大官僚襲撃
しぶしぶエスタ建国記念日の式典に招かれたディックだが…。
とある朝、エスタ建国記念日の歓迎式典にディックは呼ばれていた。ディックは断ろうとしたのだが、部下である官僚達が、来てほしいと皆が口を揃えて言い、ディックは歓迎式典に招かれていた。今日のディックの服装は、いつものダーク色のベストにワイシャツ、スラックスではない。ディックにしては珍しく、正装をしていた。さらには値段の高そうなコートを羽織っている。そう、季節は冬なのだ。そもそもエスタという国自体、暖かい国ではない。ちなみに、双子の弟であるリックも、要人のボディーガードとして式典に参加している。
「エスタ建国記念日を皆で祝おうぞ!」
エスタ国家元首がそう言い、カクテルの入ったグラスを見せびらかせるように前へ出した。部下から渡されていたカクテルを、ディックは飲んだ。周りは記念日のためか、がやがやしている。小さな子供から、年配者まで、さまざまな人間がこの式典に参加している。ディックは人と戯れるのは、あまり好きではなかった。人を避けるようにして、ディックはその場を去ろうとしたが、ピエロがディックのところまでやってきた。ピエロを見たディックは、
「私は子供ではない。戯れるのならば、子供と戯れていればよかろうに…」
その瞬間、ディックは腹部に鈍い痛みを感じた。すぐさま腹部を見る。ピエロの持ったナイフが、深くディックの腹部に刺さっていた。
「ぐっ…! 貴様…」
意識が堕ちるのを我慢し、ディックはコートの下に隠しておいた拳銃を持った。
「貴様はもうじき死ぬんだ、ディック・シーゲル…!」
撃鉄を起こし、ディックはピエロを撃った。ディックは確実に、ピエロの心臓を撃ちぬいていた。ピエロが倒れるのを見たディックは、うずくまるようにして倒れ込んだ。
その知らせを無線で聞いていたリックは、慌ててディックの元へとやってきた。
「兄上! 大丈夫ですか!?」
リックは軽くディックの腹部を見た。黒のコートが血で真っ赤に染まっている。
「私は…、ピエロを殺した。きっとあいつも反エスタの残党だろう…」
そこまで言って、ディックは血を吐いた。
「今はそれどころじゃありません。兄上、早く病院へ行きましょう」
ゆっくりとリックはディックに肩を貸した。肩にもたれかかるようにして、ディックは立ちあがった。リックが安全保障局の人間とやりとりし、ディックとリックは素早く病院へ行くことになった。
エスタ大官僚ディック・シーゲル、ナイフで刺される、という見出しの新聞を見て、リックはうなだれた。一体どうして新聞社はこういう情報を得るのだろうか。
リックは緊急処置室の近くにある椅子に座っていた。ディックが腹部を刺されてから、数時間が経過している。ディックの腹からでる多量の血液をリックは見ていた。多量の血液を見た、と言ってもリックは別に何とも思わない。何せリックの仕事は、簡単に言ってしまえば暗殺だからだ。今までに、どれだけ血しぶきを浴びただろう。だが、それでもいちおうエスタ安全保障局勤務、ということになっている。リックは、兄であるディックが心配でしょうがなかった。兄であるディックは大官僚であって、自分と同じくエスタ安全保障局のエージェントではない。つまり、普段から武器と接していない。ディックは学生の頃、拳銃を扱えるようになった。だが、リックのように狙撃ライフルを扱うことはできない。だが、ディックの場合、仕事が官僚であるために、武器を必要としない。つまり、命を狙われる心配はない。それが、仇(あだ)となったのだ。ディックは出かけるときに、拳銃を持って出かける。さすがに、歓迎式典で刺されるとは思わなかっただろう。銃を持ってはいたが、怪我をした。だが、ストイックなディックは、己を刺したピエロを撃ち殺した。兄が襲撃されるまでの過程を、リックは無線で知った。まさか…とは思ったが、本当に兄であるディックは倒れ込んでいた。
「(なぜ私は…、兄上を守れなかったのだろうか? 私だってボディーガードでこの式典にいたのに…)」
そんなことを考えていると、目頭が熱くなった。リックのダークブルーの瞳から、涙が一筋、落ちた。
「(私は…、兄上さえ守ることができなかった。エージェントとして失格だ。兄上に何て言っていいのか分からない)」
と、そのとき。緊急処置室のドアが開いた。リックは勢いよく椅子から立ち上がり、医師を見つめた。
「兄上の怪我の容態はどうなのですか?」
リックの声が、若干震えた。医師は首を交互に振った。
「けっこう深かったです。もう少し傷が深ければ、ディック様は亡くなられていたでしょう。ですが、もう大丈夫ですよ。ただ、しばらくは静養したほうがよろしいかと」
「どうもありがとうございました」
渋い顔をした医師に、リックは頭を下げた。看護師が、ベッドを押してきた。
「兄上! 分かります? 弟のリックです」
困った顔をした看護師が、リックを見上げた。
「すみません。まだディック様の意識は戻っていないんです。そのうち戻ると思いますが…」
「あっ、こちらこそすみません」
「ディック様の病室へ、着いてきてくれますか?」
小さく、リックが頷いた。
ディックの病室は、個室であった。そして、関係者以外、面会謝絶になっていた。リックは、簡素な椅子に座り、ディックを見ていた。いつもの鋭い切れ長の瞳は、閉ざされている。そんなディックを見たリックは、悲しくなり、ディックの手を取った。
「兄上…。私が現場に居合わせたのに…、本当にすみません」
意識のないディックの頬に、リックの涙がぽつり、と落ちた。慌ててリックは目をこすり、
「大の大人が泣いちゃいけませんよね。申し訳ありません」
「お前らしいよ、リック」
ディックの声が聞こえた。リックはディックに視線を落とした。
「兄上! 大丈夫ですか!?」
「ああ…。まだ傷口が痛いがな。あのとき、私は2丁の拳銃を持っていた。だが、使えたのは1丁だけだった。日ごろの鍛錬を怠けてる証拠だな」
そう言って、乾いた笑みをディックはした。リックはため息をついた。兄ディック・シーゲルは、死を恐れていない。
「兄上」
「何だ、リック?」
怪訝そうにディックは首を傾げた。
「兄上は…、死を恐れないのですか? あともう少し傷口が深かったら兄上は死んでいました。それなのに…!」
次にため息をついたのは、ディックだった。
「リック。大官僚だって命を狙われる。私は官僚をまとめる立場の人間だ。エスタという国を、切り盛りしなければならない。そんな私が死を恐れてどうするのだ? それに、リック。お前の仕事も命を狙われているだろう? だから、お互い様だ」
どこか遠い目をして、ディックが言った。ふと、リックは腕時計を見た。
「兄上。そろそろ私も仕事がありますので、帰ります。ちゃんと、静養してくださいね」
リックは病床のディックに深くお辞儀をすると、病室から去っていった。
それから数時間が経っただろう、ディックはまどろみの中にいた。きっと痛み止めの影響なのだろう。そのとき、部屋のドアノブが回った。
「誰だ?」
ぶっきらぼうにディックが言う。
「リックです。兄上に会いに来ました」
そう言ってリックが病室へと入ってきた。ふとディックはリックを見上げる。切れ長の、ダークブルーの瞳ではない。ディックの双子の弟、リックは兄特有の切れ長、ダークブルーの瞳である。だが、このリックと名乗る男は、スカイブルーの瞳である。
「(この男は本当にリックだろうか?)」
ディックが小首を傾げた。リックと名乗る男はどんどん近付いてくる。ディックは枕の下に隠しておいた拳銃をリックに向けた。
「それ以上、私に近づくな。貴様はリックではない」
「何を言うのです、兄上。この私が、兄上の弟、リック・シーゲルだとお分かりにならないのですか?」
リックが腕を組み、ディックを見やる。
「近づくな。近づくと、撃つぞ」
銃の標準を、リックの心臓に絞る。
「兄上…。私は兄上のことが」
そこで、リックと名乗る男が、倒れた。ディックの持つ拳銃から硝煙がくすぶっている。ゆっくりと傷口を押さえながらディックは、ベッドから下りた。リックと名乗る男の死体をじっと見つめる。顔のあたりに、何か傷があった。その傷をめくると、違う男の顔があった。やはりこの男はリック・シーゲルではなかった。
病院で、しかも大官僚の病室で発砲事件になったことは、病院にかなりの痛手を加えた。慌てて看護師がディックの病室へと走ってきた。
「ディック様! 落ち着いて下さい! ディック様の命を狙うものは誰もいません! 何せ面会謝絶にしているのですから!」
看護師が叫ぶ。だが、ディックの声のほうが大きかった。
「何を言う? 現に私の弟のふりをした男が私の病室へとやってきた! きっとあの男は私を殺すつもりだったのだ! もう誰も信用できん! 私の部屋から出て行け! 誰も来るな!」
冷静で表情を崩すことのない、ディックが叫んでいる。連絡を聞いたのか、弟リックが急ぎ足でやってきた。
「兄上! 落ち着いて下さい! 私は本物のリックです! この病院の人たちは何も悪くありません。この男は、私の顔そっくりにマスクを作り、やってきたのです。看護師さんが気付かないのもしょうがないのです」
なるべく、ディックの逆鱗に触れないようにリックが言う。だがディックは首を振り、
「病院で命を狙われるとは思わなかった! 私は怪我をして入院しているのだ。それなのに何故誰も気づかない? 私は帰る! まだ自宅にいたほうが安全だからな!」
ため息をついたリックが、ガンベルトから銃を取り出し、標準をディックに絞った。
「ほら、な。このリックも本物のリックではない。皆リックの偽物ばかりが私の部屋に来る…! どうせなら」
そこで、ディックの言葉が切れた。リックが、兄であるディックを撃っていた。ディックの体は回転し、ベッドへと崩れ落ちた。看護師や医師が、茫然とした表情でリックを見ている。その光景を見たリックは小さく笑う。
「えーと、安心してください。私が使ったのは麻酔銃ですから。銃の弾丸を調べてみれば分かりますよ」
「さすがですね、リックさん。エスタの狙撃手は拳銃も扱えるんですね」
院長らしき初老の男の目が少しだけ見開いた。
「狙撃銃も拳銃も変わりませんよ。お願いがあるのですが」
ここでリックは言葉をいったん切った。
「何ですか?」
「兄上のそばにいてはいけないでしょうか? あんなに取り乱した兄上を見たのは初めてです。だから、余計兄上のことが心配なのです」
スーツで目をこすりながら、リックが言った。そんなリックを見た院長は、大きくうなづいた。
ディックが、目を覚まさない。リックはやたらと弾丸に入れた薬の量を考えていた。
「(あの量で大丈夫なんだけどなぁ。やっぱり兄上は疲れているんだな…)」
ふと、ディックが目を覚ますと、そこにはリックではなく、厳格な母親が立っていた。ディック、リックの母親は、孫を見る前に亡くなっている。なぜ? とディックが首を傾げる。そして、自分の体が、母よりも小さいことに気がついた。ディックは母に近づこうとした、が、
「ディック。貴方は次期シーゲル家の当主になるのですよ。そんなに遊んでいてはいけません」
隣を見ると、双子の弟リックがおもちゃで遊んでいた。
「でもリックは…! 母上、ぼくも遊びたいよ」
「リックは分家に行くかもしれない人間です。私とてリックも腹を痛めた子です。できれば分家に渡したくありません。ですが…。だからこそ、ディック。貴方には大官僚になってもらいたいのです。分かりましたか?」
母にきつく言われてしまったディックは、仕方なく勉強道具を持って部屋を出ていった。幼いディックには、政治学の家庭教師が何人もついた。そして、学生時代にはリックとともに、拳銃の扱いを学んだ。無論、自分自身を守るためである。リックはその腕を活かし、エスタ安全保障局へ就職したが、ディックは母の言うとおり大官僚になった。そして、母は孫を見る前に、亡くなった。すると場面が変わり、先ほどの若い母ではなく、晩年の母がディックの前に立っていた。
「母上…! 孫を見せられずすみません…」
すると母は首を横に振り、
「気にしないでください、ディック。貴方は大官僚としてよくやっているわ。これからも、双子の弟リックとともに、エスタを支えて下さい」
最後に母が薄っすら笑みを浮かべると、ディックの元から去っていった。
「母上!」
ディックはそこで目が覚めた。ベッドの端を見れば、リックが伏せて寝ているようだ。ディックはリックの肩を軽く突いた。
「…よかった、本当によかったです」
「私はリックに殺されたんじゃないのか?」
小さく舌を出して、リックは笑った。
「私が兄上を殺すわけがないでしょう? あの銃弾は麻酔銃仕様ですよ」
「そうか…。リックがいなかったら私は…」
そこでディックは言葉を切った。リックがベッドに座っているディックを見やる。小刻みにディックの体が震えていた。
「兄上? どうしたのですか?」
軽く首を傾げるリック。ディックはガタガタと震えながら、
「私は、私は命を狙われるのが怖いのだ。いつ、どこで命を狙われるか分からない。エスタ大官僚ディック・シーゲルが死ねば喜ぶ輩もたくさんいるという。暗殺者やエスタ安全保障局のエージェント、ガルバディアからの刺客…。私は気が休まるときがない。この前、リックに言った言葉が嘘になってしまったな。本音を言えば、私は死ぬのが怖い。いつ、どこで、そしてどういう死に方をするのか…」
言葉の最後のほうは、嗚咽が混じっていた。ぽかん、とリックは驚いてしまったが、リックは気転を利かせ、ディックを抱擁した。
「なっ、リック…? どうした?」
「怖くならないための、おまじないです。少しだけですが、気が休まるでしょう?」
リックは喪服を着ていたが、その体はとても暖かかった。リックのぬくもりが、ディックに伝う。
「もう少しだけ…、この状態でいたい、リック」
するとリックは小さく笑いながらも、
「兄上はわがままがお上手ですね」
と言って、自分よりも身長の低い兄を抱きしめた。
それから数分後、ディックはベッドへと横になった。
「不思議とリックと一緒にいると、心が落ち着く」
「そう言ってもらえると嬉しいです、兄上。あ、病院の先生が言っていたのですが、兄上には静養が必要なようですよ。お体をもっといたわって下さい」
それを聞いたディックは、口元に手を当てた。
「静養? 今のリックの抱擁でだいぶリラックスできたぞ、私は。傷が治り次第、政務に戻る」
ピシャリとディックが言い放つが、リックは首を大きく横に振る。
「それがだめなんですよ、兄上。きちんと体を休めてください…」
うなだれるようなリックを見て、仕方がなくディックは小さくうなづいた。
傷口の痛みが引き、退院したディックは自宅でしばらく体を休めた。だが、拳銃の訓練は欠かさなかった。ディックはリックとは違い、二丁拳銃を主に得意としている。リックから言わせれば、”兄上は贅沢ですね”である。光沢のある銃をディックは持つと、自宅の射撃場で標的を撃った。どうやら、前回の時よりも腕は上がったらしい。ほとんどの的を撃ち落としていた。
それから数日後、エスタ政府へ出社するとき、夜勤明けのリックと出会った。
「兄上。今日から政務開始ですか?」
リックをじっと見ると、リックの目の下にくまが出来ていた。
「ああ。あのときのリックの言葉を守ってよかった。だいぶ調子がよくなってきた。ありがとう、リック」
軽くお辞儀をするようにディックはリックを見つめた。そんな兄を見たリックは照れながら、
「じゃ、私は仕事終わりなのでこれから家に帰ります。兄上」
そこでリックは言葉を切った。リックにしては珍しく、真面目な表情でディックを見つめている。
「無理をしないで下さい。お願いですから、命を大事にして下さい」
「それは、こっちのセリフだ、リック。お前こそ命を大事にしろ。じゃあ、私はそろそろ行くよ」
ディックはじっとリックを見やる。そして、一言、言った。
「私は自分自身よりも、リック、お前のほうが大事なのだ」
きっとその一言は、反対側へと歩いていくリックには聞こえていないのだろう。
おわり
大官僚襲撃
えっと、なんだかディックにも人間味のある人間だなぁと思いました。話の中で彼は、最初「死ぬのは怖くない」と言っていましたが、けがをしてから弟リックに泣きながら「死にたくない」と本音を漏らす。こういう人間味のあるキャラを書けたのは初めてで、少し嬉しいです。最後に、ここまで読んで下さった皆さん、どうもありがとうございました。