3.メロンパン争奪戦
メロンパン争奪戦:決戦の前編
――決戦の幕は切って落とされた。
喧騒と、視線の中、両者相対す。
俺達の一挙一動にどよめくギャラリー。
そう、これは決戦。
倒すべき相手は。討つべき相手は、黒髪ポニーテールのあいつだ。
これはとある昼休みの決戦の話。
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黒髪のポニーテールを持つ、無表情が板についた女。伊藤舞子。別名、冷徹の狩人。理由は後述で説明する。
奴は、一週間に二度、購買部に降りてくる。一学年下の女の子。
狙いはもちろん、この学校で一番美味なメロンパン。
この貴重なメロンパンは人気商品のため、一週間に二度しか購買部に並ばない。
そんな購買部に並ぶ、貴重なメロンパンには三つのランクがある。
まずはBランク。当然美味なスタンダード。
そしてAランク。まろやかな舌触りと、ふんわりとした甘さとメロンの香りが人気の上物。
これらは早いもの勝ちで手に入れられる。
俺の狙い、今回の入荷で一番うまくできたと制作者がマークした、Sランク。
このSランクはもはや言葉で言い表せないほどの超絶美味なため、B、Aランクとは比にならないほど購入者が殺到する。
購入者に対してSランクはたったの一つ。
そして、Sランクの購入の権利を決めるのは、じゃんけん。
この購入じゃんけんと呼ばれるじゃんけんは予選と、本戦に分けられる。
予選では購買部のおばちゃんVS購入希望者全員でじゃんけんをする。
お立ち台にのったおばちゃんが出す手に勝った者のみが生き残り、十人以下まで減ったところで本戦突入。
本戦はトーナメント制で、残った十人以下で、一対一でじゃんけんをしていくのがこの学校のしきたりだ。
奇数になった場合は購買部のおばちゃんの一人が参戦するシステムだ。
俺はこの一年間、じゃんけん王と呼ばれていた。
相手の心理、仕草、動きなどから次の手を予測、相手の手を完全に読み込むために、時には話術も使って勝利をもぎ取る。
俺の予測はほぼ確実で、揺るぎない。
そんな俺の去年一年間の戦績は九十九%。まさに右に出るものがない、敵無し無敵の無双状態。のはずだった。
それはもはや古き情報で、今年の四月にこの女が入学してきたことにより、じゃんけん王の座は打ち崩されていた。
伊藤舞子。奴は、あの無表情の整った顔の、いわゆる美人の顔の下に驚くほどの凶暴性を内包していた。
あの女は、異常とも言える精密さで、次の手を読んでくる。
どんな揺さぶりも心理戦も、奴の前では無力。
当然、ただ一度の敗北も、ただ一度の脱落もない。
無表情で淡々とじゃんけんをし、Sランクを当たり前のように毎回狩っていくその様は、いつしかこの購買部で「冷徹の狩人」とまことしやかにささやかれるに至っていた。
「今回はお前を下すぜ、伊藤舞子」
俺は堂々と啖呵を切る。
「うん」
対して無表情、今回もまた動揺すら見せない。
しばし静寂が訪れ、睨み合う。
空気、流れ、……まだだ。
まだどっちにも傾いていない。
そして、俺はここで少しゆさぶりを入れる。
「俺はグーを出すぜ」
心理戦。いつものように心理戦に持ち込む。
グーを出すと宣言することによって相手の手に読みをさせる技法だ。
俺が本当にグーを出すと信じ、パーを出してきた相手を、チョキで狩ると見せかけて、パーを出すと見せかけて、グーを出すところを、あえてパーを出したいところだが、苦 肉の策でチョキと言いたいところを、ここはグーだ。
ロジックとしてはこうだ。
俺:グー
相手:宣言を信じてパー
俺:宣言を信じると読んでチョキ
相手:俺の読みのチョキを打ち破るためのグー
俺:打ち破ることすら想定してパー
相手:そのパーを読みきってのチョキ
俺:そのチョキを破壊するためのグー
相手:チョキを破壊しようと狙ってきたところをパーで仕留める
俺:仕留めることすら想定済みでチョキで切り崩す
相手:切り崩させることをも考慮して勝負のグー
俺:勝負を仕掛けることを予測し、華麗にパー
相手:パーがくることを完全に読み切り、チョキ
俺:相手の深い思考をすべて攻略し、読み勝ちのグー
これで裏の裏の裏の裏の裏以上のすべてを読みきった俺の勝利が確定する。
今回はもらった。いつもの数手先まで思考した。
完全に読み勝った。読みの正否は今はわからない。
だが、こういうものは気持ちが大切なのだ。勝ったという気持ちが大切なのだ。勝ったという確信が大切なのだ。
そういった内面をあえて外に出すことで、相手を心理的に追い詰めることができる。
脱力。
脱力だ。
俺は呼吸と共に、体の内の力を吐き出す。
そして、完全にリラックス。
だがあの女は、動じない。
どこををどう見ても落ち着いている俺を見ても、あの女は動じない。
さすがだな冷徹の狩人。
だが俺は――
「それなら、私はパーを出すよ」
何ィィィイい!!?
あろうことか宣言だと…!?
嘘だろ。なんてこった。なんてこったい。
こんなことは初めてだ。
奴が、奴が宣言。
いつもは無言で、こっちの観察をするだけなのに。
いやまて、落ち着け、落ち着け俺。これは罠だ。いつもどおりの罠だ。
ここでパーを狩りに来たチョキを出した俺を狩るため、奴の手はグーだ。
だがこれでも足りない。グーを倒しに来た俺のパーをさらに上回ってくる。なので、奴の手はチョキだ。
…だがまて、本当か? …本当にチョキを出すのか?
そんな安直ではあるまい。
チョキを出したら…勝ち。いやまて、奴はあいこに持ち込もうとしているのか?
俺の醸しだす余裕に、いつもとは違うオーラを感じ取り、一度この心理戦を白紙に戻すため、あいこに持ち込む気ではないか?
なるほど、そうなると、チョキをだしてくると見せかけてパーを出してくる。
なので俺の手はチョキしかありえない!!
……
…………
いや、ありえない。奴はそれ以上の読みを見せることは確かだ。
パーを出すと見せかけてのグーだ。
なぜなら、俺はチョキを出そうとしたからだ。その俺自慢のチョキを壊しにグーを出してくる。
…だがこれも読まれている。間違いない。
奴はグーを出してくる。そしてパーを出すのは俺。
だがここはチョキを出すのが良いはずだ。
だが奴は冷徹の狩人。まちがいなくそのチョキを破壊するグーを出してくる。
冷徹に。冷酷に。
ここは心理戦を一度抜け出すか?
ここでグーを出してくる奴の読みをリセットすることも含め、俺はグーを出すべきだ。
安易にチョキを出して、その読みを上回られていた場合、俺・チョキ、相手・グー、で敗北不可避。
だが、俺・グー、相手・グー、であいこにもちこめる。
それに、奴がなにを思ったか、チョキを出してきた場合、グーで勝ちが決まる。
完璧だな。ああ、完璧だ。
穴がひとつも見当たらない。穴という穴がひとつもない。
俺はニヤリと笑ってみせる。揺さぶりだ。
だが、だが尚も、尚も奴の無表情は崩れない。当然だ。
当然、奴は確信している。揺るぎなき自らの勝利を。
奴の頭の中では勝利のファンファーレがいつものように鳴り響いている。
奴の頭の中は勝利のみ。
なぜなら俺のチョキを迎撃するためにグーを出す。そういう勝利を確信しているからだ。
だが、今回、その勝利をも上回るのはもちろん俺。
俺には勝利への確信に加え、勝利への執念がある。
超えてみせよう。冷徹の狩人よ。
じゃんけん王と呼ばれた俺の実力。
その恐ろしさ。その獰猛さ。
そろそろ見ていくがいい。
勝つのは、勝利を手にするのは。
より強き信念を持つ者だ。
「よーし始めるよ!」
おばちゃんのよく通る声が鳴り響く。
静止
残響
静寂
鎮静
そして音が消えた。
後に残るは、自らの思考のみ。
「じゃんけん!」
音が爆発した。
声だ。戦いの火蓋が落とされる声だ。
見える。俺には見える。光の筋。
光の道。この道。
これは勝利。
これは勝利への導。
聞こえるぞ。今揺るぎなき、喝采が。
見えるぞ。絶対不動の、真の勝利が。
俺と同じ勝負師のお前にも、同じビジョンが見えているのだろう。
わかる。わかるぞ。手に取るように。
だが俺は違う。俺はさらにその先まで見据えている。
鳴り響くは俺への歓声。
俺が手にするは、完成されし、至高のメロンパン。
それがしっかりくっきりと見えている。この俺に勝利は訪れる!!!!
「ポン!」
次の音が炸裂した。
刹那、再び確信。
―――勝った。
メロンパン争奪戦:咆哮の後編
時計の時刻は昼休み終盤を指し示していた。
生徒がたくさん存在するとある教室の一角に、二人の女子生徒が椅子に座っていた。
二人の生徒は一つの机を共有しあい、向かい合っていた。
自分の椅子を後ろの席の机に向け、座っているのは茶髪のショートカットの女の子で、向かい合うその机の主は黒髪のポニーテールの女の子だ。
「今回もメロンパン手に入れたんだねー」
茶髪のショートカットの女の子、伊東未来、通称みっちゃんが軽い調子で聞く。
「うん、今回も結構楽に勝ったよ」
それに答えるは黒髪のポニーテールの女の子、伊藤舞子、通称まいこだ。
「ああ! いつもの宣言してくれたんだね!」
「うん、今日はグーだった」
まいこは戦利品のメロンパンの包みを開けながら答えた。
「なんで宣言するんだろ。不利じゃん!」
「うん、さすがに毎回毎回、宣言通りに出されて、それで勝ってばかりじゃ悪いからこっちも宣言してみたよ」
「なんて?」
「うん、『じゃあこっちはパーを出すよ』って」
「それでそれで?」
「宣言通りに勝っちゃった」
「ほえー」
これで何度目かも覚えてないので、みっちゃんはいつもとおなじく適当に驚いてみせる。
「なんだろ、優しいよね。ほんとに」
「それ、それあれなんじゃない! まいこ!」
まいこの声を遮りつつ、急に立ち上がるみっちゃん。
教室はざわついている。みっちゃんが立ち上がったことに気にする者はいなかった。
「え? 何、なんで急に立ち上がるのみっちゃん」
まいこはメロンパンの包をあける作業をストップして急に立ち上がるみっちゃんを見上げる。
「そう恋! 恋だよ!! 先輩はまいこに恋をしているんだよ!」
「ちょっとやめて、メロンパンが落ちる」
机をばんばんと叩きながら興奮するみっちゃんをなだめつつ。
「えー…そんなの正直困るよ…」
メロンパンを両手で大事に押さえ、本気で困った顔をするまいこ。
「うん! うんうん! こっちからも答えないとね!」
「いや、いやいやいや、私、答えるつもりないから、みっちゃん。っていうか知ってて言ってるよね」
みっちゃんのいつもどおりの調子の奇行に半ば呆れつつ、メロンパンを開封する。
「先輩が宣言したじゃんけんに負けるように出せばいいんだよ! そうすれば先輩も初勝利でまいこの優しさにキュンときて…!!」
「……あの」
「そうと決まれば決定だね! 次は金曜日だから!」
「いや、ほんとにそういうのいいよいいよ。彼氏とか、そういうのいらない」
「うーん、でも、そろそろ先輩に勝たせてあげないとかわいそうだよ」
「……それは私も思う。いっそのことじゃんけん参加やめてみようかな?」
まいこが提案する。確かに、やめてしまえば勝つことはない。
「それはだめ!!!!!」
だが、それをみっちゃんは許すはずもなく、声を荒げ、再び机を叩く。
教室は騒がしく、誰もそれを気にしない。
「…なんで?」
開封したメロンパンをしっかりと手に持ち、恐る恐る一応聞くまいこ。
「……」
みっちゃんは答えない。
「何急に黙って。どうしたの?」
「……」
みっちゃんは答えない。
「お腹壊した? 変なもの食べた?」
「…………」
みっちゃんは――「まいこ!」
再び叫んだ。
「…何?」
とっさにメロンパンを高く持ち上げつつ、まいこは返事をする。机は叩かれなかった。
「一口ちょうだい!」
というなり、返事も待たず、顔の下あたりまで持ち上げられたメロンパンを咄嗟に一口。
「うん、いいよ」「んっっっ!!! まっっああああ!!!」
まいこの返事は同時に発せられたみっちゃんの高い声にかき消された。
「びっくりした」
そして慌ててメロンパンを体の近くに寄せる。
「そう! そうなんだ! まいこがじゃんけん参加やめたら! 私が一口食べられなくなるよ!」
「…みっちゃんも参加したら?」
そう言うと、いただきます、と小さくつぶやきつつ、メロンパンを小さく食べる。
「たまに参加してるけど予選落ちだよ!?」
「ああ…そう…」
「だから! 一回ぐらいなら我慢するから先輩に勝たせてあげようよ。じゃんけんで!」
右手でグーの形を作り、力強く大きな声で提案する。
「うん、じゃあ次は、先輩が言った手に負けるように出すことにするね。今日みたいにグーで宣言されたら、ちゃんとチョキを出して負けてあげることにするよ」
と言うまいこの言葉を聞き、みっちゃんは座る。
そして、先ほどとは打って変わって冷静な声で、
「というか。ねぇまいこ」
些細なことを聞く。
「ん? 何?」
「予選はどうやって勝ってるの?」
「運」
即答した。そして、沈黙が流れ―
「あ、そうなんだ」
みっちゃんの声は騒がしい教室に消えた。
**********
「おーい竜太。お前また負けたのかー」
将棋部、と書かれている教室に一人の活発そうな黒髪のミディアムロングの女子生徒が入室した。
「ありえないありえないありえないありえないぃぃい…」
そんなことは気にせず、黒縁のメガネをかけた短髪の男子生徒、北川竜太、旧じゃんけん王が教室の片隅で地べたに座り、頭を抱えていた。
「この大親友、西野大河様がお主、北川竜太に助言を授けよう!」
と西野は胸を張る。
「……。…無い胸を張るな。見苦しいぞ」
目に涙を浮かべた顔を上げ、冷静に先ほどの見苦しい行動に苦言を呈する。
「…なんか言ったか?」
大河が旧じゃんけん王と同じ高さまでしゃがみ、無駄のない動きですかさず、その涙目の不幸面の耳を軽くつねる。
「やめて、痛い。ごめんなさいごめんなさい。俺が悪かったですマジでもう言いません早く助言下さい」
「ふむ、では助言を授けよう」
早すぎるギブアップ宣言を受け、立ち上がった大河は身を翻し、華麗にターン。
「はい…」
「まずは…、竜太は今まで全部結局宣言通り出してんのよ」
人差し指を立てながらうろうろと歩く。
「は?」
「いや、『俺はグーを出すぜ!』とかなんとか宣言してるけど、あれ全部結局宣言通りの手を出してんのよね」
「ウッソ、バカな。嘘だろ。冗談だろオイ…。だとすれば勝つの簡単じゃねえか…?」
旧じゃんけん王は驚愕の事実に思わず立ち上がる。
「そうだよ! 勝つの簡単なんだよ! ヨユーだよ!」
「つまりなんだ、次からは…」
「ご名答。さすがにご聡明だな。そう、次からは宣言した手に勝つ手を出せばいいんだ」
立てた人差し指を大河は自らの眉間にまで持って行き、前髪を払う。
「え? "宣言した手"に"勝つ手"に"勝つ手"じゃだめなのか? 宣言がグーなら、相手はパーを出してくるはず。それに勝つためのチョキじゃだめなのか?」
「ああ、竜太は甘いな。チョキを出すとしよう。確かにチョキを出すとパーには勝てる。だが、相手もバカじゃない。そろそろ宣言に気づいてるはずだ。今日の逆宣言だって、ただの挑発だろう」
「なんだと…!?」
声を荒らげた旧じゃんけん王の瞳に少し生気が戻った気がした。
「だから次からはそのチョキを狩るためにグーを出してくる。これはほぼ間違いない」
「よく考えてみ。竜太ならそうするだろ?」
「…たしかに…!」
斜め下をみつつ、大きくリアクション。
そして、何故気づかなかったのかと、言わんばかりの顔を上げた。
「つまりだ、そのグーを出すために竜太はパー、つまりは自分で宣言した手に勝つ手を出すべきなんだ!」
右手の親指と人差指を立て、銃の形を作り、晴天広がる窓へと向けて叫ぶ。
「……一度の勝利が目的なら、それが必勝法!」
拳を握りしめ、窓へと向け、旧じゃんけん王は同じく晴天に叫ぶ。
「竜太なら、勝てる勝てる!」
大河は手をあげ、自分より少し背の高い旧じゃんけん王の背中を強く叩く。
「…ああ! さすが幼なじみ! 勝つぜ! 俺は!!」
旧じゃんけん王の瞳には完全に闘志が戻っていた。
そして。
「俺は、勝ァつ!!!!」
旧じゃんけん王の力強い意気込みは、静かな教室に反響したあと、すぐに晴天へ吸い込まれた。
3.メロンパン争奪戦