ふわりきらり
目と目が合った。
高校生になったらやってみたいこと。
一つはバイト、自分で稼いで好きなものを沢山買ってみたい。
もう一つは恋愛、ちゃんと自分が好きになった人と付き合いたい。
「って言ってもなぁ……」
ぽつりと吐き捨てるように呟き電車の窓ガラスにコツンと額を当てる。
バイトの方は5月中旬から駅前のカフェで働かせてもらってちゃんと好きなものも買えた。
でも、恋愛に関しては気になる人も好きな人もできなかった。
「どうしてだろー」
「何が?」
無意識に呟いた言葉に返答があったので思わず肩がビクッと震える。
顔だけ背後に向けると私より高い位置にある見知った顔が見えてほっとした。
「吏人っ、脅かさないでよー」
「ごめんごめん」
彼は牧田吏人、私の幼馴染でお兄ちゃん的存在。
いつも優しくて明るくて困った時はいつだって駆けつけて助けてくれる、そんなとこが大好きだった。
高校生になってお互い忙しくて家で顔を合わせることは少なくなったけど今でも吏人は変わらず接してくれる。
最高の幼馴染だなぁって改めて感じていると、吏人はひょいと顔を覗きこんできた。
「優亜、どうかした?」
「えっ?何でもっ」
「……ふーん」
そんな目で見ないで分かってるから!
怪訝な目で見つめられると真正面から目を見れなくなってしまう。
気まずい雰囲気がいつまで続くのかと耐え兼ねていたら丁度自分の降りる駅に到着した。
私はドアが開くと同時に慌ててホームに駆け降り、そのまま駅の外までダッシュした。
高校生になって感じたことは男子の急激な成長。
吏人も中学までは少し背が伸びたくらいで声もあんまり変わってなくて何も思わなかったのに。
なのに今ではかなり見上げて話さなきゃいけないし、声も低くなって肩幅も大きくなって、どんどん男の人になっていく。
そんな変化に戸惑い始めて前みたいに吏人とずっと二人っきりでいるのが気まずくていつも逃げ出してしまう。
「ぅー、訳わかんないよぉ」
「それは恋してるからでしょー?」
「え?」
翌日の昼休み、友人の美紀と穂乃花と杏里の3人に相談したらそう言われた。
確かに吏人のことは大好きだけど、でも、幼馴染だし。
「いつも一緒にいれば分かんないと思うけどさ、絶対恋だよそれは」
「ついに優亜も彼氏ができるのかー」
「私も頑張んなきゃ!」
3人できゃあきゃあと盛り上がられて何も言えなくなる。
既に彼氏持ちの美紀に恋だと言われると何でかそう思えてきたりもする。
でもでも、と悶々と考え込んでいると突然廊下の方が騒がしくなった。
穂乃花と杏里が来た来たっ、と廊下の方に顔を出したので私と美紀も続いて顔を出す。
すると穂乃花が嬉しそうに話しだした。
「新入生代表挨拶してた佐崎颯人君!特進クラスで頭もよくて性格も良くて今凄い人気なんだって!」
へぇー、と興味なさそうに呟く美紀と目をキラキラさせて見つめる杏里。
人が混んできて前がみえなくて何とか隙間からその佐崎君を探してみた。
あ、いた―――。少し着崩れした制服に緩く締めたネクタイ、さらさらした黒髪と爽やかな笑顔。
これは絶対モテるよなぁ、と感心していたら不意に佐崎君と目が合ってしまった。
「っ……」
「きゃーッ、今こっち見たよね?!」
その視線が誰に向けられたかでまた騒ぎだす女子達の中で私は一人茫然と立ち尽くした。
今目があった時、何でだろう、ドキッとした。
違うよ絶対。びっくりしちゃっただけだよ、きっと。
「優亜?顔赤いけど大丈夫?」
「うっ、ううん。全然平気、元気元気!」
「そう?てか、何そのポーズ」
変なのー、と美紀達に笑われながら私は熱くなった頬を両手で隠した。
―――何だろう、この変なドキドキって。
雨の中で。
あれからも吏人とは普通に話したりするけど、何だか意識しちゃう自分がいて。
あぁ、好きってこういう事なんだって思ったり、いやでもこれは違うんじゃないかなって思ったり。
複雑な心境のまま時は過ぎて夏休みまで残り二週間。
「……わ、雨」
今朝までは雲一つない晴天だった空が次第に黒い雲に覆われてかなりの大雨になってしまった。
天気予報ではそんなこと言ってなかったし、折りたたみもこの間壊れちゃって持ってきていない。
仕方ないか、と玄関の前で一人雨が止むのを待っていると隣に人の気配がした。
もしかして傘忘れたのかな、と足元を見てみると傘は持っていた。よかった、あれ、でも制服男子だ―――。
「ッ!」
ふと顔を上げると私は驚きのあまりバッと顔を反らし自分の足元に視線を落とす。
嘘、え、何で佐崎君が、って別にいてもおかしくないって。
心の中であーだこーだと言い聞かせているとバサッと傘が開く音がしてまた視線を上げる。
するとそこには傘をさして歩き出した佐崎君の姿があった。
よかったぁ、二人っきりって何かドキドキしちゃうんだよな―――――って、え、戻ってきてる。
どうしてなのか佐崎君はくるりと振り返り私の前まで来ると段差の下から見上げるようにして少し首を傾げた。
「入る?傘」
「えっ、でも……」
佐崎君のファンの子達だったら即了承しそうな提案だけど。
さすがに初対面でそれは馴れ馴れしいよね、とか深く考えすぎちゃって中々答えを出せなくて。
すると佐崎君は私と同じ位置まで上がってきて傘を半分私に被せてきた。
さっきとは目線が逆転して私が見上げる形になる。
「嫌なら傘貸すけど」
「えっ、もう一つ持ってるの?」
「持ってない」
そうなったらきっと佐崎君は濡れてでも帰って私に傘を貸してくれる。
それだけは嫌で私のせいで風邪引いてほしくなくて、結局さっきの葛藤は意味なしで傘に入れてもらうことにした。
相合傘をするのが初めてだった私はどのくらいの歩調で歩けばいいのか分からなくて凄く遅くなってしまう。
でも佐崎君はそのペースに合わせてくれて、傘も私の方が被ってる面積広くて。
女子の扱い慣れてるなって気付くのとそれにちょっと戸惑ったり胸が痛くなる自分に気付いて。
最近はずっとモヤモヤして過ごしてる。せめて、佐崎君へのこのドキドキが分かれば解決するかもしれないのに。
「何組?」
突然話しかけられてビクッと反応してしまう。
私は慌てて答えた。
「3組っ、佐崎君は1組だよね」
「うん」
あの日廊下で見たあの笑顔とは違って、今は優しげな雰囲気で心地いい。
傘に雨が当たる音と地面に雨が落ちる音がやけに耳に響いて妙に緊張してしまう。
すると急に佐崎君が立ち止まり私の腕を掴んで歩き出した。
突然のことに驚きを隠せなくて私はついて行くしかなくて、胸が高鳴るだけで。
「ちょ、佐崎君っ、どうし―――」
「猫。濡れちゃってる」
「あ……ほんとだ」
指差された方に視線を向けるとそこにあったのは小さな段ボールとピンクの痛んでしまったタオル。
そしてその中で小さく蹲って震えているのはまだ幼い黒白の仔猫だった。
そっとしゃがみ込んで濡れている仔猫を抱き抱える佐崎君の姿を私は隣でじっと見つめていた。
チラ、と仔猫をみるとこの寒い中随分と濡れてしまったようでくしゃみのようにビクッと時折体を震わせ固まったまま動かない。
どうしよう、このままじゃこの子が――――あ。
「佐崎君!」
「ど、どうしたの」
「この子病院に連れて行こう!私親戚の病院がこの近くにあるから。早く!」
気付けば二人とも雨なんてお構いなしに駈け出していた。
病院に着いてすぐ伯父さんに仔猫を診てもらった。
「随分弱ってるけど、大丈夫。一日入院して様子をみてみようか」
「よかったぁ……」
ほっと胸を撫でおろし思わず跪く。
隣で同じようにしゃがんだ佐崎君が優しく背中を撫でてくれた。
伯父さんは一旦奥に入りタオルを持ってくると、風邪引くよと言って私達に貸してくれた。
結局雨が止むまで奥の部屋で待たせてもらうことになって帰りは二人とも送ってくれることになった。
タオルを肩に掛けてソファに座り、出されたお茶を一口口にする。
「あの、ごめんね。私のせいで濡れちゃって」
「謝んなくていいよ。……えっと、」
「あ、草木です。草木優亜」
「ごめん。草木さんは何も悪くないから」
名前を知らなくてもおかしくないのに申し訳なさそうに微笑む佐崎君にどうしようもなく胸が痛む。
痛む、と言っても痛いっ、とかじゃなくて。なんというか、キュンって感じで。
おかしいなー、私って吏人のことが好きなはずなのに吏人にはキュンってしたことないよね。
うーんとまた考え込んでいると突然携帯の着信音が鳴り響いた。
「もしもし。あー、うん……今はちょっと無理。うん、わかった。冷えるから中で待ってて」
どうやら佐崎君の携帯だったようで、電話が終わると佐崎君は立ち上がり荷物をまとめ始めた。
「え、もう帰るの?」
「ごめん。急用ができて。伯父さんには俺から断っとく」
ほんとごめん、ともう一度言われて私は笑って見送った。
実を言うと電話の声が少しだけ聞こえたんだよね、ほら、ちょっとだけだけどね。
男子にしては高い声だったしあの口調からして彼女かもしれない。ううん、彼女だと思う。
てか佐崎君に彼女がいないはずないよ。あんなカッコいいんだもん。いないほうがおかしいって。
―――分かってるはずなのに。
「……っれ、おかしいなぁ」
何でこんなに胸が苦しいの?どうして、どうして。
次から次に溢れてくる涙の意味が自分でも分からなくて、苦しくて。
今だって頭の中に浮かぶのは佐崎君の顔ばっかで。
廊下で見た笑顔とかちょっとした気遣いとか優しい言葉とか微笑んだ顔とか。
どうしようもない気持ちを抑えたくて早く消し去りたくて、でもどうしたらいいか分からなくて。
私はただ、泣き崩れるしかなかった。
複雑な気持ちで。
しばらく涙が止まらなくて部屋に入ってきた伯父さんにもの凄い心配された。
大丈夫と言って家に送ってもらったけど、何で涙が出たのか、モヤモヤは消えないままだった。
こういうとき私は自然と向かう場所がある―――。
「どうし―――って、何で泣いてるの」
「吏人ー……っひく」
「わかったから、とりあえず部屋に上がってっ」
安心する人の顔があるとつい抱きついてしまう。これは私だけかな、いや、それは気にしないでおく。
呆れたように笑いながらも結局吏人は優しくてわざわざ部屋にココアを持ってきてくれた。
男の子だけどシンプルで落ち着いた雰囲気の吏人の部屋は昔から妙に居心地が良くて好きだった。
私はココアを息で冷やしながら少しずつ飲んでいく。
と、隣に腰かけていた吏人がふわっと頭を撫でてきて優しく微笑んだ。
「何かあった?」
「……痛い、」
「怪我したの?」
私は大きく首を横に振る。
怪我したときの痛いと全然違う。苦しくて、胸がぎゅうってなる。
「優亜?」
「っ、な、何でもない!ちょっと混乱しちゃっただけ」
へへっと作り笑いをしてみたけど吏人にはバレバレだったみたい。
ほんとに?って心配そうに聞かれたけど、私は何だか吏人には言えない気がして逃げるみたいに部屋を出ていった。
ごめん吏人―――。
***
「絶対何かあったろ」
優亜が突然泣きながら来た時は焦った。
怪我でもしてるのかなって思ったけど、そうじゃないみたいだし。
正直最近は学校でも話す機会少ないし、帰りも俺の部活とかで一緒に帰らなくなっていたから。
優亜の悩みとか聞いてあげれてなかったな。
「幼馴染、ね……」
確かに互いの両親が同級生で家を隣同士に建てた俺達は生まれた時から一緒だったから所謂幼馴染って奴だけど。
高校に入ってから妙に女子度上げてきたっていうか、女っぽくなった優亜といると気まずいっていうか。
いや、変な意味なんてないからね?←ここ重要。
とか何とか悩んでる時に限って母さんが下で呼んでくるし。面倒だから無視しよっかな。
「もう吏人!聞こえないふりしないでよ!」
「うわっ!いきなりドア開けんなよな」
「じゃあお母さんのこと無視しないの!泣くからねっ。ママ泣くからね?!」
「あーはいはい。すみませんでした!」
ったく、これだから母さんは。
40後半になるくせに性格が幼い母はよく言えば可愛らしいが、悪くいえば鬱陶しい。
でも嫌いにはなれないんだよな。これが不思議だ。
下に下りると妹の紗希と父さんと母さんが庭でバーべキューの準備をしていた。
後で優亜の家も呼んできてと頼まれたので、若干さっきの優亜の事を心配しつつも俺は紗希と二人で草木家へ向かった。
ふわりきらり