チクワ、覗け、T

 ザーッ……
 真っ暗な部屋の片隅で、テレビが砂嵐を映し出している。
 理恵は膝を抱えてそれを見ていた。
 かれこれ一時間は経っただろうか。テレビは飽きることなく砂嵐を映し続けている。
「泣いている赤ん坊にテレビの砂嵐を見せると泣き止む」
 理恵はいつかどこかで聞いた話を思い出した。
 すると突然画面が切り替わり、テレビは砂嵐ではなく真っ白な映像を映し始めた。真っ白な映像に一文字だけ文字が映し出される。
「T」
 そしてその画面も切り替わり今度は
「覗け」
 というメッセージに変わった。それも気がつくと別の文字になった。
 が、次に映し出されたのは見たこともない奇妙な文字であった。
「魚編に◎」という一文字の漢字。
 そのとたん、「T」「覗け」「魚編に◎」がものすごいスピードで切り替わっていく。
「ついに来たのね」
 理恵は立ち上がった。片手に“チクワ”を持って……


 五号館前のいつものベンチに彼女は座っていた。
「田所さん」
 太一は彼女を見つけて声をかけた。が、彼女は本を読むのに夢中になってその声に気付いていないようだ。
「田所さん、田所さん!」
 近づいて呼びかけたところで驚いたかのように顔を上げた。その拍子に少し眼鏡が下がったのを見て、太一は少し笑った。
「田所さん、探したよ。先生から今度の授業のプリンと渡しといてって頼まれてて」
「あ、ああ、ありがとう。ごめんねわざわざ届けてくれて。後で取りにいこうと思ってたんだけど……」
 ずれた眼鏡を直しながら理恵はプリントを受け取った。
「また宇宙の本読んでたの?」
 太一は理恵の隣に腰をかけながら言った。彼女はUFOの絵が描かれたクリアファイルにプリントを挟み込んだ。
「う、うん」
「そうなんだ。どんな本?」
「え、えっと。今は“CBA”についての本を読んでて……」
「しーびーえー?」
 なじみのない単語に太一は首を傾げた。
「そ、そう!日本名だと“宇宙友好団体”って言ってね。UFOに乗った宇宙人と仲良くなろうっていう……」
「へえ、なんか面白そう。それでどうやったら宇宙人と仲良くなれるの?」
 太一がそう聞くと、彼女は少し黙り込んだ。するとリュックの中をあさり始めた。
「こ、これで!」
 理恵は鞄の中から取り出したものを太一に渡すと「次授業だから」と言ってどこかに行ってしまった。
 太一は渡された物をしげしげと見つめる。
 それは“チクワ”であった……

「で、なんでチクワとUFOなんだ?」
 良治はチクワを見つめながら太一に言った。
「分かんない。でも、どうやったら宇宙人と仲良くなれるの?って聞いたら渡されて……」
「やっぱり理恵ちゃんは変わってるね。可愛いのにさ」
 そう言って良治は学食のラーメンを啜った。
 彼女、田所理恵は同じ大学のゼミ仲間だ。髪は長い黒髪で、いつも度のきつそうな眼鏡をしている。
 太一は一年生の頃から密かに彼女のことが気になっていた。別にやましい感情があるわけではない。ただ、彼女には他の女の子にはない独特の雰囲気があった。
 同じゼミ仲間の悪友、大池良治にはやましい感情があるようだったが。
「でもさ、UFOとかそういうオカルト的なことが好きな子ってのもなかなかいいよな。ミステリアスでさ」
「ミステリアスというか、変人というか……」
「でも、そこがいいんだろ?」
 良治は笑いながらチクワの袋を開けようとしたので、太一は慌ててチクワを取り返した。
「おい、食べようとするなよ。俺がもらったんだから」
「なんでだよ。賞味期限近いし食べた方がいいじゃん」
「でもこれがなかったら宇宙人と仲良くなれないんだからさ」
「え?じゃあお前宇宙人と仲良くなるつもりなの?」
 良治が腹を抱えて笑っている。太一は呆れながらチクワを鞄にしまった。

 しかし結局、チクワで宇宙人と仲良くなる方法を思いつくことはなかった。
 その日の夜、太一はチクワをもやしと一緒に炒めて食べた。

「田所さん、田所さん」
 太一は理恵を呼び止めた。彼女はバス停まで歩いて向かう最中だった。
「前川君?お疲れさま……」
「今から帰るところ?」
「う、うん」
 バス停についたところでちょうどバスが来た。二人はバスに乗り込み隣同士に座りあった。
 理恵は太ももの上に背負っていたリュックを置き、抱え込んでいる。
 しばらく二人は黙ったままだったが、太一が話を切り出した。
「この間の……その、“チクワ”さ」
「食べてないよね」
 喰い気味に理恵が言う。彼女は顔を上げ、太一を睨んだ。初めて見る顔だった。太一は怖くなって慌てて「美味しかったよ」という言葉を飲み込んだ。
「た、食べてないよ……あれがないと宇宙人と仲良くなれないんだろ?」
「持ってるだけじゃ意味ないよ」
「え?」
「覗くの」
 理恵は強く言った。いつもとどこか様子が違う。
「覗くって……チクワの穴を?」
「そう、望遠鏡みたいにね。合図が届いたら覗くの。そうしたら向こうがこっちに気付いて迎えにきてくれるわ」
 彼女は少し興奮しているようだった。太一には訳が分からなかった。
「迎えにくる?どういうこと?UFOが?」
「その時がくればね」
「どういうことかよく分からないけど……」
 理恵はバスの中を見渡した。バスの中はすし詰め状態という言葉が相応しいくらい帰路につく学生で溢れかえっていた。
 彼女は息をひそめて言った。
「ここだとまずいわ。いつどこで“れぷたいる”が聞いているか分からないから」

 まさかこんな形で彼女の家に招かれるとは思わなかった。
 バスを降りた後、理恵に手を引かれ連れて来られたのは彼女の下宿先であるアパートだった。
 理恵の部屋は驚くほど何もなかった。彼女はよく本を読んでいるので、部屋の中は本でいっぱいかと思いきや部屋には冷蔵庫と電子レンジ、後はテレビが一台。それだけであった。
 ただ一つ、インテリアにしては妙におかしい鏡で出来たピラミット型の置物がある。
「それは“べんとれ”よ」
 太一が不思議そうにそれを眺めていると理恵はそう言った。
「“べんとれ”は宇宙人とコンタクトを取るための大事な物なの。触らないでね。パワーが逃げるから」
 そう言うと彼女は太一の正面に座った。ちょうど“べんとれ”をはさみ、二人は向かい合った。
「その、何から聞けばいいのか分からないけど……」
 太一は頭をかいた。理恵は笑いもせず真剣な顔をしてこちらを見ている。目の前に座ってる彼女は大学での彼女とは別人に思えるほどであった。
「近いうちに、地球は滅亡する」
 そう聞いて太一は吹き出しそうになったが、理恵の恐怖さえ感じるその真剣なまなざしを前に、彼は黙ってうなずくことしかできなかった。
「“れぷたいる”が地球に攻めてくるの。でも、私は助かるわ。地球から脱出するの。合図とともにね」
「合図?」
「そう、“チクワ、覗け、T”。これが迎えの合図」
「“チクワ、覗け、T”?」
「そうよ」
 太一は自分の鞄の中から飲みかけのお茶を取り出し、それを一気に飲み干した。さっきから訳の分からないことを話す彼女についていけなかった。飲み干す手前でお茶が気道に入り、太一は激しくむせた。しかし理恵は気にせず話を続ける。
「昔、“宇宙友好団体”が“ぽおるしふと”と大洪水によって地球が滅びると言ったの。でも、その滅びる前に秘密のメッセージが送られてくる。“リンゴ、送れ、C”……とね。そしたら宇宙の仲間が助けにきてくれるはずだった。ただその情報が外部に漏れてしまって、地球に大混乱を呼んだの。今、地球は敵対関係である爬虫類系宇宙人“れぷたいる”によって滅ぼされようとしている。“ぽおるしふと”よりも強大な、未曾有の危機が地球に迫っているの」
「ちょ、ちょっとストップ!」
 太一は口元を袖で拭いながら理恵を止めた。
「その、リンゴ……とか言うのはチクワと何か関係があるの?」
「“リンゴ、送れ、C”というのは1960年の合図よ。当時はその合図を受け取ったらあらかじめ記された場所へ行ってUFOを待ってたの。でも今は違うわ。“チクワ、覗け、T”の合図を“べんとれ”で受け取ったらチクワで月を覗くのよ」
「月を覗くの?」
「そう、月は宇宙船の基地局なの。そうするとUFOまでワープできるの。チクワは月までの転送装置よ。だからその日が来るまで大切に取っておかないといけないの。食べるなんてもってのほか」
 理恵のことを太一は「変わった人」だとは思っていたが、ここまでくると病気ではないかと疑うほどだ。冗談を言っているようには聞こえないが、にわかには信じがたいことであった。
「じゃあ、チクワの合図があったら地球は滅びるんだ」
「そうよ」
「そうなったらみんな死んじゃうのか?田所さんのお母さんとか……」
「あの人たちは私のことなんてどうも思ってないわ。合図のことも教えてない」
「じゃ、じゃあさ……」
「何」
「どうして、そんな大事な話を俺なんかに?」
 そう言うと彼女は黙った。うつむきながら、しばらく考え込んだ。
「前川君なら」
 彼女が口を開いた。
「前川君なら、信じてくれそうだから」
 彼女の答えは意外な答えだった。「前世で結婚してたから」とでも言うかと思っていた太一は拍子抜けするとともに笑ってしまった。そして緊張の糸がプツリと切れたのか、しばらく笑い続けていた。
 理恵は笑い続ける太一を驚いた顔で見つめていたが、やがて彼は笑いを抑えた。
「ごめん、笑っちゃって。今の笑いは信じてないから笑ったんじゃなくてね。信じるよ。田所さんの言うこと」
「本当に?」
「うん」
 太一がうなずくと理恵は少しホッとしたような表情を見せた。
「で、地球が滅びる前にさ……」
 太一は正座を崩しながら言った。理恵の凄みのある話し方に、太一はいつの間にか正座をしていたのだった。
「今度、ゼミで飲み会があるんだ。親睦会というか……ほら、はじめましての人もいるし。良治、同じゼミの大池良治が企画しててね。田所さんも行かない?」
「え?で、でも……」
 理恵は先ほどまでの真剣な顔とは違い、大学にいる時にしている表情に戻っていた。
「俺も行くからさ」
「う、うん……分かった」
 理恵は照れくさそうに顔を隠した。その顔がどこか笑っているかのように太一には思えた。
「よし!じゃあまた連絡するよ」
 太一は鞄を背負いながら立った。正座をしていたので足が痺れている。
「あ、田所さん」
 痺れた足をもみながら太一は彼女に話しかけた。
「もしよかったらでいいんだけど……チクワさ、余ってたらもう一本もらえないかな?」

「しかしすごいな太一。どうやって理恵ちゃん誘ったんだよ」
 ゼミの親睦会が開かれている居酒屋の一席で、良治がビールを片手に近づいてきた。酔っぱらっているせいかいつもより顔が近い。
「どうやってって……別に普通に誘ったんだよ」
 この間、彼女の家に招かれた(正確に言えば連れて来られた)日から二週間ほど経った。あれ以来太一は大学で理恵に会うと必ず話すようになっていた。決まって話すのはUFOの話か、宇宙人の話だ。しかしこの間のような「地球が滅びる」というような話ではなく、「外国である婦人が宇宙生命体の写真を撮ったというがどう見ても猫にしか見えない」というような単純におもしろおかしい話だった。太一はそういった話を聞くのが楽しかった。何よりも楽しそうに話す理恵の姿を見るのが好きだった。
 誘っていたゼミでの親睦会も、来るかどうかは不安だったが結果的に来てくれることとなった。最初は同じゼミの女子たちと何やら話していたが、今は席の隅で一人ウーロン茶を飲んでいる。良治の話を適当に受け流し、理恵のところに行こうとした……その時だった。
「な、何よこれ!」
 理恵が叫んだ。おのおので盛り上がっていたゼミ仲間たちが一斉に理恵の方を向いた。
「ん?どうした?……お、頼んだヤツようやく来たのか。最初に頼んだのに今更来たから忘れてた」
 良治が目をやったその先には店員が持ってきた料理があった。
 「チクワきゅうり」だ。太一は少し嫌な予感がした。
「何よこれ……チクワの穴に……大事なチクワの穴に……きゅうりが……」
 理恵がわなわなと震えだした。目には涙を浮かべているようにも見える。
「え?え?どうしたの理恵ちゃん?もしかしてきゅうり苦手だった?でも理恵ちゃんチクワ好きだと思って……」
 良治が席を立ち、理恵に近づこうとした。
「近寄るな!」
 理恵はそう叫びながら良治を押し倒した。良治は倒れ、手に持っていたビールを全身に浴びてしまった。
「な、何すんだよ急に!」
「うるさい黙れ!チクワの穴を塞ぐだなんて考えられない!死にたいの!?」
 理恵はヒステリックになって叫んだ。この席だけでなく、店内全員が理恵に注目していた。
「チクワ好きなんじゃないのか!太一にも渡してたじゃないか!」
 良治がそう言うと、理恵の表情が一変した。怒りの矛先が太一へと向かったのだった。
「前川君……まさか話したの……そんな……」
 彼女はそう言うと乱暴にリュックをつかみ店を飛び出してしまった。

「田所さん!待って!田所さん!!」
 太一は急いで理恵を追いかけた。店を出て少しした電信柱の下で、太一は彼女の肩を掴んだ。
「離せ!」
 理恵は手にしているリュックを振り回した。
「あいつに喋ったのね!合図のこと!信じてたのに!」
 泣きながら理恵はリュックを振り回し続けた。太一はそれを必死に腕でガードするのが精一杯だった。
「ちょっと落ち着いて田所さん!誰にもあの話はしてないよ!」
「うるさい!嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」
「違う、誤解だ、頼むから落ち着いて!」
 太一がそう言いながらガードしていた腕を強引に押した。その拍子に理恵は転び、尻餅をついた。
「……もう誰も信じられない」
 彼女は立ち上がった。涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「死ね!」
 理恵は太一に向かって吐き捨てるように言った。
「お前なんか“れぷたいる”に頭噛み砕かれて死んでしまえ!!」
 そういうと彼女は走り去って、そして闇の中へ消えていった。


 ザーッ……
 真っ暗な部屋の片隅で、テレビが砂嵐を映し出している。
 理恵は膝を抱えてそれを見ていた。
 かれこれ一時間は経っただろうか。
 太一は追いかけて来なかった。理恵は少しでも彼を信頼したことを後悔していた。
 テレビは飽きることなく砂嵐を映し続けている。
「泣いている赤ん坊にテレビの砂嵐を見せると泣き止む」
 理恵はいつかどこかで聞いた話を思い出した。
 だが、彼女はまだ泣いていた。
 泣きながらテレビの砂嵐を見つめていた。
 突然画面が切り替わり、テレビは砂嵐ではなく真っ白な映像を映し始めた。
 真っ白な映像に一文字だけ文字が映し出される。
「T」
 そしてその画面も切り替わり今度は
「覗け」
 というメッセージに変わった。それも気がつくと別の文字になった。
 が、次に映し出されたのは見たこともない奇妙な文字であった。
「魚編に◎」
 理恵はこの奇妙な漢字の意味を一瞬で理解することが出来た。
 宇宙船のある月までワープする転移装置……
 魚のすり身を輪のようにすることから、「魚編に◎」で「チクワ」と読むことを彼女は知っていた。
 テレビの画面は「T」「覗け」「チクワ」と、ものすごいスピードで切り替わっていく。
「ついに来たのね」
 理恵は立ち上がった。片手にチクワを持って。

 カーテンを開け、暗い夜の空を見上げた。
 満月であった。
 理恵は満月を覗こうとして少しためらった。だがしかし
「もう地球に未練はない。誰も私を信じてくれないこんな場所なんかに」
 そう決心した彼女は両手でチクワを握り、そして月を覗いた。
 チクワの穴から見た月は、銀色に輝いていた。
 次の瞬間、チクワが床に落ちた。
 音もなく、チクワは床に落ちた。
 部屋には、チクワだけが残った。

 その日、一人の少女が姿を消した。
 少女の行方はただ一人の少年だけが知っている。

チクワ、覗け、T

チクワ、覗け、T

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-09

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