黒シンデレラ ~Another Route~
第三章の途中までは『黒シンデレラ』(http://slib.net/23787)と同じです。
第一章「かわいそうなシンデレラ」
むかしむかし、トレメイン家のお屋敷に、シンデレラという少女がいた。彼女は意地悪な継母とその連れ子たちに、使用人のごとき扱いをされていた。そのことに、彼女の父も気付いてはいたようだが、何かをしてくれるということもなく、彼女はそんな辛い環境で長らく過ごしていた。彼女は元来、明るく優しい少女だった。だが、過酷な環境に耐え切れず、彼女は昔とすっかり変わってしまった。性格が、歪んでしまったのである。
「シンデレラアアアアアアアアア!!ここの手すりにホコリが付いていましてよ!?」
継母の連れ子にしてこのお屋敷の長女であるドリゼラが、シンデレラを怒鳴りつける。
「申し訳ございません。直ちに綺麗にさせていただきます」
すぐさまシンデレラは謝罪し、バケツに水を汲み、雑巾を絞って、掃除を開始する。
が、
(この糞あばずれビッチが……。手すりにホコリですって?それはホコリの化身と言っても差し支えない汚れに穢れまくった汚物の塊である貴女から分離したものではなくて?それなら私はこのホコリの大元で、全ての汚れの元凶でもある貴女を燃やして灰にしてしまえばいいのかしら?オーホッホッホッ!!)
彼女の心の中にはドリゼラに対する罵詈雑言が今にも溢れそうなほど蠢いていた。
これが、明るく優しかった少女の今である。時とはなんと残酷なものであろうか。もはやこのシンデレラには、かつての面影は、その容姿を除けば何一つ残っていないと言っても過言ではなかった。
シンデレラの一日は、大変朝早くから始まる。鶏が鳴き出すや否やというまだ薄暗い時間に目覚め、屋敷を掃除し、洗濯をし、朝食の用意をし、そしてすっかり明るくなってから継母やお姉さま方を起こしに行く。まずは継母を、その次に上から順番にお姉さま方を起こすのだ。
コンコン、と、継母――トレメイン夫人の部屋をノックする。
「奥様、朝でございます。朝食の支度は済んでおりますので、ご用意ができ次第食堂へお越しください」
声をかけてから暫く待つ。
「…………」
しかし、いくら待てどもトレメイン夫人が起きた気配がない。これもいつものことだ。
「はぁ……」
いつものこととはいえ、それでも憂鬱なことには変わりがない。深い溜息を付いてから鍵を開け、ドアを開け、部屋の中に入る。
「奥様、失礼します――」
中に入ると、やはりトレメイン夫人は眠っていた。
(おババア様は、何でいつもいつもまだ寝ていらっしゃるんです?人間には体内時計というものがあって、いつもの起きる時間になれば自動的に目がさめるはずですが?奥様は人ではないのですか?そのお見た目通り家畜か何かなのでしょうか?)
心中ではいつものように暴言を撒き散らしつつ、トレメイン夫人の肩を揺する。
「奥様、朝でございます。起きてください」
「う、う~ん……」
それでもトレメイン夫人は目を覚まさない。そこでシンデレラはいつもの手段に出ることにした。
「奥様、チャーミング様がお待ちですよ」
「チャーミング様!?」
トレメイン夫人はチャーミング――この国の王子――の名を聞くと跳ね起きた。
「あら、チャーミング様は何処かしら?シンデレラ、探しなさい!」
「おはようございます奥様。チャーミング様は私めがお探しいたしますので、奥様はご支度をして朝食を召し上がっていてください」
「あら、もうそんな時間?わかったわ、もう下がっていいわよ」
「畏まりました」
一礼してトレメイン夫人の部屋を出る。
「はぁ……」
(本当に面倒くさい……。三歩歩けばすぐに忘れてくれる鳥頭だから適当に言っておけばいいのは楽ですけど、お父様というものがありながらご自身の子供のような年齢の王子様に慕情を抱くというものは如何なものでしょうか……)
すでに疲れきっていつもの心中での毒舌すら発揮できないシンデレラであった。
さて、次はドリゼラの番だ。
「これが一番面倒なんですよねぇ……」
小さな声で愚痴を漏らす。そう、朝のこの仕事で一番大変なのはドリゼラを起こすことなのだ。なにせシンデレラはドリゼラに酷く嫌われている。トレメイン夫人を起こすのもそれなりに大変ではあるが、彼女は馬鹿だから比較的楽な仕事ではある。
コンコン
「お姉さま、朝でございます。朝食の支度は済んでおりますので、ご用意ができ次第食堂へお越しください」
「シンデレラ、入りなさい」
「っ……畏まりました」
ノックして声をかけると、すぐさま返事があった。そして、これこそが一番面倒な理由なのである。
「では、失礼します――」
シンデレラは溜息を付きたい気持ち必死でこらえて部屋に入る。ドリゼラはかなりねちっこく厭味ったらしい性格だ。きっと耳を澄ましてシンデレラが何か隙を見せないか伺っているに違いない。
「私が指定してあった時間よりも1分も遅くてよ、何か事故でもあって?」
部屋にはいるといきなりお説教が始まる。
「はっ、申し訳ございません」
謝罪の言葉を述べて頭を下げる。
(また始まった……。一度始まると長いのよねぇ……。はあ、この女の舌をちょん切ってやりたい……)
そして長い長いお説教タイムが始まった。
ガミガミ………………
さて、次は次女――アナスタシアの番だ。
シンデレラの気力はそろそろ限界だった。だが、食事が始まってしまえば彼女たちは食事に専念し、シンデレラへ注意を払うことはなくなり、一時的にではあるが精神的な休息をとることが出来る。
(さあ、あと少し。ドリゼラお姉さまのせいで遅れてしまったから急がないと……)
かといって屋敷の廊下を走るわけにもいかず、スカートの裾を抑えながら早歩きをしてアナスタシアの部屋へと向かう。
コンコン
「お姉さま、朝でございます。朝食の支度は済んでおりますので、ご用意ができ次第食堂へお越しください」
ノックして声をかける。が――
「……お姉さま?」
部屋からは何の反応もない。しかし、これもまたいつも通りなのであった。
「それでは失礼致します」
再び声をかけてからアナスタシアの部屋の前から離れる。
アナスタシアはシンデレラのことを恐らくこの屋敷で最も嫌っており、シンデレラをまるでいないものとして扱っている。なので、シンデレラが声をかけても何の返事もないのはいつものことなのだ。しかし声が聞こえていないはずはないので、食堂にはいつもしっかりやって来る。だから特には問題ない。完全に無視され続けるのはあまり気持が良いことではないが、ドリゼラのようにむき出しの悪意をつきつけられるよりは幾分かマシだとシンデレラは思っているのである。
アナスタシアの部屋から離れて食堂に到着するが、まだ誰もやって来てはいなかった。
(ふぅ……これでようやく少しだけ気を抜ける……)
ほっと、安堵の溜息をつくと、誰かの足音が近づいてくるのに気付いた。
(この足音は……)
それは、ある意味シンデレラにとって最も許せない存在だった。
「おはようございます、お父様」
シンデレラの実父――トレメイン伯爵である。
「……ああ、おはよう」
「こちらが本日の朝食でございます。どうぞお召し上がりください」
「いや、私は妻たちが来るのを待つとするよ……」
「畏まりました」
「……」
「……」
とても父と娘とのものとは思えない会話。だが、これもまた、いつもどおりなのだ。トレメインが再婚してから、ずっと。
以前――シンデレラの実母が生きていた時は、トレメインもシンデレラのことを実の娘としてよく可愛がっていた。だが、シンデレラの実母が若くして病を患ってそのまま回復することなく亡くなり、それからトレメインが一人の女性とその二人の娘を屋敷に連れてきてから、彼のシンデレラの対する態度は一変した。夫人が初めてこの屋敷にやってきた時、きれいなドレスで着飾ったシンデレラを見て言ったのである。
「なんです、この下女は?」と。
それからというもの、シンデレラは伯爵家の娘としての立場から、その家に仕える下女として働かされるようになったのだった。
(私はこの男だけは絶対に許せない……)
なにせ彼は伯爵なのだ。にも拘わらず、なぜ自分を冷遇するようになったのか。シンデレラはそれがどうしても許せないのである。
「……」
「……」
だから両者とも口を開かない。トレメイン伯爵にとっても、シンデレラにとっても、互いの存在は最大のタブーなのである。
それから、ドリゼラがやって来るまで食堂は完全なる沈黙に包まれていた。
シンデレラの朝は、いつもこうして始まる。
第二章「シンデレラの野望」
シンデレラの昼からの仕事は、基本的には朝と大差はない。朝の掃除は食堂などのみであるが、昼からは廊下や庭などが追加される。洗濯は主に伯爵らの寝間着、それから食材の調達と夕食の用意だ。
「……」
いつも通りの作業を惰性でやり続ける。シンデレラはそれに何の意味も見出すことができず、このときは自我を完全に封じ込めて無心になって働いている。
そうして働いていると、ドリゼラとアナスタシアの話し声が聞こえてきた。
「アナスタシア、例のお話、聞いてまして?」
「お城のパーティのお話ですか?もちろん聞いてますわ」
「たしか、そのパーティでチャーミング王子に気に入っていただければ妃にしていただけるとか」
「らしいですわね」
「私はもちろん参加いたしますわ。貴女はどうします?」
「私も参加しようと思います。人数は多ければ多いほど私たちの家が選ばれる可能性は高くなりますし」
「わかりましたわ。では、当家からは私と貴女で参加いたしましょう。お母様は……まあ、適当に言ってごまかすとしましょうか」
「ええ、そうしましょう。……お姉さま、あの女はどうします?」
あの女――シンデレラは自らが話題に上がったと察する。
「ああ、あの女ですか……。たかが下女に参加する資格があると思いますか?」
「ふふふ、あるわけないですわね」
「では、当日のドレスなどは――」
そこからも話は続いていった。
「……」
だが、シンデレラはもはやそんな話を聞いてはいなかった。
「妃に、なれる……」
彼女の胸の内で、大いなる野望の種が芽生え始めた瞬間だった。
夕食の準備中。シンデレラは、数々の家事の中でも料理だけはいつも楽しんでいた。だが、
「ふふ、ふふふ……」
今日の彼女はただひたすら薄気味悪い笑みを漏らすばかり。この場には今誰も居ないからいいが、もし誰かがいたら確実に気味悪がっていたことだろう。
「ふふふふふ」
だがしかし、それも仕方あるまい。彼女の胸の内では、大いなる野望の全容がほぼ完全に計算され尽くしていたのだから。
(チャーミング様を――いや、チャーミングを籠絡してやります。そして彼を私の意のままに操り、この国を実質私が支配する……。ああ、なんてすばらしいことだろうか。そうなれば今のこの過酷な環境からも脱出できる。そうすれば憎きお父様やお母様、それからお姉さま方にも復讐できる……。私は彼らを決して許しはしない。私に好き勝手してくれているあの女達も、そんな私を見て見ぬふりをするあの男も、皆、皆、破滅させてやる……。)
「ふ、ふふ、ふふふ、オーッホッホッホ!!」
あまりに嬉しくて、ついシンデレラは今まで心の中でしかしたことのなかった高笑いをしてしまった。幸運なことに、それを聞きとめたものはいなかった。
それからシンデレラは動き出した。パーティに参加し、チャーミングに見初められんがために。
だが――
「……」
時は無情にも過ぎ去っていき、ついにパーティの日は訪れてしまった。何一つ手立てを考えることもできず、ただ時の流れるままに任せてその日は訪れてしまったのである。
(どうすれば……)
事ここに至っても、シンデレラは未だ己が野望を諦めてはいない。それは彼女の悲願だ。なんとしても果たし遂げねばならぬと心より信じる、夢なのである。だから彼女は何があっても諦めない。
「それではお父様、お母様。行ってきますわ」
「行ってきます」
シンデレラが如何とすべきかと脳を高速回転させていると、ドリゼラとアナスタシアが両親に出発の意を伝えていた。
「くっ……」窓からその光景を眺め、唇を噛む。
(お姉さま方がチャーミング王子に見初められることは、容姿的に考えて万に一つもありえはしませんけれど……)
かといって、他の女が見初められないと断ずることはできない。もしそのようなことになれば、彼女の野望に達成の余地など有りようはずがない。
「この野望を果たすためならば、私はたとえ悪魔に魂を売ったとしても――」
シンデレラは、祈る――
すると――
「それは真か?」
ふと、しわがれた老婆の声が聞こえた。
「――はい」
その声が一体何なのか――そんなことはどうでも良かった。彼女の心にあるのは野望を果たすというただそれのみ。だから彼女は即答する。
「では、汝に力を与えん。この国を、討ち滅ぼすがための――」
「国を、滅ぼす……?」
「然り」
「そんな……私は、そんな力は求めていません!私はただ、トレメイン家に復讐さえできれば――」
「さもありなん。されど、これこそ契約なれ。汝はトレメイン家に復讐せんとす。されど、汝に其を果たす術なし。我はこの国に復讐せんとす。されど、我に其を果たす力なし。故に我らが手を結ぶ。我は汝に悲願を果たす術を授け、汝は其を以って汝と我の悲願を果たす」
「貴女の望み……それが、この国を壊すことだと?」
「然り」
「……ええ、承りましたわ。私と貴女の悲願を果たしましょう――」
「契約、成立。今日が終わるまでに片を付けよ――」
老婆が言い終わるや否や、突然巨大な光が現れる。
「い、いったい何……!?」
暫くして光が収まると、そこには純白のドレスがあった。ガラスの靴があった。
「え、えっ……」
さらに窓の外を見下ろすと、そこにはかぼちゃの馬車があった。
「ど、どういうことなの……?」
もう、何もかもがシンデレラの理解の及ぶ範疇を超えていた。
「だけど――」
それでも彼女のやることは決まっていた。これらを身に纏い、パーティに参加する。
そして――
「全てを思うままにする――」
そう、何もかもを彼女の思うままに。
彼女の願い――それは、トレメイン家に復讐し、その後は王妃として幸せに暮らすこと。つまり、老婆の願いとは断じて相容れることはない。
シンデレラには、契約を遵守する気など、さらさらなかったのだ。
「さて、私の覇道を始めましょう――」
ここからすべてが始まる――!!
第三章「お城のパーティ?」
かつて、この国には魔女がいた。
人に為すことのできぬ異常を為し、それにより人々を畏れさせる民族がいた。
彼女らにはなんでも出来た。おおよそ、彼女らにとってできぬことなどありはしなかったのだ。
それを、当時の国王は酷く憎んだ。そして、彼女らの殲滅を決定した。
その行動は、何も完全なる悪意から来ていたわけではない。なにせ、彼女らは彼の大事な国民を震え上がらせたのだ。決して彼女らが意図していたことではないとはいえ。だから彼は、国民をその恐怖から解放するために、彼の信じる正義の為に、魔女狩りを行った。
魔女狩りは実に無惨なものだった。たしかに彼女らは他者には為すことのできぬ力があった。だが、それは圧倒的な数の力による殺戮には全くの無意味だった。
まず一人の魔女が捕まった。彼女は王国軍の男たちの怒りによって惨殺された。
其れを見ていた二人の魔女は、あまりの恐ろしさに絶望し、崩れ落ちた。そして男たちの為すがままとなった。
それでも殺戮は終わらない。最後の一人をも殺し尽くすまで、彼らの『正義』は終わらない。
そして、魔女の村は、血と性の臭い溢れる地獄と化した――
その後、この国には唯一人の魔女もいなくなった――と、そう思われていた。だが、魔女はまだ生きている。そして、そのうちの一人が彼女である。幸運にも――不幸にもと言うべきだろうか――彼女は魔女狩りの際に村を離れていたのである。当然、王はそのことも見越して捜索を行わせた。しかし、彼らは基本的に魔女の村には内政不干渉だったことや、村人たちは皆、誰が居るかを知り尽くしていたことから住民票のようなものがなかったことにより、いったいどれだけの魔女が村の外に出ていたのかを彼らは知ることができなかった。また、他国との関係が危ういせいであまりそればかりに専念してもいられず、ある程度の捜索を終えると、魔女殲滅完了の宣言を発した。
そういうわけで、彼女は生き残ったのである。
そして――そんな彼女の目的は決まっていた。
この国への、復讐である。
王城への街道を、シンデレラを乗せたカボチャの馬車が駆ける。
「すごい……まるで本物の馬車のよう。これならパーティに間に合いますわ」
パーティの開始は午後七時。そして今は六時半。この調子で行けば、十分に間に合うだろう。
「さて、ここからどうしましょうか」
目的は決まっている。王子のハートを鷲掴みにして国を思うがままに操り、そしてトレメイン家に復讐。然る後に魔女狩りを再開する。
「問題は、その方法……」
如何にして王子に惚れられるか。問題はその一点に尽きる。
「私の美貌なら何とかなるかしら?」
ありえない。自分の容姿に全く自信がないというわけではないが(少なくとも姉二人よりは格段に上だと自負している。そしてそれは客観的に見てもまるで間違ってはいない。ドリゼラとアナスタシアは、控えめに表現してもブスとしか言い様がないのだ……)、かといって王子の女性の好みなどシンデレラに分かるはずがない。
「よく考えてみると、私の計画って穴だらけね」
シンデレラは自らの行き当たりばったりな計画に苦笑する。
「だけど、それでもパーティに参加はできる」
そう――本来、彼女はパーティに参加することすら不可能だったのだ。それでも、今こうして城へ向かうことができている。不可能を、可能にしたのである。
「だから、きっと、できる」
他者を説得するためにはあまりにも説得力が不足している根拠。だが、自信を抱くにはそれで十分だ。為せば成る、出来ると思えば出来る。
シンデレラが会場に辿り着くと、そこには彼女がよく知っている女性が二人――
(ドリゼラお姉さまにアナスタシアお姉さま……)
幸いにも彼女らはまだシンデレラに気付いていない。
(さて、どうする――?)
1【話しかける】
2【後ろから攻撃して気絶させる!】
「貴女……まさかシンデレラ!?」
「っ……! お姉さま……」
何という失態。呆けていたシンデレラはドリゼラに見つかってしまった。
「なぜ貴女がここに……それにそのドレスは何なのです? 説明、していただけますわよね?」
もはや恍けることはできなかった。シンデレラは魔女にドレスや馬車を用意してもらったことを語った。もちろん、野望のことは隠したが。
「何ということ……魔女と契約するだなんて……」
「申し訳ございません」
絶句するドリゼラに対して、シンデレラはただひたすら頭を下げることしかできなかった。
「はぁ……このことはお父様やお母様に話させていただきます。屋敷へ帰りなさい」
「それは――」
「帰りなさい」
シンデレラには果たさねばならぬ野望がある。それを果たすためにはここで帰るなど、ありえない。だがしかし、この状況でそれが許されるはずもなかった。結局シンデレラは、そのまま帰宅した。彼女の野望は、これによって完全に潰えた。
第四章「大慌てのトレメイン家」
お城のパーティは、無事に終わった。チャーミングの妃にはアナスタシアが選ばれた。そのため、トレメイン家ではその祝福が行われ、一家の雰因気は明るくなる……はずだった。
「…………」
「…………」
しかし、トレメイン家には重い沈黙が流れている。
その理由は、シンデレラが魔女と契約してしまったことだ。この国において、魔女は激しく忌み嫌われており、その名を口にだすことさえも憚られている。そんな魔女と、シンデレラは契約してしまった。そんな事実には誰も触れたくない。けれど、逃げ続けるわけにも行かない。この沈黙はそのための必然であった。
しかし、この沈黙は思いもよらぬ形で破られることとなる。
「大変です、トレメイン伯爵!」
トレメイン家の召使が伯爵の元へと駆け寄ってきた。もちろんシンデレラのことではない。トレメイン家は伯爵家なのだから、当然召使を多く雇っている。
「何事だ」伯爵が尋ねる。
「それが、本日当家にいらっしゃる予定だった馬車がゴーレムに襲われたと……」
「ゴーレムだと!?」
「な、何てこと……」
一同が驚愕する。
(ま、まさか……)
そして、誰もがその原因に心当たりがある。
「貴女のせいじゃなくて? シンデレラ」
それをアナスタシアが口にした。
「それは――」
慌ててシンデレラは言い返そうとするが、
「違うって、言えまして?」
「っ」
アナスタシアの言葉に封じられる。違うなどと、言えるはずがなかった。
「…………」
「…………」
そしてまた沈黙が訪れた――と思いきや。
「それが――何だというのだ」
伯爵が口を開いた。
「どういう意味ですの?」
夫人が尋ねる。
「私の娘が魔女と契約した。だから何だというのだ。私は父として、我が娘を守る」
伯爵が言い放つ。
「娘、ですって? それはもしかして、この薄汚い召使のことでして?」
怒りを隠し切れない様子で夫人が尋ねる。
「召使ではない。我が娘だ――」
「ふざけないでください!!」
シンデレラは叫んでいた。気づいた時にはもう既に叫んでいた。
「よくもそんなことが言えますね。お母様が私のことを召使とおっしゃってから、ずっとそのように私を扱ってきたくせに! それなのにいきなり娘扱いですか? 馬鹿にしないでください!」
ああ、やってしまった――けれども言葉は止まらない。
「私は貴方を愛していました。だから、本当のお母様が亡くなって悲しみに暮れるお父様が新しい女性を連れてきた時も、受け入れようと思っていましたし、貴方も私のことを愛してくれていると思っていました。けれど、裏切られた! 貴方は私のことなんて何とも思っていなかった! 貴方は女性の機嫌を取るために自分の娘を捨てるような最低な男でしかありませんでした!」
「……」
伯爵は何も言わない。夫人たちは絶句している。
「そんな貴方が、いまさら、どうしてそんな言葉を口にできるんですか!?」
息も絶え絶えに言葉も途絶えた。
「……すまなかった、シンデレラ」
謝罪の言葉を口にしつつ、伯爵は土下座した。
「あなた、やめてくださいな! 私の夫ともあろう者が召使風情に……」
「召使ではないと言っておろうが!」
土下座をやめさせようとする夫人に、伯爵が土下座の体勢を崩すことなく怒鳴りつける。
(何なのよ……もう、訳がわかりません)
シンデレラには――いや、この場にいる伯爵以外の全員が、伯爵が何を考えているのか理解できない。一体この男は、何がしたいのか。
「教えて進ぜよう」
すると、どこかから、しわがれた老婆の声が聞こえた。
「この声は――」
「先ほどわれが破壊した馬車、あれはシンデレラ、汝を城に連れていかんとする馬車なり」
「なっ!? お父様、あなたという人は、私を売りつけるつもりだったんですか!?」
激昂するシンデレラ。
「否、汝をこの屋敷という地獄から救い出さんとした」
「――え?」
魔女はシンデレラに、伯爵のやろうとしたことを全て話した。
第五章「伯爵の悲願」
トレメイン伯爵。彼の人生は実に数奇なものである。
彼には愛する妻と娘がいた。愛する二人に囲まれた彼の顔にはいつも笑みが浮かんでいた。妻と娘も彼を愛し、一家にはいつだって明るく穏やかな空気が流れていた。
しかし、事態はここで急展開を迎える。
彼の妻が、若くして大病を患ったのである。
伯爵は国中から、そして国外からも優秀な医者を呼び、何としてでも愛する妻を助けようとした。だが、彼の努力は虚しく、妻は一向に回復することもなく、日に日に衰弱していった。
はじめは笑顔で妻を励ましていた伯爵からも、次第に笑顔が失われていき、幸せな一家としてのトレメイン家は崩壊に近づいていった。
そして――ついに妻が亡くなった。
伯爵は絶望し、自暴自棄に走った。娘のことを顧みなくなった。
けれども現実は彼をいつまでも逃してはくれない。
トレメイン家の財産が尽きようとしていたのだ。度重なる治療費と、妻が亡くなってからの酒乱の日々は、トレメイン家の財産を食いつぶしていってしまった。
そのときになってようやく、伯爵は焦り出す。このままでは家が破綻してしまう。
そんなとき、彼の伯爵位を狙う資産家が彼に近づいてきた。
伯爵は資金がほしい、資産家は爵位が欲しい。二人の思惑は上手く合致し、婚姻の話が上がった。
亡くなった妻を深く愛する伯爵としては受け入れがたい話ではあった。しかし、愛娘のシンデレラのことを考えると、断るわけにはいかなかった。
資産家の娘は、一度他の男に嫁いでいっており、すでに二人の娘を産んでいた。そんな厄介者を資産家は伯爵に押し付けてきたのである。けれども伯爵は断れない。娘の為を思うと、断るわけにはいかない。
そして婚約し、これでようやく事態は落ち着くだろうと伯爵は思った。だがしかし、これでもまだ終わらない。
トレメイン家に初めてやって来たとき、シンデレラの姿を見て女は言った。
「なんです、この下女は?」と。
この縁談を潰すわけにはいかなかった伯爵は、娘を守るためと言いながら、娘を召使とするしかなかった。
そしてシンデレラは伯爵を恨むようになり、ついに伯爵は愛する娘からの愛を失った。
「そんな、嘘……」
シンデレラは絶句する。魔女の語った話は、彼女の知る父親像とは全く異なっていた。だから信じられない――そのはずなのに、それでもその話を信じてしまっている自分に驚く。
「本当、なんですか?」
伯爵に尋ねる。
「……ああ、本当だ。それが全てだ」
そして伯爵は肯定した。
「否」
しかしそれを魔女が否定する。
「全てには非ず」
そして再び魔女は語る。
新たに妻を迎えてからのトレメイン家には、やはり笑顔はなかった。あるのは夫人やドリゼラ、アナスタシアのシンデレラへの嘲りの笑みばかりであった。
シンデレラの伯爵を見る目に、恨みが込められているのに彼は気づいていた。けれど、何もできなかった。
そんなある日、彼は王城でチャーミング王子の婚約者探しのパーティが行われると知った。これだ、と思った。このパーティでシンデレラを見初めてもらえれば、全てうまく行くのではないか……そう思った。
しかし、シンデレラがパーティに行くことを妻や義娘たちが許すはずがない。伯爵はどうすればよいのかと苦悩する。
「我が娘を王子と結婚させたい。そのためならば、私はたとえ悪魔に魂を売ったとしても――」
伯爵は祈った――
すると――
「それは真か?」
ふと、しわがれた老婆の声が聞こえた。
「――はい」
その声が一体何なのか――そんなことはどうでも良かった。彼の心にあるのはシンデレラを幸せにするというただそれのみ。だから彼は即答する。
こうして魔女と伯爵の契約は成った。その後、魔女は伯爵との契約を果たすためにシンデレラの元へと行き、彼女とも契約を結んだ。
伯爵は娘を救うために。
シンデレラはトレメイン家への復讐のために。
魔女はこの国への復讐のために。
三者の目的はそれぞれ異なったが、それでも契約は成った。あとはシンデレラが王子に見初められて妃になり、魔女との契約を破棄して魔女狩りを押し進めていけば、それで全てが上手くいくはずだった。
ちょうどそのパーティの次の日にシンデレラを王城へと連れて行く馬車を呼んでいたのも、パーティの途中で魔法が切れて逃げ帰ってくるであろうシンデレラを、王子の婚約者として城へと連れて行ってもらうためだった。
しかし、彼の計画は破綻した。シンデレラがパーティでドリゼラに見つかってしまった。
そして、今に至る――
「お父様が魔女と!?」
「どういうことですの、貴方!」
シンデレラと夫人が驚愕する。
「もう失敗したことだ」
「然り。されど――契約は果たしてもらう」
魔女が伯爵に近寄っていく。
「契約?」と、シンデレラ。
「トレメイン伯爵、汝をゴーレムの贄とす」
「なっ!?」
「……ああ」
驚くシンデレラたちを前に、事は進んでいく。
(そんな……このままではお父様が死んでしまいます。私は確かにお父様を憎んでいました。けれども、それはすべて私の勘違いからくるもの……)
「ここで動かないんでどうするんですか! お父様!」
シンデレラは伯爵の腕を掴むと、走りだした。
「し、シンデレラ! どこへ行くんだ!?」
「お城です! 王子に頼み込んで魔女狩りを再開してもらいましょう!」
「何だと!?」
「だって、お姉さまは王子の婚約者じゃないですか。それに、王だって魔女の存在を疎ましく思っているはず。だからきっと、うまくいきます!」
馬小屋まで走り、馬に乗って駆ける。シンデレラは乗馬が大の得意だった。淑女なのに乗馬が趣味では恥ずかしいのでは、と思うようになったため、しばらく乗ってはいなかったが、それでも相変わらず得意なことに変わりはない。
すぐさま屋敷が見えなくなっていく。
「待て!」
魔女がゴーレムの肩に乗り、必死の形相で追いかけてくる。
だが、ゴーレムは鈍足である。とても、シンデレラの駆る馬に追い付くことはできない。
気づけば王城は目前に迫っており、魔女の姿はとうの昔に見えなくなっていた。
終章「白シンデレラ」
王城へ駆け込んだシンデレラたちを、チャーミングは歓迎した。婚約者を得たばかりで調子に乗っているのである。
そんな王子に、魔女に追われているから助けてほしいという旨を伝えると、王子はすぐさま了承し、王のもとへと掛け合って、魔女狩りの再開を宣言した。
第二次魔女狩りは、第一次の時よりも凄惨を極めた。隣国の援助があれば魔女側ももう少し有利に立ち回れただろうが、その隣国と婚姻状態にあるブライアンは本国を優先し、獅子奮迅の働きを見せた。ブライアンの類まれなる有能さと、チャーミングのあまりの無能な様に、保守的な考えから後継者はチャーミングにと考えていた王も、どうやら考えを改めようとしているとか。
結局、魔女狩りはすぐさま集結した。今度こそただの一人の討ち漏らしもなく、魔女の血は永遠に途絶えることとなった。
再び優しく穏やかな性格を取り戻しつつあるシンデレラは、自分の行いが魔女の殲滅を導いたことに少なからぬショックを受けている。しかし、愛する父との日々が彼女を癒していく。
あれから、夫人や姉たちもシンデレラを召使の如く扱うことはなくなった。彼女たちは、シンデレラと伯爵の親子愛に心打たれたのである。普段冷酷な人間ほど、そういった人情話には弱かったりするようだ。まだ完全にわだかまりが消えたとは言いがたいが、それでも良い方向に進んでいっていることは間違いない。
「お父様、ご飯が出来ました」
シンデレラは笑顔を浮かべながら伯爵のいる食卓へと食器を運ぶ。
「まったく、もうそんなことはしなくてもいいというのに……」
伯爵は苦笑する。
シンデレラは、全ての家事業から解放されたのだが、食事の支度だけは自分でやると言って聞かなかった。
「愛するお父様やお母様、お姉さまがたに私の料理を食べてもらいたいんです」
「ふぅ、わかったよ」
「ふふふ、ありがとうございます」
シンデレラがはにかむ。彼女はよく笑うようになった。
「なあ、ところで」
「どうしました?」
「いや……」
伯爵が言いよどむ。
「どうしました? 言ってくださいよ」
「その……今、幸せか?」
躊躇いがちに伯爵は尋ねる。
「ふふふ、そんなの決まっているじゃないですか」
「どうなんだ?」
「とっても幸せです!」
完
黒シンデレラ ~Another Route~
『黒シンデレラ』と『黒シンデレラ ~Another Route~』を合わせて、はじめてこの作品は完結します。
『黒シンデレラ』の方の野望一直線のシンデレラは、書いていてかなり気持ちよかったです。けど、そういう主人公には、やはりああいった終わり方が付きものだと思います。
『黒シンデレラ ~Another Route~』はシンデレラの家庭環境、その中でもとりわけトレメイン伯爵がメインのお話です。『黒シンデレラ』との分岐以降は、主人公が彼になっているような気もします。