デジャブ
誰もが一度は、見た事のあるデジャブ。そのデジャブにおいて、特殊能力を持つ主人公が繰り広げる世界とは。
一
「あぁ、またか。」
ヒロシは、このところ、いつもより頻繁に起こるデジャブに少し、うんざりしていた。
デジャブとは、ご存知の通り、どこかで見たことや、経験したことが過去にもあったかのような感覚を覚える事である。しかし、その感覚は、儚く、また、確実性を持たない事から、一瞬の夢のようでもある。
しかし、ヒロシの場合のそれは、頻繁に現れ、そしてまた何と、紛れもなく起こった事実が、実体験として、再現されるのである。つまり、彼は、同じ体験を二度、ときには、三度繰り返すということになる。例えるなら、タイムマシーンにでも乗って、過去を再現することが出来るのである。
ただし、それは、意図して起こるものではなく、まさしく遭遇するといったものであった。もし、これが思いのまま出来るとしたら、それは、時空を操作できる能力を持った魅力あるものに見えるかもしれない。また、体験したいことも自分の意志とは別に、選ぶことが、出来ない。そうなると、厄介な能力を持ってしまったとも言えるのだ。
「一体、何度目なんだ。」
ヒロシには、数回どころではない、もう何十回、何百回と経験するこのデジャブに抱くマイナスなイメージも想像してもらえると思う。
人生には、良いこと、悪いこと、素敵な事や、時には、忘れたいこと、など、生きている時間の分だけ、多くの出来事が起きていく。それが、初めての体験であるから、新鮮であり、また、繰り返すことが出来ないからこそ、その時々が輝いているのであって、もし、同じ体験を実際に繰り返されるとしたらどうであろう。プラスの出来事ならともかく、マイナスな出来事が再現しようものなら、ただ、ひたすら、その時が過ぎるのを待つしかない。
ヒロシは、デジャブが起きると、いつも憂鬱になる。嬉しい出来事さえも、それが、選べないだけに、他者が思うほど、よい体験ではない。多くの場合、やみくもに、時間を無駄に過ごすことになるだけなのだ。もし、体験するデジャブを選ぶことが出来たのなら。それこそ、好きなDVDでも観るかの如く、時も内容も選べたらどれ程いいことだろうと思う。何しろ、それは、実体験として目の前に現れるのだから。そう、ちょうど、お気に入りのものなんかであれば、、何度も見たりするように。
二
そんなヒロシの能力に変化が訪れた。それは、高校時代の同級生の美代子との再会であった。美代子とは、高校卒業以来、十数年ぶりの同窓会で、久しぶりに顔を合わせた。ヒロシと美代子の間柄は、いわゆる健全な、お友達同士であった。当時、ヒロシは、美代子に対して、ひそかな恋心を抱いていたが、内気なヒロシに、自分の気持ちを、打ち明けられる勇気もなく、一方的な片思いであった。そんな淡い想い出を持った美代子であったが、久しぶりに、彼女に会うと、十数年ぶりともいうのに、相変わらず、その愛嬌をのぞかせ、当時を想起させた。
同窓会は、無事、盛況に終わり、散会となったが、たまたま帰る方面が一緒だった、ヒロシと美代子は、すこしの時間、二人きりで、会話をすることになった。
「ヒロシ君も、元気そうで、良かった。」と美代子が言う。
「そうかい!?冴えない日々を送っているだけだよ。」とやや、ふてくされているヒロシ。
「どうしたの?何か、困っていることでもあるの?」
「いや、たいしたことじゃない。ゴメン。ありがとう。久しぶりに会ったのに、つまらないことを言った。」
そう詫びるヒロシに、どこか影を感じ、美代子は、心配そうに見つめている。
「今度、良かったら、また、会える機会を作ってくれないかしら!?」
「えっつ。俺と?」
「ええ、そうよ。もちろん。」
「あー、俺で良ければ、いつでも。」
ヒロシは、かなり照れくさそうに言った。
「じゃ、決まりね。」
二人は、お互いの連絡先を教え合い、その日は、その場で、各々の帰り道へと別れた。
三
ヒロシは美代子との間で、高校時代に特に、これといった出来事があったわけではない。でも、多感な時代のことだ。想いだせば、淡くせつない出来事から、些細な嬉しい事まで、思い出すことが出来た。その瞬間に何とも言えない、懐かしさもあり、幸せな気持ちにも包まれた。
(美代子と再会出来て良かったな。いや、そもそも彼女と出会い、過ごせて良かった。)そんなことを想うようにもなった。
(しかし、二人きりで会うなんて、どうしよう。でも、折角会えるんだ。鉄は熱いうちに打てともいう。早速、連絡をつけてみるか。)
そう思ったヒロシは、教えてもらった連絡先に電話をかけてみた。
「あら、ヒロシ君、すぐに連絡をくれたのね。」
電話口の美代子は、存外、気軽に応答してくれた。そして、明らかに、距離が縮まっている感じがあった。
「今度、二人で会おうというは話だけどさ、折角なら、想い出の土地を訪れない!?」
そう切り出すヒロシに、
「あら、いいわね。懐かしい。どこがいいかしら。場所は、ヒロシ君に任せるわ。今、仕事が少し忙しいから、それがひと段落したところで、こちらからかけ直すわね。」
そう言って美代子は、快く、ヒロシの提案を承諾した。
(さて、どこにしたものだろうか。)
そう考えだしてヒロシは、ある場所がすぐ思い浮かんだ。
(あそこなら、確かに、懐かしんでもらえる。)
そう確信し、美代子からの電話を待つことにした。
四
ヒロシが選んだ待ち合わせ場所は、二人が通った高校の最寄駅であった。この場所を訪れるのは、ヒロシ自身も高校卒業をして以来である。美代子を待つ間、かなり緊張をするヒロシ。喉が渇き、じっとしていられない。
(こんな気持ちになったのは、何年ぶりだろう?)
まさに、一足早く、高校時代に戻っていた、そんな心境のヒロシであった。
「ヒロシ君、お待たせ。」
白のワンピース姿で現れた美代子は、この暑い夏を吹き飛ばしてくれる程の清廉さと美しさを兼ね備えていた。
「今日は、ありがとう。やっぱり、重ねる時が女性を美しくするんだね。」
普段なら言わない、いや、美代子相手だからこそ、言えた、当の本人にとっても、意外な一言だった。
「あらまぁ、ヒロシ君こそ、上手になったわね。」
とややからかい気味の返答。一気に、二人の緊張は解けた。
合流したのち、ヒロシが目指したのは、その街を一望できる小高い丘であった。夏の暑い陽射しの中、二人は、今の仕事の事や、お互いの近況について、世間話をした。当然、自らの能力については、触れていない。彼女も、特段、悩みを聴こうとは思っては、いなさそうに映った。
ほどなく、目的地に到着すると、懐かしい景色に、二人はしばらく、無言になった。時間にすると、数秒だったのであろうが、何分もそうしていたかのようであった。
「久しぶりね。この景色。懐かしいわ。」
そう美代子が言うと、
「あぁ、この景色を見ると、まるでタイムスリップしたような感覚にとらわれるよ。」
「あの木陰で休まない!?」
「そうだね、あっ、のど渇いたでしょ。何か、飲み物でも買ってくるよ。」
そうして、二人は、ベンチに腰をかけて、ゆっくりと流れる時間に身をゆだねるのであった。
五
それは、突然訪れた。そう、いつものデジャブだ。
(あー、また来たな。)
そうヒロシが思うも束の間、何とも言えない感覚にとらわれる。この小高い丘で、彼女と過ごした日のワンシーンが、彼の思い通りに、目の前に現れたのである。こうした経験は初めてであった。そう、僅かながら、時を巻き戻す事が出来たのだ。それも、ある程度、自分の意図通りに。というのも、美代子をここに連れてきたのも、当時のその日をなつかしんでのことであった。
(あの時の淡い気持ち、そして、時間を、また過ごせたら。)
そう前の晩に、寝床につきながら、ヒロシはそんな事を思っていた。
その日の記憶とは、クラスメイト数人で、夕焼けを見に、この丘を駆け上がってきた日の想い出であった。その時も、美代子は、このベンチに、腰をかけて、綺麗な夕陽を見た後に、二人きりで、空を眺めていたのである。このまま、時が止まればいいのに、と思った事を覚えている。それが、まさに、目の前で起こっている。ワンピースを着ていたはずの美代子は、当時の学生服に身を纏い、姿や顔立ちも当時に戻っていた。
(あの尊い時間を、また、取り戻せるなんて。)
その時間は、あの時と同じく、儚く過ぎ去っていった。一瞬の夢かの如く。
デジャブから戻ったヒロシは、タイムスリップしたような気分でいた。現実と過去が交錯する。そして、初めて、望んだ通りのデジャブを見ることが出来たのである。
「何だかこうしていると、昔に戻ったみたいね。」
美代子もデジャブに似た感覚をおぼえたようだ。
「そうだね。昔、似たような出来事があったことを思い出したよ。」
ヒロシは、自分がいる位地を上手くコントロールしながら、喋るようにつとめた。
求めていた過去と現実が目の前にある。その快感にヒロシは酔っていた。
六
(昨日の出来事は、偶然だったのか。)
ヒロシは、見たいデジャブを見れたことに、一筋の光を見た想いがしていた。万が一、再度体験したいような出来事を繰り返すことが出来たなら。それは、我々がちょうど、昔の想い出を思い返す時間と似ている。あのふんわりとした柔らかい時間を、実体験を持って過ごせるのだ。ヒロシは、この時ほど、自らの能力を有難く思うことはなかった。
(次は、どんなデジャブに現れてほしいかなぁ。)
そんなことを考えながらいると、なんだか、日々の生活にも潤いが戻りはじめ、デジャブを苦にしない自分に気付き始めた。そんなことを知ってか知らずか、周囲の人のヒロシに対する対応も変わり、全てがよい方向に回りだした。不思議な事に、それ以来、デジャブに遭遇する頻度も低くなっており、日常を今まで以上に、楽しんでいる自分に気付かされた。そうは言っても、時には、つらい出来事がヒロシを襲う。
そんな誰にでも起こる、そして、今までのヒロシにも起こり続けている出来事から、何とか抜け出したい想いが強くなった。その時である。またもや、望んでいた過去が目の前に現れたのだった。
それは、仕事上、努力を重ねていた取引先から、苦労の末やっと掴んだ商談。辛かった時間を忘れ、つい、過去に起こった栄光の時間に陶酔してしまう。これを、まさしく現実逃避というのか、よく言えば時間旅行。好きな時に、好きな場所へ、赴くことが出来る時の旅人。
そのような夢の時間を過ぎたのちには、元気が湧いてきて、目の前の困難にも立ち向かえる勇気さえも湧いてきた。
(これで、あの憂鬱でしかなかったデジャブから、一転、特殊能力を持つ人物へと姿を変えることになるぞ。)
ヒロシは、今後待ち受ける己の人生の変化に対して、大きな期待を持ち始めていた。
七
しかし、実際は違った。時間旅行を繰り返せば繰り返すほど、現実がつらく思えてきた。特に変わった日々ではない毎日を過ごすより、時には辛い出来事を乗り越えるよりも、過去に起こった輝かしい想い出に浸る方が、快適になってきたのだ。こうなると、もはや、日時を忘れ、タイムトリップをし続けた。都合がよいことに、これは、まさにタイムトリップであって、全ては、あたかも、時が止まったかの中で行われる。そのため、時間旅行から戻ってきたヒロシを待ち受ける現実には、何の変化も無い。
人間とは弱いものだ。かつては、己の能力ゆえに、悶え苦しみながらも、逃げることなく立ち向かっていったのだが、一度、逃避する能力を身に付けてしまうと、多くの出来事から逃げるばかりか、何でもない日常まで否定し始めるようになる。無事ということの素晴らしさや、無から有を生む努力、そういったものからも、遠ざかる時間が増えてきた。
時間旅行中のヒロシは、むさぼるように、過去の栄光を追い求めた。仕事上のこと、恋愛の事、娯楽と言う娯楽等々。嬉しかったり、愉しかったり、喜ばしい時間だけを追い求め、過ごすようになった。いつかは、終わりが来ると分かっていながらも、これまでの憂鬱感を一気に晴らすように。
八
お気に入りの映画もやがて、新鮮さを失うようになる。それと同様の状況に陥った。また、どう考えても、これ以上愉しい出来事が思いつかない境遇も重なった。
(さぁ、どうしよう。まぁ、いいか、想いだしたら、またデジャブを呼び起こせばいいのだ。では、久しぶりに、元の世界に戻るかな。)
さて、どれぐらいぶりであろう。今、生きているヒロシに向き合い直すのは。ところがここで、意外なことが起こる。あまりにも、プラスの時間ばかりを実体験してきたヒロシにとって、この日常を暮らすということが、あまりにも退屈で、つらく、味気ないものに思えて仕方が無いのだ。かと言って、デジャブに逃げようにも、特段、行きたい場所も無い。一瞬、ヒロシは、自分がどこにも行き場所が無い、つまり、依って立つ場所が無い感覚にさいなまれた。もはや、どう歩んでいったらいいか、分からなくなってきた。どちらの世界にも魅力を感じないし、居場所が無いのだ。途方に暮れるヒロシは、ある考えに行き着いた。
(そうだ、美代子に会おう。彼女と会っている現実の時間であれば、それが欲しい。)
唯一の頼りがそこであった。とは言え、目の前に流れ続ける途方もない時間。美代子と会えたとしても、それまでの間、一体、どう過ごせばいいのであろう。そんなことを思いながらも、美代子に会う約束をとるための電話をかけた。
「あっ、美代子。俺、ヒロシ。この前はありがとう。どうかな、今度の休みにでも、食事などどうだろう!?」
「ごめんなさい。次のお休みは別の予定が入っているの。その次のお休みならどうかしら!?」
通常であれば、二つ返事をするところであるが、ヒロシとしては、いてもたってもいられない。
「それじゃぁ、仕事帰りにというのはどうだろう!?」
「どうしたの?急ぎの用事でもあって?」
「いや、そうじゃないのだけれど、少しでも早く顔が見たくて。」
「相変わらず、口だけは、上手になったのね。分かったわ。それなら、今週の金曜日の夜はいかがかしら?」
「いいね。そうしよう。愉しみにしている。」
やっとの想いで、ヒロシは、美代子と会う約束を取り付け、電話を切った。すると、また、暗黒の時間が流れ始めた。
九
美代子との再会だけを愉しみにしているヒロシは、その後もデジャブを見ることはなかった。いや、見る気にならなかったと言ってもいい。ただ、とにかく、日常をやり過ごして、美代子と会う時間だけを頼りに、それまでの日々を過ごしていた。
(これでは、今までと全く逆だなぁ。悪夢のようなデジャブをやり過ごしてきたけれど、今では、現実である日常をやり過ごすことになるとは。しかも、圧倒的にそれは、長い。儚いデジャブの比ではないのだ。)
逆転する日々を、疎ましく思わずにいられないヒロシであった。当然、依然とは真逆に、現実を避けるような日常がヒロシを快く受けいれてくれるはずもなく悪循環に陥っていた。
金曜日の夜までの長い、長い時間をただ、ひたすら、耐え忍ぶ。生きた心地がしなかった。心ここにあらずの日々。今を一生懸命に生きる、そんな当たり前な事とは裏腹な生活を送り続けた。ただ、美代子と過ごせる時間だけを頼りにして。
金曜日の夜、待ち合わせより、かなり早くヒロシは、約束の場所に到着した。やっとの想いで、この日まで漕ぎ告げた感覚であった。
約束の時間通りに、美代子は現れた。
「お待たせ、ヒロシ君。待った?」
「いや、俺もついさっき到着したところ。さて、美味しい食事でも食べようか?」
どんなに、この再会を待ちわびたかという想いを告げるわけにもいかず、ヒロシは、いたって、平静を装うとつとめた。
予約を入れたレストランで、二人は、美味しいフレンチを頂きながら、たわいもない会話に舌鼓を打ちながら、愉しく過ごした。
愉しい時間というのは、過ぎるのが早く、あっという間に、帰宅の時間を迎えた。
「今日は、もう遅いし、家の近くまで送るよ。」
「まぁ、もうこんな時間。そうね、その方が、安全だし、嬉しいわ。」
二人は、レストランを後にし、美代子の帰路へとついた。電車を待つ時間、車中での時間、それらすべてが、今のヒロシにとっては、かけがえの無い愛おしい時間に思えて仕方が無かった。
ヒロシは、気づいた。
(そうか。もうデジャブなど辞めよう。今、流れているこの時間にこそ価値があるんだ。)
一瞬、この体験を、いずれ再現したいと願ってみたヒロシであったが、心をあらためた。
もうデジャブなどに浸ることはしない。与えられた一瞬一瞬を、愉しい時も、苦しい時も、大切にしていきたい。今の自分に向き合ってこその人生だ。時間は、もう戻らないからこそ、そして、終わりがあるからこそ、愛おしく、時に、懐かしく思えるのだ。
すると、そこに、本当のヒロシが現れたのであった。
そして、二人は、手をつなぎながら、その時を惜しむかのように歩みを進めて行った。
(完)
デジャブ