マジシャン
プロのマジシャンとして、その岐路に立つ某青年。そんな時にある少女が現れ、とある変化が訪れる。
一
ここは、とある都内某所の遊園地前、日曜日のこのあたりは、いつも多くの人でにぎわっている。その一角で、来園者相手に大道芸人さながら、毎週マジックを実演する青年がいた。名前は、アキラ。平日は、アルバイトで生計を立て、仕事が終わると練習を重ね、その披露の場として、決まって、この場所を選んでいた。
しかし、多くの客は、一瞥するだけで、ろくにマジックを見てくれない。それどころか、無視する客、時には、邪魔者扱いする人など、どうやら、アキラのマジックは、周囲にあまり良い印象を与えられていないようであった。
しかし、そこは、まだまだ自称若手のマジシャン。そんなことでへこたれるようでは、こんな道端で、いくら好きな事とはいえ、マジックを披露などしない。そう、彼には、夢があった。“いつか、マジックショーを行い、プロのマジシャンとして、生計を立てていくこと”であった。観客者をあっと驚かせるその醍醐味を味わいたい。そのための登竜門。そう思って、どんな目で見られようと、喝采を浴びることが無くても、それこそ、無報酬でこの修業を乗り越えようとしていた。
それにしても、練習しては望むものの、ここまで喜ばれないものかと、疑問を抱く日々が続いた。果ては、もしや才能が無いのではないかと疑心暗鬼になることは、数えきれ無い。
こんな日々を続けて、早丸五年になる。若手とは言ってはみたもの、もう二十代も半ばともなると、この先の一生が色々な意味で、決まってくる。そんな悶々とした日々を過ごす中で、アキラは、一つの決断をすることとした。
(次の誕生日までをこの夢の賞味期限としよう。もし、その日までに、光明が見いだせなければ、潔く足を洗って、定職に就こう。)と。
(折角締切を設けたのだ。どんなことがあろうと、必死になって、喰らいついて行こう。)
そう、固く、心に誓うアキラであった。
二
決断の翌日。その日から、まずは、練習メニューを変えた。また、練習時間も可能な限り増やした。まずは、その量の確保から入ろうと決意した。あとは、心構えだと考えていた。どこかで、独学でやることに限界を感じていた彼は、弟子入りを所望した。そこで、片っ端から、とれる連絡手段を通じて、憧れているマジシャンや、著名なマジシャンの事務所に連絡をとったり、訪れたりもした。師匠と呼べる人について、精神的にも磨きをかける必要性を感じていたのであった。そんな中、一件だけ、話だけは聞いてもいいというマジシャンとアポイントがとれた。これまで、断られ続けてきただけに、また、自身のマジックも否定され続けてきただけに、一筋の光を見た心境であった。
期待あまたに、そのマジシャンである東雄一郎氏を訪ねると、想像もしていない言動が返ってきた。
「一体、どういうつもりだ、君。弟子入りしたいという話を聞いているが、この私から、何を学びとろうとしている?そして、君は、一体、僕に何をしてくれるのだ?」と、開口一番に半ば怒鳴られたものだから、アキラは、返す言葉に詰まった。
「あ、はい。今は、何もできませんが、仰せのことには、何でも従って参りたいと思います。」
自分でも、ありきたりで、ぼんやりとした返事をしてしまったものだと後悔するが先か、東氏は、憮然とした表情を浮かべたまま、その場から立ち去ってしまった。折角のチャンスも棒に振ってしまい、途方に暮れるアキラ。やはり、どこかに甘えがあったのだろうか。その甘えを立て直そうと、師を得ることを選んだが、そもそも、それも間違いだったのか。一体全体、何をどうしたらいいか、迷い始めた。また、ひとりで、やり直すのか。他に方法はあるのか。そんな自問自答を繰り返しながら、時間だけが過ぎて行った。
三
その後のアキラに、精彩さが失われていったのは、言うまでもない。しかし、マジシャンになる夢は捨てきれず、日々のルーチンをこなしながら、週末は、やはり、人出でにぎわう街に出ては、練習したマジックを披露するが、気分的な落ち込みも手伝ってか、いよいよ、客離れが起きていた。周囲がにぎわう中、ひとり孤独にマジックをやっている心持は、更に、気分を滅入らせる。
(少し、休憩でもとるか。)
そう思ってアキラは、ベンチに腰かけた。秋の行楽日の遊園地は、とても賑わっていた。小さな子供を連れた家族連れや、若いカップルが、楽しそうに遊んでいた。そんな中で、ひとり、ベンチに佇む自分は、一体何をしようとしているのだろう。いっそ、夢などから、覚めて、まっとうな道を選ぼうかという考えすらも、頭をよぎる。いやいや、とかぶりを振りながら、
(期限を決めたじゃないか。それまでは、石に噛り付いても、諦めない。)
と、自分自身を再度奮い立たせ、そして、再度、マジックを始めた。そんな調子で、孤軍奮闘しながら、マジックを続ける中、夕刻間近に、ひとりの少女が現れた。親子連れでも無い、ひとりきりで、アキラのマジックを不思議そうに眺める少女。その少女は、アキラのマジックをただひたすら、その透き通った目で見つめていた。そんな観客を前にして、アキラは、つい言葉をかけたくなった。
「御嬢さん、おひとりかい?お父さん、お母さんはどこにいるの?」
「ここには、いない。」
そう一言だけ返答をして、じっと座り込んでいる。
「そうか。では、とにかく、お兄さんのマジックを見ていくかい?」
「うん。」
いくら、幼い少女とは言え、観客には違いない。久しぶりの感触に、悪い気はしなかった。しかし、夕暮れが近づいてきたため、
「そろそろ、家に帰った方がいい。きっとご両親も心配している。」とマジックを切り上げながら、少女に語りかけた。すると、その女の子は、
「大丈夫。私一人だから。」と、事もなげに言い放った。
「ひとりってどういうこと?」
「おじいちゃん、おばあちゃんに面倒はみてもらってはいるけれど、お父さんとお母さんは、事故でもう死んじゃっているの。」
アキラは、自分が尋ねてしまった問いに対しての後悔と共に、不謹慎ながら、共感する想いを抱かずにはいられなかった。
二人の間に沈黙の時が流れる。
「でも、今日のマジックは、これでおしまいだから、おじいちゃんおばあちゃんの家に帰ろう。一人で帰れるの?」
「うん、すぐ近くだから。」
そう言って、彼女は、言うが早いか、足早に夕闇の中に消えて行ってしまった。
四
あまりストイックにマジックばかりを追求するのも疲れるし、長続きしない。そんな時は、好きなランニングをすることにしていた。走っていると、心地よい風が体を通り抜け、頭も真っ白になり、様々な日常を忘れさせてくれた。たまには、こうして、自分を大事にする時間も必要である。そして、いつものように、予定されたコースを走り終えて、ストレッチ体操をしている時の事、いつしか、あの少女のことを思い返していた。
(あの幼さで、両親を失っているとはどういう感じなのだろう?本当は、あんな子にこそ、自分のマジックで喜ばせてあげたい。)
アキラは、そんなことを思いながら、自分のマジックへの取り組み方を考え直したりしていた。そもそも、俺は、何でマジシャンになんか、なりたいんだ?何度となく自問してきたことに答えようとした。本来は、好きで始めた事ではあったが、それ程大きな大志があったわけではない。好きな事を仕事にしたい。簡単に言えば、それだけのことかもしれない。では、いったい、マジックのどこが好きなのか。あの観客の驚く姿か、少女の存在が、アキラの心の根底に働きかけた。
(そうだ、折角、マジックをやるのであれば、それを観る人々の癒しであり、非日常空間を産み出すものでありたい。)
そんなことを考え始めていた。すると、いてもたってもいられなくなり、今日は予定に入っていなかったが、マジックをするために、ランニングを早々に切り上げ、いつもの練習に戻った。夢と言うよりは、現実に叶えたい目標が出来たとも言えた。いつもより、練習にも熱がこもり、あっという間に時間も過ぎて行った。
(また、あの少女にマジックを見せられるといいな。そして、喜んでもらえるなら、尚いいのだけれど。)そんな事を思いながら、その日は、床に就いた。
五
それ以来、毎週、少女と出会った遊園地の前で、マジックの披露を、アキラは繰り返した。。しかし、なかなか彼女が姿を見せることはなかった。ショーと言えるのか、アキラの熱のこもったマジックを観る客は、依然として、いない。孤独な演目が続く。
(一体、何が足りないというのだ。やはり、才能が無いのだろうか?)
そう自責するアキラの前に、ひっそりとあの少女が姿を現した。
「やぁ、久しぶり。あの時以来だね。また、今日もひとりかい?友達は?」
「作らないことにしているの。私、ひとりが好きだから。」
そう言うと、アキラのマジックを見たいとリクエストをしてきた。そんなオーダーを受けるのが初めてのアキラは、一瞬戸惑った。どんなマジックを見せたら、喜んでもらえるのであろうか?数少ないレパートリーの中から、即座に考えた。自信があったわけではないが、初の観客からの要望に応え、披露した。
すると、彼女に驚きの顔と笑みがこぼれた。それを観たアキラは、今まで感じたことのない幸福感に包まれた。
「すごい、一体、どうなっているの?」好奇の表情を浮かべる少女に、まんざらでもない様子のアキラ。マジックの醍醐味は、ここにあるのかもしれない。そんな初めて実感する気持ちに、素直に喜びを覚えた。マジシャンになりたいという想いを更に強くしたのも、この時であった。
「もし時間があったら、また、来週も来てくれるかい?実は、お兄さんもいつもひとりで、マジックをやっているんだ。」
「いいわよ。では、また来週。」
なんだか、年の差を超えて、ふたりの距離は縮まった気がした。なにしろ、ひとりで過ごすよりも、誰かと一緒にいられる方がいいに決まっている。そこに、何らかの繋がりがあるのであれば、尚のことである。マジックが引き寄せたそんな出会いにアキラは感謝した。
六
それからというもの、少女と言う観客を前に、毎週のようにアキラのマジックショーは、繰り広げられた。観客がいるということがどれほど演者を勇気づけるかわかならない。当然、普段の練習にも熱がこもり、いつしか、マジックそのものが面白くなってきた。
それから、どれ位であろう、少女という観客をひとり目の前にして、持てるマジックを繰り広げていると、程なく、人が集まり始めたのであった。これも初の体験であった。数人ではあったが、通りすがりの人々が、アキラのマジックを観るために、そこに立ち止まってくれた。アキラは、いつしか、自然体で、マジックを披露していた。観客もそれに呼応するように、愉しんでいた。初めて、演者と観客が一体となる時間を共有することが出来た。アキラも、この時間を愉しんだ。少女も笑ってくれている。こんなショーが、また、出来たらいいなと思いながら、至福の時が過ぎて行った。
六
それ以降も、少女は、あたかも付添い人のように、彼の元にマジックを観に来てくれた。そのことと同じくして、観客も一人増え、二人増えして、随分と、盛況なイベントと化していた。時には、アキラのショーに対して、お金を払う客まで出る有様である。これには、アキラも驚いたが、夢であった“マジシャンとして生計を立てる”という一歩を踏み出したとも言えた。
こうなると欲のひとつも出てくる。
(それにしても、あの少女のお蔭だな。あの子と出会ってから、全てが変わった。何とかして、あの子がいつもショーを見に来てくれるようにしたいものだが。一体どうしたものか。)そんな考えがアキラに浮かんだ。
彼女は、どんな理由があれ、好意で来てくれている。まさか、お金を払って、来てもらうわけにも行くまい。しかし、あの少女抜きにしては、大勢の観客を前にして、ショーをやり続ける自信は無い。いつしか、彼女が彼の心の支えとなっていった。
七
しかし、どういうわけか、それ以来、忽然と彼女は、姿を消した。あれ程、毎週のように来てくれていたマジックショーに一切現れなくなったのであった。それでも、アキラ目当てに、訪れる観客は減る様子も無く、いつの間にか、街の評判にまでなっていった。でも、なぜか、あの少女の姿を追ってしまうアキラ。
(一体、どうしたというのであろう。あんなに、自分のマジックを気に入ってくれていたのに。全く、不思議な少女であった。あたかもマジックの妖精かのような存在だったな。)
しかし、そんな疑問も、いつしか、時が経つにつれて、消えて行った。何せ、目の前に、観客がいる。もうひとりで演目をすることもないし、生計を立てるまではいかないが、お客さんが待ってくれている。そして、何より、自分のマジックを喜んでくれている。どうやら、少女というひとりの観客を喜ばす一心で取り組んでいるうちに、いつしか、アキラのマジックに磨きがかかっていたようだ。彼は、望んでいた師をいつの間にか、得ていたのかもしれない。よもや、あんな幼い娘から、一番大切なものを教えてもらうなんて、まさに、夢にも思わなかった。
アキラは、今日も、マジックを続けている。締め切りの誕生日が来た時、やはり、マジシャンになる道を選択した。そう、あの時、あの少女が教えてくれた、人を悦ばす事の幸せを胸に、これからも、マジシャンの階段を登り続けて行こうと決めたのであった。
(完)
マジシャン