-ガリラヤ湖-

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白鳥の歌シリーズ1

『シェマ(聞きなさい。)』

澄んだやわらかな声が、羊の群れが草をはむ丘、
ガリラヤ湖に影を落とす林に流れた。
林には風がわたり、岸辺には真紅のコクリコの花が咲いている。
陽の光の下、湖は穏やかな湖面をたたえ、
遠くに幾艘かの小船が浮かんでいる。
男が一人、湖のほとりに立ち、両手をひろげ、人々に語りかける。

『重荷を負うている 全ての人よ。
来なさい。私のもとに。
休ませてあげよう そのあなたを。』

湖を渡る風が、彼の呼びかけの声を、
押しつぶされたような貧しい湖畔の村や
部落に運んでいく。
暗い家々の奥から、老人や女、男達が姿をあらわし、
彼の声に耳を傾けている。
その中には隣人や家族からも見捨てられた
病人や不具者がいっぱいいた。
祭司達から蔑まれる収税人や娼婦もいた。
世の中から見棄てられた人々がそこにいた。
また、ローマのくびきから祖国ユダヤの栄光を
取り戻したいと考える男達がいた。
彼等は一様に救世主が現れることを望んでいた。
この男がそうなのか?
期待と救いを求めて人々は男のもとに集まってきた。

人々は貧しく、惨めなのに、このガリラヤ湖の風景は
余りににも優しく、美しい。
人間はかくも悲しいのに、自然はかくも優しい。

『幸いなるかな 心貧しき人
天国は彼等のものなればなり
幸いなるかな 柔和な人
彼等は地をうべければなり
幸いなるかな 泣く人
彼等は慰められるべければなり
幸いなるかな 心清き人
彼等は神を見奉るべければなり』

人々はざわついた。
『神の愛』を口で語るのはたやすい。
しかし過酷な現実に生きる人々にとって
神の愛よりもはるかに、神の冷たい沈黙しか
感じられないからだ。
過酷な現実の中では愛の神を信ずるより、
怒り、裁く神を考えるほうがたやすい。
神はそうした貧しく、惨めな人々の人生を
ただ怒り、罰するためだけに在るのか。
貧しき者は不幸であり、泣く人が
慰められないのが現実である。
貧しき人や泣く人に現実では何の酬いも無いように見える時、
神の愛をどのようにしてつかめるというのか?
あの男は何を言おうとしているのか?

事実、神の愛を人々に語るこの男が見てきたものも
そうした現実であった。
彼自身知っていた。現実における愛の無力さを。
彼は不幸な人々を愛したが、同時に愛された男達、女達が
愛の現実での無力さを知った時、自分を裏切るという事も。
なぜなら人は現実世界では、結局、効果を求めるからだ。

病人は癒しを。
足なえは歩ける事を。
盲人は眼の開く事を。
圧政に苦しむ者は解放を。

だが愛は現実世界での効果とは直接には関係の無い行為なのだ。

彼は言葉をついだ。

『だから、あなたがたに私は言いたい。』

『あなたの敵を愛そう。あなたを憎む人に恵もう。
あなたを呪う人も祝そう。あなたを讒する人のためにも祈ろう。
右の頬を打たれたら左の頬も差し出そう。
上着を奪う人には下着も拒まぬようにしよう。』

人々のざわめきは一段と大きくなった。
この男は何を言っているのだ?
この男は俺達を救う為に、この国を救う為にきたのではないのか?
ローマを倒して、ユダヤの栄光を甦らすのではないのか?

『すべてをあなたに求むる人に与えよう、
あなたの物を奪う人から取り戻さないようにしよう。
他人にしてもらいことを、そのまま他人にしてみよう。
自分を愛する事はたやすい事なのだ。
自分に恵む人に恵む事はやさしい事なのだ。
しかし、敵をも愛し、報いをのぞまずに恵む事、
....それが最も高い者の子の成すべき事ではないのか。
許す事.....与える事....あなたたちは神の子なのだから。』

人々は動揺した。
彼等は拒絶されたのだ。
自分達の民族的な叫びに対してこのような答えが
返ってくるとは思っても見なかった彼等は幻滅した。
ある者は幻滅の余り、罵りの言葉をあげた。
怒りの叫びを吐くものもいた。
多くの人が立ち上がり、この場を去っていった。
人々は自分達の熱狂的な期待が裏切られると、
その量だけ、幻滅とともに憎しみを相手に抱くようになるものだ。

男は結局、人々は現実に役に立つものだけを求める
ものであることを今更ながらに深い悲しみとともに
受け止めなければならなかった。

盲人達は眼の開く事だけを、足なえは足の動く事だけを、
癩病患者は膿の出る傷口をふさぐ事だけを要求してくるのだった。
群集が求めるのはそうした奇蹟だけだった。
男はそうした群衆の中でじっとうつむいている。
彼はこうした病人や不具者を見棄ててはこなかった。
彼は彼の弟子達とともに、人々に穢れたものとして忌み嫌れ、
虐げられている彼等を訪ねてきた。
男は癩病患者をもとの体にしてやりたかった。
盲人の眼も開くようにしてやりたかった。
子供を失った母親に、子供をもどしてやりたかった。
男の目には悲しみの色が常に浮かんでいた。
彼は病人や不具者の手を握り、彼等の苦痛やみじめさを
引きうけたいと願っていた。
男は神の愛を信じていた。

彼は人にとってもっともつらいものは貧しさや病気ではなく、
そうした貧しさや病気が生み出す孤独と絶望に在る事を知っていた。
彼がこうした人々から見つけた最大の不幸は、
彼等を愛するものがいない事だ。
必要なのは『愛』であって病気を治す『奇蹟』ではなかった。
人に必要なのはともに悲しみ、苦しみを分かち、
ともに泪をながす永遠の同伴者だ。
だからこそ人々に『神の愛』を伝えたかったのだ。
あなたがたは神に愛されている神の子なのだと。
だが人々は....。

群集の眼に、男は『無力な男』、
『何も出来ない男』としか映らなかった。

男は群集の去った湖畔にうつむいて立っていた。
湖畔は静かであった。
まるで神の沈黙のように。

<了>

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-14

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