あまいぶどう

あまいぶどう

「ぼーっとしてどうしたの?」
低い声がふいに降ってきた。同時に私はハッとなり、周囲の賑やかな雑音が耳の中へと雪崩れ込んできた。目の前には職場の先輩が座っていて、私の右手は食べかけのレモンケーキが刺さったままのフォークを握っていた。彼と宙に浮いたレモンケーキを交互に見ながら、フォークの柄が手汗で湿っていることを感じた。
「あ…」
思わず声を漏らした私は、ようやく自分が暫く止まっていたことに気づき、重力のまま手を下ろした。
ゆっくりと目を左右に配り、カフェに来ていたことも思い出した。落ち着いた雰囲気のある木造のカフェだ。オープンして暫く経っているにも関わらず、店内には、強烈なコーヒーの香りにヒノキの柔らかな匂いが未だ負けじとしている。私が正気に戻ったことを確認した彼は、食べかけのぶどうのタルトケーキを再び頬張りだした。おいしそうに食べていて愛らしかった。ぶどうのタルトケーキだなんて女の子みたいだな、と彼に気付かれないように笑った。
 ぼーっとしていた間に、彼の香りに酔っていたことを思い出した。彼からはあまい香りがいつも漂っていた。あまったるいがサッパリとしていて、このアロマがあればどこででも安心して寝れる気がした。香りの輪郭がハッキリし過ぎていて、食べても同じ味がするんじゃないか、と錯覚さえ覚えた。居心地がいい。彼の香りを閉じ込めていたい、と我が儘な私。
 彼の香りに酔ってしまうことが最近増えている気がする。食べようとしないって決めたのに。このぶどうの味は知らないけれど、きっと、あまいんだろうな。他の人に食べられてしまうのはなんだか悔しい。香りでさえもったいない。

「食べてもいい?」
彼がタルトケーキを食べようとしたときに私は言葉をこぼした。手を止めて口を開いたまま、まじろぎもせず見てくるものだから、私は思わず目を泳がせてしまった。私の頬が薄く赤くなっていることを感じた。
「なんだ、食べたかったの?」
呆れたように、しかし柔らかに彼が言う。その食べてしまいたくなるようなあまい香りを嗅いで、私の頬はさらに赤くなった。
「いいよ。食べさせてあげる」
彼は笑いながらケーキを私の口へと近づけた。やっぱりあまい。

あまいぶどう

とあるツイートを元に書いたものです。
すっぱいぶどう、あまいれもん、を軸にしたため、作中にそれぞれ出してみました。
作中のぶどうがすっぱくなるかどうかは、この後の話になります。
ご拝読ありがとうございました。

あまいぶどう

あまいぶどうの話です。 小説家になろうと重複投稿しています。

  • 小説
  • 掌編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-14

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