キリギリスとアリ
ある冬の夜。キリギリスの豪邸にアリが訪ねて来た。アリはみすぼらしい格好を恥じるように、少しオドオドしている。
「遅い時間にすみません。こんなことをお願いできた義理じゃないのは重々わかっているんですが、もう三日も何も食べていないんです。後生ですから、パンのカケラでも恵んでもらえないでしょうか」
キリギリスは予想外の出来事に驚いていたが、すぐに笑顔になった。
「何を言ってるんですか、水くさい。外は寒いでしょう。早く上がってくださいよ。何か食べるものを準備させますから」
アリは信じられないように目を丸くしていたが、もはや空腹に堪えられない様子で、ヨロヨロと玄関から中に入った。案内されるまま右へ左へと廊下を進み、贅沢な調度品にあふれた応接間に通された。
だが、そこでアリは困ったように視線を泳がせた。シミひとつないソファに汚れた体のまま座ることをためらっているらしい。そんなアリの様子を見て、キリギリスは優しく声をかけた。
「とりあえず風呂に入って体を暖めるといいですよ。着替えは、ぼくので良かったらワードローブから適当に選んで着てください」
「あ、ありがとうございます」
アリが風呂から上がると、見たこともないような豪華な料理が用意されていた。
「さあ、どうぞ、好きなだけ召し上がってください」
最初は遠慮がちに食べていたアリも、あまりの美味しさにテーブルの料理をほとんど平らげてしまった。
食事を終え、アリはようやく落ち着いた様子で、キリギリスに礼を述べた。
「ああ、生き返りました。本当にありがとうございます。わたしが食べた分は、いつかきっと、働いてお返ししますから」
「いえいえ、気になさらないでください。これはぼくのお礼ですよ」
「えっ。お礼って、どういうことでしょう。十年前、あんなひどい仕打ちをしてしまったのに」
キリギリスは何かを思い出したように、ちょっと苦笑した。
「そうですね。あの日、今のあなたと同じように飢えと寒さで凍えていたぼくに、真面目に働かずに歌ったり踊ったりしていた報いだとおっしゃって、あなたは家に入れてくれませんでした」
「ああ、あの時は本当にすみませんでした。さぞかしわたしを恨んだでしょう」
「あの時にはね。でも、あなたを見返してやろうと、ぼくは必死に歌と踊りを練習し、あるオーディションに受かったんです。それをきっかけに歌って踊れるタレントとして、少しずつテレビに出してもらえるようになりました。それからも辛いこと苦しいことに出会うたび、あなたの顔を思い出して頑張ることができました。その後、ヒット曲に恵まれて音楽大賞をいただき、年末歌合戦に出場し、今ではテレビのレギュラー番組が週に五本あります。すべて、あなたのおかげですよ」
「そう言われると、恐縮します。わたしは心が狭く、毎日楽しそうに暮らしているキリギリスさんがうらやましかった。それで、つい意地悪をしてしまったのです。その報いでしょう、折からの不況で会社は倒産、妻と子供はわたしを見限って家を出て行きました。自業自得ですよ」
キリギリスは首をふった。
「そんなことありません。大事なのは、何をしたかではなく、これから何をするかです。さあ、気分を変えて、ぼくといっしょに歌いましょう。元気がでますよ」
キリギリスは楽しそうに歌を唄い始めた。
数年後の冬。
つまらないスキャンダルで落ち目になったキリギリスが、再び事業に成功したアリを訪ねて来た。
「すみません。どうか食べるものを恵んでください」
すると、アリは冷たく言い放った。
「真面目に働くことですな」
(おわり)
キリギリスとアリ