ネコ小路
山本は日頃の運動不足を補う為、雨の日以外は会社の最寄り駅のひとつ手前で降り、そこから歩くことにしている。なるべく排気ガスを吸いたくないので大通りは避け、裏の路地を縫うように歩く。
いつも通る道の途中に魚肉加工工場があるせいか、この辺りはやたらと野良ネコが多い。実は、それも山本がこの路地を歩く理由である。
山本はネコ好きであり、しかも、飼いネコよりも、自由気ままな野良ネコを好む。エサを与えるわけでも、触ったりするわけでもなく、ただ、眺めている。いわば、キャットウォッチングである。もしかすると、それが窮屈なサラリーマン生活の癒しになっているのかもしれない。
かよい慣れた道なので、いつものように山本の目はネコの姿ばかりを追っていた。
ふと、随分時間が経ったような気がして、時計を見て驚いた。とっくに就業時間を過ぎている。改めて周囲を見回すと、いつもと違う路地に入り込んでいた。
(はて、どうしたものか)
とりあえず、携帯電話で会社に連絡を取ろうとしたが、圏外になっていた。
(しかたがない。今来た道を戻れば、見知った場所に着くだろう)
山本は回れ右をし、そこから引き返した。
しばらく歩くと、何故か袋小路に突き当たってしまった。少し戻って右に曲がってみたが、やはり、そこも袋小路である。
(キツネに化かされたという話は聞いたことがあるが、ネコにもそういうことがあるのか。いやいや、そんな馬鹿な)
山本は、別の道を進んでみたが、またも袋小路。パニックになりそうなのを必死に堪え、あちらこちらと行ってみたが、すべて袋小路になっていた。
(おかしい。こんなはずはない。夢でも見ているのか。それとも、仕事のストレスでおかしくなってしまったのか)
「いやあ、すまんすまん」
突然そう声をかけられて、山本はもう少しで悲鳴を上げるところだった。
いつの間に近づいて来たのか、すぐそばに白衣を着た白髪の老人が立っていた。
「あ、あなたは誰ですか。これはいったいどういう」
「本当にすまん。わしはこの先の研究所の所長をしている、古井戸という者じゃが、どうも、バリアーが故障したらしい」
「バリアー?」
「そうじゃ。もっとも、普通の物理的バリアーではなく、サイコバリアーじゃが」
「はあ」
山本には何の話か、さっぱりわからない。
「つまりじゃな、不審な人物がわしの研究所に近づこうとすると、ふと気が変わって引き返してしまうのじゃ。本人も、なぜ気が変わったのかわからん。あるいは、訪問販売員が研究所に行こうとすると、気が付かぬうちに元来た方向に戻ってしまう。このバリアーのミソは、人間のみに働き、しかも、まったく相手を傷付けない、ということじゃな」
「でも、わたしは逆に、ここから出られないんですよ」
「すまん。故障したんじゃ。このバリアーは人間にしか効かぬため、野良ネコが入り込んで、回線を引っ掻いたようなのじゃ。たった今、修理が終わったから、もう大丈夫。後ろを見てみなさい」
山本が振り向くと、見慣れた路地があった。
「お詫びと言ってはなんじゃが、あんたにはバリアーが効かないようにしておくから、いつでも研究所に遊びに来なさい」
「あ、いえ、結構です」
山本は逃げるようにその場を去って行った。
(おわり)
ネコ小路