ミッションスタート

普段、護衛の仕事には決してつくはずのない、リックが、人員不足のため、局長から護衛任務の仕事を頼まれた。断れない性格のリックは、護衛任務の仕事に就く。

ミッションスタート

ある朝、出社してきたリックは、自分のデスクに置いてある書類を見て驚いた。慌ててその書類を持ち、局長のデスクへと歩いて行った。
 「局長。この仕事は私宛ですか?」
リックは軽く首を傾げた。それを見た局長は渋い表情をし、
 「ああ。普段お前は護衛の仕事に就かせないのだが・・・。今回は人員が不足していてな。そこで、お前に白羽の矢が立ったのだ」
 「で、誰を護衛するのですか?」
ちらりと書類を見ながらリックが言った。
 「この女の子だ」
局長は写真をリックに渡した。リックは写真をじっと見た。栗色の髪のショートヘア、きれいなエメラルドグリーンの瞳を持つ、女の子だった。
 「この女の子ですか? 官僚の娘さんですかね?」
 「当たりだ、リック。この女の子は、エスタ高官の一人娘だ。名前は、イザベルという。この女の子を護衛するのが、今回の仕事だ。イザベルさんは別室に待機している。さっそくイザベルさんに会ってこい」
局長に言われるがまま、リックはオフィスを出た。
 リックは別の部屋のドアをノックした。すると部屋の中から、
 「どうぞ」
とぶっきらぼうな声が聞こえた。その声を聞いたリックはドアノブを回し、部屋の中へと入った。ソファに座っていたのは、男勝りの、セーラー服を着た女の子であった。女の子・・・イザベルは、リックを見上げ、
 「冗談でしょ。こんななよなよしたおじさんがあたしの護衛?」
その言葉に、リックは何も言えなかった。イザベルはどうやら勝ち気な娘らしい。どうにかリックは声を出した。
 「えーと、初めまして、イザベルさん。私はリック・シーゲル。今日からイザベルさんの護衛をします」
するとイザベルは少し驚いた顔をした。
 「おじさん、シーゲル姓なの? もしかして、大官僚ディック・シーゲル様の親戚?」
その言葉に、リックは笑った。
 「親戚じゃないよ。ディック・シーゲルは私の双子の兄だよ」
さらにイザベルが驚いた。ふふん、とリックは鼻で笑った。
 「でも、官僚なんでしょ、おじさん。本当にあたしを護衛できるのかしら?」
 「私は官僚じゃないよ。エスタ安全保障局のエージェント。主に暗殺の任務についているけど、今回は特別なんだ」
 「おじさんが、暗殺?」
 「そう、暗殺。あの・・・、イザベルさん。私のことをおじさんって呼ばないでほしいな。まぁ自分がおじさんなのは分かっているけど」
リックが頭をかいた。うん、とイザベルは頷き、
 「分かった。おじさんじゃなくて、リックって呼ぶね。呼び捨てでいいの?」
イザベルは首を傾げた。
 「ああ。私のことは呼び捨てでかまわないよ。そもそも、私の任務は貴女の護衛なのだから」
 「じゃ、リック。とりあえずあたし、家に帰りたいから、ここから出てもいい?」
ソファに置いてあったかばんをイザベルは、手に持った。
 「いいよ。じゃ、行こうか」
リックは軽く、イザベルの手を取ろうとしたが、イザベルは手を反らせた。
 「あたし、まだリックを信用してないから」
その言葉が、少しだけリックの心に、釘を刺した。だが、リックは頭を振って、忘れようと意識した。そして、リックとイザベルは部屋を出た。
 イザベルの自宅は、エスタの中心部にある。リックの実家、大官僚シーゲル家とさほど遠くない。安全保障局から歩いて数分で、イザベルの自宅へと着いた。リックはイザベルの自宅を見上げた。実家シーゲル家と同じくらいの規模の邸宅であった。
 「お母さん、ただいま」
イザベルが呼び鈴を鳴らした。すると、初老の婦人が出てきた。
 「お帰りなさい、イザベル。この男性は・・・、護衛のリックさんでしょうか?」
初老の婦人、いやイザベルの母がリックを見上げ、首を傾げた。
 「初めまして。今日からイザベルさんの護衛につくことになりました、リック・シーゲルと申します」
そう言って、リックは軽くお辞儀した。イザベルの母は驚きつつも、表情をあまり壊さず、
 「大官僚様の弟君ですね? どうかよろしくお願いします」
 「お母さん。部屋の中に入ろうよ。リックも来てくれるよね?」
小さく笑ったイザベルが言う。若干はにかみながらリックは、
 「私がイザベルさんの自宅に入ってもよろしいのでしょうか?」
と呟いた。それを聞いたイザベルと母は、
 「どうぞどうぞ」
イザベルの母が、リックを自宅に招き入れた。
 リックは促されたソファへと座っていた。数分して、イザベルの母が、紅茶を入れてくれた。だが、暗殺を主な任務とするリックは、カップに口をつけない。話を切りだしたのは、イザベルの母であった。
 「リックさん。私はエスタ官僚ファイの妻エルゼと申します。ファイと私の子が、このイザベルです」
イザベルの母・・・エルゼが言った。エスタ官僚ファイ、という名前は、リックも聞いたことがあった。無論、双子の兄ディックからである。
 「確か・・・、ファイさんは官僚の中の派閥の一人でしたよね? 何でもエスタ官僚の間に派閥が色々とできているとの噂ですが?」
ここまで話終えて、やっとリックは紅茶を一口飲んだ。
 「詳しいですね、リックさん」
エルゼが目を見開く。小さくため息をついたリックは、
 「詳しいも何も、私の兄が官僚ですからね。で、疑問なのですが、なぜ娘さんは命を狙われているのですか? ファイさんは官僚の中でも過激派の人間ではないそうですが?」
リックのその言葉に、ファイ夫人エルゼは、顔を背けた。
 「最近、主人の帰りが遅いのです。噂によれば、主人は過激派の人間に騙されて、その一味に加わった、など聞いたことがあります」
 「お母さん! やっぱりお父さんは過激派の一味に加わってしまったの?」
それまで黙っていたイザベルがエルゼに噛みつかんばかりだ。
 「今は大人同士の会話をしています。イザベル、貴方は黙っていなさい」
きっぱりとエルゼが言い放った。それを聞いたイザベルはぷい、と顔を背けた。どうやら、勝ち気な娘イザベルは、母親エルゼにはかなわないようだ。
 「まぁ、何とも言えませんね。とりあえず、彼女が狙われているのは、エスタ安全保障局でも知られています。あまり言いたくないのですが、ファイさんは、おそらく過激派の一味に加わっていると、私は思います」
切れ長のダークブルーの瞳で、リックはエルゼをじっと見つめた。
 「う、嘘ですよね? リックさん。私の主人、ファイはそんな人間ではありません!」
エルゼは金切り声で言う。そしてファイの娘であるイザベルも、
 「リック! 何言ってるの? あたしのお父さんはそんな人じゃない!ひどいよ、リック・・・。もう帰ってよ! あんたなんかあたしの護衛なんて絶対にできない! 帰ってよ!」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしたイザベルが泣き叫びながら、リックの背中をばしばしと叩く。二人の仕打ちに、リックは参ってしまった。
 「イザベルさん。いくら私を嫌いになってもかまいません。私は貴女の護衛なのです」
言葉を選びながらリックが口を開いた。が、エルゼとイザベル親子には徹底的に睨みつけられた。
 「もうリックなんか大嫌い!」
さすがにこれ以上エスタ官僚ファイ邸にはいられず、リックは外に出て行った。
 兄ディックとは違い、弟リックはエスタ安全保障局のエージェントである。そういうわけだからではないが、リックは政治のことに疎い。とりあえず情報を得るため、実家シーゲル家を訪ねることにした。歩いて少しの距離に、シーゲル家の邸宅がある。リックはシーゲル家出身の人間であるが、現在は高層マンションに住んでいる。この邸宅に住んでいるのは、兄ディックだ。リックはドアをノックし、
 「兄上。リックです」
すると奥の方から、
 「ディック様! 弟君のリック様が訪ねて来ましたよ」
メイドの声を聞いたディックは、
 「リックか。 今行く」
それから数分して、兄であるディックがドアの前に立っていて、リックを家の中へと入れた。
 「久しぶりだな、リック。急にどうした?」
ディックが微笑みながら口を開いた。リックには、是非とも兄であるディックに聞いておきたいことがあった。
 「お久しぶりです、兄上。実は、兄上にお聞きしたいことがあります」
 「何だ? 言ってみろ」
ぶっきらぼうにディックが言った。リックは目を逸らしつつ、
 「兄上。エスタ官僚のファイという人物をご存じですか?」
その名前を聞いたディックの目が見開いた。
 「リック。なぜその名前を知っている?」
 「私の今回の仕事はファイの娘イザベルの護衛です。兄上なら、ファイのことを知っていると思い、伺いました」
はぁ、とディックはため息をついた。
 「ファイという男は私も知っている。何でも、エスタ官僚過激派のグループにいるとか、いないとか。私の部下から聞いたのだが、大官僚の地位を狙っているとか。いろんな噂を聞いたな」
 「もしファイが過激派の人間だとしたら、その娘であるイザベルは暗殺対象になってしまうのでしょうか?」
ディックはしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。
 「それはそうだろう。娘さえ消せば、ファイの立場は精神的に揺らぐからな。いくら何でも、娘を殺されたらファイだってショックを受けると思う」
そう言ってディックはリックを見上げ、
 「イザベルの護衛がお前の今回の仕事なのだろう? イザベルの近くにいなくていいのか?」
リックはオーバーアクションを取り、
 「私はイザベルに嫌われてしまいました。もはや、家にも入れてくれないでしょう」
 「さすがに父親が過激派の人間だと知ったら、ショックだろうな。だが、命を狙われている。なぜリックを頼らないのだろうか?」
首を傾げ、ディックは腕を組んだ。
 「それは私にも分かりません。兄上、いろいろと教えていただき、ありがとうございました。私はそろそろ帰ります」
近くに置いておいたジャケットをリックは羽織った。
 「リック。お前もあまり無理をするな。また何かあったら、いつでもおいで」
その言葉を聞き、リックはシーゲル邸を出た。だんだんと夕暮れが近づいていた。
 リックはエスタ街中を歩いていた。このまま帰宅するわけにはいかなかった。何せリックの仕事は官僚ファイの娘、イザベルの護衛である。いくら護衛対象のイザベルから嫌われても、彼女を守らなければいけないのだ。ごくり、と唾を飲み込むと、リックはイザベルの自宅へと急いだ。
 「先ほどお会いしたリックです。どうか、部屋に入れてください」
そう言って、リックはお辞儀した。すると、小さな声で、
 「リック。あたしがあんなこと言ったのに来てくれたの?」
この声はイザベルだった。
 「そうですよ。私の仕事は貴女を護衛することですからね」
がちゃり、とドアの音がして、イザベルはリックを促した。
 部屋に入ってみると、先ほどと同じような光景だった。ソファにうつむきながら、ファイ夫人エルゼが座っている。イザベルの表情も暗い。
 「リックさん。先ほどはすみませんでした」
エルゼがリックを見やった。小さく微笑みながらリックは、
 「気にしないでください。あんな話をした私が悪いのですから」
小さなエルゼの手を取り、言った。その光景を見ていたイザベルが呟いた。
 「さっきはごめんね、リック。お父さんのことで八つ当たりしちゃって。ひどいこと、たくさん言っちゃった。本当にごめんね」
男勝りの少女イザベルが、リックを見上げた。
 「イザベルさんは、何も悪くないよ。気にしないで」
 「うん・・・」
イザベルは小さく頷くと、ソファへと座った。置き時計が、午後7時を告げた。エルゼは時計を見、リックを見た。
 「リックさん。夕食を食べていかれます? これから料理を作るところだけど」
 「私の任務はイザベルさんの護衛。いちおう泊まっていくつもりで、食べ物を買ってきたのですが、エルゼさんのご厚意の甘えさせていただきます」
にっこりと、リックは笑った。
 エルゼ、イザベル、リックの食事は、誰も口を開くことなく終わった。リックがショルダーバッグから何かを取り出した。彼の愛銃へイルンジャンである。それを見ていたイザベルは開いた口が塞がらなかった。
 「リック。貴方がこれを使うの?」
小さく、リックが頷いた。そして、口を開いた。
 「この銃はヘイルンジャンといってね。私が愛用してるスナイパーライフルなんだ」
イザベルは興味深々に銃を見つめている。
 「さ、イザベルさん。もう夜も更けている。お風呂に入って寝たほうがいいよ」
柔らかな笑みをリックは浮かべた。
 「ありがとう、リック。だけど貴方はどこで寝るの? ソファならあるけど・・・」
ためらいがちにイザベルはソファをちらりと見た。
 「イザベルさん、貴女は誤解している。私の仕事は貴女を護衛すること。私は眠らないで起きていますよ」
愛銃をのぞき込みつつ、リックが言った。その言葉に、イザベルは驚いた。
 「眠らないって、リック、嘘でしょ」
 「嘘じゃありません。私は起きていますよ。イザベルさんを守るため」
銃の点検を終えたリックは、イザベルの瞳を見つめた。
 「じゃ、あたしお風呂入って寝るけど・・・、いいの?」
ためらいがちなイザベルの質問に、リックは大きく頷いた。
 それから数時間後、エルゼ、イザベル親子は同じ部屋で寝ている。その間、リックはソファに座りながら、時々コーヒーを飲み、腕を組んでいた。外は暗く、家の中も暗い。だが、リックのダークブルーの瞳は光っていた。それから数時間が経とうとしたとき、誰かがリックに包丁を振り落とそうとした、そのとき、素早くリックは小銃とナイフで敵を威嚇して、部屋の電気をつけた。が、そこに立っていたのは、護衛対象であるイザベルだった。
 「リックってマジになると怖いね」
リックはため息をつきながら、イザベルの手から包丁を取った。
 「もう少しで貴女を殺しそうになりました。イザベルさん。よく聞いてください。私は暗殺を主な任務としています。迂闊にこういうことをされると、つい条件反射で」
途中でイザベルが言葉を挟んだ。
 「殺しちゃうってわけね」
 「そうです。だから、嫌がらせはやめてください」
持っていた小銃とナイフを、リックはガンベルトに納めた。そろそろ、朝焼けが出てきた。朝焼けがイザベルを照らす。朝焼けが神々しく見えたのは、初めてだった。
 それから数分して、エルゼが起きてきた。あまり眠ることができなかったのだろう、目の下にはクマができている。
 「リックさん。おはようございます」
 「こちらこそおはようございます」
リックはエルゼに深くお辞儀をした。するとリックの隣にいたイザベルが、
 「お母さん。お腹すいた。何か作ってよ」
エルゼの顔を見ていたリックが呟いた。
 「どうやらイザベルさんのお母さんは疲れているようだ。私が買ってきた食べ物でよければ、どうぞ。差し上げます」
 「そんな、リックさん。私は朝食を」
その言葉を、リックは遮った。
 「エルゼさん。遠慮はしないでください。貴女が疲れている、というのは素人の私でも分かりますよ。イザベルさんもこれでよければ・・・」
若干困った顔をしたイザベルだったが、
 「じゃ、いただきます。リックは、食べないの?」
 「私はお腹がすいていないので、どうぞ。遠慮なく」
実はかなりお腹がすいていたが、リックは表情に出さなかった。エルゼが入れてくれた、ブラックコーヒーを一杯飲んだ。
 「あ、そうだ。リック、言ってなかったことがあるんだけど、今日、学校休みなの。それでね、久しぶりに公園へ行きたいの」
それを聞いたエルゼは若干厳しい声で、
 「イザベル。どれだけあなたはリックさんに迷惑をかける気なの? 公園などに行ったら、殺してください、と言っているようなものです」
母と娘の軽い言い争いを聞いていたリックがため息をついた。
 「いいですよ、イザベルさん。私はこれでもいちおうエスタ安全保障局のエージェントですから。じゃ、行きましょうか。数分後に玄関で待ち合わせでいいかな?」
小さくうん、とイザベルが頷いた。申し訳なさそうにエルゼはリックから目を反らせている。
 「ごめんなさい、リックさん。娘のわがままで・・・」
 「気にしないでください。これが私の仕事ですから」
そう言ってリックは頭をかいた。
 数分後、ワンピースを着たイザベルが玄関へとやってきた。イザベルはリックを見るなり、
 「リックっていつも喪服なのね」
 「まあ私はいつも暗殺の仕事をしているからね」
さっとリックは、イザベルに手を差し伸べた。イザベルはリックの手を
ぎゅっと握った。イザベルの手は、暖かかった。
 喪服姿のリックと、花柄のワンピースを着たイザベルは一緒に歩いている。男勝りのイザベルはワンピースを着ると別人のようにかわいらしい娘へと変わる。数分で、雰囲気のいい綺麗な公園へとついた。
 イザベルは嬉しそうな顔をして、ベンチへと座った。気を利かせたリックは、
 「イザベルさん。何か飲むかい?」
すると大きな声で、
 「コーラ飲みたいな」
小さく頷いたリックは、自販機のコーラ、と書かれたボタンを押した。プルトップを開け、リックはベンチに座っているイザベルに手渡した。
 「ありがとね、リック。リックは何も飲まないの?」
 「私はいいよ。のどが渇いてないから」
うっすらとリックは微笑みながら言った。それから数分、二人は何も喋らなかった。そして、最初に口を開いたのは、イザベルだった。
 「ねぇ、リック」
小さな声でイザベルは言うと、隣に座っていたリックを見上げた。
 「何だい? イザベルさん?」
 「リックは、何で暗殺の仕事に就いたの?」
意外なことを言われてしまったリックは言葉に詰まった。何か言わなければ・・・と考え、やっとリックは緊張しながらも、
 「何でそんなことを聞くんだい?」
とだけしか言えなかった。するとイザベルはリックの瞳を見つめた。
 「分かった。言うよ。私がエスタ大官僚の双子の弟だってことは知ってるよね?」
だんだんリックは敬語から砕けた口調になってきている。と言っても兄ディックよりきつい言い方は絶対にしない。
 「私が時期シーゲル家の当主になれないことは最初から分かっていた。でも、私はそれでよかった。兄上には言えないけど、私は政治に興味はないからね」
そう言って、リックは一息ついた。
 「で? いきなり人を殺そうと思ったの?」
不審な表情でイザベルはリックを見やる。
 「まさか。私はね、こう見えても銃の扱いが好きだった。それをいかせる仕事は、安全保障局勤務が一番だと考えた。私は好きで人を殺しているわけじゃない、これは仕事、そう割り切っている。そうじゃないと私は殺戮者だからね。・・・まぁ殺戮者なんだけど」
ふう、とリックはため息をついた。そして、リックはさらに口を開いた。
 「イザベルさん、これだけは信じて」
やたら真剣な目をしたリックを見て、イザベルは少し驚いた。
 「私は、好きで人を殺しているんじゃない。これは本当だ。どうか、信じてほしい」
 と、そのとき。リックは妙な殺気を感じた。素早く銃をガンベルトから引き抜く。近くに敵がいる場合、リックの狙撃ライフル、へイルンジャンは役に立たない。
 「いいかい? イザベルさん。なるべくしゃがむようにして」
リックが小さな声で言う。脅えきってしまったイザベルは、
 「怖い、怖いよ!」
 「イザベル! いいからしゃがめ!」
珍しくリックが大きな声を出した。イザベルは小さく頷くと、ベンチの下にしゃがみこんだ。ベンチの隣から、イザベルを殺そうとする男が出てきた。その男の銃の標準は・・・エスタ安全保障局エージェント、リック・シーゲルだった。どうやらリックは気づいていないようだ。イザベルは恐怖を覚悟で、叫んだ。
 「リック! 危ない!」
振り向こうとしたリックに、若干の隙があった。銃弾がリックの腹部を貫いた。
 「ほら、早く言えよ。どこにイザベルはいるんだ?」
 「私は知らない・・・」
男がリックの頭を踏みにじった。リックの顔が苦痛に歪む。ちょうどそのとき、リックが撃たれたときに飛んできた小さな小銃をイザベルは見つけた。イザベルはゆっくりと小銃を持った。小さいとはいえ、けっこうな重さがある。勇気を出して、イザベルは小銃を持つと、ベンチから這い出てきた。
 「よくもリックを・・・! あんたはあたしが絶対に許さない!」
すると男は口角を歪ませ、
 「小娘が俺を殺せるのか? お前にはできないよ」
嘲笑する男を見、イザベルは唇を噛みしめた。そして、目をつぶって小銃のトリガーを引いた。轟音が響き、男は目を見開いたまま、その場に崩れ落ちた。
 「え・・・? この人死んだの? あたし、人殺しだよね?」
罪悪感からかイザベルは地面にしゃがみこんでしまった。
 「違う、イザベル・・・。君は正当防衛だ・・・。人殺しじゃない」
弱々しい声が後ろから聞こえた。仰向けに倒れているリックだった。
 「リック! あたしのために・・・!」
 「いいんです、イザベルさん。それより・・・、私のガンベルトからスマホを出してほしいのですが」
歪んだ顔でリックが言った。リックのジャケットを脱がせたイザベルは驚いた。ジャケットのポケットの中には武器ばかりが入っている。ガンベルトには、ナイフ数本が入っていた。スマホを取り出し、リックに渡した。
 「局長・・・。リックです。護衛対象は無事です。彼女を狙ってた刺客は・・・」
リックはここで言葉を一瞬切り、
 「私がしとめました。ですが・・・、私が逆に撃たれてしまいました。援軍お願いします・・・」
そこで電話を切ったリックは、イザベルを見、優しく微笑んだ。
 「イザベルさん。どうもありがとう。貴女がいなかったら私は死んでいました。本当にありがとう」
だが、イザベルはリックから顔を反らせた。
 「どうしたんだい、イザベルさん?」
 「あたし、人殺しよ。そのうち逮捕されるわ」
ゆっくりとリックは首を振り、
 「それはありません。貴女は男に殺されそうになった。だから、撃った。正当防衛です」
そう言ってリックは目を閉じた。
 「リック! 死なないで!」
 「少し・・・疲れました」
 公園の外から、リックとよく似た男性が走ってきた。
 「君がイザベルさんだね?」
男性が首を傾げた
 「そうです。もしかして、大官僚ディック・シーゲル様ですか?」
 「よく分かったな。ああ、それから。様、などつけなくてもよい」
大官僚ディック・シーゲルは静かにそう言った。血みどろになって倒れているリックを見て、ディックの顔が少し青くなった。
 「リック! しっかりしろ!」
ディックは倒れ込んでいるリックを揺すぶった。するとリックが小さな声で、
 「兄上・・・。私は、仕事を全うしました。イザベルさんは無事です。あとはファイさんを・・・」
 「今はそれどころではない! リック、お前のことを心配しているのだ、私は!」
心配しているのか、怒っているのか、よく分からない声で兄ディックが叫んだ。そんな二人を、イザベルは見ていた。
 「兄上。早くイザベルさんを保護してファイさんのところへ・・・」
 「お父さんよりもリックの方が心配だよ!」
そう言ってイザベルのエメラルドグリーンの瞳が熱くなる。
 「何で目が熱いのかな? あたし、泣いてるの?」
 「泣かないでください、イザベルさん。貴女は無事なのですよ」
イザベルは、この男リック・シーゲルの考えがよく分からなかった。なぜ自分の命よりも他人の命を大事にするのか。いつの間にかディックが呼んでいた救急車が来た。同乗者はけが人であるリック、リックの双子の兄ディックだった。救急車に乗り込む直前、ディックが、
 「イザベルさん。あとで電話するから電話番号を教えてくれないか」
と言った。番号を告げると、ディックは素早く救急車へと乗り込んだ。
 ディックは腕を組みながら、イスに座っていた。処置室のランプが消えない。つまり、まだ治療中なのだ。撃たれてから数時間、リックは処置室から出てこない。出てくる雰囲気すらない。ディックは祈るように、
 「リック・・・。頼むから死なないでくれ・・・。後生だ!」
そんなことを考えているうちに、エスタ大官僚ディック・シーゲルはうとうとうたた寝をしていた。誰かに肩を叩かれた。隣には、イザベルがいた。
 「イザベルさん。どうしてここに?」
 「リックはあたしを守ってけがをした。リックが心配でここまで来ました」
 と、そのとき。処置室の扉が開いた。まだ意識が戻ってないのか、ダークブルーの切れ長の瞳は閉ざされている。そして、華奢な腰回りから腹部にかけて、包帯がぐるぐると巻いてある。
 「リック!」
イザベルがリックの肩を揺すぶろうとした。が、ディックによって、それを遮られた
 「今はあまり体を動かさない方がいい」
確かに、ディックの言うとおりであった。看護師が、ベッドを押して個室へと入っていった。看護師がディックを見ると、
 「ディック様」
と呼んできたので、ディックはため息をつくと、
 「様付けはやめてほしいのだが」
と短く言った。看護師は頭を下げると、病室から出て行った。
 リックの意識がなかなか戻らない。イザベルは確かに、リックが撃たれた場面を見ていた。そして、血みどろの中にいたリックも見ている。ディックが自分の顔を手で覆った。
 「なぜ・・・リックに安全保障局勤務など勧めてしまったのだろう? ああ、すべては私のせいだな」
ディックは嫌な笑みを浮かべた。
 「どういう意味ですか? ディックさん」
様付けはやめろ、と言われていたので、イザベルはディックの名前のあとに”さん”をつけた。
 「リックが就職先を考えているとき、私はすでにシーゲル家の当主になったばかりだった。リックは銃の扱いが得意だ、と私は聞いていた。悩んでいるリックに、エスタ安全保障局へ就職したらどうだ、と私は言った。確かに、リックはエスタを代表する狙撃手になった。つまり、エージェントとして、仕事を全うしてたわけだ。リックがけがをする、とはリックの上司からは聞いたことがなかった・・・」
ここでディックは意識の無いリックの手を握った。
 「信じられるかい? イザベルさん? 私の双子の弟、リック・シーゲルはこの手で何人もの人間を殺した。だが、悪いのはリックではない」
握っていた手をはなすと、ディックはイザベルの瞳を見つめた。
 「この私。エスタ大官僚シーゲル家当主、ディック・シーゲルだ」
大官僚ともあろう者が、こんなことを言うのでイザベルは少しだけ悲しくなった。ディックとリック、この二人は何も悪くはない。リックの就いた仕事が、安全保障局勤務なのだから。
 「ディックさんは何も悪くありません!」
イザベルが大きな声を出した。
 「なぜ? 私の言っていることは正しいと思うが?」
首を軽く傾げ、ディックが呟いた。
 「お二人とも、悪くありません!」
そのとき、小さな声が聞こえた。
 「私は疲れているんですよ・・・。お願いですから少し休ませて・・・ください」
その声の持ち主は、リックであった。
 「リック!」
ディックとイザベルの声が重なった。
 「ここは・・・どこですか? なぜ私の体に包帯など・・・?」
どうやらリックには先ほどの銃撃の記憶が無いらしい。
 「リック。お前は護衛対象を守ろうとして、暴漢から撃たれた。私はちょうど政務をしていたときに連絡があってな、慌てて現場へと赴いた。泣いているイザベルさんもいたよ」
イスに座っていたディックがリックを見やった。
 「私が撃たれた? 珍しいですね」
はにかみながら、リックが頭をかいた。ちょうどそのとき、傷が痛むのかリックは顔を歪ませた。俯きながらリックを見ていたイザベルは、小さな声で、
 「リック・・・。あたし、あんたのことずっと心配していたんだよ。何で笑っていられるの? もう少しであんた、死ぬところだったんだよ!」
いつの間にかイザベルの声が大きくなっていた。
 「イザベル・・・さん?」
若干脅えたような声でリックが口を開く。
 「お願いだから死ぬようなまねはしないで!」
イザベルのその言葉に、ディックとリックは顔を見合わせた。まず最初に話し始めたのは、リックだった。
 「イザベルさん、聞いて。こうやって命を狙われるのも、私の仕事。殺すか、殺されるか。そのどちらしかないんだ。ああ、さっき聞いてたけど、安全保障局勤務は、私の意志で決めたんだよ」
そう言って、リックはイザベルの手を取った。それを見ていたディックは軽く笑うと、
 「リック。それだけ喋れれば私は帰っても大丈夫だな。毎度言うが、命は大事にしろよ。じゃあな」
テーブルに置いてあった小さなバッグをディックは持つと、病室から出ていった。
 残されたのは、リックとイザベルだった。リックはベッドから起きあがると、
 「さて。ファイさんのことを調べましょうか」
その言葉を聞いて、イザベルはぽかんとしたまま何も言えなかった。
 「私の仕事ですからね。イザベルさんを護衛しつつ、ファイさんのことを調べる」
近くのイスにかけてあったジャケットをリックが羽織ろうとしたとき、リックのスマホが震えだした。
 「まずいですね。ここ、病院だからなぁ」
あまりリックに負担をかけさせたくないと思ったイザベルは、リックのスマホを奪い取った。
 「何をするんですか、イザベルさん」
 「無理をしないで、リック。あたしがリックに代わって出るから」
そう言って、イザベルは軽く走りながら、院外へと出た。
 「リックから代わりました。イザベルと申します」
 「リックの具合はどうだ?」
低い男性の声だった。きっとこの男性がリックの上司だろう。
 「意識は戻っています。ただ、傷口が痛むようです」
 「イザベルさん。リックに言付けを頼むよ」
少しだけ声を低くしたリックの上司。
 「ファイさんは無事に見つかった。何でも、数日前から監禁されていたらしい。それに、過激派の人間ではないそうだ」
上司のその言葉に、イザベルはスマホを落としそうになったが、どうにか受け止めた。電源を切り、イザベルはリックの病室へと走った。
 「え・・・? ファイさんが見つかった?」
今まで眠っていたのだろうか、リックが目をこすりながら言った。
 「うん! お父さん、けがもしてないで無事みたい。よかった」
 「局長に迷惑をかけてしまったな・・・。この仕事は私が引き受けたのに」
ぼそっとリックがイザベルに聞こえないように呟いた。
 「じゃ、リック。あたし、もう命を狙われることはないのね?」
真剣な表情でイザベルはリックを見つめた。
 「ええ。ファイさんも過激派の人間ではありませんし、もう大丈夫ですよ、安心してください」
 「ありがとう」
小さな声でイザベルが言う。だが、イザベルの頬が少しだけ赤い。
 「どうしたんだい? イザベルさん?」
 「な、何でもない。あたしも・・・、そろそろ帰るね」
あまりリックの顔を見ないようにしながら、イザベルはリックの病室を出た。
 それから数日後、リックは安全保障局にて仕事をしていた。
 「リック。お前、体は大丈夫なのか?」
と局長に心配されたが、リックは困ったような笑みを浮かべた。
 「体の丈夫さだけが私の取り柄ですからね。局長、心配してくださってありがとうございます」
頭を下げ、いそいそとリックは書類をワープロで書き始めた。そのとき、ぴんぽーん、という音が聞こえた。いぶかしげにリックが首を傾げ、
 「誰ですかね?」
と言いながらドアノブをひねった。そこに立っていたのは、ファイの娘、イザベルだった。
 「イザベルさん。この間はお世話になりました。安全保障局に何か
用ですか?」
 「リックに・・・、言いたいことがあって」
その二人の様子をにやにやと見ていた局長は、
 「私がいるとじゃまになってしまうな」
含み笑いを残しつつ、部屋から去っていった。
 「言いたいこと? 何だい?」
リックが腕を組みながら、イザベルを見下ろした。
 「あたし・・・、リックのこと好き」
その言葉に、リックは驚いた。なぜ少女のイザベルが中年であるリックを好くのか。
 「イザベルさん、あのね。私はファイさんとあまり年も変わらないんだよ。つまり、貴女のお父さん世代の人間なんだよ」
 「でも、リックって独身なんでしょ」
 「痛いところをつくね、イザベルさんは」
そう、確かにリックは独身であった。だが、かつて許嫁とも呼べる女性がいたのだが、政治的理由で、リックが手を下し、許嫁を殺した。
 「私みたいな男はやめたほうがいい。イザベルさん。貴女にはもっと素敵な男性がいる。そういう男性を見つけた方がいい」
切れ長のダークブルーの瞳が、イザベルを見通す。
 「そっか。そうかもね。リック、あたしを守ってくれてありがとう。じゃあ、あたしはもう行くね」
そう言って、イザベルは小さく笑うと、安全保障局を去っていった。
 「リック。どうせならイザベルさんとつき合えばよかったじゃないか」
リックの後ろに、局長が立っていた。
 「何を言うんです、局長。イザベルさんにはもっと素敵な人がいますよ。それに、私にはエルヴァがいます。エルヴァが死んで何年経とうが、決して私はエルヴァのことを忘れません。さて、局長」
すたすたと自分のデスクへと歩いていき、イスに座ったリックは局長を見やり、
 「仕事、始めましょうよ」
と短く言った。いつになく真剣な表情を見せるリックに、局長はうっすらと微笑んだ。

おわり

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なんだか初期のリックよりもナイーブなリックになってしまいました。もともとはこんなにナイーブなリックじゃなかったんですが…。
最後になりますが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-29

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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