どこまでも優しくて、どこまでも残酷な君

どこまでも優しくて、どこまでも残酷な君

登場人物

市川怜悧(いちかわれいり)・・・一言で現すなら猟奇的
市川千郷(いちかわちさと)怜悧の義兄

僕、相川環(あいかわたまき)
  相川美月(あいかわみずき) 環の姉

藤堂薫(とうどうかおる)怜悧のマブダチ

倖田啓介(こうだけいすけ)僕の学校の一年先輩 弓道部部長兼生徒会副会長

岡崎めぐる クラス委員長 弓道部副部長 秀才
田所       副委員長
長渕 クラスの担任(あだ名はトンボ)

Ⅰ 怜悧のこと……

 市川怜悧(いちかわれいり)と出会ったのは高一の夏休み直前。
これは転校してきた怜悧に一目ぼれした僕、相川環(あいかわたまき)との物語。


  *****



 「なに? なんか話でもあるの、わたしに……」
放課後の教室、残ってるのは転校してきたばかりの市川怜悧と僕だけ。偶然今日の掃除当番が一緒だった。それだけ……。
「授業中もずっと見てたでしょ。ぶしつけな視線で……言いたいことあるなら、言いなさいよ」
 振り向いた彼女と何度も目が合った。当たり前だ、ずっと僕が彼女の背中を見ていたんだもの。
 そのたびに彼女は「なに、こいつ」みたいな顔をした。
「……自分でもよく分からないんだ。こんな感情初めてだから……」
「どんな感情よ。言わなきゃわかんない」
 僕は黙ったまま俯く。女子と喋るのに慣れてない。すでに見透かされてるだろう、そんなこと。
 真正面から見つめるメガネ越しの視線が痛い。
「あなた、草系? 少なくとも肉系じゃないよね。痩身のチビだもん。わたしより女の子みたい。体重いくつ?」
 チビって言われた。酷いこと平気で言うんだな。まあ確かに彼女より背が低いかも、ほんのちょっとだけれど。
「五十キロ、女子と喋るのに慣れてないんだ。あんま喋るの得意じゃないし」
「で、最初に戻るけれどなんか用わたしに? 転校したてだからって間違っても友だちになってなんて言わないよ、わたし」
「いや、その、なんて言うか……君を見てるとドキドキしたり、こう、なんて言うか、抑えられない感情みたいなものが……」
 市川怜悧がつかつかと歩み寄り僕の右手を取り、それを自分の左胸に押し当てた。
「……はぁ!? な、なにするの!」
「だってまどろっこしいんだもの。生きてるのよ、ドキドキなんて当たり前でしょ。素直に恋しちゃったくらい言えないのかなぁ」
 僕はとっさに手を引いた。柔らかい感触が残った。市川怜悧の左胸の感触、心臓の鼓動……。
 顔が火照るのが分かった。きっと真っ赤だろう、からかわれてるのか僕は……。

 「まあ、この学校でまともに話しかけてきたのはあなたが初めてだから、一回くらいデートしてあげなくもないわ」
「デ、デ、デート!?」
「女子とデートもしたことないの? 晩生ねぇ、今時珍しい無形文化財級の……もちろん童貞だよね、うふふ」
「あるさ! 二人っきりって経験ないだけ。みんなでプールいったり、ゲーセンいったり、カラオケだって……」
「そういうむきになるとこがねぇ……童貞君あはは。よーく見るとかわいい顔してるね、名前なんだっけ?」
「相川、相川環(あいかわたまき)。童貞君なんて言い方よせ!」
「これは、これは、失礼したわ。たまきー、あはは」
 赤い縁のメガネが踊った。ロングヘアーが揺れた。市川怜悧は席に戻りブレザーとセカバンを取り僕にこう言った。
「行きましょ環。そろそろ先生が見回りにくるよ、こんなやつに恋しちゃうなんてあんたも大変だね」


 ****

 河川敷までママ・チャリを漕いだ。女の子を後ろに乗っけて漕ぐなんて初めてだった。
「いけー環! 銀河の果てまでー!」
 怜悧は自転車に乗ってる間中「星間飛行」を口ずさんでいた。

 河川敷を登りきったところで僕は息絶えた。夕方の河川敷、人影もまばら。
 怜悧が飛び降りたのを確認してママ・チャリを放り投げ芝生に寝転んだ。
「はあはあはあはあ……も、もう無理」
「体力ないなあ、運動は苦手? 童貞君じゃなかった、環クン」
怜悧が覗き込む。汗臭いんじゃないか、それだけが気になった。
「得意じゃないだけ。二人乗りなんて初めてだし……」
 市川怜悧は僕をじっと見、やわらセカバンからハンカチを取り出して僕に渡す。
僕はそれを無言で受け取り、額の汗を拭った。
 怜悧の顔が僕の胸にかぶさる。髪の匂い、芝生の匂い、川面を渡る風の匂い。いろんな匂いが交じり合って鼻腔をくすぐる。初夏だ、恋にはもってこいの季節だ。
「すごい! 心臓が早鐘を打つってこういう状態なのね。大丈夫 ?」
「死にやしないさ。まだ十六だしね」
「分からないよ、そんなこと。明日死ぬかも、あさってかも……」
「分からないけれどね、明日死ぬかもなんて思って生きてるやつなんかいないさ」
「そうね、でもいつ死んでもいいように、ちゃんと告白しといたらどう環?」
 見つめられると相変わらずドキドキする。
「好き、なんでしょ? わたしのこと……一目ぼれしちゃった? 恋しちゃったの?」
覗き込むと、僕の顔色を伺うような視線。メガネの奥で笑みを見せる瞳。長い睫毛、吸い込まれそうな藍色の瞳。僕はほんとに恋しちゃったみたいだ。

「市川怜悧。ぼ、僕は君に一目ぼれしました。なんていうか、そう、これが恋なのかな?」
言葉の端々が震えていた。見透かすように怜悧が更に覗き込む。
 そして、おもむろにメガネを外してこう言い放った。
「犬になれる? わたしの……」
「い、犬って!?」意味が分からなかった。犬ってなんだ!?
 怜悧はつっかけたローファーを放った。
「取ってきて、今すぐ」
「取ってきてって!?」
「ほらーソックスが汚れちゃうでしょ。取ってきてよ、手で拾っちゃだめよ、口で咥えなさい」
躊躇してると脱いだほうの足で背中を蹴られた。仕方なくローファーを口で咥えた。靴クリームの味がした。
「そこに置いて、そうそう。靴下汚れちゃった。舌で舐めて、汚れ取ってよ」
「できないよ。そんなこと、できない」
「じゃあ、ここで終わりね、わたしたち。終了」
すっくと立ち上がり歩き出す怜悧。
「わ、わかったよ……や、やるよ。終わりなんていやだ、始まったばかりだよ、僕たち」
振り向きざまに怜悧が言う。
「僕たち? 始まったばかり? なにそれ……一度逆らったらもっとハードル高くなるの。憶えておいてね環」
 すごい剣幕で怜悧が僕の腕を引っ張る。橋の下、橋脚に僕は立たされる。
「な、なにすんの?」
僕を睨みながら怜悧はローファーを脱ぎ、靴下を脱ぐ。ところどころにたまった汚水に裸足の足を浸す。
 「舐めて……きれいにして、逆らったバツよ」
橋脚にもたれながら怜悧が汚れた脚を差し出す。
 僕は混乱する……なに、これって? ゲームかなんかのつもりなの? 怜悧、分からないよ、なんで!?
「できないなら終わりよ。即終了、犬はご主人様の命令は絶対なの、逆らったら更にハードル高くするから、際限なくね、いい?」
 僕は諦めた……犬はご主人様の命令には忠実に従わなければならないんだそうだ、それでも怜悧の傍にいられるならそれでいい。

 怜悧の足を両手で挟み、指を舐めた。すえた泥水の匂い。それでも怜悧は指の間まできれいにしなさいと僕に指示した。僕は腹でもこわさないか、それだけが心配だった。
 僕は言われるままに足の泥を舐めた。プリーツの入った制服のミニスカートから太股やパンツが覗いた。
「どこ見てるの! 犬のくせに……」
舐めてる舌が膝まで到達した時「はい、終わり!」続いて「靴下履かせて!」「靴も!」と、立て続けに命令口調で怜悧は僕を痛めつける。
僕はまるで催眠術にかかったみたいに怜悧のいいなりに従う。 でも、嫌じゃなかった。信じられなかった。
 こんなことをしてるもう一人の別の自分がいるような感覚、僕はそんな僕を俯瞰で見てる。
足を舐めるのも、靴下を履かすのも、ローファーを履かせてあげるのも……いやじゃなかったんだ!?
 「とりあえず合格。あはは付き合ってあげるわ、明日も、でもあさってはないかもよ……但し、友だちでも恋人でもないわ。飼い主とその愛犬としてならね」

 次の日の昼休み学校の屋上に呼ばれた。
手すりを背に怜悧は含み笑い。
「環どう? 犬の生活二日目の感想は?」
「犬が喋っていいの?」

 怜悧が笑った。残酷な笑い。チェシャ猫みたいにずるがしこい笑い。
「この学校しごくまともなんでびっくり。前の学校は援助やってる子や、クスリやってる子なんか普通にいたのに……ツーショのチャットで小遣い稼いでる子とか」
「一応、進学校だからね。東大にも現役で入ってる子いるし」
「つまんない学校……ママが選びそうなとこだわ」
「怜悧もそんなことしてるの?」
 吹き抜ける風が夏が近いことを告げていた。気の早い蜩が耳障りに鳴く。
 「そんな風に見える?」
「見えないよ。頭よさそうだもの」
「メガネで騙されてるね。だいたい、頭いいのと、そっち方面となんか関係ある? まあいいわ。頭はいいほうかな、どうだろ……身体は、脱いだらすごいんだよわたし。百六十五センチ、四十五キロ、胸大きい、腰めっちゃくびれてるし、ヒップは桃みたいだし、脚長いしね」
「そのスカート、校則違反だよ。短すぎるもの」
 笑ってる時の怜悧はとっても可愛い。あんなことする子には見えないんだけれど……。
「さっきから脚ばっか見てる。舐めたい? 昨日みたいに……あはは」
 そういうこと、平気で言えるんだ。そんな顔して……。
素足にローファー……舐めたい。そう思った。どうかしてる、昨日から……。
「部活入ったの……弓道部。放課後、校門のところで待ってて、部活終わるまで。帰ったら許さないから」

 ***

 校門のところでブラブラしてたら不思議そうな目で僕を見るクラスの子何人かとすれ違った。

 数人が体育館の裏手の弓道場から出てくる。中に怜悧もいた。
長身の男が怜悧に話しかける。
「誰?」
「うん、クラスの子……」
「じゃあまた明日。さよなら」
「うん、明日。さようなら」

 一団と離れてゆっくりと怜悧が近づく。
「誰だったの今の人。先輩?」
「うん。弓道部の部長、気になる?」
 いたずらっぽい目で覗き込む。悪魔みたいな目つき……。
「あれ、メガネは?」
「コンタクトよ。まとが見づらいんだもの」
「メガネないと見違えちゃう。なんか、怜悧じゃないみたい」
「メガネしてるとブスなんだわたし。やなやつね環って」
「いや、そういう意味じゃないよ。可愛いってより美人って感じでさ」
「もう遅い……罰を与える。ちょっと、駅前のショップ付き合ってよ。メガネ屋さんでメガネのつるとコンタクト見てもらうから……」
 罰を与えるてのが気になったけれど、僕は頷いた。

 一階のメガネ屋で、メガネの調整をしてもらう間、ぶらぶらとテナントショップを見て回った。
夕方の時間帯、人いきれでごった返していた。
 怜悧がファンシーショップを見つけて僕の手を引いた。
カウンターに飾ってあるネックレスをじっと見ている。
 シルバーのペアのオープンハートが気にいったみたい。じっと手にとって見つめてる。
「気に入ったの?」
「うん」
「買おうかそれ、たいした値段じゃないし……」
「買ってくれるの?」
「ペアだろ、僕もしたいもの」
ネックレスを僕に渡す。
「ここにいて……動いちゃだめよ」
ゆっくりと怜悧が離れてゆく。僕はお預けをくらった犬の心境で立ち尽くす。
 携帯が震えた。
『それ万引きして、わたしのために……』
『できないよ、そんなこと……』
『犬なんでしょ、飼い主に逆らうの?』
 向かい側で怜悧が微笑んでいた。きっと犬歯かなんかがぎゅーって伸びてる。そうに違いない。
『だから買うってば……』
『買ってなんかいらない。買ったらそんなもの捨ててやるから!』
『ぼ、僕にはで、できないよ』
 唇が震えた。ネックレスを持つ手も震えた。
『できなきゃ、ここでさよならだよ。できなきゃ……以後、いっさいの接触を絶つから』
罰を与えるって意味がやっと分かった。震える手でネックレスを握り締めた。
 他の客にかかりっきりの店員は全く気付いていない。
 落ち着け、落ち着くんだ。自分に言い聞かせた。
 振り向くと向かい側にいたはずの怜悧はいなかった。

 店内を出た。どっと汗が噴出した。
「メガネ屋さんでメガネ受け取ってきた」
背中越しに怜悧のうれしそうな声。びくっと身体が反応する。
 「逃げよ! 環!」
店のドアからこっちに向かってガードマンが走ってくる。
 監視カメラかなんかでばれたのか! 
人ごみを掻き分けて走った。こんなことはもう沢山だ! 怜悧が僕の手を握った。
笑っていた。満面の笑みで僕を見つめる。呼吸ができない! 苦しい! こんなことはもう沢山だ!
「良くやった。これでまたひとつわたしの信頼を勝ち得たぞ、環」
更に人ごみを掻き分け走った。やみくもに走った。怜悧と手をつないでいつの間にか僕も笑っていた。
 うまく息ができず、可笑しいのに笑えない。金魚が水面でプカプカするみたいに息が吸えない。
「うはぁ、はぁ、はぁ、こ、こんなこともう沢山だ!」

 気が付けば人影もまばらな公園のベンチ。
「付けてよ。そのネックレス」
「もう、こんなことやだよ。もう二度としない」
「いいから付けてったら!」
髪を持ち上げてうなじを向ける。握り締めたネックレスは汗でびっしょり。
「素敵。最高のプレゼント、ありがとう環」
優しい手つきで怜悧が僕の首にペアのネックレスをはめる。
 耳元で怜悧が囁く。
「これは首輪よ。わたしの犬君……何度もこういう目に合わせてあげるわ」


 ***


 日曜日、怜悧からテル。今すぐ遊びに来いという。 住所は、ここからそう遠くない。ママチャリに飛び乗る。
 二十分ほど必死で漕ぐと怜悧の家の前に着いた。門扉の表札を確かめる。
 築百年は経ってそうな豪邸、二メートルほどもある塀には蔦が無数に絡まっていた。
  
 「入んなさいよ。なにぐずってるの! 今日はパパもママも留守、犬なんだから言うこと聞くのよ。ちゃんと言うこと聞けたらご褒美上げる」
僕は無言。怜悧は薄い生地の白のワンピースを着て僕を値踏みするように見てる。下着が透けて見えそうだった。思わず目を伏せた。
 「玄関で目をつぶって百数えて……かくれんぼなんて何十年ぶりだろ……わたしを見つけたらキスしてあげる。いい?」
 僕は頷く。律儀に百数えてスニーカーを脱ぐ。
「ごめんください」もちろん返事なんかない。
広い三和土から続く廊下を音を立てずに歩く。中庭はよく手入れされた日本庭園風。池や鹿威しまである、立派なものだ。廊下に場違いなワンピースが脱ぎ捨てられてあった。さっきまで怜悧が着てたものだった。
 それを拾う。すこし歩くと白いブラ、そしてパンツ……もしかしてまっぱ!?
心臓を押さえた。張り裂けそうなほどドキドキしていた。額やうなじに汗が滲んだ。なにも天気がいいとか、夏日とかってだけじゃない。手にはしっかりワンピとブラとパンツを握って更に奥に進む。
 辺りは静まり返って、鹿威しの音にびっくりしたり……影が見えた。
「怜悧!」
廊下の曲がり角、ひよっこりと顔が覗く。
「はぁ? 君は誰だ?」
「す、すいません。人違いです……てっきり怜悧だと思って……」
「あはは、なんだよその下着? ふふん、怜悧のお遊びにつき合わされてるわけか……」
慌てて後ろでに隠す。もう遅い、しっかり見られた。両手に下着、どう見ても変だ。
「す、す、すいません! 市川さんの学校のクラスメイトで、その、相川です。相川環です」
「へえ、怜悧が友だち呼ぶなんて珍しいな。怜悧の義理の兄の千郷(ちさと)です。多摩美の一回生、四つ年上。母の連れ子だからね、怜悧とは血のつながりはないよ」
「す、す、すいません。怜悧さんがかくれんぼしようなんて言うもんだから」
「さっきから謝ってばかりだね、まあゆっくりしてってよ。僕のことは気にしなくていいよ。すぐ大学に戻るから、学祭の出展製作に忙しくてね。かくれんぼか?怜悧とねえ、大変だね君も、あはは」
 長身、痩躯イケメンを絵に描いたような兄貴がいるとは……一言も聞いてなかった。家には怜悧と僕だけだと思ってたから……犬には説明不要ってわけか。

 廊下を更に奥に進む。障子で仕切られた部屋がいくつもあった。なんて広さだ。無駄の極地。

「もう飽きちゃった。全然見つけてくれないんだもん」
中庭の生垣からひょっこり怜悧が顔を出す。スヌーピーのTシャツにピンクのショーパン。まっぱじゃなくて良かった。
 「見つけた!」
「バカ! こっちから出てきてやったのよ」
「でも、見つけた……」
「キスなんかしてあげないわよ。見つかったわけじゃないもの、お預け」
犬の気持ちが分かるようになってきた。お預けはことのほかつらい。
「お兄さんに会った」
「えぇ? 帰ってきてたの?」
「なんか取りに帰ったみたいだったよ。すぐいなくなったもの……」
「兄貴なんか言ってた? わたしのこと……」
「怜悧のおふざけにつき合わされるのは大変だねって……」
「ふーん、そんなこと……あいつも女癖悪くなきゃいいやつなんだけどね」

 廊下は更に続いていた。いったいどのくらいの敷地なんだろここ? 
渡り廊下の前にきた。
「こっちの離れにわたしと兄貴の部屋があるの。寄ってく? 男なんか入れるの初めてよ私室に」

 ドアを開けると八畳ほどの洋間。見事になんにもない。窓側にベッドがあるだけだ。本棚やクローゼットは全部壁にくくりつけ、だからか部屋がやけに広く見えた。
ベッドの上にノート・パソコン。そこから外部のi-podみたいなスピーカーが二個、クラッシクがゆったりと流れる。
「なんて曲?」
「バッハ、無伴奏チェロ組曲、チェロはヨー・ヨー・マ。兄貴の趣味よ」
 ベッドも黒、PCも黒、ベッドカバーも黒、白い壁にシンジと綾波のポスター。まるで男の部屋みたいだと思ったけれど、口には出さなかった。
「ここにいてもいいのかな僕……」
「なによそれ、シンジじゃん」

 ここは父親の祖父の家なんだそうだ。その祖父が完全介護つきの高級マンションに移り住んだために、市川家四人に引っ越してくるように、いわば強制されたんだと怜悧は言った。
 この家屋は築百年どころの話じゃないらしい。有形文化財なみだそうだ。
 「葬式だけは仕方ないけど、それ以外は絶対わたしたちの世話にはなりたくないんだって祖父も祖母もね」
「座敷わらしかなんか出そうだよね、ここ。ああごめん……」
「いいわよ、別に……この家に住むのだって義理みたいなもんでしょ、大人の。パパもママも別に愛着なんてないわ。わたしだって都心のマンションのがずっといいもの」
 「この部屋に入った最初の男が僕なんて……なんか、光栄だな。怜悧に近づいた気がする」
「ふん、で、見つけたご褒美なにがいい? キスはダメよ、キスはお預け。まだ早いもの」

 雰囲気が変わった。怜悧の匂いにむせそうになった。勃起しちゃう。この部屋には怜悧と僕だけ……家には誰もいない。ベッドに座る怜悧のショーパンからむき出しの真っ白な太股、素足、Tシャツから覗く胸のふくらみ、頭がくらくらした。
「……あ、脚なめていい?」
 勝ち誇ったような怜悧の顔。足先を僕の鼻面に差し出す。
「犬のくせに贅沢ね」
僕は夢中でむしゃぶりつく。足指からゆっくりと丁寧に舐める。
 怜悧は目を閉じ、ゆっくりとベッドに横たわった。
 無伴奏チェロ組曲が何度もリピートする。くるぶしからふくらはぎへとゆっくり舌を這わす。膝からふとももへと移動する。抵抗しない怜悧。いつもはせいぜい膝下までなのに……太股を舐めまわす。
 腕が自然にTシャツ越しに胸を撫でる。柔らかくて、弾力があった。指が乳首を探し当てた。
 「はぅう……」押し殺した怜悧の声が空気に溶けた。

 「いっちゃった……」
「バカ! なに勝手にいってるのよ。犬のくせに、むかつく!」
蹴飛ばされて床に転がった。
「なにその顔、卑屈な野良犬みたいな顔して!勝手にいくなんて許せない!」
首根っこを掴まれ、クローゼットに引きずられる。
「ごめんなさい……怜悧、ごめんなさい……」
「うるさい! はいんなさいよ。お仕置きよ、ただじゃ済まさないから……勝手にいくなんて」
入る前にまた蹴飛ばされた。もんどりうってクローゼットの奥の壁に頭をしこたま打った。
クローゼットに鍵をかける音。ルーバー越しの灯りに怜悧が見える。
「……怜悧、ごめんなさい。勝手にいってごめんなさい」
ベッドに寝たまま肘をついてこっちを見つめる怜悧。
「許さないから童貞シンジ……絶対許さないから」
 PCの音楽が変わった。
 エヴァのエンディングかなにかの曲だった。「甘き死よ、来たれ」

 ぞくぞくした。ルーバーからかすかに見えるベッドに寝転んだ怜悧の姿。
その右手は太股の付け根に隠れていた。微妙に動く右手、顔は見えない。
 時々、ため息みたいな吐息が漏れた。
 妄想が加速する。ごわごわした僕のパンツ、ベッドの軋む音、ルーバーからもれる怜悧の吐息、僕のことなんかとっくに忘れて右手の動きに夢中な怜悧。白昼夢みたいな情景。

 PCはその曲を何度もリピートする。

『私は壊れていく 壊れていく
 壊れていく

 崩れていく 崩れていく
 崩れていく
 壊れていく 壊れていく
 壊れていく
 崩れていく 崩れていく
 崩れていく
 壊れていく 壊れていく
 壊れていく 』

Ⅱ 日常と怜悧という非日常の硲

 
 七時、目覚ましの音……消そうと必死に手を伸ばす。
「環!!起きなさい。ごはん、できてるわよ」

 ぼおっとした頭で階下に下りる。
「環!それぇ、わたしの歯磨き粉! 高いんだから使わないで!」
 相変わらず姉ちゃんは朝から元気。
 ゴシゴシと音がするくらい磨いたらいくぶんかすっきりした。
 怜悧のこと考えてたら眠れなくなって朝方まで起きてたから、頭にはまだ睡眠の欲求が充満していた。
実を言うと、怜悧のオナニーを妄想して、眠れなかったってのが正直なところだ。
 今だって頭の中に怜悧の吐息がこびり付いていて、中々消えてくれない。
 パンと牛乳とオレンジ・ジュースを一気に流し込む。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい。車、気をつけてよー接触事故多いんだからね」
 母さんも元気。
 「どけ! 邪魔」
 姉ちゃんに蹴飛ばされた。パンプスをつっかけて転びそうになりながら玄関を飛び出す。
「ぼけっとしてっとほんとに事故るよあんた! 母さんに言われたでしょ!」

 車庫からママ・チャリを出し、玄関を出る。今日も暑くなりそう。蜩が煩いくらい晴天の空を占領する。
いつもの日常の始まり。なにも変わらない一日が始まる。

 「へへへ、待ち伏せ」
 ブロック塀からひょっこり怜悧が顔を出す。
 唯一つ変わってることといえば、こいつだ。いや、こいつなんて言ったらなにされるか分からない。
 災難ってのは『ある晴れた朝突然に』やってくるものなのだ。
「どうして!? なんで僕の家知ってるの?」
「あんたの住所の近くでぶらぶらしてただけよ。学校と環の住所を天秤にかけてね。どうせあんたのことだから、安全でまともな道した通らないでしょ。それにかけてみたのよ、確立五分五分にかけてみたの」
 よく分からない確率論だ。五十%の会える確立はどうやって求めたんだ、いったい?
「TELくれればよかったじゃんか、携帯に」
「なんで犬にわたしからTELしなきゃなんないのよ。生意気な犬!」
 尻を蹴られた。痛かった。涙が出そうなほど痛かった。
「今日、学校行く気分じゃない。サボタージュ日和ね、もちろん環も付き合うのよ」
 またか、僕はまたまたこの悪魔の策略にひっかかりひどい目にあうのか……?
「なによ、なに黙ってるのよ。なんか言いなさいよ」
「なにを言っても無駄だろ。だからなにも言いたくない」
「じゃあいいわ、As you wishって三回となえなさい」
「なんだよそれ?」
「ご主人様の仰せのとおりにって意味よ、バカ!」

 そのまま朝マックに直行。子供連れのヤンママ軍団の白い目をよそに怜悧はことのほか元気。
 最近の女子ってみんな元気だ。
  固めのシェークに悪戦苦闘してる怜悧が可愛かった。ほっぺたがぎゅっとすぼまって、それでもシェークが吸い込めないらしく顔を真っ 赤にして吸い続ける。
「なによ、バナナ・シェーク好きなのよ、なんか文句ある?」
 それにしてもよく食べる。ソーセージ・マフインだけじゃ足りなくてパンケーキまで平らげた。
「外、何度くらいだろ。出たくないな」
「へなちょこねぇ、にしても死んじゃうね。外出たら確実に干からびて死ぬな。……エアコン効いてるとこで長時間いれるとこって……」
「ここにいようか、ずっと……」
「バカ!わたしたち制服よ。どこからどう見たって高校生のカップルが学校サボってるとしか見えないでしょ。さっきから店員じろじろ見てるし」

 ****

 怜悧に手を引っ張られ、繁華街を抜けた。
「さっき、いいとこあるって言ったのここ」
 ピンクの壁! ラブホ! 
「エアコンばっちり利くし、眠りたきゃベッドあるし、汗かいたらシャワーもある。カラオケも歌い放題。プレステもウイーもある。この時間は格安料金だしね」
「だしねって、僕ら制服だよ!?この格好でここに入るの!? ふ、ふ、ふ、不純異性交遊はだめって生徒手帳に」
「ばかじゃないの。セックスするわけでもあるまいし、涼しいとこで休みたいって言ったの環でしょ!」
「で、でもこの格好じゃあ……」
「大丈夫。誰とも会わないで部屋に直行できるから、セックスしなきゃ不純でもなんでもないったら!」
 セ、セ、セ、セックスなんて大声で言うな! なんでそんなに詳しいんだよとか、学校さぼってるのはいいのかよとか、 さぼって君とこんなとこ入るのは不純な異性との交遊じゃないのかよなどと反論しようものならきっと犬のくせにとか言ってまた分けのわからないお仕置きを喰らうはめになるから、結局は怜悧に引っ張られてラブホの門をくぐった。
 僕に意志は全くない。全て無視、犬だもの仕方ない。

 こんな時間でも空いてる部屋は少なかった。
 「どれにする? エヴァ、マクロス、ハルヒ、シャナ、 空いてるのは四つだけかぁ。ねえ環どれがいい?」
「なんでもいいよ。早く部屋決めてったら。見られちゃうよ」
「つまんない奴。おどおどして、尻尾巻いてキャンキャン言いそう」

 結局、薬局、美人局、怜悧はエヴァンゲリオンって名前の部屋を選んだわけで、入室するとエントリープラグみたいなベッドが目に飛び込んできた。なんか笑えた。四方の壁はエヴァのイラストだらけ……シンジがこっちを見て笑えばいいと思うよなんていいそうな感じ。

 「わはは素敵ー。LCLで満たされたプールまであるじゃん」
 僕はひんやりとした空気の冷たさに、なんだかほっとして調子の悪そうなエアコンの音を聞きながらベッドに倒れこんだ。
 「汗かいて気持ち悪い。シャワー浴びる。ガラス張りなんだからこっち見たら承知しないから、分かった?」
 「うん、分かったよ」
 「信用できないな。目隠しするからタオル持ってきて」
 言いながらすでにブレザーを脱ぎ、これみよがしにスカートを脱ぐ。薄目で僕を見るしぐさはまるで挑発してるようにしか見えない。ブラウスを脱ぎ床に捨てる。
 ブラとパンツだけで僕に近づく。
「黙ってじっとしてるのよ」
 怜悧は念入りに僕に目隠しをし、おまけにバスローブについてる腰紐で手と脚を縛った。

 「な、なんでここまでするの!?」
「犬が本能に目覚めたりしたらめんどくさいもの。わたしに断りもなくすぐいっちゃうし、これならなにもできないでしょ」
 「手足を縛られたっていくことくらいできる!」
「ばか! 環って究極のおばかね」

 かすかにシャワーの音、怜悧の鼻歌。多分エヴァの挿入歌『甘き死よ、来たれ』ってやつ……。
 いつの間にか寝てしまったみたい……。

 『……近いじゃん。うん、面白いもの見せてあげる。すぐこれる? 住所? 住所はええと……』
 怜悧がどこかにTELしてる……何する気なの怜悧?……眠い、たまらなく眠い……そして不安……そして欲望という名のなにか……犬は余計なこと考えちゃいけない。

 「起きろー環。犬のくせに飼い主ほっといて寝るってどういうこと?」
 顔をいじられた。多分足の指……いい匂いがした。石鹸の匂い……ドアをノックする音……。
「早かったね、薫(かおる)久しぶり」
「久しぶりーどうしたの怜悧。学校は? なにこれ……?」
「わたしのペット。わたしの犬よ」
 別の女の子の声。なにする気なんだよ!? 僕は縮こまる。なにされるんだろ?
 二人がベッドにしゃがむ。軋む音で分かった。
「そっちの学校どう?」
 「退屈、つまんなかったけれど、犬ができてすっごく楽しいよ、毎日。あはは」
 怜悧が言いながら僕の鼻を乱暴につまむ。痛かったけれど、声を押し殺した。
 髪をくしゃくしゃにされた。
「寝たふりすんな環。どう?妄想してる? 女の子二人にそんな姿見られてる感想を述べよ」
「ひどいなぁ怜悧。かわいそうこの子……」
 「ほんとにそう思ってる薫? ねえねえほんとに?」
「怜悧は元々ネジが一本はずれてるからね、あはは。かわいそうだけど、なんだかぞくぞくする、場所が場所だしね」
「そんな私のマブダチのあんたはなによ。薫だってネジずれてるくせに」
「あはは、環君って言うんだ。わたし、怜悧のマブダチの薫です。藤堂薫(とうどうかおる)よろしくー」
「ほら環、寝た振りなんかしてないで自己紹介しなさいよー」
 怜悧に上半身を起された。
「目隠しとこれ取ってよ。こんなかっこうで自己紹介なんて……」
「うるさい、黙れ! 犬のくせに。犬なら犬らしく飼い主の言うことだけ聞いてればいいの」
 僕は目隠しをされ手足を縛られたまま、ベッドに倒された。
「あ、相川環……怜悧のクラスメイト、そして、怜悧の犬です」
「はい、良くできました。あはは、やればできる子なんだよね環って……」

 その後、怜悧と薫は僕なんかそっちのけでカラオケを歌いまくり、僕なんか忘れてゲームやったり、プールではしゃいだりしてた。多分、そうだ。なにしろずっと目隠しされてたわけで、音やなんやかやでそう想像するしかない。
 数時間後二人はベッドに倒れこんだ。
「ねえ、疲れちゃった。そろそろ百合っちゃう? 昔みたいに……どう、怜悧?」
「うん、えーと、とりあえずキスしてみて……そんな気になるかどうか試してみて薫」
「環、耳ダンボにして聞いてるよ、きっと……」
 隣でキスする音、わざと声を上げながらキスする二人……。
 長時間縛られて手足が痺れた僕を怜悧が容赦なく足先でいじくりまわす。
「痛い! 怜悧、痛いったら!」
「勃起していっちゃわないように痛点で思い知らせてやるからね、犬」

 更に一時間後僕はやっと解放された。
「楽しかったって薫。また遊ぼうって……」
 両腕にうっすらと赤いミミズバレができていた。
「かわいそう環。とってもかわいそう……」
 両腕をさすりながら怜悧はいつになく優しい顔を見せる。
「こんなになるまでよく我慢したわ。ご褒美上げる、なにがいい?」
 黙ったままじっと怜悧を見つめる。
「わかんないよ、もうなにもかもわかんないよ……」
 涙が溢れた。なぜ泣くのか分からなかった。涙は、あとからあとからとめどなく溢れた。
「ごめんね環、ごめんね」
 怜悧の言葉が信じられなかった。こんなに傷つけられてるってのに僕はもっと怜悧を好きになってゆく。
 怜悧の舌が僕の涙をなぞる。抱きしめられた。きつくきつく抱きしめられた。
 「泣かないで、お願いだから泣かないで……」
 髪を撫でながら怜悧は僕を胸に抱く。僕は抜け殻みたいに怜悧のされるがまま。
 僕の感情はどっかにいっちゃったみたいにぽっかりとそこだけ空虚だった。
 「それでも、それでも、こんなわたしを……ずっと、ずっと好きでいてね環……」
 怜悧から初めて聞く懺悔の言葉……犬とは言わなかった。
 「好きで好きでしょうがないんだよ! 怜悧のいない世界なんてだいっ嫌い!」
 怜悧は更に更にきつく僕を抱きしめた。

 なにもかもがウソっぽくて、なにもかもが虚しいこの世界で、僕は恋をした。
 なにもかもがあるけれど、なんにもないこの世界。
 ところどころに開いた大きな穴はもう埋めようがないくらいいっぱい開いていて、僕らには埋めきれないく らい、多すぎるから。

 それでもなんとか埋めようともがいていたら怜悧に出会った。
 だから僕は恋をした。
 それがどんな悲劇的な結末を向かえようとも、どんな未来が待っていようとも僕は受け入れる。
 僕は犬。怜悧の犬。
 多分、それ以上でもそれ以下でもない。

Ⅲ 怜悧を中心に世界は回る……

 『……なにしてる?』
『電話してる、怜悧と……』
『つまんないギャグね、それ』
『怜悧のこと考えてた。怜悧のことばっかり考えてた。こう言えばよかった?』
 受話器の向こうで笑い声。今日は機嫌がいいみたい。まあ、機嫌がよくなきゃTELなんかしてこない。
『わたしのこと考えながら、まさか、してないでしょうね……』
『していいの?、したいけど……』
『バカ! ヘンタイ! そんなことしたら絶交よ。絶対に掛け値なしに絶交!』
『分かった、しない。犬だからね……飼い主には絶対服従』
『環は素直でいい子だわ。頭撫でてあげる』
『撫でられるより、舐めるほうがいいな。怜悧の足……』
 押し殺した吐息が受話器の向こうから微かに聞こえた。
『怜悧も変なこと、して……ないよね……?』
『どう思う? してたら嫌? 軽蔑する?』
『さあ? わかんないよ、犬だもん』
『朝からずっとしてたりするの。ずっと触ってたりするの。頭ぼーっとしちゃって、ベッドから這い出せなくなって、学校サボってね。一日中ね、そればっかり考えちゃうの……生理の前は特にかな……』
『怜悧のほうが筋金入りのヘンタイだね』
『あのね、一つ教えてあげる。生殖行為を伴わないセックスは全てね、全てよ、ヘンタイ的な行為なのよ。フロイトも言ってるわ』
『わかんないよ、そんな難しいこと言われても……だって、犬だもん』
『それからね、ゴダールはね。資本主義の社会において全ての仕事は売春であるとか言ってるし……』
『……だからぁ、わかんないよ。怜悧ほど頭よくないし、そんなこと言われてもわかんない』
『いいの、わかんなくて。犬相手に喋ってると落ち着くの。だから聞いてて、適当に相槌うってくれてるだけでいいから……』

  ラブホの一件以来、怜悧が優しくなったような気がするのは僕の思い違いなんだろうか?
 もうすぐ夏休みだ。その前に前期試験があるけれど。憂鬱だ、ハルヒの憂鬱より憂鬱だ。
 夏期講習とか行くのかな怜悧? いつもはダラダラ過ごしていたけれど、もう高校生なんだし、今年はなにか違う気がする。怜悧のせいかな、そう思うのは?
 今までは毎日、学校で会えたからいいけれど、夏休み中、僕は怜悧に会えるんだろうか?
 わがままで気まぐれだから僕からTELしても会ってくれたことなど一度もない。 
 僕は一分でも一秒でも一緒にいたいのに怜悧はそうじゃないらしいし、なんだか秘密がいっぱいありそうでそれだけが気懸かりだ……。


 昼休み、二年生の倖田啓介(こうだけいすけ)から呼び出しを受けた。
「相川君、倖田先輩が廊下で待ってるって」
 クラス委員長の岡崎が僕にそう言った。
「誰それ? 知らない」
「わたしと同じ弓道部の先輩。部長よ、生徒会の副会長も兼務してる。この学校じゃけっこう有名人なの」
ちらっと怜悧を見た。腕を枕がわりにして熟睡中みたい。

 教室を出ると、以前校門のところで待ってる時に怜悧に話しかけてた長身のイケメン顔が立っていた。
「君が相川君? 相川環君?」
「はい、そうですが、なにか……」
「ふーん、君がか……いや、ごめんね。予想とだいぶ違ってたからさ」
値踏みするみたいに僕を上から下まで眺めた。嫌なやつ、そう決めた。
「あのー用件は……」
「うん、怜悧がさ。君に聞いてって言うもんだからさ……」
 怜悧? ずいぶん仲いいみたいですね先輩。むかつくなぁ。
「何をですか? 怜悧がなにを僕に?」
 負けじと僕も呼び捨てを強調。教室を覗くと怜悧がこっちに顔を向けてた。薄目を開けて見てる。狸寝入りだ、間違いない。

「怜悧がさ、付き合っていいかどうか君に聞いてくれって言うもんだからさ、で、どういう関係なの君たち?」
 もう一度怜悧を見た。にやけてる……また怜悧の罠にはまりそうだ。
「べ、別に……家が同じ方向だから、たまに一緒に帰るくらいで……特別には、その、関係あるようなないような……」
「そうか……僕は怜悧と付き合いたいと思って、まあ怜悧には特別な好意を持ってて、付き合おうかって言ったら君に聞けって言うものだから、許可をもらえだとかどうだとか、変わってるからね怜悧。まあ、そこが惹かれるところではあるんだけれど……そうか、別に特別な関係はないと理解していいんだね」

 まくし立てられた。さすが生徒会副会長、弁が立つ。
「それなら例えば君がもうすでに恋人みたいな関係だったりすると、君と張り合って怜悧をとっちゃうみたいなことになっちゃまずいかなとか思ったりしてさ。そんな大した関係じゃないってことでいいんだね。じゃあなんで付き合う許可を君にもらえとか言うんだろ怜悧」
「わがままで気まぐれでどうしようもないくらい適当なやつですからね、まあそんなとこじゃないでしょうか」
「へぇ、関係ないわりにはずいぶん率直に批判するんだね君は」
「いえ、そういうわけじゃ……とにかく僕には関係ありません。付き合うなりなんなり好きにしてください」


 席に戻る。怜悧を見る。怜悧は例の意地悪そうな笑いで僕に答えた。
 昼休みの終了を告げるベルが鳴った。

 放課後、手を取られ体育館の用具室に引っ張り込まれた。怜悧がこんなことすると、ろくなことがない。
 道衣にはかまの怜悧、髪はポニーテール……すごく似合ってる。制服姿とは違ってなんだか艶やかだ。
「……なんでこんなとこに、なぜ先輩にあんなこと言ったの? なんで僕を巻き込むの?」
「じろじろ見ないでよ。いいから犬は黙って! ここにいるのよ、いいと言うまで絶対ここにいるの!」

 用具室の窓から弓道場が見える。怜悧が先輩に連れられてまとがある壁の裏手にやってくる。
 弓を引く動作をする怜悧。背中から怜悧の腕を取る先輩……あいつだった、倖田啓介……僕の恋敵になるかもしれないやなやつ。堂々と交際宣言なんかしたやなやつ。
 はたから見れば弓構えを指導してるようにしか見えない……背中越しに倖田が怜悧の首筋に唇を押し付けた……少し驚いた様子の怜悧、一瞬身体がびくっと反応する。

 倖田の唇が近づく……顔を背ける怜悧……更に強引に唇をせがむ倖田。
怜悧がその唇を受け入れる……恥ずかしそうに俯く怜悧。僕が見てるのを確かめるような上目遣い。心臓がバクバクする……嫉妬でおかしくなりそう。
これを見せたいためにここにいろと言ったのか……倖田がそうすると分かってたんだね怜悧。
 ちょっかい出すようにしむけたんでしょ怜悧が……。
 まるで恋人同士みたいじゃんか、僕よりずっとお似合いだし。
 僕にこれを見せてどうするの怜悧……嫉妬心を掻き立てたいの? 好きで好きでしょうがないのにこれ以上なにを望むの? 僕は犬だよ……怜悧が他の男とキスするのを見ても、なんていうか、その、嫌じゃなかった。
 嫉妬してる。当たり前だ。大好きな女の子が眼前で他の男とキスしてるんだもの。
 でも、全く違う感情がわき上がってきたりした。混乱してる、混乱してる。
 勃起しちゃったよ、怜悧が他の男とキスしてるってのに……ヘンタイだ。怜悧とおんなじ、君は分かってたんでしょ、はじめっから……同類だって分かってたんだよね? 
 フツーの愛なんていらない。
 怜悧と僕が欲しいものはきっとフツーなんかじゃ得られないもの……。
 怜悧と僕の間になにがこようと僕は信頼してる。
 僕は君が大好きだから。
 だって僕は君の飼い犬なんだから、君がいなきゃ死んじゃうんだ。
 こんな究極の関係ってある? 大好きな子が世話をしてくれなきゃ死んじゃうんだよ!

 僕は怜悧、僕の前でなにをしても許せる……そんな気がしたよ。そうなんだよね、君は僕に全てをさらけ出 してるんだね。犬の僕の前で、秘密なんかあるはずないもの。
 僕たちの間にあるのは飼い主とその愛犬、最高に単純で純粋な世界だ。
 怜悧、君の全てが知りたい……隠し事はなしだ。隠し事しなければなにしたっていい。
 痛めつけられたって平気。だって大好きなんだもの……。
 君が他の男とキスしてるのを見せ付けられて、どんなに君のこと好きか、大好きかよくわかったよ。
 怜悧、君が仕掛けた罠は、僕を追い詰める。いったいどこにいっちゃうのか僕にも分からない。
 男と女って最初は一つだったんだって、それが神様の手違いで二つに分かれた。
 だからね、男と女は一生その失った片方を捜しつづけるんだって。
 だからね、探し続けていたジグソーの欠片みたいに僕たちはぴったりだと思わないかい?

 僕はここで辛抱強く待ってる。
 お預けを喰らってる犬みたいに、君を待ってる。
 優しい言葉も残酷な仕打ちも全て……怜悧がそれを望むならなんだって許せるんだ。

 君のいない世界は、僕のいない世界なんだもの。

 

Ⅳ どしゃぶりの夕立の中で僕たちは確かめる……

 夏期講習一日目。怜悧が出るっていうんで結局僕も金魚のフンみたいにくっついてきたわけで。
  で、夏期講習は私服が許されてるわけで、なにげない白のポロシャツとデニムの定番が、スタイルのいい怜悧にはとても似合ってて、
 僕は一緒にいるとなんとなく浮ついた気分になる。
 「そのアバクロのポロ、とっても似合うよ」
「そう? 兄貴のプレゼントよ」
「帰りスタバでも寄ってく?」
「どっちでも……」
「暑いね」
「うん、真夏日になるってアメダス」
 機嫌いいのか、悪いのか……会話が投げやりな感じ。
「こう、ロンギヌスの槍でも投げてみようか、ゲイボルグでもいいけどさ。槍投げ……会話が投げやり、なんてね」
「なにそれ……あんたほんとにバカね。そんなギャグわたしにしか通じないじゃない」
 通じたんだ、あはは。暑い、とにかく暑い。怜悧は元気、勝手にスタスタ歩いていく。
「あなたね、他に言うことないの? 気付かない?」
「えっ? なにを……」
「髪型変えたの! それとファンデも変えたし、アイプチしてみたの! 毎日、会ってるのにそんなことも気付かないの!」
「えっ! ああ、ほんとだ。少し切ったんだ、なんだかね、目がすごくね、その、すごく……」
「なによ、そのとってつけたような、しどろもどろな返事! レトリバー並みの鈍感さね! いい、環はわたしだけを見てて、わたしだけよ。じゃないと許さないから」

 以後スタバに寄って席に着くまで一言の会話もなかった。

 「機嫌直してよ」あずきのフラペチーノはことのほか甘い。
 無言……怜悧は抹茶のフラペチーノ、黙って飲んでる怜悧は数倍かわいい。そう思う。
「先輩とはその後どう?」
「どうって? 見た通りよ。気になる? キスしたよ、それだけ……」
「嫉妬したって言ってほしいの? もてるんだね、とか」
 ストローを咥えたまま睨みつける。相変わらず混雑する店内。空調もままならない、この混雑じゃ無理もない。
「……環は分かってない。全然分かってない」
「分からないよ、なんで怜悧があんなこと平気でできるのか。全然わかんない……」
「あなたのためにしてるのよ。全部あなたのためなんだわ……」
今日は僕のことを犬と呼ばない。
「そんな死んだような目をして、毎日、毎日、わたしのいいなりで……従属するってそんなにいい!? わたしのことが好きなら、ちゃんと嫉妬して、倖田先輩なんかに絶対渡さないとか、力ずくでも奪ってみせるとか、男ならそういう気概を見せなさいってことよ」
「……嫉妬するさ、犬だって嫉妬くらいする。でもその嫉妬だって、どんなに怜悧のことが好きかってことの確認にしか過ぎないんだ。怜悧が他の子とキスするの見て勃起しちゃうくらい好きなんだから、頭がおかしくなっちゃうくらい好きなんだから……」
 回りの客の何人かが僕らを見て含み笑いしてる。怜悧がものすごい形相でその何人かを一瞥する。
「このままだとわたし環を捨てて倖田さんとなるようになっちゃうかも……いいの、それでも?」
「捨てられないくせに……犬の僕が好きなくせに……」
「なに開き直ってるの? なによその自信……」
「別に……自信なんかないさ、全然」
「なぜ倖田さんが環のとこに来た時に言わなかったの? 怜悧は僕のものですって、なぜ断らなかったの」
 犬の僕にはそんなことできないよ。怜悧だってそんなこと望んでもいないくせに……僕に充てつけて、嫉妬に狂わせて……残酷だよね、時々怜悧って、僕の気持ちを弄びたいだけなんだ、いつも……。

 僕らはね怜悧、同じ穴のムジナ。ずっと昔に神様の手違いで別々になったジグソーのピースみたいなものなんだから、絶対に離れられないよ。少なくとも僕はそう信じてるんだ……。

 僕のジーンズの股の間に紺のソックスが蠢く。
「な、なに……するの?」
驚いて怜悧を見る。意地悪そうな笑みを浮かべて挑むように怜悧が見つめる。
「犬なんでしょ。黙って耐えなさいよ……」
テーブルの下から怜悧の脚が伸びてて、ナイキが片方転がっていた。怜悧の履いてたナイキ。
「回りに気付かれちゃう……止めて、お願いだから」
怜悧は止めない。僕の股間に起用に脚を伸ばし、弄る。
「なんで?なんでこんなことするの?」
「いってもいいわよ……許したげるから、なんなら舐めてもいいのよ」
 怜悧はそう言いながら更に動きを早める。 
「……止めてよ……止めてったら!」
大声で席を立った僕に店内の視線が集中した。
「出てくの?言うこと聞けないなら終わりよ。ここで終わり……」

 怜悧を残して僕は出口に走った。恥ずかしさとか、悔しさとか、悲しみ、痛み、愛しさ、怜悧への感情が吹き出していた。

 舗道に黒いシミがいくつもできた。それが一気に真っ黒に変わる。
ずぶぬれになるのも構わず歩き続けた。怜悧は許してくれないだろうな……そう思った。
犬の役割を捨てたら僕にはなんの価値もないんだから……。

「待ちなさいよ!」怜悧だった。
ずぶぬれの怜悧……まさか怜悧が追ってくるなんて……。
 手をつかんで僕を狭い路地の間に連れ込む。
「夕立よ。すぐ止むわ……ここなら雨宿りできるから」
「……追っかけてきれくれるなんて思ってなかったよ。許してくれないと思ってた」
「びしょ濡れじゃない。頭出して、もう、風邪でも引いたらどうするの……」
 怜悧が言った。指で僕の髪をくしゃくしゃにし、妙に優しく拭いてゆく。下着までずぶぬれなんだもの、ハンカチくらいじゃどうしようもないよ、と僕は思う。
僕の濡れた髪に顔を埋めて怜悧が言う。
「今度だけよ、今度だけ許してあげる。二度目はない。二度目は絶対ないから……じっとしてて、このまま、じっとしてて……」
 怜悧の胸に埋まっていた。鼻を肌に張り付いたポロシャツになすりつけた。
 怜悧は一瞬、擽ったそうに身をよじったけれど、黙って僕のされるがままにしてた。
 雨の匂い、怜悧の匂い、街角のすえた匂い、車の排気ガスの匂い、色んな匂いが一度に襲ってきてむせた。
 
「雨が好き……雨にはきっと再生の神様が宿ってて、なにもかも洗い流して……なんでも許しちゃうって、雨上がりの街は、新しい世界みたいに思えるの……」
 雨は更に勢いを増す。心の中でずっと止まなきゃいいのにって祈ってた。
 雨が止まなきゃこのまま怜悧を独占できるのに、僕だけのものにできるのに。
あんなことする怜悧もこんなに優しい怜悧も好き。好きで好きでしょうがないくらい好きなんだって、怜悧も僕くらい好きでいてくれたらいいのに。
通り過ぎる人の波、傘の花が行き交う街の片隅でずぶぬれの僕らは確かめ合ってたのかもしれない。
 心の鼓動を、肌の温もりを、残酷さを、優しさを、愛しさも、恋しさも、スコールみたいな感情の渦が怜悧と僕に襲いかかって……僕らは離れ離れだったジグソーのピース。お互いに欠けたピースを捜してる。
 でもジグソーなんか完成しなくたっていいんだ。
 この世界に怜悧と僕だけ、それだけでいい。

Ⅴ 理性と欲望の天秤ばかり


 『どうしたの? 講習休んだりして!? TELしても出ないし、心配してた。夏風邪? ええええ三十九度もあるの!?』
『大袈裟ね、そんなわざとらしいアニメみたいな驚き方しないでよ。パパもママも旅行でいないの。兄貴は多分女のとこだし……』
『行くよ、お見舞いにいくったら!』
『環、日本語が変。ああ、講習終わってからでいいからね。なんか買ってきて、冷たいものがいいな。ダッツのアイスとか……』

 切れた携帯をデニムのポケットにねじ込んで、愛用のママ・チャリに飛び乗って学校を出るのにきっかり五秒。新記録だ、多分。
 ファミマに寄ってダッツを買う。クッキー&クリーム。
 混雑する自転車用道路を縫うように走り怜悧の家に着くのに二十分。これも新記録。
たっぷり汗を掻いた。二キロは減っただろう。呼吸を整え、インターホンを押す。
 『環なの? 早かったね。どうぞ、鍵はマットの下……』
 ガラガラ声だった。

 「大丈夫なの? 具合悪そう」
 ベッドの中の怜悧はいつになくか弱そうで、僕はなんだかその姿を見てるだけで愛おしさがこみ上げてきた。
 「うん。クスリ飲んだから熱は下がった……と、思う」
「食べる? ハーゲンダッツ」
「うん……まだいいかな……汗だらけで気持ち悪い。環が来る前にシャワー浴びようと思ったんだけれど、フラフラして起きられなかったの」
 手を額に当てた。熱かった。顔も火照ってるし、額には汗の粒が浮かんでる。
 「まだまだ頭とか冷やしたほうがいいよね。氷まくらとかあるの? ヒエピタとかある?」
「うん、多分キッチンのどっか……ごめんね、迷惑かけて」

 ***

 なんとか探し当てた氷まくらを宛がう。怜悧は気持ちよさそうに目を閉じた。
「やじゃなかったら身体も拭いてあげようか……飼い主が弱ってちゃ、愛犬としてはここを動くわけにはいかないし……」
「優しいのね、環。違うね、環はいつも優しいものね」
「変な意味じゃないんだ。決して性的な意味とかそんなんじゃないよ。怜悧がつらそうだからさ」
「分かってる。こんな時に環がそんなこと思ってるような子じゃないって、信じてるもの」

 怜悧が上半身を起すから手伝ってと言った。手を貸した僕の腕には汗でぐっしょり濡れたパジャマ、怜悧が気持ち悪いって言うのも無理はない。
 パジャマのボタンを外そうと手を伸ばす。
 「いい、自分で脱ぐ」
「えっ? うん、ああ」
「風邪、うつしちゃうかもよ……ゴホッ」
「うん、構わない。怜悧のウイルスならA型でもB型でもどんとこいってやつ」
「バカ!」

 パジャマを脱ぐ怜悧を見ていた。汗で光る肌はピンク色に上気して、つんっと上を向いた生意気そうな乳房や、ちょうどいい具合に抉れた鎖骨や、腰のくびれや、二の腕、それら全てを僕は美しいと素直に思った。
 性的な興奮などとは程遠い感情が僕を支配していた。なんて言うのか、そう、憐憫だった。
いつも高飛車な怜悧の頼りなげな態度が、風邪で参ってるとはいえ、初めて見せる弱さが僕の心を締め付ける。
 怜悧の身体を拭いた。辛そうに僕に身体を預けた。「くすぐったい……」身をよじり僕を睨む。「我慢しなさい!」「はい……」丁寧に、貴重品でも扱うように丁寧に拭いた。
「汗臭い?」
「いいから黙って……僕に任せて……」
ほんの少しはにかみ怜悧は目を閉じた。

 「怜悧、怜悧」
「……眠っちゃった?」
「うん、パジャマの着替えどこ? 裸で眠っちゃまずいから……」
「汗引いたね……なんだかすっきりしちゃった……」
「着替えたら、眠って……怜悧が迷惑じゃなかったら、ついててあげるから」
「気持ちいいから……このまま。シーツかけて……」
「いいの? 寒くないの? エアコン切ろうか……」

 シーツに包まった怜悧がいたずらっ子みたいな目で僕を見つめる。
「献身的な環の看護のお陰でだいぶ良くなりましたとさ……心細かった。パパもママもどうしてこんな時いないんだろって、恨んだわ。兄貴すらもTELに出てくれないんだもの」
「いいから黙って……手、繋いでてあげるから……ここにいるよ」
「うん。ありがと……」

「いつの間にか寝ちゃった……」ぼやけた視界に目をこすった。
 ブラインド越しに夕暮れの気配が忍び寄っていた。
覆っているシーツがはだけて怜悧の真っ白な肌に淡い陰影を投げた。
「寝なかったの怜悧?」
「うん。ずっとね、ずっと環の寝顔見てたの……」
「大丈夫? 寒くない?」
「ちょっとだけ寒い……」言いながら怜悧は身を竦めた。
「まっぱだもん。なんか着なきゃね」
「環が暖めて……入っていいよ」
セミダブルのベッド。怜悧が少しだけずれる。充分な空間ができる。シーツ越しの怜悧のシルエットが誘ってるようにさえ見える。、
「風邪うつったらいや?」
「そうじゃなくて……怜悧はまっぱでしょ? こんな状況って……」
「我慢できなくなるかな? わたしは正直なとこ、どうにでもなれって思ってるよ。さっき飲んだバファリンのせいかもしれない……したいんなら、してもいいよ……熱も下がったみたいだし、選択権は環に預けるわ。こんなチャンス、二度とないかもよ……わたし今相当弱ってるもの。環の温もりが欲しいとか思ったりしてるもの……」

 僕はそのなんていうか……僕だって健康で健全で、若さも性欲も持て余しぎみの多少のヘンタイ的趣味はあるものの、十六の男児なわけで、性欲だって人並みにあるし、したいのは、やまやまなわけで、まあ色々理屈はつけてみても普段からヘタレな僕なわけで……。
 
 もじもじする僕を怜悧は被ったシーツの隙間から覗いてる。僕がどこまでこの誘惑に耐えられるのか、面白がっているのかもしれない。
「無理だ! ああ僕はヘンタイだ。風邪引いてる弱った怜悧につけこんで……が、我慢できない」
大急ぎで服を脱いだ。 パンツ一枚で怜悧の横にダイブした。

 「最初から素直にくればいいのに……おばかさんね、環」
 シーツに包まってもまだ踏ん切りがつかない僕、ヘタレだやっぱり。
まっぱの怜悧に抱きつかれた。脚をからめてくる怜悧。
 胸のふくらみや、細い二の腕や、温かな鼓動、それら全てが洪水みたいに僕の頭の中をいっぱいにした。
怜悧の瞳は穏やかで、曇りがなかった。信頼してくれてるんだね、僕を……こんな僕を。
 萎縮した。僕は恥じた……だめだ、こんな日にしちゃいけないんだ! 飼い主の弱みに付けこむなんて最低だ。最低の犬だ。

「……でもしないんでしょ環は……こんな可愛くてステキな子がまっぱでくっついてるってのに……元気ないものね、あそこ……わたしが弱ってる時に付けこむのがいやなのね。理性の勝利ってやつ、おめでとう環」
 焦っていた。さっきまではあんなに元気で、あんな妄想や、こんな妄想ではちきれそうだったのに、肝心な時に僕のペニスったら……。

 「どうしちゃったんだろ!? こんな肝心な時に……だめみたい」
「……そういう環、大好きよ。思いっきり抱きしめて、思いっきり暖めて……」
言われた通り僕はバカみたいに怜悧を抱きしめた。抱きしめることでしか伝えられない思いもある。
何ひとつわからないことだらけでも肌を伝わって通じることもある。
 どうしてこんな状況でブレーキがかかったのか……もちろん、僕がヘタレで初めての経験だったってこともある。でも、僕に抱かれて微かな寝息を立てている怜悧の横顔を見ていると、これでよかったんだと思ったりする。

 多分、僕はまだ犬でいたいんだろう怜悧の。
 怜悧だって今日の出来事は一瞬の気の迷いかもしれない。
 一人ぼっちで世界に取り残されたら、さすがの怜悧だって、誰かに縋りたくもなる。
 それがたまたま僕だっただけ、そんな同情九割の感情で受け入られたって、そんなものは偽りだ。贋物だ。
 それに付けこむなんて犬畜生にも値する愚行じゃないか、僕は待つ。怜悧が僕をちゃんと彼氏として認めてくれるまで待つ。
 愛犬から怜悧を守れる番犬へ、そして、いつか彼氏として認めてくれるまで、僕は、お預けを喰らうのだ。

Ⅵ 悪魔みたいな怜悧、翻弄される僕……

夏期講習5日目、僕の献身的看護によって怜悧は見事に復活した。元気はつらつすぎて、あのベッドで頼り なげだった姿は全くない。
 それどころか朝から力づくで女子トイレに連れ込まれ、その、あの……。
「な、なにすんの!?」
「今朝ね、起きたらすっごく楽しいこと思いついたし、ふふふ」
 怜悧に渡されたのは楕円形の小さなツェッペリン号の形をしたプラスチック、色はピンク。
「な、なんだよ、これ!?」
「いいから早くぅ。早くしろ! 犬」
 怜悧はそれを僕のデニムのあそこの、つ、つまりアンダー・ボ-ルに突っ込めと言う。
「こ、こうかよ……」
「よし、ふふふ」
 女子トイレからやっと解放された。

 廊下、振り向くと怜悧がにやけてる。手になんか持ってる。
『ウイーン、ウィーン、ウイーン、ウィーン』
 「うわあ……」
思わず声が漏れた。し、し、振動する……。
「トビッコって言うんだよ、これ。童貞君は知らないだろ、むふふ」
 あの時のずるがしっこそうなあのにやけた怜悧の顔……きっと一生忘れない。
 「なんだよ、これ! もうやだよ」
「勝手に外したら許さないから! いい! 確認しとく。命令には絶対服従。もちろん、無条件でね」
 風邪引いてればよかったのに……あおのしおらしい怜悧はどこいっちゃったんだ? 
 結局、薬局、夏期講習の間中、僕はそのトビッコってやつに苛まれつづけた。怜悧は片手でリモコンを操作して僕をいたぶるのが楽しくてしょうがないって感じ。風邪が治って本性剥き出し、全開の怜悧なのであった。

 「うわっ! 止めてったら……なんでこんな人ごみで動かすんだよ!」
「勝手にいっちゃたら絶対許さないから! 一生それ付けさせてやるから!」
 渋谷、ハチ公前のベンチに僕は座らされ、怜悧はといえば離れた向かいのベンチからリモコン操作してる。
 にやけた顔がたまらなく腹立たしい。くそっ! な、なんで僕は人ごみの真っ只中でこんな目に合わされなきゃならない!?
 自然に内股になった。動くたびに僕の股間が反応する。
これが噂の羞恥プレイってやつなのか? そうなのか……!?

 怜悧の冷徹な瞳が僕をじっと見つめる。股の間に手を置いて必死で我慢する。
 股間が張り裂けそうだ。自然にうずくまる僕。怜悧の嘲笑……。
 隣の女の子の視線が訝しげに僕を見てるのが分かる。彼女は、僕の異常な動作にそそくさと席を離れる。
 夕方の雑踏、人ごみの中で、僕は耐え続ける。トビッコは動いたり、止まったりを何度も繰り返す。
 いっちゃいそうになるのを何度もごまかす。勝手にいっちゃたら怜悧になにされるか分からない。なにしろ怜悧は復活したのだ。僕の犬の生活ももちろん継続されるのだ。

 「怜悧、待った?」
 「ううん、今きたとこ」
 ええええ? 倖田啓介!? 待ち合わせしてたのか……? 
 「ちょっと待ってくれる? TELしなきゃならないとこがあるの」
「ああ、いいよ」

 携帯が震えた。身体がびくっと反応する。どっちの振動か分からない。
 『先に帰ってて、家には誰もいないわ。わたしの部屋で待ってて、いい、外しちゃだめよ、分かったの犬』
『ひどいよ、なんで先輩と待ち合わせなんて……デートするの? なんで僕が怜悧の家で待ってなきゃ……』
『うるさい! 先輩デートしよってしつこいんだもん。一応、彼はわたしの彼氏のつもりなんだから、仕方ないでしょ。すぐ帰るから……』

 僕は結局、置いてきぼりを食らい、二人は仲よさそうに腕を組み、渋谷の雑踏に消えた。
 どっから見てもお似合いのカップルに見えた。
 長身の先輩は僕よりずっと見栄えがするし、怜悧にはぴったりだった。
 僕の知らないところで怜悧はちゃんと先輩と付き合っていたんだ、そう思えた。

 怜悧の部屋。相変わらずなんにもない。お馴染のベッド、その上にノートパソ、デコラティブなi-pod、参考 書が何冊かとCIELなんて雑誌まであった。

 何日か前、僕はここで怜悧とまっぱで抱き合ったのだ。なんだか数億年前の記憶のような気がした。
 手を伸ばすと怜悧の脱いだニー・ソックスに触れた。手に取る……自然に鼻に近づける。ええっ!? なん で、なんでこんなこと平気でできるんだ僕……片方をポケットにねじ込んだ。片方は握ったままだ。
 制服が壁にかけてあった。近づいて顔を埋めた。怜悧の匂いがした。思わず股間を押さえた。
 鼻にくっつけたニー・ソックスと怜悧の制服の匂いでいきそうになった。
 股間にはトビッコが鎮座ましましてる。
 勝手にいっちゃたらなにされるか分からない。今日の怜悧はことのほか残酷だ。夏期講習の教室で、渋谷の 雑踏で散々僕を弄んだのだから。
 今日はなにされるか分かったもんじゃない。ぞくぞくした、なにされるんだろ?

 すっかり夕方の気配、うつらうつらしてたらドアが開いた。
 「環ごめーん。先輩付いてきちゃった。早く、早く、ベッドの下に隠れて! 早くぅ!」

 なにがなんだか分からなかった。無理やりベッドの下に押し込まれた。
 間髪をおかずドアが開く。
 「ああ、先輩どうぞ」
 「へぇ、これが怜悧の部屋か……お招きに預かるなんて光栄だな」
 せ、先輩がなんで!? 付いてきたとか言ったくせに、怜悧が連れてきたんじゃないか!?
 ベッドが軋んだ。顔面が押しつぶされそうになり、慌てて横を向くと怜悧と先輩の脚が見えた。
「ふん? どうしたの怜悧ずいぶん今日積極的じゃ、ふわっ……」
 脚が消えた。ベッドが更に軋む。
 二人がなにやってるのか妄想したら勃起しちゃった。『ウィーン、ウィーン』トビッコが動き出した。
 「ふぇえええ……」思わず声が漏れた。だってビンビンのとこにトビッコの刺激が……。

 「どうしたの怜悧? いつもならキスだって許さないくせに、今日はずいぶん積極的だね」
 「黙って……先輩。こういう日もあるわ……」
 「先輩はないよ。啓介でいいよ、怜悧」
 ベッドが何度も軋んだ。トビッコが動いたり、止まったりした。
 
 怜悧の着ていたワンピが目の前に落ちてきた。続いて白のキャミソール、そして、真っ白なブラ……止めて! 怜悧、それ以上は止めてください!
 「可愛いいよ怜悧。とっても可愛いい……」
 「ふうん……先輩、はああ……」
 無音……ベッドが軋み続ける。
 いきなり僕の鼻面に怜悧の生足……足の指でなんか合図してる……えええ、こ、こんな状況で舐めろって言うの!? 舐めた……股間を押さえつつ舐めた……。『ウイーン、ウイーン』

 「うん……だめ、これ以上はだめ……」
 怜悧の甘えた声。絶対に僕の前ではしないぶりっこな声色。
 「え……。ここまで見せて……怜悧だってこんなに……が、我慢できないよ」
 先輩の上ずった声……いったい、どうなってるんだ? うわああ、またトビッコが動いた。くくく……。
 「落ち着いてください。ねっ、だってそのつもりじゃなかったし……先輩が部屋見たいっていうから……」
 「ごめん。こんな場面で拒否られるって初めての経験だったからさ。怜悧もその積もりなんだとばっかり思 って……」
 「普通の子じゃないのわたし。啓介もそこがいいとか思ったりしたんでしょ、違う? だからわたしに付き 合ってって……ここで簡単にしちゃうような子だったら、啓介の周りにうじゃうじゃいる子とおんなじでし ょ? 違う?」
 先輩は無言。
 「我慢できないなら啓介……口とか手でしてあげようか?」
 「……そこまでしてくれるのに、あれはだめなんだね?」 
 「だめ! 絶対だめ! 今日はだめなの、お願い……」
 怜悧がベッドから手を伸ばしブラとキャミを取った。ワンピも着てよ、早く!
 「もう帰って……怒ったのなら、それでもいいわ」
「いや、そうじゃないんだ。今日デートしてて楽しくてさ、怜悧が普通の子に見えたんだよ。そうだったよね、僕が怜悧に惹かれるのは普通じゃないんだってこと、今、再確認したよ……」

 「それ、褒めてる? 貶してる? どっち?」
 「あはは、さあ、どっちなのか僕にも分からなくなったよ。いや、今日はおとなしく帰るよ。そんな姿見て ると自制心がいつまで続くか分からないからね……」

 「ちょっと待ってて、服着るから。玄関まで送ってく」

   *****

 「いいよ、出てきたら……環、出てこいったら!」
 ぐずぐずしていたら怜悧に引きずり出された。
「なに、いじけてるのよ! 犬のくせに」
 「酷いよ、酷いよ……怜悧って最低だと思ってたけど、最悪だ!僕のいる前でなんでこんなことするんだよ  !」
 「足、舐めて……」
 「ええ!?」
 「ほら、犬……舐めて」
 ベッドに座った怜悧がほくそ笑んでいた。僕を見る目つきは哀れみ……。
 舐めた……我慢できなかった。まるでパブロフの条件反射みたいに差し出された足にむしゃぶりついた。
 「さっきまで啓介が舐めてた足よ。それでも舐めるんだ環……啓介の唾液や匂いがこびり付いてるっていう のに我慢できないのね……ふふん」
 着ていたワンピースをゆっくりと釣上げる怜悧。にゃにや笑ったその顔が悪魔に見えた。
 トビッコが動き続ける。真っ白な太股を舐めている時、それは突然やってきた。
 「いっちゃったの?」
 「う、うん……」
 「可愛いいわ環。ほんとに可愛いい……」
 抱きしめられた。僕は泣いていた。なんで泣いてるのか分からなかった……僕は既に壊れているんだろうか?

Ⅶ 遠距離TEL SEX 怜悧は三千キロの彼方……

 『やあ、元気? 千郷です。憶えてる? 怜悧の……』
『お、お兄さん!? どうしたんですか、怜悧になんかありました? 番号どこで?』
『怜悧の気まぐれさ。夏期講習ノート取っておいて欲しいって、番号はもちろん怜悧に聞いたんだよ』
『怜悧、講習こないからどうしたのかと思ってました。携帯も全然通じないんです』
『おとついから親父と一緒にね、香港行ってるんだ。もちろん父親はビジネスで、怜悧はそれにくっついていっちゃった。で、家にTELあってペニンシュラからね。ペニンシュラってのは怜悧が泊まってるホテルだけど、君が心配してるかも知れないからってさ』
 『はい……なんか、安心しました。気が抜けました』
 『ははは、なんかねすごく珍しいんだよ。こんなに長く彼氏として君がいてくれるなんてね。大体一ヶ月続かないからね。怜悧が愛想尽かすか、尽かされるか、どっちかだから』

 気が狂いそうだった。怜悧と連絡がつかないことが僕の心を掻き毟った。
なんだか、千郷さんからのTELで腑抜けになったみたいにその場にへたり込んだ。
 分かってみればどうってことないんだけれど、TELが繋がらないってだけで、ドキドキ・イライラしっぱなしだった。
 怜悧の身勝手に振り回されてばかりいる僕……。

 日本との時差は一時間。遊び回ってるから遅くならないとホテルに戻らないというので、深夜にTELすることにした。

 声だけでも聴きたかった。千郷さんから教えてもらったペニンシュラのTEL番号と部屋番号を再度確認した。
 『はい、KDDIオペレーターの山岸でございます。ご用件をどうぞ……』
『す、すいません。えーと、香港に国際通話したいんですが……はい? はい、ホテルですペニンシュラ、番号はXXXXXXXXXXXX部屋番号はXXXXです。はい? はい、直接部屋にお願いします』
 呼び出し音がする……繋がらない。遠い……日本から三千キロ……『相手様がお出になりました。どうぞ』

 『もしもし、怜悧?』
『……環? どうしたの、こんな時間に?』
『だって千郷さんが怜悧は遊びまわっててホテルに帰るの遅いからって……』
『で、用件はなに……眠いの……』
『酷いよ! 酷い……黙って勝手に香港なんかいっちゃって、声だけでも聴きたくてTELしたのに……怜悧にはついていけない。自分勝手過ぎる、振り回されてばっかりだ』
『それで?』
『それでって、なんだよ?』
『どうせ面と向かっては言えないんだから、私への日頃の鬱憤、恨み、つらみ、全部吐き出しちゃいなさいよ環』
 『なんで一言くらい声かけてくれないんだよ!……好きなんだよ! 大好きなんだよ! なんで怜悧は好きになってくれないんだよ! 僕が思ってるくらい好きになってよ!』
 『だから、可愛そうだと思って兄貴にTELしてもらったでしょ! なんか文句あるの?』
 長い、長い、沈黙……。
『……あのね、正直言うとね、いつもみたいに楽しくないの香港。次の日にはね、わたしも環に会いたくて、会いたくて、しょうがなかったの……』
『ええ!? ほんとに!』
『ふふふ、なんてこと言ってもらいたかったの? 可愛いいやつ』
 酷い、最低なやつだ。人の心を弄ぶことにしか興味がないのか、こいつ!?
『なに黙ってるの。いじけたの? 犬なんだから飼い主になつきなさいよ』
 『そんなに僕を虐めて楽しいの? 先輩みたいに僕を扱ってよ!』
『……啓介は普通だもん。環みたいな、どがつくくらいのヘンタイじゃないしね、そんな普通な関係……環、望んでるの? わたしはいらないわ! そんな関係なら環をえ・ら・ば・な・い』
 区切った言葉にどんな意味があるのか僕には分からなかったけれど、怜悧に選ばれたことだけは確からしかった。
 『いっていいよ今日は……』
 『えっ……? なに?』
 『したいんでしょ、違う? していいって言ってるのよ。ご主人様が許してるの……』
 僕は電気の消えた薄暗い居間で受話器を握り締めていた。右手がパンツの中だってことどうして怜悧に分かったんだろう?
 『パパはいないから、わたし一人よ。わたし一人にはこの部屋広すぎるし、なんだか大海に一人ぼっちで取り残された感じ。わたしも環を思ってる……さっきから濡れてきてるの。環の声、聴きながらね……』
 『そんなこと言われたらいっちゃうじゃんか……いつからしてたの?』
 『環のTELが来るずっと前から……うふう……』
 耳元には怜悧の吐息が渦巻いていた。僕の右手が、僕の意志とは無関係に動きを早める。
 『カーテン開けっぱなしなの。向こう岸のセントラルの夜景すごいのよ……まるで宝石箱ぶちまけた感じで ……環の声聴きながらオナってるってなんかステキ……うふうう』
 『いっちゃダメ! 先にいくなんて許さない! 怜悧! ダメだからね!』
 『うん……ふうう。前に、まっぱで抱きあったでしょ、あの時の環のあそこの感触、足を舐めてる環のこと 想像してるの……今、パンツ脱いだ。裸だよわたし……』
 吐息ともため息ともとれる怜悧の息遣いが激しくなってくる。受話器を握り締めたまま、目をつぶり、怜悧 の姿を想像する。右手が忙しない……怜悧が許してくれてるんだから……。
 『……ふう、いっちゃった。無言ってことは……環もいっちゃったの?』
 『……うん。もうふぬけになっちゃった。へたりこんじゃったよ、全身から力がぬけちゃった』
 『あさって帰るからね。それまでおとなしく待ってて。また好きなだけ虐めてあげるからね』

  電話は唐突に切れた。薄暗闇の居間で怜悧のことを思った。
 大好きな怜悧……普通の関係ってなんだろう。普通じゃない僕らの関係、ひとつだけ言えることは、身体の 結びつきじゃなくて、心で繋がってる。多分、恐らく、怜悧もそう思っていてくれることを僕は願ってる、 そういうことなんだと思うんだ。
 問題は僕が恋焦がれるほど怜悧が僕のことを思ってるかってこと。犬みたいに扱って虐めて楽しんでるだけなのかもしれないし……怜悧の場合、どこまでが本当でどこまでが遊びなんだか皆目見当がつかない。

 怜悧を愛している。深く、深く、愛している……こんな贋物だらけの不条理な世界で、
 それだけは真実だとごわごわのパンツのまま、考えていた。
  結局のところ、僕は怜悧の命令を待っている犬。お預けを喰らってる愛犬ってだけなのかもしれない。
 それでもいいと思う。だって愛がついてるんだもの……。

Ⅷ 怜悧、帰国。そして香港みやげ

 「環! お客様よ、早く降りてきてー」

 一階から大きな声、姉ちゃんはいつも元気だ。
 玄関に怜悧。にかやかな笑顔、ノバチェックのブラウスと超ミニ、やたらに可愛いい。
「こんにちは環」
「怜悧、あがってよ、どうぞ」
「あんた隅におけないわね。よりによってなんでこんな可愛いい子がなんであんたみたいなのに会いにくるわけ?」
「今日、姉ちゃんなんでいるんだよ? 大学はどうしたんだよ?」
「自主休講よ! なんか文句あるわけ?」
「ないよ、全然ない。文句なんかあるわけない」
 怜悧はそんな日々繰り替えされる僕と姉ちゃんの会話をただただ笑って見てる。
「どうぞ、怜悧さんて言うのね、さ、さ、どうぞどうぞ。きったない部屋よ、覚悟しといてね」
「余計なこと言うな! 怜悧あがって、どうぞ」

 「狭小な部屋ね。全部座ったまま事足りるじゃない。便利ね」
 怜悧はラノベばっかの本棚を興味ありげに見ながらそう言った。
 「嫌味かよ、それ。久しぶりだっていうのに……」
 「おみやげよ環、それ渡しにきただけ」
 「だけって、久しぶりに会ったのに、それだけ? 感想はたったそれだけ?」
 「たった一週間じゃない、大袈裟ね。それとも久々に会ったから狂喜乱舞でもしてセックスでもする?」
 「怜悧はさ、言う事が極端なんだよ。するわけないだろそんなこと……」
 「へえー、わたしにパンツ汚すようなこと何度もさせといて、そんなことするわけないんだ、へえー」
 「なんだよ、それ!? 怜悧が仕掛けた罠にはまっちゃって、結果的にそうなっただけだろ」

  ――コンコン。
 ドアのノックの音。
 「お母さんがケーキとコーヒー持っていけって、入るわよ」
 姉ちゃんがケーキとコーヒーの乗ったトレイを机に置いた。
 「姉ちゃん! どうしたんだよ? さっさと出てけよ」
 「いいじゃない、ちょっとぐらい。あんたに女の子のお客なんて珍しいんだから、ってか怜悧ちゃん、ききしに勝る美少女ね 。貴女み  たいな子がなんで環なんかと、友だちな分け? そこが興味深々ね」
 姉ちゃんが怜悧を繁々と見つめる。確かに怜悧は僕にはそぐわないくらい美人で、眼鏡なんか掛けてるもんだからやたらに知的に見える  し、とにかく一緒に歩いても見栄えがする容姿なのだ。
 「お姉さま、褒めすぎです。調子乗っちゃいますよ。あはは」
 「環、あんたこんな可愛いい子、二度と手に入んないわよ。大事にしなきゃね」
 ダメだ。こいつ、なに言うかわかんない。強制退去した。要するに力づくで部屋から追い出したのだ。
 「酷い環! あんた、もうちょっと怜悧ちゃんと話させてよー」
 
 姉ちゃん、かなりぐずってたけど、結局諦めて階下に降りていった。
 
 「もう美月にはうんざりだ。あいつがいるとイライラする」
 「美月さんて言うんだ。環に似てる、なんだか可愛いいお姉さんね。環の扱かわれよう知ったらきっと悲し むわ」

 開け放たれた窓から雨の匂いがした。カーテンが微風に揺れた。雨には再生の神様が宿っているそうだ。
 いつか怜悧が言った言葉を思い出していた。
 怜悧は窓枠に頬杖をついてその雨を見つめていた。
 「夏に降る雨ってなんだか懐かしい匂いがするの……香港でもね、凄いスコールに見舞われて。なにもかもがぼやけて見えなく為っちゃう 位凄くてね……環、どうしてるかなって……環のことばかり考えてた」

 僕の腕に怜悧の腕が伸びて……指と指が絡まって……「キスして、環」唇が触れた。
「そんなんじゃなくて。もっとちゃんとよ……」
 雨は灰色のカーテンみたいに降り続いた。部屋から見える横断歩道……信号機の赤が滲んで見えた。
 「上唇噛んで」「はい」「下唇も噛んで」「うん」「唇も舐めて……」「ああ……」「舌出して」
「痛い!」「あまがみよ、興奮する?」「うん、ああ……」「勃起してる?」「うん、ずっとね」
「今日はだめよ、あれだもん……」「うん、我慢する……」
 「ほら、ちゃんと抱きしめて……ちゃんと抱きしめてないと見えなくなっちゃうぞ」
 
 長く、永遠と思えるくらい長く、抱き合っていた……伝わる鼓動がシンクロする。

 キスをせがむ怜悧と何度も口づけを交わした。キスをせがむ僕に怜悧は答えた。舌と舌が絡まり、唾液が交差する。怜悧の舌が僕の舌を絡 めとろうと蠢く。暫く僕らは夢中でお互いを確かめあった。
 唇が荒れちゃうくらいキスを交わした。

 真夏の熱気、雨の音、汗ばんだ僕らの身体、信号機の点滅する音、子供たちの黄色い傘、歓声、車のクラク ション、全てがスコールの灰 色に飲み込まれて、それは記憶の中に溶けて沈んでゆく。
 止まない雨みたいに十六歳が永遠に続けばいいと思う。怜悧とずっと一緒にこの夏が永遠に続けばいいのに……。
 止まない雨はなく、明けない夜はない……僕らもいつかは歳を取り、怜悧もいつかはまぼろしだったみたいに僕の掌からこぼれてゆく、  そんな予感……。怜悧は自由だ、どこにだって行けるんだ。
 僕は留まったままだ。きっとどこにも行けやしないだろう。
 急に怜悧が窓から身を乗り出した。
 「危ないよ怜悧……」
 容赦なく打ち付ける雨に顔を上げる怜悧……みるみる全身ずぶぬれになってゆく。
 ふいに怜悧が振り返り僕を見つめる。
 僕はゆっくりと怜悧のびしょ濡れの胸の谷間に顔を埋める。
 「僕から離れないでね怜悧、いつまでも一緒にいて……」
 「分からない……確かなことなんてなにもないもの……」
 「あるさ! 怜悧、愛してる。腹ペコのライオンみたいに怜悧を愛してる」
 「愛なんて……そんな、不確かで、不安定で、不遜で、実体のないものなんかに縋る気はないわ……」
 雨を含んだ怜悧の胸元の鼓動を聞いてるだけで安心していられた。
 「怜悧は僕のこと、どう思ってるの?」
 「南極でラクダを見つけたって感じかな……」
 「えっ? なんて言ったの……」
 僕たちは夏の匂いがする降り続く雨を見ながら何時間もそうしていた。怜悧はその間中、駄々っ子をあやす母親みたいに濡れた髪を撫ぜ  続けた。僕はといえば、まるでその場所が昔からそうだったみたいに鼻先を怜 悧の胸の谷間に押し付けていた。
 僕にとってはここに、僕の腕の中に怜悧がいることのほうがはるかに重要な気がしていた。例え、いつか、どこかにいってしまうとして  も、今はここにいるんだ。怜悧は僕の腕の中にいる……。
 鼓動も、匂いも、温もりも、全部僕のものだ。今だけは……犬じゃないよね僕。
 暮れなずむ部屋の陰影に怜悧が溶けていくような気がして抱きしめた腕にそっと力を込めた。
 「ばかね環……どこへもね、どこへも行きやしないわ……」

 晩御飯を一緒にって母も姉貴も誘ったけれど、頑なに固辞して怜悧は帰っていった。
  怜悧が帰ったあと、ベッドの上の免税店のビニール袋を思い出した。
 おみやげの包みを開けた。
 立派な皮製のチョーカーとリードが入っていた。
 
 

Ⅸ 学園祭前夜

 

 「はイ、ホーム・ルーム始めまーす。男子、ちゃんと席に座って! 夏休みボケもそろそろいい加減にしてください」
 真っ黒に日焼けした岡崎がいかにも委員長らしい威厳と態度でクラスのお調子者男子数名を嗜める。
夏休み後半の弓道部の合宿で日焼けしたんだそう。なんだか痛々しい。
怜悧も参加したはずなんだけれど、全く日焼けの痕跡すら見えない。
 担任の体育会脳の長渕、あだ名はトンボが、興味なさそうに窓の外を眺めている。こいつの貧乏ゆすりがやたらに気になる。
「今日の議題は、我が校名物の文化祭の件です。クラスの出し物とか、実行委員とか、期日もあんまないのでさくさくっと決めて、ほらーちゃんと参加しろ男子! 先生、この野獣どもなんとかしてください!」

 長渕はゆっくりと立ち上がる。通称体育会脳のトンボだ。
「ほらー、お前たち。岡崎に迷惑かけるんじゃないぞ。あとーオバケ屋敷とか喫茶店とかは止めてくれよ。管理する俺が大変だからな、こうもっと簡単で手軽なものにすることー」
 言い終わるとまた窓の外に視線を向けた。こいつ全然やる気ない。
「というわけでーす。前夜祭は行灯行列ありますから、なに作るか出し物決めなきゃいけないし、有志も募りたいと思います。ちゃんと参加してください。いい加減、団体行動に慣れてください。もう子供じゃないんだから全員、分かったー?」
 まばらに拍手が起こった。怜悧を見た。興味なさそう……。ため息混じりに頬づえをついてる姿はなんとなくアンニュイでいつもの怜悧だった。

 岡崎の豪放磊落的手腕でクラスの出し物はさくさくっと「メイド・コスプレ・おでん屋」行灯行列は初代ガンダム上半身と決まった。
 怜悧はなぜか立候補もしないのにおでん屋のウエイトレスに有志として参加することを岡崎の半ば強制で祭り上げられてしまった。
 弓道部の上下関係らしい。それと、コスプレを提案した男子が怜悧のメイド服姿を強烈に推したのだった。
その提案にはほとんどの男子から歓声が上がった。
 怜悧が密かに男子に相当人気があるのを改めて思い知った。さすがうちの姉貴が驚嘆するほどの美少女だ。
 いや、僕だって見れるものなら見てみたい。なんたって美少女怜悧のメイド姿なんて、更に赤い縁の眼がねっ子アイテムまでついてる……これを一言で現すならまさに萌えだ!

 そして、更に更に、僕だけしか知らない究極のアイテム。怜悧の「猟奇的ヘンタイ趣味」まであるというまさに萌えの最上級であるところの究極の「蕩れ(とれ)化物語参照のこと」ではないか!?
 男子の拍手を浴び、その他五人のメイド有志と教壇に立った怜悧は満更でもなさそうだった。さっきまであんなに興味なかったくせに……。僕の脳内では当然、胸の大きい子は「みくる」髪の長い子を「鶴屋さん」と変換されていた。(みくる、鶴屋さんとも「涼宮ハルヒシリーズ参照のこと」)
 いつもは男子の視線なんかことさら無視してるくせに。
 普段、クラスでは近寄りがたいってか、近寄るなオーラを全身から発散させているから、この美少女に話しかけるやつはまずいない。
 僕もそんな怜悧だから根拠のない安心感があるわけで、だいたい僕が怜悧とこういう関係になってること事態が奇跡なのである。

 並んだメイド候補はさすがに普通以上に可愛いい子ばっかなんだけれど、やはり怜悧が抜きん出て目立つ。
うちの学校の紺のブレザーに、チェックにプリーツの入ったミニ・スカートっていう制服がこれほど似合う子は怜悧のほかにいない。それに今日は紺のニーハイだった。完璧だ。
 着くずしたレジメンタルのタイがまた決まってる。さすが渋谷で何回かスカウトを受けるだけのことはあるなと、僕はなんだか鼻が高かった。
もちろん、怜悧と僕の関係を知るものはクラスには同じ弓道部の岡崎くらいだろうけれども。
 その岡崎だってまっぱで抱きあった仲だなんてことは想像すらできないだろう。
怜悧も僕も関係が深まるにつれて学内ではほとんど口も聞かないからなのだが、それはどちらからともなく侵してはならない不文律になっていた。今ではね……。


 文化祭の前々日、行灯の最後の仕上げに僕ら有志は孤軍奮闘、時間もすでに八時を回っていた。
屋上でしばしの休憩を取っていると、端的に言うとまあさぼってるわけだが、岡崎に声をかけられた。
「相川君、こんなとこにいたんだ」
「あれ、委員長。見つかってしまったか……疲れたんで、休んでました」
「うん。別に咎めてるわけじゃないの、ちょっと相談」
「へえ? 僕に……?」
岡崎はなんだか言いにくそうにちょっともじもじしていたけれど、意を決したように切り出した。
「……あの、相川君と市川さんってね、どういう関係というか……市川さんと倖田先輩がどういう関係っていうか……」
「……なるほどね。僕のことなんかどうでもよくて怜悧じゃない、市川さんと倖田先輩の関係が気になるわけだ、岡崎は……」
 中学が同じクラスだったから岡崎とは割りとなんでも話せた。呼び捨てもその頃からで、引っ込み思案で、無口な僕を、虐めたいやつがクラスにいて、けっこうからかわれたりもしたんだけれど、岡崎は庇ってくれたりもした。
 「岡崎は倖田先輩のこと気になるわけだ……ってことは好きなんだ、先輩のこと……?」
「うーん。当たらずとも遠からずってとこかな……で、市川さんと倖田先輩ってどういう関係なの?」
 こうやって話をしていると、意識してはいなかったけれど、岡崎もけっこう美人だってのが分かった。屋上の暗がりを抜きにしても、怜悧とはまた違った美しさがある。
 普段、僕がいかに話してる人の顔を見てないのかが分かって苦笑。
 ――ギギギーイ……。
 屋上の油の切れた蝶番の音。鉄扉から光がこぼれた。

 「環……なにやってる? あら岡崎さんも一緒? お邪魔だった?」
 怜悧だった。それも黒のメイド服姿。黒白メイド服はもちろん定番であり永遠の萌えアイテムだ。断言してもいいぞ。
 「邪魔じゃない。邪魔じゃないよ」すぐ全否定する岡崎であった。
 「アキバのメイド服レンタル屋さんから届いたのでみんなで試着してたの。環に最初に見せてあげようと思 って……」
 僕は絶句した。うわあああ、あまりにも、その、似合いすぎってか、猫耳までくっついてるじゃんか!?
 完璧だ。
 怜悧それは余りにも破壊的すぎる。……萌え、いやいや、蕩れだな。
「市川さん! それちょっとヤバイ! 貴女、そんなのあの長渕に見せたらセクハラ対称、間違いないしよ」
 「あはは、岡崎それって笑えない冗談……あはは」僕はカラ笑いするしかなかった。だって、余りにも怜悧がその、魅力的だったからだ。体育会系脳の持ち主、長渕ならありえないこともない。
「これ、胸のとこきつすぎるな。わたしには」
 怜悧が回って見せる。その、あの、ちょっとスカート丈が短すぎないかな? 白のニーハイってちょっと扇情的すぎないか? そのエナメルの靴……オーバー・ニーは黒だよね、やっぱ……うう、舐めてみたい!? なんてね。
 岡崎が怜悧を見て拍手。怜悧も満更でもなさそう。
「そうだ、岡崎さ。さっきの質問。怜悧に直接してみたら? 本人がいるんだし」
「えっ? なんのこと環……」
 怜悧に環と呼び捨てにされるのがなんだか心地よかった。怜悧も岡崎の前では僕たちの特別な? 関係を隠す様子はない。
 岡崎も僕たちの関係がただの友だちじゃないってことはもう気付いただろう。まさか僕があんな奴隷みたいな扱いを受けているとは夢にも思うまいが……。
 「岡崎は、怜悧と先輩がどういう関係なのか知りたいんだって」
 僕は試してみたかった。怜悧が僕との関係や倖田先輩との関係をどう岡崎に説明するのか聞いてみたかった。
 「なに、それ? なんのこと?」怜悧が怪訝そうな顔で僕を見、そして岡崎を見る。
「岡崎がなにかプライベートなことで聞きたいことあるらしいよ。怜悧に直接ね」
「ち、ちよっと相川君、ま、待ってよ……」心細そうな岡崎の声。確かに怜悧は人を怯えさせる、緊張させる何かがある。岡崎でも苦手はいるんだな。
 
 僕は二人を残して教室に戻った。縦ニメートル、横三メートル四方のしょぼいガンダムの提灯はあらかた出来ていて、実行委員のやつらにどこ言ってたんだみたいな顔されたけれど、とりあえず蝋燭を仕込んで点燈式までやっていた。
 教室の電気が消された。かなりブサイクなガンダムが浮き上がった。まばらな拍手。今残っているのはクラス四十人のうちの半分くらい。
 男子が多いのは怜悧目当てかもしれない。今日、メイドのお披露目だったのはみんな知っている。

 「えー注目!」いつもは岡崎の影に隠れて存在感のない副委員長の田所(たどころ)が教壇に立った。
手作りのスポット・ライトが当たる。こんなものいつ用意したんだ!?

 「では、1Aの諸君に今文化祭最大の特典をば」なんだか仰々しく前宣伝してる。こいつにこんな才能があるなんて……。

 「問おう……あなたが、わたしのご主人様か。 メイドよ! 来たれ!」

 怜悧を先頭にメイド・コスを纏った六人が教壇に上がった。
「ええと、一つ残念なお知らせってか、こっちのほうが実は見たかったってか、一人こんな服着れないとしり込みしちゃって、代わりに……」

 なんと、最後に現れたのは我らが委員長、岡崎めぐるだった。おおお東方、十六夜咲夜(いざよいさくや)の再来か!? 
 岡崎ってこんなに可愛かったの? メイド・カチューシャが似合いすぎる! 
 もじもじしてる委員長の手を取ったのは黒白メイドそのもって感じの怜悧。
 胸の辺りが窮屈そう。破壊的なニーハイにエナメルの靴が闇夜に光る。
 しっかりと握った指を絡ませて岡崎を中央に誘導する。ネコ耳怜悧と咲夜岡崎二人にスポットライトが当たった。
 三次元の凄さを思い知る。なんていうか、その、怜悧と岡崎のメイド姿は感動的ですらある。
 その場にいた全員が固唾をのむ。

 一瞬の静寂のあと、男子から一斉に指笛と拍手の嵐。暗がりでも岡崎の顔が真っ赤に火照ってるのが分かる。
 男子生徒の写メの嵐が巻き起こる。手を繋いだ怜悧と岡崎に集中する。
岡崎はもう地に足がついてない感じで、ふわふわ漂ってる。怜悧は写メにポーズを決める。これは萌えだ、それ以外にない! なんだこの怜悧の余裕は!

 学園祭の準備が整い電気の消された教室。もうすでに時間は九時を回っていた。珍しく先に帰ってと言われたけれど、なんだか気になって教室を覗く。

 メイド・コスのままの怜悧と岡崎が真っ暗な教室に残っていた。薄い白布のカーテンの中、満月の灯りだけが二人を照らす。
 死んだ月の灯りに照らし出された二人……美しすぎて声も出ない。

 「さっきは屋上でいきなりでびっくりしたでしょ?」
「いいえ、岡崎さんがわたしに関心ってか興味を持ってるってことは薄々気付いていたわ」
「……市川さんなら、分かってくれるかなと思って、いつ頃からかな、男子に興味がない自分知ったのは……」
 僕は、息が出来なかった。なんだよ、これ? 岡崎って……!?

「だからね、人前では極力いい子で通したわ。そんなこと知られたら生きていけない、わたし。でも、苦しくて、苦しくてね、そういう感情を隠すのが時々たまらなく苦痛になるの……リスカに走ったこともあるわ。腕ならバレちゃうでしょ。だから、腿のとことかにね、掻き毟っちゃうの……カッターで刃を当てると、なんかこうすーっとするの。血が流れるとね、普通なんだって、わたしも普通だって……思いたい。こんな出来損ないだと思いたくない……外見は女なのにね、小さいけれどオッパイだって、ほらあるでしょ? なのに男が好きになれないの。むしろ嫌悪しかない。興味がないの! 湧かないの!」

 押し殺した泣き声……岡崎が怜悧の胸に縋って泣いていた。抱きしめる怜悧。
「もういい、めぐる……楽になって、貴女はなにも自分を責めることなんてないのよ! 女が女を好きでなにが悪いの、わたしも、貴女が好きよ……」

 泣きじゃくる岡崎の顎を怜悧の人さし指が捉えた。満月の灯りが二人を妖しく照らし出す。
 「苦しかったの……とっても苦しかった」
 怜悧の舌がゆっくりと岡崎の涙を掠める。二人の唇が近づいてゆく。
 「ああぁ……」
 一瞬漏れた岡崎の吐息はそれまでの呪縛から逃れた開放感だったんだろうか?
 満月の灯りに唇を重ねた二人の影がフローリングの床に溶けた。
 息を飲むほど美しいその光景を僕はただ見つめ続けた。
 岡崎の身体が弾かれたようにすくむ。
 「……怜悧ちゃん、怜悧ちゃん。さわられるとわたし、どうにかなっちゃいそう……大好き……」
 「黙ってめぐる……身体はね、身体はウソつかないのよ……」
 メイド服の二人の脚が絡めあう。唇が重なる……怜悧の抱きしめた腕に力がこもる。
 岡崎は怜悧に身体を預けた。

「……あのね環。知ってる? 月の光って一度死んでるのよ。太陽の光を浴びて輝いてるだけだもの。生命はその太陽の光を全身に浴びて死ぬ速度を速めてるのよ……だから人間は、月に反射した死んだ光を体中に浴びて、少しだけ生きるのを止めてね。月灯りの中でだけ、生命の呪縛から逃れることができるのよ……」

 僕はいつかの怜悧の言葉を反芻していた。

 生命の呪縛から解き放たれた二人を月明かりだけが照らし続けた。

Ⅹ 学園祭顛末記

 怜悧と岡崎の衝撃のシーンに息を飲んだ次の日。
 学校近くの歩行者用通路になっている商店街をぐるっと回って校庭に帰ってくるのが前夜祭の行灯行列。
 で、例によって、最上級生の石つぶて攻撃で、一年、二年で生き残った行灯はわずかだった。
 中には石つぶて攻撃が過激すぎて燃えちゃう行灯まで出る始末。引率の先生が汗だくで制止する。
 まあ、これもいつもの姿なのだそうだ。
 全ての行灯は校庭のキャンプファイヤーで燃やされ、伝統の西高学園祭は幕を開けた。

 中学の頃からこういう団体行事にはほとんど参加したことがなかった。興味がなかったのだけれど、今回は怜悧がクラスの出し物であるおでん屋さんでなぜかコスプレ・メイドなんかやってるもんだから、仕方なく僕も付き合った。
 特に委員長の岡崎の人使いの荒さは酷いもので、僕は調理実習室で作ったおでん種をクラスに運ぶ仕事を割り当てられ、てんやわんやの一日を送った。

 我がクラスの六人のメイドの人気はすさまじくどんどん教室に入りきらない主に本校と他校の男子生徒なのだけれど、整理券まで配る始末。おでんなんてそっちのけであったのだ。
 怜悧と岡崎がメイド人気を二分したのは言うまでもない特記事項だ。決して禁則事項などではない。
 このメイド人気に調子に乗った副委員長の田所が一回百円の写メコーナーなんか作るものだから我がクラスの「コスプレ・メイドおでん屋」は終日大賑わい。
 怜悧なんて写メの順番に行列ができるくらい。そっちに忙殺されてウエイトレスらしいことなんて何もできず、もちろん写メ人気の二番手はコスプレに目覚めた我がクラスの委員長、岡崎めぐるであった。

 夕方から雨にたたられ、出店も早仕舞いし、必然的に客は講堂に集まってきた。
 クラブ単位やクラス有志の演劇、「マクベス」「ロミオとジュリエット」「ベニスの商人」シェークスピアの三大噺(うちの学校は演劇がけっこう強いのだ)、合唱、吹奏楽部、ロックやヒップホップのライブ演奏、ダンス・パフォーマンスなどなどが行われ、それなりに盛り上がったのだけれど、最後にひと段落した我がクラスのメイド六人がサプライズで登場した時が一番盛り上がったんじゃないかな。
 あまりの客の多さに全校中の噂になっていたのだ。特に怜悧の人気がすさまじかったことをここに記しておこう。
 もちろん、そのセッティングのリクエストを出したのはなにを隠そう怜悧の彼氏を自認する生徒会副部長、倖田啓介であったのはいうまでもない。
 
 こうして怒涛の文化祭は過ぎていったのだった。

 いつもの校舎屋上。例によって僕の唯一の憩いの場。教室の後片付けもひと段落。
すでに九時を回っていた。校舎に残っているのは恐らく数えるほどだろう。
学園祭の期間は下校時間についてもけっこう緩い。
いるのは三人、僕と怜悧と岡崎。
怜悧も岡崎も制服姿に戻っていた。いつまでもシンデレラじゃいられない。
 馬車はとっくにかぼちゃになり、白馬はねずみになる。そんなものだ、ただ一つ、怜悧も岡崎も可愛い姿でここに存在してるってこと。それだけは絶対に変わらない。
 
 「ふー、こんなに学校の行事に参加してこき使われたのなんて始めてだよ」ため息交じりの僕。
 東京でもこんなに星が見えることに三人ともなんとなく感動していた。怒涛の文化祭の疲れもあったし。
「感謝してるよ、相川君。大活躍だったものね」岡崎の笑顔、なんとなく癒される僕であった。
それを聞いた怜悧は嘲笑気味な笑いを浮かべてる。
 さきほどから岡崎は怜悧と手を繋いだままだ。僕の前では憚る様子はない。
僕がいなければ怜悧といちゃいちゃしてたかもしれない、そんな素振り。
岡崎は怜悧に夢中な様子。あんまり油断してるとクラスのみんなにバレちゃうぞ……いくらか嫉妬を覚える僕。
……うん? これも怜悧の策略なのかな? なにを企んでるの怜悧?
 岡崎は怜悧に告白したこと僕に話してると思ってるかもしれないけれど、僕はもちろん聞いてない。
怜悧は必要なこと以外プライベートは話さないんだよ、絶対にね。そういう子なんだよ、怜悧は……。
 僕はね、偶然見ちゃっただけ。あの光景をね、息が詰まるほどの美しい姿。月光に照らし出された二人の重なった影をね……。

 「おっ!? こんなとこにいたんだね君たち」イケメン、長身、痩躯、三拍子揃った倖田啓介登場。
「あらっ! 倖田先輩。す、すいません。弓道部の行事になにも参加できなくて……」
 一年生で弓道部の副部長を任された責任を痛感する岡崎。
「全然! 僕も園祭の生徒会行事に忙殺されてね。まあ本校で最も伝統のある部だからね、僕などいなくても全く支障はないさ」
「……わたしも弓道部なのに、なんだかメイド・コスに浮かれちゃって。なにもお手伝いできなくてごめんない、先輩」
珍しくしおらしい怜悧だった。
 「いや、そんなこと。最後に登場した君たちであの盛り上がり。先生たちも言ってたけれど本校文化祭最高の盛況だったらしいよ。とりあえず学祭は大成功だったしね。生徒会からもお礼を言わなきゃね……」

 ええと、倖田啓介は相変わらず僕を無視してる。先輩、そんなに敵視しないでください。怜悧と恋人として付き合える先輩をある意味僕は尊敬し、認めてるんですからね。

 「あら!? 花火!」
怜悧がはしゃいだ声を上げる。
 六尺球が夜空に大輪の華を咲かす。何発も打ち上げられる花火を暫く無言で見つめていた。
ふと横を見ると怜悧の瞳とかちあった。その横には岡崎の瞳……岡崎の左手はしっかりと怜悧と繋がっていた。もちろん僕の腕は怜悧の右手をしっかり掴んでる。

 怜悧が倖田に目配せした。
背後から長身の倖田が怜悧の肩に手を置いた。
 怜悧の身体がびくっと反応する。怜悧が倖田にキスをせがんだのだ。
岡崎を見た。複雑な表情……花火に照らされたその横顔がなにを考えているのか僕には分からない。
でも、この状況にさして驚かないってことは全部怜悧から聞いているのかもしれない。倖田との関係も僕との関係もだ。

 倖田と離れた唇が間髪を置かず岡崎の唇と重なる。岡崎が一瞬ためらうけれど、怜悧の唇を受け入れる。
倖田の驚いた顔、でも、それもすぐ消える。倖田も怜悧が普通じゃないってことが分かってるから。
「先輩、内緒よ。ばらしたら軽蔑するから、岡崎さんの名誉を汚したらただじゃ済まないから……」
 先輩は無言。その無言は瞬時に全てを理解したとでも言ってるよう。

 最後に僕の腕を引き寄せる。花火は更に何発も天上で華麗なショーを続けていた。綺麗だった。それよりも美しかったのは怜悧、君だ。
 花火の瞬きに照らし出された怜悧の横顔、僕ら三人の思惑など意に関せず、自由に、自信に満ち溢れて、自分が信じたことを素直になんでも受け入れる怜悧の美しさは格別だった。
 僕らはいったいどこに行くんだろうね、怜悧。
 僕はこの二人を怜悧が選んだこと……よかったと思ってる。どんな関係が築けるのか皆目見当もつかないけれど……。
 この二人が僕たちの間に入っていったいこれからどうなるのか僕はワクワクしてるんだ。
嫉妬なんかしないよ。だって僕は君の忠実な犬なんだからね、愛犬でありたい。ただそれだけだ、今は……。

 天上には真夏の空を彩る大三角。デネブ、アルタイル、ベガが燦然と輝いていた。まるで僕らみたいに。
もちろんその中心にいるのは怜悧だった。

XI 岡崎めぐると僕の一日……。

 「どうしたの?どこ見てるの?」
「べ、別に……」
「なにしに来てるの? 勉強見て欲しいんでしょ」
「エアコン効いてる?なんかすごく暑い」
「話逸らすな環! 期末どうすんのよ。また追試受ける気!? 留年なんかしたら許さないから。野良犬になるの嫌でしょ? 違う?」
怜悧はさすがだ。i-podのイヤホン耳に当てながら僕に数学を教えてるんだから……。
 岡崎はキッチンでなにか作ってる。
怜悧の家で学年五番の岡崎と、九番の怜悧に勉強教えて貰える僕はなんて幸せものなんだ。
それに二人ともめちゃくちゃ美人だし、可愛いいし。
 しかしだ、怜悧の、お気に入りのGAPのしもふりのショーパンから覗く脚をじーっと見てたらついさっき怒られた。

 「はい、出来たよ。ペペロンチーノとコーン・スープ」
 美味しそうな匂い。空きっ腹がヒクヒクする。
  一口食べた。めっちゃ美味しかった。
「岡崎ってなんでもできるんだね。勉強もできるし、面倒見もいいし、最高」
 怜悧が睨んだ。口元に不敵な笑い。
「なんでもはできないよ。できることだけよ」
岡崎、それどっかで聞いたことあるセリフ、ははは。
「にしても、大きなお家ね。迷子になるわ」と岡崎。
「うん、築百年。有形文化財級だよね、このお屋敷」
怜悧は黙ったままパスタをパクついてる。胸元が開いたポロシャツ。胸の谷間がやたらに目立つ。
怜悧と視線が合う。口元が「どこ見てるのよ」と怒ってる。
 ううう、脚舐めたい。すごく舐めたい……。

 携帯が震えた。怜悧のスマホだった。

『はい、あら? 倖田君? うん、いいけど……分かった。うん、三十分くらいかな……』

「えええ? 出かけるの怜悧?」
「うん。ちょっとね、すぐ帰ってくるわ。環はそのままめぐるに勉強教えてもらってなさい」

 ***

「いっちゃったね怜悧ちゃん。相川君、いつも置いてきぼり食らったりするんだ」
「うん? うん、まあね。それより岡崎、この二次方程式詳しく教えてください」
「はい、はい。なんか不思議ね。怜悧ちゃんの部屋で相川君と二人っきりなんて……」
「中学の時はよく庇ってくれたよね。いじめっ子からさ、唯一僕がちゃんと話せる女子だったからね岡崎って、昔から面倒見がよかったよね」
「うん。不思議とね、相川君は嫌じゃなかったの。同性みたいな感じでいられたの。普通の男子は近くに寄られるのさえ嫌悪いっぱいで我慢するだけで冷や汗出てたってのにね……だから、そういう異常なとこ、知られたくなかったから、率先してね、務めてクラス委員とか、先生に気に入られるようにしてたわ。いい子を装うってけっこう大変なのよ。フラストレーションたまってリスカってたし」
「……怜悧に話してすっきりした?」
「うん。なぜだか、怜悧ちゃんは拒否らないと思ったの。なんでだろうね? こくって拒否られたらなんて考えもしなかった。ただ、言わなきゃいけないって、スキだって言わなきゃっていつも思ってたことだけは確か」
 視線が交差した。僕も岡崎も怜悧のこと思ってたのは確かだ、多分。
「わたしね、今、思ったんだけれど相川君とならね、その、あの、キスとか出きるかも……」
「ふぇっ? どういう意味? キ、キス、できるって!?」
「いつまでもこんなんじゃヤバいでしょ。免疫つけるためにも男子に慣れとかなきゃとか思うわけ。で、相川君なの。神様の息がかかるくらい近くにいても、嫌じゃないってわたしにとっては、なんていうか、その、特別なのよね、相川君って……」
「……ってことはさ、男子に免疫つけたいってことはさ……その、あの、岡崎の肌に触れてもいいみたいな意味なのかな? いきなりキスっていうのも岡崎、拒否反応起すかもだよ。男が苦手なんでしょ? 」
 じっと睨む岡崎の顔が赤みを帯びる。身体が硬直してるのが分かる。
「相川君が触ってみたいって言うなら……そうね、いきなりキスっていうのもなんだか思慮に欠けた発言よね。わたしらしくないよね……」

 なんでだろう。しめたと思った。岡崎のその素敵な脚をね……。僕はやっぱりかなりなヘンタイだ。そう思う。触媒は怜悧だ、間違いない。僕にも素質があったことは認める。怜悧は知ってたんだ、僕がそういうやつだってね。
「岡崎さ、ちょっとそのソックス脱いでみてよ」
僕をじっと見つめる岡崎。小首を傾げる仕種……なんか疑ってる。仕方ないって感じでソックスを脱ぐ岡崎。
「そのソックスちょっと貸して」
「ええ? まあいいわよ。相川君、なにするつもり?」
僕は受け取ったソックスを迷わず鼻先に押し付ける。
「あ、相川君!? なにしてるの?」
驚いてる岡崎に構わず脚を掴み、舌を這わす。
必死で逃げようとする岡崎を力ずくで押さえつけて僕は足指を舐め続ける。
「相川君! 相川君! や、止めて!」
「止めないよ! 岡崎。僕ってこういうやつなんだよ……慣れたいって言ったのは岡崎だよ」
「はうう……」
足指を一本ずつ舐め続けた。岡崎は身を捩って抵抗する。お陰でスカートが捲れ上がりパンツがむき出しになった。
「い、いや! 相川君、お、お願い! 止めて! はあぁ……」
朗かに岡崎の身体から力が抜けていくのが分かる。抵抗が徐々に弱まる……。
「怜悧と僕はね、こういう関係なんだ……岡崎の前でなら僕も自分を曝け出させる。だから、脚を舐めるのは絶対止めないんだ」
「な、なによ? おかしいわ、その論理、絶対、破綻してるじゃない……」
「男ってのに慣れたいんでしょ岡崎。黙って……我慢することっ!」
「酷い! 酷いんだから相川く……ううう」
岡崎はほんとに我慢していた。身体が小刻みに震えていた。卑怯なやつだ僕って……自分の欲望を適えるために、素直な岡崎を巻き込むなんて……。
「あ、あ、相川君? ど、どこまで我慢すればいい? なんだか身体が変になっちゃいそうなんだけれど……」
「ぼ、ぼ、僕もね、岡崎。すごくね、すごく興奮してる……」
いつもなら怜悧に支配されてる僕が、この場だけは真逆の立場で岡崎を支配していた。岡崎の耐えた顔や、捲れ上がったスカートや、ブラウスから覗く胸の谷間、お互いの汗や、二次方程式や、その他、いろんなものが怒涛のように僕の頭をいっぱいにした。
「ふわあ!」
「ど、どうしたの相川君?」
固まったのは僕のほうだった。いっちゃったのだ……なんてことだ、いったい。
「……ええと、どう説明したらいいのか……男って、せ、生理現象ってやつが……こう、色々……」
「ばかね、そのくらいわたしだって分かるわ。中一の保健体育で習ったもの、男のメカニズムなんて。ああ、なんだか、身体が変になっちゃいそうだった」
「だいぶ慣れた、男に?」
「さあ、どうだろ? 相川君にはだいぶ慣れたけれどね、うふふ」
岡崎がじっと僕を見つめる。なんだかドギマギした。パンツの中が気持ち悪かった。
岡崎の唇が近づいてきた。
唇が触れた。
「なんだかね、この半月でずいぶん、色んなことが分かってきた、そんな気がするの。怜悧ちゃんが進んでるのか、わたしがウブすぎたのか……なんにも知らなかったでしょ、わたし。異性が怖かったしね。自分も大丈夫なんだって思えるようになってきたわ」
 僕は無言。岡崎との初キスの余韻に浸っていた。
「少なくとも、わたしは異常なんかじゃないってね、ただね、そういうことに慣れてないだけじゃんって思えるようになってきたの。怜悧ちゃんのお陰、それと相川君のお陰でね……」
「あのね、岡崎……ちょっと頼みがあるんだけれど、いいかな?」
「なに?」
「このソックス貰っていいかな……」
岡崎が本気で僕を睨む……。
「バカ! ヘンタイ!」
だよね。やっぱ僕ってヘンタイだよね、あはは……。

どこまでも優しくて、どこまでも残酷な君

どこまでも優しくて、どこまでも残酷な君

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-02-21

Copyrighted
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Copyrighted
  1. Ⅰ 怜悧のこと……
  2. Ⅱ 日常と怜悧という非日常の硲
  3. Ⅲ 怜悧を中心に世界は回る……
  4. Ⅳ どしゃぶりの夕立の中で僕たちは確かめる……
  5. Ⅴ 理性と欲望の天秤ばかり
  6. Ⅵ 悪魔みたいな怜悧、翻弄される僕……
  7. Ⅶ 遠距離TEL SEX 怜悧は三千キロの彼方……
  8. Ⅷ 怜悧、帰国。そして香港みやげ
  9. Ⅸ 学園祭前夜
  10. Ⅹ 学園祭顛末記
  11. XI 岡崎めぐると僕の一日……。