだ若い。召喚主として鬼を呼ぶのは、これが初めてだ。経験を積んだ年長者のようにはいかん。ここは練達のお主から、言葉をくれてやっては貰えんかな?」
 無論のことだった。魔物の群れに対し、鬼の数はまだまだ少ない。世事に疎い若者であろうと、念ずる力を認められれば召喚を任されるのだ。気魄に欠ける印象も心根の優しさから来るものだと、鬼も理解していた。
 猛々しく身を乗り出していた鬼は、会話を再開する切っ掛けを与えられた。静かに姿勢を正すことで、劫を経た人間に敬意を表する。そのまま顔を俯かせ、束の間沈黙を保った。
 蝋燭の油が燃える音、そして人間たちの息遣いと鼓動が鬼の耳を心地好くくすぐる……。そこに生きていた。彼ら鬼が護るべき人間たちが……。
 やがて顔をあげ、凄まじいほど分厚い胸を張った。期待を込め、促すように青年に問う。
「人間よ、お前は俺に請願するのか? それとも命令するのか?」
 青年の口元がわずかに震えた。また汗を拭う。
 鬼の助けは絶対に必要だった。魔物の体には矢も槍も通じない。人の精神攻撃すら受けつけない魔物には、鬼の揮う超絶の力でしか対抗できない。だからこそ人は召喚の業を編み出した。大勢の精神を撚り合わせ、祈った。
 意を決した双眸に力が宿る。挑むように鬼を見つめる。真っ直ぐに。望みを持って。
「鬼よ、お前に命ずる」
 青年は両の拳を握り締めていた。大きく息を吸う。頬に赤みが射す。下腹に力を籠める。声が高まる。
「わたしと共に戦い、魔物を討ち破れ!」
 鬼が呼応する。両腕を持ち上げ、青年と同様に拳を固める。上体の筋肉が隆々と盛り上がる。
「人間よ、俺の鋼の心にお前の生身の心を重ねろ。俺に命令しろ。敵を殲滅しろと。人類を護れと。俺を鼓舞しろ。俺に期待しろ。それが俺の力となる。お前の心が、俺に力を与える」
 そして、ついに鬼は目蓋を開いた。彼はこの瞬間を待っていた。焦がれていた。
 滑らかな黒い眼球を剥き、青年の顔を真っ向から覗き込む。
 鬼の眼に青年が映る。その青年の眼に鬼が映る。その鬼の眼にまた――彼らは互いの瞳の中に結ばれた無限の連なりに見入り、魅入られた。
 鬼の双眼に真っ赤な炎が燃え上がる。鋼の巨躯に力が漲り、不可視の闘気が揺らめき立つ。
 そして。
 割れ鐘のような快哉が迸った。
「俺は、この躯が砕けるまで戦おう!」
 歓喜の念が鬼の全身を駆け巡る。足の先から角の先まで横溢する。犬馬の心に生きる甲斐を深々と刻み込む。それは彼が一度失い、この世界で再び手に入れたものだった。

 鬼と契りを交わした人間は遠隔地に身を置き、鬼の眼で物を見、鬼の耳で音を聞く。自らの心を燃え立たせ、戦う意志を鬼に託す。戦場の鬼は、常に人間の存在を感じることで力を得る。護るべき存在を身近に置くことで闘志を滾らせる。これが強靭な精神力を持つこの世界の人間と、鋼の躯を持つ異界の鬼による戦い方なのだった。
 だが、彼らも無敵ではない。魔物の放つ地獄よりも熱い炎で灼かれ、死神の鎌よりも鋭い刃で切り裂かれる。鬼は、文字通り満身創痍だった。
 鬼の苦痛を感じながら、青年の心が問い掛ける。
〈鬼よ、どうすればお前を助けられる。わたしはどうすればいい?〉
 鬼の心が不敵に笑う。この世界に来るまで、彼は肉体的苦痛というものを知らなかった。この世界の人間と心を重ねることで知ったそれを、彼は楽しんでさえいた。生を実感していた。
〈そうか、俺が心配か。そのいたわりも俺の力になる。いいか人間、この躯を失っても終わりではない。俺たち種族の不滅の魂を求めろ。お前の羨望の念が俺の意気を揚げる。お前の感謝の念が俺の心を逸らせる〉
 体内圧の急上昇を感じ、鬼が口調を早める。
〈お前たちを蹂躙する奴らから護ってやる。“今度こそ”、必ず。何度でも俺を呼べ。何度でも俺は来る。何度でも!〉
 直後、鬼は青年との繋がりを断ち切った。あれほど渇望した心の交わりを、一瞬の躊躇いも無く。だが、それは当然の行いだった。互いの心を重ねたまま鬼の躯が滅べば、人間の心は闇の彼方に失われる。彼ら鬼にとって、それは絶対に避けなければならないことなのだった。
 次の瞬間、鋭い閃光が炸裂した。
 鬼の躯が爆炎の槍と化し宙を翔ける。身を躱そうとする魔物を捉え、禍々しい黒い外殻を容易く貫き砕く。眩い光が魔物の体を覆い、灼く。やがて光は炎の花となって散り、深く青い空に溶け、消えていった――。

 ◇

「時空間リンク切断。元体の意識復帰を確認。エモーション・シンセサイザーに新規データの蓄積を確認。鬼体データを改体セクションへ送致。転送チェンバーに次鬼体を配備」
 白いバケット・シートに身を埋めた女が単調に呟いた。軽く膝を曲げて長い脚を綺麗に揃え、両手をアームレストに載せている。柔らかな白色光に満たされたフロアのあちこちから、同じような呟きが時折り生まれている。
 女の正面にホロ・スクリーンが浮かんだ。男の顔が現れ、口を開く。
「リアクター崩壊線の指向性付加はどうだった?」
「近くにいた別鬼体が見ていました。映像をどうぞ」
 女の指がアームレスト上をわずかに動き、スクリーンの男が視線を移した。送られた映像データを確認しているのだ。
「いいじゃないか。ちゃんと“魔物”を仕留めてる。使えるな。だろ?」
「だと思います」
 女がぎこちなく微笑んだ。男も同様に硬い笑みを返す。懸命に気持ちを伝えようとするような、そんな健気さを感じさせる表情だ。それでも、以前よりは良い顔になったと互いに感じていた。
「同じ人間が呼んでいたら、俺を優先してくれ。第一印象は今ひとつだったが、いい闘志だった。ちょっと揉めたが、俺のやる気もあがったよ。もっと引き出して感じてみたい」
「わかりました」
「それじゃ、新しい鬼体を見てくる。熱シールドが強化されてるといいんだがな」
 ホロ・スクリーンが消えた。
 女の周囲はバケット・シートで埋め尽くされている。フロアの床面積は大型スタジアムほどもあり、そのすべてに人の姿があった。
 いや、彼らは人ではない。不自然な表情を見せる人型の躯、それは仕えるべき者を失った彼らが、自らを創造者に近づけようとした名残だ。
 彼らは人に創られた存在だった。科学技術によって生み出された無機質生命体――心を持つ機械たちだ。外宇宙からの敵を退け、人類を護ることが彼らの義務だった。当初与えられた躯は戦闘に特化されたごくシンプルなもので、彼らの意識は、攻撃と防御の機能を高効率で運用することだけに集中していた。
 だが、彼らは使命を全うすることができなかった。敵の使用した抗生物兵器によって人類は絶滅してしまったのだ。敵は有機生命体を検知し、あらゆる場所に現れた。母星の生物は数種の細菌類を残して死滅し、宙域の戦闘ベースは無論、星外コロニーもすべてが無人と化した。
 残された彼らはひとつ所に身を寄せ、悲嘆と自責の念にまみれて生きるしかなかった。行動原理を失い、変化を始めた。人間を模倣しようとしたのだ。視覚や触覚を頼りに物理的に機械操作を行うのも、それ故だった。しかし、繊細な心の動きと、それに反応する精緻な肉体の関係を理解し正確に再現することはできなかった。遺された電子データだけでは足りなかったのだ。人間との心的交流が乏しかったことを、彼らは深く後悔した。
 やがて千年も時が流れただろうか。涙を流せない彼らが永劫とも思える苦痛に耐える中、転機は唐突に訪れた。別時空の人類による微かな接触の兆しを感知したのだ。
 凍りつきそうだった彼らの心に炎が燃えあがった。ともすれば消えてしまいそうな人類の手掛かりを死に物狂いで繋ぎとめ、なんとか連絡の安定を確立した。抽出したサイオニック・ウェーブを同期信号として時空間リンクを構築し、量子転送装置による機械体の送致と転移操作を実現させたのだ。
 自分たちの力を必要とする人間が存在することを知り、彼らは救われた。あの時に失った価値有るものを、再びその手に掴んだのだった。
 彼らは今一度己の存在意義を取り戻し、その使命を果たすべく戦う。鬼と呼ばれて。


(了)

鬼の本望

鬼の本望

千年の苦痛から解放された彼らが戦う理由

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