彼方からの信号

 新しい脳波が観測された。
 それは突然で、そして全人類で同時に起こった現象だった。
 今までとまったく同じ測定機器を使っていたのに、突如観測され始めたのだ。
 人が突如変化したとしか言いようがなかった。同種のホモ・サピエンスとはいえ別々の個体から一斉に同じ脳波が観測され始めたのだ。どういうことなのか、さっぱりわからなかった。
 
 その脳波は、眠っている時でも起きている時でも何の干渉も受けず、ただただ何の役割を持つのかわからない信号を出し続ける。測定器は計測することができるけれども、その用途がわからない。では他の霊長類ではどうなのか。チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ニホンザル、etc etc,世界中の動物園や研究所で飼育されている猿の脳波を計測してみたが、どこにもこの新脳波を観測できなかった。
 帰納法の行き着く先として、他の哺乳類が測定対象となっていった。その中で一番厄介なのがクジラであった。勿論、そのサイズが大きすぎることに問題があった。サイズに比べて脳の位置があまりに小さく、ピンポイントで脳波測定器を取り付けることが困難だった。そのため、巨大な麻酔を打ち活動を再開するまでの間限定で脳波の測定を行うしか無かった。活発に活動しているときの脳波は感知できないが現代の科学では妥協せざるを得なかった。
 さて、鯨、シャチ、イルカ、それぞれ人間と同等、もしくはそれ以上と言われる知能指数を持つ動物たちの計測は苦労を伴いながら調査が進められたわけだが、結局のところ何ら芳しい測定結果が得られなかった。
 その後は手当たり次第になっていった。哺乳類に関して、ありとあらゆる動物園の動物達から脳波を得ることにした。ホッキョクグマから、ライオン、ゾウ、トラ、カバにバンビにカピパラに、片っ端から麻酔を打ち脳波測定装置を取り付けられて頭の中が調べられていった。
 動物たちはまた人間がよくわからないことを始めたと思って警戒したが、結局、害の無いことであることがわかると、これもまたいつも通りされるがままになった。「やれやれ、またか。」百種百様ではあったが同じ内容の鳴き声が世界中の動物園から漏れだした。勿論どこにもそれに気づく者はいなかった。
 だんだん調査対象の動物の脳みそは小さくなっていった。どこまでいけばこの研究が終わりなのだろうか。どこにも知るものはいなかった。そんなことを気にする科学者はいない。終わりの無いことに怯える種類の人間は科学者にはなれないのだ。経済性を懸念する仕事はマスコミがすればいい。何社かの新聞と雑誌が税金の使われ方という観点からこの研究に疑問を呈したが、あまりコストのかからない調査であったし、何より地味なプロジェクトであったので結局大きな問題となることもなかった。世界中ではただただ動物の溜息ばかりが増えていくだけ、それ以外に変哲のない数年だった。
 
 さてこの年、体長20cm以上の動物の調査はあらかた終了した。この先意味がないことは大多数の共通認識であったが調査は続行された。来年はチワワの調査から始め、夏頃にプレーリードッグの調査を終えて、年末までにハムスター迄進めば上々だな、と。
 その予測が覆る日が来るとは誰も思っていなかった。
 しかし、そういうときに限って覆るものなのだ。
 つまり、ハツカネズミの実験中に予測が覆ったのである。
 人類から新しく測定された脳波と同質の信号がハツカネズミから微弱ではあるが出ていることが発見されたのだ。数多くいる哺乳類の中でハツカネズミと人間だけが同種の特殊な信号を送っていること。この共通性を測定していた男は恐れた。これを気づいた深夜2時、世紀の発見は実験室に残っていたのは自分だけのものだった。
 その研究者である男はハツカネズミが苦手であった。ここで脳波測定を始める仕事に転属する前は薬品会社に勤務していた。医学を志していた彼は、一定の成績を収め、国内有数の製薬会社に入社することになった。理由としては、ただ他の選択肢よりも金銭面が好待遇で、また福利厚生が整っていること、それが決め手だった。また、彼の性質を活かせる職場でもあった。彼は臨床実験を延々と繰り返すことに苦痛を感じない種類の人間だった。Aで測定して観測できなければ、Bで測定し、Bから観測できなければ、Cに移る。これを延々と繰り返す。永遠に続く繰り返しに思えるかもしれないが、確実な前進は彼の心に達成感をもたらした。また彼は、こういう種類の延々と繰り返される物事に大多数の他の人は辟易するものであることも知っていた。それほどには客観的な視点を兼ね備えていたのだ。
 自分は他者と違っているのか。これは欠如なのか。深夜一人残って動物と向き合いながら実験をしていると、どうしてもこの疑問が生まれるのだった。
 アリストテレスはそういう種類の人間を「奴隷型」と区別したけれども、これほどの金銭的余裕があり、仕事は苦しいかもしれないが一握りの人だけが得られる裕福さを自分は手にした。これほどの裕福をもってしても、奴隷的要素はあるのだろうか。勿論、人はだれだって時間や金には敵わないし、この生活という重力圏から自由になることはできない。だから、本質的には人は誰でも奴隷という宿命から逃れられないものであり、一般論は所詮一般論であって空虚だ。
 しかし、それでも他者と比較しているときに自分が感じるこの不安は何なのだろうか。それはおそらく否定され続けてきたことから生じた感情かもしれない。変わりない日常に達成感を感じている自分を見て、多くの人が嫌悪をもって投げかけた否定の言葉が生きているのだ。多くの人は私の知性に寄ってきて、そしてこの性質を見て消えていった。その有象無象の言葉が私の内部で未だに機能していて亡霊のように現れては否定的な言葉を投げかけているからなのかもしれない。
 深夜に測定をしていると麻酔で眠っている動物の口が動くことがある。「お前は他の人間とは違う。自由にものを考える力を剥奪された奴隷だ。」それが熊の顔であっても、トラの顔であっても、言うことは同じだ。では、私が他の人間とは違うとして、金でも時間でも生活でもない他の人とは違う何かに支配されている奴隷であるとしたら、一体何の奴隷だって言うんだ。
 いや、やめよう。ただの幻だ。光が夜を埋め尽くす時代になっても深夜二時という時間帯は迷いを生じさせるくらいの力はある。逆に言えば迷いでしかない。
 動物に比べれば、人間は奴隷だ。動物は自然とともに有り、自然に囲まれ、自然を内包している。それがたとえ檻の中であっても変わらない。檻の中でさえ自然に変容させてしまう。どれだけ人間が綺麗にしても、やつらは自然の匂いを発し続ける。奴隷が自由な存在を麻酔で眠らせて思い通りにしているなんて、なんて逆説なのだろう。
 こんな不自由な「自由なる存在」に比べれば奴隷のなんと楽しいことか。私は奴隷の自分を享受しよう。多少の優越と優越を感じている自分の情けなさまで感じ取ることでバランスをとっていることだってわかっている。そのバランスという名前の非常にあやふやな境界線のうわずみに常識がある。
 彼が製薬会社に入社してからというもの、臨床実験は彼にとってまさに天職だった。功を急がず、結果を求めず、彼は地道に行程を繰り返した。主に扱っていたのはマウスだった。実験用に育てていたマウス。またの名を種族名でハツカネズミ。
 薬品を次々と摂取させ、ハツカネズミの変化を観察する毎日だった。グロテスクな変化を起こすネズミなんてものは思ったよりはなかったことに、感情の起伏の少ない彼でもさすがに安堵した。弱っていくネズミを延々と見守る毎日だった。とてもとても短い周期での変遷を伴った。投与した薬品の影響で弱るときもあれば、まったく関係がないような時もあった。その境界線を探してどっちに結論がぶれるか、つまりネットに引っかかったボールがどちらに落ちるかそれを見極めるのが仕事だった。
 その仕事は得意であった。常に、一定の達成感を彼は感じ続けられたし、給料もまずまずだった。でも、順調にはいかなかった。数年経った頃、ある日突然、マウスを見ると体中に蕁麻疹が起きて、呼吸が辛くなるようになった。マウスと一緒の空間にいるだけで耐えられない。勿論、マウスは消毒されていて清潔だったので、精神的な理由ではないかと疑われて精神科に通うことになった。数週間の療養生活をとり精神分析を専門家にお願いしたが原因が見つからなかった。疲れかストレスとしか判断されなかった。それにハツカネズミ以外の動物では異常な反応は起きないのだ。このような症例はどこにもなく、精神科医も無意識の抑圧だとか反動形成だとか幼少体験だとか、様々なことを言われたが全く要領を得ない。原因不明という言葉は実に様々な言い方ができるものだ。彼は専門用語を効くたびに溜息をもらした。
 彼は退職することにした。ここに留まることも出来たのにそうはしなかった。彼は有能な人材なので薬品会社は引き止めた。別の部署に転属させることを提案してくれたけれども、彼は自分の特性を活かせる場所を求めていて、それは延々と続く種類の動物実験がある場所でなくてはならなかった。それにある独立行政法人の研究機関からヘッドハンティングされているところでもあった。彼の堅実で粘り強い人柄と、動物実験での堅調な実績、それは地味ではあるけれどある種の才能であると判断されていた。自分を評価してくれたことが嬉しく、彼は転職を決意した。そして、その頃騒がれていた研究の調査のため、研究所が優秀な人材を大量に求めていた時期でもあった。需要と供給、それからタイミングが見事に重なった。そうして彼は、動物の脳波を測定し続ける現在の職を得たのである。
 彼が奴隷という言葉について考えだしたのは、脳波の測定を始めてからである。多様な動物の麻酔で眠った姿を見るたびに、その動物が動いているところを想像せずにはいられなかった。それはマウスで臨床実験をしていたときには起こらない思考だった。深夜の幻覚が見え始めたのも、ここに勤めて一年以上経った頃からだ。大型で危険な動物の調査は終わって、小型犬とか、深夜に一人で対処できる動物を測定するようになってからだ。だが、それも大したことじゃない。
 そしていつしかハツカネズミの順番が回ってきた。他の同僚に代わってもらおうか考えたが、昼間久し振りに見たところ、どうともなかった。なんだ、大丈夫じゃないか。アレルギー反応はいつの間にか完治されたようだ。無意識で起こったことなら、無意識で解決されたのだろう。
 深夜、克服したハツカネズミの頭に電極を貼り付けた。死んでいるようにも見えるが、麻酔で眠っているだけだ。今回は何も投与することはない、ただ電波を少しもらうだけだ。そして見つけてしまった。同じ新電波をその小さな体から。
 愕然とした彼は、一刻の後ハツカネズミを見た。ハツカネズミは起きていた。こちらを見ていた。目があった。瞬間、彼は恐怖を感じた。何かがやってくる気がした。その予感は正しかった。爆弾がやってきたのだ。彼は鼓動が早くなってくることを感じた。それは内部の壁をトンカチで殴りつけるような感覚だった。右心室左心室左心房右心房が同時に均等に破裂していると感じた。勿論立っていられない。そのまま膝をつくと呼吸が辛い。意識を失ってしまう。
 生命の危機が突然襲いかかった。このまま目を伏せたら再び起き上がることができる保障はない。しかしなぜだろう。感じている気持ちは、謝罪であった。主人に逆らって鞭打たれる奴隷の気持ちであった。体が支配されてしまうことで思考が停止し、胃のあたりにある黒い塊が動き出し広まって、謝罪と畏怖の形をとって覆い尽くされていくのを感じた。

 次の日の朝、研究所で倒れている男性が発見され、救急車で運ばれた。研究所は荒らされたところもない。ただ実験対象のハツカネズミが消えてしまっていたが、彼の研究結果は残されていたし用済みであり、特に騒がれることはなかった。
 幸いにも彼の意識はすぐに戻ったし、混乱をしているものの精神は安定したものだった。過労により体内免疫が落ちたところでアレルギー反応が再発したのではないか。実際のところは原因不明ではあるが、様々な可能性も視野に入れて抗生物質を投与され、時間をかけて治療していった。
 動物の実験は別の研究員に引き継がれて特に問題もなく進んでいった。彼が調査した動物に新脳波は存在していないので残っている動物はあとすこしだった。そして彼の退院前に、全哺乳類の測定が終了し、どこにも人間と同種の新脳波を持つ哺乳類は存在しない、という結論になった。やることが無くなってしまったので、研究所は測定対象を鳥類や爬虫類に広げるため予算を政府に打診する計画をしている、とのことだった。彼はそのニュースを喜んだし、自分が研究を途中で離脱してしまったことを悔いた。同僚たちは彼を慰め、すぐに復帰することを祈っている旨の激励をして帰っていった。
「良い同僚の方々ですね。早く退院できるよう頑張りましょうね。」
去っていく同僚たちを見送っている彼を見た看護師が声をかけた。
「ええ、私も早く復帰したいと思います。でも、もう私のやるべきことは終わっているんですよ。あとは淡々と研究するだけでいいんで楽ですよ。」
 満面の笑みで彼は答えた。看護婦は要領を得ない顔を一瞬したが特に気を止めること無くつられて微笑んだ。
「あら。」
 今、男性の口に白いネズミが入っていったように見えたけれど、病室を照らす強烈な夕陽がすべてをオレンジ色に染め上げていたせいで見間違いだったのかもしれない。そう看護婦は一瞬思ったけれども内部からの信号によってその記憶はすぐに掻き消された。

彼方からの信号

彼方からの信号

なぜかホラーになりました。脳波の物語。

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  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-04

CC BY-NC-ND
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