practice(165)





 暗い歌なんだと思った。失恋を思わせる歌詞だったし,メロディが明るく塞ぎ込みがち,イントロ部分と重なった気の利いた紹介だって,パーソナリティーは個人的経験を踏まえて,思わせぶりだった。しとしと降らない冷めた雨,開いた傘は浴室で乾かしている,タオルを持ち出した後で,電気を消して,靴下を脱いだ。場面はすごく最近の出来事でもないのに,未だに吹っ切れてはいないような,もしかしたらその反対で,最近の出来事であることを突き放している最中のような,カタカタと回る仕組みが背後でちらほらしている,それも真剣に,という感じだった。
 私はファーストフードのポテトを食べ終え,カップの水滴で指の脂っぽさを誤魔化そうとしたけど,それに失敗したから,結局数枚のナプキンで拭うことにした。助手席によく写る私の顔を見ないようにして,有名なスポットの灯りを捉えた気分に満ちたところで,すぐ足元の備え付けのごみ箱を開けた。放り込んだ何枚かは上手くいき,何枚かは失敗した。外したシートベルトを掴み,しゃがみ込んで窮屈に探す,それが中々見つからない,体が運転席側に寄って,「おいおい,」と軽く注意され,「あ,ごめん。」と言う。離して自由になった動きで,余計に頭をぶつけそうになって,一度顔を上げた。前方のテールランプが点のように,加速度的に離れていった。運転する彼の側からも一台びゅっと,抜き去っていった。車線変更の必要もなく,と思ったら,急いで私たちの車線のずっと先に入って,消えた。それから何の動きもなく,大事なサビを終えようとしているのが分かるさっきの曲が間を置いて,一息をついて,再び明るいメロディで歌った。聞こえる歌詞はどこにも行かず,同じ場所で,同じことの形を違う形でなぞっていた。転がして,という感じで,他の面を見るために,力ずくで持ち上げてはいなかった。そういう感想を,足元を再び探しながら,私は持った。番組の都合上,パーソナリティーが曲の途中で,感想を述べながらそこに現れるまで,私は結構聴いていた。
「見つかったか?」
 と彼は私に尋ねた。
「ううん,まだ。」
 と私は彼に答えた。
 目的地を決めていないドライブだった。お腹が空いた私と,運転をしたい彼との間で一致した思いつきだった。歩いて七,八分と行ったところの,家から離れた月極の駐車場に向かうまでに,カラカラ回るハムスターのチップの一部を捨てて,新しくした。戸締りを終えた彼はその間,テレビを見て,私の作業が終わるのを確認したらすぐに消した。主電源でなく,リモコンで。財布と鍵に携帯,スマホと持ってから,鍵を閉めたのは私だった。彼は先に階段を降りて,鍵束を広げて,私がその前を通り過ぎてから,自分のニットを直して,彼のところに戻って,彼が苦しそうになるぐらいに,マフラーをきちんと巻いてあげた。白い息を躱して,一台も通らない通りを並んで渡って,コンビニの白い光を横目に,街灯を過ぎて,緑の金網が見える頃には彼が小走りになった。私は後ろからゆっくりと歩いた。先にエンジンがかかって,ヘッドライトが小さく灯る。申し訳なさそうに,いつも見える。
 私は助手席を引いて開けて,乗って閉めた。ラジオをかけたのは,最寄りのファーストフードを抜け出てから,「いいよ。」と言った後で高速に乗るタイミング,彼が徐行してキップを取ろうと窓を開けて,私が紙袋を美味しそうにのけた時。チャンネルはそのままに,私はそれから袋を開けた。飲み物と一緒に彼にもあげて,私は食べ始めた。
 最初,暖房は強めに効かせてあった。私が自分で弱めていった。
「あとでいいけど,降りてから,どっかに停まるか?」
 彼はそう提案した。
「うーん,そうしてもいいけど。」
 私はそれにはっきりと答えられず,探しながら,「まだ降りないでしょ?」というようなことを彼に訊いた。彼はまあ,という返事をした。シフトが変わって,速度が変わったような気がした。遅くなったような感覚。
「じゃあ,粘る。全部食べたし。」
 私がそう言った。彼はそれに,黙って返事をした。窮屈そうな助手席から見上げて,フロントガラスを通り過ぎる車道の街灯も,それはそれで,綺麗に写った。私はそう思った。
 パーソナリティーが次に進める。CM明けはお待ちかねの,懐かしい曲のオンパレードだそうだ。CMは早速始まった。私が食べたものの,それは流れない。流れたものは,時間帯を考慮してか,騒がしいものがなかったように思えた。彼が知っているものもあった。車の点検に関する便利なものの紹介,たまに家でも聞いている別の番組。私が知っているものは,有名なガムの効用ぐらいだった。残念な気がちっともしなかったけど。
「安全運転をして心掛けてね。」
 屈みながら,私は言った。
「もちのろん。って少し古いか?」
 多分にやけながら,彼は私に言っている。
「知らない。そんな表現,聞いたことがないし。」
 顔も出さずに言ってやった。さいですか,なんて返事をよこして,彼はヴォリュームをいじったみたいだった。話し始めていた,パーソナリティーの声が一段と近くなって,私は声を上げた。
「ちょっと!音,大きい!」
 おお,すまんすまん,と彼はつまみを下げて,「そこ,スピーカーに近いもんな。」と付け加えた。屈むのをやめて,私は助手席にきちんと座った。腰を伸ばすように,足を伸ばした。それから彼の方を見ようとした。さっきよりも耳に優しい感じで,一曲目が聞こえてきた。懐かしいと言えば懐かしい,女性の声が当時の通りに,ノリに乗って,テンポよく流れた。
「おお,懐かしい。」
 彼もそう言った。同じ歳といえる私たち,だからしばらく黙っていた。速度は変わらず,暗いビルの景色の上に,照らされた広告が寒そうに点々とする。足元にあるかもしれない使い終わったナプキンを忘れて,私は普通に乗っていた。パーソナリティーが現れる。さっきのように,多分スタッフの指示を受けて,ここから始まった,今も活躍する歌い手の経歴を話し始める。二曲目もすぐにスピーカーの隙間を通って,来るんだろう。
「この時,何してた?」
 流行った当時,という意味で私は訊いた。
「バイト。で,おまえは部活。」
 彼はそう答えた。ついで,私が実は部活帰りに,彼が働いていたそのバイト先に行ったことがある,と言った。
「知ってる。ずいぶん前に話しただろ,おまえが。」
 うん,と頷いた。頷いて,私はそれがいつの事だったかを思い出そうと頑張った。ぼんやりと浮かんだけれど,鮮明にならなかった。案の定,二曲目がかかった。知っているけれど,好きになれなかった曲。彼は好きだった。
「好きになれない理由,教えてやろうか?」
 彼は私に言う。
「要らない。知ってるし。」
 私は彼にそう言った。
 この二曲目の後に関しては特別な扱いがあって,パーソナリティーが間には入らず,続けて三曲目がかかった。外国語で,雰囲気たっぷりに奏でられるアコースティックギターの音色が車内に響く。懐かしい曲に挙げられる程に有名な曲である,のかどうか,私は実は知らない。再び屈む前に,横顔を見たら,どうも彼も知らないようだった。さっきの曲は好きなくせに,と意地悪く思った私を,彼に見せない。
「この曲,知ってるか?」
 と彼は私に訊いてきた。
 こういう素直なところが,実は彼の嫌いといえるところなのだと,私は改めて感じる。
「知らない。」
 なんて言葉が,足元の近くで,とても聞こえた。



 声が遠くから割り込んでくる。さあ,なんて仕切り直しが明朗快活で,とても似合ったものだった。



 パーソナリティーは番組の最後を締める。タイミングよく,引き返すのに都合が良い高速の出口の一つが見えてきた。ウインカーを操作し,左に車線を移しながら,『快適なドライブを。』と最後に残したまま,誰も喋らない空間が余韻を残した住宅街に下りていった。
 ハンドルを固定しながら,彼が言った。
「どっか停まるか?」
 アタッシュケースの中から財布を取り出し,私がチャックを開けて,かちゃかちゃと,口を開いてきちんと伝えた。
「じゃあ,コンビニ。」
 彼がハンドルを戻しながら,おーけー,と軽く言った。混んでいない料金所を抜けて,点滅する赤信号,左右を注意した。それからもう一度,左に曲がった。



 駐車場はすぐだった。
 白い息を吐いて,うんと背伸びをした。足元もすっかり綺麗になって,今はコンビニの袋が温かい飲み物と,冷たい紙パックの牛乳を収めていた。別にしてと私は言ったのだけれど,どうせすぐに飲むからと,彼が一緒にした。私の分はすぐに取り出した。彼の分はまだ入っている。停まっている最中も,ラジオは違う番組を流し,私も彼も興味がないジャンルのヒットチャートが,下から上へと順々に,助手席の窓から紹介されていた。彼は寒そうにしている。閉めていいよ,と私は言って,もう一度店内に入った。
 明るい転調,奥に引っ込んだ店員さんも含めて,他に誰も居ない店内に垂れ流しになったリクエストがあった。私はガムを見つけて,飴と一緒に,それをレジに持っていった。いっときの間があって,さっきの店員さんがぶっきらぼうにも袋が要るかと訊いてきた。いいです,と私は答えて,丁度の料金を支払った。レシートも断り,ガムを財布の上に乗せて,飴は片手で開けた。我ながら器用だと思った。さっそく口に放り込んだ。ごろごろと感触を味わって,停まっている車に近づき,窓が閉まっている助手席を開けて,座る前にガムを渡して,飴をあげた。
「お,さんきゅー。」
 と彼は言った。両手で袋を開けるのに,ちょっと手間取り,無事に開けて,彼は飴を口に大きく頬張った。彼の温かかった飲み物を取り出し,ホルダーに勝手に入れた。それから袋を避けて,私が座った。ギアはニュートラルから動き,サイドブレーキは外されて,彼は前を向いた。助手席の私は鼻歌を歌った。明るい歌なんだと思った。口にしない歌詞が,表立って,そんな感じを引きずっていた。
 時刻は午前の一時。
 車内で点滅する何秒かが,指を立てて,それを秘密にしていた。
 私は彼に言った。
「すぐに寝る?」
 彼は私に言った。
「いや,ちょっと飲んでから,寝るかな。何かテレビ,やってたっけ?」
 私はさあ,と簡単に答えた。この時間でなくても,私はテレビをあまり観ない。彼が見る側で何となく,観るぐらい。それを知っている彼もまた,質問したこと自体に期待はしていなかったはずだった。うーん,と今も自問自答をしているぐらいだし。その合間に,
「お前はどうする?」
 なんて,同じ質問を私に返しても,彼の参考にはならないだろう。
「さあ,帰ってから考える。」
 私はさっきと変わらない,大して違いのない返事をした。でも私は,期待していることがあった。さっきとは逆方向に進み,街灯の明るみが定期的に私たちを包んで,助手席の私の背後に広がる,海が方角の違いを示したとしても。
 欠伸をして,いつもなら腕時計をしている左腕を振る,彼の癖を見つけて,私も欠伸をした。ヒットチャートは中途半端な数字を述べて,随分とゆっくりとした導入だった。滲んだ時刻には「一」が増えて,どっちの端からも,並びがよくなった。電気を点ける前,ハムスターがカタカタさせる音がイメージできた。チップが敷き詰められていた。
 私は楽しみだった。



 たまに出会う対向車線のヘッドライトは追いかける暇もなく,離れた目を輝かせた。前の車の赤いお尻のライトが踏まれた。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-02

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