犬の姉
わたしが生まれてこなければよかったのです。わたしが生まれてこなければ弟は苦しまずに生きることができました。
弟はその苦しみを誰かに伝えることもできません。確かに人の言葉を解しているのに、人の言葉を話すことはできないのです。いいえ、話すことを許されていないのです。しかしわたしには伝わってきます。十数年家族として生活してきた姉であるわたしには、言葉がなくても弟の苦しみが伝わってくるのです。弟の表情を、弟の目を見るだけで、弟の苦しみが、弟の哀しみが、弟の願いが、わたしの胸に飛び込んでくるのです。
幼少の頃の弟は何度も立ち上がり、何度も言葉を話しました。その度に父や母は弟を叱りつけ、時には叩いたり食事をやらないこともありました。やがて弟は自分が人ではないことがわかったようで、人であることを諦めました。それでも彼はわたしの弟であり、家族なのです。
両親も彼が家族であることは認めています。しかし、両親は彼がわたしの弟であること、自分たちの息子であることは認めていません。弟は家族であり、ペットなのです。わたしたちに飼育され、立ち上がることも、話すことも、服を着ることも許されていません。
弟は生まれた時から犬なのです。
爆発的な人口の増加は出産数の増加ではなく、死亡数の減少のためでした。百歳を超える老人たちが働きもせず悠然と散歩する姿に、わたしは憎しみを止めることができません。彼らが死んでしまえば弟は犬ではなく、人として生きられたのです。国は政策を誤りました。出産数を制限するのではなく、長生きをするばかりの老人たちの寿命を制限するべきだったのです。老人たちが老人たちのための法を作ったために、弟は犬になってしまったのです。
老人たちだけではなく、わたしは両親にも憎しみを抱いています。
現在の法では、ふたり目の子の出産はその子の誕生と同時に死を意味します。その両親も罰せられます。ならばなぜ堕胎しなかったのでしょうか。こそこそと隠れて自宅出産をしておきながら、そうまでして産んだ弟をなぜ犬にしてしまったのでしょうか。なぜ殺してしまわなかったのでしょうか。弟を犬にしてしまったふたりのことですから、子が欲しかったのではないはずです。ふたりの性的な快楽のために、その結果として弟が作られたのです。
そして、そのふたりらしい愚かな人道主義や博愛精神と呼ばれるものが、弟を生かして犬にしてしまったのです。そこに本当に愛はあるのでしょうか。疑問に挙げるまでもありません。
もちろん、わたしはわたし自身も憎んでいます。わたしが生まれなければ、せめて生まれてくる順番が違っていれば、弟は人として生きることができたのですから。
どうしてわたしは生まれてきてしまったのでしょうか。どうしてわたしは人なのでしょうか。たった二年違うだけなのです。それなのにわたしは人で、弟は犬なのです。わたしは生まれることを拒むべきでした。わたしがいなければ、わたしは誰も憎まなかった。
かつてのわたしは愚かにも弟が犬であることに疑問はありませんでした。幼いわたしにとって世界とはこの家がすべてでしたから。しかし、学校に通い、友人たちと交流し、様々な教育を受け、ようやく異常であることに気づいたのです。それに気づいたとはいえ、わたしには何もできませんでした。
警察に、教師に、友人に、わたしは何度も弟のことを話そうと考えました。しかし、弟のことが世間に知れたらどうなるでしょうか。両親は逮捕されるでしょう。あるいはわずかな勾留と罰金で済むことかもしれません。しかし、まだこどもだったわたしは、両親が逮捕されれば二度と家に帰ってこないかもしれない、と考えそれを恐れたのです。
異常であることを理解しながらも、犬である弟と家族として生活し続けることは、わたしにとっても非常に苦しく、哀しいことでした。
いつだったでしょうか、両親が家に友人を招待したことがありました。わたしは、家に来たその両親の友人の目を忘れることができません。弟を見た時の、弟を犬と紹介された時の、あの方の目を忘れることができません。そのあとで見せた曖昧な笑顔を忘れることができません。その時の弟の哀しみに満ちた目を忘れることができません。弟の口元を歪めた笑顔を忘れることができません。
わたしは一度だけ弟を殺そうとしたことがあります。だって弟の願いは死ぬことなのですから。姉が弟の願いを聞くのは当然のことではないでしょうか。
わたしが弟を殺しても逮捕されることはないでしょう。両親がそれを警察や他の誰かに訴えることはないはずです。ただ庭の隅に犬の墓ができ、家族が減るだけのことです。
わたしは弟の首に手をかけ、強く締め付けました。弟はあの哀しげな目でわたしを見るのみで、抵抗はしませんでした。しかし、その目を見てしまったわたしは恐ろしくなって、すぐに手を離しました。
弟は犬ではないのです。弟は人なのです。わたしは人を殺そうとしたのです。弟の願いであっても、例えそれを請われたとしても、わたしにはもう二度とあのような真似はできません。
わたしが手を離すと、弟は仰向けに寝転んで咳き込みながらも先ほどと同じ目でわたしを見つめました。弟は十三になっていた頃でしょうか。弟の陰茎は下腹部に貼り付いたように大きく反りかえっていました。まだ息も荒くわたしを見つめ続けていた弟を、わたしは寄り添って抱きしめました。当時のわたしはまだ中学生でしたが、陰茎の勃起や性交について、経験はなくとも知識はありました。しかし、性交をすることはやはりためらわれましたので、わたしは弟の陰茎を手にとって愛撫を始めました。初めてのことで愛撫の方法などわかりませんでしたが、横に寄り添ったまましばらくそれをさすっていると弟は突然射精しました。その途端わたしは急に恥ずかしくなって、弟をそのままにして自分の部屋に逃げ帰りました。
そのあとからです。弟が見せる表情に、苦しみや哀しみだけでなく、愛を感じるようになったのは。それは家族間のものではなく、明らかに男から女に対するそれでした。わたしの軽率な行為が原因であることは容易に想像がつきました。
わたしも弟を愛していますが、それは姉としてです。弟がわたしを欲しても、わたしはそれに応えることができないのです。しかし、弟はわたしを前にするといつも勃起した陰茎を見せつけ、わたしはその度に弟のそれを愛撫しました。後ろめたい罪悪感や背徳感を抱きつつ、時には口すらも使ってわたしは何度も弟を射精させました。それは現在まで続いています。
両親はわたしたちの行為に気づいているようですが、何も言いません。自分の娘と息子が、人と犬がこのような行為をしているなど、とても許すべきことではないはずですが、父も母もわたしや弟を叱りもせず、普段通りに接してきます。弟を犬にしてしまった張本人である両親も、弟を哀れに思ったり申し訳なく思ったりするのでしょうか。そのために見て見ぬ振りをするのでしょうか。
だとしたらわたしが殺すべきなのは両親なのかもしれません。弟の願いでも、他の誰に請われたのでもありませんが、わたし自身の憎しみのためにわたしは両親を殺すべきなのかもしれません。
わたしがこの家を逃げ出そうと考えたのも当然のことでしょう。わたしは進学のためにこの家を出ることになりました。離れた地方の大学ばかり受験したわたしに、両親は何も言いませんでした。わたしは二度と戻ってくるつもりはありませんし、彼らもそれがわかっているのだと思います。弟には直接話していませんが、わたしが家を出るのはわかっていることでしょう。
弟を捨て、弟から逃げてしまうことは心苦しく思いますが、わたしはこの時をずっと待っていたのです。哀れみ殺してやりたい弟を殺すこともできず、憎しみ殺してやりたい両親を殺すこともできず、耐えてきたのです。自分自身でもこれが卑怯な行為であるとわかっています。しかし、悲劇の少女を演じるつもりはありませんが、誰がわたしを責めるというのでしょうか。
それができるのはただひとり、わたしだけです。そしてわたしはわたしを責め続けて一生を過ごすことでしょう。
最期にせめてもの謝罪として弟と性交をしてやろうかとも考えましたが、それは思い直しました。それは性的な快楽をわたし自身も味わうことになるのでしょう。そうすることで、無責任にも弟を産んだ両親とわたしが同じ存在になってしまうように感じられたのです。もちろん恋もしたかった。わたしは処女のままで、恋する男性と、できれば将来ともに生きていくことになる男性と出会いたい。
弟のことは永遠に愛し続けます。どんなことがあっても弟は弟なのですから。
最期に会った弟の目は、やはり大きな哀しみと絶望を訴えていましたが、わたしはもう迷うことはありません。
わたしは弟を殺します。わたしは家を出て弟を殺します。
わたしが出ていった家で弟は自死をするでしょう。犬は自死をしません。弟は人としてわたしに殺されるのです。姉であるわたしにはそれがわかるのです。
犬の姉