ブラザーズ×××ワールド A5
戒人(かいと)―― 05
「魔術師……」
ふくれあがる炎を前に、女があぜんとつぶやいた。
聞き逃せない言葉。
しかし、それを問い質している余裕はいまの戒人にはなかった。
「く……」
動けなくなる。
目の前で、荒々しく渦巻いている炎。
それは、この世界へ来る直前、自分と弟たちを襲った災禍をどうしようもなく思い起こさせた。
「おれはなあ」
炎の塊を生み出した男は、静かに戒人に語りかけた。
「兄さんの身体を無駄に損ないたくはねえんだ」
「何?」
「けどよ」
男の目が剣呑な光を放つ。
「おとなしくしねえなら、表面くらいは焼かせてもらうことになる」
「っ……」
表面で済むなどと……そんな保障はない。それ以前に、この男の思い通りにされるつもりなど戒人には欠片もなかった。
と、女が、不意に大きな声をあげる。
「魔術師! やっぱ魔術師だよ!」
「……!」
「とっくにこの町から逃げ出したはずなのに! なんでこんなとこにいんだい!」
「逃げ出した?」
「よけいなことは気にすんな、兄さん」
男が戒人に言う。
「あんたは俺の言うことを聞いてくれりゃいいんだよ」
「!」
カンテラを持っていないほうの手に男がナイフを閃かせた。家で戒人を殺そうとしたあのナイフだった。
「苦しむことなく一息に死ぬか、それとも……」
炎が生き物のようにうずまく。
「焼かれて死ぬか」
本気だった。
男の目を見た戒人には、それがわかった。
なぜ……?
なぜそこまでして殺そうとする?
戒人は、目の前の男にまったく見覚えがなかった。当然、殺されるような恨みを買った覚えもない。となれば、一番大きな可能性は――
「神饌……」
戒人のつぶやきに男が反応した。
自分の直感に確信を持ちつつ、戒人は炎の恐怖に耐え、
「その神饌というのが俺と何か関係があるのか……それとも……」
「俺が――神饌なのか?」
男は何も答えなかった。無言のまま戒人に向かって手をふった――
炎をたたえているほうの手を。
「!」
視界を熱が覆った。
動けなかった。
戒人はそのまま我が身が焼かれていくのを――
「っ!」
動いた。
戒人の意思ではない。
何者かが戒人の身体を横凪ぎに抱え上げ、その場から勢いよく跳んだのだ。
「くっ……」
止まらない。息が止まるほどの速度で戒人はふり回された。
「……!」
止まった。
目の焦点が定まらない。
戒人が感じたのは、石に囲まれた町で長らく忘れていた――
頬を撫でる風の感触。
「ったく何しやがんだぁ? せっかくのゴチソウをなあ」
戒人の耳をふるわせたのは、聞いたことのない男の声だった。
男――浮かんだその単語に、しかし戒人は違和感を覚えた。女ということではない。その声を男……いや人間ということに違和感が――
「……!」
戦慄した。
そうだ……。この声は……声ににじむ喉のうなりのような響きは――
昨夜、自分に襲いかかろうとした〝獣〟たちの――
「っ!?」
熱く濡れるざらついたものが、戒人の頬を下から上に弄った。
「おー、ビリビリくんなぁ。なめただけでこれか」
「……っ!」
頭に血が上った。
無礼への当然の返答として、戒人はいっさい容赦のない拳を相手の顔目がけて――
「ンが」
「!」
くわえこまれた。
拳が。
「っ……」
徐々に戒人の視界がはっきりしてくる――
大口を開けて拳をくわえている男の顔が見えた。その口許にのぞいているのは人にはない太くするどい――
牙――!
「貴……様……っ!」
牙を生やした人間を見た驚き以上に、自分の手をくわえられているという屈辱に戒人の頭が熱くなる。
牙男は、そんな戒人をあざけるように目で笑ってみせた。
「くっ!」
空いているほうの手で、牙男の横面に再度拳を見舞おうとする戒人。しかし、牙男はそれをあっさり手のひらで受け止めてみせた。
「……!」
両手の自由を奪われ、かっとなっていた戒人の頭が瞬時に冷める。
喰われる――
遅ればせながらその恐怖にとらわれた直後、しかし、牙男はくわえていた戒人の拳をぺっと吐き出した。
「さすがに手からってのはねえよなあ」
口に残る味を確かめるように、ぺろりと長い舌で舌なめずりをする牙男。
「一番のゴチソウは中身だもんなあ。心臓だっけか、肝臓だっけか? オレたちが喰らえば……」
「不老長寿になれるってのは」
「――!」
不老長寿――!?
まさか……。
中年男が言っていた〝神饌〟の意味――
それは……こいつら獣たちに喰らわれる贄としての――
ごうっ!
「!」
風を巻いて炎が迫った。
炎は、牙男を目がけて真っ直ぐに――
「ハハッ!」
避けた。
跳び箱を跳ぶようなおどけた動きで。
「う……うおっ!」
突然解放された戒人は、大きく体勢を崩した。
ずるずると屋根の上をすべり落ちて行く。牙男が戒人を抱いて跳んだのは、地上から遥かに離れた鐘楼の上だった。
「くっ……」
かろうじて屋根の縁にしがみつく。
すかさず這い上がろうとしたその視線の先に――
「!」
向かい合っていた。
口から牙を生やした若い男と、炎を操る中年男が。
(馬鹿な……)
中年男は、いつどうやってこの高所に登ったというのか……。
魔術師。女が口にしたその言葉が、あらためて重々しく戒人の内に響いた。
「貴様……」
中年男が憎々しげに口を開く。
「なぜ獣人がこんな昼間から……」
「ああ? オレをそこらのヤワなやつらと一緒にすんじゃねーよ」
尊大に胸をそり返らせる牙男。金糸を思わせるきらびやかな長髪がひるがえり、陽光を浴びてまばゆく輝いた。
「っ……まさか」
中年男が驚愕のうめきをもらす。
それに気分をよくしたように、牙男はいっそう胸を張り、
「そうだ! オレ様が最強の獣人! 獣人の中の獣人! 獣人の王! いや、おまえら人間どももまとめてその頂点に立つ――」
「トリス=トラム様とは、このオレのことだ!!!」
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