住み込み詐欺

エリートサラリーマンが遭遇するまさかの出来事。流行りの詐欺師が巧みな手腕で人生を大逆転する。

東條武は、誰もが羨む某一流企業のエリートサラリーマンであった。彼の契約顧客件数は、常に、社内では、前人未到の領域にあり、さながら、自らの新記録を自身が塗り替えるアスリートかの如くの働きぶりであった。それは、本人としても望むところであり、仕事の成功こそが、人生における勝ち組を意味することであると自負していた。そのためには、他者の足を引っ張ることはしないまでも、蹴落とす事ぐらいは、致し方ないとも思っていたし、事実、そうしたことをせざるをえない場面も体験してきた。当初は、自責の念にかられたり、他者からの攻勢に対して、屈してしまいそうな時期もあったが、三〇代半ばにもなると、そうした迷いも消え、いつしか、彼なりの太い背骨が出来上がっていた。
それは、戦い抜いたものでしか到達できない域であり、教わってできるものでもないし、天賦の才能も併せ持ったものに与えられた特権とも言えるのかもしれない。
武は、同僚と接する際も、顧客と接する際も、この確固たる背骨を武器に、成果を出し続けるといったストイックな精神の元、いかんなくその能力を発揮していた。それが、更なる自信を生み、また成果を残すという好循環をもたらしていた。そんな自信満々な彼であるが故、当然、同期随一の実力者でありながらも、こと、人格面においては、いささか、強引で自己中心的であることは、否めなかった。しかし、そこは、競争社会。勝てば官軍の言葉通り、武の独壇場が許される状況にあった。
そのため、多少彼が、間違った行為をしようと、指摘する人物はいなかったし、彼自身もそういったパートナーを求めようとしなかった。そうした孤独をも愛していた。それ程、強靭な心身を持っていたとも言えよう。


当然、武の存在は、社にとっては、最重要人物であり、将来を所望もされていた。このままいけば、間違いなく出世コースを辿るのは自明の理であり、他方でも、某役員の令嬢との縁談も持ちかけられていた。彼の信条からすれば、結果のために手段は択ばないところがあり、そのため、出世街道を進むのは、願っても無いことであるし、そのステップとして、仮に縁談話があるのであれば、快く受けようとさえ思っていた。
そんなある日の事。これまで同社では例を見ないほどの大規模プロジェクトの話が持ち上がった。
(これほど大きなプロジェクトとあれば、その成功した後に与えられるであろう評価は、相当なものだろう。)
そう思うだけで、彼は、奮い立った。武者震いとはこういうことを指すのであろう。
(なんとしても、このプロジェクトの責任者になって、成功を収めたい。)
目前の大きな獲物を前にして、武は、メラメラと燃えてきた。そんな自らの中にある炎を感じざるをえなかった。


プロジェクトスタートの数日前。関係部署の社員が呼び出された。どうやら、このプロジェクトの概要説明を兼ねて、選出されたメンバーの発表が行われるらしい。
プロジェクトの事業規模は、年間予算にして、百億円。一流企業とは言え、そう簡単に捻出できる金額ではない。仮にメンバーに選ばれることは、光栄ではあるが、その責任足るや、もはや、ただごとではなかった。しかし、武は、このプロジェクトのメンバーは、おろか、リーダーになる覚悟でいた。
概要説明の後、予定通り、メンバーの発表があった。その人数は、八名。全社員が一万人の企業であるから、精鋭中の精鋭ということになる。
見事、武の名前が読み上げられた。プロジェクトの開始は、翌月四月から。その期間は、一年間。与えられた予算の中で、事業を立ち上げ、軌道に乗れば、将来的には、新会社を設立するとの内容であった。
(あわよくば、その新会社とやらの社長のポストさえも手に入るな。)
武は、鉄の心臓を持つ、肉食獣かの如く、ギラギラとした眼で、本社ビルの先に広がる景色を眺めていた。


プロジェクトが翌月開始ということもあって、早速、八名のメンバーは、顔合わせを兼ねて、初回のミーティングを行った。自然発生的に、武が、その司会進行を務めることになる。話の流れで、おおよそのメンバーの役割分担をしようということになった。
言わずもがな、武は、このリーダーに推薦され、本人もそのことを承知した。ここに、大規模プロジェクトがスタートする運びとなる。期待も大きい仕事ではあるが、メンバーが少ないこともあり、ひとりひとりにかかる負担は大きい。その自覚と共に、いかに、プレッシャーと闘っていくかも、それぞれに課された使命となった。
「いやぁ、こんな私でいいのかねぇ。」
そう呑気に話すのは、武の一つ上の上司の清であった。清は、武とはどういうわけか、就かず離れずの関係にあって、競争相手でもなければ、不仲でも無かった。これは、清の性格のせいか、大らかであるがあまり、敵を作らないし、逆に、敵視されることもない。業績ということだけをとれば、よくこの八人に選ばれたものだというのは、自他共に認めるところではあったが、ムードメーカーという点で言えば、不可欠な存在には違いがなかった。
当然、他の六人も、それぞれに卓越した能力を持つ精鋭ばかりであった。
「まずは、このメンバーで、これほどの大規模プロジェクトを始められることを嬉しく思います。幾多の困難が待ち受けているとは思いますが、是非、一枚岩となって、共に戦って参りましょう。」
武が、そう冒頭のあいさつを述べると、メンバーからは、拍手があがった。


今日は、某役員令嬢と夕食の約束があった。彼女は、所謂容姿端麗で、育ちのよいお嬢様タイプで、特に好みというほどではなかったが、一緒に過ごすのが、嫌という程でもなかった。結婚を前提に付き合っていることからすると、まさに、政略結婚であり、もしかすると、今どきは、流行らないかもしれない。そんなことをよそに、いつものように、彼は、会社における仕事の問題点や、展望について、語っていた。令嬢の優華は、武に好意を寄せており、いつも、うんうんと傾聴していた。
「そんな社運をかけたプロジェクトのリーダーなんて、凄いわね。」
「まぁ、有難い話だと思っているけど、何とか、成功させないとね。」
彼女の父である役員は、社内でも有力派閥のトップであり、もし、このままこの縁談が成功すれば、将来的には、その椅子を明け渡してもいいとさえ、言われていた。
とにかく、万事において、仕事中心の武ではあったが、存外、優華との関係が、唯一、心を許せる時間でもあった。それを、ただ、好きという言葉で表すのは簡単であったが、また、それとも違う感覚を持っていた。
夕食を食べ終わると、まだ明日があるからということで、いつもより、早く二人は別れた。


優華との食事を終えた武は、早速、プロジェクトの構想を、帰宅途中の道すがら、考え出していた。とにかく、規模も息も長い仕事だ。あせらず、しかし、着実に進めて行かないと、成功はおぼつかない。
そんな思案を重ねている中、とある公園を通り過ぎようとしたとき、ひとりの乞食に出逢った。
(ホームレスならともかく、今どき乞食か。時代錯誤だな。)
とやや嘲笑気味の武に、乞食は、物乞いをしてきた。
「そこの道行く旦那様、どうか、私に食べ物を買うお金を下さい。お願いします。」
武は、初めての経験に、何だか、薄気味悪い気持ちもして、無視して通り過ぎようとした。ところが、この乞食は、武の後を追いかけてくる。そのまま逃走しようとも思ったが、とっさに、彼を蹴飛ばしてしまった。彼が、転ぶのを見ると、一目散でその場から去ろうとする武。
(とんだ災難に出くわしたものだ。今晩は、早く帰って、床に就こう)
そう思って、武は、足早に帰路へとついた。


翌朝、何となく寝起きが悪かった。寝覚め代わりに、朝のシャワーを浴びながら、ふと、昨日の夜に起こった出来事を想いだした。
(とんだ思いをしたものだ。)
武は、不快さを露わにした。
出社後、部署内がざわついているのが、目に入った。何か、アクシデントでもあったのだろうか?そう呑気に構えていた武に、清が耳打ちをしてきた。
「お前、今回のプロジェクトリーダーから、外されるという噂だぞ。また、もしかすると、このプロジェクト自体もとん挫しかねないらしい。」
武は驚きを隠せなかった。一体、何が起こったというのだ。
「それで、この騒ぎか。昨日から今朝にかけて何かあったんですか?」
「いや、俺にも分からない。でも、雲行きがわるいのは確かだな。」
武は、いきなり訪れた悪い知らせに、少々混乱気味で、喫煙室に行って、たばこを吸うことにした。火をつけながら、煙を吸い込むと、ふと、悪い予感が頭をよぎった。
(もしかすると、昨日の乞食を蹴飛ばしたことで、社内で、何か、問題になっているのではないだろうか?誰かに目撃されたとか。)第六感というか、なぜか、そのこととの関連性が気になって仕方がなかった。
プロジェクトに関する指示は、動きがあれば、上司から、あるであろう。従って、じたばたしても始まらない。そのため、むしろ、気になっているあの乞食に会って、様子を確認した方がいいかもしれない。そう思い、その日は、早々に仕事を切り上げて、昨晩、出くわした公園へと向かった。


公園に着くと、昨晩出会った乞食は、同じ場所にいた。武は、居心地の悪さを感じながらも、まずは、昨日の失態を詫びようと思った。乞食に近づくと、おもむろに、
「あのぉ、昨日は、誠に申し訳ございませんでした。あなたの申し出を無視したあげく、蹴飛ばすような真似をして、深く反省しております。その後、お怪我などございませんでしたでしょうか?」
随分、丁重な謝り方をしたものだと自分でも思ったが、乞食は、口を開かないばかりか、逆に、こちらを、無視をしているかのようであった。しかし、次の瞬間、武に向かって、こう告げた。
「慰謝料として、十万円もらえないかな?」
あっけにとられる武。詫びるつもりはあったし、事実こうして頭を下げにはきたものの、下手に出たら、この有様だ。しかし、どうも、この申し出を無視してはならない、という勘が働いた。
「分かりました。今手持ちはありませんが、お金はご用意させて頂きます。明日また、こちらに参りますので、その際にお渡ししたいと思います。」
そう言い残して、武は、公園を後にした。
(無視しても良かったが、何となく、従っておいた方がいいような気がする。)そんな胸騒ぎにも似た感覚を信じてみようと思った。
翌日、彼は、約束通り、その乞食に、お金を渡し、再度、侘びを入れた。


不思議な事があるものだ。その後、プロジェクト中止の話は無くなり、予定通り、武をリーダーとして、始動しだした。スタートアップも順調に進み、滞りない出だしを切った。
心の中で、武は、
(やはり、あの不吉な出来事の発端は、あの夜の不始末にあったのではないか。天罰が下ったとは言わないが、どうやら、あの乞食への施しが、功を奏したのかもしれない。)
元来、己しか信じておらず、何かに縋るような性格ではない武にあっては、珍しい考えと、行動であった。
(これからも、仕事で状況が悪くなりそうな場面があれば、彼に施しを与えてみよう。)
どこから、そんな思考が巡るのか、彼自身も不思議でならなかったが、それで、プロジェクトがうまく進むのであれば、安いものである。保険のようなものだ。苦しい時の乞食頼みとは古今東西聞いたことが無い。以来、これまで、自分の力のみを信じて、突き進んでいた彼であったが、いつしか、この乞食のゲンを担ぐようになっていった。猜疑心が強い人ほど、その反動で、信仰心が厚くなるとは、まさに、このことであろうか。誰にも、口外できない件を抱えながら、武は、粛々と、仕事を進めて行った。


プロジェクトが始まり、三か月が過ぎたころ、相変わらず、この乞食への施しを続けていた武に、その乞食は、おかしなことを言い始めた。
「このまま、定期的に、施してもらうのは有難いことであるが、もし、そちらに問題がなければ、お主、私と一緒に棲むというのは、いかがなものか?不自由があるとすれば、私たち乞食にとっては、住まいが一番なのである。お陰様で、食の都合はつくようになったが、ひとつ、考えてもらえんかな?」
と半ば、諭されたように、言われた。一瞬、何のことか、分からなかったが、この乞食の申し出を断わるという感覚を既に、武は失っていた。当然、その場での即答は、しなかったが、同居することについては、特に問題点が見当たらなかった。むしろ、これから、山場を迎えるプロジェクトを前にして、何とか、乗り越えなくてはならない正念場を考えると、むしろ、近くにいてもらうことは、助かるのかもしれない、とさえ、思う次第であった。全くおかしな話である。これも、仕事を成功させるための武ならではの思考回路であろうか。
数日後、その乞食を訪ねた武は、先般の申し出を受け入れた。こうして、世にも珍しい、エリートサラリーマンと、乞食との同居が始まるのであった。


十一

その日以来、乞食に対して、いわゆる食住を満たしている彼は、変な心配をしなくても済む不思議な安堵感に包まれた。これで、施しについて、心配する必要はない。何せ、これ以上無い、施しと言うより、奉仕を与えているのだから。
そうして、いよいよ、仕事に専念することが出来た。困難な課題についても、果敢に挑み、そのハードルを乗り越え、とうとうプロジェクトも、半年が過ぎ、山場も越そうとしていた。
「なんだか、このところ、益々調子が良さそうだな。」
そう清が話しかけてきた。
「そうですね。ここが正念場だと思います。この局面さえ打開できたら、あとは、ゴールに向かって進むのみかと。辛抱のしどきです。」
「お前がリーダーで良かったよ。他の連中では、到底、このプロジェクトをここまで引っ張ることは出来なっただろう。俺が、太鼓判を押すよ。」
「お世辞はやめてください。まだ、プロジェクトは、終わっていませんし。私は、最後の最後まで、気を緩めないつもりでいるのです。」
「相変わらず、可愛げの無い奴だ。」
そう言って、武は、その場を去って行ってしまった。
(俺の仕事に対して、おべんちゃらを言われても、何の役にも立たない。無用なやりとりだ。)
武は、清のような人でさえ、どこか、遠ざけてしまう程、孤高の人物であった。おまけに、口もいい方ではない。仕事が優秀だから、人はついて来てはいるものの、この性格を理解してくれる人はなかなかいない。
(仕事上、メリットがある人とであれば、付き合いはするが、そうでない人とは、交流するだけ無駄だ。)
そんなことを思いながら、また、目前の仕事に戻った。


十一

その日の仕事を終えて、普段通り、家に帰ると、何と家の鍵が開かない。あわてて、インターホンを押すも、応答が無い。家の中には、あの乞食がいるはずだ。電話をしてみよう。すぐさま、持っていた携帯電話から自宅に電話をかけた。着信から、武だと分かると、乞食は電話に出て、こう切り出した。
「この家には、私が棲むことにした。君に纏わる個人情報や、財産の差し押さえは全て完了している。そのため、この電話もそのうち、使えなくなるだろう。残念だ。しかし、こちらは、大変君には、感謝をしているよ。大変だと思うが、新たな人生を歩んでくれ。」そう話すと、一方的に電話を終えた。
武は、しばらくの間、一体何が起こったのか分からず、放心状態となった。自分が住んでいたマンションの前で、立ち尽くすしかなかった。
これから俺は、一体、どこで、何をすればいいのだろう。とにかく、頭の中が混乱し、整理がつかない。第一、明日から、仕事に行こうにも、恐らく、彼(乞食)が、何らかの手を回しているに違いない。これは、住まいごと全て乗っ取られた。乞食どころか、食わせ物の詐欺師だ。世間の悪行は、ここまで進化したのかと思った。
一気に、職も、住まいも、何もかもを失った彼は、とにかく、思い当たる逃げ場所を目指すしかなかった。かと言って、自分を受け入れてくれる人など、思いつかない。何とも寂しいことだ。これが、俺が求めていた孤独というものの本質か。そんなことを思いながら、路上を彷徨っていた。


十二

あれ以来、武は、あれほどバカにしていたホームレスに、自分自身が成り下がっていた。持っていたお金もとうに、底をついていたので、もはや、物乞いをするしかなかった。同じように、路上生活を送っている人たちはいたが、彼らの輪に入っていける性格でもなかった。これほど、みじめな思いはあるだろうか。
武は、これまで、あまりに自己中心的に過ごして来た日々を悔やんだ。もっと、仲間を大事にして、仕事以外の人間関係も持っていれば、今の立場に置かれても、また、這いあがることが出来たかもしれない。しかし、今となっては、例え、知り合いが目の前を通り過ぎようとも、相手にもしてくれないだろうし、こちらも、今更、何て声を発していいかもわからない。しかし、後悔先に立たず。普段の自分が、こうした事態を招いてしまったのだ。今後は、その報いを受けるしかない。その覚悟をしながらも、武は、かつて経験したことの無い強烈な人生の不安を抱きながら、一日一日を、やっとの思いで生き抜いて行くのであった。


(完)

住み込み詐欺

住み込み詐欺

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 成人向け
更新日
登録日
2015-01-28

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