短編(BL)

ネクタイ

「…お?珍しいなー坂原」

朝、登校してきた俺を、先生が正門で呼び止める。

今日は服装チェックの日。
俺の髪はいつも明るくて、先生によく注意されていた。

最初はもちろん うるさいなーとか思ってたけど
その日常が、自分の中で不可欠になってしまったから

だから、たまには黒に戻してみる。

そしたら案の定、声を掛けられた。

「えらいっしょー。昨日先生に言われたからちゃんと染めたんだよ」
「おーえらいえらい。でもなー」

スッ、とこちらに来て先生が軽く屈むと、顔がすぐ近くにくる。

息のかかる距離。ともすれば触れる距離。

「ネクタイもしっかり締めろよ」

きゅ、と結ぶと、首が苦しくなった。

「…近いよ…」
「え?」
「……~~っ、苦しいっつったの!」

言い逃げして、思わず走り出す。

真っ赤になった顔を見られたくなかった。

心臓が高鳴る。

苦しいのは、首だけじゃなかった。


.

お前なんか見てない

「…? なに?」

ボーッとしていた俺に、明が不思議そうな顔で聞いてくる。

「…何が?」
「いや、なんかずっと見てるから」
「何を?」
「俺のこと」

瞬間、心臓が途端に大きく動く。

顔の後ろがカァーッと熱くなる。

二つに分かれた道が見えて、でもその見えない結末があまりにも怖くて

「…お前なんか見てない」

机に突っ伏して、長い道の方を選んだ。

告白は、まだ選べなかった。

「…そ、ならいーけど」

明はまた前を向く。



“お前なんか見てない”?


いいや


お前しか見てないんだ

否定

「お前さ、俺のこと好き?」

突然聞いてきた。

あまりに突然すぎて驚いたが、二人きりの部屋なわけだし、とりあえず

「……好きだけど」

それでも恥ずかしいから呟くように答える。
すると

「…いや、違うな」

相手は首を振った。予想外の反応にまた驚く。

「…は?聞いたくせに否定すんなよ」

緊張して損した、とか思っていたら

「“愛してる”だろ」

不意に唇を奪われた。

筋肉痛

「…ったぁー…」
「なに、筋肉痛?」

部屋に入るなり座り込む恋人。右腕をさすり顔を歪めている。

「昨日の体育だよ、バドミントン。慣れない筋肉使うとなるよなー…いてぇ」

右腕を上げては痛そうな顔をして下げ、ぐるぐる回したりして痛みを我慢しながら治そうとする。

「…つーかさ」

俺はずいっと近づくと、構えて止まった右腕をぎゅっと掴んだ。

「っ!だから痛ぇって…」
「祐輔の痛がってる顔、エロいよ」

思わずニヤける。そのままキスしようとして

「しねっ!」

左手で頭を殴られた。

「…グーで殴んなよ」
「うるせぇこの変態っ!帰れバカっ!離せ!」
「帰れってここ俺の家。そんで離さない」
「なんで……っ!!ってぇよ!」

しばらく、強く掴んで痛がる顔を楽しんでいたが、最終的には俺の頭にこぶができるんじゃないかってくらい殴られた。

野球少年

中学のクラブチーム時代に肘を壊し、選手生命が絶たれた。

でもどうしても野球から離れられなくて、入部の時にマネージャーを志願した。

男子校だからか案外簡単に受け入れられ、その後も様々な紆余曲折があったものの、今では他校からも恐れられるほどの敏腕マネージャーになった。



そんな二年半を、ふと思い返す。

誰もいない部室。せめて最後は綺麗にしておきたかった。

明日から、夏の全国大会地区予選が始まる。
相手からしておそらく勝てるが、それでも油断は出来ない。
これからは一戦一戦が最後の試合になる。


練習を早めに切り上げ、「今日は早く帰ってゆっくり休め」の監督の言葉も、この場所では忘れたフリをした。

ここには思い出がありすぎる。簡単には出て行けない。


籠からこぼれたボールを拾い、少し眺める。
すると、ガチャッと音を立てて部室のドアが開いた。
反射的に見る。そこには

「……トモ…」
「相沢…帰ったんじゃなかったのか」

同級生の、ショートを守る相沢がいた。

「あ、いや、俺は…」
「忘れもの?」

聞くと、相沢は

「…まぁ、ね」

自嘲気味に笑う。いつもの明るい相沢らしくなかった。

「?」
「智弘は?何でまだ帰んないの?」

他の部員は“トモ”と愛称で呼ぶのに、こいつは時々不意に名前で呼ぶ。

「いや、なんとなく帰れなくてさ」

苦笑すると、相沢は そっか、と笑った。
そして俺の持つボールに気付くと

「…あ、ねぇ、キャッチボールしない?」

笑顔で言ってくる。

「え?」
「キャッチボール。トモはそこのグローブ使ってさ」

言いながら、荷物を下ろし上着を脱いで、自分のグローブを取り出す。

「でも、明日お前…」

俺が渋ると、相沢は笑って

「ちょっとでも動かしてないとさ、鈍る気がして」

その言葉に

「…鈍んの早すぎだろ」

思わず笑いながらついていった。


「なー」
「ん?」

軽快なリズム。
静かな夕暮れの校舎に、心地良い音が響く。

グローブにボールがはまる音。

「智弘はさ、中学ん時、ケガで辞めちゃったんだよね」
「うん、そう」
「どこのポジションだったの?」
「…あぁ、ショートだよ。相沢と一緒」

パン、と相沢がキャッチする。
少し驚いたようだ。

「あ、そうなんだ…。じゃー俺が聞くのも微妙だな」
「なに?」

苦笑するので聞くと、相沢はボールを投げながら

「悔しくなかった?俺なら出来たのにーとか、こいつより俺の方がー、…とか。…まぁ俺だから思うか」

その反応に、俺は笑って

「そんな卑下すんなよ。俺一回も思ったことないよ、相沢上手いから」

驚く相沢。俺は構わずボールを投げながら

「初めて見た時から上手いんだもん。諦めっていうより…すげぇなーって普通に思った。相沢なら俺が出来なかった分も出来るって、勝手に重ねてたし」

へへ、と笑うと、相沢は呆然と立ったまま。
なんだよ恥ずかしいな、と思って

「相沢、パス!」

グローブを掲げる。夕日のせいか分からないが、相沢の顔は真っ赤に染まり

「…おぅ」

やたら嬉しそうに笑っていた。


「明日、勝てると思う?」

使ったグラウンドを整備して、ブラシを片付けて部室に入った時、相沢は聞いてきた。

思わず顔を上げる。
静かな部室の空気のせいか、相沢の顔に自信の色が見えなかった。

「…勝てるよ」

俺は笑う。相沢は驚いた顔をする。

それもそうだ。
俺は今まで、どんな試合でも“勝てる”とは言わなかった。

“勝てるんじゃない、勝つんだよ”

そう言ってきた。

それが、このチームの意向だったから。


でも、今の相沢が望んでいるのは、そんな言葉じゃないような気がした。

だから、俺自身の言葉を伝えたかった。

「…俺が2年半見てきたチームは、こんなとこで負けないよ」

大丈夫、と相沢の左肩に拳を当てた。

なおも驚いたままの相沢。余計に恥ずかしくなる。

「…っと…そろそろ帰ろっか。暗くなりそうだし」

奥に行ってグローブを置き、上着を着て鞄を持つ。

そこでようやく思い出した。

「…あれ?そういえば、なんか忘れ物したんじゃなかったっけ」

入口そばに立つ相沢を見ると、なぜかこちらを見つめていて

「…相沢?」

呼び掛けると、はっとして気付く。そして

「そう、忘れ物したんだよな」

苦笑してから近付いてきた。

こっちに相沢の私物なんかあったっけ、と後ろを振り向くが、視界の中に相沢が来ない。
なんで?と視線を戻すと、相沢は目の前に立っていた。

「…智弘」

妙に真剣な顔。
試合中とはまた違う、緊張した表情。

「どした?」

身長差10cm。少し見上げる。

瞬間

相沢の顔がぼやけるほど近くに来て、なにかが唇に触れた。


時間と思考回路が止まる。

静かすぎる夕日。


なにが触れているのか、なにをされているのかを理解した瞬間、それはゆっくり離れる。

そして触れそうな距離のまま

「…好きだ」

熱を帯びた、でも切ない声で、相沢は言った。

「…言い忘れてたから」

そして、ゆっくりと離れる。

目が合った。
相沢は、愛おしそうに微笑んだ。

「じゃ、明日な」

俺の髪をくしゃっと撫でると、なんでもないように上着を羽織り、荷物を持って出て行く。

俺はそれを見送って、さらに数秒、呆然と突っ立ってから

「……!!」

ようやく、事の成り行きを理解出来た。

顔が熱い。
唇を手の甲で押さえる。

この場所に、また一つ想い出ができてしまった。

「…ばかやろ…っ」

余計に離れづらくなる。

フェンス

例えば

「な、なにをしてるんだ!早まるんじゃない!」

とか

「やめなさい!早く戻るんだ!」

とか

「あ、危ないから落ち着け、とりあえず、な?話せば分かる!」

とか

震えながら汗ばみながら言われたら、ソッコーで飛ぶつもりだった。

そんな大人がくだらないんだと、そんな大人が嫌いなんだと、笑って消えるつもりだった。


けど、フェンスの向こう側に現れたのは

「…あれ、成田くん?」

見たことのない男だった。


「……」
「あぁごめん。俺のこと知らないかな」

男は優雅に笑うと、開けた扉を閉めてそれに寄り掛かる。

近付いては来ないらしい。

それどころか手には缶コーヒーを持っていて、パシュッと音を立てて開ける。
風に乗ってコーヒーの香り。

一口飲む姿も何だか優美で、思わず見惚れていると

「飛ぶの?」

男は唐突に言った。

びくん、と身体が反応する。

「今ここで飛んでも、成田くんの存在価値は上がらないと思うんだけど」

揺れも震えもブレもない、至って冷静な言葉。
そして普通のことのように喋る。

俺はフェンスを握りしめた。

「……それでも俺は…っ!」

キッと顔を上げると、男は

「…っ…?」

拍子抜けするほど、綺麗に微笑っていた。

と思ったら

「このコーヒーあんま美味しくないなぁ。成田くんおすすめのコーヒーってある?」

不意にこんなことを言う。

「…は…?」
「これ学校の自販で買ったんだけど。やっぱり煎れた方がおいしいのかな」
「…お、れは…コーヒーは、あんまり…」
「あぁそうなんだ。紅茶?あ、炭酸かな?若いもんね」

ふふ、と笑う。
冷徹なんだかふざけてるのか、よく分からない人だ。

呆然としていると

「そうだ、この前知り合いから美味しい紅茶をもらってね。せっかくだから成田くんもどうかな」

にっこり笑って言った。

「…は…?」
「俺の部屋にあるんだ。今日は誰もいないし、今からどう?」

くいっと缶コーヒーを飲み干すと、品良く口元を拭う。

その仕草のひとつひとつがいちいち綺麗で

俺は思わず

「…あ…、じゃあ…」

フェンス越しに承諾していた。

男はにっこり笑うと

「そう。俺の部屋は西棟1階の端だから」

優雅に踵を返してドアを開ける。

背中を見ていると、男は振り向いて

「おいで」

やさしく笑った。


それに、俺が抗えるはずもなく


あんなに決意して登ったはずのフェンスを、今度はいとも簡単に乗り越えた。

背中を追いかける。

空絵

ギィ、とドアを開ける。

風が通って髪が揺れた。


視界いっぱいの空。でもその下に目当ての人物はいない。

少し見回すと、頭上から微かな音。
どうやらこの上にいるらしい。

ドアのある壁から横の壁にまわり、上から途中まで伸びたハシゴに手をかける。

のぼっていくと

「めずらしーね」

愛らしい背中が見えた。

左隣に置かれたブレザー。右隣に置かれた水入れと絵の具。肩越しに見えるキャンパス。

近付いてブレザーを拾い、抱えてその場に座る。

「空?」

キャンパスを覗くと、そこには淡い青が一面に塗られていた。

「うん。“デカいもん描け”って」

時折被写体を見上げながら、キャンパスに筆を走らせる。

選択美術の課題内容が“大きいものを描け”だから、どうやらこの大好きな人は空を描いたらしい。

他の美術の人は、大体が樹や校舎や校庭を描こうと校舎中を散らばっていたのだけれど

「…まぁデカいもんねぇ」

身近な、だけど超巨大な被写体を見付けた彼はさすがというかなんというか。
選択は音楽の自分だが、この発想は盲点だった。

膝を抱えブレザーを膝に載せ、天を仰ぐ。

風はゆるやかに流れ、暑くも寒くもない。
穏やかだ。


しばらくどこを見るでもなくそのままでいると、不意に横から溜め息が聞こえる。

と言ってもそんな大袈裟なものではなくて、他の人では気付かないくらいの、息をついた程度。

「どした?」
「…ん、いや…」

空を見上げる。
その横顔が、例え難しげに歪んでいたとしてもやはり綺麗だと思う。

つまりはベタ惚れなわけで。

「…動くもんは描きづらい」

言うと、彼は筆を水に浸けた。

「動く…?」

鳥でも飛んでいるのだろうかと見上げるが、とりあえず見当たらない。
しばらく見て、ようやく

「…あ、雲か」

気付いた。

ずっと見ていないと分からないくらいゆっくり動く雲。

気付いた時には形を変え、どこかへ流れていく。

掴めそうで掴めない。

「まぁ、雲は落ち着きないからねぇ…」

ぼんやり、何とは無しに言う。

するとなぜか隣から、またもや他の人には分からないくらいの、微かに吹き出す音がした。

そして

「お前みたいだな」

微笑んだまま雲を見上げて言うと、また筆を取りキャンパスに走らせる。



え…

やばい、俺…めっちゃときめいてる


「…ちゅーしていいですか!」
「ふざけんな」

間髪入れずに拒否された。

ふざけてないんだけどなぁ…とか思うが、本気で嫌われかねないので黙っておく。

すると

「脈絡なさすぎだろ」

くくっ、と堪えきれないように笑った。


滅多に笑わない大好きな人が、隣で笑ってる

それだけで、目の前に広がる空はさっきより美しい


「汐貴」
「なに」
「好きだよ」

溢れ出た気持ち。それに

「…知ってる」

水色を走らせながら、愛する人は応えた。

顔がにやける。

せわしない雲は、すでに形を変えていた。

やんで、れ

「ねぇ」
「ん?」
「俺のこと好き?」
「あぁ」
「じゃあ、…俺のために死んでよ」

大好きな人の首に手を伸ばす。


触れて、握ると

感じる鼓動


でも

「…勘弁しろ」

宏人は呆れたように言うと、俺の手をやんわり剥がした。

「…なんで…?」


どうして嫌がるの?

俺のこと好きだって言ったのに


でも宏人は鬱陶しそうに

「何でって…」
「じゃあ俺が死ぬ」

そんな顔を見ていたくなくて、俺は自分の首に手を伸ばす。

「…おい」
「俺が死んだら、宏人も死んでくれるでしょ?」


生きていたら永遠は無いよ

確かなものも無い

俺は、キミとの永遠が欲しいから

共に死にたいと思うのに


「…死なねーよ」

宏人は溜め息混じりに言う。
そして、真っ直ぐ俺を見ると

「俺はお前のために死んだりしねーし、お前も俺のために死ぬ必要なんかねーの」


俺にとっては

すごく残酷なことを言った。


「…っ…いやだっ…いやだよ…」


いつか無くなってしまうなら

いつか失ってしまうなら


俺の手で壊させて

永遠をちょうだい


キミは蝶のようだから

生きていたらどこかへ行ってしまう

キミは蝶のようにキレイだから

羽根を止めて標本にしたいんだ


キミはいつか、俺から離れてしまう

それを見るのは耐えられないよ


それこそ俺は死んでしまうから


だから

だから

一緒に死んでよ


「…つゆ」
「……俺のこと嫌いなの…?」

声が震える。顔を上げられない。


一緒に死んでくれないなんて

宏人はきっと、俺のことが嫌いなんだ


「好きだよ。大好きだ」

でも宏人は躊躇いもせず、俺を真っ直ぐ見て言った。


偽りも迷いも無い告白

痛いほど胸に突き刺さる


「っ、…じゃあ…!」
「好きだから、お前と一緒に生きていきたいんだよ」

顔を上げた俺に、宏人はやさしく微笑んで言った。

そして、俺の頬にそっと触れると

「俺は津由紀が死ぬのなんか見たくねーし、津由紀に俺が死ぬのも見せたくない」

やさしく撫でて

「生きるってツラいけどさ、一緒なら楽しいだろ?」

ニカッ、と笑った。




キミと俺は、正反対だ


俺が死を感じている時に、
キミは生を感じている

そう言うと、キミは

「何言ってんだ。どっちも生きてんじゃねーか」

同じだろ、と笑った

異世界に行っても

いつも通り学校から帰ってて、

いつも通り大嫌いな秋月に求愛されて、

キスとかされそうになったから本気で抵抗してる時に、


…どういうわけかこんなとこに移動してて


わけわかんねぇ奴らに連行されて

怪物のイケニエとして若い人間の男を捧げるだとか

それが秋月だとか

だから俺は関係無いから森の外れのホコラから帰れるだとか


そんなことを説明されて、今に至る。

「…てことは…俺帰って良いのか!じゃ、あとは頑張れ」

心にも無い応援をして、回れ右をして祭壇を後にしようとする。

それを

「待てよ」

ぐいっと腕を掴まれた。
言葉のわりに澄んだ声、少しだけ見上げる身長。

そんなところも嫌いだ。

「キミは非情だね。僕が得体の知れない怪物に掘られようとしてるっていうのに、一人で逃げるのか?」
「掘られるとか言うな!すげー良い待遇してくれるかもしんねーだろ」
「良い待遇をしてくれるなら、ここの人たちは自ら進んでイケニエになるだろう?」
「……、っとにかく!俺は帰って良いって言われてんだ。帰らせてもらう」

掴まれた腕を振り払う。
すると秋月は少し溜め息をついて

「僕なんかよりキミの方がよっぽど可愛いのにね」
「可愛くねぇから!」

俺の反論なんか無視して、祭壇の方を見つめる。

…お、諦めたか?
それは助かる。面倒はごめんだ
俺はさっさと帰らせて…

「とは言え僕は、こんなところで一生を終える気は無い」

…あれー?全然諦めてねーし…!

「つったって…この雰囲気からして、逃げても追われんだろ」

偉そうなやつにデカいやつ、得体の知れないモノたちは、一様にこちらを睨みつけている。

「…ねぇ遥斗、僕の考えを聞いてくれるかい?」
「ヤだね。俺は穏便に帰りてぇんだ。お前に構ってられるか」
「彼らの体型を見てよ」

聞いてねぇ…ホントこいつ嫌だ

勝手に名前で呼ぶし
人の話聞かねぇし
俺男なのに可愛いとか言うし
触ってくるし抱きしめられるしキスされそうになるし押し倒されたりするし

……度胸があるなら殺してる!!


ふつふつと怒りが沸き上がってくる俺をよそ目に、秋月はいつもの余裕な笑みで

「彼らは僕ら人間より足が短く出来てる。等身も少ないし、僕らより小さい」
「だからなん……」

不機嫌に聞こうとした、その時分かった。

まさかこいつ…!

「走れば逃げ切れる」

突然手首を取られ、引っ張られた。

「バッ…!お前ふざけんなよ!!」

俺の抗議も虚しく、辺りが奴らの怒涛の叫び声で包まれる。

祭壇一帯を抜け森に入っても、後ろから追われている気配。

手首を離し、俺も秋月も精一杯走るしかない。

だから…何で俺が追われてんだよ!!

つくづく、こいつにはペースを乱されて腹が立つ。

「…つーかさ!!」

走りながら、俺は横を走る秋月に言う。

「ホコラってどこにあんだよ!!」
「…さぁ」

秋月は笑った。

「は?!知らねーの?!」
「あのね…っ、…キミと僕は同じ情報しか…持ってないんだよ…っ…はぁ…っ」

秋月の息が乱れる。

そうか、こいつ生徒会だ。
だからバリバリ運動部の俺とは馬が合わないし、会話も噛み合わなかった。

…めんどくせぇな

少し遅れてきた秋月の手首を、今度は俺が取って引っ張る。

「…え…?」
「お前さ、走って逃げるとか言うんならもっと脚力鍛えろよ!これで捕まったらダサすぎだろ?!」

秋月の体重を半分くらい引っ張って走りながら、ようやく抗議する。

こいつのことは嫌いだけど、あんな奴らに捕まるのは運動部として許せない。

「……ははっ」

そんな俺の闘争心なんか全く無視で、後ろから笑い声。

…は、なんで?

走りながら振り向くと、秋月は

「キミはバカだな」

いつものムカつく笑顔とは違って、子どもみたいに嬉しそうに笑っていた。

…バカって言われたけど

「バカじゃねーし!」
「…あ、見て遥斗」

やっぱり聞いてない。
こいつホントに俺のこと好きなのか?

なんて思考も、秋月の指す先を見て止まった。

「…ホコラ…?」
「たぶん」

森が少し開けた、広場みたいなところ。

石で出来たそれは、言うなれば

「…カエル?」
「…かな」

思わず、その目の前で止まる。

カエルが大きな口を開けていて、その口の中はひたすら暗い。

「……こん中に入れっての?」
「さぁ…」

珍しく秋月も困惑顔。
それもそうだ、こんなところに入って戻れるなんて思わない。

でも

「…!やべ、あいつら来るぞ!」

森をかきわけ、走って追って来る音が聞こえてきた。

どうやら悩んでる時間は無い。

「飛び込むっ!」
「えっちょ…っ、遥斗!」

秋月の手首を引っ張って、意を決してカエルの口に飛び込んだ。


下に落ちる感覚。

それから眩しいほどの光に包まれて…




「…ぅわっ」
「ぎゃっ!」

俺たちは、落ち葉の上に着地した。

「…ここは…学校?」
「みてーだな…」

秋月は立ち上がり、俺はその場で座る。
そこは、俺たちの通う高校の裏にある林だった。

「とりあえず戻って来れたか…」

はぁ、と溜め息をつく。すると秋月はこちらを向いて

「ありがとう」

手を差し延べた。にっこり笑う。

「遥斗がいなければ、僕は戻って来れなかった」

それを俺は、なぜか払うことが出来なくて

「…別に」

差し出された手を掴み立ち上がる。すると

「ぅわっ」

そのまま抱きしめられた。

「なっ、てめっ…!」
「可愛いなぁキミは。僕が見込んだだけのことはあるよ」
「何の話だよっ!離せっ!!このっ変態!」

俺が暴れると、秋月は ふっと離れる。
ほっとしてたら

「好きだよ遥斗」

ちゅっ、と音を立てて、頬にキスされた。

「…な……なぁあああっ?!?!てめぇ!」
「じゃ、帰ろっか」

キレる俺を無視で、秋月は俺の手を引いていく。

「離せバカっ!助けんじゃなかった!!」
「はいはい」

やっぱり、こんなやつ大キライだ!

身体測定

「えー…ひゃく…179.…6!179.6です」

背伸びをして目盛りを見ると、記入する係の人に佐野が言う。

俺は身長計を降りて上履きを履きながら

「おっしー。もうちょいで80なのに」

少し悔しく言うと、佐野は

「…お前それイヤミ?」

睨んできた。

保健委員の佐野は、すでにすべての身体測定を終えている。

「いやいや純粋に。そっちはどーだったのよ?今年こそ70越えするって張り切ってたじゃん」

佐野の頭をぐしゃぐしゃ撫でながら言うと、手を思いっ切り振り払われて

「うるさい。1年で8cmも伸びるわけねーだろ」

ふんっ、と顔をそっぽに向ける。

この精神的な幼さが身長に影響しているのか、あるいは逆に、この身長だからこう幼いのか。

でも俺的には…

「いーよ伸びなくて。そのままの方がちょうどいいし」

記入された紙を受け取りながら言うと、佐野は不満そうに

「なにが良いんだよ」

ふてくされるように聞くから、俺は佐野の手を引いて

「抱きしめやすいじゃん?」

すっぽりと腕の中に収めた。

「…~~~っ?!ばっ…!!」

真っ赤になったであろう佐野は俺を押し返し(もちろん離さないけど)、記入する係の人はこちらを見て呆然としている。

こんな光景を上から見られるのは背が高い特権だなとぼんやり思っていたら、脇腹に思いっきり拳を入れられた。

「ぐっ!……おい佐野ぉ~…」
「バーカっ!人前で抱き着くな!」

痛がってうずくまる俺に佐野は顔を真っ赤にしながら言うと、べー、と舌を出して走っていく。

それを見ながら

「…可愛いなぁ」

人前で、なんて言ったらバレるに決まってるのに

俺はニヤニヤしながら

「あ、俺これで終わりなんで、佐野の代わりにやりましょっか」

記入する係の人に提案した。


とりあえず、小さい恋人にぞっこんです。

夏、クーラーの下で

外はうだるような暑さ。
部屋の中は快適に涼しい。

今日は、友達の松戸と俺の家で勉強会。
静かな時間が流れる。

「…なぁ」

不意に、松戸が呼んだ。

「ん?」

カリカリとペンを走らせる音の中、俺が短く聞き返すと

「俺さ、お前のこと好きなんだけど」

突然言われた。

「………へ?」
「あ、間違えた。俺好きな人がいるんだけど」

いや間違えるにもほどがあるだろ…

俺はかなりびっくりして顔を上げて見たが、松戸はノートから目を離さないまま。

「……お、おぉぉ…え、マジ?!」
「うん。まぁお前なんだけど」

再びの告白。

…っていうか最初のも間違えてなくね?
なんなら変わらなくね?
つーか……

「………」

びっくりしすぎて思考停止。すると

「俺どうすればいい?」

相変わらず勉強をしたまま聞いてくる。

「え、ど…どうするって…え、お前その…俺のこと好きなの?」
「うん」
「…なのに俺に聞くわけ?」

平然とペンを走らせていた松戸は一瞬止まる。それからまた手を動かして

「だって、好きなヤツの話なんか他のヤツに出来ないし。お前渦中だけど…まぁいっかと思って」
「よくねぇだろ…」

呆れて小さく突っ込む。

「で、どうすればいい?」

松戸が、初めて顔を上げた。

目が合った。

真剣な、射抜くような視線。


不覚にもドキドキしてしまった。


「……と、とりあえずこれ終わったらな…」

思わず俯いて勉強に戻るフリ。松戸は

「了解」

やはり平然と、勉強を再開させた。


勉強、どころじゃない

どんなに勉強しても出ないような答えを、

今この数時間で出せるのだろうか


(…どうすりゃいんだよ…)

外はうだるような暑さ。
快適な温度の室内。

ちら、と見る。
また目が合った。

ふ、と笑われた。

またドキドキした。

雪降りて。

「…あ」

降ってきた。

どうりで寒いと思った。

「ん?」

右隣を歩く恋人はこちらを見る。

「雪」
「え?…あ、ホントだ」

二人で空を見上げていると、周りの人達も気付いてほのかに騒ぎ出す。
辺りが少し一体感に包まれる。


ふと、右手を握られた。

まさか、と思って反射的に隣を見ると、不意打ちのキス。

すぐに離れた。


「…っ、バカおまっ…ここ外だぞ…!」

握られたままの手を振りほどく。
すると

「いーじゃん。みんな上見てるから誰も気付かないって」

しー、と人差し指を口元に立て、俺の右手をやさしく取った。

指を絡められる。
お互い手袋をしない手は、雪の降る気温でかなり冷たかったけれど

「…そういう問題じゃない」

きゅ、と握りしめた。


少しあったかくなって、

笑顔がこぼれた。

酔い醒まし

「お前さ、好きなコとかいねーの?」

突然聞かれた。
今までそんな話はしたことが無かった。

「…は?」
「いや、お前彼女いねーって聞いたから」

野郎ばっか5人でスキー旅行。
夜、酔い醒ましに部屋の端で窓から星を見ていたら、隣に来た圭が言った。

他の友人はまだ酒を飲みながら携帯用ゲームで盛り上がっている。

「まぁ…いねーけどさ」
「だろ?で、好きなコは?」
「いねーよ」

興味津々の様子の圭に、俺は即座に答える。

「え、いねーの?」
「恋愛なんかしてるように見えたか?」

逆に聞く。圭は少し考えた様子で

「んや、でも何かお前、そーゆーの隠すの上手そうだから」
「どんなイメージだよ」

呆れてツッコむと、圭は軽く笑った。

「なに、じゃーどんなんがタイプ?」

結構食いついて聞いてくる。

俺は酔った頭のまま

「女だったらとっくに口説いてるよ」

ため息混じりに呟いた。

「…は、誰を」
「お前」
「俺かよ」

少し驚いた様子の圭は

「へぇ…」

意味ありげに呟く。そして

「なに、じゃあ男だったら口説いてくんねーの?」

顔を覗き込んできた。

「……は?」


何言ってんだこいつ


「いや、口説かねーだろ」
「なんだ」

つまんねーの、と居直ってぼやく。

相当酔っているのだろう、圭は自分が何を言っているのか分かってないらしい。
というのも、圭は普段じゃれて笑いながらふざけることはあるが、真顔で冗談を言うような奴じゃない。

その酔った様子が面白いと思いつつ、自分も酔っているので

「何、口説いてほしいのかよ」

軽く笑いながらその冗談に乗ると

「まーね」

軽い様子で、まさかの、肯定をした。

「………」
「じゃーいいや。俺が口説く」

至って普通の口調。

「俺ね、お前の声とか、手とか、雰囲気とかさ、すげー好きなんだよね。顔も悪くねーし、体つきも良いし、なんか一匹狼っぽくてさ、最初は憧れだったんだけど」

ふと、こちらを見る。

目が合った。

「今はもうなんか、全部好き。俺だけ見てほしい」


その顔は、確かに笑顔だったけれど

ふざけてると捉えるには、あまりに声が真っ直ぐすぎて


「……呑みすぎじゃね?」
「ははっ、かもな」

圭は笑う。

「でも何言ってるかは分かってるよ。明日覚えてる自信もある」


俺は、それに笑うことが出来ない


立ち上がる圭を見上げて

「…だからお前も覚えといて」

初めて見る男らしい表情を、俺はただ

「……」

黙って見送るしか出来なかった。

ライオンを想う

俺の好きな人は、バカが付くほどのお人好しだ。

だから男にも女にもナチュラルに人気があって、そして

無駄に傷ついたりする。



「…俺、まさに悲劇のヒロインじゃね?」
「まずヒロインじゃねーよ」

一応ツッコんでおく。
それに軽く笑ってから、相手は盛大なため息をついた。

「あ゙ー……やべぇ…これマジ泣きそー…」

公園のベンチ。

同級生でありクラスメートであり、親友とも呼べる俺の好きな人、木内は、天を仰いでベンチの背もたれに頭を預ける。そのまま腕で目を押さえた。

今は放課後。
制服姿の俺たちがここでたむろするのはいつものことだが、今日は色々いつもと違う。


木内はついさっき、片想いの相手から手紙を渡された。

いわゆるラブレターだ。

しかしその宛名は木内ではなく

「滝内なぁー…確かに、カッコ良いよなぁ、あいつ」

他の男だった。


好きな女に、他の男への橋渡しを頼まれる。

なんとも言えない切なさだ。


「でもさぁー…俺に頼むことなくねぇ?」
「…お前が一番仲良くて頼みやすかったんだろ」

正論を言う。木内は拗ねたように

「……分かってっけどさ」

ポケットから、預かった手紙を出した。

「可愛い封筒だな」
「そーだよ、志帆のセンスだもん」

なぜか木内が誇らしげに言う。
そして手紙を見ながら

「……なんで俺じゃねぇかなぁ…」

泣きそうな顔で呟いた。


その横顔を一番近くで見られるのは、俺がこいつの友達だから。

俺が男で、こいつも男だから。



…なぁ、俺だって泣きたいんだけど

悲劇のヒロインを好きになった俺はどうしたらいい?

そんな顔すんなよ

好きな人の好きな人くらい気付けっつーの



「呼び出されてさぁ…手紙もらって、そこまでちょードキドキして浮かれてて。……バカみてぇ」


あぁバカだよ

バカで単純で、

だからどうしようもなく可愛い


結局その手紙受け取っちゃうあたり、

不器用でやさしくてお人好しでさ



すげー好きなんだよ



「槙ぃ~…どうしようもう…」

文字通り、木内は泣き着いてくる。

横にいる俺の首に腕を回し、肩に顔をうずめる、それを天然にやるからこいつは

「…木内」
「……なにさ」


隙だらけで

俺の理性を崩してく


肩と頭に手を回して、やさしく抱きしめる。

「…うぉ、なになに、珍しいな」

さすがに驚いて離れる木内を、それでも一定の距離でとどめる。


目の前に顔。

キスしたい。


「…?何だよ、どした」

割と深刻そうな顔で聞いてくる。
俺が見たこともないような顔をしてるからだろう。

このまま言おうと思えば言える。
奪おうと思えば奪える。


でも、俺は



「…これぐらいやれば良かったんじゃね?」


お前には笑っててほしかった。


「…は?」
「宮瀬さんに。したらお前のこと、ちょっとは違う目で見てくれたんじゃねーの」
「…あー…なーる」

納得してるうちに離れる。

不自然の無いように
動揺を悟られないように

すると

「お前ってすげぇな」

アホみたいに感心した声で言った。

意味が分からない。

「…なにが」
「だって今のさ、男の俺でもドキドキしたもん」


途端、何も言えなくなる。


その言葉がどれだけ心臓に悪いか

お前はたぶん、1ミリも分かってない


「……それ、結局どうすんの」

俺は苦し紛れに手紙を指した。

「え?…あぁ」

木内は思い出したようにそれを見る。

空に、かざして

「…渡すよ」

その横顔は、笑顔だった。

「宮瀬志帆の手紙は、俺が渡したい」

悲しそうに笑う木内。

また泣きそうだなとぼんやり思ったその時、顔が不意にこちらを向いて

「槙がいれば大丈夫」

ぐ、と拳を肩に入れてきた。



こいつは、どこまで



「…あ、そ」
「おぅ」



想いは秘める

お前も、…俺も


いつか綺麗に風化されるのを待ってる

それはたぶん…お前だけ


「泣くなよ」
「泣くかよ」


こんな風に笑うお前を、

ずっとそばで見ていたいと思うんだ

dolce

最近の俺の日課。

放課後、調理室に行くこと。


とは言え、もちろん行くだけじゃない。



ひょこっと顔を入れる。

やっぱりいた。

「たーきーぐーちっ」

ちら、とこちらを見る。
またか、みたいな顔をした。

「今日はなに作ってんの?」

ててっと寄ってくと、ボールの中にはカスタードクリーム。

ピンときた。

「…!もしやシュークリームっ?!」

テンション急上昇で聞くと、瀧口は無表情のまま

「…生地が焼けるの待ち」

ぼそっと答えた。
その瀧口なりの肯定に、俺はさらにテンションMAX。

「やったー!!どれ?!あのオーブン?!」

使用されている唯一のオーブンを発見し走り寄る。
中を見ると等間隔で生地が置かれていた。

「俺さ、シュークリームめっちゃ好きなんだよね」

オーブンの前で頬杖をついて言う。
すると

「…昨日も聞いた」

瀧口は言葉少なに返した。

昨日、というのは、別に昨日シュークリームを好きだと言ったわけではない。
どんなお菓子でも俺は好きだと言うから瀧口は呆れているんだろう。
昨日はチーズケーキをめちゃめちゃ好きだと言った。

「嘘じゃないもーん。俺お菓子なら何でも好きだから!」

へへー、ともうじき焼けるシュー生地に思いを馳せる。

軽いため息が聞こえた。


瀧口は本当に無口。

無口で、身長もすごく高くて、細いのになにげに筋肉質で、イメージとしては弓道とかやってそうなくらい男気と品のあるヤツなんだけど。

特技がまさかの、お菓子作り。


「甘党の俺としては見逃せないよねー」

独り言が漏れ、瀧口に冷たい目で見られた時にオーブンが焼き上がりを告げた。

「ぅおっ!!焼けた?!焼けた?!」

テンション再上昇で瀧口を振り返ると、既にすぐそこにいて

「離れてろ」

ぽん、と頭にトレーを置かれた。

それを受け取りオーブンの前から退くと、瀧口は中から焼きたてのシュー生地が乗った鉄板を取り出す。
生地を1つ1つ丁寧に俺の持つトレーに載せると

「…」

瀧口は ぴ、とさっきまでいた所を指した。
そこにはクリームが置いてある。

「おっけー」

俺はトレーをクリームの元へ運ぶ。
瀧口はオーブンを元の状態に戻すと、そのままこちらに来た。

皮を二つに切る。
クリームを搾り袋に入れる。
クリームを搾る。

そのすべての動きに無駄がなく

(カッコいーよなぁ…)

俺はただ呆けて見てるだけ。

甘いものは好きだけど専ら食べるだけだから、こんな風に作れるのはすごい尊敬する。



最初はただ、甘い匂いに釣られてここに来たのだけれど

そしたら、顔だけは知ってる同級生がいて

器用にお菓子を作ってて

とりあえずもらったら


もうすげー美味しくって


そっから毎日、放課後は通い詰めてる

瀧口のお菓子を食いに

毎日毎日、瀧口が作ってくれるから

でも…さ


「く~~っ…うまーいっ!!」

思わず叫ぶ。

皮はパリパリ、クリームは柔らかく、甘すぎない上品な味。

美味すぎる。

しかし当の作った本人は

「…うるさい」

相変わらずの仏頂面。本当に無愛想だ。

「いーじゃんかぁ、ホントのことなんだし」

口を尖らせて反論するも、瀧口から大した反応は無し。
ただ黙々と自分の作ったシュークリームを食べている。

このままだと沈黙が続いてしまうだろう。
だから俺は聞かれてないことも勝手に喋る。

「俺甘いものすげー好きだから、よく“何が一番好きなの?”って聞かれるんだけどさ、何が一番とかってないんだよねー。洋菓子も和菓子も何でも一番なの!」

シュークリームをもう一つ口へ運ぶ。

あれ、そういえば…

「瀧口って、何のお菓子が一番好きなの?」

作る人はやっぱり、作るのと食べるのとでは好みが違うかもしれない。

もしかしたら色んな話が聞けるかも、とワクワクしていると、瀧口はこちらを見て

「…俺は」

シュークリームを飲み込むと

「そうやって美味そうに食べてるお前が一番好き」

と、言った。


………………え?

「は、い?」


変わらない表情、変わらないトーン

なのに今……告った?

何かの間違いだろうか、大体俺はお菓子じゃないし

ってゆーかそんな雰囲気でもないのに

何で突然……


「…!」

目が合った。
それだけでドキドキする。


そんな雰囲気じゃない…本当に?

違う、もうとっくにそんな雰囲気だった


だって俺はこんなにも


「え、と……じゃあ…付き合う?」


お前の反応が欲しくて仕方なかったんだから



甘い甘い、お菓子が並ぶ

きっと俺は、瀧口に餌付けされてた



「…どっちでも」
「えっヤダ付き合う!」

クリスマスにきみと。

「あー……ってゆーかさぁ」

向かい側の親友はけだるそうに言ってきた。

「ん?」
「何でクリスマスなんだよ」

今日は街も踊りだすクリスマス。
外はイルミネーションも人々もこぞって騒がしく、またカップルで溢れかえっている。

「何でって……2000年くらい前の今日、イエスが生まれたからそのお祝いとして…」
「そうじゃなくて!!!!」

バン!!と机を叩いて立ち上がる。

ここは行きつけの喫茶店だが、クリスマスということで客もそこそこ多い。それらが驚いてこちらを見る。

「何でわざわざクリスマスの今日!毎日イヤってほど顔合わせてるお前と!毎日イヤってほど来てるこの店で!しかも勉強なんざしなきゃなんねーんだ!!」

相手は相当ご立腹。おかげで声のボリュームを調節出来てない。

俺はいつものコーヒーを飲んで

「仕方ないだろ、受験生なんだから。とりあえず座って落ち着いて。うるさい」

静かに正論を言った。

親友はまだ何か言いたそうだったが、返す言葉が無かったのか荒々しく座る。

「……クリスマスだぞ」
「知ってるよ」
「普通はさ、可愛い彼女とさ、二人っきりでさ、ロマンチックーな夜を過ごすもんでないの」
「家族でのんびりチキンとケーキ食ってる方が俺は好きだけどね」
「18の男子高校生だぞ!カップルで過ごしたいだろ!」

ドン!と机に拳を叩きつける。
こんだけ殴られちゃ机も災難だ。

「なに、じゃあどうしたいの。お前彼女なんかいないでしょ」
「ハッキリ言うなバカ。いねぇからこんな騒いでんだ」
「…はぁー…ホント何したいんだよ。勉強してた方がよっぽど有意義だろ」

さすがに意味が分からなすぎて呆れる。
すると相手もそれを感じたのか

「…んな顔すんな。俺だってよく分かんねぇんだから」

ぷいっとそっぽを向いて拗ねてしまった。

「俺だって別に受験生だって分かってるし、お前と一緒にいるのが嫌なわけじゃねーけどさ、なんかすげー虚しくなるじゃん。…クリスマスってだけでさ」

口を尖らせて目を伏せる。


このまま放っといても可愛いんだけど

…ま、せっかくのクリスマスだし


俺は持っていたシャーペンで机をコンコンと叩き、親友の注意を引いた。

「…なに」
「じゃあ付き合う?」

恋愛に飢え貪欲な男子高校生。この意味が分からないはずもなく

「………は…あ、え?」

見たことないくらい驚き、変な声を出した。
思わず笑う。

「“クリスマスに”、“恋人と”、“カフェで”、“勉強会”。ほら、なんか受験生カップルっぽい」

俺の説明に、親友は目をしばしばさせたまま動かない。

「……え、………いや、は?お前何言ってんの?」
「ん?だから、お前がそんな恋人欲しいってなら立候補するよって」

そう言うと、途端に相手は泣きそうな顔をして

「…バカじゃねーの…」

さすが親友、冗談ではないことを受け取ったらしい。
そう言うなり俯いてしまった。

「お前よりバカじゃないよ」
「……うるせ」

持っていたマフラーに顔をうずめる。
はあー…という大きなため息が聞こえた。

「……マジ?」
「まぁ、それなりに」
「…はっ、何だそれ」

親友は思わず笑う。俺もそれを見て微笑うと

「良いんじゃん?」

そう言ってきた。思わず驚く。

「クリスマスだしな」

親友ならぬ恋人は、不敵に笑った。


不覚にも、少しドキドキしてしまった。

カタコイ。

逢いたい、なんて思ってると、
会えたりするから。

運命なんて、ガラでもないものを信じてしまう。


いや、本当はそんなロマンチックな事実は無くて
自分で仕組んだだけなんだけど


「おー、今帰り?」
「あっはい。お疲れ様です」

終電近い駅は人の気配もなく、そこには自分と新田さんだけ。

うん、計画通り。

「残業だろー?部長相変わらず人使い荒いのな」
「新田さんがいきなり総務に行ったりするから、人手が足りなくて大変なんですよ」
「あれ、俺のせい」


そう、あんたのせいだよ。

突然異動させられて一緒にいられなくなったあんたに会いたいがために、
残りたいがために残業引き受けて

愉快そうに笑う声とか聞きたくて
人懐こい笑顔とか見たくて
バリケードだらけの俺を懐柔した手とか

こんな、

こんな女々しい自分、なんとかしたくて



「…鷹岡?」

覗き込む顔。

「大丈夫か?」

面倒見のいい、おおらかな、気さくな、ただの先輩が、
大勢いる後輩の一人を、心配しているだけ。

だけ、なのに
単純にも鼓動は高まるから


「…大丈夫ですよ。新田さんこそ今大変なんじゃないですか?総務って良い噂聞かないですよ」

話をなるべく、仕事へ、仕事へ。
ごまかす術をこれ以上知らない。

新田さんは人が良いから、素直にはまってくれる。

「あーそうなんだよなぁ。さすがにみんな仕事は出来んだけどさ、ヤな奴ばっか」

やんなっちゃうよなー、なんて子どもみたいなことを苦い顔で言う。

「新田さん営業向きですもんね」


なんて、言いながら
営業にいたら会えなかったのに


「なにそれどういう意味?」
「人当たりが良くて足で働くタイプってことです」
「あー、まぁそれだけ言うとな」
「営業嫌なんですか?」
「あいつら裏表激しくね?」
「はは、営業スマイルですか」
「そ。あれ性に合わね」

言いながら、上体を反らして伸びをする。


そこに、いるだけで嬉しい
二人きりの空間が楽しい

あと5分経てば終わってしまう時間が
こんなにも

愛おしい
愛おしい
愛おしい、のに。

愛おしい、から。

自分からは延ばせない
終わりを受け入れるしかない

距離も、時間も、
いつも一定を保ったまま


なのに


「ま、よーするにさ」

新田さんは身体を直してこちらを見る。

「俺は経理が好きだったんだよ」

頭に手を置かれて、ぐしゃ、と、乱暴になでられた。


大きな手。
やさしい、頼もしい、ぬくもり。


「……」

そう、このひとはこうしていつも
俺の入れない距離を埋めるから

いとも簡単に、
俺が無理矢理納得した距離を、関係を
歪めようとするから


“好き”とか、言うなよ

あんたの“好き”はこんなにも
嬉しくて
寂しくて
ドキドキして

あぁ、本当にあんたが好きなんだって
身に染みて感じる


顔を上げられない。
すると

「よし鷹岡!呑み行くか!」

バン!と勢いよく背中を叩かれた。
思わず顔が上がる。身体が反って倒れそうになった。

「ぁっ…ぶな!え、今からですか?」
「あー確かに」

終電も近い今の時間、いくら今日が金曜日でも店なんか見つけられるはずもなく

「よし、じゃあ俺の家来い。宅飲み奢ってやる!」

新田さんは提案した。
それを、咀嚼し、反芻し、そして

「……はっ?!」
「明日休みだろ?お前独身だろ?あ、彼女いたりすっか?」
「い、いないですけど…」
「じゃあ条件は俺と一緒だ。な、先輩命令」

に、と不敵に笑って肩を組まれた。

拒否権無し。
この酒豪と、宅飲み。
恐らく、お泊まり。

「……」
「おっ、電車来るぞー」


これは、ヤバいことになりそうだ。

マカロン

「マカロンってさ、なんか嘘くさくね?」
「お前それ今言う?」

パティシエの匠さんは顔をしかめる。

調理台の上には大きな大きなケーキ。それを挟んで向かい合う俺と匠さんの関係は、実はただの依頼人と職人。

ケーキの周りに装飾されている色とりどりのマカロンは、食べ物にしては奇抜な色をしている。

「だってさ、なんか色すごくね?これとか青いし。水色?」

余りのマカロンをつまむ。匠さんは

「いーんだよ、色が欲しい時にはそいつに助けてもらうの」

仕上げのクリームを搾りながら答えた。
俺はつまんだマカロンを食べる。

甘い。
でも甘いだけで、味はよく分からない。

「青って大概牽制されんだろ?でもマカロンは人気だからさ、青くても許されんだよ」

匠さんは軽く笑う。

「形の可愛さと色を、人気ってだけで使う。お前と一緒」

こちらを見て、アイドルの俺を笑った。


まぁ、確かに
間違っちゃいないけど


「好き嫌い激しいとことか」
「そーだな」

ぴったりじゃんか、と言いながら、匠さんはケーキを完成させていく。
この大きな大きなケーキは、友人の結婚を祝うケーキ。

「俺はマカロン嫌い」

作っといてもらって俺はそんなことを言ってしまう。

そんなとこも嫌い。


ぜんぶぜんぶ、キライ。ダイキライ。



なのに

「あっそー。俺は好きだけどね」

匠さんは余りのマカロンを口に放り込んだ。

「作る側には都合いいからな」

お得で、多彩で、人気で売れる、と笑う。
それから

「実は寂しがり屋なところとかな」

単体では売らねーもん、と言い

「でーきた!こんなんでどーよ、クライアントさん」

泣きそうになる俺に、匠さんは笑顔で聞いてきた。


完成したケーキはマカロンを飾られて
それでもキラキラ輝いていた。

行かないで、なんて

よく晴れた夕方の畦道を歩く。

ヤツの少し後ろを、長く伸びてヤツに踏まれる影を見ながらゆっくりと。


「なー」

不意に、ヤツが呼んだ。
前を向いたまま、歩みは止めないまま。

ゆっくり、ゆっくり。

「んー?」
「俺さぁ、お前より一緒にいたい奴っていないよ?」


静かな田舎道。ゆっくり歩く一本道。
影はヤツに向かって真っ直ぐ伸びる。

まっすぐ、まっすぐ。


「……なにそれ」
「んー、告白?」

ふふ、なんて、おどけたように笑う。

「…分かりづらぁ」
「え、そう?」

照れ隠しに顔をしかめてふざける俺に、ヤツは振り返る。

止まった。
俺も止まるしかない。

向き合った。

「“好き”とか“愛してる”って言うより、よっぽどリアルな気持ちなんだけど」

ヤツはまぶしそうに目を細めて笑う。


まぶしいのは俺の方だ。


「…で、俺の気持ちを知ってもキミは行くのかい?」

今度はヤツがふざける。照れを隠す。
少し笑えた。

「…まぁ、ね」


俺はここを出ていく。

ここよりもずっと、夢も希望も、また現実も
何もかもが揃った都会へ
俺に合うものを探しに行く。
夢を見て発つ。


「そっか…」

ヤツは実家を継ぐためにここを離れない。
もうずっと前から決まっていて、もうずっと前から決めていたらしい。

俺たちは、別々だ。


「…なぁ」

また、呼ばれる。

「俺のこと好き?」

ふざけた様子のない、やさしい笑顔。

「…まぁね」
「好き?」

強制らしい。俺は思わず笑って

「好きだよ」
「うん、俺も好き」

ヤツは頷く。


ともすれば崩れそうな決意。
俺は必死で保った。

保つしかなかった。
離れなくちゃいけないんだ、ここから。


「……いるからさ、ここに」

ヤツは踵を返し、また歩き出す。
俺も後ろをついていく。

ゆっくり、ゆっくり。

「いつでも帰ってきて…いいから」

震える声。
影に向けていた視線を背中に向ける。

夕陽の当たる、俯いた背中。

「……無理すんなよ」

必死でしぼり出したような言葉は涙混じりだった。


だから、俺は

「…あぁ」

少し早く歩く。距離を縮める。
追いついて


触れた。


「忘れないから。…絶対」



鼓動を感じた。
変わらなかったはずの身長は、いつの間にかヤツの方が大きくて


少し、悔しかった。

神風

目の前にそびえるは、爆弾を積んだ小型飛行機。
簡素な作り、粗悪な金属。
パラシュートも無ければ着陸機能も無い。

つまりは、操縦可能な巨大ミサイル。


こんなもの、あってもなくても結果は変わらないだろうに


奥歯を噛み締める。
すると横から

「なんて顔してんですか」

呆れたような笑った声がした。

及川新二は二つ年下だが、新入りで背が高い。
足が悪く、今まで徴兵されなかった。
明るく真面目、ゆえによくそばについていて、出会ったのは数日前ではあるが、信頼における部下である。

しかしそいつが、昨日

「…及川」
「はい」
「……」

宿所を抜け出し、一人で泣いているのを見てしまった。

「…伊吹さん?」


怖いに決まっている

笑顔と真剣な顔しか見せなかった及川

その恐怖を、ずっとしまい込んでいた

及川に限ったことではない

ここにいるやつらはみな、死に向かう作戦を与えられている


「…伊吹さん」

及川が呼んだ。そちらに目を向ける。

「笑ってください」

思わず、目を見開いた。及川は笑顔だ。

「最後なんですから、笑って見送ってください」
「…しかし…」

眉をひそめる。


笑えるわけがない

こいつが本当は泣きたいんだと思うと、余計に


すると及川は

「じゃあ、約束しましょうか」

いたずらっぽく言う。不思議そうに見ると

「必ず、また会いましょう」

真っ直ぐこちらを見て言った。
迷いの無い笑顔だった。

何を意図としているのかは分からない。
ただ、その言葉には

「…そうだな」

笑顔で返さねばならないような気がした。

どうか、せめて苦しむことの無いよう護ってほしい

祈りを捧げるよう、飛行機を見つめた。

すると不意に、ふっと影が出来る。暗くなる。

何だ、と尋ねる瞬間前に、そいつの顔は目の前にあった。

触れるは唇。

軽い口付け。

「………」

あまりに想定外の出来事に何も言えないでいると、及川は

「もうこれで、何も思い残すことはありません」

穏やかに笑った。




エンジンが回る。
一帯が、凄まじい轟音であふれ返る。

右に並ぶは、見送りの女生徒。左には、自分より位の高い上司。
目の前には、及川の乗った飛行機型ミサイル。

何機をこうして見送ってきただろう。
今日も、ここに並んだ十数機が飛び立ってゆく。

死に向かい飛ぶ、それを止めることも出来ず、それに乗ることも叶わぬ半端な階級。

なんのためにここで生きるのか。

これでは、人殺しと同等だ。


「…及川!!」

ありったけの力で叫ぶ。

無線も持たない彼は、それでも気付いた。

「死ぬなよ!!」

エンジン音の中、聞こえたことが奇跡だった。

及川は一度驚いた顔をすると、今までで一番嬉しそうに、楽しそうに笑った。

敬礼をする。飛行機は飛び立つ。


言わば、綺麗な嘘だ。

もう二度と、今生で会うことは無いだろう。

ならばせめて、次の世で出会えたら。

そう心穏やかに願う。


「…伊吹少佐、だったな」

チャ、という金属音が、耳元で鳴った。
同時に、女生徒の小さい悲鳴。

上司から頭に銃を突き付けられているのは、見ないでも理解出来た。

「例え少佐だろうと罪は罪だ。今の言葉、天皇陛下への反逆と見なすぞ!」


“天皇陛下に捧げた命”…

ゆえに、命を賭して敵を倒すは美学である。

それがこの世の常識であり、教育。


「…こんなこと間違ってる」

呟くと

「……なに?」

上司の怒りが増した。
気付かれないよう、腰の銃を抜く。

「こんな作戦は、…もうたくさんだ」

銃口を、自らの左胸に押し付けた。
一発で心臓を射抜く。


共に逝こう、及川


遠くで、爆裂音がした。







桜が咲いている。

あたたかな陽気につい眠くなり、大あくびをかました。



大学に入って2回目の春は、去年と違って少しの緊張感もなく、また長すぎる春休みで勉強のことなどすべて忘れそうだ。

休みボケをしたような、浮かれたキャンパス内。


柔らかな風が吹き、桜が緩やかに散る。

そんな穏やかな時間。


突然

「…?!」

後ろから腕を掴まれ、引っ張られた。

力のまま振り向く。そこには

「……」

ものすごく驚いた顔をした男がいた。


少しだけ長い茶髪、端正な顔立ち、高い身長、細い体つき。
世に言うイケメンというやつだろうか、人気高い男性アイドルのようだ。

引っ張られたもんだから知り合いかと思ったら、全く知らない顔でさらに驚く。

「……おい」

目が合ったままその姿勢で固まっているので、耐え切れず呼び掛けた。
すると

「…え、あっはい!」

パッと手を離し、突然姿勢を正してその場に直立する。

その、こちら側の指示を待つかのような姿勢に

「何か用があったんじゃないのか?」

半ば呆れて聞くと

「あ…いや、その…」

なんとも煮え切らない態度。少し不満を顔に出すと

「…どっかで…会ったことあります?」

そんなことを聞いてきた。


少し、記憶を辿る。

見たことのない顔だ。

大体こんな目立つ顔をしてるんだ、知っていたら覚えてないはずがない。


「無いな。人違いだろ」

人付き合いは得意ではない。
事実のみを、質問には答えのみを返す。
だからよく無愛想だと言われる。

普通これぐらいぶっきらぼうに答えれば、たいていの人間は怯んで行ってしまうのだが

「そうですか…。…あ、俺、及川新二って言います。先輩は?」

なぜか、にっこりと笑顔で自己紹介された。


…なんだこいつ

1年か…?なんで先輩だって分かんだよ


「…伊吹健一」

とりあえず答えといた。及川は

「伊吹先輩、よろしくお願いしますね」

また、笑った。



確かに、懐かしいような錯覚を覚えた。

エイプリルフール

ケータイが、鳴った。

「…はい?」
『あ、もしもし吉岡?久しぶりぃ』

軽い言い方、低い声。懐かしい。
何年ぶりだろう。
何年ぶりかなのに、軽い。

「おぉ何、どうしたよ」
『いやさ、やっぱ親友に一番に報告しとこうと思って』
「何が親友だよ…卒業してから全然連絡取ってねぇだろが」
『あはは、まぁ確かに』

相変わらずいいかげん。
でもこのノリがなんだか楽で、確かに学生時代はいつもつるんでいた。

もう、何年前のことか。

「で?なに報告って」
『あぁ、うん。あのさ』

ほんの少しの間。
それからたぶん、笑顔の声で

『俺、今度結婚すんの』

確かに報告をされた。

「……え、なにエイプリルフール?」

カレンダーを見て確認。しかし

『ははっちげーよ!絶対それ言われると思ったけど!』

相手は笑って一蹴。
どうやら本当のようだ。

「へー、結婚。お前がね」
『それも言われると思ったけどその言い方ひどいね?』
「いやいや、予想の範囲内ならひどくねー」
『や、十分ひどいし』

笑う声。
懐かしい。

遠い。
今では、すべて。

「なに、会社の人?」
『そ。後輩でね。かーわいーんだけどちょー厳しくて』
「あーお前好きそう」
『スゲーお堅いの。真面目ちゃん。だから軽めに行ったらマジで拒否られて』
「ははっ、そりゃそうだろ」
『でも可愛くてさ、純粋で真っ直ぐで。頑張ったよー俺。落としました』
「あそー。良かったなー」
『うっわテキトー。変わんないねお前』
「ノロケ聞かされて俺が食いつくとでも思ってんの」
『思わねー!』

けらけら笑う声。

あぁ、懐かしいな。
もうあの頃には戻れないんだ。

「で、その娘と結婚すると」
『そー。4年付き合って、ようやく』
「おぉ、お前にしては長ぇじゃん」
『だろー?本気だったからさー、今回』
「頑張ったな」
『おーよ、もっと褒めろ』
「ははっ、すごいすごい」

ふざけたように喜ぶ声がした。


感傷、とか

笑える



「平井」
『ん?』
「好きだったよ。…ずっと」

沈黙。
目の前にしないから、それがどんな意味なのかは分からない。

だから

「…ばぁーか。エイプリルフールだよ」

先に口を開いた。
笑ってやった。

『…な…なんだよお前~!』
「ははっ、お前ホント単純だな」
『うっ、うるせ!』
「で?俺はそのうち来る結婚式のスピーチでも考えとけばいいわけ?」
『…あ?あぁそうそう!よく分かったな!』
「分かんだろそんなん」

笑える。

そうだ、笑ってなくちゃな

『じゃーそれ頼める?』
「あぁ、いいよ」
『おっサンキュー!日取り決まったら連絡するよ』
「おぉ、おっけ」

用件の終わった電話。
そこに、俺たちは意味を見出ださない。

それが俺たちの距離。

『…っと、じゃあ、また』
「あぁ、またな」
『ん、はーい』
「平井」
『え?』
「おめでとう」

ようやく、言えた。
心の底から笑えた。

言わなきゃいけなかった、友人を祝う言葉。

「幸せにな」

自分でも驚くくらい、穏やかな声が出て

『…おぅ』

機械越しの声の方が、涙混じりのような気がした。

「じゃ」
『うん、じゃあ』

電話を切る。
結婚の報告を、わざわざ今日するなんて

「らしいねぇ」

笑えた。

天体観測

「星見に行こう!」

と誘われたので

「え、ヤだ」

とりあえず断った。


天体観測


「え゙っ?!なんで?!」
「…なんかベタな展開が見えた」

中沢は同学年。
高校2年に上がり、違うクラスだけど選択授業で知り合った。

「ベタってなにさ!俺別に変なことしねーよ!」
「何だよ変なことって…。山登りとかすんだろ、どーせ。疲れて寝ちゃって星見えねーとか、次の日筋肉痛ーとか目に見えてる」

むきになって反論してくる中沢に呆れながら、俺がため息をついて説明すると、中沢は

「……」

真っ赤になって固まる。

「…お前何想像したんだよ」
「わっ、そんな山登りとかしねーよっ?!むしろ平坦!ちょー平坦!電車乗るし!」

呆れる俺にかぶせて慌てたように大声で釈明。
て、ゆーか。

「電車?金かかんじゃん」
「あーそりゃまぁー…それなりには」
「は、無理。他の奴誘え」
「ぇええ~っ?!」

俺が踵を返して離れようとすると、中沢は大口を開けてまた大声。
ガシッと肩を掴んでくる。

「ちょ、重い…」
「俺は笹木と一緒に行きたいのー!!」
「別に俺じゃなくたっていいだろが…」
「いぃぃーやぁぁーだぁぁー!」
「うっさいなーもー」

こうなった中沢は頑固だ。ちょっとやそっとじゃ折れない。
本当に嫌なことなら俺も手を尽くすが

「……で、いつ行くんだよ」

俺もたいがいこいつには甘い。
たぶん、瞬時に喜ぶこの顔に弱いんだろう。
惚れた弱みという言葉があるが、惚れられた弱みというものも恐らく存在する。


こいつ、中沢は、どうやら俺のことが好きらしい。



「笹木ぃー!」

待ち合わせ時間の5分前に駅に着くと、中沢はすでにそこにいて、俺を見つけるなり大声で呼びながら手を振ってきた。

「うるさい、ハズい」

開口一番そう言うも、中沢は

「笹木の私服新鮮!初めて見た!」

満面の笑顔で俺を迎える。


まったく…恥ずかしい奴め


「なんでもいーけど。どこ行くんだよ」

待ち合わせは高校近くの駅。それから先どこへ行くかはまったく聞いていなかった。
俺が聞くと、中沢は楽しそうに笑って

「すっげー田舎!!」

ものすごい曖昧な答えをくれた。





ガタゴトと電車に揺られながら、外の景色に緑が増えていく。
高校近くの駅は色んな路線が通っていて、そのうちのひとつはかなりのローカル線。それに乗った。

「この線初めて乗ったかも」

なんとなく呟くと

「なんも無いからね」

中沢は苦笑する。

「住宅街も無くなったよな」
「なー。こっからはホントに田んぼと畑しかねーよ」

という割には、楽しそうに笑う。
俺は

「この終点だろ?」

マジかよ、の意で確認すると

「そう、終点」

マジです、と中沢は頷いた。



なんてことない会話を繰り返す。
なんてことないことを思い出す。

2年に上がってすぐの地学の授業。
選択者があまりにいないせいで、全クラス合同になったこと。
座席が自由だからテキトーな場所に座ってたら、なぜか真っ先に中沢が隣に座って来たこと。
それから授業がある時はもちろん、無い時も俺を見つけては楽しそうに話しかけてくること。

その視線が、妙に
友人に向けるそれとは少し違うことに、気付いたこと。

視線を感じて振り向けば、たいていそこには中沢がいたこと。
目が合っては慌てて逸らされ、その顔は真っ赤だったこと。
俺が教科書を忘れて見せてもらった時、ふと顔を上げるとものすごい近くで目が合い、中沢が驚きすぎてイスから転げ落ちたこと。


どの行動を見ても、自意識過剰だと捉えるにはあまりにも不自然で
でも

(…好き、とか…な)

にわかには信じられない。
そもそも、中沢からハッキリ伝えられたわけじゃない。

確証は、ない。


だから、結局はそのままだ。
何もしない、何も出来ない。

そのまま放っとくだけ。

(何も無いなら無い方がいい…)

面倒はごめんだ
恋愛なんてめんどくさい

しかも男同士、なんて
一時の気の迷いか勘違いか
どちらにしろ恋愛ゴッコ


「笹木ぃー、次終点だぞー」


全部間違いだったと、いつか気付いてしまうならば


「うわ、もう誰もいねぇじゃん」
「まぁ車庫ぐらいしか無いからな」


後悔なんてしないような道を、どうか
自分の手で


(…選べよ、頼むから)




簡素な駅を出ると、そこには

「……」
「な、すっげー田舎だろ」

田んぼだけが広がっていた。

「マジでなんもねぇんだな…駅前にコンビニくらいはあると思ってた」

どこかを目指して進む中沢の後ろを、周りを見回しながらついていく。
辺りは夕日で赤く染まり、びっくりするぐらい静かで誰もいない。
ものすごく遠くに民家が見える。窓が光っていた。

「でもさ、なんかよくね?静かでさ、でも無音じゃないっつーか」

ほら、と上を指す中沢。つられて上を見た。

風が吹き抜けて
緑が揺れる音がして

確かに
静かなのに、やさしい音があふれて


「…だな」

笑顔がこぼれた。
やさしい気持ちになれた気がした。

中沢が微笑ったのも、何となく分かった。

「で、どこ行くんだよ」
「それは着いてからのお楽しみー」



勿体振って着いた場所は、駅から少し歩いたところにある神社だった。
着いた頃は太陽も沈みかけていて、辺りはどんどん暗くなってきている。

「この中に良い場所があってさ」

鳥居をくぐり、石段を上がっていく。
森のように鬱蒼とした神社の敷地内は今の時間とても暗く、少し離れるとすぐに見失ってしまいそうだった。


つかず離れず、中沢を追う。
自分たちの足音と、周りの木が揺れる音がする。

「はい、とーちゃく」

着いたところは、当たり前に本殿だった。

「まずはお参りしまーす」
「え、すんの?」
「そりゃね」

とりあえず中沢の言う通り、名も知らない神に参拝をする。
それが終わると

「で、こっちこっち」

中沢は俺を手招きし、本殿の裏へと回った。

「え、ちょっ…いいのかよ」

慌ててついていく。真っ暗な神社はなかなか不気味だ。
中沢が行ったであろうところを進むと

「ここだよ」

少し開けていて、小さな広場みたいに草が刈られていた。
中沢はそこに座ると

「ん、どーぞ」

ぽんぽん、と座るよう促す。

「あ、うん…」

とりあえず従い、隣に腰を下ろした。
すると中沢は

「見てみ」

上を指す。言われるがまま、空を仰いだ。



「ぅわ…っ…」

そこには、普段見ることのない満天の星。

白い、ちいさい、たくさんのひかり。


「すげーだろー」

空を見たままアホみたいに口を開けて動かない俺に、隣で中沢は楽しそうに笑う。

「…すっげぇ…こんなの初めて見た」

びっくりする。
星はこんなにあったのかと思うと、今まで見ていた空がいかに暗かったのか思い知らされる。
なんて暗かったのだろうと悲しくもなる。

星は、いつでもこうして
俺たちの上で輝いていたのに

気づけない、気づかない
知っていたのに


…知ってる、のに
見るまで気づかないのは
それは、
気づかないフリ?



「…中沢」

後ろに手をつき星空を眺めながら、俺は中沢を呼ぶ。

「ん?」
「何で急に星見に行くことになったんだ?」

かねてから気になっていたこと。
誘われた時はどうでもよかったけれど、なぜ突然星を見に行くことに誘われたのか。

中沢は

「あぁ、そうだよな」

頷いて星空を見上げる。

「俺の家あの乗ってきた路線沿いなんだけど、この前部活帰りに寝過ごしてさぁ。気付いたらもうこの駅で、慌てて降りたんだけど勢いで改札まで出ちゃって」



気付いたら田んぼが広がっていた。
何も無い景色に妙に惹かれて歩き出した。

歩いていくとそこには神社があって


「…で、ここを見つけてさ」


バカみたいに星が見えた。
こんな景色は初めてだった。

あまりに綺麗だから
誰かに見せたくなった。



「で、あれから晴れて月も眩しくない今日、見に行こうと誘ったわけです」

へへ、と笑う。
なるほどそういうことか、と俺は頷く。

それから

「じゃあさ」

上へ向けていた顔を、今度は中沢へ向けて

「何で俺なの?」

真っすぐ見た。

「……え、と…その…」

目が合うと中沢はうろたえ、そのまま俯いてしまう。
真っ暗なため表情は見えないが、真っ赤になっているんじゃないかと思う。

ただの自惚れかもしれないけど。

「……あ、のさっ…」

突然顔を上げてこちらを見る。
目が合った。

もう、逸らされない。
俺の方が逸らしたくなった。

「……」
「お、れ…その…俺さ…っ」

心音が聞こえてきそうなほどの緊張。
目に見える不安。

ただ、ひたすら、まっすぐな想い。



気の迷い
勘違い
恋愛ゴッコ


…本当に?


例えそうだとしても

なぜか
そうじゃなければいい、なんて


今は、そう思って




「…っ…も、いい…」
「え?」

近くにある中沢の額を押し返す。

「ちょちょっ…な、なんでっ?」
「やっぱ言わなくていい…」

手の甲で頬を押さえ、中沢から顔を背けた。


やばい
今の俺はたぶん、中沢に負けないくらい真っ赤な顔をしてる

恥ずかしい
泣きたい
笑いたい

意味、わかんない


「……さ、笹木…?」

さすがの中沢も、俺の様子に違和感を感じたらしい。

「あの…俺バカだから…そーゆー反応されると……その…期待、するんだけど…」

中沢は近づいてくる。


うわ、なんかヤバい
こんな空気知らねーし
こんな真剣な顔知らねーし


「…すればいーだろ」


こんな俺も、知らない


「……へ?」
「期待。すればいーじゃん」

半ば睨みつけて言う。
でも分かる。顔は熱いままだ。

「…さ、笹木…?おま、言ってること分かってる?」

中沢はどんどん近づいて来る。

「わ、かって…つかお前近い、止まれ」

俺は距離を保とうと離れる。
奇妙な追いかけっこ。

本気で逃げる気がないからすぐに捕まった。
手を取られた。

「…笹木」

真剣な目。射抜くように見つめられる。

近い
のに、
逸らせなくなった。

あまりに真剣だから。


「……俺、…笹木が好き」

流れ出る感情。

「出来れば…その、付き合ってほしい、と、思ってる」

たどたどしい言葉。

緊張、
緊張、
緊張。

声が心音で震えて
泣きそうな顔とか
それでも真っすぐな視線とか


全部、輝いてるような


「…っ…ほっ…」
「ほ?」

近くに来ている中沢の口元を、とりあえず手の平で ぎゅむっと押し返し

「保留っ!」

答えた。


数秒の沈黙。呆気にとられた中沢の顔。
それから

「……くっ、はははっ!保留!保留ね!」

大ウケされた。

「なっ…わ、笑うな!」
「くくっ…や、悪い…だってお前、面白すぎんだろ…っ」

腹を抱えて笑う中沢。
なんだかムカついてきた。

「ちょ、中沢?!お前笑いすぎっ!」
「いやぁ、ごめんって」
「悪いと思ってないだろ!」
「思ってる思ってる」

笑顔のままの中沢。
こんなに笑われるとは思っていなかった。何がそんなに可笑しいのかも分からない。

バカにされてるみたいで腹が立つ。

「もーなんなんだよ!とりあえず離せっ!」

さっきからずっと掴まれてる手を振りほどこうとする。
でも中沢は

「ごーめんって。ただ嬉しかっただけ」

手を離すどころか逆に引き寄せて

「っ?」
「保留ってことは、脈アリってことでしょ」

抱きしめてきた。

「なっ…ちょ、おい!」
「もう遠慮しねーからなー。覚悟しとけっ」

楽しそうに言い、ぎゅうと力を強める中沢。
男同士で柔らかさも無いから少し痛かったけど

(……あ)

また、星が見えた。

キラキラキラキラ
無数の星は、ひどく楽しそうに輝いていて

ずっと見られているようで、なんだか恥ずかしくなった。

君を祝う星

一年に一度しか会いに来ない俺を、
周りは非情だと言うけれど。

「しょうがねぇよなぁ」

他でもない、お前に頼まれたことだ。





今日が誕生日のお前は、この七夕という行事が妙に好きだった。

「みんなに祝われてる気分」

なんて笑う。
短冊に欲しいものを書いて笹に吊したりするから、クリスマスじゃねーぞと笑ったら

「俺だけの特権でしょ?」

なんて言い返された。



体は元々強くなかった。虚弱ってほどでもないけど、頑強とは程遠かった。体育はほとんど見学していた。
でも学校も時折休むぐらいで、憎まれ口だって叩くし腹抱えて笑うし大声だって出すし。

だから知らなかった。言われるまで微塵も思わなかった。

「俺ね、もうそんな長く生きられないの」

俺たちと何ら変わりないと思ってたから

「だから、明日から入院すんだって」

ごめんね、なんて

カラオケに誘った返事に言われても、そんな簡単に理解できるわけなかった。



「…つーかさ、もしあの時俺がカラオケ誘わなかったら、お前勝手に次の日から入院してたわけ?」

病院の敷地内。
庭で車椅子を押しながら聞くと

「あ、バレた?」

くすくすと笑われる。
呆れた。

「バレた?じゃねぇよ」
「だってお前、絶対気ぃ遣うと思って」

こちらを少し見上げる。見るとすぐに逸らされて

「俺が病人だって知ったらさ、今まで通りってわけにはいかないでしょ」

背もたれに寄り掛かる。黒髪が揺れた。

「お前、絶対自分のこと犠牲にするから」


それを拒むように
だけど、それを欲するように

嬉しくて
悲しくて

そんな葛藤を、矛盾を
感じさせる声。


「……あ」

俺が何も言えないでいると、急に明るい声がした。
顔を上げるとそこには、綺麗に飾りつけられた笹。

七夕飾り。

「…そっか、お前もうすぐ誕生日じゃん」

車椅子をそちらに向かわせる。
どうやら病院で飾っているようで、入院しているらしき子どもたちが短冊やら星やらを飾っていた。

「そうだねー…今年は何お願いしよっか」

ふふ、と笑う。
俺は車椅子を笹の横にある机に寄せた。そこには色とりどりの短冊とペンが置いてある。

長方形の、淡く黄色い真っさらな短冊と青色のペンを取り

「……」

悩んでいるように首を傾げる。
俺も短冊とペンを適当に取って、机に合わせてしゃがみ何となく考えていると

「…あのさ」

呼びかけられた。

「ん?」
「怒らないで聞いてくれる?」

短冊を見たまま聞かれ、俺は

「うん」

とりあえず頷くと

「俺が死んだら、墓参りは七夕の日だけにしてね」

驚いて顔を上げる。目が合った。

「……」
「お盆とか命日とかさ、どーでもいいじゃん。来なくていいよ。つーか…お前は来ないで。お前は7月7日だけ、年に一回来てくれれば十分だから」

至って普通の表情。それから楽しそうに笑う。

「怒んなって」
「…怒ってねぇ」

俺を置いて短冊に書き始める。青色のペンが走る。

「お前性格的にさ、なんか事あるごとに墓参り来そうだから」

楽しそうに笑い、さらさらと書き上げた短冊を見せてきた。


“松宮が一年に一回、7月7日だけ俺に会いに来てくれますように”


「…何に願うんだよ」

呆れて言うと

「これ叶えられんのお前だけでしょ」

笑った。
キラキラしていた。




その1ヶ月後、お前は死んだ。

案の定、七夕は命日にならなかった。
けど俺はお前に頼まれた以上、こうして今日だけここに来る。

“山村家”と書かれた墓石の前に花束を置く。
その中に、白紙の短冊と数本の笹。

毎年のこと。

「…一年に一回しか会えないってか」

笑える。
今日にまつわる昔話みたいだ。
もしくはそれを見越して頼んできたのだろうか。

「……どっちが織姫だっつーの」

視界が少しぼやける。
空を仰いだ。相変わらず曇っていた。

星は今年も見えそうにない。
だけど

(…皮肉だよなぁ)

俺の記憶では、お前はいつも笑ってる。
キラキラ光ってる。


俺も笑おうと思った。
口角を上げた。



涙がこぼれた。


街中で飾られた笹は確かに、
お前を祝っているようだった。

きみが、すき

黒い服
黒い帽子
ほうきにまたがり、
真っ暗な夜空を飛ぶ。

相棒は、真っ黒いコウモリ。



「ターケールー。どこまで行くんだよー」
「ちょっとねー」
「また人間のとこ?いいかげんバレるよ?」

コウモリのクロは口うるさく言うが、タケルは楽しそうにほうきのスピードを上げる。

ここ最近のタケルの楽しみ。
ある人間に会いに行くこと。



森の中にある木造の家。
タケルはその屋根が見える位置で止まると

「ちゃんと見張っててね」

クロに言うが、しかし

「ねぇ、ボクも一回でいいから見てみたいんだけど」

毎度の見張り番にしびれを切らしたように、クロはタケルに頼んだ。

「えー?」
「だってボクいっつも見張りしてさ。タケルがどんな人間と会って喋ってるのか知りたいもん」

不満そうなタケルに、クロは精一杯翼をはためかせて抗議する。
乗り気でないタケルだったが、自分のワガママに相棒を付き合わせているという事実に若干の後ろめたさがあるため

「…ちょっとだけだよ」

クロの頼みを受け入れた。


ほうきとコウモリは、ゆっくり地面に降りていく。




「エースケ!来たよ!」

玄関でなく家の裏手でほうきから降りると、タケルはそこにある窓に向かって、それでも小声で呼ぶ。
するとその窓から

「また来たんだ」

柔らかな笑みをたたえて、人間の男が顔を出した。

人間ではまだ若い、10年ちょっと生きているくらいだろうか。
髪は色素が薄く、肌も白い。痩せていて、女にすら見えた。

「今日はクロを連れて来たんだ」

タケルは楽しそうに言う。クロは開いた窓の縁に飛んでいき

「クロだよ。キミがエイスケ?」
「うん。クロのことはよくタケルから聞いてるよ。ホントにコウモリなんだね」
「まぁね。エイスケのこともよく聞いてるけど、今日は会いにきた」
「ふふ、そっか。ありがとう」

エイスケは、ふわりと笑う。



それで、感じた。
におった。

クロはタケルの相棒であると同時に、魔法使いとして半人前であるタケルの使い魔で、お目付け役だ。
タケルよりもよっぽど、“その手”の感覚に優れる。


(この人間……)



「クロ?」

いつの間にかそばにいたタケルに呼ばれた。

「どうしたの?なんか来た?」

人間と関わることは、タケルたちの世界では掟破り。見つかったら大変なことになる。
クロがその気配を感じたのかとタケルは焦るが、今はそれじゃない。クロは

「ううん。大丈夫」

パタパタと羽ばたいて、相棒に答えた。


ふとエイスケを見ると、なんだか少し悲しそうに微笑っていた。




真夜中の鐘が鳴る。
タケルたちにしか聞こえない音。

「あ、…帰らなくちゃ」

それまで楽しく話していたタケルとクロとエイスケだったが、タケルのその一言で空気は一気に寂しくなる。

「じゃあボク、先に上がって見とくね」

クロは掟破りが見つかるのを恐れ、先に空へと飛んでいく。クロならば、誰かが近づいてきた時に分かる。

「うん、ありがと」
「…タケル」

パタパタと上がっていくクロを見送っていると、エイスケに呼ばれた。

「なに?」

振り向く。エイスケは

「…いつもありがとう。僕と…遊んでくれて。楽しかった」

にっこり笑う。タケルも

「僕も楽しいよ。エースケは話してるだけで楽しい。また来るからね!」

ニカッと笑った。

それを見て、エイスケは言葉に詰まる。
一瞬、悲痛そうな顔。今にも泣きそうな顔。
思わず俯いた。

「え、あれ、エースケ?どしたの?」

ぽんぽん、とタケルは肩を叩く。エイスケは顔を上げると

「…!」

タケルにやさしく口づけた。

「?え?え?」

意味の分からないタケルは、目の前の顔に答えを求める。
エイスケはいつものようにやさしく笑うと

「僕らの世界では、“感謝のしるし”を表すんだよ」

平然と嘘をついた。




「タケル、大丈夫そうだよ。早く帰ろう」

空に戻ったタケルを、クロは急かして進み出す。
後ろ髪引かれるようにタケルは振り返りながら

「…うん」

それでもほうきを出発させた。

「エースケ、いい人間だったでしょ?」

タケルはクロに、まるで自分のことのように嬉しそうに言う。
クロは

「…そうだね」

本当に、と頷いた。



クロには、分かった。

エイスケが、もう長くないこと。

療養のために、あの場所にいること。
隔離のために、あの場所に閉じ込められていること。


本来見えるはずのないタケルの姿が、何の魔法も施してないのに見えたのは、それは


(…もう、すぐにでも消えそうだった)


命の、ともしび。


それでも、クロには、またタケルにも、出来ることは何も無かった。

魔法は、人間には効かない。

その大原則もまた、クロは分かっていたからこそ


「次はいつ行こうかなぁー。いつなら行けるかな?」


楽しそうに、嬉しそうに、
次の再会を待ちわびる相棒に、何を言うことも出来なかった。



(奇跡を願う)

(それはもう、その手段しか残されてないからだ)

携帯依存症

いないと、不安。
イヤ。

いつもいてほしい。
そばにいてほしい。


いないと、嫌。駄目になる。



死んでしまう。




とか、



「バカじゃねーの」

心底呆れた声とため息が一緒になって出た。
それで一瞬、俺に絶望的な顔を見せるが

「そんなんで死んでたらライフ何個あってももたねーっての」
「冗談言ってる場合じゃねーだろ!お前も探してくれよ!」

ふざけてると分かったのか、またすぐに慌てて探し出す。


旅行先の宿でケータイをなくしたらしい西山。
普段から常に握りしめてそばにいるだけに、なくすとこのように尋常じゃない慌て方をする。


いわゆる、依存症。


「最後いつ触ったんだよ。風呂入る前に何か見てたじゃん」
「だから脱衣所も見てきたって散々!だけどねーの!」

すごい勢いで怒鳴られる。
いや俺にキレられても。

「あれは?フロント。届いてねーの?」
「行ったわ!あればこんな焦ってねーっつーの!」

西山はまたキレると、ひっくり返されている荷物をさらに漁りだした。

ため息が出る。



案の定、か



「…おい」
「あ゙?!なん……っ?!」

散らばった荷物の上に遠慮なく押し倒す。
目の前に顔。ひどく驚いた眼。


今、この瞬間だけは

俺だけが映ってる


「……なんだよ」

怪訝な表情。平気そうにしていても、眼の奥には恐怖が見える。
それに映るように、俺はポケットから出して見せた。

「なっ……なんでそれ!」

西山のケータイ。

取り戻そうと、西山が反射的に手を伸ばす。
それからは容易に逃れた。簡単には渡さない。

「ちょっ、返せよ!」
「ヤだよ」

左手で肩を押さえつけ、右手でケータイをちらつかせる。
西山はイラつきを見せた。

「なんでてめぇが持ってんだよ」
「お前が風呂入ってる間にちょろっと拝借を」
「理由は!」
「んー?言わなきゃ分かんねー?」

に、笑うと、西山はそれに反比例して表情を険しくする。


はは、おもしれー


「分かるわけねーだろ!つーかさっさと返せ!嘘つかれた意味も分かんねーし!」

空いている左手で俺が持つケータイを取り返そうと必死に動く西山。
それをかいくぐり

「っ?!」

西山の目の前、視点も合わないほどの本当の眼の前にケータイを突き出した。

「こればっか見やがってさ。ちょっとは相手しろよ」


依存症なのは、百も承知だけど。
にしたってヒドいから。

二人きりで旅行なのに、
西山は俺のこと全然見ないから。


「依存なら俺にすりゃーいいのに」

ぶ、とふてくされるが、西山は

「…なに、言ってんだ…?」

戸惑った顔。
俺は笑って

「あ、じゃあこれ返す代わりにさ」

ケータイを見える位置まで離した。

いつもと違う雰囲気、不穏な空気、狂気にも似た状況に、さっきまで騒いでいた西山も不安そうな顔で静かにしている。

俺は笑顔のまま

「キスさせてよ」

さっきのケータイの位置まで顔を近付けた。

眼の奥には、
恐怖と
驚異と
興味と、

未練。


それは貞操に対してか、
友人としての俺に対してか、
あるいは両方か。



(…もしくは、ケータイか)


それが一番可能性が高いな、なんて笑えた。
同時にムカついた。



噛み付くようにキスをする。

すべて奪ってやろうと思った。

spare

人は皆、かけがえのない存在なのだと

「まっつんレジお願い!」


…誰かがほざいていた。



双子の弟が彼女とデートだって言って出てってから、本屋に行ってマンガの新刊買わなきゃと自分も家を出て。
天気も良いからって一つ遠くの駅まで自転車で行って、駐輪場に停めて、さぁぶらぶらしようかなって時に

「あっ!!ちょ、まっつんまっつん!ちょうど良いとこに来た!!」

大声をかけられた。

それがあまりに大声だったから何事かと反射でそちらを見たら、コンビニ店員の格好をした見ず知らずのその人は俺の方へずかずかと近付いてきて

「バイト代出すからさ!ね!今日ヘルプ入ってよ!」

俺の腕を掴むなり、そう言いながらそこにあるコンビニに引きずりこんできた。

「えっ、ちょ?!」
「今日休日だからって油断してたら崎山くん風邪ひいたらしくてさー、僕一人なんだよね。ヘルプ頼もうにも誰も捕まらなくて、さっきまっつんにも電話したんだけど出ないからさ。これはもう一人で回すしかないかなって思ったらまさに救世主!まっつんが通りかかった!」

べらべらと一方的に喋られるが、その人と俺は全く面識がない。
でも分かった。生まれて17年も経てば慣れたものだ。

双子の弟と間違えている。

「あの俺は…」
「助かったよー!朝は頑張って乗り切ったんだけど、さすがに夕方からは無理だからさ。出来れば一日頼みたいんだけど…」

人違いを言おうとして遮られ、その人が振り向いた。
申し訳なさそうな、人懐こい笑顔。

「…どうかな?」

犬みたいに不安そうな、だけど気を遣って優しげな
そんな顔で頼まれたら

「……いいっすよ」

流されやすいお人よしは、本当のことを言って断ることなんか出来なかった。




顔は、やっぱり似ているらしい。
自分じゃ分からないけど、かなり親しい人じゃないと区別は付かないみたいだ。

体格も近い。
ただ弟の方が少しがっしりしている。俺の方がひょろい。でも並ばないと分からないらしい。

性格は違う。
弟は明るく快活で、友達も多い。彼女だっているし、典型的な人気者。口と頭は少し悪いけど、誰にでも優しくていわゆる好青年。当たり前にモテる。
対して俺はインドア派で陰気で、友達って呼べるのは数人。彼女は1回いたことあったけど半年くらいでフラれた。勉強はそこそこできるし苦じゃないけど、性格は良くない。当然モテない。


だから、見た目だけで間違えられると結構めんどくさいんだけど

(あいつ、バイト先で“まっつん”とか呼ばれてんだ)

弟と行動を別にするようになってからこんな間違いはよくあることだったから、むしろ慣れてきていて

(…ま、俺も“まっつん”ではあるし)

双子の弟のフリをすることなんて、兄からしてみれば今の歳で九九を暗唱するくらい簡単なことだった。

“松宮”と書かれたプレートが貼ってあるロッカー。そこから店員の制服を出し、袖を通す。
あっという間に着替え終わって鏡を見ると、ここでバイトをする弟が容易に想像できた。





バイト内容はさほど難しくなかったが、一人で回すには確かに少し忙しい。
俺を弟と間違えているその人は案の定店長で、180近くある俺よりだいぶ小さく、年上であろうに落ち着きもなく、まるで小動物みたいだった。

「あっ、まっつんごめん、これ上の棚にお願い」
「はーい」
「…あれっ、そこ違う違う。向こう側だよ」
「え、あぁー!そっか、こっちでしたっけ」
「そうそう。珍しいね、いつも僕が注意されるのに」
「店長は店長のくせに間違えすぎなんすよ。あと今日は俺、完全オフモードなんで頭働かないんす」

に、と笑ってみせると、くすくす笑ってた店長は眉を下げて

「うわぁごめんよぉ~!あとで奢るからさぁ~…」

泣きついてくる。俺は思わず笑って

「いっすよ、別に。バイト代さえもらえれば」

弟が言いそうなことを言うと、店長は少しきょとんとしてから

「…ホント、まっつんは男前だよ」

感心したように笑った。



くるくると表情が変わる。
ころころと笑う。
小さいからか、落ち着きなくいつもきょろきょろとしていて、
それでいて

「あ、それは後で僕がやっとくよ」

俺を子ども扱いするくらいには、大人。


弟がこのバイト場所を気に入って、しょっちゅう時間外勤務して、文句言いながらも嬉しそうな理由が

(…なるほどね)

なんとなくじゃない、よく分かった。





時折、ふと思う。

双子って、どっちか必要ないんじゃないかって。


見た目はほぼ同じ、声も区別しにくい、能力はどちらかが劣っていて
だとしたら、
劣っている方はいらないんじゃないかと思うわけで。


…とか言ったら確実に弟にキレられるけど。
でも仕方ない、必要性を感じないんだから。

だってこんなに近くにいても

「…?まっつん?どしたの?」

きょとんとして俺を見るこのひとは、それでも俺を呼んでるわけじゃない。

仲良く、親しげに、
まるで錯覚でもしそうなくらい
近くに来る、近くても拒まないのは

「…なんでもないっすよ」

俺が、
俺じゃなくて、

弟だから。



“かけがえのない存在”、なんて
ふざけてる。

こうして間違えられるたびに
“かけがえ”になるたびに

ふと虚しくなって
存在意義を失う。



双子って、たぶん

どっちかがどっちかのスペアだ。





音楽とともに、自動ドアの開く音。
レジに立ってた俺は反射的に

「いらっしゃいませー」

見ると

「……伊織?」
「あ、隼人」

自分と同じ顔が、ものすごい驚いた様子で俺を見ていた。


あー、ゲームオーバーか


「は、おま…何してんの?」
「んー…なにってまぁ…」

首を傾げてどう説明しようか悩んでいると、店の奥で作業していた店長が戻り

「まっつーん。そろそろシフト交代だから、最後チェック…して……」

固まった。

「店長…まさか…」
「…ぇっ…ぇぇええええ?!?!まっつんが二人?!」

呆れる弟そっちのけで大声で驚く。少ないながらもいた客もさすがに驚いてこちらを見た。
それに俺達は

「ちょっ…店長うるさい!」
「仮にも店長でしょー」

小声で諌める。

「えっえぇぇ…?ちょ、え、まさか双子…?」
「そうっすよ。言ったっしょ?前に」

弟が呆れて言うと、しかし店長は俺の方を見て

「そういえば聞いた気が……あれ?君がまっつんだよね?」

指を差す。
俺が答える前に弟が

「違いますよ!俺がまっつん!松宮隼人!こっちは兄の伊織です」

紹介したので、俺は

「ども」

曖昧に笑って軽く手を振った。
それに店長はまた

「えっ………ぇぇええええ?!」
「だからうるさいって!」
「だっ…だって…だって今日、ずっと仕事一緒に……」

呆然と俺を見る店長と、それは自分も分からないと言うように俺を見る弟。
それに答えるために

「…店長が俺と隼人を間違えて、断る暇も弁解する隙間も無かったんで」

いっかなと思って、と言うと、店長は固まったままぱくぱくと口を動かし、弟は呆れたように大きなため息をついて

「よくねーだろ…。そこはちゃんと弁解しよーぜ…」

がっくり肩を落とした。
それから

「まぁいーや。とりあえずもう終わりだからさ、伊織はそれ着替えてきていーよ。店長は…ちょ、店長?いー加減復活して。深夜はちゃんと誰か来んの?」

弟がテキパキ仕切っていく。
俺はその指示に従いながら、こいつってホントに仕事出来るヤツなんだなと改めて思ったことが一つ。

もう一つは

「こ、このあとは嶋くんが来るって言ってたから…」
「嶋さんなら大丈夫か…。もぉー店長しっかりしてよ。仮にも店長でしょ?」
「だ、だってぇ~…僕、てっきりまっつんだと思って…」
「否定しないアイツが悪いんだからだいじょーぶ。双子だし、区別なんかつかないよ」
「で、でも…」
「今日働いた分はちゃんとアイツにやるし」

泣きそうにうろたえる店長の頭をぽんぽんと叩いてあやす弟の姿を見て、思った。
感じた。


(……こんな時まで一緒か)


好きな食べ物
嫌いな食べ物
好きな音楽
嫌いな教科
ファッションセンスに笑いのツボに
好きな店
好きなタイプ
好きな動物

惹かれる、ひと。


(…ただ、)

気付くのはどうやら、俺の方が数倍早い。
弟はまだまだ無自覚で、それがダダ漏れしてるだけみたいだ。
もしくは、俺だから気付くのか。

どちらにしろ

(惹かれるだけ無駄か…)

弟と一緒じゃ、何にしろ敵わない。何も叶わない。
諦めてため息をつき、私服に着替える。

荷物を持って二人の元へ戻ると、店長がタタッと走り寄ってきて

「あの…伊織くん、だよね。ごめんね?勘違いで強引に働かせちゃって」

申し訳なさそうな顔。必然の上目使い。
俺は手を振って

「いや、俺が乗ったのが悪いですし。楽しかったですから」

大丈夫です、と言うと、店長は少し驚いたように目を開いてから

「…そっか、そう言ってもらえると嬉しいよ」

照れたように笑う。
それから

「これ、今日のお詫びと、お疲れ様でしたってことで」

僕からの奢りね、と渡されたのは、このコンビニで人気の弁当とスイーツとお茶。夕飯を食べ損ねた俺としては確かに嬉しい。
やった、と呟くと、店長は

「今日は本当にありがとうね、伊織くん」

満面の笑顔をくれた。



初めて、ようやく、このひとからもらった、
“俺”への、“俺”自身に向けられた言葉が

なんだか無性にくすぐったくて
恥ずかしくて

「……いや、べつに」

嬉しくて仕方ないのに、引きつって上手く笑えない。
すると店長は

「…なんか、どっちも見たからかもしれないけどさ」

楽しそうに弟と俺を見る。

「なんすか?」
「二人とも、結構タイプ違うんだね」

弟の問いにそう答えると、続けて

「まっつんはカッコいいけど、伊織くんは可愛い感じじゃん。顔は一緒だけどさ」

ふふ、と笑う。
それを聞いて弟は呆れ

「…散々間違えてた人がそれ言いますか」
「ぎゃっ。…まぁそうだけど」

二人は、笑った。

俺も笑った。
店長の一挙一動に、まるで重力に引かれるように
ずぶずぶと落とされながら
ぐいぐいと引かれながら

落ちながら
堕ちながら
墜ちながら

笑った。

I want

上着を羽織る。
黒に程近い紺色。詰め襟の学生服。
通称、学ラン。

この特殊な服を着るようになってから1年くらい。
でも、今日ほどこの格好が嫌だと思ったことはない。

それは例えば、もう6月で暑いから上着なんか着たくないとか、雨で蒸れて臭くなるのが嫌だとか、そんなことじゃない。それももちろん嫌だけど。


今日は、大安吉日。
今日は、俺の人生最悪の日。



「ジューンブライド挙げてやるんだ!」なんてカッコつけた、

従兄弟の結婚式。





式は教会。披露宴はホテル。
月並み。特に目立った演出もない、フツーの結婚披露宴。

フツーに、幸せそうな。


純白のウェディングドレスを見て、みんながみんな「綺麗だ」と口を揃える。
いつも地味で大人しそうだった人が、確かに綺麗なお嫁さんになってたから。

なんだ、あいつオミソじゃん、とか思った。



「おー!なんだよ健太!中学生みたいなカッコしてんな!」

挨拶してきなさいと親に言われたから来たら、孝にぃは既にだいぶ出来上がっていて

「なにそれ」
「いやだって学ランじゃん」
「見たことなかったっけ」
「ないない。前見た制服はブレザーだったぞ」
「あれ中学のだよ」
「知ってるよ。中学の方が高校生っぽかったな」
「それ孝にぃのイメージ」
「あれ?そう?」

発言が適当。軽い。

ホント、こんなヤツが結婚なんて
世の中どうかしてる


「そっかぁ、お前ももう高校生かぁ」

おっさんみたいに嬉しそうに笑う。
イトコのくせに。大人面すんなよ。

「この前まで黄色い帽子かぶってたのにな」
「は、何年前だし」
「いやぁ、俺の中でお前はずーっとそんなもんよ」
「言ったって、」

ちょっと、思いの外大きい声。
孝にぃの隣で自分の友達と話してたお嫁さんまで振り向いた。孝にぃも少しびっくり顔。


しまった。
ちょっと泣きそう。


「……言ったって、10しか違わねーじゃん…」

声小さくして、俯いて。
唇噛み締めたら余計に泣けてきたけど、でも

「…バーカ、10違ったらだいぶだろ」

孝にぃはいつもみたいに笑うから。


ムカつく。
なんか、ヨユーって感じで。
オトナって感じで。

こんなことで泣きそうになってる俺がガキだって
見せつけられたみたいで



「呑むか?」

差し出してくるシャンパン。
オトナと、コドモの、無理矢理引いた境界線。

俺はコドモ側。
孝にぃはオトナ側。

「……犯罪」
「ははっ、やんねーよ。隣睨んでるし」

シャンパンを引っ込めながらお嫁さんの方を指す。ちらと見ると、確かにこちらを睨んで子どもみたいに口を尖らせていた。怒っているのだろうが可愛らしい。

子ども、みたい。
だけど、羨ましい。

俺は、本当のガキ。
だけど、それが嫌で仕方ない。


なんだろうな。よく分かんねぇや。


「…孝にぃ」
「ん?」
「…前から言おうと思ってたんだけどさ」
「うん」
「…………そのカッコ似合わないね」
「…はっ、うるせぇな!俺だって分かってるよ!」

デカい声で笑われた。

言いたいことは違ったけど、白いタキシードは確かに似合ってなかった。


花婿、なんて
似合わないんだ。


「健太」

呼ばれたから、いつの間にか逸らしていた顔を向ける。
孝にぃはおどけたように笑って

「言ってくんねーの?」

でも、少し寂しそうに。


だから、俺は、

「…散々言われてんだろ」

拒否した。
みんなと一緒が嫌だった。少しでも周りと違うように見て欲しかった。


ただ、孝にぃに、
特別だと思われたかった。


「ったく…お前らしいなぁ」

くくっと笑う。それから

「俺にそっくり」

嬉しそうに言うと、左胸を指して

「幸せになれよ」

目の前の大人は、やさしく言った。



孝にぃは、イトコで、確かに俺より大人で、
俺の憧れで、特別で、

だから、
結婚、なんて、ありえなくて。


おめでとう、なんて思ってもないこと

言えるわけなかった。





something sweet

マリオネット


これは、呪いだ。


「…あー…今?里仲ん家」

けだるげな声。
恒例行事みたいになった、朝の電話。

「マジだって。迎えにくりゃぁいいじゃん。…え、代わる?」

ちらと俺を見る橋野。眠さとだるさと電話のウザったさに睨みつけるが、むしろニヤリと笑われて

「昨日呑みすぎたからなー。半ば死んでっけど…お前声出る?」

答える間もなくケータイを渡された。仕方なく耳にあて

「…もしもーし…」
『え、里仲くん?マジ声ひどいね』

自分でも笑える掠れ具合に、でも受話器の向こうとすぐそこで笑われて萎えた。


まったく誰のせいで


『どんだけ呑まされたのよ』
「えー…どんぐらいかなぁ…とりあえずねぇ、見える範囲に空き缶と空き瓶が散乱してて、頭がガンガンする…」
『それ完全二日酔い』

安心したように笑う電話の向こう。
でも残念ながら嘘ばっかだ。

見える範囲に散乱してるのは二人分の服と汚れたシーツやティッシュ。
痛いのは頭じゃなくて、腰というかなんというか、まぁ局部だ。
ついでに言えば、この声だって酒やけじゃない。叫びすぎのせい。

でもそんな事実、橋野の彼女は知りえないし信じないし、彼女の中ではありえない。

なら、それでいい。

『まぁいいや。橋野さ、浮気とかしてないよね?』


浮気、にすらなりえないのだから


「…まさか。はっしーは宇野ちゃん一筋でしょ」

これは、嘘じゃない。


でも、すぐそばで橋野が笑った。意図が分からなくて妙にイラつく。

適当に会話をして電話を返した。
俺はシャワーに立った。



「なんだよ、一緒に入ろうと思ったのに」
「ふざけんな。どうせ迎えにくんだろ、間に合わねーぞ」
「来ねーよーお前の演技が素晴らしかったから」

思い出したようにくくっと笑う。
ムカついた。だから

「じゃあなに、お前いつまでいんの?」
「んー?いつまでいてほしい?」
「……」
「はっ、まぁ今日は別になんもないし、夜まではいるよ」

その言葉に

「……そっか」

少し、嬉しそうに笑ってみせる。

まるで愛しそうに。
まるで恋しそうに。


まるで、


「なにー可愛い反応してくれんじゃん」

ぐ、と引き寄せられる。

顔が近づいて
予定調和にキスをされた。



離れても、いつかまた帰ってくる枷をつける。

いつか必ず会いたくなって、理由のない欲に駆られて
そしてまた、自分から約束を取り付けるように。



これは、呪いだ。

限られた時間の中で糸を手繰られる、
愛しい、僕の操り人形。

こびりついてやまない

「トリックオアトリート!」


びっくり、した。
それはもう驚いた。


そりゃ、目の前にカボチャのお化けが出たら驚くに決まっているのだが、そうじゃない。いやそれももちろんあるが。

大きなカボチャをくり抜いて作った、ハロウィンならではのキャラクター。顔は不気味に笑った表情で作られ、目と口は真っ黒い闇のようだ。
それを、目の前の奴は頭にかぶり、でも体はいたって普通の恰好に黒い長いマントだけ着けていて、なんというか不格好。

しかしそんなことよりももっと驚くべきことは

「……な、…な…んで…っ?!」
「え?ハロウィンだから」
「違うっ!!」

声、背格好、こんな時にとぼけるところ。
間違いない。間違えようがない。

3年前にこの町から突然姿を消した、1つ年下の幼なじみだ。

「なんでお前っ…おじさんとおばさんは?!連絡したのかよ!!」
「あー、そのうちね」
「っ、はあ?!」
「俺は未波に会いに来ただけだから」

ふわり、笑う。
違う。笑ったように見えただけだ。
実際はカボチャに隠れて顔なんか見えないし、カボチャは貼り付けた笑顔を不気味に浮かべるだけ。

拍子抜けした。

「…元気そうでよかった」
「……お前こそな」

やわらかなやさしげな声。前よりも大人になった気がする。
しかし

「未波は変わんないね」

見透かされたように笑われたので、少しムカついて

「お前ほどじゃねぇ」

見栄を張ってみた。さらに笑われる。

そうだ、そういえば
俺たちってこんな感じだった。

「どう?店の方は。順調?」
「相変わらずだよ。馬も牛も出たり入ったりを繰り返してる。儲けもまずまずだな」
「そっか。未波は?」
「は?俺?」
「うん。彼女できた?」

その質問に俺は一瞬呆気にとられて、でも
あぁそうか、
そんなことをわざわざ聞かなきゃいけないくらい離れていたんだなと

この閉鎖的な町にいたら感じないまま過ぎゆく時間の流れを、3年ぶりのこいつとの会話で気付かされた。


“ここは、狭くて、息苦しい”

“ぬるま湯に浸かったまま歳をとるのは、嫌だ”


消える前日にぼやいたこいつの言葉。
こいつがいなくなってから分かった意味。


「…できるかよ」

どうせ、選べない人生。

「お前は?」

期待して聞くも、少し笑われて

「俺は未波ひとすじだよ」

3年ぶりに言われた。

そういえば、こんなヤツだった。

「まだ言ってんのお前…」
「いつまでも変わらないよ。俺は未波以外を好きにならない」

まっすぐ、まっすぐ。
くり抜かれた目と口の穴は闇のように暗くて、でもそこから伝わる思いは相変わらずまっすぐで。

「…やっぱお前、変わんねーのな…」
「さっきも聞いたよ」

ふふ、と笑われる。
なぜか、安堵のようなため息が出た。

こいつが変わらないこと
俺も変わらないこと
ここにいるだけじゃ分からなかった、些細な変化と一生の不変。

3年ぶりの今もなお、こうして、こいつに救われる。

息をついて、目をそらして。
適当に家の方に顔を向けて

「…もういいや、とりあえず家行こうぜ。マジでみんな心配して……」


そこで
はたと、気付いた。



(………え…?)


突然、降って湧いたような違和感。
ありえない感覚。

(どういう……ことだ…?)

“くり抜かれた目と口の穴は闇のように暗くて”


そうだ、おかしい

なぜこの距離で



そこから顔が見えない?



「…お…まえ……どうなって…?」

恐る恐る見ればこいつは一瞬驚いたように止まり、それからふと、悲しげに笑う。

…違う。そんな微妙な表情、見えるわけない。
でも分かるんだ。感じる。


それは


「“感情体”ってやつらしいよ」

まるで諦めにも似た色で。

「かん…?」
「まぁ、魂みたいなもんかな」

その言葉にどきりとする。

それは、つまり、そういうことで。
だから、見えなくても分かった。感じた。

こんな姿でも、こいつだって分かった。


「…な、んで……」

何で、そんなことになったのか。
何で、ここにいるのか。
何で、俺のところに来たのか。

そんな様々な疑問を、でもこいつは

「どうしても未波には会いたくてさ」

最後の疑問にだけ答えた。

「……」
「“なにかひとつ”って言われた時、未波しか浮かばなかったんだよ」

笑うしかしなかった声が、少し震えた。
こんな時にまでね、と付け足した言葉は、無理に笑っていた。

俺は、言葉が見つからない。

「…未波」
「……なに」

涙を飲み込む音。ふわり、綺麗に笑って。

「好きだよ」


まるで目に見えそうな
触れられそうな
確かにあたたかい、愛が


「…ごめん」

いつの間にか、そこにいて

「先に行くね」
「っ、ぅわ」

驚いてる間に、カボチャを頭に被らされた。

「ちょ、重、」

視界が消えて、一瞬見失う。
やはりくり抜かれていた目の部分からようやく前を見るとそこには何もなくて
代わりに

「幸せになれよ」

右側から声が鳴った。

「…!」

慌てて見るも、やっぱりそこには何もなくて

「……バカ…じゃねーの…」

こぼれた言葉が落ちる頃に、あいつの家の電話が鳴り響いた。



残るはずのないきみの声が

見つかるところに隠れる

「みーつっけた!」


太陽より輝いてまぶしい

きみの笑顔が、のぞいた。





「あの頃は可愛かったのになぁ」
「うるせーよ」

世に言う幼なじみ。自分の方がちょっと年上。

幼なじみとは不思議だ。
兄弟とも親戚とも、親友とも違う。なのに一緒にいる。

不思議だ。

「大体かくれんぼなんか面白くねーだろ」
「いや、お前この頃うんざりするぐらいかくれんぼしたがってたぞ」
「だからうるせーよ」

冷房の効いた俺の部屋で、気まぐれにアルバムを開きだしたこいつは確かに写真の中にいる男の子と同一人物なのに、それは一緒に写る自分が一番よく知っているのに

「隠れて見つけて、だからなんだって話じゃね?」

どうしてこんなにも可愛げがなくなってしまったのか。

「バッカお前それが楽しいんじゃん」
「はぁ?わけ分からん」
「……そのわけ分からんものをお前は日に何回も…」
「だからうるせーっつーの」

近くにあったクッションを投げられる。キャッチして、それを枕に寝転がった。
すると

「お前は楽しかったわけ?」

目はアルバムに向かったまま、何の気なしに聞いてくる。

「ん?」
「そんな何回もかくれんぼなんかに付き合わされてさ。楽しかったのかよ」

呆れたような、そんなわけないと言うような。
そんな風に言われたら、それを全力で正したくなる。


身をもって。


「よしっ!じゃあかくれんぼするか!」

クッションを支えに体を起こし、勢いのまま立ち上がる。
アルバムに向いていた顔が、体が一瞬止まり

「………は?!」

一気にこちらを向いた。

「かくれんぼ。昔よくやったさ、“くだもの公園”で」

言うと、しかし表情は余計怪訝そうになって

「いやいやいやいや…お前マジで何言ってんの?」

本気の戸惑い。
だからこちらとしては余計にやりたくなった。

「マジでかくれんぼしようって言ってんの」
「するわけねー…つーか俺らいくつだと思ってんだよ」
「永遠の17歳ですキャハッ」
「黙れおっさん」
「おっさん言うな!」


まぁ17歳もそんな本気でかくれんぼなんてしないだろうけどな。





いわゆる幼なじみ。自分の方が少し年下。
まぁでも別に支障ない。こいつのこと年上だと思ってないし。

“くだもの公園”は、果物がデザインされた遊具が置かれているからそう呼ばれている、俺らが子どもの頃によく遊んだ公園。
結構広くて遊具が多くて、確かに隠れられるところも多い。

かくれんぼをした記憶も、それが楽しかった記憶も、まぁ確かにある。
でも。

「…今は分かんねーっつの」

ため息。
それに、楽しかった記憶はあってもそれがどうしてかは分からない。追体験しようにも難しい。


どうしてあの頃は、
かくれんぼなんかがあんなに楽しかったのか。


「お、そんなに暑くねーな」

夏の夕暮れは昼間に比べて気温が下がり、外に出ても過ごしやすい。蝉の声もなんだか穏やかに聞こえる。
公園には誰もいない。空は明るく、紅く染まっていた。

「じゃ、隠れるから50数えろよ」
「え、俺が探すの決定なのかよ」
「…いつもそうだったじゃんか」

そういえば。

二人でやる時はいつも俺が探していた気がする。じゃんけんとかしないで、どうしてもオニがやりたいって言って。

思い出してきた。
確か探して見つけるのがすごい楽しくて


…でも


「んじゃー数えんぞ」


なんでだっけ?




お気に入りの歌でも口ずさみながら。
数分後を想像しながら。

世界を閉ざして数を数える、きみを見ながら。


俺にとってもこれは、
いやむしろ

俺にとって、きみとするかくれんぼは。




目を開けた。

ダブる景色。
浮かぶ記憶。

あの頃の俺と、あの頃のあいつ。
あいつを探す俺と、俺から隠れるあいつ。


50数え終わったらまず走る俺。
バカだなぁ、そんなことしたら見つかるわけがない。

人を探そうと思ったら、まず立ち止まって、冷静に周囲を
見回して


(……え…?)


見つけた。もう見つけた。一歩も進んでないのに。

過去の俺が通り過ぎる場所。
過去の視点では見えない場所。

今の俺の胸ぐらいまである遊具の裏。
でかい図体小さくして、でも見つからないようにする必死さはなくて。



あぁ、え、もしかして。



膝を抱えて小さくなって、隠れて数分。
あの頃よりもずっとゆっくりの足音が近づいてきて

「…おい」

顔を上げると、ばつの悪い表情をして

「マジもう…そーゆーのいいから」

ガキじゃねーんだし、とふてくされたような赤い顔。
はは、照れてる。

「でも思い出したっしょ?なんで好きだったか」

言うと、それでも恥ずかしそうにそっぽを向いたまま

「……つーかお前が分かんねぇ。何が楽しくてこんなのに付き合ってたんだよ」

呆れたような言い方。
俺は笑って

「分かんないかなー」
「分かんねーって」

しかし即答される。
まぁ仕方ないか。

「昔は可愛かったのになー」
「だからなんだようるせーっての」


今も十分可愛いけどさ


ふふ、と笑うと、ぶつくさとぼやかれた。
ある夏の日のことだ。

Please give me

「たーだいまー」

地元でも有名な和菓子の老舗、“秋果”。
生まれて16年、そこに暮らし続ける芳人は、詰め襟の学ラン姿のまま慣れた様子で暖簾をくぐる。家と繋がる調理場に出た。

「おかえりなさい」

それを叱ることも諌めることもなく笑顔で迎え入れるのは、金色の髪と灰色の目を持つ、和菓子職人のエリスである。

「あれ?エリスだけ?」
「親方は出かけてます。ご用ですか?」
「んー、進路希望の紙が来たからさ、早く見てほしくて」
「進路希望…」
「おっ、青柳?うっまそー。もらってい?」
「ダメです」
「えーケチー」

ふふ、と笑うエリスは、名前に反して性は男、年齢も26と若い。
元はパティシエを目指して故郷で勉強していたが、見聞を広げるために留学した日本で和菓子に出会い、すっかり魅了されて芳人の父親に弟子入りし、正式な和菓子職人にまでなった情熱と才能ある若者である。
流暢すぎる日本語も勉強の賜物であり、今では辺りの日本人よりも日本人だ。

「坊ちゃんは今日何を?」
「今日は水無月かなー。でも青柳見たら青柳作りたいかも」

そう言いながら芳人は学ランを脱ぎワイシャツ姿になって、袖をまくり手を入念に洗う。
簡易的にエプロンをつけ、商品を作るエリスからは少し離れた場所を陣取ると、慣れた様子で材料と道具を出していく。

あっという間に準備が終わった。

「相変わらず手際が良いですね」

エリスが感嘆すると、芳人は照れたように笑って

「えー?まぁそりゃ、生まれた時からここにいるしさ」

慣れだよ慣れ、と言うなり早速作り始める。
自分で作った餡を器用に使い、繊細に、けれどあっという間に作っていく。

その姿は、エリスの師であり芳人の父と重なった。





「…坊ちゃんは、どのような進路を希望しているのですか?」

エリスは青柳を作りながら芳人に尋ねる。

「えー?」
「進路希望調査表を早く見てもらいたいということは、坊ちゃんの中ではもう決まっているのでしょう?」


芳人が悩んでいたことは知っている。
専門学校へ行くか、見習いとして家に修業に入るか。
父親に相談していたのをたまたま聞いた。

長男である芳人に家を継ぐ意志がある以上、エリスがこの家の看板を背負うことはない。ゆえに、芳人がどのような進路で職人になろうと、エリスに直接は関係のないことだ。

しかし、年齢も近しく長年同じ家に住む二人は、家主の息子と使用人とはいえ、まるで兄弟のような関係を築いてきている。


だからこそ


「んー…まぁ、もう悩んでないって言ったら嘘になるけどさ」


一言の相談も無かったことに、少し違和感を抱いて


「俺ね、卒業して、このまま家に入って修業するのか、それとも製菓の専門に行くかで悩んでたの」


得体の知れない焦りを、感じた。


「専門…」
「うん。ほら、俺って高校入る時さ、継ぐの渋って商業行ったじゃん?でもやっぱ、継ぐからにはちゃんと勉強したいし、外の世界ってゆーか…家以外の人にも会ってさ、自分の実力知りたいと思って」

細い指から織り成される、淡き芸術。
こんな風に話しながらでも、芳人の綺麗な手からは作品が生み出される。


エリスの目から見ても、この人の才能は
血筋だけでは説明できない、類い稀なもので

実力など、試さずとも知れている。

「まぁあとはさ、この先俺が継いで、経営的にピンチになった時とかにさ、いろんな同業者と知り合っていろんな製法知ってれば、もしかしたら力になるかもしんないじゃん?」


笑いながら、少し照れながら。
だけど少し大人になった若旦那が、エリスの知らない顔をしていて。

「……そう、ですね」

なんだかひどく、寂しくなった。


だから

「…あれ?坊ちゃんそれ…青柳ですよね?」
「気付くのおっそ!めっずらしー」

けらけら笑う芳人が、水無月ではなく青柳を作っていることすら気付かなかった。

「やっぱエリスみたいには出来ないなー。どうしたらそんな綺麗に出来るわけ?」

むぅ、と顔を歪める芳人。思わず笑う。


こんなものあなたなら
明日にはもう出来るだろうに



「…大丈夫」


こちらを、見る目が


「坊ちゃんなら、勉強すればすぐに出来ますよ」


あまりに無垢で、真っ直ぐだったから


「…!」
「ね」

笑いかけると、芳人は少し驚いた顔をしてそれから

「……うん」

嬉しそうに笑った。





きっとね、坊ちゃん

私は、怖いんです


いつまでも子どもで、弟のようだったあなたが
私に懐いてくれたあなたが

大人になって離れてしまうことが
とても、怖いんです


ガラガラと戸が開く音。

「あっ、帰ってきた!」

芳人は慌てて出て行こうとする。学ランも鞄も、すべて置いて行こうとさえするから

「あ、坊ちゃん」

エリスは鞄を渡し

「あっ、ごめんありがと」

学ランを広げる。
慣れたように芳人は背中を向け、広げられた学ランに袖を通す。


頭ひとつも変わらない、伸びた背丈。
でも未だあどけない、幼さの残る首筋。

そして、一生、
届かない距離



「…エリス?」

いつの間にか、芳人が顔だけ振り向いていた。不思議そうに見つめられる。
その額に軽くキスをして

「(あなたに神のご加護があらんことを)」

幸運を祈った。
すると芳人は

「…なんか久しぶりだね、これ」

へへ、と照れたように笑う。

昔から二人きりの時は、「行ってらっしゃい」の代わりにしていた挨拶。
出会った当初、エリスが癖で芳人にしてしまった祖国の挨拶を、芳人自身がすっかり気に入ってしまって以来ずっとしていた儀式。
芳人が高校に上がってからは、それをする機会も失っていた。


そういえば確かに、なんて思い出に浸っていたら、芳人はエリスの顎にキスをして

「(ありがとう)」

かつて教えた、祖国の言葉。

驚いて見ると、芳人は顔を真っ赤にしながら、笑いそうな泣きそうな表情で

「じゃ、ちょっと行ってくる」

学ランをなびかせ厨房を出て行った。



something sweet

抗えない重力を感じた

受験真っ只中です。



(あー……もうやだー…)

こんな緊張感早く終わればいいと思いながら、それでも試験自体は一生来なければいいと心底思う。

センター試験は1ヶ月くらい前に終わって、この前の土日は滑り止めの私立を受けた。

問題は11日後。
大本命。第一志望の国立二次試験。


センターの出来は悪くなかった。私立も手応えがあった。
でもやっぱり第一志望となると、今までの努力を疑いそうになる。

(今日帰ったらもっかい長文やって…一応古文も見とくかな。何より英文法が……)

塾の面接室でひとり天井を仰ぐ。

一年間、こんなことばかり考えてきた。
疲弊しているのも確かだ。


もう、嫌になる。


(早く遊びてーなー…)

何の気兼ねもなく、何の心配もなく、ただ食べて遊んで眠って、っていう普通の生活がしたい。
このままじゃパンクする。

(大学生が勉強しねーのも分かるな…)

勉強をしに行くはずの大学でなぜ遊びほうけるのか全く分からなかったが、なるほどこれなら仕方ないとも思う。反動、あるいは燃え尽きだろう。

(あー…マジで早く終われ…)

姿勢を戻す。
同時に、大きなため息。


すると

「疲れてるねー」

明るい声が降った。


「……遅いっすよ」
「ごめんごめん。上に捕まってさ」
「何かしたんだ」
「してないよ」

ころころ笑いながら向かい側に座るこの人は担当チューターで、低身長と幼い容姿に反して自分より2つ上の大学2年生。
スーツは似合わないし小動物みたいだが、こう見えて有名大学に現役合格している秀才だ。
その大学を目指す自分としては憧れの対象でもある。

…が。

「まぁ一応本番直前の面接ということだけど…別に特に言うことはないかなぁ」

結構、テキトーだ。

「は、ちょっと。直前なんだからさ」
「だって直前にあれこれ言われても焦るだけでしょー?焦ると実力発揮できないし」

言いながら今までの成績推移を取り出す。上下に多少は変動しながらも、確実に右上がりのグラフ。

でもこんなもの、当日にその点数が出るとも限らないのだ。
何の慰めにもならない。

「まぁそうだけどさ…なんかないんすか?アドバイスとか、安心材料みたいな」

受験前最後の面接。誰よりも自分の努力を見てきた人のアドバイスこそ信頼できる。だから聞きたい。
そう、思ったのに。

「安心材料なんかないよ。そんなものみんな欲しいんだし」

資料に目を向けながら微笑んだ。


その伏し目は確かに大人っぽくて綺麗で
俺は結構好きなんだけど


「強いて言うなら…」

ちら、と視線を上げられて
ぶつかる。

「、」
「牧くんの努力じゃない?」


ふわり、笑う、それを
この距離で向けられると


「……」
「所詮さ、他人が何言ったって本人が信じなきゃそれまでだし」


敵わないなぁ、と
思う


「周りの期待がプレッシャーになることもあるしねぇ」
「…、俺は、あんま…そういうのは」

ないっすけど、と言った声は口の中で消えた。
終始笑顔でふわふわしたこの人にオトナの正論を言われると少しこたえる。自分がひどく小さくなった気分になる。

まぁたぶん、本来はこの大きさで
それを見せつけられただけなんだろうけど


少し、しゅんと沈む。
すると ふふ、と軽い笑い声がして

「…?」
「牧くんなら大丈夫だよ」

がんばれ、と

「…はい」

多分、俺が一番欲しかった言葉をくれた。



「あ、牧くんって甘いの平気?」
「え?まぁ、好きっすけど…」

それがなにか、と聞く前に、ずいっと拳を出されて

「はい」

その勢いに半ば反射的に手を差し出す。
手の平にぽんと置かれたそれは、個包装された

「…チョコ?」
「うん。平気?」
「はぁ、まぁ…」

受け取ったはいいが意図が読めずに首を傾げると

「ハッピーバレンタイン」


やけに、可愛い笑顔で。


「……あぁ、そっか、今日」

受験に追われすぎてすっかり忘れていた。まぁもらいたい相手もいなかったから仕方ない。
納得する俺に

「疲れたら甘いもの」

最後のアドバイスね、と
花が飛びそうな笑顔で。


俺は、恋に落ちた。

たゆたう

ぽかり

浮かぶ、空を見上げて。


口を開けたら、
大事なものが逃げてった気がした。



   たゆたう



ここには、なにもなかった。

必要なものも
大切なものも
確かなものも
正しいものも

ここには、なにひとつなかった。



だけどここには、なんでもあった。

必要なものも
大切なものも
確かなものも
正しいものも

ここには、なにもかもがあった。




僕には、家族がいなかった。

父親も母親も
兄も姉も弟も妹も
祖父も祖母も叔父もイトコも

僕には、誰ひとりいなかった。



だけど僕には、家族がいた。

父親も母親も
兄も姉も弟も妹も
祖父も祖母も叔父もイトコも

僕は、ひとに囲まれて育っていた。




僕には、ともだちがいなかった。

一緒に遊んだり
一緒にふざけたり
一緒に出掛けたり
一緒に笑ったり泣いたり励まし合ったり

僕には、そういう存在がまるでいなかった。



けれど僕には、ともだちがたくさんいた。

一緒に遊んだり
一緒にふざけたり
一緒に出掛けたり
一緒に笑ったり泣いたり励まし合ったり

僕には、その相手が大勢いた。




なにが大切で、
なにが大切じゃないのか。

なにを大事にしなきゃいけなくて、
なにを粗末にしていいのか。


学校で教えられたはずなのに、まったく覚えていない僕は劣等生だろうか。

はたまた、学校で教えられたことがすべて大切だったのだろうか。
だとしたら困った。なにも覚えていない。



好きなひとに「好きだ」と言うことは悪だろうか。
違うならなぜ、こうも傷つく人が多いのだろう。

嫌いなひとに「嫌いだ」と言うことは罪だろうか。
違うならなぜ、みな顔をしかめるのだろう。


正直は悪か?
ならば、嘘は善だろうか。

嘘は悪か?
ならば、正直は善だろうか。



なにが真で、なにが偽か。
なにが良で、なにが不良か。



ここはこんなにもモノにあふれているのに
なにひとつ答えらしい答えが出ないのはなぜだろう。


やはりここには
この世界には


「……なにもないんだな」


ぽかり

浮かぶ、空を見上げた。


口を開けて、逃げてったものは、









ぼろい。
今にも崩れそうな小さい家だ。

ここに来るたびに、ある種のやるせなさと悔しさとイラつきで嫌な気分になる。
それでもこうして頻繁に来るのは、なにも仕事だからってだけじゃない。どちらかと言うと個人的な説得のためだ。個人的な願いを聞いてもらうためだ。
だけどその願いは、きっと世の中にとっても求められたことだと思うから

「……ぅしっ」

今日も自分は、ここに来たわけだ。



「先生ー。いらっしゃいますかー?」

ドンドンと、所々ぼろぼろに剥げ落ちている扉を叩きながら家主を呼ぶ。
数秒後に耳障りな音をたてながらそれは開いて

「…やぁ。また来たのかい、ナニガシくん」

先生は顔を出した。
にこり、薄い笑顔を貼り付ける。


30代前半から半ばあたり。
若い働き盛りなのに黒髪は無造作に伸び、着古した半纏を纏う。ひどく野暮ったい。今は寒いからスウェットに褞袍だが、夏はいつ来てもくたくたの甚平を着ていた。
それほど、自分に対してのこだわりがない。磨けば光りそうなのに。

「今日こそ、いいお返事をいただきたく」

真っすぐ見つめて、なるべく力を込めて言う。
しかし先生はそれを見たのか見てないのか、全く効果がないようにため息をついて

「何度来ても変わらないんだけどなぁ。君の上司にも言ったはずだけどね?説得に応じるほど情に厚くないって」
「…情?」

困ったような笑顔を浮かべるので、言葉の意味を聞くと

「君の熱意にはほだされないってことさ」

にっこり、笑顔を崩さないまま答えられた。

「……、…」

来た意味を早々に、こんな玄関口ですでに真っ向から否定されている。思わず何も言えなくなった自分に、先生はそれでも

「まぁ上がりなよ。そうだ、昨日おいしい紅茶が届いたんだ」

どうぞ、と軋む扉を開く。
ひどくどうでもいいようなその態度に、無力感と脱力感を感じながら、それでも自分はのろのろと家に入った。





中も変わらず、物が少ない質素な1K。
野良だか飼っているんだか分からない猫が1匹、窓際の日なたに置かれた座布団の上で丸くなっている。

中央に置かれたちゃぶ台の手前に座った。
先生は台所で湯を沸かす。

ちゃぶ台の奥、見える位置にあるもう一つの机は作業台で、先生の作品はいつもそこに置いてあった。
今もそこには、原稿用紙の分厚い束。

「…完成、したんですか?」

書きかけのものが置いていない。これはもしかして、と胸を高鳴らせると

「あぁ、そう。昨日ね、ようやく」

先生も少し嬉しそうに、湧いた湯をポットに注いだ。その背中からは決して、俺に対する拒否の感情は見られない。

純粋に、作品が完成したことを喜んでいる。

(じゃあどうして…)

先生は断り続けるのか。


若き文豪のこの人は、近年稀に見る逸材、奇才と謳われている。
自分は本好きが功を奏して出版社の営業をやっていて、上司の命令もあり先生の作品の書籍化をひたすらに依頼しているのだが

(…なかなか手強い…)

ずっと、色好い返事が聞けないままでいる。


「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」

差し出された、色鮮やかな紅茶。口元へ運ぶとふわりと香る。

「…おいしい」
「でしょ?」

思わず呟いた言葉に反応されて、少し恥ずかしくなった。
先生を見ると向かい側に座って笑っていて、やはり自分自身が拒否されているわけではないことが分かる。

穏やかな時間。


気になった。


「……あの」
「ん?」
「どうしても……ダメですか」

紅茶を置いて、まっすぐ見つめて。

この想いは真剣なんだと、本気なんだと、伝わるように、伝わるように。


だけど先生はその視線を軽く受け流すと

「キミにとって、価値のあるものって何?」

唐突に聞いてきた。


「……え…?」
「価値のあるもの。具体的なものを浮かべて、それを定義してくれればいい」

そう説明すると、優雅に一口、紅茶を飲む。
答えるしかないらしい。



“価値のあるもの”…

なんだろうか。

金か?いや、金なんかそれ自体はただの金属か紙だ。自分にとって大した価値はない。時代によって国によって、金の価値なんかいくらでも変わる。生きていくには必要だけど、そのために生きようとは思わない。金は、ただの手段だ。
ということは金銭的価値は、イコール自分にとっての価値じゃない。

では、自分にとって価値のあるものはなんだろうか。
それは例えばモノだったり、誰かだったり、行動だったりする。値段のつけられないもので価値のあるものはたくさんある。

たくさんある、その、定義は。




「……自分は…」

ほんの少しだっただろうか、それとも長時間待たせてしまっただろうか。
猫を撫でながら紅茶を飲んでいた先生は、口を開いた自分に顔を上げた。

「…“人に認められたもの”が、価値のあるものだと思います」


例えば、伝統工芸。
例えば、差別撲滅運動。
例えば、人間国宝。
例えば、愛するモノ、ヒト、コウドウ。

自分にとって「価値がある」と判断できるのは、“多くの人に認められていること”。

だってそうじゃないと、
自分だけ、誰かだけの感性で判断された価値は、
それはただの独りよがりだろうから。


なるべく多くの人から認められたもの、
それが、

自分にとって価値のあるもの。

だからこそ、先生の作品は
確かに“多くの人に認められるもの”だから
そう信じているから

絶対に、価値がある。



「……なるほどね」

ことり、カップが机に置かれた。
先生の表情を見ると、普段と何ら変わらない様子で

(よかった…のか?)

自分の出した答えが先生の求めていたものに適ったのかは分からなかった。
ただ、先生はこちらを見ると

「つまり、キミの価値は“名声”におかれているわけだ」

冷静に言う。


そう…だろうか
そうまとめられると、なんだか違う気もする。
だけど、そうではないと否定する語彙力もない。
それに、間違っていない気も、する。

悩んだまま黙っていると、先生は猫を撫でながら

「僕は、そうじゃない」

断言すると

「僕にとって価値のあるものは、“僕自身が作ったもの”なんだよ」

ふと、微笑んだ。

「……」
「自分が作ったもの、自分で生み出したものだけが、自分にとって価値がある。逆に言えば、それ以外に価値を見出さない」

また、紅茶を一口。
自分は動けない。

先生は笑う。
薄く、感情を表わさずに。

「がっかりした?ずいぶん自分勝手な人間だって」

まるでそれを望むかのような様子に、自分は慌てて

「いえ、そんなことは」

首を振ったが、出た声はかすれていて、納得はできていないのがありありと分かった。
先生はやはり笑う。

「例えば僕が、この原稿をキミに渡すとして。それは一体どうなる?」

先生の後ろに置かれている作品。自分はそれを欲してここにいる。
その原稿を受け取り、会社に持って帰り、

「出版社で増刷し、販売して、世の中の多くの人々に読んでもらいます」

そうすれば結果的に、作者である先生には多額の収入が入り、この資本主義の世の中が生きやすく過ごしやすいものとなる。何せほとんどのものが手に入れられるようになるのだから。
こんなぼろい家に住むこともなくなる。

「多くの人に読んでもらえば、先生の作品の素晴らしさが世界中に伝わります。そして、その作品はすぐに世界的に認められます。単行本化や映像化も遠くありません。そうすれば先生の作品は、たくさんの人の目に触れることになります」
「そうだね。キミの価値はそこに置かれているんだから、それが大事だろうね」

少しかぶせ気味に先生は言った。語った熱は急激に削がれる。


そうか
先生の価値は、そこにはない


「ナニガシくん。僕はね、自分の作ったものにしか価値を見出さないんだ」

先ほどとまったく同じことを言う。自分はうなずくしかない。

「この原稿が、増えることにも本になることにも、ましてや電子化も単行本化も映像化も。僕にとっては何の意味もない。…それはもう、僕の作品じゃない」

先生はゆっくり、だけど自然に、自分の後ろにある原稿をとって

「これは、今ここにあるこれだけが、僕にとって価値のあるもの。ここにある手書きの2500枚こそが、僕の作品。これ以上もこれ以下もない」

大事そうに、膝にのせる。
それは確かに、今の時勢には珍しく400字詰めの手書きの原稿用紙で、だけど確かに、それはとても価値のあるもので。

「これが削れても、また増えても。僕にとってそれは、価値がないんだよ」

先生はそう言うと、また少し笑って、手に取ったそれを後ろに戻した。


理解、できないわけじゃない。先生の考え方は理に適っている。

金に価値を見出さないから、一人で使える最低限を追及して家はぼろいままだし、
いつまで経ってもいくら交渉しても、こちらに渡したところで先生にメリットのない原稿は渡してくれないのが当然だ。
大体、コピーした時点で自分の作品ではなくなるのだから、出版社に原稿を渡す義理もないだろう。いくら売れたところでそれは、先生にとっては、すでに先生の作品ではない。

(…難しい…)

自分としては、その原稿用紙にはもちろん、書いた内容にも、またそれを書いた先生にも価値があるからこそ、それを世界中の人に知ってもらいたいと思うのだけれど

(…それも結局…名声、なんだろうな…)

肩が落ちる。力が抜ける。
息をついた。




「さて、分かってくれたかな」

その声に顔を上げる。
来たときにはなかった光が窓から射していた。太陽がだいぶ傾いたらしい。

「あ…」
「そろそろ帰らないとまずいんじゃないのかい?」

腕時計を見ると、4時半前。確かにまずい。会社に連絡ひとつ入れてない。

「そう、ですね…では、そろそろ」

すっかり冷めきった紅茶を飲みほし、ごちそうさまでした、とカップを返して立ち上がる。
先生は膝に猫をのせて

「またおいでよ。今度は紅茶だけ飲みに」

にっこり笑って見上げてきた。

「…はい、ぜひ」

社交辞令だとしても、思わず顔が緩む。ホントに来てやろうかな、と思いながら踵を返し、玄関で靴を履く。もう一度振り返ると先生は変わらずちゃぶ台の向こうにいて

「じゃあね」

ひらひらと手を振ってきた。


…あ、そうだ


「…あの」


こうして頻繁にここに来るのは、なにも仕事だからってだけじゃない。どちらかと言うと個人的な説得のためで、個人的な願いを聞いてもらうためだ。

だったら。


「俺のために、一本書いてもらえませんか」


その方がよっぽど、自分の本望だ。


「……え…?」
「会社には絶対に流しません。会社だけじゃない、ほかのどこにも発表しないと約束します。だからぜひ、個人的に…先生の作品をいただけませんか」


信用されないのは分かる。
これだけ頻繁に来て、散々説得しておいて、最終的には仕事関係なく自分のわがままを言ったのだ。
初めて見るこの表情も分かる。

だけど

「俺…どうしても、先生の作品が読みたいんです」


静かな夕暮れの空気。遠くでカラスが鳴いた。
先生の驚く顔を見つめていたら、突然

「…ははっ」

それが、破顔した。

「え…あの…」
「はははっ、きみ、本当に面白いねぇ」

見たこともないような顔で笑う。
なんだ、それ。ちゃんと人間らしい。こんな表情もするのか、このひと。

「いいよ」
「……えっ」

驚いて呆然とするうちに、先生は応えた。聞き返すと

「またおいで。僕はクッキーが好きだよ」

にこり、笑って。
ひらりと手を振った。

「あ…あ、えと…」
「ほら、早く行かないとまずいんじゃない?」

促されてようやく気付く。
しまった、そうだった。

「あ、ではあのっ…失礼します!あの、また来ます!ありがとうございました!」

超特急でお辞儀をして、ぼろぼろの扉を開けて外に出る。壊れないよう丁寧に閉めて、会社に急いだ。


(わ…わぁぁー…!どうしようどうしよう…!)

起こったことを思い返しては興奮する。熱が高まる。
走った。

(クッキー、どこのがいいかな…!)




ゆらりゆらり、たゆたうそれに

ぼくはおもわず、こころひかれた

右に左にゆーらゆら  前に後ろにぐーらぐら

「……?」

音が、した。




「遠野さん?」

覗くと、明り。
そのデスクは間違えようもない、彼の場所。

「…佐々木か?どうした、まだいたのか」

ここから違う課に異動してから3週間。
ようやく仕事に慣れて、だけど彼がいないことに慣れなくて、どうにもこうにも寝不足なのに、仕事は山積みで。

今なんか日付を越えようとしている。

「まぁ…今帰るとこっす」
「そうか、お疲れ」

なのに、久々に会えた俺にこの人はこうして、冷たい。そっけない。
まぁ、いつものことですが。

「遠野さんは?まだ終わらないんすか?」

入り口に寄りかかって、邪魔を覚悟で話を続ける。こんなところで終わらせてたまるかっての。

「まぁな」
「珍しいっすね、残業とか」

遠野さんは、俺が新入社員としてこの課に来たとき、教育係としていろいろお世話をしてくれた人。そっけなくて無愛想で、でも仕事は異常にできる人だった。
だから、残業する姿なんか初めてで。

「最近仕事が捗らなくてな…。眠れないし、集中もできない」

目をこすり、首を振って画面に向かう。パソコンの明りにぼんやり映し出された顔は、本当に疲れた様子だった。

「あーなんか分かります。俺も最近寝れないんすよねー、異動してから」
「それは異動したからだろ」
「あ、やっぱし?」

へへ、と笑うと、何笑ってんだ、と笑われた。それは本当に疲れた中での呆れた笑いだったけど

「…なんか久々っすね」


俺にとっては、嬉しかった。


「ん?」
「こうしてしゃべんの。ちょっと前まで、毎日一緒に仕事してたから…なんか」

なんか、さみしい

出かけて飲み込んだ。
その言葉はまずい。単なる同僚の、後輩の域を越えている。

「…そうか?たかが3週間だろ」

遠野さんはそう言うと、予想通りまた仕事に向かい始めた。

まぁ、それもそうなんですけど。
3週間離れるくらい、社会人にとってはごく自然のこと。なんてことないはず。
それがなんてことなくないから、自分にとっては大問題なわけで。

「ま、そっすよね…」

でも、この人にとってはそうじゃない。この人にとって俺は、ただの後輩でしかない。
思いの大きさが違う。お互いの存在の大きさが違う。

あぁ、なんて切ない片想いでしょーか

「…佐々木」

少しぼんやりしていたら、珍しく呼ばれた。見ると

「帰らないんなら少し手伝え。コーヒーぐらいなら奢ってやる」

ため息まじりに言われた。
まさかそんな言葉がくると思っていなかった俺は

「えっ…いーんすか?」

思わず聞き返してしまって

「嫌なら帰れよ」
「やっ!やじゃないっす!やらせてくださいっ!」

危うく、デカいチャンスを逃すところだった。





「ほらよ」

差し出された缶コーヒー。約束通り、律儀に買ってくれた。
終電もない今の時間、遠野さんは車、俺はチャリで帰る予定。だから、駐車場の脇にあるベンチに二人して座った。

「どもっす」
「悪いな、だいぶ助かった」

純粋に礼を言われて素直に嬉しい。ただ、気がかりはある。

「お役に立てたんなら何よりっすよ」
「はは、そんなことも言えるようになったのか」

コーヒーを両手で包んで、遠野さんは笑った。
まただ。また笑ってる。あの頃はこんなに笑うひとじゃなかったのに。

「でも、らしくないっすね。なんかあったんすか?」
「…ん?」
「あの仕事…遠野さんならすぐ終わりそうなのに。よっぽどギリギリに渡されたんすか?」

手伝った仕事。俺が同じ課にいた時にもしょっちゅうあった仕事だった。
確かに量はあったけど、でも前の遠野さんだったらすぐに終わるようなものだった。

「あ、もしくは、他の仕事がデカすぎたとか?なんか任されました?」

だから、手伝ったらすぐに終わった。
手伝っているときの遠野さんは、確かに疲れてはいたけれど、一緒に働いてたときと何ら変わりない仕事ぶりで

「…いや…別に、何もない」
「だとしたら、なんか悩んでます?けっこー変っすよ、俺から見ると」


心配に、なる。


「俺でよければ相談のりますし。あ、まぁ頼りないかもしんないすけど、一応、話聞くことぐらいはできると思うんで」

おせっかいは百も承知。だけど仕方ない、心配なんだから。
このひとの悩みは、すぐにでも解決してやりたい。

それは完全に、惚れた弱みだ。

「……強いて、言うなら」
「はいっ」

黙っていた遠野さんが、悩みながら口を開いた。
やった、相談してくれる。頼ってくれる。

失礼ながら少しわくわくして待つと、遠野さんは

「…お前がいないから、だと思う」

握った缶コーヒーを睨んで、ひどく怪訝な顔をして


「………え…?」


遠野さんは、言った。


え、あの、それは

どういうこと?


「お前が異動してから、どうにも調子が悪くてな。いつもならどうってことない仕事もやけに時間かかるし、集中できないし、捗らない。お前が異動してからずっとだ」

3週間、仕事が溜まっていく一方でさ、と遠野さんはぼやく。

「え…あの…それは…」
「でも今お前に手伝ってもらったら、いつも通り仕事ができた。なんならいつもより早く終わった。まぁお前が仕事できるようになったからだろうな」
「いや…それは、遠野さんのおかげっすよ」
「そうか?まぁそうだろうな」

はは、と冗談ぽく笑う。


どうしよう、
俺、今すっげードキドキしてる


「なんだろうな、ほんと。よく分からないが、たぶんまぁ…」

遠野さんは不意に、こちらを向くと

「…さみしかったんだろうな」


ふ、と
微笑んで


「…~~っ!」

ぐわっ、と
自分の顔が火照ったのが分かった。

「?佐々木?」
「っ、あ、あのっ!」

思わず立ち上がる。体を向けると、遠野さんはこちらを見上げていた。

「?」
「っ…こ、今週末!空いてますか!」

ぎゅ、と缶コーヒー握りしめて、こんな夜中に外で大声を出した。
遠野さんは一瞬ぽかんとしたが

「まぁ、土日は特に…何もないが」
「じゃあ遊び行きましょう!なんか、どっか!俺プラン立てるんで!」

ぐっ、と腹に力を入れて返事を待つと、驚いた顔をしたままだった遠野さんは

「…あぁ、いいな。行くか」

嬉しそうに、笑った。


あぁ、もうダメです神様
俺、幸せすぎてしにます


「じゃあキマリ!メールしますんでっ!」
「あぁ、頼む」



さて、この天然上司

どうやって捕まえようか

にがい苦い、ペッ。

きみが好きだと
嘘をついた。


「さーくー。さくってば」

呼びかけただけでギロリと睨まれる。
愛想がない通り越して、これはあれだ、威嚇だ。

「課題出した?俺集める係なんだけど」
「…出した」
「うそぉ?だってチェックついて」
「あっち」

言葉を遮ってまで顎で指された先には、自分と同じ仕事をする女子の姿。俺ではなくもう一人の方に提出したらしい。
わざわざ。

「なんだ、俺に出してくれればよかったのに」
「別にどっちでもいいだろ」
「男子の名簿持ってんの俺なんですー」
「んなの知るか」

改めて睨みなおされ、それでもすぐにふいと逸らされる。
イヤホンも外さない、ため息だって隠さない。人と関わる上で大事なものが、こいつには欠けている。

それでも

「ま、いーけど。さくってほんとかわいいね」

俺はこいつに笑いかける。甘い言葉をかける。
だけどこいつはそっぽを向いたまま。眉間に入ったしわを一層深くするだけ。

「意識しちゃったんでしょ?だから避けたんだ、俺のこと」

机の前に回り込んでしゃがみ、顔を覗き込む。かわいいわけでも整っているわけでも特徴的なわけでもない。えらい不機嫌そうな、フツーの顔。

「ほんと、そういうとこ好きだよ」

上目遣いで口説くも、そいつは顔をぴくりとも動かさず、また赤らめもせず、ただこちらを一瞥して

「俺は嫌い」

ただ一言、そこに放った。


俺だって好きじゃない。
じゃあなんでかって、たぶん、こいつが反応しないから。

好きだと誰かに言いたくて、でもそこから始まる何かが面倒で、
甘い言葉もやさしい顔も、
決して受け取られないこいつを選んだ。

これはきっと、究極の暇潰し。



「好きなのにー」
「うぜぇ」



愛したいのに
愛せない


(あぁ、恋愛って面倒だ)




「俺ねぇ、さくのこと好きだよ」


初めて言われたのはいつだったか
あれは、たぶん夏休みだ。


「…は?」
「あぁそう。そういうとことか」

文化祭の準備のために学校に来て、大量に出たごみを回収場所に二人で持って行って
それを、バカみたいに暑い中必死で押し込んでたときだ。

「……何言ってんの?」

うざったい暑さの中うざったい作業をしながら、そこまで仲がよかったわけじゃないクラスメートにわけのわからないことを言われて、正直

「すげー顔」

笑われるくらいには、疲れて怪訝な顔をした。

「なにいきなり。そーゆー趣味?」
「いや。別にそんなんじゃないけど」
「じゃあなんなんだよ」

ため息混じりに姿勢を直してそいつを見れば、意外にもまっすぐこちらを見ていて

「……、」
「なんとなく。言いたくなったっつーか」

怯んだ俺に気付いたのかそうじゃないのか、そいつは軽くそう言うと

「まぁいーや。行こーぜ」

空になったごみ箱を俺から取ると、踵を返して教室に戻りだした。
慌てて追いかける。

「ちょ…なんなんだよ」
「どう思った?」

ふざける様子もなく、真剣な様子でもなく、ただ普通の顔で聞いてくる。
だから、まるで意図が読めなくて

「どうって…」
「俺、さくのこと好きだよ」

悩んでいる間に、また言われた。
目が合う。だけどそこからは

「……」

なにも、伝わってこなくて


「……なんも」

何も思わない、そう答えると、
そいつは少し驚いたように目を開いて

「…へぇ」

含んだように、笑った。
だから

(…へぇ、って)


なんだ、それ
ムカつく


眉間に力を入れて睨みつける。
するとそいつは余計に笑みを広げて

「お前、面白いね」


まるで

告白なんて、
ただの暇潰しだったみたいに


「…はぁ…?」


なんだそれ

お前はそんな、
本当みたいな言葉に
何の感情も乗せないのか

何も感じないでいられるのか


ふざけんな

ちょっとでも
ほんの、ちょっとでも


本当だと思った俺はどうしたらいい



「……嫌い」

こぼれたのは単純な言葉だった。
それを聞いたそいつは、今度は声に出して笑って

「ははっ、マジか、フラれちゃった」


全然傷ついてなんかないように


「やっぱ好きだわー」
「黙れ」

俺が傷つくわ


きみが嫌いだと
嘘をついた。

短編(BL)

短編(BL)

ほのぼのBLを中心とした短編集です。閲覧の際はご注意ください。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ネクタイ
  2. お前なんか見てない
  3. 否定
  4. 筋肉痛
  5. 野球少年
  6. フェンス
  7. 空絵
  8. やんで、れ
  9. 異世界に行っても
  10. 身体測定
  11. 夏、クーラーの下で
  12. 雪降りて。
  13. 酔い醒まし
  14. ライオンを想う
  15. dolce
  16. クリスマスにきみと。
  17. カタコイ。
  18. マカロン
  19. 行かないで、なんて
  20. 神風
  21. エイプリルフール
  22. 天体観測
  23. 君を祝う星
  24. きみが、すき
  25. 携帯依存症
  26. spare
  27. I want
  28. マリオネット
  29. こびりついてやまない
  30. 見つかるところに隠れる
  31. Please give me
  32. 抗えない重力を感じた
  33. たゆたう
  34. 右に左にゆーらゆら  前に後ろにぐーらぐら
  35. にがい苦い、ペッ。