おネコ様
近藤の会社が外資に合併された。それも外国資本ではなく、地球外資本である。なんと新社長は宇宙人らしい。もっとも、近藤のような下っ端には、社長が宇宙人だろうが地底人だろうが関係のない話だ。
そう思って安心していた近藤だが、思いがけず人事課に呼ばれた。
何事だろうと行ってみると、人事課長は困ったような笑顔で近藤に辞令を渡した。そこには『社長秘書を命ずる』と書いてある。
「えっ、えー。な、なんで、おれが社長秘書なんですか」
「うん。まあ、異例の抜擢に驚いたと思うが、社内で宇宙語が話せるのはきみしかいないんだよ」
「そんなあ。おれ程度の宇宙語なんて通じませんよ。それに、宇宙語といったって全宇宙に普及しているわけじゃありませんし」
宇宙語というのは、異星間のコミュニケーションがうまく行くよう星連が作った人工言語で、かつて同じ目的で作られたエスペラント語がそうであったように、結局、実際の使用者が少なすぎて実用的な言語になっていない。
学生時代、近藤が第二外語として宇宙語を選択したのは、履修希望者が少ないため簡単に単位がもらえるという安易な理由からだった。
「いや、ミーア社長は宇宙語が堪能らしいんだ。本当は社長の母星語であるセクメト語の話せる人間がわが社にいるといいんだが、地球全体でも数人しかいないらしい。われわれとしてもきみを社長秘書にするのは大いに不安だが、背に腹は変えられないということになった」
ずいぶんな言われ様だが、ここで業務命令に逆らえば今後の立身出世は望めない。
まあ、今までだってそんなに期待されていなかっただろうが、逆に、ここから上昇気流に乗れるかもしれないと、近藤は自分に言い聞かせた。
「わかりました。社長秘書の大役、精一杯努めさせていただきます」
「頼んだぞ」
露骨にワラにもすがりたいという表情の人事課長に見送られ、近藤は社長室に向かった。むろん、社長室に行くのは初めてである。
今後自分の部屋になるはずの秘書室を、チラリと覗くだけで通り過ぎ、近藤は社長室のドアの前に立った。宇宙語の挨拶を何度か頭の中で復唱し、ドアをノックした。
「このたび秘書を拝命しました、近藤大作でございます。ご挨拶に伺いましたが、今よろしいでしょうか」
中から流暢な宇宙語で「どうぞ入りたまえ」と返事があった。
近藤は「失礼いたします」と断ってドアを開け、相手を一目見るなり日本語で叫んだ。
「あっ、おまえ、ミケじゃないかっ。生きてたのかっ!」
「ん、なんのことだね」
「あわわ、失礼しました」
近藤はすぐに勘違いに気付いた。
目の前にいる相手は、確かに一ヶ月前から行方不明の近藤の飼いネコにそっくりだが、背広を着て社長の執務用デスクの椅子に座っているのだ。背筋もピンと伸びているし、椅子から降りると二本足で歩く。近藤の前まで来ると、前足を差し出して「よろしく頼むよ」と言った。
少し間があってから握手を求められていると気付き、近藤は両手でそっと握った。
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますです」
「まあ、座って話そうじゃないか」
勧められるまま、近藤はデスクの横にある応接セットのソファに座った。
こうして近くでじっくり見ると、地球人よりは小柄だが、やはりネコよりずっと大きい。
「先ほど何か地球の言葉で叫んでいたようだが、わたしがいわゆる『ネコ』という動物に似ていて驚いたろう」
「すみませんでした」
「いやいや、かまわんよ。そのことは地球人と接触を始めた頃から、われわれにとって周知の事実だ。むろん、これは偶然のなせる業であり、われわれと、いわゆる『ネコ』とは遺伝的に何の共通点もない。ただ、これは地球人もそうだろうが、似ている相手にはシンパシーを感じるものだ。したがって『ネコ』が虐待されているような場面を見ると、心が穏やかではいられない。そこで、秘書としてまずきみにやって欲しいのは、社内にホームレスの『ネコ』を受け入れる施設を作り、かれらが快適に過ごせるようにして欲しいのだ。また、社員たちにも決して『ネコ』に危害を加えたりしないよう徹底するのだ。いいね」
「はあ。あ、いえ、かしこまりました」
その日から近藤の奮闘が始まった。ホームレスのネコ、つまり、野良ネコを集めてきては世話をするのである。専属のトリマーと獣医を雇い、アラブの大富豪の飼いネコ並の生活をさせた。
社員からは不平不満が噴出し、中にはネコに八つ当たりする者も出たため、そういう人間はすぐにクビにするとともに、今後二度とそういうことがないよう、多数のネコ用ガードマンを警備保障会社から派遣してもらった。
近藤はネコの世話に追われ、たまに社長に経過報告をするぐらいで、本来の秘書らしい仕事は全くと言っていいほどしなかった。
そんなある日、近藤は地球人の取締役に呼び出され、いきなり怒鳴られた。
「おまえは何をやっとるんだっ!」
「はあ、主におネコ様のお世話ですが」
「そんなことをやっとる場合かっ!」
「あ、いえ、ですが、社長命令で」
取締役はため息をついた。
「社長はトンズラしたよ。多額の金を横領してな。これこそネコババだ」
「えっ、えー、でも、でも、おれ、いや、自分には、何も」
取締役はジロリと近藤を睨んだ。
「ふん。身近な人間に秘密を悟られないよう、ネコの世話をさせていたんだろうな」
近藤は、出世の夢が脆くも崩れたと思った。いや、それどころではあるまい。
「あのう、自分はクビになるんでしょうか」
取締役はまた、ため息をついた。
「いや、そうはいかない。次の社長も宇宙人なんだ。今度はイヌそっくりらしい」
(おわり)
おネコ様