独白

友達と話していて、ふと劣等感を感じたときに書いた話です。

「ねえ、また書道やんないの。」

苦手な科学の授業中、ふと切り忘れた前髪が気になった。視界が悪く、非常に鬱陶しい。取り敢えず、前髪を右眼の上のあたりでわけて応急処置とした。
昨日、幼馴染みの浩太から帰り道で話しかけられ、書道部に勧誘された。彼とは長い間話すことがなくなっていたので、私は大変驚いた。たまたま今週は彼の所属する書道部が休みで、帰宅部の私と帰る時間が重なったらしい。彼は私が幼稚園にいたころからの知り合いで、且つ小学校に上がって、私が引っ越してからは同じアパートに住む隣人となった。彼は普段は陽気で戯けてばかりいるような男だった。それでもなぜか、持ち前の要領の良さで大抵のことは上手く立ち回っていて、なんでもそこそこにやってのけた。不器用な私はそんな彼が羨ましかった。

小学校の時、私は書道を習っていた。私はあの半紙の独特な手触りや墨の匂い、何より書いたばかりのぴかぴかに輝く綺麗な文字が大好きだった。また、私は人よりも上手に書けたため、よく先生やら周りの子たちに褒められた。私はそれが嬉しかった。小学三年生になった頃、近所に住んでいた浩太もその書道教室に通うようになった。その後、私たちは毎週水曜日に家から一緒に仲良く書道教室に通うようになった。さらに、私たちは書道教室だけではなく、学校に行く時もよく一緒に登校するようになった。

中学に入ると私たちは二人とも書道教室を辞めた。その代わりに、中学校の書道部に入った。やはり入ってからも私は部内で一番上手だった。それは私を安心させた。しかし部員数はかつかつで、存続さえ危ぶまれるほどであった。それでも自分たちの好きなことをただのんびりと楽しむあの空間が心地良かった。

ところが中学二年にかかったころから、確実に浩太の方が私よりも書道の腕を上げてきていた。彼の書く字は、彼自身をそのまま体現したような、気の向くままにさらさらと書いているようで、どこかすべてを受け入れ包み込んでしまうようなあったかさがあった。私は焦りを覚えた。私が周りの人より抜きん出ているものなんて書道だけだったため、自分より上手な人ができたら、自分がそこに居る意味はなくなってしまうのではないかと心配になった。しかも、相手はあの浩太なのだ。彼の練習時間は私よりも短いし、いつも飄々としている彼は、とても熱心にやっているようには見えなかった。それなのに、どうして浩太は私をどんどん置いて行ってしまうのだろう。私は彼の要領の良さを怨めしく思った。

高校に入って、私は吹奏楽部に入部した。しかし、半年もすると私は辞めてしまった。やはり、中学高からやっている人には技術的についていけなかった。また、練習時間も相当長いため、家に帰ればただ眠ることだけが私の仕事になってしまった。そうなると、入学当初はそこそこだった私の成績もただただ下降し続けた。そんな状態の私を教育熱心な両親は許容するはずもなく、家での風当たりは強くなる一方だった。自分でも、部活も勉強も何もかもを中途半端にしておくことがとても我慢出来なかった。そんなこともあって私は結局、部活を辞めるに至った。

一方、浩太の方は高校でも続いて書道部に入っていた。彼はたいした賞こそとらないものの、中学時代よりもいっそう書道の腕をあげていた。おまけに成績は昔は私よりも低かったくせに、私が吹奏楽に入って、多忙を理由に勉強をしなかった間に、私をあっという間に抜かしてしまった。もはや、私は書道においても成績においても浩太に太刀打ち出来なくなってしまっていた。私は自分がなんのために部活を辞めたのかわからなくなった。
私が吹奏楽部に入ってから、彼と話す機会は格段に減ってしまった。かつては一緒に朝たわいもない話をしながら登校していた道も、横に並んで話すことはもうなくなり、先に歩いている私を浩太は後ろから私よりも大きい歩幅で追い越して行くようになった。それぞれ別に忙しい生活を送っていたので、いつの間にかお互いにあまり相手に干渉しなくなっていた。私はそんな彼の後ろ姿をいつも少しだけ寂しく感じながらぼんやりと眺めていた。

「よう。沙奈、元気してた?」
浩太は昨日、ほぼ一年間ずっと話さなくなっていたことをまるで気にしていないとでもいう風に気軽に話しかけてきた。正直私は戸惑った。今迄どうやって話していたのだろうか。いったいどんなトーンで、どんなテンポで、どんな話題についてそんなに楽しく話していたのだろう。そんなことが一気に頭に浮かんだ。長い間話していなかったので、彼との距離感を掴みかねて黙ってしまった。彼は少し訝しそうな顔をする。
「なぁ、元気かって聞いてんだけど。」
「…え?あぁ、うん。まあまあかな。」
「ふぅん。」
浩太はそこで、目を伏せてなんだか少し考えるような動作をして少しの間口をつぐんだ。それから、やっと何かを思いだしたかのように再び私が書道をやらないのか聞いたのだ。

授業終了のチャイムがなった。ルーム長が号令をかけ、教室が徐々にざわつきはじめる。私は昨日、結局どっちつかずのことを言ってその場を誤魔化した。浩太は中学三年に上がってからもよく私の書く字を褒めてくれた。こっちの気も知らないで無邪気にも。
「上手いよなー。俺お前の書く字好きだよ。」
「そんなことないよ。だって浩太の方が上手いじゃん。」
そんな会話ばかりしていた気がする。浩太としては、きっと本当にそう思ってくれていて、私の返事はただの謙遜と捉えているらしかった。でも、私はそんなことを言われるたびに、自分の無能さを改めて思い知らされる気分だった。だから私は書道から遠ざかった。負け続けることが嫌で嫌で仕方がなかった。しかし結局、その逃げた先の吹奏楽だって上手くいきはしなかった。当たり前だ。完璧と完璧主義者は違うのだ。私には遂に、空っぽになってしまった。

帰り道、私は先の交差点のところで信号待ちをしている浩太が目に入った。浩太はイヤホンで音楽を聴いているようで、こちらには気づかない。私は信号に早く変われと念じながらわざとゆっくり歩く。歩く速度は遅いのに鼓動はドクドクとはやく、心のなかは出続ける汗でもう冷えきってしまったようだ。浩太のところまであと何十歩もない距離にきて、ようやく信号が青にかわった。私は速足で彼を追い越す。すれ違ったとき彼は私に気づき、こちらになにか言いかけた気がした。しかし私は前屈みになって歩く速度をいっそう速めただけだった。


せかせかとちっぽけで静かな一軒家に入って鍵を閉める。そのまま氷のように冷たいドアに寄り掛かったとき、私はひどい困憊と身体の力がすっ、とぬけていくような安堵を感じた。そして再び動き出すと同時に、この邪魔な前髪をさっさと切ってしまおうと思った。

独白

独白

あまり話さなくなっていた幼馴染みから、ある日突然「また、書道やんないの?」ときかれた主人公のお話。自分に誇れるものをきかれたら、あなたはすぐに答えることができるでしょうか。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-11

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