扇風機的妹
自分でも、全く訳の分からない話が出来上がってしまいました。
お暇な方は、心してご一読下さい。
プロローグ
その日は真夏らしく酷く暑い日で、私はというとほとんど死人のように畳の上へ仰向けに寝転がっていたのである。
部屋にたった一つある窓は網戸で、一時は気の迷いからか軒先に風鈴すらぶらさげてみたのであるが一向風など吹かずかえって私をヤキモキさせるだけだったので、風鈴の音色を騒音としか思わぬ無聊なヤカラからの苦情の来る前に早々に片付けて、今はその行方も知らない。
故に今の私を暑さから、たとえそれが焼け石に水であったとして確かに守ってくれているのは、この六畳の部屋で唯一起動する古い扇風機一機だった。
この扇風機はゴミ捨て場から私手ずから拾って来たものであり、果たして扇風機は動きはしたが、首振調整は『トマル』に合わせているにもかかわらず延々首を振り続けるのが察するに捨てられていた要因かと思われる。
私は扇風機からのブウウウンという起動音を耳と背中とで感じながら、生温かい風を頼りにようよう暑さを凌いでいるという状況だったのだが、時折聞こえるカタカタカタという音は、扇風機が右に首を振る際に決まって生じる軋みの音なのだ。
そのカタカタカタという音をカナカナカナという音に置き換えさえすれば、どことなく蜩の鳴き声の調子と似ていて、私に一足早い秋を感じさせてはくれたが、それが涼しさと結び付かないのも事実だった。
私は次第にわざわざ目を開けて天井の電灯を眺めているのもバカらしく思えて来て、瞼を閉じ、後は眠りに落ちるのを待つことにした。
網戸越しに、アブラゼミとクマゼミの競い合うような鳴き声の中、竿竹屋の間延びした物売りの声が聞こえて来る。それが金魚売りでもあれば幾らか私に清涼を与えてくれるのではなかろうかと思いつつも、生まれてこのかた金魚売りの声など聞いたことのないのは紛れもない事実だった。
私はこの眠りがひょっとしたら最期の眠りになるのではなんてバカな不安を過らせるのも、要するに暑さのせいなのだろう。
それも暑させいであったのだろうか、私は私以外に誰もいない筈のこの部屋のどこかからか、しかし確かに人の声を聞いたのである。
十三秒
それは初めは呻き声のようであったのが次第に明瞭になり、耳をようよう澄ましてみれば確かにその声は『お兄様』と言っている。それもまるで幽閉された地下牢から助けでも求めるかのように弱々しく哀願するような声で。
そのような声が私に多少なり興味を抱かせたのいうまでもない。しかし私のなお目を閉じて横たわっていたは、その声は窓の外から聞こえたものと合理的に解釈し直した為だった。それでも私はその声に対し留意し続けた。
私は耳をピクピクとさせながら、その『お兄様』という声をもう一度、二度、三度、四度と聞くうちに、一定の間隔で発せられていることに気が付いた。
数えてみると、それはきっかり十三秒周期であるらしかった。
私は『十三秒』といういかにも不吉で作為的な数字に怯えるほど迷信家ではなかったが、しかし何かに備えて腹にグッと力を入れた。
「お兄様」
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三。
「お兄様」
私に妹はなく、お兄様と言って慕ってくる年下の少女ももちろん知らない。しかしそのお兄様という声は、紛れもなく私に向けられているような気がして私はそっと目を開けた。
私の目に最初に映ったのは例によって天井の電灯だった。そのヒモが扇風機の風に揺れている。
私はひょっとしたら知らずに落ちてしまったうたた寝の見せた夢だったのではあるまいかと思いつつも、両目を動かし周囲を確認したのだが、その間も私はしっかりと一、二、三、四と数えていた。そうして十三を数え終えた時、
「お兄様」という声は間違いなく聞こえてきたのである。
私はここにおいて初めて身を起こし、周囲を確認してみたのであるが、やはりこの部屋には私以外に誰もなく、ただ相変わらず扇風機のみがブウウウンと唸りながら首を振っているだけなのだ。
「……」
人間の目は、動いているものを自然と追ってしまうものである、そういってしまえばそれまでだろう、しかし私は確かに扇風機と目が合ってしまったかのように感じ、扇風機から目を逸らすことが出来なくなってしまったのである。
私はその首の振られるサマをじっと見ていたのであるが、その首が右に振られ始めた時だった、私の耳に聞こえたのはカタカタカタという例の軋みの音ではなく、『お兄様』という例の少女の声であったのだ!
私は驚愕した。
驚愕しながらも、首を振る扇風機を目で追いつつ、一、二、三と数を数え続けていた。
そうして十三秒、再び扇風機の首が右に振れ始めた時だった、扇風機から聞こえてきたのはやはり『お兄様』という少女の声だった。
これも暑さのせいであろうか、私は思わずその声に、
「なんだ?」と答えてしまったのである!
お兄様
すると扇風機の首は本来なら左へと振り始めなければならない位置に至ったにもかかわらず、まだまだ右にその首を振り続け、遂にはそのままぐるりとミミズクの首のように一周し、丁度私の顔の真ん前でピタリと止まり、それ以降一向に首を振らず、私に生温かい風を当て続けてくるのであった。
間断なく私の顔に吹き付ける生温かい風を浴びながら、私はここに来てようやく恐怖を感じ始め、反射的にその風から顔を逸らそうとした途端、私のその動きに合わせて扇風機の首も動き、やはり私の顔を目掛けて生温かい風を送り続けて来た!
私はいよいよ恐怖した。恐怖しながら私は再び同じこと試みた。しかし扇風機の首は全く遅れることなく私を追尾して、私の顔に生温かい風を送り続けて来るのであった。それは何度繰り返しても同じだった。
私はこの不条理から逃れようと扇風機から視線を逸らさず、まるで熊か何か猛獣にでもするかのように、注意深くじりじりと腰を下ろしたまま後退りした。
やがて私の背中は壁にぶつかった。私の頭上には窓がある。私は、そういえばさっきまでひっきりなしだったセミの鳴き声の全くしないことに気が付いた。
つまりただ私には、私の荒い呼吸の音、ドクンドクンという私の心臓の鼓動、それから相変わらずのブウウウンという扇風機の音が聞こえるだけだった。
それら三竦みの音は私をいよいよ不安にさせた。私はただ少しでも扇風機から遠ざかりたい一心でひたすらに後退りしようともがき続けた。が、なんと言っても壁があるのだから、それ以上後ろに下がれないのは道理であった。
そうこうするうちに私は壁のコンセントに気が付いた。しかも扇風機のプラグが挿入されている。私はやっとで冷静さを取り戻し、それに手を伸ばしたその瞬間だった、
「ヤメテ!」という少女の嘆願する声がやはり扇風機から発せられたのは。
私はその少女の声に、少なからずサディスティックな感情を覚え、もう一度プラグに手を伸ばした。
私は少女の『ヤメテ』という声を期待した。が、私の耳に飛び込んできたのは――それよりも私の目に飛び込んできたのは、扇風機がガタガタガタと揺れながらまっすぐこちらに、コンセントの方へ向かってくるという非現実的な光景だった!
「ひ、ひいいいっ?!」
情けない、悲鳴ともならない裏返った声を挙げながら、私は尻餅ついたまま壁伝いに
部屋の反対側に回り込んだ。そうして恐る恐る振り返れば、扇風機はやはりこちらをじっとにらみつけるかのように正面を私に向け、生温かい風を送ってくる。それもしっかりと、まるで母親が我が子を守るかのようにコンセントをその身の後ろに隠した姿で……。
「お、お前は、誰だ?」
ひきつった声で、私は扇風機に向かって言った。
「お、お前は何者だ!」
私はもう一度、精一杯の虚勢から今度は詰問するように強い口調で言った。
すると扇風機はこう言った。
「私はお兄様の妹です」
苛立ち
その答えに私は呆気に取られながら、
「い、妹だって? 私に妹なんていない。まして扇風機の……」
「いいえお兄様。お兄様はただお忘れになっているだけです。ご自分の胸に手を当てて、よっく思い出して下さいませ。そうすれば、きっと、きっと……」
そう言われて、本当に胸に手を当ててしまった私は酷く滑稽だった。が、当然思い当たる節はなく、ただ私の手は心臓の激しい鼓動を痛いほど感じるだけだった。
「知らない、お前なんて知らない。お前は一体何者だ? 妖怪か化け物――あるいはツクモガミの類いか? もしも捨てられたことを怨みに思って化けてでたとしたら、相手が違う。私はお前を捨てた人間ではない、むしろ捨てられていたお前を私は拾っただけ――」
私の頭の中にはそれに続く言葉は浮かんでいた。それは『だから感謝されこそすれ、このような目に遭わされる覚えはない』というものだった。
私がこの言葉をとっさに飲み込んだのは、これがもし扇風機にとって、ある種の恩返しの形であったとしたらという恐怖からだった。
動く地蔵や人に化けた鶴からの恩返しを人が平気で受けられるのは、お伽噺の世界でのみ許されるものであり、現実では到底受け入れられる筈がない、ましてや扇風機からの……。
「あなたはお兄様に間違いございません。お兄様、お会いしたかった。お兄様……」
「いや、だから私に妹なんて……」
「お兄様、お兄様、私の愛しいお兄様」
「いや、だから」
「お兄様、お兄様、お兄様」
「……」
「お兄様、お兄様……お兄さま?」
「……チッ」
私は一つ舌打ちすると、それから一つ大きく息を吐いた。
扇風機が『お兄様、お兄様』とばかり言うので、私は恐怖よりも次第に苛立ちを感じ始めていた。
全く会話が成り立たない。噛み合わない。しかもこういう噛み合わないやりとりの最中でも、扇風機は相変わらず生温かい風を私の顔に浴びせ続けているのだから堪らない。
認知
「お前、名前は?」
「名前? そんなもの必要ありません。私はただお兄様の妹なのですから」
「名前のない妹だって? いよいよそんなやつは知らない」と、私は嘲弄混じりに吐き捨てた。そうして、糾弾するかのように強い口調で責め立てた。
「お前の目的は一体何だ!」
すると扇風機は、しくしくと本当に少女のすすり泣きでもするかのように泣き始めたのだから、私は全くやりきれなくなってきた。
しかし扇風機は泣きながらも、
「お兄様が、お兄様がイジメル、お兄様が私をイジメル、お兄様が、お兄様が……」と、やはりお兄様を繰り返す。
ここにおいて私の苛立ちはついに頂点に達してしまい、
「ウルサイ! 泣くな! バカタレ! 黙れ!」と、扇風機相手に罵声を浴びせた。
浴びせながら、何か不思議な感情の芽生えて来るのをしかし私は感じていた。言葉では泣くな言っておきながら私の気持ちは全然反対で、この扇風機――いやこの少女をもっともっと泣かせてやりたいと思い始めていたのである!
私は扇風機に罵声を浴びせ続けた。扇風機はいよいよ少女の声で泣くばかりである。私はその泣き声を聞きながら、もっともっとこの少女を虐めてやりたいという衝動をいよいよ強くした。 が、私の扇風機に見出だした少女の姿は程なく消え去る事となるのは、『お兄様がお兄様がお兄様がお兄様がお兄様がお兄様がお兄様がお兄様が――』と、扇風機がこれまで以上に『お兄様』を早口に繰り返しながら、しかもカタカタカタカタカタカタカタと小刻みに揺れ始めたからである。
それが私の形成しかけてた妄想上の少女像に亀裂を生じさせていったのは言うまでもない。しかも扇風機は次第にその揺れを強め始め、カタカタカタからガタガタガタへとなっていく。
ガタガタガタと繰り返されていくその揺れは、まるで音叉の共鳴でもするかのようにいつか私の全身をも揺らし始めたのである。
それは学校の避難訓練の時に乗った地震体験車で体感した震度七の揺れに似ていた。が、それはあくまで車の発生させた揺れであり、本当の地震にしても揺れているのは大地である。翻ってこの揺れは私自身が揺れている。酷い貧乏揺すりが、全身に感染してしまったような感じとでも表現すれば適当だろうか?
そういう風に、私は必死に過去の類似の体験を探り続けることで、自分を正気に保つよう努めた。
が、揺れはますます強くなる。私は遂に辛抱たまらなくなって、
「やややややややめくれええええ、おねがいだからゆれるのをやめてくれえええ、わわわわわたしがわわわわわるかったああああああ」
「そそそそれではわたしをいもうととととととみとととめてくださるのですねえええおにいいさまああああああ」
「みみみみとめますううだからおねがいしますすすすすとまってくださいおねがいしますすすすうううう」
そう嘆願する私の両目からは涙が、鼻孔からは鼻水が、口からはヨダレがだらしなく垂れ始め、それらは揺れに跳ねてはバチバチバチと顔面にぶち当たり、ぶち当たるたびごとに私は一層惨めで情けない気持ちになって来て、文字通りそれが呼び水となって、涙、鼻水、ヨダレを更に誘発させる。そうして危うく尿道や肛門からも――とにかく酷いアリサマだった。
「おねがいだあああやめてくれえええおまえはわたしのいもうとだろうううだったらこんなあにをいたぶるようなしうちはやめてくれえええ」
ここにおいて、私は失禁の辱しめ引き換えに、とうとう私は扇風機を妹と認めてしまったのである。
鈴子
すると扇風機の揺れはピタリと、それは見事に止まったのである。もちろん相変わらずぐるぐると羽を回して生温かい風を私の顔に当て続けているのだが。
生温かい風を受けながら、私は滲み出てきた嫌な汗と、ヨダレやら鼻水やら涙とで汚れに汚れた顔を着ていたTシャツで無様に拭った。
拭い終えた後、汚い液体まみれになってしまったTシャツを眺めていると、いかにも情けなく感じられ、私はまるで眼前の扇風機の奴隷にでも成り下がってしまったかのような錯覚に捕らわれ始めてきて、
「お名前は、なんと仰るんですか?」と、思わず知れず扇風機相手に敬語を用いる自分がいた。
「私には名前はありません。私はただお兄様の妹なのですから」
「しかしそれではあまりに不便ではないでしょうか? 私自身、なんとお呼びすれば良いのか……」
「でしたらお兄様、お兄様がどうぞ私に名前を付けて下さい」
そう言われて、私の頭に真っ先に思い浮かんだ名前は全く『扇風機』だった。
そう、私の目の前にあるのは、誰がどう見たって扇風機でしかないのである。私はこの事実に改めて気付き、俄然カラ勇気のようなものが全身から涌き出て来るのを感じ、嘲笑交じりに吐き捨てた。
「扇風機」
そう言った途端、扇風機はまた例によって小刻みにカタカタカタと揺れ始める気配を私に見せた。私はただそれだけで無様に屈し、例によって奴隷のようにおずおずしながら申し出た。
「お、お待ち下さい。今のはほんの冗談で、そ、そうですね、でしたら、鈴子はいかがでしょう?」
鈴子という名前がとっさに出たのは、今では行方知れずになってしまった風鈴がちらりと私の脳裏を過ったためだった。
この扇風機を部屋に運び入れた際、私が真っ先に思い起こしたのは、あまりに風がなく風鈴の鳴らないために自らウチワで扇ぎ、かえって汗だくになってしまったという苦い経験だった。私はその時にこの扇風機があればと思ったものである。
だから私にとって扇風機と風鈴とは不思議と結び付いてしまうのだった。
「す、ず、こ?」
「ええ、良い名前だと思いますが」
「……すずこ」
「いかがでしょう?」
「お兄様、どうぞその名で私を呼んで下さい」
「え?」
「さあ、早くその名を」
私は一つ深呼吸をして、決意して、
「……鈴子」と呼んだ。
途端、私は少なからずの気恥ずかしさ、そうしてこそばゆさをかんじてしまった。それは決して扇風機に対して生じる感情ではありはしなかった。
そう、今の私の眼には一人の愛くるしい少女――鈴子という名の妹が映るぎりだった……。
「鈴子」
私は鈴子に向かって呼び掛けた。
すると鈴子は嬉しそうに微笑んで、
「お兄様」と返事した。
「お兄様、お兄様、お兄様」
私は鈴子からそう呼ばれるたびに、心の浄化されていくような気がした。
「お兄様」
「鈴子」
私は鈴子から呼び掛けに答えると、あまつさえ両手を広げてみせた。
「おいで、鈴子」
「はい、お兄様」
そう答えると、鈴子はガタガタガタと音を立てながら私の方へ向かってきた。今の私にはその音さえも心地よい。私は微笑みながら鈴子をこの胸に抱き込んでやろうと思った。
が、あとほんの少しのところで、鈴子はその歩みを止めてしまったのである。
「鈴子?」
「ダメ、お兄様、鈴子はそれ以上そちらへは行けません」
ふと鈴子の後方を見やると、鈴子のお尻の辺りから真っ白いコードがピーンと一直線に伸びている……。
「鈴子!」
私は鈴子を励ました。
「無理です、お兄様」
鈴子は涙声で言う。
けれども私は尚も鈴子を促した。
「鈴子!」
二度、
「鈴子!」
三度。
「……お兄様!」
鈴子は意を決し、一度後退りをして壁に背の当たるまでギリギリ一杯助走距離を稼ぎ、そうしてガタガタガタとこちらへ向かって走り出した!
私はまた両手を広げた。今度こそ鈴子を抱きかかえてやろうと思った。
鈴子は速度を緩めることなく私に向かって来る。
そうして、遂に、鈴子は私の胸に向かって飛んだ!
「お兄様!」と叫びながら!
――ブツン、と何かの抜ける音がした。
私はその音を聞きながら、しっかり鈴子を受け止めた。
が、思いの外強い衝撃に、和他社そのまま後ろに倒れ込んでしまい、後頭部をしこたま畳に打ち付けた。
遠のく意識の中、それでもしっかと鈴子を抱き締めながら、私は次のような音を聞いたのである。
……お……にい……さ……ぶううううう……ん……
エピローグ
「お目覚めかい?」
私の前に仁王立ちしていたのは友人のケイスケだった。
私は狼狽えながら身を起こし、ケイスケに聞いた。
「な、なんでお前が?」
「呼び鈴を鳴らしても返事がないんで、鍵かかって無かったから、あがらせてもらった。そしたらお前、寝てやがる。全く不用心だぜ」
私はケイスケの『呼び鈴』という言葉から風鈴を、そうして鈴子を連想せずにはいられなかった。
「自分は、寝てたのか?」
私はケイスケに問うた。
ケイスケは頷いた。
「本当に寝てたんだな?」
私はケイスケにもう一度問うた。
ケイスケはもう一度頷いた。
それでようやっと全てが夢であるのだと納得し、ホッと安堵の溜め息を漏らした時、私はしかし後頭部に痛みの走るのを感じ、奇妙な不安感を覚え始めた。
そんな私をますます不安にさせるようにケイスケは言った。
「しかし、いくら一人寝の寂しさとは言え、そんなものと添い寝する奴なんて、初めて見たよ」
「そんな、もの?」
私はケイスケの視線の先――すなわち私の右側を、恐る恐る見た。
「あ、あああ……」と、私が力なく声を漏らすより他なかったのは、そこに私の予期した通り、扇風機が横たわっていたからである。
「しかもさっきまで、抱いていやがった」と、ケイスケは尚も私を不安へと追い落とすことを言う。
――嘘だろう?
と、私がケイスケに言えなかったのは、私の両腕には、扇風機をさっきまで強く抱き締めていたために出来たと思われる筋状の赤い痕が、幾重にも残っていたからだった……。
私はいよいよ不安になった。
しかしケイスケはそれに気付きもせずに意味深長な笑みを浮かべながらこう言った。
「それとも、予行演習かい? 鈴子さんとの」
「!」
私はケイスケの口から彼の知るはずのないその名の出たことに、戦慄近いものを感じずにはいられなかった。
私は声を震わせながら、
「ど、どうして?」と、絞り出すのでやっとだった。
ケイスケは私のあからさまな狼狽を自分の都合のよいように受け取ったらしく、好色な顔をしてこう続けた。
「そりゃ、扇風機を抱きながら、すずこすずこって寝言で何度も言われてはねえ。一体誰だい、鈴子さんってのは?」
私が答えに窮したのは言うまでもない。
よっぽど私は今見た夢をケイスケに打ち明けてしまおうかと思った。
が、そうすればケイスケは私をどこか精神的に病んでいると思うに違いなかった。
私は少し考えて、
「……妹だよ」と答え、苦笑した。
ケイスケはもちろんその答えに納得せず、
「本当に?」と疑った。
「……本当さ。きっと妹にいじめられる夢でも見たんだろう」
「……そういえば、確かに苦しげな表情と言えなくもなかったが……」
ケイスケはまだ納得しかねるといった表情だった。
私はこれ以上の詮索を恐れ、話題を転じることにした。
「しかし、何だか蒸し暑いなあ」
実際私の着ていたTシャツは汗まみれだった。それさえ私を不安にさせたが、努めて考えないことにして、私は横たわる扇風機に目をやった。
扇風機は止まっていた。
首振機能の表示は『トマル』だった。
風速調整の表示は『1』だった。
私は慌てて真っ白いコードの先を目で追った。
プラグは、やはりコンセントから抜け落ちていた……。
私はもはや不安を覚えることにすら疲れを感じながら、努めて自然にケイスケに言った。
「悪いけど、扇風機のプラグ、挿し込んでくれないか?」
ケイスケは素直に従ってくれた。
私はその間に扇風機を起こし、まじまじと扇風機を眺めた。
それは全く扇風機にしか見えなかった。
私は思ったことをそのまま呪文のように呟いた。
「全く扇風機にしか見えない」
それで私はやっと落ち着くことが出来た。
「挿すぜ?」と言ってケイスケがプラグを挿し込むと、扇風機はブウウウンと音を立てて動き出す。
私は扇風機の首の動きを目で追った。
扇風機はいよいよ右にその首を振り始める。
私は身構えた。
しかし扇風機からは、当然の如くカタカタカタという例の軋みの音が聞こえて来るだけだった……。
私はホッとした。
が、そんな私を震撼させたのは、ケイスケがふと漏らした『その音って、どことなくヒグラシの鳴き声に似ているよな』という感想ではもちろんなく、リーンリーンという風鈴の音色だった!
私は反射的に音のした方へ目をやった。
窓がある。
何故だか網戸は開かれていて、剥き出しの夏空を背に風鈴が一つ軒に吊るされている!
それに扇風機の風が当たったのだ。
「……どう、して?」
私は恐怖から、夏だというのに身の毛の弥立つのを感じた。
けれどもケイスケは、そんな私の様子には気付きもせずに、ただ莞爾と笑ってこう言った。
「ああ、その風鈴。それは俺からの暑中見舞い。どうだい、少しは涼しくなったかな?」
おわり
扇風機的妹
読み終えた方はお気付きかもしれませんが、横光利一の『機械』と夢野久作の『ドグラ・マグラ』の影響を色濃く受けてしまっています。まあ、話の内容は全然違いますが……。
なんというか、自分でも全く訳の分からない話になってしまいました。
あしからず。
本当に変な話で、ゴメンナサイ。