バレンタイン・キッス
「なあ、なんであんなにチョコレートしか売ってないんだ?」
2人で出かけた街中で、不意にジェットが訪ねた。
時はバレンタイン商戦真っ只中。
あっちもこっちも色とりどりにデコレーションされたPOPがあふれ、甘い匂いが漂って、そこに山ほどの女の子が群がっている。
毎年の光景なので、ジョーには見慣れたものである。
「バレンタインデーだからね」
「それにしてもちょっと極端じゃねぇか? いつもチョコなんか置いてない店までチョコしか並べてないし、女の子しかいないし」
「バレンタインがチョコ年間売上の何割か占めるみたいだからねー。どこもすごい力入れてるんじゃない?」
そうか、バレンタインデーに贈り物をしたりする習慣自体は同じでも、女の子がチョコを配りまくるわけじゃないのかとジョーはチョコだらけの店を見まわした。
「他のとこはどうなのかよく知らないけど、日本では女の子が好きな男の子にチョコをあげて告白する日、ってことになってるんだ。……まあ、本命とか義理とか色々あるみたいだけど」
「ふうん……じゃ、お前は?」
「は?」
お前は?の意味が判らずにジョーはジェットに聞き返す。
バレンタインは基本女の子向けのイベントだから自分には関係ないと離れたところに立っていたつもりなのに、いきなり巻き込まれてもどう返事していいのか判らない。
「お前はチョコ買わねぇの?」
「なんで。女の子が男の子にあげるって言ったじゃん」
「好きな男の子にチョコあげて告白する日、なんだろ?」
「ちゃんと聞いてた? 女の子がって最初に……」
呆れ顔で再度説明し始めたジョーの台詞を遮って、ジェットがジョーに顔を近づけて言った。
「俺、お前からのチョコ欲しい」
耳元で囁かれるように言われて、ジョーはついどぎまぎする。
「アメリカじゃあ男が恋人にプレゼントしたりする日だぜ? 日本でもさっき色々あるって言ってただろ。じゃあ男から男でもいいんじゃね?」
「ま、まあそりゃ別にいいとは思うけど……」
「決まり! じゃあ俺ちょっと離れたとこにいるからさ、俺宛のチョコを選んできてくれよ」
「う、うん……」
一歩下がってひらひらと手を振るジェットから離れて、ジョーはチョココーナーに近づく。
一通りぐるっと売り場を見てから、ジョーでも名前くらいは知っている――つまりはかなり有名な――日本メーカーの商品の中で、売れ行きの良さそうなチョコを手に取った。
それが一番チョコのデザインが綺麗だったので。
「ご自宅用ですか? プレゼント用ですか?」
「あ、プレゼント用でお願いします」
バレンタイン仕様にラッピングされたチョコを受け取って、ジョーは妙にうきうきしている自分に気がつく。
「ジェットが欲しいって言ったから、それだけなんだから……」
言い聞かせるように声に出してみても、自分をごまかしきれずに顔が熱くなってくる。
「別に、ただチョコを買っただけだし……」
大事にチョコを胸に抱く。
「女の子って、毎年こんな気持ちでチョコ買ってるのかな?」
どきどきわくわくな気持ちに戸惑いながらさっき別れた場所に戻ってみると、そこにジェットの姿がなくて、ジョーは少し不安になる。
「――え?」
きょろきょろとあたりを見回していると、肩を叩かれて振り返る。
「わりぃ。暇だったから、その辺見てた」
「あ、なんだ」
ほっとした顔をするジョーの肩を、ジェットは抱き寄せた。
「な、早くチョコ欲しいから、今日はさっさと帰ろうぜ」
「う、うん、そうだね」
出かけるならついでにと、みんなに頼まれたあれやこれやを片付けて、いつもならその後2人でデートを楽しむのだが、今日は用事もさっさと片付けて帰り道を急ぐ。
いつもとは違うわくわくを抱えて。
「じゃあ、はいこれ、ジェット」
部屋に戻って2人になって、ジョーはずっと大事に持っていた紙袋から綺麗にラッピングされたチョコを取り出してジェットに渡す。
「やった! サンキュー!!」
満面の笑みを浮かべてジェットがチョコを受け取る。
嬉しそうに結んであるリボンを解こうとして……変なところを引っ張ったのか、逆に括ってしまった。
「……あれ?」
慌てて別のところを引っ張ってさらに結び目が固くなる。
「え、ええっ?」
リボンをずらしてみたり、箱をひっくり返してみたりしたものの、すっかり絡まったリボンは一向に解ける気配がない。
「なにやって……ちょっと貸してみてよ」
呆れてジョーが手を出すと、ジェットは素直にそれをジョーに渡した。
「こんなのめちゃくちゃに引っ張ったって絡まるだけだよ。ほらここを緩めてやったら簡単に」
爪を立てて、結び目の1本を引っ張ると、固く結べていたはずのリボンがするすると解ける。
ジェットはそれを見て、ちょっと拗ねたような顔をしてみせた。
「どこ緩めるとか、なんで判んだよ」
「何でって言われても……ってか、どーしたの? いつもだったらこんなのわざわざ解いたりしないで、ばーっと開けちゃうのに」
リボンを解いたついでに包装紙も丁寧にテープをはがして開けながら、ジョーが尋ねる。
「……せっかくお前が初めて俺にくれたチョコだからさ。なんか……破いちまったりするの悪い気がして」
照れてそっぽを向きながら答えるジェットに、ジョーは目を丸くした。
「だから、こんな丁寧に開けようとしてくれたの? ……ありがとう」
こちらも照れて、ちょっと俯きがちにお礼を言うと、ジョーは包装紙を全部綺麗にはがして、チョコ本体の箱をジェットに差し出した。
「はい」
「サンキュ」
お礼を言って――だがなぜかジェットは箱を受け取らない。
ジョーは首を傾げてジェットの顔を覗き込んだ。
「ジェット?」
「あーん」
「は?」
一瞬ジョーの目が点になる。
「ジェット?」
「どれでもいい。お前がいいって思うやつ。あーん」
ジョーはジェットの大きく開けた口をしばらくぽかんと眺めていたが、はっと我に返ってチョコの箱を開け、手前側のひとつを指でつまみあげた。
「……はい。あーん」
つまんだチョコをジェットの口に放り込もうとした途端、がっと手首を掴まれて、ジョーの指はチョコごとジェットにぱくりと咥えられた。
「!!!」
指を銜えたままでジェットはむぐむぐとチョコを食べ、それからジョーの指についたチョコをべろんと舐める。
ジョーがびくっと肩を竦めた。
口の中にチョコと一緒に指丸ごと銜えられていたせいで、指全体にチョコがついてしまっている。ジェットはそれを全部丁寧に舐めると、手首は掴んだままでようやくジョーの指を口から放した。
ジョーがほっと息をつこうとしたが、手のひらに零れたチョコをジェットにべろりと舐めとられてまたびくりと肩を縮める。
「や、やだ、ばか。なにやって……」
目をぎゅっと瞑って、ジェットの舌に舐められるたびにびくびくと身体を揺らしながらジョーが文句を言う。
「……感じてんの?」
「違……っ」
どう見ても嘘な言葉に笑いを浮かべて、ジェットがジョーの指の股を舐めると、ジョーの眉がきゅっと寄って泣きそうな表情になった。
逃れようとする腕を掴まえる手に力を入れて、ジェットは更に念入りに舌を這わせる。
ジョーが背中を丸めて顔を伏せ、喉の奥から小さく悲鳴を漏らした。
「うーまかった」
ようやくジェットは苛めるのをやめて、身体を小さく丸めてしまったジョーを優しく抱きしめる。
「サンキューな。お前がくれたチョコ、すげーうまかった」
「ん……」
どうにか解放された手を隠すように胸の前に持ってきて、ジョーが安心したような息をつく。
「で、続きは?」
「――続き?」
「チョコ渡して告白する日、なんだろ? じゃあ次は告白だろ?」
「え――って、え?」
ジョーの顔がかああっと赤くなる。
「え、だって、そんなの知ってるくせに」
恥ずかしくて告白を回避しようと言ってみたが、ジェットは引き下がらない。
「知ってても、今お前の口からちゃんと聞きたい」
「でも、だって、けど……えっと……」
おたおたとうろたえると、ジェットはジョーの手首を掴んでみせた。
「言わなきゃまた舐めるぞ」
「……それどんな脅迫……」
なんとか口にするのを避けようとするが、掴んだ手を口元に持っていってべろんと舌を出してみせたジェットを見て、ジョーが「ひっ」と声を上げる。
「判った! 言うから! 言うから、だから手を放して!」
「よーし」
ジェットから手を取り返して胸の前に収納すると、ジョーはひとつ深呼吸した。
「――ジェット」
顔を上げたジョーに、ジェットが期待に満ちた顔を見せる。
湯気が出るんじゃないかと思うくらいに頬を真っ赤に染めて、ジョーがジェットの耳に口を近づける。
「好きだよ。ジェット」
言うだけ言ってすぐに離れようとしたジョーの身体を、ジェットが強く抱きしめて掴まえた。
「すんげー嬉しい」
「……うん」
逃げるのは諦めて、ジョーもジェットの背中に手を回す。
恥ずかしがってなかなか感情を表せない自分と違って、ストレートに愛情表現するジェットが愛しい。
「……ホント、大好きだよ」
そおっと囁くと、ジェットの腕にさらに力がこもった。
「――あ、そうだ。お返ししねぇと」
「え?」
強く抱きしめていた腕を解くと、ジェットはポケットからこれもバレンタインラッピングされた包みを取り出した。
「溶けてねぇだろな? ジョー、これは俺からお前に」
「え、ジェットも買ってくれてたの?」
驚くジョーに、へへっと歯を見せてジェットが笑った。
「お前がチョコ買いに行ってくれてる間にな」
「ああ、それで」
あの時あの場所に居なかったのはそのせいかと納得する。
「……まあ一応日本にはホワイトデーっていう習慣があってね……」
「ん? 何って?」
「なんでもない。嬉しい。ありがとうジェット!」
早速開けようとしたらその手をジェットに抑えられて、ジョーはジェットの顔を見上げた。
「折角だから、俺も食わせてやるよ。あーんてしてみな」
「えっ……いっ、いいよいいよ、自分で食べるからっ」
恥ずかしさでジョーが力いっぱい断ると、ジェットが寂しそうな目をしてみせる。
「えー、俺もしてみたいのに。だって、メシの時とかにしたらお前怒るだろ?」
「そりゃ……う、判った」
ひどくがっかりした顔されて罪悪感を感じてしまったジョーは、みんながいる食卓でされるよりは、2人きりの今のほうがマシかと承諾する。
「やったっ!」
途端にジェットが破顔したので、まあいいかとジョーも微笑んだ。
「じゃあじゃあ、あーんてして目を閉じてろよ」
「え、なんで目を閉じるの」
「だってどんな味かとか判んない方が楽しいだろ?」
「う……うん……判った」
子供っぽいワクワク顔で包装を解いて――こっちは袋に入れてテープを貼っているタイプだったので、ジェットが手こずることもなかった――いるのをみて、まあいいやとジョーは目を閉じる。
「ほら、あーん」
「あーん」
促されてジョーは口を開ける。
と、口の中にチョコを入れられるのではなく、柔らかく唇を塞がれて、驚いて目を開けた。
同時に口の中に砕かれたチョコと一緒にどろりとした液体が流し込まれる。
一瞬つんと鼻から抜けた香りにくらりとした。
「ん、んんっ」
もがいて、ジョーはジェットの口づけから逃れる。
「こ、これ、ウイスキー?」
「ああ」
砕いて口移しされたチョコがウイスキーと絡まって、甘く喉を通っていく。砂糖の殻だけが口の中に残って、ジョーはカリカリとそれを噛み砕いた。
「おいし……けど、きっつい」
ジョーが僅かに目の縁を紅く染めているのは、アルコールのせいなのか、甘く濃厚なジェットのキスのせいなのか。
「お前あんまり酒強くねーから、今は1つだけな。――夜に、酔わせてやるよ」
ジェットの台詞にジョーの頬がカッと赤くなった。
「よ、夜って……」
「ほら、その顔。お前酔ったらすんげぇ色っぽいんだよな。だから後で……チョコレートとウイスキーでとろとろにしてやるよ」
「とっ……ばか、何言って……」
一瞬アヤシ気な想像をしかけて、慌ててジョーは頭をぶんぶん振って妄想を飛ばした。
「それに、お酒入ったらもしかしたら、僕ダメかもしれないし……」
「ダメだったのかよ?」
「い、いや、お酒飲んでしたことないから……」
「だよな。だから試してみようぜ。大丈夫だって」
「うー……」
なんだか夜にはひどく恥ずかしいことをさせられそうな気がして、ジョーは頭を抱える。
が、ジェットが急に声を上げたので何事かとジェットの顔を見あげた。
「チョコだけで満足して大事な事忘れるとこだった。――ジョー、好きだぜ」
チョコを渡して告白、これで2人ともミッションクリア。
一瞬くるんと目を見開いたジョーは、次の瞬間勢いよく笑い出した。
「もう、君って人は本当に……」
「本当に?」
「本当に、最高。君を好きになってよかった」
「俺も」
ジェットが抱き寄せるとジョーはその肩に頭を乗せて抱き返す。
目の前にある耳にちゅっちゅとジェットが口づけるとジョーがくすぐったがって身をよじった。
「やだ、それ」
「じゃあ、こっち向いて」
「ん」
顔を上げて、目を閉じて。
ゆっくりと唇が触れ合って。
「甘い」
「うん。チョコの味がする」
「喰っちまいたい」
何度も唇を重ねているうちに、ジョーは床に押し倒されてしまう。
夢中でキスを繰り返していたが、身体を弄られ出すとさすがにまずいとジョーがその手を掴んで止める。
「駄目。もうすぐ晩御飯って張大人が」
「いいだろ、ちょっとくらい」
「駄目だって。――酔わせてくれるんでしょ」
ジェットの動きが止まる。
のしかかっていた姿勢からゆっくりと身体を起こすと、ジョーの顔を見つめてにっと笑った。
「お前がとろっとろになるまでしてやるから、楽しみにしてろ」
返事できずに真っ赤な顔で固まったジョーの頬に軽くキスをして、ジェットは起き上がる。
「たまには呼ばれる前に降りておくか」
腕を引いてジョーも起こすと、背をぽんぽんと叩いた。
「うん、そうだね」
甘い、バレンタイン。
今年も来年もずっとこんな風に一緒に。
幸せな恋人でいられますように。
Happy Valentine's Day
20150214 Valentine's Day HARUKA ITO & YUKI HOSHINO
バレンタイン・キッス
バレンタインに星野雪が描いたイラストと、それについてのメールやりとりからの発展でできたもの。
いちゃいちゃ29です。