先生とマリと、緋色の季節
第一編前半 転機
第一章第1節1 はじまり(寝室にて)
深夜。
私はなぜだか正座していた。
布団の上、目には涙、頭は重く、目眩がした。
「どうしてだ。黙ってても終わらないぞ。」
伏せていた目を上へやると父が鬼の形相で睨みつけている。眼鏡越しに鋭く向けられる視線に人の温もりは感じられず、20センチメートルに満たない目線の差は自分の遥か雲の上から見下されるような威圧感として感じられた。
「あれはどういうつもりだ。」
「・・・・。」
そう言われても状況が飲み込めないでいる。床についてから今に至る記憶を何処かへなくしてしまったのだ。
目を閉じてから大体1時間半。一体何があったの?
そう思った次の瞬間、拳が飛んだ。
側頭部の強い痛みと共に、逆さになった視界が畳の上で跳ねた。
「なめてんのか!」
怒鳴られる。
耳と頭が痛い・・。
本当にどうしたものか。記憶は飛んでるし何故こんなに怒鳴られるのかもわからない。何故怒鳴られるのかわからないのに弁明のしようもない。弁明出来なければ叱られ続ける・・・。これではとてもこの状況から抜け出せそうにない。
私は思索を巡らせた。
しかしその晩、記憶を取り戻すことは出来なかった。
第一章第1節2 少し前(寝室にて)
『本町消防署の新田と申します。縹ハナダさんの携帯電話でお間違いないですか。』
『旅行中のお爺さんとお婆さんが事故に遭われて中村病院の方に緊急搬送されまして。』
『娘さんにもお電話してみたのですが、連絡が取れなかったので此方にお電話させていただく形になりました。ご家族の方はどなたか病院には来られますか。』
『有難うございます。此方から医師には伝えておきます。』
・・・。
第一章第1節3
夜が明け朝。
昨晩怒鳴られ、たびたび殴られながら話をよくよく聞いていると、怒りの原因は部屋の明かりを消さずに寝ていたことと、使った食器を流し台に置いたまま洗っていなかったことだったようだ。2時間謝り通しでなんとか眠りにつくことは出来たが、寝不足のせいか殴られたせいか、頭が痛い。
ひとまず重い身体を起こして食卓へと向かった。が、そこで思いもよらぬ言葉が耳に入った。
「死んだってさ。爺さんたち」
あまりにしれっとした態度で発されたその言葉の意味を私が理解するのには少し時間がかかった。
「どうして・・・?」
「事故だって。昨日の。」
「事故?」
「昨日の夜、観光バスの事故に巻き込まれたって。隊員の人から聞いたろ。」
その時全ての記憶が頭のなかに蘇った。
「どうして・・・。病院・・連れてってくれなかったの・・?」
「遅くなったし、疲れてたんだ。それはそうと、昼までには病院で化粧と着物やっといてくれるみたいだから。母さんが取りに行って夕方からお通夜だから早めに帰って準備手伝えよ。」
思うことはあっても、何も言い返せなかった。怒りすら湧いてこない。怒りを通り越しての呆れすら無かった。感情を訴えたところで暴力で解決されるのは常だったが、その感情すらその時は無くしてしまっていた。
・・・・。
「行ってきます。」
「はい きをつけてー」
第一章第2節1 むかしのこと
私が物心もつかないころから両親は共働きであまり相手をしてくれなかった。
私は幼稚園や学校からは直接家に帰らず、両親が帰る時間まで近所にあるお爺ちゃんの家で過ごしていた。
おばあちゃんは毎日晩御飯の支度をしてくれて、手が空けば宿題も手伝ってくれた。
お爺ちゃんはたまに何処かから持ってきたお菓子をたくさんくれた。その時は決まって機嫌が良かった。(今思えばあれはパチンコの景品だろう)
晩御飯は和食ばかりだったけれど、飽きることはなかった。おばあちゃんは私の食べ物の好みを本当によく把握していて、苦手だったにんじんやなすびを好きなメニューにこっそり入れて、たべられるものを増やしてくれた。
今の私に好き嫌いがないのはこのおかげかも。
両親の帰りが特別遅い時は、一緒の布団で寝かしつけてくれた。
温かい布団のなかで
(このままここで一緒に暮らせたらいいのになぁ・・・)
なんて思ったりもした。
その一方で、いいことばかりでもないのが現実というもの。
自分よりも爺婆に懐いた娘を両親は良くは思わず、眠っている私をたたき起こして毎日必ず連れて帰った。
どんなに遅く帰っても家に着けば連絡帳と宿題の点検が始まる。
その時も寝ぼけ眼をこすってだらだらと準備をしていると怒鳴られたり殴られたり・・・。
諸々済ませて、なんとか再び布団に入る頃には日付が変わっているなんてことも珍しくなかった。
そして、中学生になった頃、事件が起きた。
私の腕の痣におばあちゃん達が気付いてしまったのだ。
私はその時初めて全てを話した。
2人は激怒し、仕事中の両親を無理矢理家に呼びつけて、怒鳴りつけた。
両親は2人の前で縮こまって、いつになく小さく見えた。
普段私を怒鳴ったり殴ったりする父と、そんな状況を庇ってもくれず知らんぷりな母が、怒鳴られて小さくなっているのを見て、わたしは2人の後ろで少し顔がにやけていたかもしれない。
その夜は2人が家まで送ってくれて、私が寝るまで傍にいて話を聞いてくれた。
2人は「もう大丈夫だからな。」と繰り返し言い聞かせてくれた。
私は、これで安息が訪れるものと思っていた・・。
しかし、次の日。
両親から〈お爺ちゃんの家禁止令〉を言い渡された。
当然そんなこと受け入れられない私は、とりあえず両親には「はい」と返事をして、その日もいつも通りお爺ちゃんの家に向った。
だがそこにいたのは《父》だった。
お爺ちゃんとおばあちゃんは虐待の被疑者として警察へ連れて行かれたらしい。
どこでどうなったらこんな事になるのか。兎角、復讐のためとなると知恵の働く父であった。
その後2人で警察まで迎えに行き、父が警察に。
「おおごとにはしたくないからどうか2人を返してください。家の問題だから私が意地でもこの子を守るから。」
などと言って2人を家に返した。
私は人生でこれ以上の皮肉を目にしたことがない。
そこから地獄の始まりだった。
(この人にはもう何があっても逆らえない・・・。)
「もう行かないな?」
「・・・はい。」
家に帰ればこの事実を知る人も本人以外になく監視をする人もなく、心置きなく好き放題されるだろう・・・
その時から必死で父の顔色をうかがい機嫌を取るようになった。
少しでも殴られる蹴られる回数が減られることを願って。
それでも身体に受けた傷は必死に隠した。
学校では夏服は着なかった。
体育の時も一人だけトイレで着替えた、半袖の季節と水泳は必ず見学した。
でもそんなことをやっていると先生からも生徒からも不信が募る。周りから人は離れていった。次第にいろいろな人の視界から消えていった。
(でも父の所業が明るみに出るよりはいい。)
本気でそう思っていた。あの人の機嫌を損ねてしまったらきっともっと酷くなる。。。
気付けば学校に、話せる人は一人もいなくなっていた。視界にない私を、先生方は心配などしてくれるはずもなく。
私は学校の中で居て居ない者になっていた。
それでも、優しくしてくれたおじいちゃん、おばあちゃんにいつかまた会えるかもと思うと頑張れた。また今日も一日だけがんばろう。また今日も1日だけ。そうして一日だけを繰り返し耐えるうちに4年が経っていた。
そしてその日。私は頑張れなくなった。
第一章第1節4 おわり?(屋上にて)
おじいちゃんとおばあちゃんが死んだ・・。
あれ以来会っていなかったのに・・・。
もう一度会いたかったなぁ・・・。
あの二人にならきっと話せただろうな・・・。
色々なことを・・・。私の気持ち・・・。
家では痛みに耐え、学校では空気になる生活。
もう、そろそろ限界かな・・・。
風の音がする。。。鳥の声。。おひさまの明かり。。。かすかに草の揺れる音。。地面に目をやれば草木に。。。蝶が舞う。。。
でもそんな小さな安らぎは、私の生きる希望にもこの世に留まる僅かな理由にもならなかった・・・。
またあの家に連れ戻されるくらいなら、もう・・・。
傷だらけの身体を捨てておばあちゃんたちに逢いに行こう・・。
フェンスを跨ぎ、呟く。
「さよなら・・・」
次の瞬間、視界が白に染まった。
薄れ行く意識の中で微かに聞こえる声。
「つ か ま え た」
第一章第2節1 その後
(私、死んじゃったのかな・・・・?
それともまだ生きているの?
なにもない。
でも、考える私がいる。
それを知る私もいる。
わたしは、消えてはいない・・・・。
私、あの時落ちたのかしら?
あの時の声は・・・?
幻聴だったの・・・?
でも・・・
一体何があったのかしら・・。)
気付くとソファの上に横たわっていた。
胸には真新しい白衣が掛けられている。
アールデコ調に統一された部屋に、優しく、そして、少しだけエキゾチックなお香の香りが漂う。
花が添えられた出窓からは秋の日差しが差し込み、部屋を温もりで満たしている。
(気持ちいい・・・。)
しかし、まどろんでいる場合ではない。
恐らく死後の世界にいるか、あの時何かが起きて拉致されたかだ。
何にせよ、この身に何か起きているには違いない。
「おはよう」
背もたれの向こうから声がした。
(やっぱり、拉致されたの・・?)
疑問は尽きない。
「お、おはようございます」
「よく寝たねぇ。まぁ、よく寝れるようにしたからね」
30台と思わしき白衣の男は自慢気に話す。
「一体何をしたんですか?あなたが私を拐ったの?」
「拐ったなんて人聞きの悪い。今にも死んでしまいそうなか弱き少女を《保護》してるだけだよ。」
髭をいじくり、はにかみながら男は言う。
「拐ったんですよね?」
「まぁ~・・・そう思ってくれて、
差し支えは・・・・う~ん。今のところはそう理解してもらっても構わないといえばそう・・・だな?」
「私に聞かないでくださいよ。一体どうしてこうなったのか、何のためなのかとか・・・追って説明してもらわないと。とにかく聞きたいことがいっぱいで・・・。」
「でも君、帰りたくないんだよね?」
「・・・。」
男は一転、真剣な口調と表情になって、私の心を突く。
「どうして・・・。」
「こんな時家に帰りたくて仕方ないく思うような子は、自殺なんて考えないだろう?」
「そうですけど・・・。でも!」
「う~ん。」
疑問は更に深まった。この男、私の事知っているの?
「結論から言おう。君が自殺しようとするのを僕が拉致した。だから君は死んではいない。」
「それはなんとなく分かってました。でも、そんなん事より・・・」
「何故こうして拉致したのかって?僕が君のことをどれ位知っているのかとか?」
「そう・・・です・・・。」
「まぁそれは明日の朝ごはんの時にでもゆっくり話そう。」
私は少なくとも明日の朝まではこの男とともに居なくてはならないらしい・・。
「あの、・・晩御飯は・・・?」
「食べたい?」
「ええ、できれば食事は・・・。」
「その点は心配いらないよ。でも今日の晩はちょっと難しいかな。」
「そうですか・・。」
「まぁその理由もすぐわかるよ。」
本当にここへ来てから疑問が尽きない。妙な男に連れ去られてしまった・・。
危害を加えるつもりはなさそうだし、抵抗したりして逃げ出そうにも、場所もわからない。
窓の外には自然しかないようだし助けてくれる人も居ないだろう。
ひとまずは、この男に身を委ねてしまおう。
「少しは落ち着いたかい?」
「はい、すこし・・。」
「ご飯はだめだけど、丁度いい時間だしお茶でもどう?」
「頂きます・・・」
案内されるがままにテーブルにつくと、男は手際よく紅茶を淹れてくれた。
「ジャムいる?」
「あったら、嬉しいです。」
「ロシアンティー好き?」
「飲んだことないです・・。」
「そっか。ジャムを舐めながら紅茶を飲むのを、ロシアンティーっていうんだ。」
「へぇー。。」
男は私の対面に座ると、ロシアンティーの1式が乗ったトレイを私の前に置くと、男は私の対面に座った。
「どうぞ。」
「頂きます。」
ママレードジャムを口に含んで、溶けきらないうちに紅茶をすする。
爽やかな柑橘系の香りが頭のなかを満たしていく。
紅茶は僅かな苦味と渋味を舌先に残して体を温める。
「おいしいでしょ?」
「はい、とても・・・。」
「それは良かった。早速だけれども、謝りたいことがあるんだ。」
「・・・?」
「おじいちゃんとおばあちゃんのお葬式に行かせてあげられなくて、ごめん。本当にこのことは申し訳ないと思ってるんだ。」
「どうして、それを・・・?今からじゃ間に合わないんですか・・?」
「いや・・・。実は君は丸二日寝てしまっていたんだ。今日の午前中には終わってしまったんだよ・・。」
二人の顔が思い出される。
自然と涙が溢れ出そうになる。
「いいんです、あの時飛び降りて死んでしまっていたら行けなかったんですから。」
「それはそうけど、僕の都合で長いこと眠らせてしまったから、、、その点すまないと思ってるんだ。」
「大丈夫ですから・・・。」
涙がぼろぼろと溢れ出る。
頬を伝い、顎から滴りスカートを濡らした。
あの時、きちんと感じられなかった悲しみが、今になって溢れ出る。
幼いころの日々が脳裏に思い出され、楽しかった思い出がありありと浮かぶ。
そんな私の背中を、男はただ黙って優しく擦ってくれた。
第一章第2節2 翌朝
その翌朝、私は鳥のさえずりと朝日の温もりで目を覚ました。
どのくらい泣いたのだろう。
いつの間にか泣き疲れて私は寝てしまっていたみたいだ。
体を起こしてベッドの隅に腰掛けると、不思議と身体は軽かった。
〈トントン〉
起きたのを察してきたのだろうか、絶妙なタイミングのノックに返事をする。
「はーい」
その瞬間、異変に気づいた。
声が、違う・・・。
私の声じゃない。
何?どうして?
「鏡を持ってきたよ」
それを聞き察した。
「イッ!」
素早く腕を見る。大腿を見る。手のひらを見てみる。
傷が・・・ない・・・。
それだけじゃない。色も白いし少し細いみたい・・。
〈ガチャ〉
男が私の背丈ほどありそうな鏡を抱えて部屋に入ってきた。
「やぁ、ビックリしたろ?」
「どうしてこんなことになってるんですか!」
「これが目的その1」
「目的って・・・。自殺しようとする女の子を拐って、その悲しみに漬け込んで、気付かないうちに人体実験をすることがですか!」
「まぁ、落ち着k
「これが落ち着いていられますか!?朝起きたら身体がまるまる他人で、薬指も曲がらなくなっちゃったし、髪の毛も真っ白で・・・。
もう・・・。」
また泣きそうになった。
「ほら、曲がるじゃん」
男は私の薬指をつまんでぶらぶら。
「からかわないでくださいよ!」
「冗談だって。まぁ怒るなよ。ほれ」
男は立てかけていた姿見をくるっと回転させ表を向けた。
私はしばらく言葉を発することが出来なかった。
目の前の鏡に映った、この世のものとは思えない美しい少女に見入ってしまった。
これが・・・私・・・?
腰ほどまである銀髪、色白で且つ健康的な肌の色。すらっと伸びた四肢にアルパイン・ブルーのワンピースを纏っている。
右目は碧眼、左目は灰紫。
「どう?いいセンスだろ?」
「綺麗・・・。でも・・・。」
「しばらく悩むといいよ。実は、元の体に戻ろうと思えば戻れるんだ。」
「そうなんですか・・。」
「とりあえず、それで一日過ごしてみなよ。」
「・・・・そうします。」
朝ごはん
・南瓜と人参のサラダ
・たまごとソーセージのホットサンド
・チキンヌードルスープ
「いただきます」
「いただきます」
「こういうの好き?」
「ええ。祖母が色々なものを食べさせてくれたので、好き嫌いは殆ど無いんです。」
「良くしてくれてたんだね。」
「はい・・・本当に・・・。」
「まぁ、簡単には受け入れられないさ。自分でやっといて何だけど、今の君には色々なことが起こりすぎてる。しばらくウチで気ままに過ごすといいよ。」
「そうするしかないんですよね・・・。この姿じゃ・・。街にも戻れないし、誰も私を知らない。」
「そう。物分かりがよくて助かるよ。でも、僕の顔色をうかがったりご機嫌取りはしなくていいからね?気を遣われるのが苦手でね・・・。」
「そう仰っていただけると気が楽です。」
「それだよそれ。そんな固い言葉じゃなくていいんだよ。まぁ、無理せず気楽にね。」
「はい」
「さて!じゃあオリエンテーションを始めるとするか」
「何のですか?」
「今の君の身体についてさ」
オリエンテーションまとめ。
概要
・他人の身体に意識を入れたりしているわけではないから安心するように。
・人工の肉体であり、各機能は人間のものと同等かそれ以上。
・だいたいいつも通り生活してOK
できること。
・食事
・運動
・いろいろ
・まぁ今までしてたことは大体出来るよ。あとはねぇ・・・。
・生殖
・排泄
できること特記事項
・一ヶ月位なら飲まず食わずも大丈夫。わりと肌荒れるけど。
・完全な不動。微細な筋肉のブレがなくなったよ。
・集中すると感覚がめっちゃ敏感になるよ。
できないこと
・特定の感覚だけ敏感にはなれないよ。
・競技大会などへの参加。普通の人の能力超えちゃうことあるからね。
・合法的な身分証の取得。この姿だし、出生もしてないからね。
・合法的な海外渡航。上に同じく。
・身分証が必要なことはだいたい出来ない。
・目立ちすぎること。存在が広まっちゃうとマズイよね。
注意事項
・生理とかないし生殖能力が非常に高いのでみだりに性交渉しないこと。
・子供出来ても母親に戸籍も身分もない事になるから事前準備が色々必要。そのつもりの時は相談してね。
・綺麗だからって男たぶらかすなよ
・身体に異変があったらすぐに相談すること。
・救急車には絶対乗るな。
「だいたいこんなものだな。質問はあるかい?」
「あの・・・。お名前、なんてお呼びしたらいいですか?」
「それ聞いちゃう?」
「はい。」
「長くなるけど?」
「ええ、まぁ・・・。」
「いくぞ。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウr
「ピカソの本名はいいですから。」
「よくここでわかったな」
「それで、なんてお呼びすればいいですか?」
「ジョン・ドウ」
(こいつ、ちょっとうざい。)
「普段はなんて呼ばれてるんですか?」
「先生」
「白衣着てますもんね、たしかに先生っぽいです。」
「だろ?」
「じゃあ、私も先生って呼びますね」
「お父s
「先生、質問なんですが。」
「なんでしょう。」
「ところでここは何処なんですか?」
「君の家の近くだよ」
「具体的には?」
「日本」
「全然具体的になってませんが。」
「ジンバブエよりは近いだろ。」
「いい加減にしてくださいよ。」
「すまないが、これ以上のことは言えないんだ。日本にいることは保証しよう。」
「わかりました・・・。それはおいおいということで・・。」
「助かるよ。他に質問はいいのかい?」
「それもおいおい聞いていきます・・・。」
「いい選択だ。」
その後は、しばしの歓談。
相変わらず目的や核心には触れることは出来なかったが、悪意のない良い人らしいことは伝わってきた。
ウザさとクドさはご愛嬌。
歓談の内容は、おいおい記しましょうか・・・。
第一章第2節3 牛が私を見ている
そんなこんなで、話をしていたらお昼も近づいてきた。
「よし、飯だ。外で食べよう。」
「外に出てもいいんですか?」
「勿論。範囲は限られるけど、さっきのことを守ってくれればね。」
「でもこの辺、何もなさそうですね。」
「そんなことないよ。出ればわかるさ。とりあえず、支度しよ。ほい。」
手渡されたのは白衣。
「これって、目立つんじゃ・・・?」
「大丈夫。知り合いのとこだから。それに、白衣を着てれば僕の身内って事もわかるしね。」
そんな話をしながら玄関へ歩を進める。
先生は玄関のドアを開け言う。
「どうした?行くぞ?」
「靴がないんですが。」
「あ!すまない、これこれ。」
黒いリボン付きぺたんこパンプス。いい。
ガレージへ着くと、磨き上げられた、いかにもオールドな幌張りオープンカー。
「これ、博物館の展示物みたいですけど動くんですか?」
「勿論!こう見えて90年製なんだぞ。」
「へぇ。」
「興味なさげだな。」
先生はエンジンを掛ける。
〈ドドドドドドド〉
「うるさいんですね。」
「そりゃぁ、スポーツカーだもん。」
「飛ばさないでくださいね。」
「ああ。免許もないしな。捕まる訳にはいかないよ。」
「え、免許、ないんですか?」
「だって、行方不明者だし。」
「じゃぁ、ナンバーとかどうしたんですか・・?」
「拾った。」
「嘘?」
「うそ。買った。知り合いから。」
「車のナンバーって買えるんですねぇ・・・。」
「意外と普通に売ってるよ?」
「先生って見た目に似合わずアウトローですね。」
「だろ?」
車で山を少し下ると思いの外普通の景色。
ちょっとした地方都市のような様子。
「意外と普通だろ?」
「普通ですね。」
30分程走ると小さな牧場に着いた。
「さて、少し見学してからご飯にしよう。お腹そんなにへってないだろ?」
「ええ。」
少し歩いて牧場の柵の上に腰掛ける。日差しが眩しい。
「あれを見てみろ、牛だ。」
「牛ですね。」
「牛がこっちを見ている。あの目は仔牛を売られて恨めしく人間を睨む母牛の目だな。」
「そんなことまで分かるんですか?」
「いや。わからん。」
「なんだ・・・。」
「しかし、来週にはあの牛も僕らの腹の中だな。」
「そうなんですか?」
「いや。わからん。でも、来週にはこの牧場の牛がブロックになってうちに届くぞ。」
「儚いものですね・・・。でも、楽しみです。」
「ああ。ところで、あれを見てごらん。」
「農夫ですね。」
「農夫がこっちを見ている。」
「牧草刈り取ってますが。」
「細かいことはいいんだ。あの目は嫁さんの誕生日を忘れて1日口を聞いてもらえなかった翌日の旦那の目だ。」
「そんなこと分かるんですか?」
「ああ。」
「なんと」
「試しに、呼んでみるか。」
「は、はい・・。」
「Hey!Bob!」
すると農夫はこちらへ歩いてきた。
「おお、先生。お久しぶりです。待ってましたよ。」
「紹介しよう、闘牛士のボブだ。」
「どうも。ここの経営をしておりますの佐久間と申します。」
「かすってもないじゃないですか。」
「細かいことはいいんだ。紹介しよう、この子は相棒のマリだ。」
「どうも、お会いできて光栄です。お名前は?」
「マリです・・・。」
先生が紹介しているのに名前を尋ねられるとは・・・。
「先生は、いつもこんな調子なんですか?」
「ああねぇ、先生は名前に関してはあまり関心がないみたいで。」
「そんなことはない!こだわりがあるだけだ。」
「覚えられないんですね。」
「まぁ、・・・・今のところはそう思ってもらって構わない。」
「まぁまぁ、ひとまずここじゃなんですから、あちらへどうぞ。」
敷地内のステーキハウスへ向かう。
「人、居ませんね。」
「あぁ、ここはね、本当は夜からなんだよ。でも、先生が来てくれるって言うから特別にシェフに無理言って頼んだんだ。」
ステーキターナーをカチカチさせながら満面の笑みで会釈するシェフ。
(イケメン・・・。)
「恐れ入ります。」
「では、ごゆっくり。私は作業に戻りますので。」
肉を焼く音が響き、香ばしい香りが鼻
をくすぐる。
「お待たせしました。」
溶け始めたバターが香る。
「クリームソースとグレービーソースはお好みでどうぞ。混ぜても美味しくお召し上がり頂けます。」
「ご丁寧にありがとう。」
「ごゆっくりどうぞ。」
カウンターの内に戻るシェフ。
「いただきます。」
「いただきます。」
ソースを掛けながらボソッと先生が言う。
「どっちも牛の汁だ。」
「やめてくださいよ。そんな言い方じゃなんだか、生々しいじゃないですか。」
「失礼。」
さっきの牛が、頭に浮かぶ。
「牛さん・・・。」
「牛だ・・・。あの牛が居て、こうして今美味しいステーキがある。」
「そうですね・・・。分かってはいるはずだけど、牛さんがお肉になる過程は想像したくないですね・・・。」
「そういうものさ。誰しも分かってはいても、実際のところを知るのは当事者だけ。親のセックスみたいなものだな。」
「先生は、もう少し考えてから発言したほうが良いです。」
「これまた失礼。」
「はぁ・・・。」
先が思いやられるわ・・・・。
そんなことを言いつつも、味わい深いステーキに私は大満足だった。
「これは、良いものだな。」
「はい、とっても美味しかったです。」
「さて、行こうか。」
席を離れ店を出ると、外までシェフがお見送りしてくれた。
「今日も、いい肉だった。」
「美味しかったですよ。」
「そう言って頂ければ本望です。是非またいつでもいらしてください。今日はお会いできて光栄でした。」
私に手を差し伸べるシェフ。
手を伸ばすと、思いの外しっかりした握手に少し頬が紅潮してしまった。
「ではまた、近いうちに。」
「ああ。その時は是非よろしく。」
車に戻り、ドアを閉じるまで、シェフは手を振ってくれていた。
車を回して走りだすと、先生が言う。
「いやしかし、良かったなぁ。」
「美味しかったです。」
「いい男だったろ?」
「へっ・・・?」
「ふふッ。その気になればその容姿でイチコロだろうに。」
「不用意にそういうことするなって言ったのは先生じゃないですか。」
「おっ?てことは、少しはその気があったのか?」
この男、憎い・・・。
「あ!先生!お会計してませんけどいいんですか?」
「大丈夫だ。」
「そうなんですか・・・。けど、どうして?」
「あのシェフの親父さんが僕の後輩でね。まぁ色々とあったんだ。まぁ細かいことはいいだろ?」
「ええ・・・。お会計しなくていいなら、それで。でも先生、シェフさんとそんなに歳が離れてるように見えませんでしたけど・・・?。」
「細かいことはいいんだ。」
謎の多い人・・・。
そうして話しているうちに、満腹の私は車の心地良い振動に揺られ、眠りについた。
第一章第2節4 お宅拝見
〈コンコン〉
「着いたぞー」
車の外から声がする。
「んっ・・・。あぁ、いつの間に・・・。」
「よく寝てたな。イビキなんかかいてさ。」
「え、ウソ?」
「嘘だよ。」
「もう・・・。」
「ちょっとお庭案内してあげるから、付いておいで。」
「あぁ、待っ。はい!行きます!」
マイペースな人なんだから・・・。
「表庭はガレージに繋がってるだけだね。」
ガレージへと繋がるアスファルトの道の周りはツツジで縁取られた芝生。少し広めの遊歩道といった感じ。ツツジの奥は背の低い笹林。
「裏が綺麗なんだよ。」
「窓の外、素敵でしたもんね。」
笹の葉を散らしつつ、家の外壁と笹林の間の狭い道を進んでいく。
「ほら。」
一気に道が開けると、今度は椿の生け垣に縁取られた広い芝生の空間が広がる。奥の方には木が4本。
「手前から、楓、欅、西洋杜松に柊だ。」
「綺麗・・・。」
欅を中心として整然と並ぶ木は、外側ほど背が低くなっている。
「立派な欅ですねぇ・・・。」
「あぁ、恐らく樹齢で言うと200年近いんじゃないかな?この家のシンボルだよ。」
樹の下にはガーデンテーブル。
(ここでお茶したら、気持ちよさそう。楓も色付いて綺麗だし・・。)
木漏れ日の中、心地よい風を浴びながらテーブルまで歩を進めると、欅の山吹色と楓の紅緋色は一層鮮やかに感じられた。
「この欅も一、二ヶ月もすれば丸裸になって、落ち葉は雪に埋もれる。でも春には毎年新芽を出して、夏には木陰を作り、またこうして黄色に染まる。二百年ずっと変わらずそうしてきた。僕はその1/3にも満たない時間の中で、事あるごとに一喜一憂したりして。君もきっと、この木の枯れないうちにこの世を去ることだろう・・・。」
「どうしたんですか?急に」
「毎日見ていても、こうして樹の下まで来ると感じるものがあるんだ。思い出深いものでね・・・。」
「そうなんですか・・・。先生、色々ありそうですもんね。」
「あぁ・・・まあな。しかし君は動じない子だな。妙な男に連れ去られて、人体改造された挙句連れ回されてこんな話を聞かされても、こうして落ち着いていられるなんて。」
「私だって・・・。何も感じてないわけじゃないですよ。でも私にはこの状況がどこか必然のように思えて、いっそ身を預けてしまった方が楽かなって・・・。そう思ったんです。」
「そういう子だもんな、君は・・・。まるで現実に抵抗しない。」
「思い返すと・・・そうかもしれませんね。
ところで先生は一体いつから私を知っているんですか?」
「君にとってはだいぶ前。僕からしたらつい最近さ。」
しばしの沈黙が私達を包む。
風の音がする。。。鳥の声。。おひさまの明かり。。。かすかに草の揺れる音。。
「もうじき冷える。そろそろ中に入ろう。」
「ええ。広くて良いお家ですね。」
「ああ、いいとこだよここは。そういや、中はまだ見て回ってないな。」
「そうですね。」
「ついでに案内しよう。」
先程の細い道を戻りガレージから玄関へ。
廊下へ上がり廊下を左に行くと左手側にダイニングの扉がある。
「このダイニングの奥は間仕切りをたたむと南西の角までリビングになってる。君が初めて起きたとこだね。」
廊下へ戻り先生は左手側を指差す。
「あっちは小さい西寝室と倉庫とか色々がある。西は簡易ベッドだからね。」
今度は右手側を指差す。
「あっちは君の寝室と、浴場、階段を上がって2階には僕の部屋がある。あとは適当に見て回るといいよ。」
「はい、あと、トイレはどこですか?」
「浴室の隣にあるよ。あ、鍵がかかったところは聞いてくれればまたその時案内するよ。」
「有難うございます。」
「じゃぁ僕は、夕食までちょっと部屋に篭もるから、自由にしてるといいよ。」
「えぇ。その辺見てますね。」
「うん。それじゃね。」
先生は階段を駆け上がり、奥に消えた。
(さて、どうしよっかなぁ~。)
ひと通り扉を開けて回ったが、先ほど案内された部屋以外は鍵がかかっていて見ることは出来なかった。仕方なく寝室へ戻り、夕食まで布団でゴロゴロすることにした。
(はぁ~。なんだかそんなに動いてないのに疲れた。まぁ色々あったし・・・。そういえばいつの間にか薬指も動くようになったなぁ。
意外といいとこだし、先生はちょっと変だけど、ちゃんと出来ないわけじゃなさそうだし、それなりにいい人だし。意外とここでもやっていけるのかなぁ・・・。
なんにしても、家にあのまま留まるよりはマシかぁ。
それにしてもこの身体、どういうことなんだろう・・・。)
疑問は尽きなかったが、考えても答えは出なかった。そうして考えるうちに時は過ぎていった。
第一章第2節5
〈コンコン〉
「はーい」
先生が来たようだ。
「今から夕飯の支度するから、その間にお風呂入っちゃったらどうかな?」
「ええ。そうします。あの・・・。着替えとか・・・。どうしたら良いでしょうか・・・。」
「ああ、そういや言ってなかったけな。寝室のクローゼットの中に一式あるはずだから、確認してみて。」
「あ、はい・・・。」
そうして先生はキッチンへ向かっていった。
クローゼットを確認すると、フォーマルウエア、普段着、部屋着、寝間着、下着に至るまで一式揃っていた。
(はぁ・・・。先生が作った身体だし、当然といえば当然か・・・。)
寝間着と着替え一式を持って浴室へと向かう。
脱衣所で服を脱ぐと、またしても鏡に映る綺麗な身体に見入ってしまった。髪は純白ではなく微かに青みがかった薄鈍色で、肌は色白でありながらやや紅味が差していている。服を着ていた時には分からなかったが、腰回りは引き締まり、太腿から胸に至るまで、重力に負けることなく凛としている。
(本当に綺麗。)
もとの身体に戻るという選択は、また私の中から遠のいていった。
扉を開け湯船へ向かい、念入りに掛け湯をして浴槽へ浸かる。
浴槽は大人2人が余裕で入れるほどの広さがあり、かなりゆったり出来る。
(あぁ・・・温まる・・・。傷に沁みないお風呂は久しぶりかも・・・。)
私はその時久々の安堵と安らぎを覚えた。
第一章第2節6 自己同一性
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先生とマリと、緋色の季節