Bar Raincheck
どちらも、正しい味なのでしょう。
4. パナシェ
「ちょ、ちょっと待ってください。そもそも、持ち込んだビールを飲むなんて、出来ません。」
彼女は慌てて両手を振った。
平がいきなり彼女のビールを飲みだそうと言い出したとき、俺は平の真意を探ってみた。
だが、やはりこの男は読み切れない。本当の事を嘘の様に話すし、冗談の中に真実を混ぜる。
そうだ、親父は言っていた。平という男はカクテルそのものだと。
そもそも、客の持ち込んだアルコールを飲む事は普通許されない。彼女は確かにビールを持ち込んだ。
しかし、バックにすぐしまった。
それは、浮気された男のために買ったビールだと、その後の平との会話で知った。
「いいじゃん、そのかわり僕も君も、今日はこれで最後のドリンクにしよう、ね?」
平は彼女に微笑みかける。何だか知らないがこんな時、俺は無駄にはらはらしてしまう。こんな空気が、
もちろん顔にも口もださないが、俺は苦手なんだ。
彼女も、平がなぜこんな事をいうのかわからないようだった。眉をひそめて考え込んだ後、
すがる様に俺の顔を見る。
「ええと、そうですね、特別にでは今日この一杯だけの約束ならば。」
口に手を当てながら答える。平に言われれば仕方が無い。
「さすが!了!わあかってるね!」
平はわざとらしく立ち上がる。
彼女はバックに手をかけるがそれでも逡巡している様だった。平はまた微笑む。
「いいじゃない、家でそのビール一人で飲むよりも、僕らとここで飲んでしまおうよ。」
そこで、ようやく彼女は合点がいったという感じで小さくあ、と声を漏らした。
「・・・・・・わかりました。」
バックから取り出した缶ビール2本をカウンターに出した。
「もうぬるくなってるかも。」
「だいじょうぶだいじょうぶ。氷の上でくるくるすればすぐ冷えるから。」
平は慣れた手つきで缶ビールを俺に差し出す。氷の上でくるくるするのは俺の役目という事だ。
「平さん、詳しいですね。」
「うん、僕も昔バーテンダーだったんだ。」
「え!そうなんですか!」
平がまだバーテンダーだったころ、そんな時代もあった。俺は親父に、そして平に憧れていた。
「飲み方は、どうしましょうか?」
「ええと、」
「じゃあ、なんかカクテルにしてよ、了。」
彼女に聞いてるつもりが、当たり前の様に平が答える。小さくわからない様にため息をつく。
「お好みは?」
「お好みは?」
俺が平に聞き、平は彼女に尋ねる。
「え、えと、トマトジュースとか苦手なので、それ意外なら。」
「ああ、レッドアイね。じゃあそれ意外ならなんでもいいって、了。」
「かしこまりました。」
俺は今、バーテンダーとして立っている。笑顔を作れているだろうか。
本当は始めから気づいていた。彼女はどこか雰囲気が、似てる。
平が彼女に絡んだのもそのせいじゃないか、というのはまあ俺の考え過ぎだろう。
俺は本当に平を疑いすぎてしまうくせがある、あの日以来。
「二人はどういう関係なんですか?」
ふいに彼女が口を開く。
「どういう関係だと思う?」
平は空いたグラスを揺らして遊んでいる。
「友達。」
「はは、普通だね。」
「平さんはこのお店のオーナーなんです。」
「えっ!」
彼女は目を見開いてばつが悪そうな表情になった。
「オーナーとは知らず、すいません色々と・・・・・・。」
「はは、なんで?気にしないでよ、一番うるさいのは僕だから。」
間違いない。俺は静かに炭酸のボトルを開ける。
平がこのビールを飲もうと言い出したのは、彼女に気を使ったから。
彼女が家に帰ってこのビールを見て、また浮気男を思い出さない様に。
俺は息をすう、と吐き出して静かにグラスにビールを注いでいく。
「お待たせしました。」
2つのグラスをカウンターに差し出した。細めのフォルムが特徴のビアグラスだ。
「パナシェです。」
見た目はただのビールだ。違いは飲んでみなければわからない。
「ありがとうございます。ぱなしぇ?」
「飲んでごらん。おいしいよ。」
平はまだドリンクには手を付けず彼女が飲むのを待つ。彼女はゆっくりとグラスを口に運んだ。
「あ、ん?レモン?おいしい!」
「ありがとうございます。」
パナシェはビールとレモネードを割ったカクテルだ。ビールに、レモンの爽快感や甘さが加わって飲みやすくなる。
「すごい、飲みやすくなりますね。ほろ苦さもあり、甘くもあり、すっぱさもあり。色々な味がします。」
「そうですね、ビールがそのままでは苦手な方でもオススメのカクテルです。」
「甘くもあり、ほろ苦くもあり、すっぱくもある、まるで恋のようだね。」
平の言葉に彼女はふっと笑った。俺は心の中で苦笑した。
「ああ、なるほど、そうですね、これが私の恋だったんだあ。」
彼女は何かを思い出した様に両手で顔を覆う。そのまま体を曲げ、カウンターに突っ伏した。最初、気持ち悪く
なったのかと思ったが肩が静かに震えているのを見て、ようやく泣いているのだと気がついた。
「乾杯、静ちゃん。」
平は慰めるでも無く、彼女のグラスと自分のグラスをカチンと合わせた。
「うん、レモンが入ってるから飲んだ後はすっきりするねえ、これは。おいしいよ。」
さよならをするための涙なのか、過去を思っての涙なのかわからない。
ただ声もあげず彼女は泣いていた。
俺はどこかでこんな景色を見た事がある気がする。
それが数年前の自分自身だと少ししてから気がついた。
新しく前に進むために、別れはあるのだと今の自分なら思えるが、口には出せなかった。
to be continued
Bar Raincheck
連載シリーズ第4話です。