《 Requiem #2 》 イカロスへの贈り物
私の名は希望。
希望の灯りを点す物だ。
私は、ゴールドブラッシュに仕上げられたケースの横に、大きくHOPEと名を刻み、その傍らに弓矢のレリーフを埋め込まれた、誇りあるZIPPO社のオイルライターだ。
私は、似た名を持つ煙草――あいつはショート・ホープ=短い希望だ。似て非なる名だ――の懸賞として生まれた。
私は、常に主(あるじ)の懐で暖められ、タンクのレーヨンボールには常にオイルが満遍なく滲みわたり、それを押さえるフエルトパッドの狭間には、二つのフリントロックが予備として仕込まれている。
私は、私を手にし、真のライターとして、いつでも本分を発揮できる状態に置く主に尽くす。
数多の先覚を受け継いで生まれ、尽くすべき主に恵まれ、私は形ある限り、希望の灯を点し続ける。
私の名は希望。
希望の灯りを点す物だ。
私の主は希望の灯りを点す者なのだ。
※
蒼鉛色の空から落ちてくるみぞれ雪が、バス停に待つ人々の傘と、我が主の帽子と肩を容赦なく濡らす。
街灯は、色とりどりの傘の花の中で、濡羽色になった帽子のつばに眼差しを隠す主を舞台の主役のように青白く照らし、そこへみぞれ雪が冷たく重く、降り積もる。
降る雪の音は聞こえず、行き交う車と人々が氷混じりの泥水を踏み潰し跳ね上げる音が、主の口元を石のように硬く閉ざさせる。
それでも、職人によって圧縮成型されたフエルトの帽子と、老舗の選りすぐられた生地のコートのお陰で、雨のような雪は髪の毛や中の服まで冷やしてはいない。
しかし、手入れを欠かさないにも拘わらず、ブーツはとうに役を為さなくなっている。
主は、靴に関しては安物を買ってしまったのだなと思う。
だから、足元を見られたのだ。
主よ、あなたに《私》を贈ったあの女性は、今頃どうしているだろうか。
あなたと過ごすはずだったこの夜を、あなたと差し向かいで夕食を摂る窓の外にあるはずだったこの雪を、どんな思いで眺めているだろうか。
主よ、あなたを氷漬けにしようとするこのみぞれ雪は、あの女性の頬をも冷たく悲しく濡らしているのだと私は思う。
主よ、あの女性があなたへの贈り物に私を選ぶ際、骨董品店を幾つも回り、陳列棚をくまなく見た眼差しを知っているか。
主よ、それはあなたに注がれた熱い眼差しのように、瞳の中にはこの私の灯に勝るとも劣らない灯が点っていたのだ。
主よ、あなたはポケットの中の私を握りしめ、彼女の何を思うのか。
主よ、あなたを楽屋から締め出したのは彼女ではない。
芸事に生きる彼女を取り巻く卑しい乞食共の、下衆な判断に過ぎない。
主よ、あなたは、一人の女性としてあなたを愛し、この私をあなたに贈った彼女を信じぬかなければならない。
私の名は希望。
希望という名のライターなのだ。
若き主よ、年上の彼女があなたの為に選んだ聖夜の贈り物は、《希望》なのだ。
主よ、あなたが私に点してほしいのは、希望の灯りだけではない。
彼女と共に、暖かな幸せの灯りを、例えばロマンチックな夕餉時の卓上やケーキの上にある蝋燭、春になったら行く約束をしているキャンプでの焚き火、いつかあなた達が住む家のストーヴの焚き付け、そんな幸せを望む灯りを点す為に、私を使ってほしいのだ。
主よ、今ひとたび、辛い仕事で鍛えられ続ける荒れたその掌で私を握り締め、軽やかにリッドを開け、奏でるようにフリントホイールを弾き、銀色に輝く曇り一つ無いチムニーに希望の灯りを点してくれ。
そして、ささやかながらも尊敬すべき志を、夢を、希望を、あなたと彼女との間に育まれた愛を、私が皆に伝えたかったあなたの物語を、もう一度私に聞かせてくれ。
さすれば、滲んでぼやけた原色のネオンなどに負けない橙色の灯りを、あなたの掌の中に、この曇る街を照らし出すように、点してみせる。
また二人で過ごせるひと時が必ず来ることを信じさせてみせる。
主よ、あなた自身を信じよ。彼女を信じ、愛し続けよ。
あなたたちを待ち受ける様々な障害を乗り越えるには、今以上に信じあわなければならないのだ。
あなただけに差し出された彼女の手のぬくもりを忘れてはいけない。
結び合ったその手を、決してあなたの方から離してはいけない。
※
何時になっても来ないバスに苛立つ主は、ショートホープを咥える。
そして私のリッドを開けた途端、帽子のつばから雫が滴り落ち、チムニーを濡らす。
更に、ポケットの中で握りしめ続けられ、体温でオイルが揮発した私は、主の思い通りに火が点かない。
主は、振り返り様、私を遠くへ放り投げる。
彼女に渡す筈だった花束が消えた虚空へ、高く高く放り投げる。
緩やかに絶望の放物線を描き、私は何処かへ落ちて往く。
了
《 Requiem #2 》 イカロスへの贈り物