猫を連れた生徒

猫を連れた生徒

 春を迎えた沢野宮中学校は、入学式が行われた。八重樫東吾も晴れて三年に進級し、三年A組の生徒として、清掃されたばかりの教室へ足を踏み入れた。東吾は既に教室にいた数名のクラスメイトたちと、春休みの話や少し進路の話を交えて軽く談話をする。そうした時間を過ごしていると、海江田南が入室するのを、東吾やクラスメイトが皆横目で見ていた。
 南が不思議な問題を抱える生徒である事を、三年A組の全員は知っている。そう、東吾も例外ではなかった。
 南の足元を見れば、一匹の猫がいた。猫はくるりと彼の足元の周りを歩いたかと思えば、足首に寄り添うように座り、満足そうに尻尾を揺らしている。
 南の抱える問題とは、南がいればそこに猫がいる事だ。
 南は顔色ひとつも変えずに、足元で寛いでいる猫を抱きかかえ、猫と一緒に教室を出た。すると教室中は、しんと静かになったかと思えば、あっという間に話し声でいっぱいになる。ただ、東吾の耳には、教室中の話題が南に関しての内容に変わった事を聞き逃さなかった。
「海江田とにゃんこって本当コントみたいだよな」
「一緒のクラスかよ、一年に変な目で教室とか見られるのかな」
 背後から聞こえるクラスメイトの会話に、東吾は深呼吸をするふりをしながら溜息を吐いた。
 このような話題に関しては、東吾は毎年耳にしている。というのも、東吾は南とは幼稚園の頃から今の三年A組まで同じクラスなのだ。幼稚園児の頃の南は周囲の園児に、猫を一杯連れて怖いと恐れられていたのを今でも覚えている。当然、その当時の東吾も、猫を連れていた南に恐怖を抱いていたが、今の南はクラスメイトの笑い者か不気味な存在として見られているなと、南の席を見ながら思った。

 入学式が始まる前から静かだった一年生たちの教室は、今は新入生と部活勧誘に訪れた部長たちで賑わっている。
 東吾は野球部に所属しているが、部長ではない為、ホームルームまでの空き時間をただ座って過ごしていた。部長からも勧誘の手伝いにこえをかけられてはいたが——、
「東吾、お前もエースとして勧誘に来て欲しいけどさ」
 東吾は入学式が終わってすぐ、クラスメイトと教室に戻ろうとしたところを、部長の村上に話しかけられた。部活の勧誘のことだと思い出した東吾だが、やんわりと断った。
「俺はそういうの苦手だし、一年の指導メニューとか考えとくからさ」
 村上は不満そうに顔を歪めるが、すぐに苦笑いして、そうかと頷いた。ぞろぞろ部員が勧誘してもアレだからな、と一人で納得していた。そして村上は部活勧誘の時刻を思い出し、慌てて一年生の教室へ走る。そんな村上を見送った東吾は、誰もいなくなった廊下を歩いて教室へ戻った。
——この部の成績は優秀とは言えず、去年も一昨年も県大会で敗退して終わった。東吾は例え部長になったとしても、そんな部に胸を張って勧誘できるとは思えなかった。


 静かな教室を見渡しても、よく話すクラスメイトは勧誘でいない。退屈だと思い東吾は立ち上がって、教室内に備えられた本棚に足を運んだ。
――本は図書室や家などにもあるのに、たまには利用するのもいい。
 東吾は、本棚に並ぶタイトルを眺めていた。出身地だからか、宮沢賢治作の本ばかりが並んでいた。他の本を見れば、思ったよりも新しいタイトルが数点あり、東吾は店頭で見たことのある本を手に取った。
 席に戻ろうと振り返れば、目の前に南がいた。
 東吾は思わず声を出しそうになったが、息を吸い込むだけに留め、南の手に本があるのを目にした。
「悪い、邪魔した」
 無言で頭を下げて、その場を去れば良かったと、内心後悔をした東吾だが、南は短く首を振る。東吾はそそくさと席に戻り、手に取った本を読んだ。
——吸血鬼が犯人の殺人事件はなんともいえない。
 東吾は手に取った本を面白くなさそうに読んでいた。その本は、吸血鬼による殺人事件が描かれたサスペンス小説だった。話中の人物が誰が吸血鬼なのかと慌てふためく様に、東吾は実在しないものに恐れるなんてくだらないと思った。このまま読もうか止めようかと迷っているうちに、校内の放送ベルがホームルーム前を知らせた。
 無性につまらない思いをした東吾は、席を外して多少乱暴に本を棚に戻した。
 席に戻ろうと振り返れば、南と目が合った。南はすぐ黒板を眺めたが、彼の顔が少し笑っていたのを東吾は見逃さなかった。
——あいつもあの本を読んだのか?
 東吾はわけがわからず、頭を抱えたい思いを抑え、南の笑みの意味を暫し考えさせられるハメになったのだ。

           *   *   *

 放課後の部活が終われば、東吾は学校を後にし、帰宅途中のシャッター街を歩いていた。
 この地域は高齢化と過疎地域傾向の影響なのか、今の時間は婦人向けのファッションショップや手芸店ぐらいしか開店していない。カラオケボックスも古い建物でも照明は点いているが、近くの学校の学生が利用しているのかどうかは東吾にはわからない。
 そんなシャッター街を抜けると、薬局やスナックなど、いくつかの店舗の光が見えるところで、東吾は足を止めた。

 にゃあ、にゃあ、にゃあ。
 猫の鳴き声が聞こえる。

 にゃあ。にゃあ。にゃあ。
 東吾の目の前には、鳴き声を出す者の姿は見えない。

 にゃあ。にゃあ。にゃあ。
 スナックのある建物の向こう側に、姿はあるんだろうか。

 にゃあ。にゃあ。にゃあ。
 止まない鳴き声に対して東吾は、聞こえないフリをして、そのまま通り過ぎようか考えていた。それは、鳴き声を出す者については東吾には検討がついていたからだ。
町の隙間から見える地上線から放つ微かな光が、夜空を赤く彩る。その景色は小説よりもリアルなのに不気味だと、東吾は鳴き声を聞きながら思った。
 東吾は目の前のスナックの看板まで歩き、そしてもう一歩進んで建物の影を睨む。すると、影の中には六、七匹ほどの猫たちに囲まれている南がいた。南は東吾と目があった瞬間、大きく見開いて、すぐに気まずそうな顔をしながら目をそらした。
「南、そんなとこでどうしたんだ?」
 東吾は南にそう尋ねると、南は少し考えて、ようやく口を開いた。
「買い物をしようとしたら、猫に囲まれてしまって」
——やっぱり。
 南は昔から、外にいれば猫に囲まれていたから、こんな事は日常茶飯事だった。東吾もすぐに納得をして、南の格好を見渡す。黒いシャツに青いジーンズで、ジーンズのポケットの膨らみは財布が入っているだろうか、南がしまったと思い口を開こうとしたところで、東吾はわかったと一言呟いて、南に目を向ける。
「ここで待ってろ、どうせ近くの薬局だろ?」
 南は微かに肩を震わせて、小さく頷いた。遠慮がちな反応に東吾は気にしないようだったが、南は小さな声を出す。
「いいよ、俺……」
「たまたまだし、ついでだからいいんだよ」
「わかった」
 東吾の即答に南は観念したのか、財布から出した五千円札を東吾に差し出す。東吾は南の信頼を感じながら五千円札を受け取る。俺が出した分を払えばいい、と言いだす東吾に南は、細かいものがないから、と返す。二人の足元にいる猫たちは、東吾に全く興味が無い。猫たちが南を見つめていたのを呆れたように見ながら、東吾は猫たちを避けながら薬局へ歩き出すのだった。
 東吾は薬局に入り、南に頼まれた目薬と風邪薬を購入した。レジで受け取った釣銭とレシートを上着のポケットに入れ、薬局から出る。星の無い夜空が町を包み、道路に並ぶ車の列がライトをまぶしく照らしている。そんなコントラストの強い街を歩く東吾は、南の事を思い浮かぶ。
――一緒に薬局の前まで歩けば良かったか。
 東吾は迷っている。人気のないところで南を置いて良かったのか、せめて薬局前まで南を連れて行くか、考えていた。横を通り過ぎる車の走る音を聞く度に、胸を削られるような思いをする。東吾は困っていた南に対し、どう対応すればいいのかわからないまま、咄嗟に薬を代わりに買う事を提案したのだ。
 その対応が、東吾自身と南にとって正しい事なのかは、このおつかいを終えてから考える事にしようと、東吾は考えた。


 スナックの看板の光が見える。その建物の影まで歩くと、
「うわっ」
 足元にいる、目をぎらぎらと光らせた猫と目があった。
 顔を見上げると、南が申し訳なさそうに東吾を見ていた。
「ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ」
「なんか、いろいろと、本当に、ごめん」
「別に、俺も薬局までお前と一緒に行けば良かったか、考えてた」
「東吾は気にしなくていい……」
 東吾は手に持った手提げ袋を、南に差し出した。
 南は驚いた様子で、手提げ袋を受け取った。袋に手を入れて、目薬と風邪薬があることを確認してから、東吾に頭を下げる。
「ありがとう」
「別に、あと釣銭も」
 東吾は上着のポケットから、釣銭とレシートを取り出して、南に渡す。それを南は、両手で受け取った。
「まるまるポッケに詰め込んだけど、もし釣りが足りなかったら言えよ」
「東吾って本当、いいやつだよな」
「うっせ」
 東吾は夜で良かったと思った。
 南も同じように、夜で良かったと思った。
 たまたま通り過ぎた車の一瞬のライトが、二人の赤い顔を照らしていた。

           *   *   *

「南はいつも猫を家に招いているのか?」
「ううん」
「家に着く前のギリギリの所から走って、猫をまく」
「猫も足が速いだろ」
「それぐらいしか浮かばなくて」
「疲れるだろうな」
 東吾と南は足元にいる猫たちと一緒に、家へ向かって商店街を歩いていた。道路を走る車は多いが、商店街でも人通りは少ない。
 こんな他愛のない会話も、もしかしたらこの時間だけだと、東吾は思った。
 学校での南は、学校中に猫に囲まれた変な奴と扱われている。学校での東吾も、南を変な奴と扱う一人として生活している。生徒と生徒とは違った、それぞれのロール(役者)をあてはめられた学校生活に、東吾は窮屈で苦痛と感じていた。
 今、南と歩いている時間が、もしかしたらロールから外れた、何の役割もない生徒同士なのだと東吾は思った。
「東吾は、あの本初めて読んだの?」
「あの本?」
 南は突然そう言うと、東吾はしばらく考えてから、今日の学校の出来事を思い出した。
「吸血鬼が犯人の本か。というかあの時お前、俺を見てニヤニヤしてたろ」
「だって、あれを読んでつまんなそうにしてた東吾が面白かったんだ」
 東吾は空を見上げ、あー、と息を吐き出しながら気怠い声を出した。
「俺も読んで暇つぶしになったけど、東吾にはつまんないジャンルなんだな」
「もう今度から本を持ってくる」
「そうした方がいいよ。先生の趣味と適当な本しか並んでないから、東吾にはつまんないと思う」

猫を連れた生徒

初めて文章を書きました。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

猫を連れた生徒

猫に異常に好かれる男子学生とクラスメイトの話。tumblrにて連載投稿しているオリジナルシリーズ「東に猫」です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-25

Copyrighted
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