シューイチ
朝目覚めるなり、中山はため息をついた。なんとか今日一日がんばれば明日は週に一度のお楽しみである、そう自分に言い聞かせ、のそのそとベッドから起き出した。
歯を磨きながら洗面台の横にあるスイッチを入れると、鏡が電子新聞の画面に切り替わった。
『いよいよ明日、日本人宇宙飛行士が月面着陸』
『関西タイガース、今年もワールドシリーズに進出』
『完全失業率は10年連続で0.0001パーセントを切る』
中山には興味のないニュースばかりだ。
鏡に戻した瞬間、後ろに妻が立っているのが映った。
「あなた、急いでちょうだい。裕樹の発表会に遅れちゃうわ」
「あ、ああ」
あわてて身支度を済ませ、妻といっしょに車に乗り込む。車に行く先を告げると、自動運転で走り出した。たまには自分で運転したいと思うが、心配性の妻が許してくれないのだ。目的の市民ホールに着くと、車に迎えの時間を指示して一旦自宅に帰らせた。
ホールはすでに父兄でいっぱいだった。みんな幼稚園の音楽発表会とは思えないような盛装で来ていた。ケーブルテレビのカメラも入り、音響も照明もすべて本格的だ。
本格的でないのは、園児たちの演奏だけである。まあ、こればかりはしょうがない。中山はアクビを噛み殺しながら、3時間耐えた。昨日の長女の学芸会も辛かったが、それに勝るとも劣らない。
発表会が終わると、今日は学校が半ドンの長女と合流してレストランで食事をし、さらにデパートで買物に付き合った。帰りにはもうヘトヘトで、自宅に着くとそのまま倒れるように寝てしまった。
次の日。朝起きるなり、中山は自然に笑みがこぼれた。
朝食が終わるとスーツに着替え、書類カバンを持った。
「じゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。車は自動運転にしてね」
「うん」
まあ、それぐらいは仕方がない。こっそり自分で運転したら、運行記録でバレてしまう。そんなことより、今日は週に一度の大事な日なのだ。
会社に着くとタイムレコーダーにIDを差し込んだ。今の時代、たとえ管理職であっても労働時間はきちんと管理されている。
「中山課長、おはようございます」
「ああ、おはよう」
次々に部下からあいさつを受け、中山はちょっと目がうるんでしまった。
さあ、仕事をするぞと、中山は張り切ってデスクに着いたが、大して仕事があるわけでもない。高度に発達した機械文明は、もはや、ほとんど人間の労働を必要としなくなっていたのだ。書類のチェックも、企画書の稟議も、おそらく30分もあれば終わってしまう。それではすることがなくなってしまうので、ゆっくり丁寧に、たっぷり時間をかける。
かといって、残業は法律で厳しく禁じられているので、5時までには必ず終わらせなければならない。そのあたりの加減は、中山ぐらいのベテランになればお手のものである。
昼休み、中山は同期の古川と社員食堂でいっしょにランチを食べた。
「なあ、古川。ちょっと前の電子新聞の特集記事で読んだけど、昔は週に何日も仕事ができたらしいな」
「ああ。昔は週に5日も働けたらしい。しかも、表向きは残業していないことになっていても、こっそりサービス残業というのをさせてもらえたそうだ」
「いいなあ。うらやましい。毎日楽しかっただろうな」
「おれもそういう時代に生まれたかったよ」
「ああ、同感だ。お互い、生まれた時代が悪かったなあ」
(おわり)
シューイチ