朝露の夢
貴方はバニッシング・ツインという言葉をしっていますか
夢の中で、懐かしいひとにあった
人は、必ず睡眠を摂る。人だけではない、魚も、動物も、この世では草木すら眠るのだ。その時間がある人にとっては休息であり、心の癒しであり、かけがいのない時間なのだ。
その中で人間は毎日必ず夢を見る。それが覚えているにしろ、覚えていないにしろ。私は結構朝起きたとき夢を覚えているほうで、よく友達に羨ましがられる。夢なんて見ても何の足しにもならないじゃない、と私は必ず返すのだが、羨ましいがられる理由のひとつに私の夢がすこし特殊だという部分がある。
私の夢はひとつの「物語」いや、「世界」としてなりたっているのだ。
例えばある廃墟ビルの間取り図を私はするする書ける。けれどそれは「この世には」実在しないビルである。「私の夢の中」にある廃墟ビル群なのだ。頻度は一週間に一回くらいのペースでその廃ビル群の一部が現れる。廃ビルは人一人が通れるような隙間に飲み屋が固まってあったり、うさぎが噴水で飛び跳ねていたり設定がめちゃくちゃだ。
でも、夢ではそんなことは関係ない。私は空だって飛べるし魔法みたいなものだってつかえる、本当に夢みたいな世界だ。まあ夢なのだから言ってもしょうがないけど。
今日も夢を見た。私はまっしろな砂漠を素足で歩いていて、砂のさらさらとした感触が足の裏につめたくきもちよかった。隣を顔が見えない誰かが歩いている。
「百合をみにいこう」
その人はそういって私のワンピースのすそをつまんで、ゆっくり歩いていく。
この人は誰なのだろう、どこか懐かしい声なのに、思い出せない。私の視線はなぜか足元に固定されていて顔をあげることができない。思い出すと砂漠に百合なんてあるものか、と思うけど、私はその時ちっともふしぎじゃなかった。ただその人にワンピースのすそをつままれながら、ゆっくり足裏でさらさらとしたまっしろい砂の感触をたしかめていた。
「ついたよ」
そういった彼に気がつくと私の足元に何輪か白百合が朝露をたたえてそこにあった。昔、読んだ小説のように私は白百合のひとつに近づくとゆっくりとその花弁にキスをした。花弁はつめたくぬれていた。
「ふしぎね、あなたは何回も私の夢に出てくるのに顔がみえないの」
私は彼にそういった。
「夢なんてそんなものさ。所詮、都合よくしか世界はできていない」
彼の声はいつもやさしくて懐かしい。遠い昔どこかで聞いたことのある声だ。
「貴方は一体誰なの」
「それは」
…目が覚めた。寝起きの瞬間くちびるがまるで朝露で潤っているように思えた。
あの人は、彼は一体何者なんだろうか。
「それってさ、守護霊みたいなのじゃない」
ドトールで美帆はココアを飲みながらそう言った。
「そんな、まさか。こんな頻繁に出てくる守護霊なんて聞いたことないわ」
私はモンブランにゆっくりフォークを刺す。ゆっくり、タルト生地がこなごなになってしまわないように。
だよねー。美帆はそういいながらミルクレープにやさしくフォークを刺す。
私は美帆のこういうある種の適当さ、というかあっけらかんとしてサバサバしているところがすきだ。
「けれどね、私その人にあったことがある気がするの、現実で」
そう、急にノスタルジックになって懐かしさにとらわれる感覚。誰かも知らない誰かにずっと会いたいような感覚。彼にあうたびに私のその感覚は日に日に増していった。
美帆と別れてから私はシャンプーの買い置きがない事に気づいて帰る途中、ドラッグストアに寄った。薬剤師らしきおじさんがいらっしゃいませ、と覇気のない声で私に一瞥もくれずに淡々とレジ打ちをしてくれた。
私は彼の正体を知っているのだろうか。ひどく懐かしい、けれども会ったことのある、彼に。
今日ばかりは寝る前に彼のことを考えた。もし夢であえたなら何を話そう、そんなくだらないことを考えながら。
草原の真っ只中に私はいた。サンダル履きの足に草露がきもちいい。
「こっちへおいで」
誰かが私を呼んでいる。
「さあこっちへ」
体が軽い。私は少女のように駆け出す。声のする方へ。
大きな木下に一人青年がいる。顔が、彼の顔が見える。
「よくきたね」
彼の顔は私と瓜二つだった。私に兄弟がいたならきっとこんな顔をしていただろう。
「あなたは誰なの?」
「バニッシング・ツインって知っているかい?」
彼は私の質問に質問で返す。
「人はみな細胞分裂の過程で双子になるそうだ、そうして生まれてくるのが一人なのは片方が成長の過程でもう片方に吸収されるからだ」
「貴方は私のバニッシング・ツインなの?」
「さあ、これは夢だからね」
彼の手には葉っぱが二枚握られている。
「片方は吹き飛ばされ、片方が残った。その結果が僕たちなのかもしれない」
「じゃあ貴方は私の」
…夢を見ていた気がする懐かしい、悲しい夢を。
カーテンを開けると五月の広葉樹の青々とした葉が目に付く。
「片方がとばされ、片方が残った」
そういって私はもう一度眠ったが、二度と彼に会うことはなかった。
五月の広葉樹はさらさらと風に靡いていた。
朝露の夢