約束 ~飴色蝉時雨~

〈登場人物〉
・天野陽依-あまのひより-   …語り手
・廣田朔哉-ひろたさくや-   …ほとんどでてこない
・海瀬真斗-かいせまなと-   …彼女募集中
・櫻井空-さくらいそら-    …恋愛相談受け付けます
・相良智晴-さがらともはる-  …噂広め隊



不味いのは嫌いだ、と陽依は思う。
賑やかなことや騒がしい状況の好きな性格だ。何を話していいかわからず、惑い、黙りこくってしまう状況は耐え難く、嫌いというより苦手である。
例えば喧嘩した友達と話さなきゃいけなくなったとき、例えば知らない人に間違えて声をかけてしまったとき、
――例えば、学校の廊下でかつての想い人と二人きりになったとき。
「あれ、陽依じゃん」
「……よう、真斗」
――しかも、その想い人がこちらの気も知らずに普通に話かけてきて、
「誰待ち?朔哉?」
「…そうだけど」
――自分は今の彼氏を待っているところで、
「さっすがリア充。熱いね―」
「うるさい」
「朔哉ー、彼女がお待ちだよー」
――その彼氏についてからかわれて、
「いいなぁ。俺も彼女ほしいわー」
――羨ましがられ、彼女がほしいとぼやかれ、
それなのに、その人に対して、まだ、引きずる想いがあったとしたら。
なにこれ気不味いどこじゃないほど気不味いじゃん!どしたらいいのこの状況!?
陽依は頭を抱えたくなるのを必死でこらえ、憎い敵がいるかのように、目の前の白い壁を睨んだ。


朔哉と付き合ったきっかけは、一言で言ってむちゃくちゃだった。
もともと去年、二年三組で同じクラスだったことから仲がよくはあったが、それがため、「お前らできてるだろ」とからかわれることが多かった。
ありえないよ、と二人して笑っていた矢先、唐突に朔哉から提案がきた。
「いっそのこと、付き合う?」
いろいろと驚くことはあったが、一番驚いたのは、朔哉は陽依は真斗のことが好きだということを知っていたのにということである。むしろ応援隊的立ち位置にいたはずだ。え、嘘、なに?どういうこと?と固まったのは、ヘビの目の前に置かれたカエルのように当然至極だと思う。
それから、数時間に渉る交渉のすえ、…ほんとうにむちゃくちゃなことだけど…陽依が真斗に告白をし、失敗したらまた考えるということになった。朔哉の言った「もし別れても気不味くならないこととか約束するし」という言葉に惹かれた。惹かれて、引っかかった。自分の想いを賭け金にするなんてどこかの少女マンガかなんかか、と苦笑いしたけれど、今から思えばそれは泣き笑いだったのかもしれない。
そして、告白実行当日。この日の放課後だと朔哉と決めていたその日に、…これもどっかの小説かと突っ込みたくなるシチュエーションで…真斗は体調不良で早退、告白は中止となった次第である。
そして、この日一日の陽依の緊張は今までのどんなそれより大きかったと言っても過言ではない。心臓さんに何回バク転したのか尋ねてみたいくらいだ。きっと動脈なんかは数日感激しい筋肉痛に苦しんだだろう。それくらい、緊張した。緊張して、それなのに真斗はいなくなってて、へたり込むほど拍子抜けした。
だから、
「あぁもういい!朔哉、付きあおう!!」
と言ったこともしょうがないと思ってもらいたい。
あれから二ヶ月。真斗のことをうやむやにしたまま過ごした時間はとても長く感じられ、思った以上に苦かった。


まぁ、告っても、オーケーしてもらえる自信はなかったよ?
ほんと、付き合えることなんかかけらも期待してなかった。
真斗に好きな人がいるのも知ってるしね。
でも、それでも思っちゃうんだよ。
もしあの時伝えられていたらって。
だって、
――もしあの日の約束を、真斗が覚えていたら。


「これでいいの?」
一度、訊かれたことがある。訊いてきたのは、恋愛相談にのってもらっていた男友達の空だ。真斗が好きだったことも、朔哉の提案のことも、全部晒していた。
これでいいの?
何度も自問自答した問だ。それでも答えはすらりと出てきてくれなかった。喉の奥に飴が詰まったようになって、ゆっくりと、吐き出すように言うしかなかった。
「けど……いいかげん区切りつけないきゃだったし。って、そう言ったのは空じゃん」
「そうだね。だって小四から好きだったんでしょ?もう五年じゃん。一途にもほどがあるよ」
「まぁそうかもだけど……」
「というか、今回のことがなかったらどうするつもりだったの?」
「今回のこと?」
「もし朔哉に告られてなかったら」
「だから、告られたわけじゃなくて、」
「はいはい。”提案”されてなかったらどうするつもりだった?」
「それは……卒業式のときに、真斗に告ろうかと」
本当は小学校の卒業式の時に告白しようと思っていた。けれど、勇気とかそういうものが一切足りてなかった。嫌われたらどうしよう、気不味くなって中学の三年間話すこともできなかったらどうしよう。そんなことが頭の中をぐるぐると回って、最終的にその日の空模様のせいにした。
こんな曇り空で、桜も数日前に散った中での告白なんて、もったいない。もっといい日、晴れた空と桜吹雪の中で伝えたい。
そう思うことで自分の心を誤魔化した。期限は三年、三年後の中学校の卒業式に。
その三年間で気持ちが変わるなんて思いもしなかった、それなのに、今隣にいる人はそいつじゃない。分かりきっていることが、舌先で苦々しく転がった。喉に詰まっていた飴は、濃い抹茶味だったらしかった。
「それね、意味ないと思うよ」
空は容赦ない。
「どうせ高校生になってすぐ別れるパターンだと思うし」
「そうなのかなぁ」
「そうだよ。だからピリオド打って正解。でもね、」
まだ吹っ切れた顔してないよ。
そう言われたのは朔哉には内緒だ。


だって、だって、だって。
吹っ切れるわけないよ。
好きで、ほんとに好きで、五年かけてあいつのこと追っかけてて、それなのにこんな突然に諦めて。何も言わずに無理矢理終わらせて。小学生の頃からずっとだよ。小学四年生かのころ抱いた仄かな恋心を、中学三年になるまで抱えてたんだよ。
甘かったり苦かったりした抹茶飴も、無理に噛んだら苦味しか残さないって。舐め続けてたら甘くなってたかもしれないのに。
それに。
――もしオレとひよりがさ――
あの日が未だに夢に出てくるのに。


朔哉と付き合い始めた次の日すでにそのことを報告した友人たちに幾度となくからかわれた。
「おーいリア充!」
空と一緒に最近の話を聞いてくれてた智晴は、そのことを光速以上の速さで噂に乗せてくれていて、
「うるさいってばか!いいかげんやめろ!」
そう智晴に向かって叫んだ、その時、
「え?陽依って誰かと付き合ってるの?」
聞き慣れた、それでも何度も聞きたがっていたその声がして、心臓が暴走した。
「……ちがう。そんなわけないじゃん」
振り返りながら言ったけど、その声より鼓動の音のほうが大きかった気がする。けれど、五年かけて諦めた人の表情を見た瞬間、その鼓動すらも吹き飛んだ。握力ニ〇代の小さな手だけれど、リンゴを持っていたなら跡形もなく吹き飛んだと思う。グレープフルーツでも潰せたかもしれない。それくらいの力を全身に込めた。そうでもしないと、涙腺が吹き飛ぶと思ったからだ。
興味と好奇心に塗られる前に一瞬だけ見せた、ひっぱたかれたような顔。驚いた目の奥で何かが動いた、そんな表情。
お願い。忘れてて。あの日を覚えてるなんて残酷なこと言わないで。
本気で願った、そのはずなのに。
「だれだれ?教えろよ」
何もなかったように真斗が言ったそのとき、陽依の中で何かが折れた音がした。
けど今はまた、二人の中にあった”何か”が同じでなかったことを祈ってる。


――もしオレとひよりがさ――
この”もしも”より低い確率で、もしももしも真斗があの約束を覚えていたら。
先に無効化したのはあいつだけれど、もしももう一度交わせる可能性があったのなら。
捨てた自分が嫌になる。捨てちゃったあたしが途方もなく嫌いになる。
一途だと思ってた。一筋だと思ってた。年単位で想いを引きずる自分がちょっぴり自慢だった。
けど捨てた。想いも思い出も約束も。全部全部朔哉に惹かれたときに投げ捨てた。だからあいつにも捨てていてほしい。忘れていてほしい。いいんだよ、これで。何もなかったことにしていいんだよ。あの日は消えたんだよ。教室の隅のゴミ箱に捨てた”何か”でいいんだ。
覚えてないよ、そんなの。
――将来結婚したらさ――
七年前のセリフを、覚えてなんかない。


真斗を好きになったきっかけはよくわからない。
いつからだったのか、何が決め手だったのか。…ただ、その気持ちを自覚した日はわかる。小学四年生の春、桜の花弁が散り去って、落ちてきた赤いがくを面白く感じて拾い集める時期のことだ。
掃除の時間、担当場所に向かう途中、クラスの違う何人かの男子がたむろっているのに出くわした。
「ほら、まなと」
陽依が通るのを見咎めて、真斗に声をかけたのは空だった。
「まずはまなとからでしょ。手本見してよ」
「そーだよ」
「言ってみろ―!」
周りの男子も空に同調して、
「やだよ。やめろバカ」
抵抗する真斗と取っ組み合いになる。
わけがわからず、なにを言ったらいいかもわからなかったから、黙って通り過ぎた。
首を傾げていると、少し先でだべっていた女子の一人、あれは誰だっただろう、とにかくその女子が、なにか企んでいるように口元を歪ませながら、
「あれね、うちが五年生に告白されたってゆったらあぁなったの。なんて言われたかって全部教えたらね、オレらも告白してみようって話になっちゃったの」
わざとらしく困ったように言った。
カァァッと頬があっつくなって、その女子の測るような目線から逃げるようにしてその場を離れた。その人が誰かは覚えていないのに、心内を覗きこもうとするそのまとわりつくような目線だけははっきりと覚えているから不思議だ。
でも、その時の自分は、その目線の意味を考えるより先に、紅潮した頬をどうやって戻すかで精一杯だった。
あれから二年もたっていて、もう終わったものだと思っていた。それなのに、あいつは変わらない気持ちでいてくれて、あまつさえそれを嬉しいと感じているあたしがいる。
その上、次の授業が総合の「将来の夢について」という作文で、否応なくあの日の会話を思い起こさせた。
――あ、あたし、真斗のこと、好きなんだ。
それが、少し遅めの初恋の味を知った時のことである。
作文を書こうとした手は止まり、熱くなる顔をどうにか平静に保たせながら、初めて気づいた”好き”という気持ちの余韻に浸っていた。
その頃は、ようやく苦いものが食べられるようになってきていて、抹茶の良さがわかりかけていた頃だった。


その日の夜は夢を見た。
今でも同じ夢を見る、あの日の物語。
その夢は必ず、うるさいくらいの蝉の声から始まる。
「ねーまなといいの?つうがくろ、こっちじゃないじゃん」
「いいよいいよ。オレんち、こっちからでも帰れるし」
少し帰りが遅くなって、空が茜色に染まるころ、蝉の声がアスファルトにぶつかって跳ねる並木トンネルの大きな坂を、小さな二人は歩いていた。
「わざわざうちのほうまでこなくてもいいのに」
「大丈夫大丈夫。キョリもほとんどおんなじだし」
「まったくもー。怒られてもしらないよ?」
「へーきだって。……あれ、ここ、なんかつくってるの?」
「あー新しい家できるんだって。この辺家ふえるよねー」
「へぇー。……ねぇ、ひより?」
「ん?なに?」
「……えっと、もしオレと陽依がさ、将来結婚したらさ、どんな家住むかなあ」
「なぁにそれ」
「気にしない気にしない」
「……んー、家?なんか、山の中とかに建てそうじゃない?」
「山?」
「ちがったら森の中。庭広くて、木とかいっぱいあって、はらっぱも池もあったりして」
「それで、いぬとかねこ放し飼いするとか?」
「そうそう!家の中は本だらけになるかなあ」
「ひよりのへやはそうなるね」
「あとはー」
とりあえず、盛り上がった。盛り上がってたくさん話した。
住む家のこと、どんな仕事に就きたいか、子供は何人でどんな名前で…などなど、将来のこと、想像しながら。その前にあったことを全部忘れるくらいの勢いでしゃべっていた。…何故か、二人が結婚したらという設定で。
でも知ってたよ。その質問の理由も意図も。わかってて、でも気不味くなりたくなくて、わかってないふりをした。だってバレバレなんだもんあいつ。みんな知ってたよ。あたしも知ってた。――まなとがひよりを好きだってことくらい。
でもあたしは恋を知らなくて、抹茶飴は苦いだけのものでしかなくて。だから、笑って誤魔化して、はぐらかすように無邪気に話して。
「いつかさ、中学生になったときとか、付き合ったりとかして、もし、結婚とかさ、そーゆーことになったらさ、」
途切れ途切れの真斗の言葉が、蝉しぐれの合間をぬうようにして聞こえる。薄暗くなった木々の隙間から、小さな一番星が見えた。
「ひよりだけの本のへや、つくるよ」
――約束する。
それはたぶん、小学二年生の精一杯のプロポーズだったと思う。


真斗のことは好きだった。誰よりも好きだった。
真斗だったら逆立ちしてても後ろ姿だけで見つけられる。全校生徒の歌う中でも、真斗の声なら聞き分けられる。ずっと好きだった。小六のとき、新しくできた真斗の好きな人を聞いて絶望した。それでも想い続けていた。
好きだった、好きだった、好きだった、好きだった、好きだった……今も、好きだ。
思い出になってくれない。物語にもなってくれない。
朔哉には失礼極まりなく、残酷で最低なこと言ってるけど、ごめんね、あたしこういう奴なんだ。
諦めた。切り捨てた。もう忘れた。なかったことにした。――そんな器用じゃないんだよっ!!
ずるずる引きずって、くだらないこと覚え続けて、薄い根拠にしがみついて。とてつもなく重いくせに告る勇気さえ持ってなかったんだ。どんなヘタレだよどんな臆病者だよ。こんな奴にやつあたりされて睨まれる壁が可愛そうだ。
だから――今度こそ。
諦める。切り捨てる。吹っ切るし、終わりにする。なかったことには、きっと、できないから、……そうだね、いつか笑い飛ばしてやろう。器用になって。思い出にして。もう二度と、夢も見ないで。
そしていつか語ってやるんだ。これはあたしの青春物語だって、どこかの誰かに、笑い話として。
「よし」
小さく呟いて、両頬を挟むように叩いた。心臓に宙返り禁止令を言い渡してから、深く深く行きを吸い込む。空気と一緒に喉につっかえていた飴も流れた気がした。舌の上に甘さと苦さは残したままで。
「……ねぇ、真斗?」
約束しない?絶対に青春を楽しもうっていうばかみたいな約束。あたし、朔哉と幸せになるからさ。お前も誰かと幸せになってよ。
「ん?なに?」
遠くから、蝉の声が聞こえた気がした。

約束 ~飴色蝉時雨~

約束 ~飴色蝉時雨~

「あの日の約束は、もう捨てます」 連作短篇集の第一部作です! 中学校最後の年に紡いだ、ちっぽけでかけがえのない青春物語。 今ここに、開幕します!

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-08

Copyrighted
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