織姫星
私はすっかり年を取ってしまいました。
去年の春には、おばあちゃんなんて呼ばれるようになって……。
そんな私と違って、彼女はあの頃の少女のままでしょうか。
そしてこの夏、あの交差点に行けば、また彼女に会えるのでしょうか……。
※※※
高校生の夏、私は新宿の交差点で初めて彼女に出会いました。
向こうから歩いてくる、私と同じ年頃の女子高生……。
彼女は私の前に立ち止まり「ねえ、見えるの?」 そう聞きました。
「だから?」 私は答えました。
彼女は確かに、そこに存在しているのです。
だって、私には見えるんだもの。
「ねえ、ちょっとお話しない?」
「いいわよ」
それは、ほんの少しの間でした。
歩いたのはその交差点の次の角までです。
自己紹介をしあったのかどうか――その必要はないと感じたようにも覚えています。
ずうっと昔から知っているような気がして。
※
次の年、ちょうど一年後です。
図書館からの帰り、暑さを凌ごうと入った喫茶店に彼女がいました。
「遅かったじゃない」
彼女は微笑みながらそう言いました。
「お待たせ」
私はそんな言葉を口にしました。
それから三十分ほど、他愛ないお喋りをしました。
「隣の家のネコが塀から落ちたの。猫なのにおかしいわね」
「よく言うじゃない、猫も塀から落ちる、って」
「ちょっと違うんじゃない?」
一年前に一度会っただけの子と、楽しい時間を過しました。
そして、じゃあまたねと別れました。
※
それからというもの、彼女とは毎年、一年に一度だけ会いました。
夏になると、どこかで偶然のように出会うのです。
そして、楽しいひとときを過すのです。
次の年も、その次の年も……。
何十年もの月日が経つ間に、私は結婚し、子供も出来て、どんどん年を取って行く。
なのに彼女は出会った時と変わらない、いつまでも少女のままのよう。
「私、生きていないもの」
彼女はそう言います。
でも、たとえ私にしか見えなくても、彼女は確かにそこにいるのです。
だから、それだけは認めたくありませんでした。
※
いつも夏に会う彼女と、思いもよらない時期に会いました。
それは去年の十二月のことです。
その夜、眠れなかった私は流星群のことを思いだしました。
時期は少し過ぎていましたが、まだ見られるかと思い、近所の公園に行きました。
寒い夜だったので、途中、缶コーヒーを買い、ブランコに座って星空を眺めていました。
おばあちゃんと呼ばれる今でも、眠れない理由はあるものです。
暖かなコーヒーを手に包み込み、いろいろな事を考えながら、流れ星を探していました。
「いろいろ、あったね」
いつのまにか彼女が隣のブランコに座っていました。
「うん……星、きれいね」
それから、星空を見上げながらいつものように、とりとめの無い話をして過しました。
長く生きた私は、本当にいろいろありました。
彼女に聞かせる話は毎年毎年、増えていきました。
思えば彼女は、いつも聞き役だった気がします。
二人で見上げる夜空にふと、星が流れました。
会話がほんの少し途切れた後、彼女は、
「ねぇ、生まれ変ったら私、あの無機質な星のひとつになりたい。
なれるかしら? なれなくても……あなたは、私だもの。わかってくれるわよね。
ほんの些細なことで、燃え尽きて、大きな宇宙の点になる。それって……素敵よね」
私は星空を見上げながら、彼女のその言葉を聞いていました。
そして彼女は、
「約束、忘れてないわよ」と、そう言いました。
「約束?」
思いがけない言葉に隣を見ると、もう彼女はいませんでした。
誰も乗っていないブランコが、ほんの少し揺れているだけでした。
ああ、彼女はまた一人で逝ってしまった……。
冷たくなった缶コーヒーが、寂しさをより募らせました。
※※※
約束とは何だったのか、まだ思い出せないでいます。
もしかしたら彼女と私は、生まれる前からの友達か姉妹だったのかも知れない。
生まれ変っても一緒だよと約束して、私だけがこの世に生まれた。
そして彼女は生まれることが出来なかった。
そう考えることは、無理なこじつけでしょうか。
先日、ある人にこの話をしました。
その人は、あなたたちは恋人同士だったのかも知れないねと言っていました。
恋人だったにせよ、姉妹だったにせよ、交わした約束を私は忘れていた。
これが、死が分かつ無情さというものなのでしょうか。
※
この夏、あの交差点に行けば、彼女にもう一度会えるでしょうか。
それとも、新しい命に生まれ変った彼女に会えるでしょうか。
そして、忘れていた約束を確かめることが……。
いいえ、年に一度の楽しいお喋りをするだけで充分なのです。
見上げる夜空の星々の、そのなかのひとつが彼女だったとしても……。
もう、二人だけの時間を過すことは出来ないのでしょうか。
あの星空の下での言葉を、最後の別れの挨拶と思いたくはないのです。
了
織姫星