僕らの手紙
カーテンから指し込むオレンジ色の光が一文をなぞる。その流れに僕は指を滑らせ、言葉に起こす。
「世の中の事は何でも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない――」
静まり返った図書室に、僕の声は誰に届くこともなく溶けて消えた。
僕は項の狭間に埋められた一枚の小さな紙を抜き、そっと音を立てずに本を閉じる。
はみ出すことなく綺麗に二つ折りされていた、誰かからのメッセージ。幾度となく繰り返されたやり取りは幸福な日の連続だったのだろうか。顔の見えない誰かに僕は心の中で質問する。答えが返ってくることはない。それでもこのページに手紙は挟まれていた。その事実に、僕は思い、巡らせなければいけない。そうすることで、初めて手紙を開く意味が僕の中に生まれる。
手紙には、流麗にそれでいて鋭利に、機械的な美しさでただ一文こう書かれていた。
それは優しさですか
僕は手紙を手にしたまま近くの椅子へ腰かける。それを机に広げ書かれた言葉を数回、黙読した。
幸福な日々とは何だろうか。有体に言えばそれを日常と説く人もいる。挑戦者であれば、未知への踏破と叫ぶ人もいる。純粋に、生きていることそのものだと訴える人もいる。
思い思いの想像を捻りだすも、どれもしっくりくるものではなかった。
僕は半ば机を舞台に考える人になっていた。水平思考が幾重にも絡まり合い、脳を束縛してしまう。答えに近づいているのか、遠ざかっているのか。自身が発せなければならないはずの言葉が、形を成すことなく泡沫となってどこかへと飛んで弾ける。
腕を組み、背を反らす。二本足の椅子は絶妙のバランスを維持しつつ、二拍子のメトロノームを刻む。
一定のリズムが僕の身体を揺らし、混ぜ合わせになった思考がシェイクされる。汚泥から這いずり出した先に、地平線が広がる、そんな風景が心にいま描かれていた。小学生の頃、初めて割り算を理解したときのような晴れ晴れとしたあの感覚に、どこか似ている気がした。
「分かち合う、か」
僕はそう小さく呟き、胸ポケットに指したペンを右手に持つ。手紙を裏返し、表に書かれた文字に合わせて、一文を書き添える。
優しさだと思います。
僕は立ち上がる。椅子と床の擦れる音が図書室に響いた。
はみ出すことなく二つ折りにした手紙を右手の中に、カウンターへと歩を進める。
「これ、お願いします」
向こう側に座る誰かは手紙を受け取り、頭を下げる。
一礼を返し、僕は図書室を後にした。
僕らの手紙