忘れえぬ日々
マミはロボットのトモゾーが大好きだった。
マミが物心つく前からトモゾーは家にいた。パパに聞いたら、パパもそうだと言う。トモゾーを買ったのは、パパのパパ、つまり、マミのおじいちゃんだ。人間ならもう六十歳を超えているはずとパパが言っていた。
だから、トモゾーは家の中のことは何でも知っている。マミの大好きなリボンがある引出しも、パパがヘソクリを隠している本棚も、ママがお友達とおしゃべりする時だけに使うティーセットのしまってある戸棚も。
マミが生まれてすぐに亡くなったおじいちゃんのことも、トモゾーからいろいろ教えてもらった。
まだ家事ロボットというものが珍しかった時代に、体の弱かったおばあちゃんのために高いお金を出してトモゾーを買ってくれたという。その後、元々家事専門のロボットだったトモゾーを、パパが生まれた時に育児機能付きに改造してもらったそうだ。だから、今でもマミと遊んでくれるし、漢字や算数も教えてくれる。
その日も、学校の宿題でわからないところがあったので、マミは家に帰るとすぐにトモゾーを探した。
「トモゾー、ただいま。どこにいるの」
返事がない。
お風呂掃除かもしれないと思い、バスルームを覗いてみる。
いない。
当惑したままリビングに入ると、目の前にトモゾーがいた。
「まあ、いるじゃない。どうして返事してくれないのよ」
だが、何も答えない。
その時、マミは異変に気づいた。
トモゾーの頭のてっぺんで、いつもピカピカ光っているパイロットランプが消えている。
「トモゾー!どうしたの。お願い、返事して!」
マミの電話であわてて帰宅した両親にも原因がわからなかった。心配するマミをママが子供部屋に連れて行き、パパはすぐにロボット会社に連絡をとった。
やってきた係員はトモゾーを見るなり、「これは、またなんと」とつぶやいた。
「何かわかりましたか」
パパに聞かれて、係員はちょっと苦笑した。
「あ、いや、すみません。TOM3型の現物を初めて目にしたもので。非常に初期の型で、わたしも資料でしか見たことがありません」
「古くても、わが家にとっては大切な家族です。多少お金がかかってもかまいませんから、なんとか直してください」
「お気持ちはわかりますが、はたしてこれに合う部品があるかどうか。まあ、いずれにしろ、原因を調べてみます」
リビングで動かないままのトモゾーを調べていた係員は、やがて「やっぱりそうか」とうなずいた。
「原因がわかりましたか」
「ええ。メインメモリーがもう一杯で、新規の情報を処理できないためフリーズしたようです。普通はこうなる前に新型機に交換すると思いますが、当社からご案内が行きませんでしたか」
「それは何度もいただきました。でも、トモゾーを交換するなんて、わたしたちには考えられません。なんとか直してもらえませんか」
「うーん。この型のロボットはもう生産されていないので、これに合う増設メモリーもありません。どうしてもこれを継続して使用されるようでしたら、方法はひとつしかありませんね」
「どうするのですか」
「まあ、多少のリスクはありますが、メモリーを初期化すれば、あと何年か使えると思いますよ」
パパの顔がみるみる真っ赤になった。
「冗談じゃない!あんたは何もわかっちゃいない。そんなことをしたら、トモゾーがトモゾーでなくなってしまうじゃないか。他に方法はないのか!」
パパの剣幕にたじろぎながらも、係員は必死で説明した。
「で、ですが、人間と違って、ロボットは上手に『忘れる』ということができないんです。不必要な情報を選択的に忘却させる研究はされていますが、まだ成功していません。このロボットを使い続けるおつもりなら、一旦、すべての記憶を消去するしかないんです」
真っ赤だったパパの顔は、逆に青ざめていた。
「もう、いい。わかった。帰ってくれ」
「え、でも、まだ、修理が」
「いいんだ。ああ、ひとつだけ、頼みがある」
係員が帰ると、パパはマミを呼んだ。
パパの顔を見て、マミは不安そうに聞いた。
「ねえ、パパ、トモゾーは治るの?」
「いいかい、マミ。これから大事なお話をする。マミにはまだ難しいかもしれないけど聞いてくれるかな」
マミの目がうるんだ。
「トモゾー、死んじゃうの?」
「いや、死ぬわけじゃない。でも、もう元には戻らないんだ」
マミの目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「お願い、トモゾーを助けてあげて」
パパはマミをギュッと抱きしめた。
「ごめんね。それは無理なんだ」
マミは泣きじゃくりながら、パパに尋ねた。
「トモゾーはどうなっちゃうの?」
「ロボット会社の人にお願いして、ロボット博物館で冷凍保存してもらうことにした。ロボットに『忘れる』能力を持たせる研究が成功する日までね。それまで待てるかい」
「うん、待つわ。きっと治るよね」
「ああ、きっと、ね」
(おわり)
忘れえぬ日々