ブラザーズ×××ワールド A3
戒人(かいと)―― 03
ドクン――
「……!」
心臓、いや全身が脈打つような感覚に、戒人は目を見開いた。
冷めきった身体。眠っていた寝台は、脂汗でぐっしょりと濡れていた。
「………………」
夢を見た。
人の形をした獣たちに襲いかかられる夢だ。
真っ赤に充血した無数の目がこちらに向けられている。血に飢えた……いや違う。血や肉といった物のさらに奥の――
怪物たちは……〝戒人〟そのものを――
「くっ……」
どうしようもなく身体がふるえ、戒人は深く背を丸めた。
意識が急速に覚醒する。
確かめる。
ここは――
自宅の自分の部屋のベッドではない。
じっとりしたかび臭さと、知らない体臭が鼻をつく。
そうだ……ここはあの男の家の寝台だ。
見知らぬ場所に倒れていた戒人に声をかけ、娘の薬を買うついでだったとこの石造りの家につれてきた中年男。
石の壁から這い寄る冷気に、戒人はたまらず自分の身体を抱きしめた。
いつの間にか、戒人の上にはみすぼらしい毛布がかけられていたが、そんなものではまったく寒さを防げる気がしなかった。
寝ていられくなった戒人は、はねるように身体を起こした。
息が白い。凍死しなかったのが奇跡だと思えた。
いまの服装は、ホテルで火災にあった直後と同じ――薄手の部屋着のみ。何か身体をあたためるものはないかと、戒人は部屋の中を見渡した。
光の差ささない部屋は、ひるむほどに闇が濃かった。
灯り――
せめて窓でもないかと、戒人は壁を手で探った。正確ないまの時間はわからない。しかし、月灯りであっても、この暗闇よりはるかに増しだ。
「……?」
戒人は、違和感を覚えた。
(なんだ……)
見える。
暗い密室。しかし、戒人の目はうっすらとではあるが中を見渡すことができた。
いや『見える』とは微妙に違う。
感じられる。
その感覚が一番近い。
物質の在り様を、そのままつかみ取ることができる。石は石として、木は木として、空気は空気として。
(なんだ、これは……)
灯りがないからこそ、はっきりとわかる。自分の感覚が、身に覚えのないほど冴え渡っていることが。
その感覚に戸惑いつつも、戒人は疑問をひとまず脇に置く。
わずかながら体力と気力は回復している。
あらためてあの男に事情を聞くべく、戒人は部屋の外に出ようと扉に近づいた。
「……!」
開かない? 木の取手をつかみ、何度も押し引きをくり返す。だが、粗末な見た目からは奇妙に思えるほど、扉はわずかなゆらぎも見せなかった。
戒人は気づく。
木の扉が――木の扉ではない。
自分でもおかしなことを感じているとわかっている。しかし、それ以外にうまく例えようがない。
戒人の目には、木の扉がうっすら赤い光に包まれているように見えた。電飾などではない。もっと淡い、虫の燐光のようなもの。扉からわずかににじむその光は、木の扉をそれ以上のものにしている――戒人は直観的にそう悟った。
「く……」
どうやっても開かないとわかり、戒人は扉から手を離した。
「……!」
現在の自分の状態に気づき、遅ればせながら戦慄する。
監禁――
「………………」
自分のうかつさに、戒人はちぎれそうなほど唇を噛みしめた。
うかつ。
そうとしか言いようがない。名前も知らない男の家につれこまれ、こうして閉じこめられているのだ。立て続けの異常な事態に判断力を奪われていたとはいえ、ろくに警戒することもなく眠りこけたあげくの監禁――
「………………」
そして、
「……ふぅ」
悔やむだけ悔やんだあと冷静になる。それが戒人の『スタイル』だ。
いつまでも拘泥してはいられない。状況を受けいれ一秒でも早く対応策をたてる。それが自分に課した――弟たちを導く長男としての在り方。
自分は監禁されている。しかし、このままということは考えにくい。必ずなんらかの動きがあるはずだ。
戒人はそれを待った。
そのときは、思いがけず早く訪れた。
「……!」
固い床を踏む足音を戒人はとらえた。普通の人間の聴覚ではとらえられないほどかすかなものだったが、疑問に思っている余裕はなかった。
手のひらに汗がにじむ。機会はおそらく一瞬しかない。
扉の向こうに誰かの立つ気配がした。
ぶつぶつと、何か小さくつぶやく声が聞こえた。
(呪文……?)
戒人が反射的に連想したのは、その言葉だった。
意味のわからない謎のつぶやき。はっきり聞き取れないだけとも思えたが、そこには明らかに戒人にとって意味がわかる言葉はなかった。
「……!」
戒人の〝目〟は、変化に即座に気づいた。
扉を覆うようにして見えていた赤い光が消えていく――
(来る……!)
身構えた直後だった。
扉がゆっくりと押し開けられた。
姿を見せたのは、戒人をこの家につれてきた中年男。その手にはにぶい〝光〟を見せる――ナイフがあった。
「……!」
男が扉脇にいた戒人に気づいた。戒人の動きはそれより速かった。
ナイフを持っていた男の腕をつかむ。
直後、
「ぐっ!」
「うおっ!」
光がはじけた。
静電気をさらに強烈にしたような衝撃。それが戒人とナイフの間で火花を散らした。
「くっ……」
しびれた手が言うことを聞かない。思わぬ衝撃に戸惑う戒人だったが、男も動揺しているのを見て取り、肩からぶつかっていった。
「うっ!」
男の身体はあっさりゆらぎ、戒人はその脇をすり抜け部屋を飛び出した。
「ま、待てっ!」
待つはずがない。
戒人は危地から逃れるため、石造りのせまい廊下を走った。
玄関までの道のりは頭に入っている。暗闇でもほのかに見通せる視界は部屋を出ても継続し、手探りも合わせて戒人は出口を目指した。
と、行く手の通路脇にわずかに開いている扉があるのに気づいた。
本来なら気に留めていられる状況ではない。しかし、そこに無視できない〝何か〟を感じ、戒人はその部屋をのぞき見た。
「……っ」
そこは、戒人が閉じこめられていたのと似たようなせまい部屋だった。
部屋の端にある貧相なベッドの上には、幼い少女が眠っていた。
――娘の薬を取りに行かなきゃならなかったからな。
娘――
男の言葉を思い出す戒人。
すくなくとも娘に関してだけは本当だったのか……。
「……!」
戒人は息をのんだ。
ベッドの上で苦しそうに息をしている少女。おそらく七歳か八歳くらいだろう。その少女の頭に耳があった。
人の耳ではない。三角にぴんと立った――獣の耳。
脳裏に甦る記憶。突然目覚めた夜の街で自分を襲おうとした異形の――
「……っ」
人の近づいてくる気配を感じ、戒人は我に返った。
あの男だ――
ここで立ち止まっている余裕はない。
「………………」
もう一度。
眠るその少女の顔を見て、戒人は玄関に向かって走った。
あどけないその子の顔に――いまはどこにいるかも知れない一番下の弟を重ねて見る想いで。
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