― Ora et Labora(*)―

― Ora et Labora(*)―

白鳥の歌シリーズ3

梅雨は日雇い労働者の町にとって厳しい季節である。
すなわち、仕事が殆どなくなるのだ。
昔から 「土方を殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい。」
と歌われてきたが、梅雨時の日雇い労働者の表情は暗い。
歌の文句は切実である。

神学生の工藤はこの町に実習にきて、
自分で日雇い仕事をそうとう長い期間やってみた。
社会の底辺を知り、社会的弱者の助けとなる為には
何を行えば良いのか、そうした人々は何を求めているのかを
身をもって体験する為であった。
労働は、きついものであったが、工藤は健康で、
体も大きく、仕事に自信があった。
他の人が仕事にあぶれても、自分はあぶれることは無い
と確信していた。

だが、梅雨に入り、仕事が極端に少なくなり、
工藤は初めて〈あぶれ〉を経験した。

そして、このとき初めて、工藤は自分が行ってきたことが、
果たして良かったかどうかジレンマに陥った。

自分は毎日のように日雇い仕事をし、人知れずそのことに
誇りを感じていた。だが、このことは、そのために、
一人の人間をあぶれさせてしまっていたということを意味するのだ。

自分は経験のためにきたのだから、仕事をすれば
それは良い経験となるし、たとえ、あぶれたとしても、
自分には帰るべき家もある。
この日も、仕事にあぶれた工藤が最初に考えたことは、
家に帰り、昼寝でもしようかということだった。

だが、これが本当の日雇い労働者であればどうか。
あぶれるということはすなわち、その日の食費も
宿代も得ることは出来なくなるということを意味する。

働きたくとも雇ってくれる人がいない。
この悲哀を初めて味わった時、工藤の脳裏に浮かんだのは、
聖書の中のたとえ話であった。

「天の国は次のようにたとえられる。
 ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、
 夜明けに出かけて行った。
 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、
 労働者をぶどう園に送った。
 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで
 広場に立っている人々がいたので、
 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。
  ふさわしい賃金を払ってやろう』
 と言った。それで、その人たちは出かけて行った。
 主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、
 同じようにした。
 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、
 『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』
 と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』
 と言った。
 主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』
 と言った。(マタイの福音書20章1節~7節)

仕事の無い苦しみの中で、雇ってくれる人に出会った
喜びは大きい。たとえ話はさらに、こう続く。

「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、
『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、
一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろう
と思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、
この連中とを同じ扱いにするとは。』
主人はその一人に答えた。
『友よ、あなたに不当なことはしていない。
あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。
わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように
支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
(マタイの福音書20章8節~16節)

神学生となってからも、工藤にはこのたとえの
後半部分を理解することは出来なかった。
これは、現実の社会で行われるべき、
労働正義という立場から見れば、明らかに不正義なのである。
2時間働けば2時間分の報酬を受け、
3時間働けば3時間分の報酬を受ける。
これが労働正義というものである。
これが成り立たねば、今ある社会は立ち行かなくなる。
だからこの聖書のたとえを引き合いに出して
神の愛を説けば説くほど、わからないと反論を受けることになる。
工藤自身も長い間そうした疑問を抱きつづけてきた。

だが、こうして日雇い労働者の町にきて、
仕事が無いことのつらさを味わい、
また、仕事があることの喜びを噛み締め、
さらにもらう報酬が、この仕事を三十年間続けてきた
人々と同じであること知り、初めてこのたとえ話の
深みを知ることが出来た。
工藤は一人自室で、そう思うのだった。

<了>

*Ora et Labora(オラ・エト・ラボラ)は
カソリックのベネディクト修道会のモットー、
ラテン語で《祈りかつ働け》の意。

― Ora et Labora(*)―

― Ora et Labora(*)―

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-21

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