ハロー、インドネシア
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
ひさかたの
皆さんから見て町民Aはあくせく勉学なり青春なりを思い出とすべく日々励んでいます。こうやって平々凡々と安全地帯にて暮らしている中でよぎるのはちょうどでも何でもない1年と2つ分の季節程前のこと。日本に本帰国する前、たった4年ちょいの生活でした。
インドネシアを知っていますか。ここ10年ほど経済成長著しくぶいぶい言わせてる、「インドの町?」と聞かれがちなあの島国ですよ。脳内の世界地図で位置がGoogleマップよろしく出てこなかった人、それが普通です。特に小・中学生は。私もそうでした。ところが、そんな日本の片田舎のさらに一部地域の位置情報しか行動範囲に出てこなかった町民Aが、その国で暮らしていたんです。
フィクションかと思いましたか。ですよね。あの頃から得たものといえば友人(※日本人)と思い出くらいのもので今じゃ夢みたいです。インドネシア語なんぞ話せません。英語の成績なんて一番悪いくらいで。さっぱり平和ボケしてあーこたつ楽しい住みたい根を張りたいなんぞ怠慢を吐き出すなんの力もない私ですが、男もすなる日記といふものを、過去に投影してみようとて欲したのです。
ここでようやっと話が戻ります。ダラダラ課題なり部活なりで時間が過ぎるほど、唯一といっても良い自分が国外で暮らしていた証拠?となりうる記憶がボロボロポロポロ、かけては底の方に沈んでいました。ふと思い出すことは多々あれど、どうだっけ?と海馬に問いかけても知らんふりをくらいます。そこで残っている断片を適当につなぎ合わせてみましょうと、そういうわけなんです。
久方に 光のどけき冬の日に しずこころなく 花の散るらん。
仮名序よろしく終わりましてどうぞよろしくお願いします。
忘れじの
2008年の秋と夏をまたぐ過ごしやすい日。外もスッキリ晴れていたので、私と姉は空き地へ行ってバンド系お兄さんのツンツン頭よろしく群生しまくったススキを踏み倒しました。午前中いっぱい無心で踏み倒し、ようやっと1人寝っ転がれるかと言うほどのサークルを作り上げたんです。
私は小学3年。姉は小学5年で、二人して平均やや下の身長であったため、秋始めだというのにたった数週間でススキに追い抜かれてしまいました。しゃがんでしまえば円形サークルを覗き込まない限り私達の姿は誰にも見つかりません。
「ここは誰にも言っちゃダメだよ。分かった?」
「おかんは?おかんに見せたら写真撮ってくれるんじゃ?」
「ダメ。他の子が見つけて踏み散らかしたり占領したり壊すかもしれないから。」
実際近所には男の子が何人もいましたが、その中に私達姉妹ほど野草遊びが好きな子も、そんなことをするほど仲が良い子もいませんでした。どちらかと言えば空き地の所有者だともっぱらの噂になっているお向かいの隣の家族が、荒らされたススキを見て怒るんじゃないかと。その家族の玄関は一つ向こうの通りに面しているうえ子供もいないようだったので顔を見たことがありません。それがことさら怖かったのです。しかし危険な秘密のほうがどきどきしました。
「分かった?」
「分かった!」
ススキが枯れてしまうまでの秘密基地を手に入れた私達はその中でススキの穂をひたすら削いで米のような実を落としまくったり、まだ幼稚年中さんで一緒に遊ぶことのできない妹の話を日が傾くまでしました。だいたいいつも通りの休日です。
帰る頃になると、母はいつも庭に出て小さい家庭菜園や玄関口でどっしり威圧感をあたえるグミの木に水をやっています。側に妹のタマもいました。
「今日は先に宿題してな。」
「なんで?」
「大事な話があるから。ちゃんと手洗いなよ。」
「分かってるー!」
宿題はしませんでした。面倒だったんです。
夕飯の鍋をかきこんだあと、タマは疲れたのかリビングで寝てしまいました。さっさと二階へ行った姉に母が姉になぜかありがとう、と伝えていました。大事な話だからとも。普段はあまりすぐ2階へ行くのを良しとしない母の様子が可笑しかったです。
父が突然あぐらをかいたまま此方を向き、眉と口にきゅっと力を入れて肩を怒らせたので、わたしはあっという間に緊張でガタガタになってしまいました。
さっきの和やかさはどうした。何か粗相をしただろうか。したとしても、いつもなら優しく注意して貰えるのに。
混乱し母を見やりました。
「フミ、姿勢を正しなさい。大事な話だから。」
だから大事な話ってなんだ!
父が黙ってこちらを見ています。私は姿勢を正す、と言えば正座しか思い浮かばなかったのでしずしずともはや涙目で足を組みました。
なんだこの空気。タマそこ代われ。もしやおかんとおとんが離婚とか、実の娘じゃないとか⁉︎うわぁどうしようテンション上がってきた!って昼ドラか!でもそんな感じだよね⁉︎
離婚などの家庭問題を欠片も経験せずに生きて来たからか、その恐ろしさが分からず現実逃避のように考えました。私にとって普通に大目玉を食らうほうがよっぽど恐ろしかったのです。
「あのな、お父さん来年から海外に転勤に行くんだけど。」
ケロっとタマの髪をすいている母を見やるとちゃんと聞いてなさいとジェスチャーされました。そのままフイと視線を外し、母はリモコンを手繰り寄せます。今日の当選者を朗らかに発表するアナウンサーがいざ名前を言おうと口を開いた瞬間にテレビ画面は真っ暗になりました。
「インドネシアって言って分かるか?」
「インドの首都?」
「国だよ。インドネシアの首都ジャカルタに行くんだ。それで、家族も一緒に来るかどうか確認しようと思って。新しい経験は絶対できる。」
「じゃ行く。」
「……うん、あのな、インドネシアに行くと、何年かかるか分からない。友達にもずっと会えないかもしれないんだぞ。」
そこでやっと愚鈍な脳みそが情報伝達をまともに行ったようで、脊髄反射で応えていた私はたっぷり十数秒後に、「漫画みてぇ」という結論に達しました。漫画のような展開ならば漫画のように返答すべきだろう。根拠はないですが見もしないドラマの主人公になったようだでした。こんな機会滅多にない。やんちゃでガサツだと何がしかにつけて言われる私が悲劇のヒロインの如く振る舞える。それを逃す手はあるまい。
「……嘘。」
さあ手よ、若干震えろ。目を伏せて息をこぼす様に呟け。今お前は誰がなんと言おうと急に海外転勤が決まって明日も不安な11歳の可憐な少女だ!
「まあそうだろうなぁ。なんだったらお父さんだけ行ってお前らは日本に残ってもいいぞ。」
それは困ります。視界の端で、暖かく微笑んでいるもののいざとなったら父を追いかけかねない風体の母を捉えてしまったのです。それにヒロインもやってみると大分恥ずかしかったので、サッパリいつも通りの私に戻りましょう。正直に言えば友達とかはそれほど気にしていません。クラスメートとも近所の女の子であるサヨカとも幼馴染ともそこそこ関係良好でしたが、一生ものだとは思えなかったし、ちょっと離れたくらいで切れる縁ならそんなもんだろうとも思いました。
だから次はヒロインかーらーの家族思いの良い子で。ヒロインを続けるなら家を飛び出すくらいのマネはしたかったのですが生憎と夜は冷えてきていました。グミの木も夜はハリーポッターに出てきた、車を絡め取ってしまう木のようで怖いのです。
「家族離れるのは良くないよ。タマもいるし付いて行くよ。」
紛れも無い本心でした。ただこのとき不安に思ったのは、寂寥でも家族愛でも無く、ススキの秘密基地がインドネシアでは作れるんだろうかということくらいです。
姉は暫くして普通に風呂に入りに降りてきました。
こうして私は海外転勤というイベントにのっかったのです。
空港にて
ガッツリ引越しの準備やら送別会やらあったのですが、所詮国内のテンプレートな出来事なので割愛。(それでも山あり谷あり波線ありで、折り紙のように精神くしゃくしゃになるほどの感動も疲れもありました。感謝もしています。)引越し騒動についてはまたそれとしてインドネシアを余すことなく隅から隅まで、コーンスープ缶のそこに残りがちなコーンすら食べ尽くすほど伝えた後に気力さえあれば。
飛行機便が現地について数日、人間の方も移動しなければならない日になりました。父は数ヶ月前に一足先に旅立っています。旅程としては福岡空港から午前中の便でシンガポール空港を経由し、ジャカルタへ向かいます。約8時間、車での移動も考えれば11時間に及ぶ大移動です。母は小学生2人に幼稚園児、さらに4人分のスーツケースまで抱えていたのです。相当の重労働だったでしょう。交通機関の発達で地球は小さくなったんじゃないのか。
「海に行くまでの2時間車にのりっぱでももう大変なのに!?」
「その海を超えるじゃん?もっと時間かかるじゃん?おk?」
「な、なるほど……!?」
8時間。長すぎる。ゲームも携帯もない私は小説をせっせと3冊鞄に詰めました。しかも、行機自体県外の祖母の家へ向かうとき2回ほど乗っただけというど素人。酔わないことを無信教ながら祈るばかり。タマはガタガタ半泣きで母の袖を握り締めるわ、私と姉は互いに強がって慰めあってしまいには爆笑しだすわ、離陸するだけで世界の終わりを見ました。
「こwwwわwwwいwwwwひぃwwww」
「おねいちゃんがwwww守ったろかwwww」
「どうやってだよwwwwむしろ落ちたら死ぬわwwww」
「うわーシート倒れる!流石金持ち用飛行席!」
「おかんのwwww余裕wwww」
実を言うと会社の費用で家族分ビジネスクラスが用意されていたので、居心地はとんでもなく良かったのです。さらに私はあんなに頭を悩ませた暇つぶしについて、持ってきた道具をほぼ使いませんでした。長距離移動の飛行機には前の座席の裏に小さなテレビ画面とヘッドフォンが付いており、のんべんだらりと美味しいご飯を食べながら空の旅を映画に費やしたのです。
シンガポール空港ではあまり時間を取れませんでした。ここについては、1年後でゆっくり紹介したいと思います。ただの自慢のようですね。ただ確実に言えるのは、この時の飛行機体験が最も快適で、かつ安全安心だったということです。それについてもおいおいまた。
ジャカルタの国際空港に私は特に期待も不安もついでに未来への希望とかも持ち合わせてませんでした。情報がサッパリだったし、荷物を受け取ったら父と合流する予定だったのでなにも考えていなかったのです。
飛行機から一歩出る。暑い。暑いというより空気が小さい針を伴って顔面にぶつかり、そのまま肺の中でごりごろ煎餅を食べだした感じ。飛行機のなかがいかに空調の効いた快適空間であったかが知れた瞬間でした。というか国際空港のくせになんでクーラーが無いんだ!?
シンガポールから一気に客席の80%を占めた日焼けしまくっている人々の波に乗って進みます。入国審査まで長くて何もない通路が続いていました。両壁はザラついた石で冠をかぶった擬人化せれた鳥や(後にガルーダというヒンドゥーの神だと知りました。)胡座をかいた像や(ガルーシャ。こちらも神様です。)民族調子の模様が刻まれていたり。砕いたオレンジのパネルが敷き詰めてあったり。福岡空港やシンガポール空港でみた、俗なポスターや電光掲示板なんぞ無いのです。ただむっとした空気が不快で、疲れていたのもあって早くクーラーに会いたい一心でした。
「だがしかしこれは酷い。いじめか……日本帰る……」
入国審査ゲートは長蛇の列。周りは特に珍しいものもなく、蒸し暑く、疲れているし、なんか変な匂いするし。かと思ったら前の人の匂いっぽいし。ずっと立っているのも辛い。ここを通過するのに40分もかかってしまいました。
パスポートを受け取った男性職員の手が真っ黒で手入れなんてされていない、よく居る熱帯地方の方々の手らしかったのは覚えています。
床の大理石もどきは時々かけたところがあって、キャスターを引きづるとがたんがたん揺れ、あらぬ方向へ進みそうになります。それでも建物の中は良かった。
外に出ます。わあインドネシアだ!……ってならない!出待ちをする人の黒い壁!しきりにインドネシア語のサッパリ読めないくたびれたボードをふり、声を張り上げて知人を呼ぶのです。
押し合いへしあい現地の方々が妙な威圧感を醸し出しているごちゃりとした空間を抜けて初めて、外の景色が見えました。胸焼けしそうな空気の固まり。異国語。ところどころアナの空いた赤レンガの床に、汚れたこれまた赤レンガの壁。Tシャツ短パンのおじさんに、頭に薄い布を巻いた全身真っ黒のワンピースおねいさん。玄関口は細長く、随分奥の方まで疎らに安そうなファーストフード店と、等間隔で自動ドアが並んでいます。正面にはヤシの木がぽんぽん当然のように生えていました。車がやたら多く、遠くまでヘッドライトが続きます。何よりやっぱり、
「暑い……空気悪い……」
これに尽きる。
インドネシア初上陸の数時間でした,
ほととぎす
インドネシアの首都ジャカルタ。車のヘッドライトが、露店の明かりが、低い屋根が連なる中で時折飛び出す高層建築の窓から溢れる光が、そして今走る高速道路を照らす街頭が疲れて霞がかった思考のはしに白目の筋を引きました。二代の車に分かれ乗り、アパートへ向かいながら手元のiPodが語る音楽に被せて、父が運転手のバンバンというインドネシア人に何か話しかけているのが聞こえます。
久方ぶりの父の声に、奮発して家族全員にiPodを買い与えてくれた出発前の姿が浮かびました。
「インドネシアでは車の移動ばかりだからね。」
「自転車を持っていけないのは仕方がないと分かってるよ。でも歩けばいいじゃん。近いとことか。」
私の自転車は気づいたら車庫から消えていました。母が知人に譲ったそうです。
「治安が良くないんだ。アパートの敷地内なら構わないけど、その外をましてや一人で歩く日本人なんていないよ。」
「まさか全部車なの?」
「そうだね。ちょっとしたことでも運転手を呼ばないと。会社から運転手を紹介してもらってるから大丈夫だよ。」
「贅沢だよ!まるでお姫様じゃん!」
じゃんけんで勝ち得た黒のiPodを眺めていた姉が茶々を入れてきました。
「ドレスにセンス?」
「でもあっちじゃ普通だからなぁ。」
以来、パーで負けた私の元に来たピンクのiPodは移動時手放せない大切なものとなっています。
アパートはおそらく21階ぶんある、高くて広い、周りからひとつ飛び出た建物でした。ここではBアパートとしておきます。階が正確に分からないのはエレベーターのボタンが時々数字を飛ばしていたからです。たしか4階と14階と16階が抜けていて、数字表記は24階までありました。その上のボタンは1個だけPHと記してあります。ペントハウスの略だと聞きました。一番上の階という意味だそうです。私達は住所を言う時、階を英語表記のままピーエイチとは呼ばず、インドネシア語の発音でペーハーと呼びました。元々の略は英語なのにペーハーと呼ぶのもおかしな話ですが、そっちの方が現地の方によく通じたのです。
私達の暮らす部屋は1階にリビングとダイニングと台所があり、外に面している壁は全て大きな窓になっています。朝飛び起きて、まず自分がベッドに寝ていることにフリーズ。今まで床に布団をしいていたし、昨日の夜は疲れすぎれいてスライムみたいにべっとり体が重かったのであまり気にしなかったのですが。床に素足で降りれば、外気に反してひやり。
「おかん!!!床が、床が木じゃない!!石だ!」
見当たらない母の姿を追って、妙に立派な手すりにすら興奮しつつどしどし駆け下りると、その大きな窓の前で母となにか話していた姉が振り返りました。
「おはよ。びっくりだよね、大理石だよ!」
実際海外では靴のまま部屋に上がるせいか、大理石の床なんぞ珍しくもなんとも無いのですが、私と姉は手を振り回し飛び回りました。
「大理石!!ほんとに金持ちみたい!!」
「まあここじゃ金持ちの部類だな。」
麺をすすって父は苦笑い。寝起きの父は先についていた船便の白いダンボールに埋もれながらカップラーメンを食べています。流石先駆者は違う。慣れている。
母は私の腕を引いて窓へ目を向けました。
「フミ、見てご覧。」
「……うわーーー……うわーーーーーーー!!!!!」
眼科に低い家々がこちらに赤い屋根を向け遠くまで続いていました。その中にポツポツ、まるで不釣り合いな高層建築が背筋を伸ばして、南国らしい真っ青な空に伸びています。左手の奥にはゴルフ場がありました。右手ではアパートの隣の棟の、クリーム色の壁が視界を遮っています。ヤシや緑の茂った木々がところどころで彩を添えていました。上からみる道は複雑に行き当たりばったりで、折れ曲がったり交差しあっており、そこを車やバイクがひしめいています。
「なんか赤い!!屋根赤い!低い!そこはかとなくボロい!」
「取れる土が赤土は多いんじゃないかな。それに、インドネシアは発展途上国だし。」
なんて贅沢なんだろう!こんな高いところから遠くの霞む先まで、視界いっぱいまで外国の景色を見れる。それが自分の家にある!
「下手したら、日本の家より大きいね、ここ。」
母は台所をのぞき込んで苦笑しました。そこで妹が仏頂面引っさげて降りてきます。
「うるさい……」
タマの不機嫌で寝起きな腕を先ほどの母のように引っ張って、窓の前に立たせました。
「うわーーーーーーーうっわーーーー!」
まあこうなるわな。
「よし、全員揃ったし部屋見て回ろっか!」
その声を合図に姉妹3人は足にブーストを付けたごとく跳ね上がり、駆け出します。母も
それに習って飛び跳ねる中で、父が1人ラーメンの器を盛大に傾け汁を飲み干しました。
2階は一番奥の部屋が最も広く、ベットにテレビ、右には風呂場とトイレが合わさったスペースと洗面台と化粧台。その手前の部屋にはダブルベットが2つに学習机。階段のすぐ脇にはシングルベッドと学習机のある部屋です。屋上への階段の前にはもうひとつトイレとシャワールームがあります。
「あはははは広い!!笑える!!ねえこれおねいは1人部屋貰えるんじゃない!?」
「見て、同じ階にトイレが2つ!!無意味だー!」
「こっちにはバスタブがあるよ!!外国には入浴文化ないと思ってた!」
「あら、このテレビ、薄くて大きいわ。いいやつじゃないかな。」
耐えきれなくなったタマがくるりと踵を返し、気になる!と捨てゼリフ?を残して屋上へ駆け上がります。豪華すぎて笑いが止まらなくなり腹が引き連れてきていた私と姉と母も後に続きます。しかし屋上にはスリッパが無ければ上がれなかったので、1度玄関から靴を揃って持ってきました。手すりに駆け寄り、風を受けます。タマは身長が足らず姉に抱っこして貰っていましたが。思わず、黙り込んでしまいました。
開けた視界にはより鮮明に、窓から見た異国の街が広がっていたのです。
「あ、見て!屋上にも風呂がある。」
タマはバタバタと駆け寄って、バスタブに砂の積もっているのを確認すると土足で入り、しゃがみこみます。
「ジャグジーね。」
「お母さん、私今日ここに入りたい!」
姉もよって、除き込みました。
「ああ、洗えば使えそう。まあ荷物片してからだけどさ。」
結局このジャグジーに入れたのはそれから2週間ほど後の事でした。
ハロー、インドネシア