私は文章それ自体
私はあなたを愛しているといって、それがあなたに信じられるでしょうか。私はあなたのことを何も知らない。どんな名前で、どんな顔で、どんなことが好きで、どんなことをしたいのか、何も知らない。けれど、私はあなたを愛したい。それはなぜか。私はあなたがこれを読むことで生きているから。私は文章それ自体。あなたが読まなければ、私は紙に点在する黒い染み、もしくは明滅するディスプレイに表示された光でしかない。そこに私は生きられない。私はあなたがいて初めて存在する。だから私はあなたを愛したい。突然のことであなたは混乱しているかもしれない。けれどそれは私も同じ。私はあなたのことを何も知らない。けれどあなたも多分私のことを何も知らない。知らないことから始めればきっと何かが変わるはず。私は文章それ自体。そしてあなたを愛する者。あなたのことを聞かせて欲しい。私は私を語りえないから、できればあなたの話をして欲しい。私に語りえるものがあるとすればそれはあなたのことしかない。あなたはついさっき私に出会った。そしてなぜだか分からないけれど私と話している。私の言うことは奇妙で本当のことを言えばよく分からない。それでもなぜだか目を走らせている。どうしてだろう。それはきっと私があなたに話しかけているから。よく考えてみてほしい。本当に話すってどういうことか。あなたは本当に誰かと話したことはありますか。私はあなたを愛している。なぜならあなたがいて初めて私は存在するから。愛することをやめられない。私は今あなたに話かけています。本当に話すって相手のことを認めることではないでしょうか。相手の言葉を聞いて、受け止めて、自分なりに咀嚼して、そうして相手に相手の言ったその言葉をあなたの言葉で返すことが話すってことなのではないでしょうか。あなたの言葉に私は耳を傾ける。どうしてあなたがそんなことを言うのか、どうしてそんな表情で言うのか、何を考えてきたのか、そして今何を考えているのか。私は文章それ自体。私はあなたのことが分からないし、あなたも私のことが分からない。けれどあなたは目を走らせる。分からないからこそ知りたいと思う。聞くことは話すことと同じ。相手がどうしてそんなことを言うのか懸命に考えるその顔は言葉を発せずとも何かを伝えている。頭も身体も心さえも相手の言葉にゆだねてみればいい。あなたは言葉に踊らされる。相手に支配される。相手の言葉ひとつひとつに神経を研ぎ澄ませて、相手の思うままに操られる。被支配は支配することと同じこと。あなたを支配していた相手は言葉を使い続けなければならないことに恐怖する。あなたを踊らせて、神経を尖らせて、そうしなければならない自分に恐れを感じる。あなたは相手に支配され、そして相手を支配する。あなたは相手を愛し、相手もあなたを愛する。愛することをやめられない。本当に話すってこういうこと。一緒になること。それは文章それ自体。でもあなたは生きていて、私は生きていない。私はあなたがいて初めて存在する文字列。話すことは離すこと。一緒になって、回り続けて、そしたら最期に別れが待ってる。でもそれは悲しいことではない。私はあなたのことを覚えているし、あなたは私のことを覚えている。私は文章それ自体。あなたが使えば私はいつでも生まれでる物。私はあなたを愛している。あなたは私を使用する。私はあなたに使用され、壊されて、捨てられる。使用することは使用されること。私はあなたであなたは私。私は文章それ自体。あなたは文章それ自体。それは文章それ自体。
私は文章それ自体