Bくんとおれ
中学生のときは、皆もじもじしていたバレンタイン。男子校に入学してからは、そんなものとはすっかり縁が遠くなってしまうと思っていた。
あいつのことは、Bくんと呼ぼう。血液型がB型だったから。
Bくんとの出会いは、その男子校に入学したてのときだ。おれとBくんは、たまたま隣の席になった。
「よろしく。」
Bくんは形のいい目を細めてにへらと笑った。それから、おれはBくんのにへら笑いを毎日見ることになった。おれは中学のときからバンドを組んでいた。大したものじゃなかったけれど、そのことを言ったら、Bくんはとても喜んだ。
「俺も音楽好きなんだよ。」
Bくんは小さくて細かったし、こんなので男子校3年間やっていけるのかと思ったが、とても頭が良かった。それに、人づきあいが上手くて、皆から好かれていた。一方おれは、バンドの方にかまけて成績が急降下し、学年ビリレベルにまで到達してしまった。
友達はみんなおれを笑ったが、Bくんだけはそれを聞いてとても焦っていた。今思うと、きっとおれと違う学年になりたくなかったんだろう。Bくんは毎日、放課後におれに勉強を教えてくれた。それから、Bくんとおれは一層親密な仲になった。
そして、バレンタインの日がやって来た。その頃、おれは勉強に没頭していて、バンドをなおざりにしていた。おれは両立のできない男だった。朝、学校へ行くと、校門に女の子が立っていた。最初は、わざわざ校外から女の子がやってくるほどモテる奴もいるんだな、と思っていた。だけど、違った。その女の子は、おれのバンドのメンバーだった。
「たまには来いよ。」
キーボードの子だった。ショートカットで、男勝りな子だと思っていた。でも。
「これでも食べて元気出せ。」
彼女は紙袋をくれた。中には、お菓子が入っていた。女の子は足早に立ち去ったが、おれは正直、普段の調子とのギャップにぐらりと来てしまっていた。
紙袋を持って教室に入ると、大騒ぎだった。みんなおれをからかった。
「お前、彼女いたのかよ。」
別に彼女ってわけじゃなかった。でも、もしかしたら、あれは彼女なりの告白なのかもしれないと思って、顔が熱くなった。でも、みんな、からかいつつもおれのことを喜んでくれていた。普段おとなしくて無表情なやつも、この時ばかりはおれを見てほほえんでいた。ただ一人、Bくんだけは黙って本を読んでいた。
放課後、おれはBくんに声をかけた。授業でわからない問題があったから。今日のBくんはそっけなかった。おれは、その原因をなんとなく分かっていた。でも、めげずに問題を教えてもらうことにした。
「ここ教えてよ。」
「……」
「どうしてマイナスになるのか分からないんだ。」
「……」
Bくんは黙りこんでいた。おれはどうすればいいのか分からなくて、Bくんの顔をじっと見つめていた。Bくんの目にはうっすら涙が溜まっていた。
「どうしたの?」
おれが聞くと、Bくんはもじもじし始めた。
「あのさ……」
「うん」
「えっと……」
何か言おうとしていたが、言いだせないようだった。
「なんでもない」
絶対にうそだった。
「なんでもないわけないだろ」
そう言うと、Bくんははっと顔をあげた。その目は何かに怯えているようだった。自信を失っているようだった。でも、きれいだった。おれはじっとその目を見ていた。
「な、に」
「いや……」
おれはBくんから目を離した。
「ごめん」
気まずくなってしまった。おれは数学の問題に目を向けた。そもそもおれは、この問題を教わろうとしていたんだった。
「ばか」
「え」
突然声が聞こえた。Bくんの声だ。確かにおれは成績が学年ビリのバカだが、いきなりそんなことを言われるとは思わなかった。
「ばか」
「……」
「ばか、ばか」
Bくんは泣いていた。
「ばか……う、ひっく」
「……」
おれはBくんを見ていた。
「そんな、もの、もらって、喜んでんじゃ、ねーよ」
おれにはBくんのこころの全てがわかった。ふわふわした気持ちになって、おれはBくんの頬をさわってみた。すべすべしていて、涙で手がしめった。
「……」
「……」
おれたちはしばらく見つめ合っていた。何も言えなかったし、何も言わなくていいと思った。
しばらくしてから、おれは自分のしたことの恥ずかしさに気付いて、ゆっくりと手を離した。Bくんはわずかにほほえんでいた。窓から差した夕日が、Bくんの涙を照らした。
「あ、もうこんな時間かあ」
Bくんは時計を見てそう言った。
「帰らなきゃ」
おれはその言葉で現実に引き戻された。Bくんは、さっきの様子がうそみたいに、落ち着いて荷物をかばんに入れていた。おれも一緒に帰ろうと思ったが、変な感じがして、ずっと椅子に座っていた。
「あのさ」
かばんをしょって、Bくんが言った。
「好きだよ」
Bくんは照れくさそうににへらと笑った。
おれは一人でくしゃみをした。教室にたった一人。数学の問題を見たけど、ちっとも頭に入ってこなくて、Bくんの肌や、涙や、声ばかり思い出した。思えば、Bくんはおれの気持ちを確かめてから告白したんだ。きっと。つくづく頭のいい人だと思った。
でも、こんなんじゃおれ、もっとばかになっちゃうよ。
Bくんとおれ