赤ずきん〜もしも狼が紳士的だったら〜
赤ずきん〜もしも狼が紳士的だったら〜
人里離れた森の近くに、ある夫婦が住んでいた。木こりの夫に、裁縫上手な妻。二人は、大変仲睦まじく暮らしていたのだった。
ある時、二人の間に可愛らしい女の子が産まれた。夫婦は、誕生日の記念にと、女の子に手作りの赤いずきんを贈った。それ以降、毎年彼女の誕生日になると、決まって手作りの赤いずきんを贈るようになった。
毎日欠かさず赤いずきんを着けていたおかげか、人々は彼女を「赤ずきん」と呼ぶようになっていた。
赤ずきんのもとに、十一枚目の赤いずきんが届く頃、彼女は元気な愛らしい子に育っていたのだった。
○○○
ある日の昼下がり。お父さんは町へ買い物に行き、私が暇を持て余していた時のこと。
「赤ずきん、ちょっといいかしら?」
「なあに? お母さん」
いつの間にか、両親にまで定着してしまったあだ名のおかげで、ここ数年本名を呼ばれた記憶がない。そもそもの話、本名を呼ばれてもおそらく反応出来ない。自分の名前のはずなんだけどな……と思わず遠い目をする。
「赤ずきん! 聞いてるの?」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「全くもう……。おばあちゃんがぎっくり腰になったそうだから、お見舞いに行って来て欲しいのよ。はい。これ持って」
お母さんからバスケットを受取ると、中にはワインにパン。乾燥させたフルーツが入っていた。
「いいけど……。一人で行ってもいいの? 普段は、ダメなのに」
「今日は、仕方ないわ。この後、急ぎの用事があるの」
心配性のお母さんは、私一人で森の中へ行くことを、今まで一度も許可したことがない。それなのに、森を抜けた先のおばあちゃんちへ行っていいなんて……。おばあちゃんの状態が心配でもあるけど、それよりも、少しワクワクしてしまう。
そのワクワクが顔に出てしまっていたのか、お母さんにクギを刺される。
「いつも言ってるけど、道草しちゃダメよ。むやみに道端の植物に触るのもダメ。もし、かぶれたら困るからね。他にも、知らない人とお話するのもダメだし、ついて行くなんて以ての外よ。それに……」
「わかってる! ちゃんと守るから!」
「本当に?」
「本当! 道草しないし、植物にもむやみに触らない! 知らない人とも、関わりません! これでいいでしょ」
「最後に。オオカミには、注意すること! 食べられちゃうんだからね」
「オオカミにも注意する! じゃあ、行ってきます」
これ以上家にいても、またお小言をくらってしまう。ここは逃げるのが得策だろう。家から距離をとるために、軽く走る。しばらくすると、木々が生い茂る森の中。
「ここまで来れば、大丈夫かな……」
少し立ち止まり、息を落ちつけがてら周りを見る。今まで、必ず大人と一緒でしか来てはいけなかった場所に一人でいると実感すると、何とも言えない高揚感に襲われる。
「よし! 行こう」
気合いを入れなおし、歩き出す。目に入るもの、全てが新鮮で何だか輝いて見えるから不思議だ。きょろきょろと、忙しなく視線を動かしていると、突然、誰かに声をかけられる。
「お嬢さん、どこへ行くんだい?」
「おばあさんのお見舞いに」
言いながら振り返ると、そこにいたのはオオカミだった。
「え……うそ…………」
うまく声が出せない。お母さんの「食べられる」という言葉が、脳裏をよぎる。体が強張り、足が動かない。「ぁ……」だとか「ひっ……」だとか、言葉を話すことすらままならないのに、頭の中はいやに冷静で、私はこれから死んでしまうのかとか、死ぬにあたって、何もできなかったなとか、くだらないことを考える。
「大丈夫かい!? 顔が真っ青だ! 落ち着いて」
「え……」
「ゆっくり息を吸って、そう。ゆっくり、ゆっくり」
目の前のオオカミは、そう言いながら私の背中をさすり、介抱してくれている。もしかしなくても、これ、心配されてる?
「大丈夫? びっくりさせてしまって、ごめんね」
「え、いえ……」
さっきとは別の事で、驚きが隠せない。私、オオカミに助けられたの?(そもそも、原因がオオカミなんだけども)
「えっと……助けてくださって、ありがとうございます……?」
「ああ、いいよ。気にしないで。僕が原因なわけだし……」
「じゃ、じゃあ、これで……。ありがとうございました……」
「あ、待って。おばあさんの家ってどこなんだい?」
「え、森の先、ですけど……」
つい怪訝な表情を浮かべてしまう。こいつは、一体何をする気だ。
「そんな状態で、森の奥まで行かせられない。心配だし、送っていくよ」
「……は?」
まさに目が点。オオカミなのに私を助けて、その上、心配までしている。罠か何かだろうか。もし罠だとしたら、迫真の演技だな……。うますぎる。とりあえず、お母さんとの約束もあるし断らないと。
「えっと、知らない人? と話しちゃダメだし、ついていくのもダメなので……」
「そっか。じゃあ、僕が勝手に自己紹介をするから、話したいと思ったときに、お嬢さんも自己紹介してくれないかい? それからなら、知らない人じゃないだろう?」
にっこりと微笑み「僕はオオカミ。名前はないんだ。この森に住んで、数年たつよ。よろしく」と自己紹介をしてきた。このオオカミは、本当に私を襲うつもりなのかな? 私をおばあちゃんの家まで送るメリットがまるでない。おばあちゃんの家を知ってるみたいだから、二人とも食べたいならわざわざ私を送る必要ないし……。
「……みんな、赤ずきんって呼びます。私の事。…………よろしく、お願いします。オオカミさん」
迷った末に、教えてしまった。本名じゃないし、それに、悪いオオカミでもなさそうだしいいよね……。
「お、オオカミさんは、その……食べ物、とか……」
「あぁ、安心して。人も動物も襲ったことはないよ。僕は狩りが下手でね。たまに落ちている死体を食べさせてもらう他は、ほとんど植物しか食べないんだ」
「そ、そうなんですか……」
一人と一匹で並んで歩きながら、ぎこちないなりに話していると、オオカミさんの人の良さがとてもよく感じられた。ほんの十数分が、三十分にも感じられる。なんだか気まずい距離感だ。
ふと顔をあげると、少し開けた原っぱに花がたくさん咲いていた。
「あ、きれい……」
オオカミさんも気付いたのか「そうだね」と微笑んだ。オオカミさんは、私と出会ってから、ほとんどずっと笑っている気がする。
「……おばあちゃんにも、見せてあげたいなぁ……」
「摘んでいってあげたらいいんじゃないかな?」
「お母さんに、道草しないって約束したし、むやみに植物に触らないって言ったから。残念だけど……」
私の言葉の途中で、「赤ずきんちゃんは、いい子だね」と言い、花畑の方へ向かうオオカミさん。
「オオカミさん? どうしたの?」
「ちょっと待っててね」
オオカミさんは、花畑にしゃがみ込み、きれいな花を数本摘むと戻って来た。
「このリボン、貰ってもいいかな?」
「いいけど……どうするの?」
バスケットに結んであったリボンをとると、オオカミさんはそれで花を束ね、バスケットにそっといれた。
「これなら、赤ずきんちゃんの道草にもならないし、植物に触ったことにもならないだろう?」
「わぁ……! ありがとう、オオカミさん」
オオカミさんの優しさに、思わず頬が緩んだ。そこから、他愛もない話をしていると、あっという間におばあちゃんの家に着く。
「おばあちゃーん! 赤ずきんだよ」
「おや、いらっしゃい。ちょっと待ってね」
腰が痛いからか、ドアを開けに来るまで少し時間のかかるおばあちゃん。ギッとドアが開いたとたん、おばあちゃんは、悲鳴をあげて、尻もちをついた。
「あ、あ、赤ずきん! こっちにおいで!! どうしてオオカミなんかと」
「ちがうの、おばあちゃん! このオオカミさんは、いいオオカミで」
「オオカミはオオカミだよ! 早く!」
へっぴり腰になりながら、必死に私を引っ張るおばあちゃんを突き放せず、オオカミさんとおばあちゃんの間でオロオロしていると、オオカミさんはとても悲しそうに微笑んだ。
「…………お騒がせしてすみません。今すぐ消えますから」
「待って! オオカミさん」
「さようなら、赤ずきんちゃん。楽しかったよ」
「オオカミさん! オオカミさん!」
「赤ずきん! 追いかけちゃダメだよ!」
オオカミさんを追いかけたくても、腰を痛めたおばあちゃんを振りきれない。そのまま、オオカミさんは一度もこちらを振り返ることなく、森の中に消えていった。
「待っててね。今、狩人さんを呼んでくるから」
「待って、違うの! あのオオカミさんは、私を助けてくれたの」
おばあちゃんは私の言葉を無視して、腰が痛いのも構わずすぐさま外に飛び出した。
「おばあちゃん! 聞いて、お願い! あの人は……あのオオカミさんは……」
○○○
それから数年。私のクローゼットには、二十一の赤いずきん。オオカミさんとはそれまでの間、一度も会えていない。おばあちゃんや狩人さんに聞いても、オオカミさんについては何も教えてくれなかった。あの日、狩人さんに見つかって、殺されてしまったのかもしれない。でも、私は思ってしまう。オオカミさんは、今でも生きているんじゃないかって。
○○○
毎年、決まった日に行くある花畑。オオカミさんとの思い出の場所。こんな小さな花畑、いつもは誰の目にも止まらない。ましてや、誰かがいるなんてことあるわけがない。それなのに、今日だけなぜか先客が一人。
もしかして……。はやる気持ちを抑えながら、花畑へ急ぐ。歩調が自然と早くなる。自分でも抑えることができない。まるで競歩のようだ、なんて思いながら。
「オオカミさん! 会いたかった!」
振り向いた顔は、数年前から変わらない優しい微笑みだった。
赤ずきん〜もしも狼が紳士的だったら〜