イタの盗撮

 イタは、私のプライドを、小気味良い音を立てて踏み抜いた。
 そのとき私の自尊心がたてた音は“ぽきっ”じゃなく、“さくっ“という音だったから、守られてきたプライドって、空に伸びる塔みたいなものじゃなく、偶然に守られてきた雪景色のようなものだっていうことがわかった。
 イタが学年の五十二人の女子の中で三人を選んで盗撮したのは、その春の遠足だった。
 五月の中頃の、風の強すぎる河原で、中学二年生の私たちはドッヂボールっていう気分でもなく、水切りっていう気分でもなく、ただひたすら弁当の後も河原に座り込んで、いつもと変わらない話をしていた。
 私が家から持ってきた黄色のキティちゃん柄のシートに一緒に座っていたのはマユで、マユはまたいつもの“いるかいらないかよくわからないものは持ってこない主義”のせいでシートを持ってきていなくて、なんかごめん、って言いながらも笑っていた。
 その隣にはアキがいて、ミクがいて、ほかにも何人も友達がいた。それでも私は今となってはマユの様子のことしか思い出せなかった。
「遠足ってこんなつまんないものなんだね」
 ピックに刺さった先のプチトマトを頬張りながら、マユは言った。河原の強風がマユの茶色がかった髪を頬に寄せて、マユは口元の髪を小指で遠ざけた。
 私は言った。
「遠足、楽しかったことあんまりないかも」
 マユは口を閉じたまま、え、と大げさに驚いてそれからプチトマトを飲み込んだ。
「うそ、一回も楽しくなかった? プールとかも?」
「それは楽しかったかも。でもあんまり、今までの遠足って覚えてないし」
 ふーん、そうなんだ、とマユは頷いた。そしてレタスの上に乗った唐揚げに手をつけた。私はそれを横目に見ながら、梅干しの種を弁当のふたに吐いていた。
 そんなのどかな会話を私たちが交わしている間、イタはひたすら写真を撮っていた。イタはクラスでもなんとなく暗くて、全然誰とも話さない訳じゃないけど、私たちの間で話題に上るような男子じゃなかった。全然外に出ない癖に妙に肌が浅黒くて、二の腕の内側が少し抉れていて、足がやたら筋肉質で、そういうところが誰にも言わなかったけど、私は少し気持ち悪かった。
イダっていう名前は、本名の飯田が時々そういう風に聞こえるときがあったから、みんなそう呼んでいた。もしかしたらみんなは呼んでなくて、私だけがそう聞こえていたのかもしれなかった。けれど私はとにかくその飯田のことをイダと呼んでいた。
 私たちの後ろでは時折シャッターの音が響いていた。後ろの方では男子が騒いでいて、雲の流れは速かったけど、空は綺麗には晴れていたから、そういう定番の青春っぽいものを撮っているのかと、私は一度だけ振り返った。
「でもインスタントカメラだよね」
 私につられて振り返ったマユが言った。
「デジカメにすればいいのに。今時」
「なんかこだわりがあるんじゃない、アナログに」
 真剣な顔でフィルムを巻き戻すイタを見ながら私が言うと、マユはデザートのさくらんぼを口の中で転がしてくすくす笑った。
「だったら、インスタントカメラって」
 マユと私の髪の長さは同じで、私たちは色白で、背の高さも同じぐらいだった。
 私たちは中学の入学式で隣り合ってから、後ろ姿そっくり、とか、雰囲気似てる、とか言われながら運良く二年一緒に過ごしてきた普通の友達だった。
 イタが不穏な盗撮をしているのがわかったのは、翌週の火曜日だった。
 イタは月曜日、放課後遠足で撮った写真を木田と町野と一緒に眺めていた。二人はイタの友達で、時々一緒にいた。そこに野球部が帰ってきて、教室は盛り上がった。イタが盗撮したのは学年でも人気の女子三人で、どれもすごくよく撮れていた。
 それは、男子だけの秘密として堅く守られた。
 うっかりそれを口にしてしまったのは、杉野だった。
 杉野は前日又聞きしたイタの盗撮を冗談として女子の一人に伝えた。
 その女子はその場は笑っていたが、それは女子の間であっという間に広まり、盗撮された三人の耳にも、その事実は入っていった。
 私が次の日の朝、教室に入るとマユが泣いていた。隣の席にアキとミクが座って、マユを慰めているみたいだった。
 私は、まだイタの盗撮を知らなかった。
「どうしたの」
 アキとミクは顔を見合わせた。アキはマユに覆い被さるように頭を撫でていた。マユは手の甲で涙をぬぐった。
 私はマユの目の前の机に腰掛けた。
「イタに、盗撮された」
 マユは小さな声で言った。
「盗撮?」
 私は声を潜めた。ミクが私の顔を見て言った。
「マユと伏見さんと佐木さん」
「うそ、なんで」
「わかんない。男子みんなで見てたんだって」
 マユは目尻を赤くしていた。
 アキがマユにさらに覆い被さるようにして抱きついて、マユの頭をミクが撫でた。
 私は、自分のプライドが踏み抜かれる音を聞いた。瞬間、目の前の透明な涙を流すマユが、実は私に自慢しているんじゃないかと疑った。
「最悪だよね、イタ」
 ミクが誰に言うともなく言った。
 私は
「うん、本当最悪」
と相づちを打って、それ以上の言葉が見つからずに、マユの頭を撫でた。
 そのとき私は、歯の奥を誰にも知られないように震わせながら、そのことが嘘であるように願っていた。
 本当は盗撮されたのはマユじゃなくて私であること。
 マユが、私より美人で、男子に人気があることが、嘘ってこと。
 私は、唇から細く息を吐いた。
 踏み抜かれた自尊心は、細かな氷となって私の心に澱みをなしていた。体の中心が重く、腰掛けた机が崩れていった。
 盗撮されたマユに素直に同情できない、歪んだ私には、反射的に、気づいていた。
 視線だけを動かしてアキとミクの表情を見ても、アキとミクがそんなことを思っているとは全然思えなかった。
 そのことは、私の自尊心をさらに砕いた。
 高鳴る心臓を押さえながら私は
「イタって、最低」
とマユの目を見て言った。
 砂のように細かくなった自尊心は、窓から吹き込んだ朝の風にさらされて、空っぽの私を残しただけだった。

イタの盗撮

イタの盗撮

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-21

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