青年たちの浮漂

青年たちの浮漂

かつてともに語り涙した日々の記憶
それはセピア色の夕暮れに融け
時を待たず夜の漆黒へと流れ去る
しかし
いままたこの地に立ち目蓋をあわせ
心の目で捜し心の声で呼びかけると
それはたちどころに蘇える
遥かな時の香りさえ浮き漂わせ
眩い光を放ち、鮮やかに息づいて

             友に捧げる

第1章 溝口屋敷の怪人たち

      1

 もしかすると僕は少し甘えん坊だったのかもしれない。
 大学ならばどこでもそうなのだろうか? 入学式の案内には確かに『父兄同伴のこと』と印刷されていた。文字通りに受け止めて、さすがに父親には仕事の関係で同伴してもらうことはできなかったけれども、「億劫だ、億劫だ」とこぼす母に頼み込んで出席してもらった。しかし蓋を開けてみると親同伴で出席した新入生は数えるほどだった。小言のひとつふたつは覚悟したけれど、母は「わざわざ来ることもなかったねぇ」とため息混じりにそういっただけだった。
入学式が金曜日の午前中だったので父が気を利かせ、その晩から二泊で箱根に温泉宿を手配しておいてくれた。父以外とはこれまで旅行などほとんどしたこともない母だった。かえって疲れるのではとちょっと心配だったけれど、二日間を息子とのぶらり旅と洒落て、結構楽しそうに過すことができたようだった。母の様子を見て、僕としてもすこしほっとした。
日曜日、朝食を済ませ早々に宿を出た。小田急の箱根湯本駅からロマンスカーという派手な車両の特急電車に乗って新宿に出、二重橋や仲見世など何箇所か都内の観光名所を案内した後、そのまま上野駅まで母を送った。母が乗車する青森行きの寝台特急はくつる号は午後七時に上野駅を出発する。十分に時間があったので、近くのレストランで早い夕食を済ませた。食事をしながらなぜか腕時計を頻繁に覗くので「時間はまだ大丈夫だよ」と言うと、母は「時間が経つのが速いね」と笑った。
 みやげ物や何やで膨らんでしまった荷物を函館駅止めの貨物で送る手配を済ませ、プラットホームまで送るつもりでいると、「かえって淋しくなるから、ここでいいよ」と母は笑顔を見せて改札をくぐっていった。 列車は青森行きの寝台列車だし、青森で青函連絡船に乗り換えるだけなので、心配することもないだろう。そう思って「それじゃ気をつけて」と片手を上げて見せたが、それは母の背中に向かって投げかける形になった。置き所のなくなった手を下ろし、僕も踵を返した。半月ほど前に契約したばかりのアパートに戻って、明日から始まる新しい生活の準備をしなければならない。

 僕にとって親元を離れて暮らすことは初めてだった。夏休みや正月くらいは帰省するとしても、少なくとも四年間の新しい暮らしがこの瞬間から始まるということなのだ。満員の山手線に揺られながら、僕は少し不安になった。ふと、自立という二文字が妙に重いものに感じられた。母はこの数日間で、僕と言う雛鳥が無事に巣立っていけると確信できたのだろうか。もし母を安心させてやることができなかったとすれば、大袈裟に言うと一生その負い目を引きずっていくことになるのだろうか。国電の手すりにつかまって目を閉じると、つい先ほど改札をくぐって行った母の背中が頭の中に浮かんだ。すると思っても見なかったことに、僕はせつなく胸が詰まるのを覚えて狼狽した。そして大の男がみっともないと思いながらも、僕にはそれをこらえることができなかった。

T・S大学は開校四年目のまだ歴史の浅い大学だった。工学部写真工学科と工学部印刷工学科というあまり聞きなれない一学部二学科の四年制の大学である。
 僕がなぜT・S大学を望んだのかを正直に言ってしまえば、特に大きな理由があったわけではなかった。写真が好きだということはその通りで、中学生時代の三年間写真部に在籍してパチパチ写していたけれど、それとて趣味の範疇だった。しいて志望の動機を挙げるなら親元を離れて単身生活がしてみたかったと言うところだろうか。つまりどこの大学かと言うことは僕にとってそう重要ではなかったのだ。
僕がT・S大学に入りたいと切り出したとき、きっと父は落胆したと思う。なぜなら僕が通っていた函館L・S学園高等学校は有名な鹿児島L・S高校と同じ系列で、北海道では屈指の受験校だったからである。L・Sを卒業した学生たちはそのほとんどが一流の国公立大学や有名私大に進路をとり、この時点からもう生活設計に取り組んでいるような印象さえあった。と言うよりL・Sを卒業しながら進学しなかったり、聞いたこともないような大学に進むというのは、よほどの偏屈者か落ちこぼれととられかねなかったのである。
どちらかと言えば父は堅実なタイプだったので、僕がそのような受験校に入学したことに満足していたようだった。だから私がT・S大学に進学したいと申し出たとき、父は最初当然のことながら反対した。その父が最後には折れて許してくれたのは、父自身も写真狂といわれるほどの写真好きだったからに違いない。
 T・S大学にはもうひとつ東京都中野区に芸術学部的な意味合いを持つ短期大学部があった。本当のことを言うと僕はそちらに進みたかったのだ。しかしその方面は天性の才能がなければ将来つぶしが利かないという理由で、工学部ならばという条件つきの了承だと父は釘を刺した。僕はそういう父を説得する自信もなく、まあ入学してしまえば同じ大学なのだから交流もあるだろうと、何の根拠もない都合の良い判断をし、素直に父の意見に従った。

 新宿で国電から小田急に乗り換え、アパートを借りた本厚木に到着したとき、時計は既に午後九時を回っていた。コンクリの箱を伏せたような何の変哲もない駅舎を出ると、正面にバス乗り場が行き先別に割り振りされて並んでいる。駅舎の左手にはタクシー会社が店を開け、暗い車庫の中に配置車が三台ばかり停まっていた。運転手たちは車庫から直接出入りできるガラス張りの詰め所で、退屈そうに漫画週刊誌などを広げている。駅舎から僕を含めて二三人の客が出てきたのだが、タクシーを利用する客などいないと初めから諦めて見向きもしない。舗装された道路の両側には、五~六階立てのビルディングが数棟並んでいる。こんな風に本厚木駅周辺は、都市としての体裁をようやく整え始めたところだった。けれどもバス停のおよそ半分は、もう終バスが出てしまった後で。明かりを落としていたし、商店もほとんどが既にシャッターを下ろしている。行き交う車も、まばらというより無いに等しかった。よほどの大都市でもなければこの刻限になるとほとんどの生産活動は停止してしまうのであろうか。

「歩いて帰ろう」
 唐突にその考えが浮かんだ。アパートの場所はもう覚えた。知らない町といってもバスの通る道路に沿って行けば迷うこともあるまい。そう考えて僕は歩き始めた。
 小田急線本厚木駅を背に、まっすぐ北へ伸びる広い舗装道路を百メートルほど進むと、そこまで路面を照らしていた街路灯がなくなった。冴え冴えとした満月が街路灯の代わりを務めたので歩くのに何の支障もなかったが、寂しさが僕を取り囲んだ。道路はやがて幅員が今までの半分程度しかない市道と交差する。僕は交差点を左に曲がった。すると町の様相が一変した。まがいなりにも都会の顔を見せていた町が消え去った。蒼い月明かりに晒された道はだらだらとした上り坂になって続いていたが、その左手には道路に沿って点在する個人商店や民家の間から水田の水面が月明かりを反射させている。右手は高い石垣となり、その上に高等学校の校舎がシルエットのように姿を見せていた。僕が目指すアパートはこの坂を上り詰めた辺りにあった。
 夜の更けきった知らない町の知らない通りを、たった一人でとぼとぼ行ったりするとき、周囲には誰もいないということを良く知っているくせに、ふと立ち止まって振り返ることがある。そんな経験はきっと誰しもが持っていることだろう。路肩に無造作に停め置いた車の陰や、物言わぬ巨人のように立ち並ぶコンクリの電柱の後ろに隠れて、じっと僕を見つめる監視人がいる。そんな気配を感じるのだ。もちろん振り返ったところで誰もいはしない。自分が歩いてきた路があるだけで、それも「後戻りは許さないぞ」というようにすぐ先で闇に飲み込まれている。仕方なしにまた歩き始めると、その監視人もまた尾行を開始する。やがて自分の踏み鳴らす乾いた靴音が妙に狡猾に聞こえ始め、そう感じた途端それが自分を尾行する監視人のものであることに気付くのである。
無意識に歩調が速まり、僕はほとんど走るようにゆるい坂道を登った。やがて目指すアパートが見えた。


      2

 適当な言い回しが思いつかないのでアパートといったけれども、形態は小規模な住宅団地のようなものだった。
 敷地の中に平屋の住宅が玄関を向かい合わせに四軒ずつ、計八軒整然と並んでいる。向かい合った二軒の玄関から玄関までは五メートルほどの間があって、広々とした感じがする。
 契約したアパートはそのうち隣り合わせの二軒を学生用に賃貸したものだった。八棟ともまったく同じつくりで、僕にアメリカ映画で見た捕虜収容所を連想させた。
 間取りは玄関を入るとすぐ左手に四畳半の和室があり、右手に便所。正面のドアを開けると台所とその向こうに勝手口。突き当たりに風呂場。そして左手に六畳間の和室。と、簡単に言えばそんなつくりだった。もちろん一般の家庭用住宅だから四畳半も六畳間も、部屋の障子戸には鍵などなかった。

 どうにか迷わずに自分のねぐらに到着した僕は、玄関の前で息を整えようと深呼吸をした。玄関灯が点されていて、ベニヤ板の切れ端で作った表札に、マジックインキで書いた僕と同居人の名前が見て取れた。
 僕は玄関の戸を開けた。ガラガラと言う音に気がついて、「おう。遅かったのう。」とほんの十日ばかり前に知り合った友人の声が奥の六畳間から聞こえてきた。六畳間は僕の部屋じゃないか。そう思ったとたん「部屋、借りとったけぇ」とたたみかけるような第二声があり、僕は何もいえなくなってしまった。

「遅くなりました」
 自分の部屋に入るのに悔しいけれど、僕は不自然にならぬ程度の笑顔を作ってから、障子戸を引いた。三人の新しい友人たちが、一斉に僕に向かって視線を投げた。
「なんじゃい。その不自然な笑顔は?」
 隣の棟の四畳半に入居した、島根県出身の梅原哲周が口を尖らせた。しかしすぐ機嫌を直して、「あちこち連れて行ってもろうたけぇ、おふくろさん喜んどったろうが」と新しいグラスを僕に渡した。
 こちらの棟の四畳半に入ったのは広島から来た男で平手英俊といった。僕が梅原から渡されたグラスを持ったまま突っ立っているのを見て、レッドのボトルを掲げるようにして、どこでもいいから早く座れと目で合図した。僕は頷いてテーブルの空いた一辺に陣取った。
 平手はコポコポと軽やかな音を聞かせながら、僕のグラスに半分ほど琥珀色の液体を注いだ。
「それじゃあもう一度乾杯しようや」と平手は皆を促した。
 いったい何時から飲んでいたのか知らないが、もう茹でたての桜海老のように赤く染まってうとうとし始めているのが、静岡県出身の松木雅良である。
 今にもつぶれてしまいそうな松木の頭を梅原が「起きいや、乾杯じゃけぇ」
といってぽかりと小突いた。松木はびっくりして目をあけると「おう。カンパイカンパイ」と笑った。

 結局その晩僕たちは空が白むまで飲み明かした。レッドの大瓶二本が空になった。しかしその飲み会は、僕たちにとってけっこう有意義なものになったのである。住まいは二棟に分れているといっても同じ環境で四年間を過す仲間なのだ。後でいやな思いをしないように、決めておかなければならないことは決めてしまおう。平手英俊がそう提案した。拒否する理由もないので賛成し、僕が書記を引き受けた。

 まず決まったのは、この住居の名称だった。複数の者が共同で使用する建造物には、一般的に建物としての名称が付けられている。○○ビルとか、××荘というやつである。ところがこれから長い年月暮らしていくことになる我々の二棟は、一般家庭に住宅として賃貸する目的で造られたものだから、住所が登録されているだけである。俗称でいいから親しみの持てる名前を付けたい。提案したのは松木雅良だった。百七十五センチはありそうな長身だったが、痩せているのでそれほど重圧感はない。
 トレードマークみたいなものだといって、外出するときはいつも頭髪を中央からきっちりと左右に撫でつけ、グリスで固めた。どことなく遊び人風の匂いのする男だったが、酒が入ると一気に崩れたから大したことはない。松木は呂律が回らなくなってきたのを気にしながら、最後に「俺のことはこれからガリョウと呼んでくれよ」と結んだ。
「はい。はいはい」
 騒々しい声を張り上げて立ち上がったのは、いつの間にかパジャマに着替えてリラックスした島根の梅原哲周だった。上背はガリョウほどではないけれども体格のせいで実際より大きく見える。映画俳優の小林旭にちょっと似た感じの、いわゆる甘いマスクのハンサムボーイといったところだったが、性格的にひょうきんすぎるのが難点だった。
「わしのことはテツとよんでくれたまえ」
 梅原はまずおどけてみせ「わしは今日ここの本契約で、大家のところへいって来たんじゃが、溝口って言うここの大家、市内のあちこちに学生下宿みたいなもんをよけいもっとっての、大家の野郎その学生下宿と比べたら、こっちはまさに御殿みたいなもんじゃ言うちょった。じゃけぇ、『溝口御殿』ちゅうのはどうかいの」とガリョウを見た。
「溝口御殿か。そりゃいい。いや御殿は大袈裟だ。屋敷がいい。溝口屋敷。それに決めよう」
 ガリョウの一声で第一号案件は可決となった。僕と平手の入居したこの棟が溝口屋敷一号館、ガリョウとテツの棟が溝口屋敷二号館と命名された。

 もうひとつ平手英俊から重要な議題が提出された。
 それは居間をどの部屋にするかと言うことだった。
「ワシら四人、生活を共にすることになるわけよのぅ。ならば話をしたり酒飲んだり、テレビ見たり、そんな団欒の時を過す居間が必要じゃ思わんかいの」
 平手は、ばつが悪そうな目で僕を見た。何だ、その目は。
 この男もガリョウやテツと同じように背が高かった。顔つきが四人の中では最も大人びていたから、いつの間にか僕たちはオヤジと呼ぶようになった。
「こんな図、描いてみたけえ。ちいと見つかぁさいや」
 平手は傍らにおいた週刊誌の下から、一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「おっ。いつ描いた?」
「こりゃ、便利じゃのう」
 ガリョウとテツは同時に言った。談合しやがったなこいつら。
 それは溝口屋敷の間取りを入れた見取り図だった。玄関を左にして僕と平手の棟が下。その上にガリョウとテツの棟が5センチくらいの間をとって平行に重なっている。
「まず、わしとテツの部屋は四畳で狭いけぇ除外じゃのぅ。するとガリョウかカズミの部屋に絞られるわけじゃ」平手は同意を求めるように一度言葉を区切り、ウィスキーを口に含んだ。
 三人はもっともだと言う風に頷いた。僕までなぜ頷くかな…
「ちぃと鉛筆を貸してくれいや」平手がいうので鉛筆を渡すと、平手は図の僕の部屋に正方形を描いた。どうやら、このテーブルらしい。
「そこでこの図を見て欲しいんじゃがの。今わしらの集まっちょるんが、このカズミの部屋」平手は説明を開始した。「今描いた四角形がこのテーブル。障子戸を背にしとるカズミがこれじゃ。その向かいにテツ。カズミから見てわしが左側。わしの向かいにガリョウ」
 平手は言いながら図の中に一人ひとりを丸印で記入していった。三人は平手の書いた図面に身を乗り出すように近付いた。
「ここで気付いたんじゃ。テツの後ろは縁側になっとるじゃろ」
 テツは後ろを振り向いて「おお。本当じゃ」とわざとらしく驚いて見せた。
「ちいとガラス戸を開けて見てくれや」
 すりガラスの引き戸を大きく開くと確かに濡れ縁になっており、その向こうは半透明の樹脂製庇がついたコンクリのたたきが平手の部屋まで続いている。物干し場なのだろう。そしてすぐその先にガリョウとテツの棟の勝手口があった。
「こげな造りじゃけ、もしガリョウの部屋を居間にするとなかなか厄介よ。防犯のことも考えにゃいけんけえのう」
「どういうことだ?」ガリョウが尋ねた。
「自分の棟から居間に行くことを考えてみい。はじめにガリョウの部屋が居間だった場合、わしやカズミはまずこの縁側のガラス戸に鍵をかけて、玄関かこっちの勝手口から出、また鍵をかけて、ぐるりと回って、向こうの棟の玄関か勝手口から入る形になろうが。その上、部屋に入ってしまうと、こっちの棟はまったく見えなかろう」
「そうじゃの」テツが合いの手を入れる。
「逆の場合はどうじゃ。ガリョウやテツは自分の部屋に鍵かけて、そこに見えちょる勝手口から出、この縁側から入ってくりゃあいいことにならんかいのう。しかも向こうの棟がこの通りよう見える。わしはカズミには悪いが、カズミの部屋を居間として利用させて欲しいと思うんじゃが。そういうわけにはいかんかいのう? カズミ」平手はそういって僕を見た。
「いいよ。俺は」
 僕は簡単に申し出を了承した。どうしてこんなに気が弱いんだ。
 とにかくこんな具合に僕の部屋が集会場所として決定した。
 しかしこの集会所に集う友人たちが、やがてガリョウ、テツそしてオヤジという溝口屋敷の住人に止まらず、どんどんその輪を広げていくことになるのである。
 
 平手が小便に立ったのを見計らって、テツが僕のグラスにレッドを注ぎ足した。僕もボトルを持ってテツのグラスに注いだ。
 少し哀れむような視線を僕に向けて「居らんうちにみな決められてしもうたと腹立てちょるじゃろうが、悪気はないんじゃけえ」と諭すようにいった。
「俺は別に気にしてないから」
 僕がそういってウィスキーを口に運ぶと、テツはそれを見て楽しそうに笑い
「気の毒じゃ思うがまあ我慢せぇや。小さいんじゃけぇ」とひとこといった。
 僕にとってはこの一言のほうがはるかにきつかった。確かに僕は百六十センチそこそこしかない。僕は少し落ち込んでレッドをあおった。

 昭和四十四年四月のことである。


     3

 週が変わって僕の学生生活が始まった。
 立ち上がりの一週間は準備期間のようなもので、出席しなければならなかったのは必須科目くらいだった。だから僕はその時間を使って部屋のレイアウトを変えたり、カリキュラムの組み立てをしたりと、結構いい時間を過した。

『自由に使うことができる時間を如何に過すか。それが後の人生を大きく左右する』という訓辞を聞いた記憶がある。それはきっとその通りなのだろう。しかし今もし有意義な時の使い方をしているかと問われたら、心の片隅では「結構良いんじゃないの」とニヤつきながらも自信たっぷりに「否」と答えるしかない。
 正直なところ僕は胸を張って「イエス」といえる若者など一人だっていやしないと思う。なぜかと言えば僕たちはいまようやくスタートラインについたばかりで、目指すゴールさえまったく見えていないはずだからである。どういう時間の過し方をしたなら有意義なのかなどということは、ずっとずっと時が流れてから振り返ってみて初めて答えが出ることに違いないと僕は考えているわけだ。だから僕は暇なときには思い切り楽しく時を過し、勉強しなければならないときにはひたすら学業にいそしもうと心に誓っているのである。『計画的刹那主義』とでも呼ぶことにしようか。
 しかし僕のこの哲学には弱点があった。破綻しやすいということである。特に後者から…
 
 溝口屋敷の四人のうち僕とガリョウは写真工学科、テツとオヤジは印刷工学科だった。それでも一般教養科目と呼ばれる数学とか英語などについては合同講義だったので、初めのうちは四人そろって行動した。ひと月ほど経って生活に少し慣れてくると単位取得のために誰か一人だけ代表で出席し、いわゆる代返という姑息な方法で全員の出席を演じるようになった。
 それでもほんのわずかのこの団体行動は僕たちが溝口屋敷の住人であることを十分にアピールする効果があったようだ。
 新入生たちは皆一様に気の合った友人を探し始め、一週間も経つとほとんどが2~3名の小グループを組んで通学するようになった。
 我がT・S大学は通学する学生たちの出身地に偏りがあるわけではなく、概ね国内各地から均等に集まってきているようだった。だからはじめから友達同士だったというケースは稀で、下宿やアパートが同じとか、通学に利用するバス停が同じとか言うような、きわめて単純な理由で出来上がった即席グループが多いようだった。
 僕たちにしても即席に違いなく、たまたま溝口屋敷にねぐらを定めたという共通項があるだけなのだ。ひと月も遡れば顔も見たことがない間柄なのである。それだけにあの晩あれこれと話し合いながら飲み明かしたことが僕たちにとって大きな意味のあることだったに違いない。誰の目にもにわかグループと比較したときお屋敷の四人の人間関係は、はるかに強い結束が取れて映ったに違いない。
 ところがそのような結束をうらやむ輩もいた。始めからガリョウ、テツ、カズミそしてオヤジなどと呼び合っていたことや、住居が学生として相応しくないという言いがかりのような理由で、溝口屋敷の極道四人衆というような、少し違った見方をするグループもあった。名誉のために言っておくが溝口屋敷はそれほど豪華な屋敷ではない。
 僕が入居した六畳間の家賃が月七千円。四畳半のほうが五千円。プラス夫々の共益費が一千円。合計して月一万四千円だった。
 この言いがかりには始めは四人とも少し困惑したけれど、僕たちは無視することにした。言いたい奴には言わせておけばいいさ。そう腹を決めるとそれほど気にもならなくなった。そして確かに気に病むこともなく、偏見は長くは続かなかった。ひと月も経って生活に慣れてくると、今度は小グループ同士かかわりあっては融合し本当の意味での仲間が増えていった。にわか作りの曖昧な垣根はたちどころに消えていくことになったからである。

 五月に入ったばかりの日曜日、僕は本厚木駅前の厚木書店に足を運んだ。文学界という文芸雑誌を立ち読みする目的だった。毎号読んでいたわけでもないのだけれど小説を書くのが好きで、自分で気に入ったものが書けたときには権威があるといわれる文学界新人賞に投稿しようと狙っていた。その応募要領が不定期に掲載されるので、時々足を運んで確認していたのである。ただ残念なことに自分で気に入った作品を完成させた経験は、まだ一度もない。
 目次を一瞥したが今月号にはどうやらその記載は無いようだった。文学界を棚に戻し、代わりにと言うわけではないが少女マンガ週刊誌を一冊購入して書店を出た。暇つぶしにパチンコでもしようと思いついて歩き出すと、背後から
「あのー」という声が聞こえ、僕は思わず振り返った。その声はか細くて、まさか僕に呼びかけたものとは思わなかった。だから振り返ったとき声の主があまりにも近く、目の前に立ちはだかっていたので、僕は思わずたじろいでしまった。
「溝口屋敷のかたですね」
 男は異様な身なりをしていた。黒のタートルネックのセーターを着黒のジーンズに黒のカジュアルシューズで身を包んでいる。おまけに黒のレイバンまでかけていた。暗がりではきっと消えるだろうなと僕は思った。
 男は僕よりほんの少しだけ上背があったけれど肩まで伸ばした長髪が色白の顔にまとわりついて、ひ弱なものを感じさせた。
「坂の上の、溝口屋敷の人ですよね。今セブンティーンを買ったでしょう」
 男は、余計なことまで付け足して再び言った。
「そうだけど」
 僕は男がいつ攻撃してきても対処できるように身構えた。
「あ、突然声かけてごめんなさい。ぼく、火草薫といいます。写真工学部です。第一溝口荘に住んでいます。分かります? 第一溝口荘。坂ノ下の」
 僕が構えるのを見て黒ずくめの男は少し慌てたようだった。
 テツが大家の溝口はいくつも学生下宿を持っているといっていた。この男の住む第一溝口荘というのもそのひとつなのだろう。それにいわれて見れば授業のときに教室で見かけたような気もした。

「行ったことはないけど、聞いてるよ。溝口荘のことは」
 僕は警戒を解いた。
「ほかの友達から君が屋敷の人だってことは聞いて知ってたんだけど、なかなかチャンスがなくて」
 火草薫と名乗った黒ずくめは、僕が警戒を解いたのを察してかほっとしたように「今、君がセブンティーンを買うのを見てチャンスだと思った。セブンティーン、いつも読んでるの? 連載物で好きな作品がでもあるのかい? セブンティーンに」と、続けた。
 火草が大きな声でセブンティーン、セブンティーンと繰り返すので、僕は少し恥ずかしくなって思わず周囲を見回した。僕はれっきとした健康な男子であり、セブンティーンは紛れもなく少女マンガ雑誌なのである。行き交う人たちが僕と火草の会話など気にも留めずに通り過ぎるのを見て僕は少し安心した。
「西谷祥子の『奈々子の青春』。これがたまらなく好きなんだ」
 声をひそめて僕がそう答えると、火草の目がうれしそうに輝き始めた。
「いいね、あれ。僕もファンだよ」
 火草はそういって腕時計を覗き、少し残念そうな表情を見せた。
「アルバイトがあるんだ。時間だから行かなくちゃ」
 火草薫は一度背中を見せたが、すぐ思い出したように僕を振り返り
「名前聞いていなかったよね」と笑った。
「篝和泉(かがり・かずみ)」僕が名乗ると「今度遊びに行ってもいいかな?屋敷に」と火草はいって、僕の返事も聞かずにアルバイト先へと走り去ってしまった。

 その晩七時頃めずらしく屋敷の前に自動車の止まる音がした。八棟共有の玄関前広場だからどの棟の前に車が停まってもその音に大きな違いはないはずなのだが、直感的にこの棟の前だと感じた。くつろいでいたテツ、ガリョウそして僕は思わず顔を見合わせた。
 玄関の戸が開くガラガラという音に続いて「かがり君いますかぁ?」という声が聞こえた。
 台所で夕飯の支度をしていたオヤジが障子戸越しに「カズミ、お客さんじゃ」
と、取り次ぐ。
 煙草をくゆらせながらテレビを見ていたテツとガリョウが、僕の顔に視線を投げた。夕方戻ってから火草薫という男のことも話に出していたので、テツにしてもガリョウにしても誰が訪ねてきたのか察しはついたようだった。
「飯時じゃろうが」テツが聞き取れないくらい小さな声で不満を口にした。
「はーい」
 返事をしてしぶしぶ立ち上がり台所と玄関を仕切るドアを開けると、火草薫ともうひとり見知らぬ大男がにこやかに微笑んでいた。開け放した引き戸の外に、クラシックカーのような黒のダットサンが止められていた。DUTSUNと綴るこの自動車の名前をダットサンと読むのは日本人だけで、他国にいくとダッツンになってしまうという話を聞いたことがある。

「早速来たよ。友達も連れてきた」火草は悪びれずにいって、もう一人の男に目配せをした。
「栗沢和夫です。溝口荘の」
 男は西遊記に登場する猪八戒のような図体をしていた。しかし顔は猪八戒ほど悪辣ではなく、穏やかな感じだった。猪八戒に出会ったことはないが……。

 低音のハスキーボイスで挨拶すると、栗沢は抱えるようにして持ってきた紙袋を僕に差し出した。
「土産買ってきた。つまらないものですが、っていうのかな、こんなときは」
 火草はそういって笑った。ありがたく受け取って、僕は「まあ、上がりなよ」
と二人を僕の部屋へ案内した。
 火草と栗沢は台所を通るときはオヤジに、部屋に入ってはガリョウとテツにそれぞれ礼儀正しく「お邪魔します」と挨拶したので、わが屋敷の住人たちも二人を快く迎え入れた。
「土産もらったよ」僕はいって、栗沢から受け取った紙袋をテーブルの上に置いた。
 台所から戻ったオヤジが「すまんのう」といいながら紙袋から貢物を取り出した。僕たちはそのみやげ物を見た瞬間、いっせいに「おおーっ」と驚きの声を上げた。それはレッドより1ランク上の、ブラックニッカだったのである。
 僕たちは学生には少し贅沢なこの『ひげのニッカ』で、静岡市から来た火草薫、仙台市出身の栗沢和夫を交えて、空が白むまで語り合い、飲み明かした。いったい何を語りあったのか、その記憶はない。ただひとつこの夜、火草にも栗沢にもテツによってニックネームが付けられた。火草薫がデロリ。栗沢和夫がグズラと命名された。出所は定かでなかったが、ひとたびテツの口から飛び出すと妙にぴたりとはまって感じられるのが不思議だった。なにはともあれ、こうして火草薫と栗沢和夫は溝口屋敷の仲間となったのである。

 僕の部屋に静寂が戻ったのは縁側のガラスを通して差し込む朝日で部屋の中がすっかり明るくなってからだった。午前六時を回っていた。お屋敷の住人たちもそれぞれの部屋に戻り、デロリとグズラの両人も、三時間は眠ることができるからと車に乗って帰っていった。宴会の残滓はオヤジが先に立って片付け終えていたので、皆が引き上げてしまうとなんだか取り残されたように、妙に淋しい感じがした。

 ふと見ると奥の窓際に置いた学生机の上に、今日買ってきた週刊セブンティーンが無造作に置き放してあった。贔屓の作品だけを読み終えて、僕が放り出しておいた物だった。僕たち屋敷の四人と火草薫そして栗沢和夫の出会いは、もしかすると週刊セブンティーンというこの一冊の少女マンガ週刊誌が取り持ったといえるのかもしれない。

第2章 純白のカンバスに

      1

 六月になると梅雨に入った。北海道には梅雨がないので僕にとってそれは初めて体験する鬱陶しいひと月だった。重い霧のような湿気に体ごと包み込まれ、家の中にいても外にいても不快感はちっとも変わらない。
 何よりも暑さにはうんざりした。湿気と暑さとが重なるものだから油断すると押入れの中の布団が緑色になる。何かと思えば黴だった。テツが雑貨屋で除湿棒とかいうものを売っているから少し多めに買って入れておいたらいいと教えてくれた。言われたとおりに押入れの各棚に二本ずつ入れてみると黴の問題は解決した。

 梅雨の期間は洗濯にも影響が出た。たださえ慣れぬ仕事である。電気洗濯機という文明の利器を用いれば簡単だというけれど、慣れない僕にとっては結構重労働だ。工程がいくつもありそれぞれ真面目にやらなければ汚れも落ちてくれない。だから洗い・すすぎ・絞り・乾燥と、どの過程にせよ僕は大嫌いだった。
 当たり前だが雨が降ると洗濯物が乾かない。小刻みに洗濯をして、雨上がりの少しの時間も見逃さず物干し竿にぶら下げておきさえすればそれで何とかなるのだろうけれど、なにしろ学生という忙しい稼業である。一日中屋敷を空ける日だってあるわけだし、雨の方だって僕の洗濯予定に合わせて降ったり止んだりしてくれるわけではない。結局電気洗濯機の空き状態と天気の様子を横目で睨んでいて早い者勝ちでエイヤッと片付けるしか方策はなかった。
 ただひとつ、急げば急ぐほど十分に注意を払わなければならないことが我が屋敷の電気洗濯機にはあった。水槽の中に水が入っている状態のときには決して手を入れてはならないということだった。たとえスイッチが切ってあっても同じことだった。コンセントからプラグを抜かない限り見事に感電した。古道具屋で購入した時代の先端を行くマシンは、漏電という持病を抱えていたのである。

 もうひとつ、北海道にはないものがあった。あったという表現は適切ではない。出没したというべきだろう。
 ゴキブリである。
 ぼんやりとテレビなど見ていたり机に向かっていたりすると、それは黒装束を身にまとった甲賀忍者のように視野の片隅をツツーと過った。
 初め僕は3~4センチほどの黒光りするその虫が何者なのかわからずただ
「なんだなんだなんだ」と大声で叫んでじたばた逃げ回るだけだった。
 威張るわけではないがもともと虫が苦手なのだ。それなのにその虫ときたら滅法すばしっこく走り回り、あろうことか空を飛んだりする。しかも虫の嫌いな人間に対してはきわめて好戦的な動き方をする。
 こんなときのテツは頼もしかった。
「やかましいのう、ただのゴキブリじゃろうが」
 忌忌しげに一度僕を睨んでから、テツは古新聞を手際よくくるくると細く巻いて竹刀を作り、振り向きざま動き回る生物めがけて振り下ろした。
「おみごと」僕は思わずそう叫んだ。
 古新聞の刀の下で敵は息絶えていた。
「しっ。もう一匹おる」
 テツはそういって僕を制した。緊張が走る。
「おりゃあっ」
 テツが新聞紙の刀を振り下ろすのと同時に障子戸が大きく開いた。
 丁度部屋へ入ってきた火草薫(デロリ)の額にテツの一刀流がパーンと大きな音を聞かせて炸裂した。
「お前じゃったか。真っ黒じゃけまちごうたわい」
 テツはへたり込んだデロリの姿を一瞥しただけで再びテレビの前に腰を下ろした。
 テレビでは歌謡番組を放送していて、流行りの女性歌手が暗い感じの流行歌を歌っている。
 “……十五・十六・十七と…アタシの人生暗かった……”

 こんな風にして僕は慣れない環境に少し戸惑いながらも日々を過し、その中に僕なりのリズムが出来上がっていくのを感じていた。それは僕に限ったことではなく溝口屋敷の住人たちみな同様だったと思う。大学は自分の目指すものに向かって受けるべき授業を自分で選択して単位を取得していくシステムになっている。そうなると屋敷の住人たった四人といってもそれぞれ目指すところは異なるわけだから、履修する科目が違うのも当然のことだった。自ずと四人そろっての行動は日が経つにつれて減っていった。屋敷の中にいても居間に全員が集う時は目に見えて少なくなった。
 不思議なものでいささか煩わしくさえ感じたあの数ヶ月前の喧騒までもがなぜか懐かしく思い出されたりした。

 思い返してみるとこれまで僕が自分を描いてきた心のカンバスには、どの一枚をとってもあらかじめ何らかの色彩が既に下塗りされていたように感じる。それはもしかしたら家族のカラーだったのかもしれないし、高校生時代の、あるいは中学校のときの友人達との世界の色だったのかもしれない。
 それは至って当然のことに違いない。あらかじめ出来上がっている僕の良く知っている世界にそっとレイアウトされただけのことだったのだ。
 しかし大学に入学し単身生活を選んだ以上、僕は初めて僕だけの純白の心のカンバスを作るところからスタートしなければならなかったわけだ。そこに何が描かれるのか今は僕自身にも予測すらできない。ただひとついえることはそこ描かれるものは僕にとって大切なものに違いないということだった。


      2

 自分の行くべき道をそれぞれのリズムで歩き始めると、今度はオヤジの日常に影響が出始めた。僕たちは毎月数千円の食事代を出し合い、夕食だけでも一緒に食べようと自炊をしていた。四人のうちそれなりの夕食を作ることができたのはオヤジだけだったので、しぶしぶ夕食係を引き受けていたのである。
 僕たちが屋敷で暮すようになったころはとにかくいつも四人一緒だったから、オヤジも人数分のメニューを準備するだけで事は足りた。ところがだんだんと帰宅する時間にばらつきが大きくなってくると、朝のうちに各人の予定を連絡しておいたにせよ、なかなか予定通りには進まなくなってしまった。
 オヤジ自身だって受講の都合で早出だったり遅く戻ることだってあるのだ。
 
 七月初め。屋敷の居間には久しぶりに全員の顔がそろっていた。降りしきる雨が激しくベランダの庇を打ちすえ、台風かと勘違いしそうなほど大きな音を聞かせていた。その上ひっきりなしに稲妻が夜の空を走り、どこかすぐ近くに落ちたのではと思うほど大きな雷鳴を聞かせていた。
「ちいと聞いてつかぁさいや」
 全員が食事を終えたのを見てオヤジが切り出した。
「ほかでもない、夕飯のことなんじゃがのう………」

 当然だが誰も異議をとなえる者はいなかった。オヤジの言うことはもっともなことだった。結局今まで僕達は家族のようなまとまりを考え過ぎていて、御殿で暮している本来の意義、つまり大学生活を送る為の一部分に溝口屋敷があるということを忘れかけていたのだろう。
 もっと自由であっていい。飯なんか些細な問題なのだ。手作りが食べたければ一人で作ったって問題はないのだし、誰かが一緒に食いたいというならその場で決めりゃあ良いだけの話なのである。
 僕たちは大学という最終学府の門を既にくぐっているわけで、この先はもう社会とか言うまだ見ぬ荒海が待ちうけているばかりのはずだ。ならばもう自分を殺してまで必要以上に周囲に気を配るのはかえってマイナスになるに違いない。
「そうだよ。晩飯なんかどうにでもなる」と、僕は言った。
「すまんのう。わしが言い出したことなのに……」
 オヤジは本当に申し訳なさそうに言った。
「オヤジは何も悪いことはないさ。そもそも俺たち4人、お互い気を使いすぎてるんだよ。だって考えてみればここは団体生活を習う場じゃないよ。俺たち自分がしなけりゃならないことがそれぞれあるんだから、それに向かってもっと自由だっていいと思う」
 僕は頭の中に浮かんだことをそのまま口にした。
「おお。カズミもなかなかいいこと言うの。少し大人になったかのう」
例によってテツが合いの手を入れる。
「しかしカズミの言う通りよ。まあ飯なんぞは近くにいくらでも食堂や定食屋があるけえ不自由することもありゃせんじゃろ。その時間に居る者同志で行きゃあええ。だけど各自の履修に関しては個人責任じゃけ、あんまり人に合わせてばかりいるとえらいことになる。例えば学校から戻ってみると皆がこの居間でくつろいどった。自分は授業の関係で本当は勉強したいんじゃけれど、ほかの皆がさわいどる。しゃあない。わしも加わろうか。……これじゃだめよ。カズミがいう自由ちゅうのはこういう時には居間に来んでもええで、部屋で勉強せえってことじゃ思う」
 テツは僕の言いたかったことを代弁した。僕は大きく頷いた。
 きっとテツのまとめのおかげで、夕飯の件ばかりではなく気の回しすぎに起因したいくつかの問題はきっと綺麗さっぱり解消すると思われた。
 こんなとき僕はつくづく自分が情けなく感じる。言いたいことを文章にまとめることならばそれなりに自信があるのだけれど、口に出して説明するのが苦手なのだ。舌の回りが滑らかさを欠き、上手く相手に伝えなければと思うほどにしどろもどろになってしまうのである。
 勿論それは日常の暮らしに影響が出るほどではなく、いわゆる口下手という言葉で済まされる程度なのだが……。

「ところでな」
 誰も切り出さないので仕方なくという感じでガリョウが口を開いた。
「来週から夏休みに入るよな。みんな故郷(くに)へ帰らんのか?」
 忘れていたわけではなかった。皆がどうするのかやぶにらみしていたのである。ガリョウの誘い水に皆ほっとしたような笑顔を見せた。休みが始まり次第故郷に帰るといった。それぞれの予定を聞くとそれぞれせいぜい三日程度の違いで郷里へと旅立つらしかった。
「そうか。それじゃ来週からしばらくの別れになるんか」オヤジがそういうと4人はそろってお互いの顔を見やった。
 誰からとも無く第一回溝口屋敷送別会をしないか? という提案が出され可決された
 このバケツをひっくり返したような大雨の中誰が酒を買いにいくのか決めかねて、やむなく阿弥陀くじで決めようということになった。くじをつくり4人が自分のラインを選び終えさあ発表というとき、玄関が開く音が聞こえた。雨音のヴォリュームが跳ね上がる。
 出てみるとデロリとグズラだった。二人とも紙袋を大事そうに抱えて並んでいる。もちろん頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れだった。
「来週から夏休みになるけど、みんな里に戻るんだろ?」
 デロリが淋しそうにいった。
「酒買ってきたから。送別会しようや」



      3

 翌週、水曜日。オヤジの帰郷予定が土曜日だということだったので、僕は後を頼んで屋敷を後にした。そんな大袈裟なことでもないのだからと僕は断ったのだが、デロリが本厚木の駅まで送ると言い張って僕のひとつしかないボストンバッグを持って歩き始めた。
 バス停まで来ると丁度折りよく本厚木駅前行きのバスがやってきた。僕達はためらうことなく乗り込んだ。
 車内は空いており僕達は並んで腰かけた。
「汽車の時間は何時だった?」
「上野発午後10時20分の夕鶴3号」
「それじゃ少し時間があるな。ジュゴンでコーヒーでも飲もうや」
「いいよ」
 僕は答えてデロリの顔を見た。やはり僕に何か話があるようだった。

 行きつけの喫茶店ジュゴンは僕とデロリが知り合った書店のすぐ隣だった。
 店内は必要以上の照明は落とされ、穏やかな映画音楽が流れている。客はひとりもいない。
「夏休みかい?」
 カウンターごし白のTシャツにブルージーンズ姿のマスターが声をかける。スリムな30代とでも言うところだろうか。なんの気取るところも無く、もしエプロンをしていなければ客なのか店員なのか判らないだろう。
「ふた月ばかり里帰りしてきます」
 僕はマスターに笑顔を返して「ブレンドお願いします」と注文した。
「了解。デロリ君は?」
「僕はカルピス」
「ごめん。今日はカルピス切らしてるんだ」
「それじゃあ……ホットカルピス」
「だから、カルピスは……」
「冗談ですよ。ははは。ブレンドください。僕も」
 僕はデロリとマスターのそんなやりとりを聞きながら奥のボックスに腰かけた。

 ひとしきりマスターをからかって気が済んだのか、デロリは「おまたせ」といって僕の向かいに深く腰を下ろした。
 火草薫というこの男、一見すると内向的で決して明るいイメージではないのだが、見掛けに反して誰とでもすぐ打ち解けることができる特技を身に着けているようだった。
「まったくデロリ君にはかなわないなあ」
 マスターは湯気の立つブレンドコーヒーを僕達の前において「デロリ君は里帰りしないの」
「俺は帰ろうと思えばいつでも帰れるからね。もう少しこっちにいてバイトでもしようかと……」
「そうか、デロリ君は静岡だったね。それもまた良しって所だね。じゃ、ごゆっくり」マスターはそういってカウンターの中に戻った。

「汽車の時間には十分間に合うな」
 マスターが定位置に戻るのを見計らってデロリが口を開いた。
「だがなるべく早く行きたいんだ。土産物なんかも買おうと思ってるから」
「俗っぽいな」
「仕方ないだろ。初めての里帰りだ」
「同人誌つくろうよ」
 デロリは突然そう言って目を伏せた。その台詞はここまでの会話とは何の脈絡もない唐突なものだった。僕は一瞬デロリが何を言ったのか判断できないほどうろたえた。これがもしかしたらパニックというものかもしれない。
「なんだって?」僕は聞き返した。
 類は友を呼ぶというがデロリも僕と同じようないわゆる文学青年らしい。酒が入るといつもその話をした。
「俺は時間が空きさえすれば原稿用紙に向っているんだ」という具合である。ただし「バイトが忙しいもんでその時間というやつがなかなか空かない」いつもそう付け加えて笑っていたところを見ると、このジョークが気に入っていただけなのかも知れないが………

「同人誌作らんか。俺たちで」
 火草薫は今度ははっきりした口調で言い直した。
 同人誌。なんと魅力的な響きを持った単語だろう。だがすんなりオーケーしては軽すぎる。
「そんなこと簡単に言われても……」
 僕は仕方なくそれだけ言うとデロリの出方を伺った。
「何も難しいことはないだろう。お互い書いたものを本にして誰かに読んでもらう。ただそれだけのことだろう」ここまで言ってデロリはハッと思いついたように僕を凝視して「カズミ。お前、もしかしたら、同人誌と聞いてテーマだとかイデオロギーだとかそういうものに縛られるんじゃないかと思っているな」
「思ってない。思ってない」
「思ってる。思ってる」
 デロリは僕の顔を人差し指で指しながらからかった
 本当は思っていた。
「費用のことだよ。考えていたのは」と僕は逃げた。
 デロリは手書き原稿からコピーしてホチキス止めにするだけの製本で、本屋に並べるわけじゃないから金なんかかからないと説明した。

 青森行き寝台特急“夕鶴3号”は、深夜10時20分、定時に上野駅を出発した。青森までおよそ9時間。青函連絡船に乗り換えて4時間。故郷函館まで合わせておよそ13時間の長旅である。僕は検札が済むのを待って、自分の寝台にもぐりこんだ。普段と比べたら眠るには早すぎる時間だったが酒でも飲めば列車の揺れも手伝ってじきに眠くなるだろう。そう思って僕は列車が出発する前にホームの立ち売りで缶ビールを二本買っておいた。
 B寝台車は上段・中段・下段の3段式寝台で一見窮屈な空間に見えるけれども、マジックテープのついたカーテンを閉め蛍光灯をつけると思ったより広いのが判る。僕程度の上背なら足を投げ出して座っても頭が天井にぶつかる心配もない。ただ僕のベッドは上段だったので細い梯子を使う必要があり慣れるまでは少し怖いものがあった。
 カーテンを閉じビールで喉を潤すと、アルコールが回るにつれて同人誌を出すことに決まったときのデロリの笑顔が浮かんだ。結局本厚木の喫茶店には5時30分まで腰を据えていたのだった。

「同人誌のタイトルを決めなくちゃならんな」火草薫はしかつめらしい顔でそういった。.
 自分から言い出したところを見るとアイデアが既にあるのだろう。僕が水を向けるまでもなく、デロリは「“ブンガクカイ”なんてのはどうだ」と提案した。
 僕は思わず口に入れたばかりのブレンドコーヒーを吹き出しそうになった。
「だめに決まってるだろう、そんな盗作は」
「文学は漢字。かい、は平かな。最後にクエスチョンマークがつく」
デロリはいいながらメモ用紙に書いて見せた。『文学かい?』
「駄目だ。そんなのは」僕はその場で却下した。

 結局タイトルは『肖像』に決まった。他にもいろいろと決めなければならないこともあるだろうが時間はこれから先いくらでもある。とにかく創刊号に向けて夏休みの間にそれぞれ一作まとめようと言うことにした。.
 車輪がレールの継ぎ目を渡る音がリズムを刻むように心地よく聞こえる。
 頭の上に細く小さな小判型の窓がある。左右に滑らせることで簡単に開け閉めできるシャッターがあり、動かすと闇の中を電柱につけられた灯火が次々と飛び去っていく。ほかは何も見えない。
 缶ビールの最後の一口を飲み干して、僕は蛍光灯を消した。窓外の闇が寝台にまで流れ込んでくるようだった。
 闇の中で僕はふと奇妙な思いにとらわれた。淋しさだった。
 初めての夏休みである。およそ3ヵ月半ぶりの里帰りなのだ。それなのにちっとも嬉しい気分が湧いてこない。ほんの短い期間を共に過した仲間達との生活が僕の人生の総てだったようにさえ思われた。ようやく思い出を刻み始めたばかりだというのに………
 できることならここでユーターンして屋敷に戻りたいと思った。だがそれがつかの間の感傷であることを僕は知っている。もし行動に移して溝口屋敷に舞い戻ったところで両手を広げて皆が待っていることなどないのだ。それは僕の感傷が作り出した一枚の絵画なのである。新しい純白のカンバスに僕自身がはじめて書き入れた大切なもの。僕は揺れる列車の闇の中にそれをはじめて見たように思った。

第3章 古里にて

      1
 デッキのフェンスに身体を預けるようにして僕は初夏の海風に身を任せていた。長旅も終わりに近付き、海に落ち込む函館山の絶壁奇岩が手を伸ばせば届きそうに思われるほど間近に見える。着岸までもう1時間足らずだろう。さすがにもうすぐ到着かと思うと3ヵ月半ぶりの古里に心は弾んでいた。昨夜あれほど心が動揺したのがまるで夢だったように思われた。
 函館は海に浮かぶ小島が砂州によって本土と繋がった特殊な地形の上に広がっている。湘南の江ノ島を大きくしたような地形を連想していただければ分かりやすいと思う。正式には陸繋島(りくけいとう)というそうだ。連絡船はいま函館山の西側を回り込むようにして山と砂州の付け根の部分に位置する函館桟橋へと航路を取っているのだった。

やがて船が北東に進路を取り始めると、進行方向に長い堤防が見えた。連絡船は数ヶ所開かれたコンクリートの切れ目のうち中央の一番大きな進入路を目指しているようだ。それを通過すると向こう側が函館港である。進むにつれて函館の市街地が姿を現してくる。

「お客様にご案内申し上げます。本船はあとおよそ30分で函館桟橋に着岸いたします。函館からのお乗換えのご案内をいたします。………」
 案内放送が流れた。
 僕は船室に戻り下船の準備をすることにした。といっても足元に置いたボストンバッグと土産をつめた紙袋を手に持って、伸び始めた下船客の列に並ぶだけなのだが………

 やがて出入り口のドアが大きく開けられ下船客の列が動き始めた。
 何はともあれ僕は3ヵ月半ぶりに古里に戻ってきたのだった。

 3ヵ月半ぶりの函館は季節が早春から初夏へと変わっていた。
 関東地方と北海道では月と季節にずれがある。関東なら3月の印象は春。5月は晩春6月から7月にかけてが初夏。7月から8月一杯が盛夏。そして9月を残暑の季節となる。ところが郷里北海道では3月はまだ冬。早春と呼べるのはゴールデンウィークの頃である。事実、桜もこの頃が満開となる。7月一杯が初夏。8月の半分くらいが夏で残暑はない。僕の身体に染込んでいる季節感はこんなところだった。
 改札口を出た所は広い待合室で次の連絡船で青森に向かう乗船客などが長椅子に座ってのんびりしている。誰か迎えに出ていないか捜してみたが、誰もいなかった。腕時計は丁度12時を回ったところだった。
 改札口の正面に売店がありその横の壁際に赤電話が設置されているのを僕は見つけた。受話器を取り10円玉を入れてダイヤルを回す。幾度かの呼び出し音のあと、母が出た。
 「母さん? 俺。うん。いま着いた。昼だからこのあたりで何か食べてから…うん。わかった」
 僕は受話器を戻した。
 電話のすぐ先に広いコンクリートの階段があり、函館駅方面という文字の下に斜め下を示す矢印を画いた案内板が壁に貼り付けられている。僕は階段を下りて正面の出口から外へ出た。

 そこは僕にとって紛れもなく古里だった。何の気取りのあろう筈もない当たり前の空気が満ちていた。18年もの間僕を育ててくれた重くも軽くもないごく当たり前の空気である。極端な言い方をすれば、いまもし誰か知っている人間がその辺から突然顔を出して「おう、カズミ。一杯やろうか」などと声をかけてきたとしても、何の驚きもなく「いいね。いこうぜ」と躊躇なく付き合ってしまいそうな安心できる何かがあるように僕は思った。
 
 函館桟橋を出て僕は右側を走る道路を渡った。変わり映えのしない土産物店や名物の蟹やイクラをふんだんに使った観光客向けの食堂が軒を並べている。昼時だということもありどの店も結構繁盛している。僕はそんな様子を横目に見ながらまっすぐ歩き広い通りに出た。T字に交差した広い道路で、市電が走っている。人口のためか観光客が増えてきたためか僕は知らないが、年々函館山の裾野方面からこの駅前商店街近辺へと繁華街が移り変わっているようだった。
 僕は商店街にある小さな中華料理店で腹ごしらえすると、市電に乗った。市電は腰かけようと思えばいくらでも座席は開いていた。僕はなぜか少し興奮していて座ろうとは思わなかった。僕は運転席の後ろに立ち手すりにつかまった。
 運転手の肩越しに函館駅が真正面に見える。僕が下りた青函連絡船の函館桟橋は駅に隣接しているのだけれど物陰に隠れるようでここからは見えない。市電はゆっくりと動き出した。出発してすぐ市電は大きく左に方向を変える。函館駅が逃げるように右へ回り込むと変わって正面には函館山が姿を現した。幼い時分、僕や友人達に格好の遊び場を提供してくれた標高335メートルの小山である。
 明日もし気が向いたら登ってみようかな」ふとそんなことを思った。
 登りはロープウェイを利用して、下りてくるときだけ歩くことにすればそれほどしんどいこともなかろう。……
 市電は30分ほどで終点谷地頭(やちがしら)に到着した。家まではここから徒歩5分の道のりだった。


      2
「ただいま」
 大きな声で言って子供のように靴を脱ぎ散らかしたまま茶の間に上がった。
「お帰り」
 母は嬉しそうに迎えてくれた。しかし汗ばむほどの陽気に茶の間の化粧ガラスの入った引き戸を大きく開け放していたので畳二畳の次の間越しに玄関のたたきに乱雑に転がっている僕の靴が見えた。
「あい変わらずだね。子供と一緒」
 母はそういって玄関に下り僕の靴を丁寧にそろえた。

 茶の間の奥に置かれたテレビの前に僕に気付かず上方漫才に手を打って笑っている恰幅のよい祖母の後姿があった。
「ばあちゃん。ただいま」
 祖母のふっくらした肩に手を置くと、それほど驚いた様子もなく「ああ、帰ったのかい。カズミ」と祖母は振り返って優しい声を聞かせた。
「じいちゃんは?」茶の間に姿が見えないので尋ねた。
「じいちゃん、入院してるんだよ」祖母に変わって母が言った。
「どうしたのさ?」
「白内障の手術でね。3日ばかり前に無事済んだんだけどね、歳だから念のため2週間くらい入院していろいろ検査してもらうことにしたんだよ」
 母は茶を淹れひとつを僕に勧め、もうひとつを卓袱台の上において「お母様、お茶淹れました」と祖母に声をかけた。
「そう心配することもないって事なんだけど、まあ歳だからね。夕方持って行く物があるから母さん行ってくるけど、一緒に行くかい?」
 僕は母と一緒に祖父の入院する病院へ行くことにした。2週間も入院するということなら退院まで一度も顔を出さないわけにも行かない。それなら早いほうが良いだろう。そう考えて僕は母と病院へ向かったのである。

 病気をしたり、まして入院などすると一気に老け込むという。どうやら本当のことのようで、久々に会う祖父の顔はげっそりと痩せて見えた。祖父は片方の目で僕を見て嬉しそうな笑顔を見せた。
「まだ7月半ばでねえか。もう戻ったのか」
 祖父は寝間着姿でベッドの上に胡坐をかいて座った。左目に分厚いガーゼが絆創膏で留められその上からさらに眼帯で押さえている。なんとも痛々しい姿だった。
「東京じゃ大学は勿論小学校も中学校も7月に入れば夏休みだよ」
「毎日きちんと勉強しとるか」
「してるよ。毎日大変さ」
「最近コークとか言う飲み物が流行らしいが骨を溶かすっていう噂があるから気をつけたほうがいいぞ」
 祖父は僕との他愛もない一問一答が楽しいらしく次々に質問を投げかけた。僕はなるべく当たり障りのない答えを探した。
「マージャンなんぞはするなよ」と祖父が言う。

 祖父は船乗りだった。ひとたび出港すると3ヶ月から半年間は戻ることができない遠洋漁業で、大手水産会社の母船に乗り込んで管理の仕事をしていた。定年で水産会社を辞めた後もロシア語の通訳として船に乗り続け、完全に船を下りたのは3年ほど前のことである。
 船乗りだったから当然のことのように博打好きだった。その長男である僕の父は堅実な性格で賭け事はほとんどしない。なのに僕はギャンブルが大好きだった。どうやら隔世遺伝というやつは実際にあるようだ。
「しないよ」僕は祖父を安心させようとそう答えた。
 母が持ってきた祖父の着替え用の下着などを整理箱に入れ「お父様、下着ここに入れときますね。脱いだものはこの紙袋に入れておいて下さいませ。さあカズミそろそろ帰りましょうか」と僕と祖父の会話を中断させた。
「じいちゃん、それじゃあまた来るよ。今度退院して様子がよかったら一緒にパチンコでもしに行こうか?」
 僕がそういうと祖父は嬉しそうに大きく頷いて僕の手を握った。

 病院を後にして僕と母が家に着いたとき日は既に隠れ鮮やかな夕映えが空を満たしていた。
 玄関の引き戸を空けると、学校から帰った高校二年生の和代と中学三年の知代という二人の妹が出迎えてくれた。
 茶の間に入りテレビと反対側の壁際に置いた長椅子に僕を挟んで両側に腰かけた妹たちは、東京での僕の暮らしぶりになぜか興味があるらしく、いろいろ質問を投げかけてきた。僕はひとつ二つ質問に答えて、タイミングを見計らってみやげ物を入れた紙袋から“妹達へ”とマジックで書いた袋を取り出した。
「はいお土産」といって手渡すと二人ともきゃあきゃあと歓声を上げて洋間へ入っていった。何を買ったのか忘れてしまったが土産はこういうときにも役に立つ。
 妹たちから解放された僕は祖母が手洗いに立ったのを見て卓袱台の前に座り手を伸ばしてテレビのチャンネルを回した。ニュース番組を放送していたが、学生紛争のニュースばかりでいささか閉口した。
 午後7時を回った頃出前を頼んでいたらしく近所の鮨屋から握り鮨が届いた。上がり框の所で母が勘定を済ませた。
 鮨屋が玄関を出るのと入れ違いに父が戻った。
「お帰りなさいませ」母は父が持っていた鞄を受け取ると「茶の間に居りますわ」と僕が帰っていることを知らせ、次の間の左側から伸びる階段を上がって行った。
 父は茶の間に顔だけ出して僕を見た。
「おう。帰ってたな」
「帰りました」
 僕と父はそんな挨拶を交わして笑顔を見せ合った。

 この晩は他愛もない雑談に花が咲いて、何の気兼ねも要らない楽しい夕食の時を僕は過すことができた。ただ、食事の途中で和代が「兄さん。何でいまの大学を選んだの?」と少し言いずらそうに尋ねた。僕は言葉を捜して一瞬口ごもった。一番して欲しくない質問だった。理由などないからである。それまでとはまったく異質の空気がその場に満ちた。
「和代姉さん。お兄ちゃんだっていろいろ考えてんだから。そんなことどうでもいいじゃない」知代が機転をきかせてその場を取り繕った。
 再び団欒の空気が戻った。しかし僕はそのとき父の瞳が淋しさをたたえて陰りを見せているように感じた。


      3
 日曜日、函館競馬場では中央函館競馬が開催されていた。家にいてもとくにこれといってすることもなかった。あまりぶらぶらしていては雑用を頼まれるのが関の山だったから僕は何処へとも言わずにただ「ちょっと出かける」とだけ母にいって外に出た。真夏の太陽が眩しくぎらついていかにも夏を思わせたけれども、海から吹き上げる風が気温を調節しているようで心地よかった。
 ふと気づくと母が小走りに追ってきた。母は僕に追いつくと財布から五千円札を一枚抜いて「あんまり負けるんじゃないよ」と笑いながら僕の胸のポケットに押し込んだ。

 競馬場までは市電でおよそ40分かかった。競馬場前という間違えようのな名の停留所で降りるとすぐ目の前が競馬場だった。入口の近くに予想新聞を売る屋台のような出店が並び、僕は予想誌を1部と赤鉛筆を買い求め、入場料を払って入場した。

 正面にどの角度から見てもあまり綺麗とはいえないメインスタンドがある。
 僕はスタンドの階段を上った。2階には中央に馬券を売る窓口が並び、一番奥には払い戻し所の表示がある。何処を見てもコンクリート打ちっぱなしの床だし、天井も同じように灰色一色で受ける印象は決して明るいものではなかった。馬券売り場の裏側からドドドという地鳴りに大歓声が重なって聞こえてくる。各馬が第3レースのゴールへと力走するクライマックスの興奮だった。僕は馬券売り場を回りこむように進んで、馬場を見下ろす正面観覧席に出た。
 観覧席スタンドから望む風景は美しかった。ダートコースを囲むように芝コースを回らせた馬場。その向こうに太陽の光を浴びてきらきらと輝く大海原。砂浜に寄せては引いていく穏やかな波。砂浜はゆったりとした弧を描くように続き、はるか向こうで函館山と溶け合っている。それらが一枚の絵葉書のようにバランスよく配置され、どんどん暑さを増していく夏空の下にあった。

 そんな風景に見とれてぼんやりしていると誰かが僕の肩をポンと叩いた。
 驚いて振り返るとはLS高校の金谷先生だった、化学の教師である。
「まあ、待て」金谷先生は僕がまだ何も言わないうちに「学生は馬券を買っちゃいかんぞ」と明瞭な口調でいった。まずいところで会ったなあと胸の中で感じながら僕が「買いませんよ。馬券なんか」と答えると先生は「いや、いいんだ。教師としていっておかなければならん建て前だからな。お前、俺が言ったことを確認、記憶したな」
「馬券を買わないようにという………」
「ちがう。そうじゃない。俺が教師として馬券を買わぬようお前を指導したという事実を認めるかどうかだ」
「確認しました。はい」
「よし。それならばあとは何をどうしようがお前の勝手。何しろ俺は教師としての指導は怠らなかったのだからな」
金谷先生はにやりと笑って「次は第4レースだ。頭はこれだろう」と予想紙に赤鉛筆で大きくひとつの数字を書き入れた。
 馬券を買い終えて僕は馬券売り場を離れた。金谷先生がちょっと来いというように手招きしているのが見える。僕は呼ばれるまま先生のところへ戻った。
「このひとレース終わったら一時間ばかり付き合え」
 金谷先生がそういうので僕は了解するしかなかった。

 第4レースは僕も先生も見事的中し、わずかだが払い戻しを受けることができた。先生は「少し早いけれども昼にしよう」といって自ら特設の弁当売り場に行き幕の内弁当とお茶を二つずつ買って戻ってきた。
 僕と先生は下見所の前にベンチがあるのを目ざとく見つけそこに移動して弁当を開けた。

「神奈川県のTS大学に行ったんだったよな。篝(かがり)君は」
 金谷先生は弁当を口に運んだ。
「はい」と答えて僕は先生の目を見た。
「何かいろいろ言われなかったか? こっちに戻ってから」
「いいえ。別に。どうしてです?」
「お前の家も函館では古い家だからな。どこの誰がどの大学に行ったなどということは既に広がっている」
「そんなにだめな大学ですか?TS大って」
「そうはいわんけどな。ただ就職のときなどには差が出る」
「僕達が努力すれば何とかなることですよね、それは」
「確かにな。努力はどっちにしてもしなくちゃならんさ。ただお前がそこまで写真にのめりこんでいるようにも見えなかったしな。どうなんだ? そのへんのところは」
 僕は心の中を見透かされたような気がして思わず照れ笑いを浮かべてしまった。
「本音を言いますとね、先生。何処でもよかったんです。自分を見つめる時間を作るための場が作れるんなら」
「だと思った。そのためになるべく楽に入学できる学校を選んだっていうわけだ」
 僕は黙って頷いた。
 金谷先生は思ったとおりだとでもいいたげな目で僕を見た。
「わかった。きっとそうだろうと思っていたんだ。それもまたひとつの方策だろうな。頑張ってくれ。TS大のことがもし話題にでも上ったら、俺のほうからはなかなかいい大学だということにしておくから……」といって笑った。

 家に戻ったのは夕方5時を回っていた。茶の間に入ると家族全員がテレビに釘付けになっていた。覗き込むとモノクロームの画面にひとつの足跡が大写しになっている。
「月に人間が下り立ったたんだって。宇宙時代の始まりね」と和代が行った。
 アームストロング船長のコメントが重なる。
「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな一歩である……」


      4      
 気がつくと座卓に広げた原稿用紙の上に上半身を突っ伏していた。いったいどのくらいの時間眠っていたのだろうか。時計を覗くと10時を回ったところだった。6時頃ビールを一本だけ飲んでから食事を済ませた。ほんのわずかの間テレビでニュースを見、それから原稿を書こうと部屋に閉じこもったまでは覚えている。よだれの滲んだ400字詰めの原稿用紙には一文字も書かれていないし書いた覚えもない。ということは座卓の前に座って瞬時にして眠ってしまったということか? この様子から推測するとおよそ3時間は眠りこけていたようだ。
「今日はもう止めた」早々にギブアップ宣言して茶の間へ出ようとしたとき、階段横の台上においた電話が鳴った。次の間を通って急ぐ足音に受話器を取る音が続く。
「はい。篝(かがり)でございます」
 母の声が聞こえた。
「はい。戻っておりますわよ。お待ちください」
母はきどらずにそういって電話の目の前にある襖を開けた。僕の使っている床の間の入口である。
「中田君から」
僕は眠い目をこすりながら廊下へ出て受話器を取った。
「はい。カズミです」
「おう、カズミか。余じゃ」
「なんだ。キューか」
「ほっとする声だった。中田久。通り名をキューというこの男とは中学校1年生のときからの友人でそれからの6年間、つまり高校を卒業するまでずっと同級生だった。その後キューは北海道内のMK大に入学した。僕が選んだTS大と比べればはるかに歴史のある大学だがいわゆるAランクではない。
 キューは変わり者の多い僕の友人の中でもトップクラスだった。こんな遅い時間なのに平気で電話をよこす。しかし僕はこのキューという男に憎めないものがあるのを感じていた。何故かといえばキューは僕より身長が小さかったからだと思う。
「明日会おう。函館公園の裏に山小屋って名の喫茶店がある。知ってるべ」
「ああ」
「朝9時に来い」
「9時? 開いてるのか、そんな時間に」
「余は、開いているかどうかを問うているのではない。来いと命じておる」
 こんな風にキューはこの世で一番偉いのであった。
「わかった、わかった。9時だな」
 僕はそれだけ言って受話器を置いた。

キューと約束した山小屋という名の喫茶店は家を出て函館山の麓に沿って続く道路を25分ばかり歩いたところにある。
 だらだらと続く上り坂が函館八幡宮の鳥居を過ぎて少し勾配がきつくなったかと感じさせる辺りで、それまで右手に遠望できた住宅地と穏やかな海原が突然姿を隠す。函館公園と道路との境界に沿って植樹された木立に遮られるからである。
 公園内には博物館や小さな遊園地、図書館そして小動物園などがバランスよく配置され、それらをつなぐ遊歩道が小高い丘や浅い谷を縫うようにめぐらされている。公園内をゆっくり散策したならばほぼ一日かかってしまうのではないかと思われるほどの広さがあった。そして僕が歩いている道路が公園の裏手の境界になっているというわけである。左側は函館山の森が迫り、右手は公園の境界に沿って植えられた木立が枝葉を伸ばしていたので、僕が歩いているアスファルト舗装の道路は緑の隋道に吸い込まれていくように見えた。

 少し行くと山側の林を一画切り取って造成した区割りがあった。整地されているのは道路から2メートルくらい高い場所で、道路からそこまで斜めの石段が延びていた。道路に沿った入り口には石の門柱があって山小屋と画いたガラス製の行灯が埋め込まれている。目指す喫茶店である。
 僕は階段を上った。
 建物は質素な感じのログハウスで石段を上りきったすぐ目の前に入り口のドアがあり営業中の札がかかっていた。ドアの横に本日のランチメニューを書いた黒板がイーゼルにのせられている。
 ドアを開けて中に入るとキューはもう来ており一番奥のテーブルでエスプレッソを美味そうに飲んでいた。
 なにもいわずに右手を挙げて挨拶するとキューも同じようにして返した。僕がキューの向かいに腰を下ろすのをまってウエイトレスが注文を受けに来る。僕はブレンドコーヒーを注文した。
「いつ帰ってきた?」キューはウエイトレスが去ってから口を開いた
「4~5日前だ」
僕はガーシュインが流れる店内に目をやりながら答えた。
 この時間から店を開けているのは観光客が増えているせいかと思ったが、その割には店内はがらんとしており僕達のほかに客は一組もいないし訪れる気配もない。店は洒落たつくりでなかなかいい感じなのに……。
 場所か。唐突にそんな考えが浮かぶ。場所が悪いためなのか。誰が早朝から函館公園の裏側になんぞ来るものか。

「おい。カズミ」
 僕が押し黙ったのでキューは心配そうに僕を見た。
「すまん。ちょっとくだらないことを考えていた」
「なんだよ?」と、キューは尋ねた。
 僕は話そうか話すまいか一瞬ためらった。あまりにも僕達には無縁のことのように思ったからである。しかし好奇心の強いキューの気持ちには既に赤い炎が燃え始めているようだった。
 ウエイトレスが挽きたての香りが立つコーヒーを運んできた。それをきっかけに僕は考えていた『純喫茶・山小屋の謎』をキューに説明した。
 キューはたださえ細い目をますます糸くずのようにして笑った。
「何を考えているのかと思えば…まったく無関係なことじゃねえか。俺たちには」
「しかたねえだろ。気になったんだからな」
 僕が多少むっとした声を出したせいかキューは笑うのをやめた。
「残念だけどお前が導いた回答もはずれだよ。答えはただひとつ。宣伝をしないからさ」キューは冷めてしまったエスプレッソを飲み干すと「ここの経営者って萩原ナニガシっていう実業家なんだが、なんでも大金持ちでこの店だって道楽で出してるらしいんだ。だから営業時間だって売り上げだってどうでもいいことなんだろう」キューは簡単に説明してから煙草をくわえて火を点け「小洒落た店なんだからちょっとチラシを配るとか、テレビで宣伝でもすりゃあ客は簡単に増えると思うよ」と続けた。
「なんだ、そうなのか。羨ましい身分だな、そいつは」
僕は素直に認め、あっという間にこの話には決着がついてしまった。
「ところで、カズミ」今度はキューが問題を提起する番だった。
「俺は今日でこっちに戻ってから2週間たつんだがな、なんだか妙なんだ」
「なにが?」
「分からない。ここは本当に函館なんだよな?」キューの声は不安に取り付かれているようだった。


      5
 気にかかることがあろうがあるまいがそんなことにはまったくお構いなしに月日は流れ去っていくものらしい。これまで考えたことすらなかったがその速度だって尋常ではないことをはじめて知った。地球が自転する速度だって通常の観点から見ると時速1700キロメートルの猛スピードで移動している。自分もその上に乗っかっているから気がつかないだけで、もし体感できたとすればとたん遠心力か何かで宇宙の彼方に放り出されたとしても何の不思議はない。
 時の移ろいも同じで普段からその流れに乗っているために気がつかないのだろう。そんなこんなで大学生としての初めての夏休みももうあと1週間を残すばかりとなった。
 喫茶店で会ったときのキューの言葉が妙に頭に残っていた。
「ここは本当に函館なんだよな?」
 キューは確かにそういった。
「当たり前だろうが。何を言い出すかと思えば」僕がそういうと夏休みでこっちに戻ってからというもの、何処へ行っても自分を知っている人間達が皆よそよそしくなったという。高校在学中は将来も約束されたようなもので同年代の子供を持つ親類や知人からも羨望の目で見られていたのだけれど、MK大に入学しわずか4ヶ月しかたたぬというのにそれらの人たちが皆ロボットのように無機質になってしまった。そんな感じがするというのである。
 僕もわりと暗示にかかりやすい体質だからキューから言われてからこちら、やたらと気になって他人との会話には気を使った。まあ聞き方によって冷めた口調や言い回しに聞こえなくもないと勘ぐることは簡単だ。しかし今のところSF映画みたいに宇宙人が侵略してくる様子も見えないから大丈夫だろうと思っている。
 キューによるとLS高校は私立だから卒業生が何処の大学にどれだけ合格して、将来どのような職に就いたのかというデータが学生を募集するときに重要な宣伝効果を発揮するというのである。パンフレットなどに乗せる可能性もあるらしい。そんなとき上位の大学に合格する力が十分にありながら三流の大学に合格した段階で受験戦争から下りてしまったりすると高校としても面白くないらしい。もともと受験校だから大学合格率は何処の大学に行ったとしても百パーセントに近いのだから、合格率よりも東大合格者数プラス1とか京大入学者数プラス1というような実績数をカウントしたがっているというのである。
 いわれて見れば、競馬場で会った金谷先生の言っていたことがキューの話に符合するようにも思えるけれど、函館における我が家の立場にまで言及し僕に大学は何処でもよかったと白状させるや否や今度は妙に納得したような態度に変身したのはいったいなんなのだろうか? むしろなに言ってんだかわからないという感じなのである。
 もし仮に学校が指導方針として各生徒を進学させたい大学にあくまでも固執して考えるならばもう手遅れではないか。
「冗談じゃねえや。何処の大学だっていいだろう。俺の人生の一幕なんだから」
 僕は猛烈に腹が立った。
 きっと今回の件はキューの気の回しすぎなのだろう。
 実際のところ分からないというのが偽らざるところだし、僕自身何も感じないのだ。
 もしキューが「いや。そうじゃない」と言い張るならそれはキューや僕を取り巻いた社会が、期待していた通りの大学に進学しなかった僕達に対しての蔑視や嘲笑を浴びせているのではなく、僕達が注目されていた子供の時代を終え大学生として自立した大人の世界に足を踏み入れたことを認めた証なのだ。僕はキューをそういって納得させるしかないように思った。そしてそれは自分自身を納得させるための言葉でもあった。そして僕はこのひと月と少しの間に幾度かキューと会い、僕の言い分を話し聞かせた。キューはしぶしぶ頷いていたが納得したか否かは分からない。
 僕のした行為は自分でさえ納得していないことを正論として他人を納得させようということに違いなく、卑怯者のレッテルを貼られてしまいそうな苦々しい気分だった。

「もう夏休みも終わりだね」
 夕食をとりながら母がぽつりと言った。
 僕は素直に頷いた。
「母さん……」僕は思わず口を開いた。
「え?」
「ここは、函館だよね?」
 僕がそういうと妹たちが不思議なものを見るような目をして僕を見つめた。

 翌日、僕は同人誌のための短編を書き上げたり屋敷の友人達への土産を買ったりと結構忙しい一日を過した。そして更にその2日後、僕は函館空港から羽田行きの飛行機で飛び立った。

第4章 僕たちの時間

      1
 ひと月半もあった大学生としての初めての夏休み。それも今はもう古い思い出の中にある。東京国際空港に降り立ち函館・東京間よりはるかに長い時間を費やして僕は溝口屋敷に戻った。改めて屋敷の前に立つとひと月半も屋敷を留守にしていたことが嘘のように感じられた。
 屋敷の玄関前に立つ。中に明かりが灯っている。しかも僕の部屋、いや、屋敷の居間にである。玄関を開けて中に入る。
「ただいまぁ」大声を出して様子を窺う。泥棒でも入っていたならば怖い話になる。
「おう。戻ったか」僕の部屋から出てきたのはテツだった。僕はほっと胸をなでおろした。居間、すなわち僕の部屋にはまだ数人いる気配がある。
「もうみんな戻っているのか」
 テツは首を横に振る。
「デロリじゃ。友達連れてきちょる」
「何でもカズミに用があるらしい。部屋におるけ。話が済んだころにまた来るわ」テツはそのまま玄関から出て行った。
 荷物を持ったまま居間に入るとテツが言ったようにデロリともうひとり知らない男が座っていた。
「よう。しばらく」デロリはきわめてあいそよく僕に「俺の高校時代の同級生で林義人(はやしよしと)」と男を紹介した。
「は、林です。よ、よろしく」
男は梅干の種を連想させる顔つきだった。
「篝和泉です」
 僕はどうしてよいのかわからずとりあえず名乗りを上げるだけあげてデロリに救いを求めた。デロリは楽しそうに様子を眺めていたが、僕の気持ちを察して「俺のクラスメート。というより、物書き仲間といったほうがいいかもな」と付け加えた。
「なるほど」僕は思わず声に出してしまった。
「そのなるほどの通りさ。まあこのヨシトの場合は俺が誘ったんだけれどな。少しずつでも読者が増えて入会したいなんてやつが出てきたときには、来るもの拒まずの精神で……」

「林君はうちの大学じゃありませんよね?」
 デロリの話が長引きそうなのを無視して僕は尋ねた。
「いや、学校で見かけたことがないから」
「俺は中央大です」
「都内だねそれじゃ。いろいろ打ち合わせが必要なときもあると思うけれど、大丈夫かい」
「大丈夫ですよ。下宿にも電話、あるし」
 しかし次の一瞬ヨシトの顔が少し翳るのを僕は見逃さなかった。
「土曜と日曜はときどきいないこともあるけど、あとはほとんど外にも出ないしね」
「土曜と休日は忙しい?」
「いや。そういうことじゃなくて。土曜・日曜に集まるようなときはあらかじめ連絡が欲しいんです」
 「朝から競馬に行くことがあるので……」
 ヨシトは照れたようにうつむいて、楽しそうに笑った。
 僕は嬉しくなって思わずヨシトと固い握手を交わしていた。
「それではこの3名で同人誌『肖像』を立ち上げます。異議はないですね」デロリが音頭を取って手作り同人誌『肖像』が動き出した。
 縁側のガラス戸の向こう側にテツがやってきてガラスを指先でコンコンと突いた。
「話し合いは済んだかいの」
「ああ、済んだ済んだ」といいながら僕は縁側の錠を回しガラス戸を開いた。テツは2号棟の勝手口を開け「いいぞガリョウ」と呼ぶ。その声と入れ代わりに相変わらずすらりとした体躯のガリョウが勝手口から出てくると「ヨウ」と手を上げて部屋に入ってきた。二号棟の戸締りをして戻ってきたテツが居間をざっと見回した。
「オヤジがまだか。それと、グズラはあとで来るんじゃろ?」テツがデロリに聞いた。
「グズラはもうじき来ると思う」
「よしそれじゃ『溝口屋敷・二学期も頑張ろう会』を開催します。会費としてひとり500円を直ちに徴収します。なお新顔のええと……」
「義人。ハヤシヨシト」デロリが耳打ちする。
「ハヤシヨシト君は、歓迎会も兼ねますのでなんとタダにしましょう」

 会費の徴収を済ませたテツは時計を覗いて「いま6時ジャストよのう。宴会は一時間後7時開始でええじゃろ」といってそのまま買い物に飛び出しそうな勢いだった。僕はそんなテツを台所で呼び止めた。
 屋敷の皆がかなり飲むという話をするとそれならということで中元や歳暮に頂いたウイスキーを数本持たせてくれた。それに酒の肴にもなりそうだったから松前漬けを土産代わりに買ってきた。だから酒にしても肴にしてもそんなに沢山買うこともないと、もってきた土産入りの大きな紙袋をそのままテツに手渡した。
「おおそりゃ助かる」テツは言って紙袋からウイスキーボトルを取り出し台所のテーブルに並べた。そして絶句した。ボトルは3本入っておりそれぞれが名前の通った品物だった。ジョニーウオーカー(黒)、オールド・パー、シーバス・リーガル。紛れもなく本物であった。

 屋敷の前にオートバイのようなエンジン音が聞こえた。続けて玄関を開く音。
「ただいま」オヤジの声だった。
 自分の部屋に荷物を放り投げるどさっという音が聞こえ、次に廊下と台所を仕切るドアが開いてオヤジが入ってきた。
「みんな帰ってきて……」親父の目もテーブル上の3本のボトルに釘付けになった。
「どうしたんじゃ、これ?」

 元に戻った。
 僕はこのときそう感じていた。夏休みで一月半も里帰りしていたことなど夢を見ていたに違いない。今僕の目の前にある光景に何の違和感もないではないか。ここにいる友人達との空間だけが本当の世界なのだ。そうだ。僕は幻想の世界から確かに舞い戻ったのだ。



      2
また玄関の開く音がした。
「今晩は。上がるよ」
 グズラの声だ。
「早うボトルを隠さんかい」
 オヤジは声をひそめて指令を発した。僕もテツもオヤジが何を言おうとしているのかを瞬く間に理解したから、3本のボトルを流し台下の収納に隠しきるのに5秒とかからなかった。収納の扉を閉めるとほぼ同時にグズラが台所のドアを開けた。
「宴会用の酒買ってきた」グズラは嬉しそうに紙袋を見せた。
「おう。どうもどうも」僕はとぼけて「さ、さ、宴会場のほうへ」とその尻を押すようにしてグズラの巨体を居間に押し込んだ。僕は障子戸を一度閉めて
「じゃあ何か少しだけ買って来て」とテツにささやくように頼んだ。
 テツは任せなさいとばかりに手のひらで胸を叩いた。
 僕はオヤジとテツに後を任せて居間に入った。

 居間には誰もいなかった。綺麗に掃除された部屋には窓からの陽射しに変わって夕暮れ時の薄闇が広がり始め、妙に寒々とした空気が漂っているだけだった。僕は台所を振り返った。
 テツの姿もオヤジも消えてしまって小奇麗に掃除された流し場が乾燥しているのがなぜか哀しかった。
 僕の部屋に目を戻す。がらんとした部屋の真ん中にボストンバッグがひとつだけ思い出という荷物を詰めこんで旅立ちを待っている。
 僕はふうとため息をついた。あれからもう五年が過ぎているのである………

「今、そんな昔を懐かしんでいったい何になるというのだ。」
 ひとりの僕自身が僕にそう問いかける。
 明日はもう卒業式を迎える。僕は式が済み次第郷里に戻ることにしていた。
 一応の礼儀として五年の間使わせてもらった部屋を掃除し、貨物として送り出せるものはその手配を終えた。もう何もすることはない。一夜が明けたならば僕は何食わぬ顔で卒業式に出席するだろう。そして一度この部屋に戻り最後の確認をしてバス停へと向かうのだ。それで僕の学生時代は総て終わる。僕や友人達の生きた時間は溝口屋敷という僕たちが勝手に作り上げた世界とともに完全に消し去られてしまうのだ。
 ならば僕の心が見た5年間はどうなのだろう。それとていつか知らず風化してしまうものなのかもしれない。しかしそれこそが間違いなくこの5年間僕が大学生として存在した証なのである。
「懐かしんでいるわけじゃない」
 めずらしく僕は反発した。
 ひとつの時が終わると次のときが始まる。そんなことは誰だって知っている。僕の前に広がっているのはありふれた言い様だが大人の社会というやつなのだ。
 明日になれば僕は否応なしにその社会に足を踏み入れることになる。ただ、足の踏み入れ方ひとつでその先の僕の人生は大きく異なるものになるだろうから迂闊なまねもできない。頼るもののあるはずもなく、わずかに屋敷で過した5年間の体験だけが判断材料なのである。過ぎ行く時を次のときへの踏み切り板にするなら、その有り様をしっかりと見極めることが必要なはずだ。ならば大学生時代の、いや、溝口屋敷の住人だったときのフィナーレを見極めることがなぜ懐かしむということになるのだろうか。

「どうした、ぼんやりして?」
 グズラは突然押し黙った僕に心配そうな視線を向けた。
 デロリはセブンティーンの最新号に没頭している。
「酒の肴買いに出たから、少し待ってくれ」
 僕はグズラに視線を戻した。



        3

 僕たちが知り合ったとき、グズラこと栗沢和夫は自分を仙台市の出身といっていた。もう少し詳しくいえば仙台市に程近い塩竃市(しおがまし)というところらしい。宮城県仙台市ならば誰でも知っている大都市だけれど、塩竃市と聞いてたちどころに「ああ、あそこか」とイメージできる人間はそう多くはない。面倒だから仙台市でも良いと判断した。確かにグズラの家が何処にあろうがこの溝口屋敷に居住する青年たちの歴史に重大な問題を引き起こすこともなかろう。グズラの家はその仙台市に暖簾を出す和菓子屋ということだった。かなりの歴史を持った旧家らしかったが、これもまた本人の申告によるものでしかない。
 グズラはおっとりとした口数の少ない、優しい性格の持ち主に見えた。多分この観察結果は間違ってはいないと思う。しかしグズラが持つもあうひとつの違った一面にはじめて気付いたのはテツだった。
「今日グズラは来るんかのう?」
 アルバイトに出ようとする僕をテツが呼び止めた。初めての夏休みを終えて溝口屋敷に戻ったあの宴席の日から、さらにまた一年以上過ぎた頃のことである。僕たちは皆二年になり、すっかり学生生活にも慣れて、これぞ大学生といわんばかりに振舞っていた。
 僕を呼び止めたテツの表情はなぜか嬉しそうにニヤニヤしていた。
「多分来るだろう。今日は夜勤じゃないはずだから。8時頃かな」
「そうか」
「なにニヤニヤしてるんだ」
 テツは誰かに言いたくて仕方がなかったというように笑った。
「今晩グズラを使って、ひとつ実験しよう思っちょるけぇ、カズミも立ち会いたけりゃ早う帰ってこいや」
「実験?何の」
「そりゃあお前、心理学に決まっとろうが」
「心理学?」
 テツは僕が関心を示したのを見て「十分ばかり時間が取れんか?」
 僕は腕時計を覗いた。4時35分になろうとしている。
「いいよ。まだ大丈夫」僕は答えた。

 僕のアルバイトというのは家庭教師だった。屋敷の近所にある雑貨屋の息子が僕の生徒である。頭は悪くはないのだがお調子者で学校で先生の言うことを聞かない。今小学校4年生なのだが、成績は下がる一方だ。何とか落ち着いて勉強する習慣を作ってもらえないだろうか。これが宮本雑貨店のおばちゃんから頼まれた目標だった。

「ちょっとわしの部屋に来いや」
 僕はテツの後を追って2号棟へ入った。テツの部屋は僕のとは異なり小奇麗に整理整頓されていた。僕の部屋は6畳間、テツのは四畳半なのだがテツのほうが広々とした感じがした。
「なんだよ、もったいぶって」という僕を制してテツは机を指差した。
 何処から手に入れたのか今では殆ど見かけなくなったゴールデンバットが5箱ばかり乱雑に転がっていた。
「どうしたんだ、これ?」
「貰うたんよ。珍しかろう」
 僕は素直に頷いて「今はほとんど売っていないよ」
「そうかそうか」テツは嬉しそうに笑って「一箱やるよ」と僕のほうに放った。
「ありがとう。で、バットで何をやらかそうっていうんだ?」
「それは後のお楽しみじゃ。早うアルバイト行ってこいや」
 僕はテツからもらったバットを上着のポケットに入れて、しぶしぶ宮本雑貨店に向かった。

 アルバイトを終えて屋敷に戻ったとき、グズラの愛車黒塗りのダッツンはまだ来ていなかった。7時15分を少し回っている。僕の部屋、すなわち溝口屋敷の居間ではテツがひとり退屈そうにテレビを見ていた。僕が障子をあけるとテツは「グズラはまだ来んか。なにやっとるんじゃ」と苛立ちを見せた。
「知るか。そんなこと」
 一言二言テツとそんな会話を始めたとき、玄関前に車の停まる音が聞こえた。どうやらやってきたらしい。僕とテツは顔を見合わせて思わず沈黙した。やがて……
「おーっす。上がるよー」と低くかすれた声がして、グズラが顔を出した。
「遅かったのう。待っとったんじゃ」
 テツはわざとらしい笑顔を作ってグズラを迎えた。さすがにグズラは不信の目をテツに向けた。しかしテツはグズラが口を開こうとする寸前の絶妙なタイミングを見計らって先制攻撃に出た。
「実はちいと珍しい物を手に入れたんじゃ。タバコなんじゃがの。確かタバコには滅法詳しいとか言うてたのを思い出してのう」
「ま、まあな」
「今すぐ持ってくるけぇ」テツはグズラに言葉を継がせず、縁側から外へ出ると自分の部屋へと小走りに入って行った。

 待つほどもなく居間に戻ってきたテツは、その手に古新聞で丁寧に包んだ小さな物を持っていた。
「これなんじゃが、そんなに珍しい物なのか?」
 そういいながら包みを開けテツが取り出したのは缶入りのゴールデンバットだった。大きさは丁度缶入りのピースと同じで、胴にゴールデンバットの包装紙と同じものが巻かれている。一見すると非常に丁寧な仕事だったが、それがテツによる手作りだということは明白だった。その蓋には平和の象徴である鳩がしっかりと刻印されている。テツもそれには気がついていたと見え、手のひらで覆うようにして蓋を開け本体をグズラに手渡した。
 すぐにバレるぞ。と僕は思った。しかし意外にもグズラの口から出た言葉は「滅多にお目にかかれなくなったなあ」だった。
「知っとるのか? こいつを」テツは驚いてグズラを凝視した。
「俺の田舎あたりでは今でも時々売っている。バッカンって呼んでる。缶入りのピースをピーカンっていうようにな」
「なんだ、そうか。なら、おまえにやるよ」
 テツは必死に笑いをこらえながらピーカンの蓋をグズラに手渡し、自分の部屋へ走り去った。
 グズラは驚いた様子で「俺、何か悪いこと言ったか」と、僕に不安そうな視線を向けた。

 僕は様子を見てくるから待っていてくれといって、テツの部屋へ向かった。
「入るぞ」とひと言かけて障子を開けると、畳の上にひっくり返ったテツがのた打ち回って笑い転げていた。
「やっぱりそうじゃった。グズラはやっぱり知ったかぶりしいじゃった。バッカンじゃと。バッカンじゃなかろうか。あはは……」
 僕はなにもいわず障子を閉めた。



     4

卒業式前日。部屋にぼんやりと佇んでいると、3年前にオヤジが大学をやめた後を引き継いで屋敷の住人となったグズラが障子戸を開いた。結局最後まで僕と共に屋敷での生活を送ったのはグズラだった。一番世間知らずの僕と、一番もの静かなグズラとで、溝口屋敷に暮した僕たちの小さな歴史に幕を下ろすことになった。そんなことをいったい誰が予測できただろうか。
「いよいよお別れだな」
 グズラの言葉にも同じ思いが込められているのが分かった。
「5年だぜ、5年。過ぎてしまえばあっという間だ」
「本当だな」僕は相槌を打った。
「明日になればカズミは故郷(くに)へ戻って、もうここに戻っては来ないんだよな……。俺にしてもここにいるのはあと何日もない。そしてきっと俺たちもう一生顔を合わせることさえないかも知れない」
 グズラは辛そうに言った。
 僕は敢えて反論もせず首を縦に振った。
「強いな。カズミは」グズラは僕を睨むように見た。
「強かないよ。受け入れるしかないだろう」
「俺はさ、あいつたちにも聞いてみたかった。この五年間が俺にとってなんだったのかをね」
「それはこの先、いつか必ず時が答えを出してくれるはずだよ」
 グズラはがらんとした部屋の畳の上に座った。
「なあ、カズミ。やつらにも連絡して、二年とか三年とか先にどこかで集まるような計画を立てられんかな?」
 グズラの言葉には真剣な響きがあった。
「できそうにない計画はしないほうがいいよ」
 突き放すように答えるとグズラも残念そうに頷き「そうだな。気にするな。言ってみただけだ」と寂しそうに笑った。

 グズラは寡黙なと表現するのが良いのかどうか判らないが口数の少ない男だった。僕もどちらかといえば社交的ではなく、部屋の中で自分だけの物語に身を委ねているほうが多いタイプなのだろう。しているアルバイトに共通項もなく、そんなわけでじっくり話し合ったという記憶も多くはない。そのようなつき合いの中で僕にはひとつだけ忘れることができないグズラとの思い出がある。
 去年の4月末のことだ。ゴールデンウィーク只中のある日、グズラが僕の部屋に顔を出し手持ち無沙汰だからどこかドライブでもしようという。僕も時間を持て余していたのでグズラの誘いを受けた。
 グズラはダッツンを発進させた。クラシックカーのような車種だけれども手入れが行き届いており乗り心地も悪くはなかった。
 グズラは車を北へと進めた。
「相模湖でも見てこよう」
 ぽつりとそれだけ言ってグズラはまたしばらくの間黙り込んだ。厚木の市街地をあっという間に抜けると、車の外は水田や畑地の広がる風景に変わった。助手席の窓外をぼんやりと眺めているうちに僕はあることに気がついた。点在するどの農家の庭にも高さにして十メートルほどもある金属製のポールが立てられ、おびただしい数の鯉のぼりが爽やかな空を泳いでいるのである。勿論この時期だから僕の郷里の北海道にだって鯉のぼりを立てる家はいくらでもある。しかし数が違った。北海道ではせいぜい真鯉一匹と緋鯉が一匹、それと吹流しくらいの規模が普通だった。それに対してここでは一本のポールに7匹も8匹もの鯉が養殖鰻のように風にのたうちまわっている。
「すごいな」
 僕は窓外に目を向けたまま感想を口にした。
「見栄だ。力関係とか裕福さを示す尺度みたいなもんさ。男の子の人数なんかとはぜんぜん無関係にな」
 グズラは珍しく話を続けた。
「あと一年で卒業って時になんだが、カズミはどうしてこの大学に来た?」
「自分を見つめなおそうと思って……」
「フン」とグズラは鼻を鳴らして「そんなことは言い訳にもならん」
 さすがの僕もその言い方に少し腹が立った。
「それじゃ聞くが、お前はどうなんだ?」
 気色ばむ僕をグズラは制して「他人にはカズミと同じ答え方をしている。だがそんなのは嘘っぱちさ。今考えればただ何となく何処でもいいからというのが本音だったような気がするんだ」
「それが自分を見るということなんじゃないか」
「違う。ぜんぜん違うよ、それは」今度はグズラが声を荒げた。「自分を見つめなおすって言うことは、いろいろな境遇に身を置いて、自分がどう対応しているかをじっくりと観察することなんだ。カズミの考えはただその日を過すということでしかない」
 僕はグズラに反論することはできなかった。
「菓子屋だぜ俺の家は」グズラは続けた。「3人兄妹。上と下は女。普通なら俺が店を継がなけりゃならん。それが嫌で、何かが見つかると思い込んでここへやってきた」
 グズラはダッシュボードを開けてセブンスターを取り出すと1本咥えて火を点けた。
「答えは?」
「答えにはならないけれど、ひとつだけ判ったことがある」
「というと?」
「あの鯉のぼりを見ろよ」グズラは指差した。「大学の試験に受かってこっちに来る少し前だった。俺は菓子屋を継ぐのは嫌だと父に言ったんだ。そうしたら父が何ていったと思う? 大学生のうちに自分がするべきことを見つけてみなさい。それを父自身が俺から聞いて納得できれば店の暖簾は下ろしても構わない。そういうんだ。そんなことできるはずがない」
 グズラは窓を開けて短くなったタバコを放り投げた。
「どうして?」僕は聞いた。
「結局あの鯉のぼりの鯉と同じなんだ。自由に大空を泳いでいるように見えるけれど、頑丈な糸できっちりと繋がれていてどこへも行けないんだよ。仮に何とか糸を外して飛び出すことができたとしても、ほんの数秒間風に乗れるだけであっという間に墜落してしまうだろうさ。選択肢はないに等しいのさ」
「それはその個人によって条件も違うだろうし……」
 僕がそういうとグズラは笑った。
「当たり前だ。もし全員に共通する回答があるなら、苦しんで自分の生き方を考える必要もないことになるからね」
 話し終えたグズラは何故か寂しそうな目をしていた。

 グズラは僕のボストンバッグを部屋の片隅に押しやり、代わりに古新聞を広げた。
「一杯やろうや。酒、買ってくる」とグズラが立ち上がるのを僕は制した。
「酒ならあるよ」
 グズラは笑って台所へ行きショットグラスをふたつと、買い置きしてあった缶詰の簡単なつまみを持って戻ってきた。僕はこのまま部屋に残しておくことにしたスチールデスクの引き出しからウィスキーボトルを取り出して古新聞の上に置いた。シーバスのボトルを見てグズラは息を呑んだ。
「すごいな。本物か?」
「封も切ってないよ。開けてくれ」
 グズラはボトルに小細工がないかどうかを調べるようにじっくりと観察してから封を切った。新聞紙の上に置いたふたつのショットグラスに軽やかな音色を響かせて、グズラは琥珀色に輝く液体を注いだ。

「やつらにも飲ませてやりたかったな」
 グズラはグラスを高く掲げた。
「いるじゃないか。皆、ちゃんとここにいるよ」
 多少芝居がかってわざとらしいかと思いながら僕がそういうと、グズラは満面に笑みを浮かべて「ああ、本当だ。それじゃ僕たちの卒業に乾杯しよう」もう一度グラスを掲げなおした。
「デロリの卒業に乾杯」グズラは口火を切って乾杯の発声をし、グラスのウイスキーを美味そうに目を細めて飲み干した。
「テツの卒業に乾杯」グズラに習って僕が続ける。グズラは空いたショットグラスにシーバスを注ぐ。
「ガリョウの卒業に……」
「オヤジの卒業に……」
「林義人の卒業に……」
 そして僕とグズラはお互いのショットグラスをことさら高く掲げた。
「俺たちの卒業と前途に乾杯」
 思い出話を肴にひとしきり高級ウイスキーをあおり、およそ半分まで空いたかと思うところで僕とグズラは近くの定食屋で飯でも食おうということになった。戸締りをして外に出ると3月半ばの夜風はまだまだ冷たく、僕は思わずジャンパーのファスナーを首まで引き上げた。
 屋敷の居間に集う友人は、乾杯を終えた7名の他にもまだ10人近くいたように思う。しかし心を開いてお互いの青春を共に見つめあったのは名前が挙がった7名だった。僕の心にある僕たちの時がまさにいま終わろうとしている。しかしそれは自分中心の実に身勝手な思いに違いない。なぜかといえば7名のうち僕とグズラを除いた5名は何年か前にそれぞれの意志や家庭の事情で既に学生の時を終えていたのである。

 定食屋へ行く途中にバス停があった。僕たちがバス停に差し掛かったとき本厚木駅前行きのバスがやってくるのが見えた。
「居酒屋にでも行って入ってもう少しやろうか」
 どちらからともなくそういって、僕たちはバスに向かって手を上げた。

第5章 それぞれの道

       1
 出来上がったものを見るとままごと遊びのような同人誌だった。それでも第一号を10月に発行し、季刊誌の形でまとめて行こうと決めると何故か皆やる気を出した。三人ともいっぱしの小説家にでもなっ
たようにそれぞれの青臭い思いを原稿用紙の中に発散させた。作品についてああだこうだと話し合う時間も増え、最初は溝口屋敷の居間、つまり僕の部屋であったアジトがいつか駅前の喫茶店“ジュゴン”に
変わっていった。
 授業やアルバイトなどがないときには、多くの時を喫茶店ジュゴンで過すようになった。『肖像Ⅰ』を出して一冊を進呈するとジュゴンのマスターはたいそう喜んで、店の一番奥のボックスに『肖像の会・御席』と記したプレートを置いてくれた。
「良いんですか? こんなことしていただいて」
 僕が尋ねるとマスターは「どうせ満席になることなんかないからね」と笑って答えた。

 火草薫はバローズのスペース・オペラに心奪われているかと思えば、なだいなだのジュブナイルについて熱く語ったりした。林義人は川端康成に傾倒する純文学派。僕はといえば、北杜夫の作品にあるようなすべてを飛び越えた世界が大好きだった。
 意識も作風もまったく違うこのような三人が、進むべき道やゴールさえ示されないままに何かを残そうというのだから『肖像』には初めから限界が見えていた。討論してもいつだって結論は出せずじまいだったし、方針すらなんとなくごまかしてしまうようなところがあった。だからもし同人誌『肖像』が一般販売を目的として書店に並べられたとしても、一冊だって売れはしなかったと断言しても良い。読み手の側に立って考えると、苦痛以外の何物でもないからである。
 だが僕たちはそんなことは一向に気にしなかった。発刊さえしてしまえば、手に入れた人間は必ず僕たちの作品を真剣に読んでくれる。そう信じて疑わなかった。僕たちの若い脳細胞はネガティヴな考えを生むことは決してなかったのである。

 同人誌『肖像』に載せる作品はテーマ自由・表現自由の約束だった。発行部数はそれぞれが必要とするだけ勝手に作ればよいということで、僕は20冊ばかりを手作りした。勿論当初の計画通りトレーシングペーパーに手書きした原稿から陽画焼きコピーを取り、ホチキスで綴じただけの簡単なものである。僕たちは原稿が出来上がりさえすれば後は楽なものと高を括っていた。ところがこれがやってみるとなかなか骨が折れる作業だった。トレーシングペーパーには薄青色の罫線が印刷されていてレイアウト自体は容易だったけれども、レイアウトのセンスについてはまったく別物で、なかなか上手くいかない。それに三人とも字がへたくそで、精いっぱい努力しても子供の習字程度の文字しか書くことができない。妥協に妥協を重ねて何とか元原稿を丸写しするのも辛い仕事だった。
 しかしそれは僕たちにとって間違いなく充実した時間に違いなかった。いつの日か有名出版社から執筆依頼が舞い込むことを夢見て、僕たちはばかばかしいほど真剣に原稿用紙の升目を埋め、コピーをとり、製本に打ち込んだ。『肖像・Ⅰ』はこうして初めての夏休みが終わっておよそ一月後の10月初旬に出来上がった。

 文章の書き方すらよく知らない小説家としては新人以前の物書きたちにとって、全て自由というこの約束が良かったのか否か? 客観的に見れば疑問符がつくところだ。自由とはある意味残酷なものである。
数人が集合して何かを残そうとするときには、賛同するにせよ対立するにせよ進む方向くらいは同じはずである。作風が異なるとしてもその中のどこかに接点を見つけ出して対話の糸口としていくものである。たまたま同じ軒下に雨宿りする者同士が、間の悪さを解消しようと「ひどい雨ですな」とか「降ってきましたねえ」とかいってきっかけを探るのに似ている。世間知らずの行動は反撥を生むだけで、自分本位の考えに陥り、作品ばかりではなく作者までだめになってしまう恐れすらあるのだ。

『肖像・Ⅰ』を出して間もなくのこと、ジュゴンの指定席にたむろしていると、マスターがコーヒーを運んできて「ちょっといいかな?」と火草薫の隣に腰を下ろした。
「読ませてもらったよ」
 マスターは落ち着いた口調で言うと『肖像・Ⅰ』をテーブルに置いた。
「ありがとうございます」火草が代表して礼を言った。「で、どうでした?」
「うん。面白かったよ。別の意味でだけれど」
「別の意味?」僕たちはそろってマスターに目を向けた。
 マスターは頷いた。穏やかな表情だったが眼光だけは鋭いものがあった。
「感想を言わせてもらうよ。僕の勝手な解釈だけれど」
 マスターはそう前置きして続けた。
「まずデロリ君。全体的に熱いね。熱すぎるといっても良い。そしてなぜ主人公があそこまで熱く描かれなくちゃならないのか。そこに至る過程が希薄だね」
 デロリは大きく頷いた。
「林君。君の作品は三人の中では一番小説らしい。随分呼んでいるんだろうね。だけどまだまだ掘り下げ方が浅いよ。主張すべき部分が、そのために単なる文字の羅列でしかなくなっている」
「そのとおりです。気付いていました」林義人はマスターに尊敬の目を向けた。
「最後にカズミ君」マスターは厳しい視線で僕のほうを見た。
「君の作品は骨の部分だけが一人歩きしているような感じだ。他人の口を借りて自分の言いたい事を押し付けているような感じで、堅苦しいな」
 マスターは三人の作品について感想を話し終えると「勝手なことばかり言った。気にしないでくれ。ただ、君たちいつも仲が良さそうだから言うんだが、本当は皆違う方向ばかり見ているようだね。だけどもっとお互い見つめあったほうが良い。そうしなくちゃせっかくの肖像も長続きしないと思うよ」と結んだ。

メンバーの中にそのことに気付いていた者がいたかどうか、今となってはもう判らない。きっとマスターの言ったことは的のど真ん中を貫通していたのだろう。当然の帰結といえるかもしれないが、同人誌『肖像の会』はそのおよそ一年後、『肖像・Ⅴ』を発行して自然消滅してしまうことになる。

      2 
 はじめはあんなに熱く燃えた『肖像』だったが、ほんの一年でどう見ても中途半端としか言いようのない最後を迎えることになった。結局ジュゴンのマスターの言うとおりになってしまった。せめて“最終号”とか冠でもつけて閉めたかったのだが、できるわけがなかった。原因は単純だった。そうならないための努力を僕たちが何一つとしてしなかったからなのだ。というより何をどう努力すればよいかということさえ判らなかったというのが情けない現実だった。
 燃え盛る炎も何もしないでいるとじきに消えてしまう。僕たちは確かにいつも他愛ない話題で話を弾ませていた。しかしそれは同人誌に載せたそれぞれの作品についての相互評価などといえるものではなかった。三人とも表現しようとする世界も思想も何もかもがそれぞれ別の方向を向いていて討論のきっかけとなる糸口さえ見つからないというのが実際のところだったのである。『肖像』の締め切りが近いときには同人誌のことについて討論するときもあったが、それだってお互いの作品を評価しあうのではなく、自分の作品を自慢するだけのものだったように感じる。俺はこんなものを書いたぞ。どうだ、恐れ入ったか。それがいいたいだけで、ほかの作品に対してはあまり熱を入れて読むこともない。言い方を変えればみな未熟なものではあったけれども自意識が強く、自分の作品に関してあれこれ言って欲しくないと突っ張る部分が強かった。作品の内容や表現の仕方については足を踏み入れてはならない領域だという間違った文学意識が僕たちの中に存在しているようだった。当然議論し会うこともないから、見かけ上仲が良いということになる。ジュゴンのマスターが心配してくれていたのはまさしくこの部分だったのだろう。
『肖像・Ⅴ』をまとめ終えた段階で、これが最後と感じていたのは僕だけではなかったと思う。きっとデロリにしても林にしてもそう感じていたに違いない。だから僕たちの口から次号の締め切りについての議題が出されることはついになかった。
 ジュゴンのマスターが忠告してくれていたとおり『肖像』は創刊から丁度一年で蝋燭の灯が消えるように姿を消してしまった。そして必然的に僕たちの足も純喫茶ジュゴンから遠のいてしまったのである。

 僕たちが同人誌『肖像』に注いだ情熱はこんな風に一過性のものだった。だから三人ともそれほど落ち込むこともなくその後も友達付き合いは続いた。ただ少しだけ変わったのは文学や小説に関する話題はほとんどなくなったように感じる。デロリと林は同級生だった当事の思い出話に花を咲かせる宵になったし、僕はといえば相手がデロリならば映画や少女マンガの話を、林が相手のときはもっぱら競馬の話題が中心になった。

 最後の『肖像』を発行したほぼ一週間後、日本中を仰天させる大事件が発生した。
 『潮騒』や『金閣寺』で知られる三島由紀夫が、自らが創り上げた『楯の会』を指揮して市ヶ谷の自衛隊駐屯地を占拠。国を憂い、自衛隊を叱咤する演説を行った後割腹自殺を遂げたのである。
僕たちの目はニュースを報じるテレビの画面に釘付けになった。
 自らが追求する文学の最終的な美の形だと論評するものがいた。そんなことはどうでも良い。三島の作品は『潮騒』しか読んだことがない僕だったし別にファンでもなかったけれど、三島由紀夫が死んだということは紛れもない事実だった。男の美学などクソ食らえだ。僕はそう思う。自分の思いを作品に込めるのは自由だし、読者の心に何かを訴えかけることができるなら作者冥利に尽きる。けれど結論として死を選ぶなら読者の反応だって二度と感じることができなくなるではないか。自らが世に送った作品について、どういう評価をされようと知ったところではない。そういってけつをまくっているのと同じことになる。それは逃避でしかないはずなのだ。
 デロリも林もこのニュースにはショックを受けたようだった。ショックの訳はそれぞれ異なるかもしれないしまったく同じかもしれない。しかし僕はそれを二人に問うてみようとは思わなかった。他人の屍が物語るものを材料にしてあれこれと無責任な議論などしたくはなかったからだ。僕は心の中で三島の行動を逃避だと決め付けたばかりだったが、議論を避けた自分の振舞いだって同じように逃避でしかない。気持ちがゆらゆらと浮き漂うようだった。
 無言の時間が続いた。重苦しい息が詰まるような時間だった。
 長い沈黙に耐え切れなくなったように林が大きなため息をひとつついて、
「なあ、かずみ」と声を出した。
「なんだ?」
 自分でも驚くほどぶっきらぼうにいって僕は林を見た。
「今度の日曜日、競馬に行こうか?」
 誰も予測できない話題を林は口にした。 
 突然の話題の変化に驚いたが、同時にいいやつだと僕は改めて林のことを思った。

      3 
 卒業を明日に控えた今顧みれば、僕たちの進む先がそれぞれの方向へと離れ始めたのはその頃からだったように思う。
 あのころ……

 大学生としての暮らしもすっかり板について、じれったいほど何事もなく二度目の正月を迎えた。名の通った大学では相変わらず学生運動が盛んで、正月も何もお構いなしにロックアウトや内ゲバのような暴力沙汰が学生達と機動隊あるいはセクトの違う学生同士の間で繰り返されていた。それはもはや運動などという生易しいものではなく、紛争という言葉が当てはまるほど過激なものとなっていた。しかし我が校においては歴史が浅いためなのだろうか、確かに一握りの思想的集団が動き回ってはいたが、外見上は無縁のことのように時間そのものがゆったりと平穏に流れていた。
 年末年始の短い休暇が終わると2月末までのほぼひと月半がいわゆる三学期にあたる。イメージは親元で過した高校生時代までとほぼ同じだった。ただひとつだけ異なったのは2月に進級試験があるということだった。判りやすくいうと一年から二年へは自動的に進級できたが、二年から三年へ上がるためには規定の履修単位数を取っておかなければならないという条件がついたのである。しかしこれもそう深刻な問題ではない。……はずだった。二年間の合計単位数だけが進級の条件だったので、僕ばかりではなく多くの学生は一年次にできるだけ多くの単位数を稼いでおいて、不足している部分を二月の試験で埋めればよいという計画を立てていた。溝口屋敷に集う仲間達もほぼ同じような腹積もりで二年間を過してきたのだった。
 そのような楽観的な考えを後押しするように根も葉もない怪情報が学生達の間に広がっていた。もし仮に試験に失敗して進級に必要な単位の獲得ができなくても大学側は仮進級という手段をとって留年者を出さない方針だというのである。それを信じた僕たちはすっかり安心し、アルバイトや趣味などに時間を費やしていた。

 眠たくてしょぼしょぼする目をこすりながら枕元に置いた小さな目覚ましを見ると9時半を指していた。ラジオの深夜放送を聞きながら布団に入ったのが3時過ぎだったから6時間くらいは眠ったのだろう。布団からしぶしぶ這い出して雨戸を開けると小雨混じりの寒々とした曇り空が2号棟との隙間から見えた。部屋の片隅に置いた小さな灯油ストーブに火を入れる。故郷北海道のように冷え切っているわけではないので、暖かくなるまでさほど時間もかからない。顔を洗って、パンと牛乳の簡単な朝食を済ませる。今日は受ける授業もないしバイトも休みだ。一日をどうやって過そうか? ぼんやりとそんなことを考えていると、縁側のガラス戸をコツコツと叩く音がした。曇りガラス越しに人影が見える。
「学生さーん」と、呼びかける声がする。
 聞き覚えのあるその声は、向かいの棟に住む押切工務店のご主人のようだ。きっぷのいい40代で普段はオシさんと呼んでいる。
 僕は錠を外し硝子戸を開けた。案の定オシさんさんだった。開けた硝子戸の隙間から笑顔がのぞいた。
「うう、さむ」と首をすくめて見せ「今日、学校は?」
 羽織るように着た作業着が雨を滲みこませ冷たそうに見える。
「休みですけど。」
 麻雀の誘いだろうと思った。
案の定「どうだい。軽く摘まないかね?」と押切さんは指で麻雀牌を摘まむような格好をして見せた。
「いいですけど、僕は。オシさん仕事は?」
「この雨、だんだん強くなるらしいからよ。仕事にならんわけさ。詰所で待機なんだが、今日は無理だろう」オシさんは忌々しそうに空を見上げて「水道屋と二人しかいねえんだが麻雀でもやりてえなって話しになってまずカズミさんに声かけてみたんだよ。あと一人。となりの松木さんは暇かなあ?」
「いると思うから行ってみたら?」
「おう。じゃあちょっと待っててくんな」
 オシさんは忙しそうに2号棟の縁側のほうへ走っていった。
ほどなく2号棟から「学生さ~ん」と呼ぶ声と硝子戸が開く音が聞こえてくる。
そしてオシさんとガリョウの話し声にもうひとつテツの声が重なった。
「また麻雀かい。ちいとは仕事せにゃいけんじゃろうが」
「大きなお世話よ」
「学生には学生の本分ちゅうもんがある。学業じゃ。オシさんに仕事があるようにの」
「そりゃそうだ」
「なら、勉強させてやってくれんかいのう」
「人付き合いも社会勉強よ。テツさん。あんた今日学校は?」
「休みじゃ」

 やがて戻ってきたオシさんは嬉しそうに指で丸を作って見せ、詰所で打つので1時間後に迎えに来るといって一度自宅へ戻った。
 オシさんとは月に1~2度麻雀をした。ガリョウもそうだったが僕も麻雀は大好きだった。レートは一般の学生達が打っている麻雀と比べるとレートの高いものだったが、負けさえしなければ良いわけだからそれほど気にもならなかった。それに食事代はオシさんが持ってくれたし、万一負けても金がなければ有るとき払いでいいからといってくれた。勿論踏み倒したことは一度もない。
 確かに風に乗って聞こえてきたテツの声が言っていた通り学業が学生の本分だ。僕は屋敷の住人になったときから学業もその他の生活についても、時間というものを大事にしようと自分に言い聞かせてきた。オシさんは麻雀卓を囲むと「勝つも負けるも社会勉強」などとおまじないのように唱える癖があった。それはある意味では的をついており、おかげで押切さん一家ばかりでなく、団地に住むほかの家庭の人たちとも家族ぐるみの付き合いができた。そしてこの経験は将来きっと役に立つだろうなどと僕は勝手に解釈していたのである。

 その晩8時、オシさんに送ってもらい僕とガリョウは帰宅した。二人ともわずかだったけれどもプラスだったので「また誘ってください」と笑顔で挨拶して屋敷へ入った。
 障子にテツの影が映っている。
 部屋に入るとテツが少し不安そうに振り向いた。
「今日用事があって大学へいってきたんじゃが、ちいといやらしい雰囲気でのう」
 テツは苦い顔を見せた。
「なにが?」
「どこかよう知らんがほかの学校のヘルメットかぶったやつらが、うちの運動家連中と真剣に話しあっとるんじゃ」
「なにを?」
「よう判らんがのう。ロックアウトがどうのこうのって言うとった」
「ロックアウト?」
「何を考えとるのかわからん。なあ、かずみ。明日にでも様子見に行かんか」
 
 虫の知らせとでも言うのだろうか。テツが珍しく心配そうに言うので付き合って翌日学校へ行ってみると、確かに言葉通りいつもとは異質の雰囲気が立ち込めていた。大学行きのバスの中から広い草原の中に孤立したように見えるキャンバスへの入口に20人近くのヘルメット群が立ち、校門をくぐろうとする学生達にチラシを配っているのが見えた。終点でバスを降り校門に近付く僕たちにタオルで頬被りをしたヘルメット姿が走り寄ってチラシを突き出した。僕とテツはなにもいわずに受け取って校舎へと入った。
 そのまま廊下を進んで突き当たりのドアから一度外に出る。中央に大きな池を置いた芝生広場の向こうに学食棟があった。僕たちは何事もなかったように学食棟へ入った。
 受け取り口上部の壁に取付けられた大時計が丁度12時を指している。券売機で食券を買って窓口に出すと待つこともなく注文品のかき揚蕎麦が受け取り口に置かれた。
 僕とテツはテーブルについてさして美味くもない蕎麦をすすりながら、手渡されたチラシを見た。チラシには大きな文字で“君達はノンポリでいいのか!”とあり、その下になんだか読む気も失せるような難解な文章が埋まっていた。
「ノンポリってなんじゃ?」テツは小さな声で言った。
 学食内では30人ほどの学生が昼食を取っていたので、聞き咎められたら嫌だと思ったのだろう。
「ノンポリティカルの略語らしい。政治に無関心なやつのことを言うんだ」
「そうか、ならそれでええじゃないか」
「ところがそう簡単じゃない。考え方こそ違え学生運動に関与している全てのセクトには共通点がひとつだけあってね、それは学生は全て左側の思想を持つべきものということなんだ。だから学校側もノンポリもいわゆる体制側の存在。右側ということで敵という位置づけをされるんだ」
「あほくさ。関わりたくないけ、帰ろうや」
 テツはそういってテーブルを離れた。

それからおよそ一週間、学生達は若いエネルギーのはけ口を見つけたようにヘルメット群に同調して数を増やしていった。そしてついに進級試験をボイコットする形で校舎のあらゆる出入口に机や椅子で作ったバリケードが置かれロックアウトが実施されたのだった。


      4
 ロックアウトは3月中旬まで続いた。ほとんどスポーツ感覚で参加した学生達によるバリケード封鎖は、近いうちに必ず自分の首を絞めることになる。すこし冷静に考えれば解かりそうなものなのに、日常にはない空気に触れて参加した者達は舞い上がっていた。何が争点なのか僕たち無関係派には理解できない突然の封鎖行動で、数回の団交が実施されたけれども学校側が折れることはなかった。
 戦いの長期化に飽きてきたにわか戦士達はやがて次々に離脱して、思想的背景のまったくないその行動は終わった。そして………
 3月もあと一週間を残すばかりとなったとき、学生課掲示板に驚くべき通達が掲示された。それは『2年次から3年次への進級について、総履修単位数が取得すべき単位数に満たない学生についてはその進級を認めない』というものだった。
 僕たちを含めて留年の対象となった学生達は根拠のない甘い考えに踊らされていたことを後悔したが、時既に遅しで、仮進級も追試験も一切実施されず2年次の学生総数およそ300人のうち半数以上の留年が決定したのである。そして溝口屋敷の住人達も屋敷に集う仲間達もすべて留年組みの烙印が押されてしまったのだった。だが正直なところ僕はこの決定にそれほどショックは受けなかった。両親には申し訳なく思うけれども、もともとこの大学でこれを学ぼうという真剣な気構えがあるわけではなかったので、留年することに関してはさほど抵抗はなかった。それどころか留年は僕だけではないから、「屋敷のすばらしい仲間達とさらに一年長く付き合える」などと愚かなことを考えていたほどだった。それはまったく独りよがりな勝手な思い込みに違いなかった。僕は留年が決定した日からそう時を待たずに自分の甘さを思い知らされることになったのである。

 最初に去ったのはオヤジだった。
 留年が決まってから幾日もしない日曜日、オヤジは荷物をまとめた。
 オヤジは出発の前夜、僕とテツが居間でテレビを見ているところにやって来て中途退学の決心をしたと話した。

「一年以上前から考えていたことなんじゃ。じゃけ今度の留年騒ぎはきっかけに過ぎんのよ」
 オヤジは僕たちにそう切り出した。
「皆知っちょると思うが、わしの家は印刷所をやっとるんよ。従業員が3~4人の小さい会社じゃがの。その会社を、大学を出たらわしが引き継ぐことになっとるんよ。ここはそのときが来たらすぐ役に立つ知識を身につけよう思うて選んだ大学じゃった。じゃがのう……入学してみると研究色が強い言うんかのう……。考えていたもんとはまったくちがっとった。職業訓練所と違うんじゃけ当然よのう」
 オヤジはため息をひとつついて「むしろ親父の下で経験を積んで、実技を身に着けたほうが有意義じゃと思い始めてのう」と結んだ。
「分かった。まあ頑張ってくれや」
 テツが激励して右手を差し出した。
オヤジはその手を強く握って「ああ。いろいろと世話になったのう」といって笑顔を作った。
 僕はテツがあまりにも簡単に納得したのに驚いてその顔を睨みつけた。
「それはないだろう。二年間も付き合った仲間が悩んでいるんだろうが。まあ頑張ってくれや。それでお終いかい。ちょっと冷たすぎるんじゃないか?」
 僕はテツのクールさに少し腹が立って、まくし立てるようにいった。僕とテツの間に険悪な空気が流れた。
「悩んでなんかおらんけぇ。もう決めたことじゃ」
 そんな気まずい雰囲気を取り繕ったのはオヤジ自身だった。
 僕はオヤジが悩み事を相談するために話をしたのだと勝手に思い込んでいた。自分の進む道を見据えての決断など僕の頭の中にはその影さえもない。僕は恥ずかしくて体中が熱くなるのを感じた。
「すまん」
言うことができたのはそれだけだった。
「いつ発つんじゃ?」
 何事もなかったようにテツが尋ねるとオヤジは「明日出発するつもりなんじゃ」と答えて一瞬申し訳ないという表情を見せた。
「えらい急な話じゃのう。手続きやら何やらは全部済んだのか」
 オヤジは一度大きく頷いて見せたが、忘れていたことを思い出したように僕を見た。
「それでな、わしの部屋のことなんじゃが、わしがここを抜けた後、部屋が空かんようにと大家が言うとったけぇ……」
「なにい、あの業突張りが。いっぺんぶち殺してやろうかいの」
「いや、それはえぇんじゃ。手ぇ打ったけぇ」
「なに。もうぶち殺したか」
 オヤジは少し笑って「わしが出たらすぐ栗沢が入ることに決まった。知らんもんが入るより良かろう?」
「おう、そりゃあええ。カズミもそのほうがええじゃろ」
 僕はテツが答える声に同調するように頷いた。
「よし、それじゃ朝まで送別会といこうか」
 僕は漂い始めた寂しさを振り払いたくて大きな声で水を向けた。
 オヤジは嬉しそうに微笑んで「有難う。じゃが明日早う出発するけぇ悪いが日が変わらんうちに床に就きたいんじゃ」
「朝早いって、何時頃……」
「7時には出発したいと思うちょる。バイクじゃけの」
 オヤジがそこまで言ったとき玄関の戸が開く音が聞こえた。
「こんばんは」と、女性の声がした。
「おう、来たな」真っ先に立ち上がったオヤジは「紹介したい人がおるんじゃ。ちいと待っつかいや」といい置いて玄関に急いだ。
 やがてオヤジは一人の若い女性を案内して居間に戻ってきた。
「高校のときの同級生で圭子ちゅう名前じゃ。故郷(くに)に帰り次第、わしの嫁になる」
 少し顔を赤くしてオヤジは僕たちに紹介し、次に女性に向かって「でかいほうがテツ。ちっちゃいのがカズミじゃ。もうひとり、ガリョウちゅうのがおるんじゃが、急用とかで故郷(くに)へ戻っとる」と僕たちを紹介した。
「いつもたいそうお世話になっとります」と女性は三つ指ついて丁寧に挨拶した。
「こりゃあ、一刻も早う床に就きたいわけじゃ」テツは小さな声で言って僕を見た。

翌朝7時過ぎ、オヤジは圭子という女性を後ろに乗せ「近いうちに一度顔を出すけぇ」と言い残してバイクを発進させた。
僕がオヤジの姿を見たのはそれが最後だった。結局オヤジは近いうちに顔を出すという約束を守ることはなかったし、連絡も途絶えてしまったのである。



      5
 日本ダービーが開催される東京競馬場は東京都府中市にある。小田急線登戸駅で国鉄南武線に乗り換えると、しばらくして車窓から競馬場の大スタンドが見え隠れし始め、やがて古めかしい焦茶色の電車は府中本町駅に到着した。本厚木からおよそ一時半ほど時間を要した。
 登戸まではそれほどではなかったけれども南武線はぎゅうぎゅう詰めの満員で、身動きもできない有様だった。その上僕も林も身体が小さい。こうなるとむしろ全身の力を抜いて流れに身を任せているほうが楽なくらいである。
 府中本町に到着してドアが開くと、すし詰めだった乗客たちは一斉に電車から飛び出して、われ先にと改札・出口と記した案内板のある階段を駆け上がっていく。入場券の販売窓口は既に開いているが、競馬場の開門時刻まではまだ1時間ほどある。普通席は早い者勝ちなので、すでに開門を待つ長い列ができているに違いない。急いで列に並ばねば。気持ちの焦りが南武線からのスタートダッシュに結びつくのだろう。
「もうレース、始まってるよ」林義人は笑った。
 僕と林は少し人波が少なくなってから動こうと、流れの妨げにならない場所を探し出してのんびりタバコを燻らせた。10分ほどするとラッシュアワーはいったん収まりホームにも静寂が戻った。しかしおよそ10分もすれば次の電車が到着する。そうするとまた同じように人の波が吐き出されるだろうから、その前に外へ出ようと僕たちも階段を上り始めた。

 林が喜色満面で屋敷を訪れたのは昨晩遅くだった。
 林義人の顔を見るのは随分久しぶりだった。もしかしたら三島由紀夫の事件のとき以来ではないだろうか。
「随分久しぶりだな」
「ああ。なにせ三島事件以来だからな」
「やっぱりそうか」
「一年半以上だ。辿り着けたのが奇跡のようだ」
 冷蔵庫から冷えたビールと食器棚からグラスをふたつ取り出して食卓に置く。僕がビールの栓を抜くと林はグラスを持った。僕たちはビールを満たしたグラスを軽く合わせた。
「まだ10時半だろ? みんなもう寝たのか?」林は腕時計を覗いた。
「もう誰もおらん」
「そうか、もう夏休みだからな」と勝手に納得して、「カズミは里帰りしないのか?」
「8月になったらな」
「そうか。なるほど。お前らみんな1年ドッペってるからな。真面目に勉強してるポーズ見せなくちゃならんわけか」
「別にそういうわけじゃ……」
「いいっていいって」林は笑って話題を変えた。
「ところでカズミ、明日予定はどうなってる?」
「日曜だろ。予定なんか無いさ」
 僕がそう答えると林は嬉しそうな表情を見せて内ポケットから一枚の封筒を取り出した。
「こんなものが手に入った」
 林は息を吹き込んで封筒を膨らませ、二枚のチケットを取り出した。チケットには第39回東京優駿(日本ダービー)特別ご招待券と記されていた。そうか、今年は馬のインフルエンザが流行して開催が遅れたんだ。
「行くだろ? あした」
「勿論行くよ」
 翌朝8時には出発しようと、僕たちは二人とも多少興奮気味ではあったけれど11時には床に就いたのだった。そして僕はこの一年と数ヶ月の間に起ったさまざまな出来事を林に伝え忘れてしまったのである。

 駅を出ると競馬場入口まで通常なら10分ばかりの道程だったが、さすが年に一度の競馬の祭典というだけあって、開門を待つ人の列がもう手が届きそうなところまで長く伸びていた。
 僕と林はこの日わが国で最も大きな競馬場の指定席で競馬を堪能した。メインレースに組まれた第39回日本ダービーは27頭の多頭数で実施されたが、一番人気のロングエースが見事人気に応えて優勝した。
僕たちは競馬場を出て近くの居酒屋で一時間ほど雑談をした。初めて肉眼で見るダービーは強烈な印象をお互いの脳裏に焼き付けた。ほかの客達もどうやら同じ興奮に包まれているようだった。あちらこちらのテーブルから「馬も強いが騎手もすごいよ。さすがに武だ!」とか「敵なしだな、武邦彦」という声が聞こえてきた。
「みんな居るのなら今日も厚木に行こうと思ったんだが、誰もおらんのならまっすぐ帰るよ。ここで別れよう」と林は言って立ち上がった。僕たちは居酒屋の前で握手を交わし僕は南武線の府中本町駅方向へ、林は京王線の府中駅方向へと歩き出した。
 学校こそ異なるが同じときに大学生になった僕たちだった。しかし林は4年生、僕はといえばようやく3年生になったところである。ふと、この一年の差はひどく重たいように感じた。林は来年3月には卒業して社会に出る。僕はまだ一年以上在校しなければならないのだ。何のためなのだろう?
 自分を見つめるためなどと格好の良いことばかりいって、果たしてそうしてきただろうか? アルバイトと競馬と麻雀しか記憶にないような気がする。後1年と数ヶ月。自分が納得できる答えを、僕は出すことができるだろうか。重い気持ちでそんなことを考えながら歩いていると府中本町の駅舎はもうすぐそこにあった。



      6
 本厚木に到着して腕時計を覗いた。間もなく八時半になろうかという時刻だった。とっぷりと日が暮れ、町は今まさにその機能を停止させる準備を始めたところのようだった。
 僕はデロリがすぐ近くのレストランでアルバイトをしているのを思い出した。元はバスの車掌をしていたのだけれど去年の三月に市営バスのワンマン化が実施されたことでアルバイトができなくなった。デロリが次に見つけたのが駅前のスーパーの地下に在るレストランだった。来恩亭という名前の店である。
居酒屋では林とほんの少し口に入れただけだったし、屋敷に戻ってから何か用意するのも面倒だったので、食べて帰ろうと思いついた。
来恩亭はレストランといってもデパートの大食堂のようなもので、和食・洋食・中華なんでも有りの気取らぬ店である。入口はガラスの扉になっており、店内を見ることができた。黒のズボンに白ワイシャツそして黒の蝶ネクタイを着けた数名のボーイ達に混じってデロリが、ほとんど客のいないホールの端に暇そうに立っているのが見えた。
 僕はガラスのドアを開け店に入った。入るとすぐ右手に食券売り場あり女性の係員が「いらっしゃいませ」と元気よく挨拶をする。
 中華そばを注文して金を払い、代わりに食券を受け取って空いている席に腰を下ろした。やがてデロリがやってきて「いらっしゃいませ」といってグラスの水を僕の前に置いた。食券を受け取るため一瞬僕の顔を見たデロリは「なんだ、お前か」と驚いて見せた。
「九時半までだよな。仕事」僕はデロリの答えを待った。
デロリは一度食券を持って下がり、オーダーを通してから再び僕のところへ来た。
「何かあったのか?」デロリは不安そうな目を僕に向けた。
「何もないよ。別に。来ちゃまずいことでもあるのか」
「いや。そんなことはないけど。驚いた」
デロリは厨房のほうをちらと見た。数名の白衣を着た調理人が退屈そうにしている。
「もし何かあるんなら今夜は見ての通り空いているからいつでも上がれるよ」
 デロリがそこまで言ったとき、厨房から「中華そば上がりました」という声が聞こえた。
「そうか。ならともかく中華ソバ喰っちまうから、すぐ上がれるように準備だけしてくれよ。たまに居酒屋にでも行こうぜ。俺がおごるから」
「分った」
 デロリは厨房のカウンターに置かれた中華ソバを僕のテーブルに運んでくると「じゃすぐ準備するから待っててくれ」と店の奥に入っていった。

 小さな地方都市の歓楽街は日曜日のほうがむしろ閑散としている。名産品や店構えあるいはアトラクションなどで客を呼んでいるわけではなく、完全に日常の人の流れに依存しているためなのだろう。
来恩亭を出てデロリと向かった居酒屋も客の入りだけで判断すると席の5割も埋まっていない。まだ九時になったばかりである。板場では紺色の半纏を着けた三名の板前が手持ち無沙汰に注文を待っている。僕たちが店に入るのを見て、板前達はいっせいに「いらっしゃい!」と大きな声を上げた。
 小上がりを指差して「いいかい?」と板前の一人に目配せすると「どうぞ」と歯切れの良い答えが返ってきた。
「たまに熱いのでもいくか?」
盃を空ける格好をしてみせるとデロリは嬉しそうに「いいねぇ」と嬉しそうに笑って見せた。

 熱燗の二合徳利と猪口が通しとともに待つまでもなく運ばれてきた。その場で刺身や唐揚げのような当たり障りのない肴をいくつか注文してから、僕たちはお互いに猪口を手にとって酒を注ぎあった。
口からのど、のどから腹の底へと酒の熱さが迸った。
「美味いっ」とデロリは言って、たまたま通りかかった店の女の子に「すみませんコップ、もらえます? ふたつ」と頼んだ。
 三十分ほどで二本目の徳利が空になった。空いた徳利を持ち上げて追加の注文をしたところで、僕は胸につかえていたことを切り出した。
「昨日の晩、林が来た。今日二人して競馬に行ってきたよ」
「そうか。で、勝ったのか?」
「だからここにいる。それはどうでもいいんだけれどなあ……」僕は言葉を捜した。
「何かあったのか」
 デロリはコップを傾けながら僕の目を見た。
新しい徳利が運ばれてきた。僕はデロリのコップに酒を注ぎ足した。
「三島由紀夫の事件以来だから一年半ぶりだ。やつの顔を見たのは。いろいろあったよな、この一年半」
 僕がそういうとデロリは大きく頷いた。
「あったな。確かに。札幌オリンピックやら、浅間山荘やら……」
「そうじゃなくて!」
「分かってるって。からかっただけだ」デロリは笑って「だけど気にしたって始まらんだろう。勘の鋭いやつだからな。何があったのか気付いたのかも知れんよ」と続け、僕のコップに酒を満たした。
「俺もそう思うんだ。なのに俺は何も言わなかった。いくらでもいう機会が有ったのにな。もし本当に林が気付いていたとすれば、何でカズミは言わないんだと思うだろうさ。何で俺は何も言えなかったんだろう」
 僕は酒をあおるように呑んだ。すると口惜しいけれども涙がこぼれた。
「後悔したって何にもならん。みんなそれぞれの道を歩いているんだから。他人のことまで気にしすぎると自分までだめになっちまうぞ」
「もしかしたら、林は別れを告げに来たんじゃないかと思うんだ。あと半年で卒業だろう、やつは」
「そうかも知れない」
 デロリは素直に認めた。
「なのに俺は卒業のときまでまだ一年半もある。この一年の差って言うのは大きいと思うんだ」
「学生時代の中の一年という見方をするとだろう。カズミの人生の中の一年という見方をするなら、それほどでもないさ」
 確かにデロリの言う通りかもしれない。だがそれは僕が入学のときに決意した、自分を見つめるために有効に時間を費やそうという信念を貫き通している場合に限っていえることではないか。そのことを口に出すとデロリは本気で笑った。
「カズミ。お前は神様にでもなったつもりなのか。そんなことはもっともっと先になってから初めて判ることだよ。オヤジもガリョウもテツだって、道を見つけたわけじゃないはずさ」
 デロリの言葉はただの慰めだったのかもしれないが、僕の気持ちは少しだけ軽くなった。
 店員の女の子が「ラストオーダーになりますが」と告げに来た。
「いやもういいよ。おあいそしてください」
 僕は少し呂律の回らなくなった口で言うと、「ありがとうございます」と勘定書きをテーブルに置いた。
店内に流れている有線放送が、クールファイブの唱に変わった。
♪ こうべ~~ ないてどうなるのか~~

このあとどうやって屋敷に戻ったのか、僕にはまったく記憶がない。

第6章 別れと出逢いと

      1
駅前のバス停で時刻表を見ると、思ったとおり終バスは既に出てしまっていた。二人とも酔いで足元が覚束ない。屋敷まで歩くのも億劫だったのでタクシーに乗った。沈み込むように柔らかなシートに座り目蓋をあわせると急激に眠気が襲う。
「おい。眠るなよ。今晩は語り明かすんだろ」
 声が聞こえる。誰の声だ? デロリ? テツ? いやグズラの声だ。そうか飯を食おうと外に出てそのまま居酒屋に流れたんだ。
「わかってるって。眠らないよ」
 自分のいう言葉が、どこかひどく遠いところから聞こえてくるようだった。
「眠らないよ」と何度も繰り返した。
やがて車が停まった。ドアが開く。まだひんやりと冷たい風が頬を撫ぜ、たちどころに意識が戻る。グズラは飲みすぎたのか屋敷に入るとすぐ眠ってしまった。あんなに僕に眠るな眠るなと言っていたのに自分のほうが早く眠ってしまうとは。僕は思わず苦笑した。グズラは自分の部屋に入るなり、敷きっぱなしになっている布団の上にどさりと倒れこんで鼾を掻きはじめた。僕はグズラの巨体に毛布をかけた。
「明日寝坊するなよ」
僕はグズラにひと言だけかけてから自分の部屋に戻った。
 三月とはいえこの時刻になるとさすがにまだ肌寒く、僕は灯油がまだ少し残っているのを確認してから五年間使ってきた部屋置型の小さなストーブに火を入れた。僕はストーブの透明な燃焼筒の中でチロチロと暖かそうに揺れるオレンジ色の炎を見つめた。するとかつて居間であったこの部屋に集い談笑する仲間達の顔が重なった。皆、子供のように屈託のない無邪気な笑顔だった。

 僕がガリョウをつれて津軽海峡を渡ったのは入学して一年目、始めての冬休みのときだった。あれからもう四年も経ったことになる。いつの間にそんなに時が流れたのだろうか。まったく実感が湧かない。そのときのことはまるで昨日のことのように鮮やかに僕の頭の中に浮かんでくるのに……
 冬休みはおよそ三週間と短いものだった。だからわざわざ里帰りする必要もなかったのだけれど、正月くらいは郷里で迎えるようにと両親ばかりか友人達もそう勧めた。またすぐに上京しなければならないと思うと多少億劫だったが、もし帰らなければ相当風当たりが強そうなので諦めて帰省の準備を始めた。休みの期間も短いので持っていかなければならないものも少ししかなく、あっという間に準備は終わった。あとは切符の購入をするばかりである。
「なあ、カズミ」
 帰省の準備をしている僕に声をかけたのはガリョウだった。
「冬休み、帰るんだろ?」
 振り向いた僕の目を見てガリョウは少し申し訳なさそうにそういった。
「億劫だけどね。帰るよ」
「頼みがあるんだが……」
 真剣な口調でガリョウが言うので僕は少し不安になった。
「なんだよ、あらたまって?」
「北海道って所、まだ行ったことがないんだ。いい機会だから連れて行ってくれないか? カズミの家に泊めてもらえないだろうか?」
 ガリョウは思い切ったように小さな声でいった。思ったより気が小さいガリョウの一面を見て僕は呆気に取られた。いつも遊び人を気取ったガリョウからは想像もできない一面だった。
「なんだ。そんなことかい。もちろんオーケーだよ。俺もそのほうが楽しいしね」
 僕は思わず笑ってしまった。
「家のほうは大丈夫かい?迷惑なんじゃ……」
「問題ないって。来客大歓迎の家だから」
「それじゃ悪いんだけどヨロシクな」
 ガリョウはようやく安心したようだった。
 僕はその日のうちに母に電話を入れた。冬休みに友人を連れて帰るというと、母は「おやまあ、それは楽しみだこと」とたいそう喜んでくれた。そして「函館だけではなくせめて札幌くらいは案内しさしあげなさいと」と僕に指示して電話を切った。
 翌日は予想もしない大忙しの日曜日となった。初めての北海道旅行だとはしゃぐガリョウだった。しかし函館の我が家をベースにするといっても冬の北海道である。その寒さは尋常ではない。防寒服は持っているのかと訊くと普通のコートしかないという。サイズさえ合うなら僕のものを貸してやってもよいのだが、身長ひとつ取ってみても10センチは違うのだから無理だろう。
「それじゃ、買うよ。付き合ってくれ」というガリョウに同伴して市内の洋品店やデパートを探したが適当なものがない。やむなく新宿まで出ることにした。
 新宿駅の改札口を出て小田急デパート方向に少し歩くと、化粧タイルで舗装した広場が目の前に広がった。ガリョウは足を止め昔を懐かしむような顔をして広場を見渡した。
「西口広場だよ。ここが」
 ガリョウはポツリとつぶやいた。
 何を言いたいのか計りかねてぼんやりしていると、ガリョウはあきれたといいたげに僕を見た。
「毎週土曜日はすごかったんだぜ。反戦フォーク集会」
「ああ、そのことか。お前、参加していたのか?」
  いわれて見れば、土曜日には時々屋敷を空けていたような気もした。
「時々ね」
 ガリョウは少しばつが悪そうに首をすくめて「なんかこう…充実してたなあ。ピークのときは七千人規模の大集会だった」
 ガリョウはまた歩き始めた。
「ベ平連が主催する集会だったんだけど、七月に機動隊に排除されておしまいになった」
「新聞で読んだよ。ここは地下広場じゃなくて地下通路だっていう理由だったよな」
 ガリョウは頷いて「平和を唱えて良い世界を作ろうとすることがなぜいけないんだ? なぜ国は若い人間が集っているだけで目の敵にするんだろうな。そう思わんか?」といって僕に同意を求めた。
 僕は何も答えることができなかった。そんなことは一度だって考えたことさえなかったからである。やがて僕たちは小田急デパートの入口に到着した。

 さすがに大東京のデパートだった。意図したものはすべてそろっていた。ガリョウは僕のアドヴァイスに従って両面にキルティング加工をしたアノラックと手袋、帽子などの防寒着一式をそろえた。その後ついでだから交通公社の窓口に立ち寄り函館までの切符を買ってしまおうということになった。初めての二人旅だからどうせ眠られないに違いない。寝台を取ることもなかろうと急行“十和田1号”の普通指定席券を購入した。

 結局ガリョウは年末の五日間を僕の家で過した。カズミの家に遊びに来たのだから函館だけで十分と固辞するので、母から勧められた札幌行きは中止した。僕は雪の函館観光として思いつく限りのスポットを案内し、母も思いつく限りの美味いものを用意してガリョウを歓迎した。五日間は瞬く間に過ぎ、ガリョウはひとりで函館桟橋から連絡線に乗った。
 別れ際にガリョウは泣きそうな顔をして母の手を握り「おばさん、本当にお世話になりました。きっとまた寄せてもらいます。ありがとうございました」と幾度も幾度も繰り返した。
 冬休みが終わって屋敷に戻った僕は、ガリョウに進められてフォークギターを買った。デュエットを組んで歌おうというのである。二人ともタバコを吸うから名前はザ・シガレッツが良いと決まっていた。
ガリョウに指導されてギターも歌もまずまずのところまで辿り着いたところであのロックアウト騒ぎが始まった。ガリョウもまた留年から逃れることはできなかった。そんな時ガリョウ宛に一通の電報が届いた。電報を一瞥するなりガリョウはちょっと郷里(くに)に帰ってくると言い残して屋敷を出て行った。
ガリョウが屋敷に戻ったのはオヤジが屋敷を去った二日後だった
「親父が、亡くなった。これからは俺が家族を見ていかなくちゃならん。大学、辞めるよ」
 ガリョウは努めて明るい口調で言ったが、それがガリョウの精いっぱいの強がりであることに僕は気付いた。

      2
 一年目の授業がすべて終了し大学は一ヶ月間の春休みに入った。大学生としての姿が板についた、もうじきに二年生になる学生達は「どうだ見てくれ」とでもいわんばかりに胸を張って青春を謳歌した。わが溝口屋敷でもオヤジとガリョウそしてデロリやグズラまでもが休みに入るとすぐ帰省してしまった。
一歩出遅れた形になってしまった僕とテツも来週には帰省するつもりだった。
休みになって初めての日曜日、屋敷でじっとしていても退屈なだけだから新宿の封切館で映画でも観ようとどちらからともなく言い出した。アルバイトの給料も入ったばかりだから見終わったあと一杯やろうということになった。僕たちは封切館の料金600円と晩飯代合わせて5000円程度を握り締め本厚木から電車に乗った。
それにしても大学という最終学府は何処でもこんなに休みだらけなのだろうか? 夏季休暇が丸二ヶ月間。冬休みと春の休暇がそれぞれほぼひと月。これだけで既に一年の三分の一である。このほかにも祝祭日や試験休みなどわけの判らない休日もかなりあるのだから一年のうち半分近くは休みなのじゃなかろうかといささか心配になるほどだ。そんなことを考えながら電車に揺られていると小一時間で新宿に到着した。
 三月に入ると季節は一気に暖かさを増し、新宿のビル街もやわらかな春の空気にすっぽりと包み込まれていた。
映画館は新宿駅東口の近くだった。小田急線の出口から新宿駅東口へは地下通路を横切って行くのが近い。だがその地下通路には新宿に乗り入れるすべての国電ホームへの階段が並んでおり、平日も祝日も変わらず人波で溢れかえっている。僕たちは南口から外に出た。そこから駅ビルを回りこむような格好で東口方面へ下る石段がある。石段の上から眺めると地下通路ほどではないにしてもやはり溢れるような人の群れが蠢いていた。それは石段を下りきったところにあるちょっとした広場から、古ぼけたビルの並びと駐車場にはさまれた細い道路へと吸い込まれるように続いている。
「そうか、今日は日曜日か」
 口には出さなかったが僕は混雑のわけが分かった。人の流れの先には日本中央競馬会の場外馬券売場があるのだ。今日は日曜日。競馬の開催日なのである。僕は一瞬血が騒ぐのを覚えたがテツは競馬はやらない。「我慢、我慢」と自分に言い聞かせて石段を下った。そして僕とテツは上映開始時間に何とか間に合って映画館に飛び込んだのである。

 映画は『明日に向かって撃て』というポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード共演の青春アウトローもので、僕もテツも言葉が出ないほど感激して映画館を出た。時計を覗くと五時を回ったところで、まだ店も開いていないだろう。時間を潰そうと僕とテツは映画館と同じビルディングの1階にある喫茶店に入った。店内は何の飾り気もない清楚な感じで、静かなピアノ曲が流れていた。ガラス張りの窓に沿ってボックス席が並んでいる。空いているボックス席に向かい合って座りブレンドコーヒーを注文する。ほどなく運ばれてきたコーヒーから心をくすぐる香りが立上った。
僕は何を話したら良いのか思いつかず、ただ黙ってコーヒーを飲んだ。良い映画を見た後やすばらしい小説を読み終えたときなど心が震えて言葉が出なくなってしまうことがある。何を言おうが空回りするばかりで、妙に空々しいものになってしまう。迂闊に選んだ言葉が折角感動に浸った心を無残にもぶち壊してしまうのではないか。そんなある種の恐怖が僕の口を閉ざすのである。どうやらテツも同じ思いらしく、会話のきっかけを捜すように視線を宙に漂わせている。僕は窓の外に目を向けた。ガラス一枚隔てたすぐ向こう側を大勢の人々がひっきりなしに往来している。服装も表情も千差万別で、こんなにすぐ傍で僕が見つめているというの      に誰ひとり気付く者もない。みな一様に急ぎ足で僕の目の前を通り過ぎていくだけなのだ。そして分かりきったことだけれど幾千人という人々が流れているとしても僕の知っている人間はその中にひとりだっていないのである。それにしても何に向かって皆そんなに急いでいるのだろう。
 そのとき突然僕の心の中にやるせない寂しさが湧き上がった。
「何を見とるんじゃ?」
 たまりかねたようなテツの声に僕は我に返った。
「いろんな人間がいるんだな」僕がぽつりというとテツはあんぐりと口を開けた。
「なんじゃそれは?」テツは不思議そうに僕の瞳を覗き込んだ。
 僕は返事をする代わりに視線を窓の外に向けた。僕が目を動かした意図に気づいてテツも窓の外を見た。
「まあ確かにおるわなあ。いろいろな人間がのう」
 僕が感じていたことにテツはまだ気付いておらず、不思議そうな目を僕に戻した。確かに僕が話さない限り気がつくわけもない感情に違いなかった。
「寂しいんだよ。おれは」僕はいった。
「今俺はこうしてテツと向き合って話しをしている。だけど明日か明後日、お前は故郷(くに)に帰ってしまうだろ。何日かして俺がまたこの店に入ってもお前はもうその席に座ってはいない。どんなに捜してもお前はいないんだ。窓の外を歩いているあいつらはいるというのに……」
「あほくさ」テツは笑って「当たり前のことじゃ、そんなことは。カズミはわしがおらんと生きとられんとでも言うんか?そうじゃありゃせんじゃろ。誰だって生きていかにゃならん。同じよ、お前もわしも。じゃけ、頼むからそんな弱音を吐くな」
 弱音を吐いているつもりではなかったけれど、結局僕は自分の弱さを窓の外側のせいにしているのかも知れなかった。自分の弱さを他人のせいにしても何の解決にもならないと、テツは僕を励ましてくれたのだろう。僕は黙って頷いた。しかし僕は励ましてくれたはずのテツの目に一瞬悲しげな影が宿るのを見た。それはほんの一瞬のことで、もしかしたら僕の気のせいかもしれなかった。何かあったのだろうか。少し気になったけれども確かめる術もなかった。腕時計を覗いたテツが何も聞くなとでも言いたげに「お、6時過ぎじゃ。さて、ぼちぼち行こうか」と席を立った。テツは既にいつものテツに戻っていた。

 僕とテツは行きつけのパブのドアを開いた。
店に入ると店員が待ち構えていて「いらっしゃいませ。会員証をお預かりします」と笑顔を向ける。
 僕が財布から会員証を出して店員に渡すと「ダックスフントのカウンターへどうぞ」と手のひらを向けた。
 時刻がまだ6時半と早いのだろう、数える程度の客しか入っていなかった。それに店自体が途方もなく広いために客の少ないのが余計目に付く。いわゆるグランドパブである。ホールの広さは大袈裟に言うと体育館を連想させるほどで、その中に歪なドーナッツ型のカウンターが6箇所ばかり置かれている。それぞれのカウンターの周りに20脚ほどの背の高い椅子がある。ドーナッツの中心、つまり穴の部分には円筒形のグラスを入れる棚がありその前で白のワイシャツに黒の蝶ネクタイ姿のバーテンがシェイカーを振っている。天井から細い鎖に取付けられたプレートが吊り下げられ、プレートにはシェパードやコリーというような犬の姿が描かれていて、それで各カウンターを区別しているのだった。

「あら。久しぶりね」とバーテンが僕たちのところに近付く。この店のバーテンたちはすべて女性だった。
「ご無沙汰。ボトルまだ入っとったかの」
「あったと思うわ。減るほど来ないから」
そんなやり取りをしているとボーイがドライジンのボトルとつまみを運んできた。ボトルにはまだ十分な量の無色透明の液体が入っていた。
「カズミくんはジンライム。テツちゃんはジントニックでよかったよね」
 ヒロミというバーテンは了解も取らずに飲み物を作り僕たちの前に置いた。
 しばらくすると徐々に店も混みはじめ、ヒロミも僕たちばかりについていることができなくなった。
ボトルが空いたら帰ろうと示し合わせて飲んでいるとお互いに酔いが回り始めたのがわかった。
「なあ、カズミ」テツは少しろれつが回らなくなった声を出した。
 僕はテツの目を見て驚いた。喫茶店で見せたあの寂しげな何かが再び宿っていたのである。
「カズミ。お前、わしのことをどういう男じゃ思うちょる? きっと豪快で行動的な男じゃと考えとるんだろうの」
 僕が何も答えられずにいるとテツは静かに続けた。
「わしがそんな風に見えるのは、精いっぱい背伸びして強そうに振るまっとるせいなんじゃ。本当は気が弱くて何にもできん弱い男なんじゃ」
「何が言いたいんだ?」
「子供のときからそうじゃった。わしが誰が考えても正しい思うようなことを口に出したとしても、誰もそれを認めん。みな敵に回ってしまうんじゃ。何故か分からんじゃろ? カズミには」
 テツは虚空を睨むようにしてため息をひとつついた。できることなら誰にも話したくなかった何かを酒の力を借りてでも僕に伝えようとしているのだろうか?
「言いたくないことなら言わんでもいいぞ」僕はまた逃げようとした。
「いや、カズミ。逃げんで聞いてくれ」
「分かった」
「さっきカズミは窓の外におる者を知らない人じゃ言うとったじゃろ。じゃけぇ寂しい言うとったの。わしにとってはもっと深刻なんじゃ。窓の外はみな敵かも知れんのよ。そう考えると恐ろしいてならん」
「なぜそんな考えをする?」
「わしは日本人とちがうけえ。わしは韓国籍なんじゃ」
 夢にも思わぬ事実だった。だがそれがどうしたというのだ? 日本人も韓国人も何も変わらないだろうに。僕がそのことを言うとテツは笑った。
「カズミや屋敷の皆は戦後の生れじゃけ平等に付き合うのが当然じゃ思うとるじゃろう。じゃが、戦争を体験した世代になると韓国人は大和民族より劣った人種じゃ言うて今でもわしらを差別し続けとるんじゃ」
「今でもそんなことが……」
「残っとるんじゃって。わしもいつだっていじめられとった。結局そういう意識を持った大人たちが皆おらんようにならんと絶対に解決はせんのじゃろうのう」
 テツがそこまで言ったときヒロミが戻ってきた。
「ごめんね、放っといて。寂びしかった?」

 それからおよそ30分他愛もない話で時を過し、僕とテツは店を出た。ふらつく足取りで何とか新宿駅に辿り着き切符を買ってホームに下りた。時刻表を見ると時刻まで30分ほど待たなければならない。数人の保線係員が線路に降りて点検をしている。ふと見やるとテツは線路上の係員達とホーム上の駅員詰所のほうを交互に見いている。駅員詰所の前には小さな台があってその上にハンディ型の拡声器が置いてあった。いやな予感が頭を掠めた。
「究極の悪戯」テツはそういって立ち上がるとわき目もふらずに詰所のほうに急ぎ、拡声器を手に取った拡声器を通してテツの大きな声が響き渡った。
「業務連絡~。業務連絡~。4番線、接近~」
テツは拡声器を台の上に戻すとし、僕に向かって大声で「逃げぇ!」と叫んだ。線路の点検をしていた係員達が大慌てでホームに這い上がるのと走り寄る警備員の姿が重なった。テツと僕は猛然と走り出した。
 このとき果たして僕たちが逃げ遂せたかどうか。僕には記憶がない。

      3
それから先、テツは酔いにまかせて 僕に打ち明けたパブでの話を蒸し返すことはなかった。だから僕もテツが自ら口を開かぬ限りあれこれ聞くこともできなかった。幼い頃よく苛め られたという話をしたかっただけなのか、今もなお韓国人に対する蔑視が続いているので何とかして欲しいということなのか分からない。しかしどちらにしてもあの日のようにテツのほうから触れてこない限り僕としてはどうすることもできない。国籍の関係でテツが言うような差別が今も残っているなどということ自体知らなかった。というよりそれを聞いた今でさえ信じられない。この時代だ。社会には多くの国の人たちが入り混んでいるだろう。国籍など気にしていたら何もできなくなってしまう。確かに日本は戦時中韓国人に対してひどいことをしたという話を耳にしたことがある。そして終戦後逆にひどい仕打ちをされたということもまた事実らしい。だがそれは僕たちの世代が行ったことではないのだ。忌まわしい出来事から目を背けることは卑怯かもしれないが、これからの時代を良い世界に作り上げていくためには、過去をすべて捨て去ることだって必要なのだと僕は思う。被害者意識、加害者意識どちらにしてもそれは表裏一体なのだから忘れたほうが良いに決まっている。勿論僕のこの考えは現実を見極めてもいない単なる理想論に過ぎないだろう。僕はテツが言うような辛い思いをした経験など一度もない。苦労知らずの人間だということは認める。しかしだからこそ平等な目で見ることができるともいえる。もし僕のこの考えがまったく耳を傾ける価値もないナンセンスなものだというのならば、あとはテツが「そういう意識を持った大人たちが皆おらんようにならんと絶対に解決はせんのじゃろうのう」というように時の流れに任せるしか方法は無いのかも知れない。
 僕はあんなテツの姿をこれまで見たことがなかったので心配だった。しかしどうやら取り越し苦労だったようで、案ずることもなくテツは何もなかったように今まで通りの元気で活発な悪戯好きの青年に戻った。
 テツの悪戯には意表をついたものがあった。ドッキリカメラのように回りで見ている者は腹を抱えて笑ってしまうのだが、仕掛けられた当人はかなり傷ついた。この年の6月中旬。この日も僕たちは居間に集まってウィスキーを飲みながら取り留めのない話で盛り上がっていた。珍しくグズラが台所で包丁を持ち慣れない手つきで肴をこしらえていて、僕は横に立ってグズラを手伝っていた。屋敷の外は大雨で屋根を打つ雨音がうるさいほどだった。
「ツッ」とグズラが舌打ちした。
 何かの拍子に手を滑らせ包丁で指を小さく切ってしまったようだった。人差し指から少し血が出ていた。
「水で流していろよ。今、絆創膏持ってくる」僕は障子戸を開けて
「本棚の上の救急箱からサビオをとってくれ」といった。
「サビオとはなんのことじゃ?」とテツが僕に目を向けた。
「指に傷したとき貼るやつだ」
「おう。バンドエイドのことじゃの」テツはおどけて救急箱を開けバンドエイドを取り出し僕のほうに放った。
 僕は受け取った。関東地区では最も出回っているものの商品名がバンドエイドなので、救急絆を総称してバンドエイドと呼ぶ。北海道に行くとバンドエイドがサビオという商品に変わるのである。
 グズラの傷は大したことはなくバンドエイドで押えると、じきに酒の肴を作り終えた、僕とグズラも酒の席に戻って飲み始めた。
 一時間ばかりたったころだろうか玄関の開く音がして「すみません。今晩は」という男の声が聞こえた。玄関に出ると制服姿の警官が二人ずぶぬれになって立っていた。
「なにか?」
 官憲を前にすると何もしていなくても卑屈になってしまうのは僕に限ったことではないだろう。僕はおどおどとした声で聞いた。
「実は……」
 警官が口を開こうとしたとき便所のドアが開いてテツが出てきた。
「おっ。どうしたんじゃ?」
 警官は僕たちを見比べながら「実は2時間ほど前、この先で婦女暴行未遂事件が発生しまして……。こうして一軒一軒、何か不審な者を見かけた方がいないかと聞いて回っているところなんです。被害者の話によると、抵抗して犯人の指にかなり強い力で噛み付いたということですから、もしかすると指に怪我をしているかもしれないのですが……」
「指に怪我じゃと」
テツは言って居間に戻りながら「グズラ!ちょっとこっちへこい」と叫んだ。
何のことか分からずテツと入れ替わりにグズラが部屋を出てきた。左手の人差し指にバンドエイドを巻きつけた姿だった。
 警官二人の表情が険しさを帯びた。
「その指、どうしたんだ」
 警官の一人がきつい口調でグズラに迫る。
「どうしたって……。切ったんですよ、さっき。料理していて」
 グズラは警官の言い方が乱暴なので少したじろいだ。
「ちょっとバンドエイドを剥して、傷を見せろ」
 グズラの傷が本当に台所仕事でつけたものだと納得して警官達は雨の中に出て行った。
居間に戻るとテツは何事もなかったようにたばこをくゆらせていたが、グズラのきつい視線に気付いてにっこりと微笑み「いろいろ大変じゃったのう」と言った。
 グズラが気色ばんでテツに掴みかかろうとするのを僕とデロリが二人がかりで何とか押し留めた。
「いつもの冗談だ。こらえてやれよ」
 興奮して肩で息をしているグズラをデロリがなだめた。

 また、こんなこともあった……
 どこかへ二人して出かけた帰り、終バスの時刻も過ぎていたので、僕とテツは本厚木駅前からタクシーを拾った。テツが先に乗り込んで僕が後に続いた。行き先を告げ、車が走り始めるとすぐテツが肘を動かして僕のわき腹をしきりに突く。なんだよとテツの顔を見ると、床を見ろと目で示している。テツが示す方向を見て僕はすべての意味を知った。タクシーの床、それも僕の足元近くに一枚の一万円札が落ちているのだった。札の中の聖徳太子は僕に向かって「拾ってくれ。拾ってくれ」としきりに訴えかけている。僕はテツの心が命じるまま運転手に気付かれぬよう注意して札を拾い上げ、ポケットに押し込んだ。屋敷の前でタクシーを降り、僕はポケットにねじ込んだ一万円札を取り出した。
「どうする。これ」
 僕は周囲に誰もいないことを確かめてから口を開いた。
「そうじゃのう。一応、高額紙幣だしのぅ。タクシーを降りたところで拾うたいうことにして、警察に届けようか。十中八九持ち主は出てこんじゃろ。まあ一年の定期預金をした思えばいいけえの」
 テツはそういって屋敷の玄関を開け「オーイ。オヤジおるかあ。バイク貸してくれんか」と大きな声を出した。オヤジの部屋の障子戸が開きバイクのキーをテツが受け取るのが見えた。テツはすぐに戻り僕にキーを渡した。
「免許持っていないよ」
僕が躊躇しているとテツは「免許がなくてもバイクは動く」といって笑った。
 結局僕はテツを後ろに乗せ緑ヶ丘住宅団地の入口付近にある交番までバイクを走らせた。交番の正面にバイクを停め二人で中に入った。40歳くらいに見える警官がひとり退屈そうに鼻毛を抜いていた。テツは警官のほうに近付いて「あのう。これを拾ったんですが」といって一万円札をデスクの上に置いた。
「落し物を届けにきたってことだね」と警官は僕たちを交互に見て「落とし主は出てないと思うよ。きっと。だから二人で分けなさい」といった。
「でももし落とした人が現れたら」テツが心配そうに尋ねると、警官は「そのときは本官が君達を窃盗容疑で逮捕に行く」と、大声で笑った。
 思わぬ小遣いを手にして交番を出、バイクのエンジンをスタートさせたとき、テツが交番を振り返って「あ、そうそう。お廻りさーん」と大声を出した。警官が「まだなにかあるのか?」といいながら外に出てきた。
「この男、無免許なんですよ」
 テツはそう言い放った。馬鹿野郎。僕の胸は太鼓のような鼓動を打ち始めた。
 警官は一瞬足を止めたが「そうか。なら、十分気をつけて帰りなさい」と言い残して交番の中に戻っていった。

 テツがいつもこのようにあくの強い冗談をいい悪戯を仕掛けるのも、これまでに受けてきた差別という問題のためなのだろうか。自分が身を置いたサークルの中で突拍子もない行動や発言をすることで常に主導権をとっていたい。自分を強く見せることによって回りからの圧力に打ち勝っていこうとする、そういう気持ちの現われなのではないか。僕はそう感じた。

 翌年の7月。留年した学生達にも夏休みは平等に訪れた。歯医者に行った帰り道、バスの窓から外を見ているとリュックサックを背負ったテツが坂道を下りてくるのに僕は気付いた。ああ、帰省するんだ。僕はそう思い、すれ違う間際に片手を上げて見せた。テツも気がついて僕と同じように手を上げた。そのときテツは何か言ったのだが窓を閉め切っているせいで聞こえなかった。きっと「じゃ、またな」とでもいったのだろう。僕はそう思いたかった。しかしテツの口は「さよなら」と動いたように感じられてならない。
 やがて夏休みも終わり二度目の2年生の授業も本格的に始まったけれど、テツは帰ってこなかった。ほどなくテツとガリョウが入っていた溝口屋敷2号棟に、田中さんという新婚さんが入居した。

      4
ともに大学時代を過ごそうと固く団結したはずの溝口屋敷の仲間たちだった。それなのに入居してわずか二年半も経たぬうちに三人が去っていった。最初に入居したメンバーのうち僕以外の全員がそれぞれの思う何処かに向かって旅立ってしまったのだ。僕はひとり取り残されたような寂しさに包まれた。僕にとってこの二年と数ヶ月は今まで経験したことがないほど刺激的で楽しい期間だった。しかし彼らはもういない。いくら捜しても、どんなに大きな声で呼んでみても、答える声が聞こえることは絶対にないのだ。これは神が僕に与えた試練なのだろうか。僕はそんなばかなことを考えたりした。神の存在など信じてはいなかったが、とにかく何かのせいにしたかったのである。これから先の数年間に僕がしなければならないことは分かりきっている。それは勿論卒業に向かってひたすら勉学にいそしむことだった。
 僕は去って行った彼らのことはもう考えないことにした。それでもかつて居間だった僕の部屋には彼らの心が生霊となって息づいているように感じられた。だから学校やアルバイトから戻ってぼんやりしていたりすると、今にも縁側の硝子戸が開いて仲間達が楽しそうに笑いながら居間に入ってくるような気配を感じたりした。そんなことはありえないことだと分かっている。しかし錯覚だと自分に言い聞かせるたびにため息がこぼれた。
 せめてもの救いは、オヤジのいた部屋にグズラが入居したことだった。グズラはアルバイトが休みのときには顔を出し、他愛もない話で時間を潰した。しかし所詮二人しかいないわけだから話題も途切れがちになって、気がつくとただ黙ってテレビを見ているようなこともたびたびだった。デロリはといえば時々屋敷に顔を出すことはあったけれどその頻度はだんだん少なくなっていった。コミック専門の書店を出すというプランを練っているためだった。はじめのうちは単なる一時の思い付きだろうと僕は思っていた。ところが日がたつにつれてデロリの中でその想いはどんどん大きく膨らんでいくように見えた。

 留年の一年間は不足した単位をとるだけの時間だったから屋敷に残った僕とグズラそれにデロリもほとんど苦労も無く三年生になった。ところがいざ進級して重要な授業に追われ始める頃からデロリの出席率が目に見えて減ってきた。僕とグズラはお互いそのことに気がついていた。このままでは卒業が危ぶまれることも考えられると心配して、たまたま顔を見せたデロリに注意すると、デロリは気に留める素振りも見せず「大学のことならもういいんだ」と笑顔を見せた。
「何を企んでいるんだ?」
 グズラは心配して気遣ったところに笑顔を返されたので少し腹を立て、不機嫌な声で問い詰めた。
「前に言ったよな。本屋を始めたいって話だ」
 デロリはグズラが急に不機嫌な声を出したわけに気付かないで不思議そうに目を向けた。
「コミックの専門店というやつのことか?」
 僕は合いの手をいれるように言ってからハイライトを一本咥えマッチを擦って火を点けた。
「ようやく開店資金のめどがついた。来年早々から立ち上げるつもりなんだ」
 デロリは嬉しそうに話した。
「もうそんな段階なのか? 卒業してからでも遅くは無いだろうが」
「プランニングには時間をかけたほうがいいぞ」
グズラと僕は口々に忠告した。
 どの角度から切り取ってみても事業を起こして成功するタイプには見えなかった。
「大丈夫だ。今はコミックス全盛の時代だ。一流の書店でさえ漫画本のコーナーを広く取っているのを見かけるだろう。それだけ需要があるってことさ。この機を逃したら俺の努力も無駄になってしまいそうで」
 デロリは自信たっぷりで、自分に言い聞かせるように何度も頷いて見せた。
 デロリが何処に店を出そうとしているのかについては、静岡市内だろうという事しか僕には推測がつかない。デロリが言う一流書店とはきっと東京都内にある紀伊国屋書店や三省堂書店などのことなのだろう。店が新宿とか渋谷のように黙っていても人が集まる地の利ならば確かに客は入ると思う。しかし静岡市内の某所に構えた小さな店舗に、果たしてコミック好きの客がわざわざ足を運ぶものだろうか。僕にははなはだ疑問だった。そのあたりの市場調査は行ったのだろうか。疑問符がたくさんついた。僕もグズラも心配だったのであまり急がないほうが良いとデロリを説得しようと努力した。
 しかしデロリの意志は固くその考えを覆すことはできなかった。
「まあ開店させたら客でごった返している店を写真にとって送ってやるよ」
 デロリの目は希望の光を帯びてきらきらと輝いていた。
 僕とグズラは何も言うことができなくなって、説得を諦めてしまった。

 三年生としての夏休みも終わり、僕とグズラがそれぞれの古里から屋敷に戻ってきた。それと入れ代わるように、デロリは静岡に帰っていった。デロリが新しい夢を追って静岡へ発ったその直後、林義人が思いついたように屋敷に顔を見せた。
「デロリから昨日電話があった」
 林はそう切り出した。
「俺にも何も言わなかったからびっくりしたよ。漫画の専門店を開業するんだってな。カズミは何か聞いていたのか」
 林はセブンスターに火を点け、テーブルの上の灰皿を自分のほうに引き寄せた。
「以前からプランはあったらしい。こんなに早いとは思わなかったけどね」
「うまくいくのかな?」
「あわてることはないってさんざん説得したよ。グズラと二人して……頑固でいうことをきかん」
「仕方ない。昔からそうだ」
「ところで林、お前、就職は決まったのか? もう何ヶ月もないだろ。卒業まで」
「それがまだ決まっていないんだ。静岡に帰るか東京で勤めるか。悩んでるよ」
林は首をすくめて見せた。
「進む道を決めるのが早すぎたり遅すぎたり、両極端だな。静岡組は」僕は笑った
「まったくだ。だけど覚えといたほうが良いぞ。四年生はあっという間だ」林は笑って「もしデロリと連絡がついたら知らせるよ」と、付け加えた。

 デロリから僕とグズラそれぞれに開店のご案内と題した挨拶状と写真が送られてきたのはその年の暮れであった。コミック・イン・コミックスと看板を下げた間口の小さな書店の前に、相変わらず黒ずくめのデロリが笑っている写真だった。
「本気だったんだな。頑張れよ」
グズラは写真に向かって小さな声で言った。

      5
 僕とグズラは何とか四年生に進級した。
「四年生はあっという間に時が過ぎる」と林義人が忠告してくれた意味がよく分かった。
 卒業するために必須の授業がいくつもあって結構多忙な日が続くことになる。スケジュールがきつくなるのを覚悟しなければならなかった。これまでに終了させてきた各種実験のレポートが卒業論文の代わりになったので、いわゆる卒論を提出する必要がなかっただけでも幾分救われたように思った。グズラも同様らしくアルバイトも半分に減らし、その分を確実に卒業するための復習や予習の時間に当てるようになった。僕もグズラも毎日の授業を終わらせて大学から屋敷に戻ってからは部屋に閉じこもる時間が多くなった。顔を合わせるのはせいぜい日に一時間ほどと短いものに変わっていったのである。僕たちが大学生でいられる時間には限りがあり、今その終点が姿を見せている。そして終点までの距離は見る間に短くなってくるのである。これが林の言葉の意味なのだ。
 最終学年になってから半年が過ぎ10月の声を聞く頃にはどうにか卒業の目処が立ち残すは就職の問題だけになった。けれども僕にとってそれはさほど重要なことではなかった。僕の心は卒業したら北海道に帰るという決意を固めていた。父の仕事の都合で僕の実家は函館市から札幌市に越していて、札幌ならばいくらでも就職口は探せると考えたからである。何日か前父に電話を入れ、卒業した後は東京に残りたくないと話した。
「それならこっちに戻りなさい。就職も札幌で決めたらいい」
 父は反対もせずそういった。

 グズラはどうするのだろう。自分が本当にしたいことは探し出せたのだろうか? もしそれができなければ、不本意だけれども実家の菓子店を継ぐしかないとこぼしていた。何か進展はあったのだろうか。僕は聞きそびれていた。顔を合わせる時間が少なくなったとはいってもその程度の時間はいくらでも持てたはずなのに……。正直に白状してしまうと、僕は怖かったのだ。グズラの表情に翳りは何もなかった。ついに自分の道が何処にあるのか見極めたのだろうか。僕はグズラに面と向かってそのことを尋ねることが恐ろしくてできなかったのだ。グズラがそれを見つけたか否かにかかわらず、もし「お前はどうなんだ。自分探しの五年間に成果はあったのか」と切り返されでもしたものなら今はまだそれを受け止める術が何もなかったからだ。この五年間が僕にとって意義あるものだったのかどうか。答えを出せるのはいったいどれくらい先になるのだろう。
 本当は自分を捜すための時間など何処にもありはしないのだ。もうひとりの僕自身がそうつぶやくことがあった。
「考えて見ろよ。お前はお前しかおらんのだ。自分自身を探したいなら五年もの歳月をかける必然性など何処にもありはしない。鏡の前にでも素っ裸になって突っ立っていれば、三十秒で見えるだろうさ。いつか分からないが時が答えを出してくれる? 笑止千万。時間を無駄にしたことの言い訳にもならん」
 もう一人の自分はそういって僕を責めているのである。だが僕はそうではないと思った。五年間ならばその五年の中で僕は確実に生きたのだから、そこに何もないはずがない。解答を出せるのがいつになるかなど問題ではない。そう自分に言い聞かせるともうひとりの僕はたちまち姿を消した。

 10月中旬の日曜日、僕は久しぶりに新宿行きの小田急に乗った。さくらやで8ミリ映画用のフィルムを買うためである。進級した頃から大学生として五年間を過ごした厚木という町を記録に残しておきたいと思い始めた。僕は夏休みに帰省したとき、映画の構成や撮影場所などをシナリオとまとめた。そしてしばらく回していなかったB・H社製8ミリカメラを持参したのだった。
 帰りの電車に揺られていると間もなく新原町田駅に停車すると車内放送が流れた。東京都町田市は県境の町である。境界線の相模川を渡ると神奈川県相模原市に入る。駅名で言うと新原町田の次は相模大野である。僕はふとそのことに気付いて新原町田で途中下車してみることにした。計画中の8ミリ映画で厚木市の地理を紹介するために都合が良いと閃いたのだった。ロケハンといえば大袈裟だが時計を覗くとまだ正午を少し回ったばかりだったし、知らない町の散策も楽しいかもしれない。僕は何故か子供のようなわくわくするような気持ちになっていた。
 新原町田の駅舎を出ると僕はアーケードの商店街を歩いた。日曜日にもかかわらず商店街は活気にあふれていた。八百屋や精肉店、雑貨店などが軒を並べそれらのどの店を見ても数多くの客が出入りして店の小父ちゃん小母ちゃん連中と四方山話に花を咲かせている。その様子から察すると買い物客のほとんどがいわゆる常連さんで、話題も暮らしに密着したものがそのほとんどを占めているようだった。アーケード街を人の流れに気を配りながら歩いているのだけれど、肩が触れてしまうほどの賑わいだった。厚木とは比べ物にならない人出だった。
「県境とはいえさすが東京都だ」
僕はそんなつまらないことに感心している自分に気付いて思わず苦笑してしまった。
 ふと友人達と過ごした五年間という青い時代の思い出が脳裏を過り、僕はテツと喫茶店の窓から外の雑踏を見たときと同じ寂しさに包み込まれた。いや、それはあのときとは比べ物にならないほど激しい寂しさだった。テツと一緒だったときは窓越しに見ただけだったけれど、今は流れる人波の中で翻弄されているのだ。寂しさはその中にいるとき、群集が多ければ多いほど寂しいのかもしれない。僕はほとんど逃げるように歩を進めた。歩き疲れて少し歩調を緩めたとき、僕はどこか知らない住宅地に迷い込んでいる事に気が付いた。何処をどう歩いてきたのか、まったく記憶していない。要するに、道に迷ってしまったらしい。とりあえず回れ右して、来た道を引き返し、途中に誰かいたらその人に尋ねればよいだけだ。僕は振り返り歩き出した。

 一本の路地の前を横切ろうとする僕の動きと、路地から若い女性が乗った自転車が飛び出したのが丁度重なってしまった。それほど強くぶつかったわけではなかったけども、「キャー」と叫ぶ女性のソプラノが、足がもつれて思わず路面に右手を突いて転んでしまった僕の「あぶないっ!」というテノールと重なり、自転車の倒れる大袈裟な音がそれを飾った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」自転車に乗っていたジャージ姿の女性が僕の目をまっすぐに見て「怪我しなかったですか? ごめんなさい」と、何度も頭を下げた。
「大丈夫。大丈夫。僕のほうこそぼんやり歩いてたから悪いんです」
 僕は立ち上がってズボンについた汚れを手で払った。
すぐ横に倒れたままの自転車を起こし「壊れなかった?」と心配そうに僕を見ている女性にハンドルを返した。女性は僕と同じくらいの年齢に見えた。ボーイッシュに短くカットした髪と青のジャージがいかにも健康そうにつりあっている。
「どうやら平気みたい」
手で車輪が軽く回るのを確かめて、ジャージの女性は安心して笑顔を見せたがすぐその顔を曇らせた。
「手を見せて」といってぼくの右手をとり「ほら。血が出てる」
 自分でも気がつかなかったが、転んだときにぶつけたのだろう、右手の甲に小さな擦り傷ができていてうっすらと血が滲んでいた。
「平気だよ。こんな傷」
「だめよ。黴菌が入ったら大変。一緒に来て」
 自転車に先導されて僕はいくつか角を曲がった。すると突然目の前に商店街が現れた。この商店街の向こうが駅に違いない。誰かに聞かなければと考えていたことがこれで解決した。
 女性は一軒の店の前に自転車を止めた。僕は女性に続いて店に入った。小さな薬屋だった。
「小母ちゃ~ん」大声で呼ぶと奥に見える障子が開き白衣を身に着けた50歳位に見える小太りの小母さんが顔を出した。
「おやまあ、明子ちゃんじゃないの」
「こんにちは小母ちゃん。ちょっと擦り傷作っちゃって。消毒だけしたいんだけど」
 明子は店の小母さんに言った。
「おやおや。ちょっと見せてごらん。傷口」
 小母さんはクスリ棚の引き出しを開けて老眼鏡を取り出した。
「私じゃないの」
 明子は傷口を小母さんに見せるようにと目配せをした。僕は素直に従った。
 小母さんは僕の右手を引っ張るように自分の顔に近付け「ああこのくらいなら大丈夫。一応消毒しとこうかね」とクスリ棚から過酸化水素水(オキシドール)というラベルのついた茶色の瓶を下ろし、それをたっぷりしみこませた脱脂綿で傷口を消毒してくれた。
「ありがとうございました。おいくらですか」
 支払いをしようと財布を出すと小母さんは笑った。
「いいですよお金なんか。明子ちゃんの彼氏からお金なんかいただけないものね」
「いやだ、そんなんじゃないわ」
 ほほを染めて明子は外に飛び出した。
 僕は小母さんにもう一度お礼を言って明子の後を追った。

「だからね、思い出だけは一杯あるんだ。抱えきれないほど」
 僕は知り合ってわずか一時間ほどしか経っていない明子に向かって僕の心の中を晒していた。五年間の思い出話をさっき知り合ったばかりの女子大生に話しているのだった。きっと明子にとってはこの上なく退屈でつまらない話題に違いなかった。それでも明子はテーブルの向こう側からひと言も聞き逃すまいと僕の目をまっすぐに見つめ、時々頷いたり短い質問をはさんだりした。
「だから僕は、親友であれ恋人であれ、一緒に旅行したところとか思い出を作った街なんかには、もし何かの理由で彼らとは絶対に会えない状況になっているとしたら、一人でまた行くなんて事は絶対にできないと思うんだ」
「どうしてですか?」
「想い出すからだよ。彼らと過ごした楽しかった時間を……。でもどんなに捜しても彼らはいないんだ。見覚えのある街角を曲がってもそこに彼らが立っていることはありえないし、見覚えのある喫茶店のドアを開けても彼女が手を上げて笑っているなんてことも絶対にない」
「カズミさん、ロマンチストなんですね。でもそれじゃ自分の居るところ、どんどん減っちゃうじゃないですか」
 明子はそういってコーヒーを一口啜った。
「寂寞の森(さびしのもり)みたいですね」
 明子の口から聞きなれない言葉がこぼれた。
「サビシノモリ?」
「とっても仲の良い夫婦がいて、ある日きのこ汁が食べたいって言うことになり、だんな様のほうが裏山へきのこを採りに出かけるんです。いつもならあっという間に籠一杯になるんですけど、この日に限ってぜんぜん見つからない。仕方なしにだんな様はいつもより山道を深くまで歩いていきました。すると道の真ん中に『この先 寂寞の森 立ち入るべからず』と書かれた立て札がありました。だんな様はそれを無視してさらに奥へと進みました。そうしたらおいしそうなきのこが沢山生えているところを見つけ籠一杯のきのこを取り家に戻ることにします。ところが歩いても歩いても家に辿り着かないんです。疲れ果てただんな様は山道に座り込んでしまいます。そこでふと少し先を見ますと我が家の明かりが見えていました。喜んだだんな様はようやく辿り着き戸を開けて家に入ります。ところが家の中には誰もいないのです。どんなに探しても奥様の姿はありません。だんな様は戸を開けて外に出てみます。外には山道が続いているだけでやはり誰もいません。仕方なく家に入って帰りを待つことにしようと振り返るとそこにあったはずの我が家は何処にもなくだんな様は自分がまだ森の中にいることに気づきます……。こんな話です。きいたことないですか?」
 明子は僕の気持ちを探るように見つめた。
「知らない。でも怖い話だね。それって」
「怖いですよ。だからこそ誰かと一緒にいたいし、目的を持ちたいし、進みたいんだと思うんです……きっと」

 僕と明子は二時間ばかり会話をして喫茶店を出た。お互い電話もなく、多分もう会うこともないだろうからと僕は明子の住所などは聞かなかった。ただもし北海道に来ることでもあれば連絡でも欲しいと、僕は実家の電話番号と住所を書いて明子に渡した。
「ありがとう」と一言だけ残して明子は自転車で戻っていった。

最終章 青年たちの浮漂

 グズラと僕は翌日無事に卒業した。長くて短かかった夢のような五年間はついにその幕を閉じた。気恥ずかしい言い方だけれど、僕の青い時代は終わったのである。僕はグズラと一緒に卒業証明書と卒業証書を貰い、とりあえず屋敷に戻った。オヤジ、テツ、ガリョウそしてデロリが僕とグズラを拍手で迎えてくれた。その音は確かに耳には聞こえはしなかったけれどいつまでも胸の中に反響して止まることがなかった。
「やつら、きっと祝いの拍手を贈ってくれてるんだね」グズラが涙目になって僕を見た。
「うん。きっとそうだな」僕は頷き「それとこれから先について励ましてくれてるんだろう」と付け加えた。
「カズミ、就職は決まったのか?」
 グズラはさりげなく言った。
 僕は首を横に振って「まだなにも。札幌に戻ってから職安でも覗くさ……」と笑って見せた。
 一呼吸してグズラが小さな声で「俺、決めたよ。菓子屋を継ぐことにした」
僕は一瞬自分の耳を疑ったけれど「そうか。良かった。おめでとう」僕は右手を差し出した。
 グズラは僕の手を強く握って「ありがとう」といって笑った。

 僕は明晩の列車で東京を離れることにしていた。グズラも仙台だから方向は同じだったので途中まででも一緒に動かないかと誘ってみた。しかしアルバイト先の都合であと一週間ほど厚木にいなければならないらしく、今日もこれからすぐアルバイト先に行かなければならないとのことだった。
「バイトいってくる」といつもと同じひとことだけ残してグズラは出かけた。

 出発前に僕はあらかじめ買っておいた菓子折りを持ってオシさんの家の玄関を開けた。
「こんにちは。カズミです」と声をかけると「おう」と答えてオシさんが出てきた。
「昨日でひと現場終わったんでよ。今日は休みさ。で、なんだい」
 オシさんはまくし立てるようにいって僕の顔を覗き込んだ。
「今日、無事に卒業しました。これから故郷(くに)へ帰ります。いろいろお世話になりました。つまらないものですが」
 僕が菓子折りを差し出すとオシさんは感慨深そうな顔をして受け取り横に置いた。そして僕の両手をがっちりと握った。ごつごつしてはいたけれど暖かい手のぬくもりが伝わってきた。
「そうかい。そうかい。めでてぇことじゃねえか、そいつは。それじゃカズミさんとはもう卓を囲むこたぁできねえんだなぁ……」
 オシさんは不意に声を詰まらせた。
「また来ますよ。そしたらまたもんでください」
「またそんな優しいうそを言うぅ……」
僕はオシさんの目からぽろぽろと涙がこぼれるのを見た。

僕は身支度を整えボストンバッグひとつだけの荷物を持って屋敷の玄関を出た。戸締りをしてポストの中に鍵を落とす。もうこの屋敷を訪れることは二度とないだろう。そう思うと何故か胸を締め付けるものがあった。

 叔母の家に行くには都電を利用することができた。江東区の亀戸(かめいど)から大島(おおじま)を経由して北砂方面へ向かう路線である。大学に入学してからの五年の間、叔母のところを訪ねた回数はそう多くはなかった。せいぜい年に一二回だった。叔母は都電の大島一丁目から程近い高層住宅に住んでいたのだけれど、よく遊びに出た新宿あたりからでは丁度東京の反対側になるのでかなり遠いというイメージが強く、ついつい足が向かなかったのである。
 この日新宿駅に着いたのは午後六時を回っていた。新宿駅から叔母の家に電話を入れ、到着するのがきっと夜八時頃になりそうだと告げた。叔母は、叔父が一緒に飲みたくて首を長くして待っているからというので、「はい。急いで向かいます」といって電話を切った。
新宿駅の交通公社に立ち寄って明日の札幌行きのを手配を済ませ、ついでに叔母への手土産を買ってから総武本線の電車に乗り込んだ。電車は仕事を終えて帰宅を急ぐサラリーマンで一杯だった。ラッシュアワーである。だが運よく僕は座席に座ることができた。ボストンバッグを膝の上に抱え目をつぶるとこの五年間の出来事が浮かんでは消えていった。
 その思い出もいつか時の深淵に沈んでいってしまうのだろうか? 今はつい先ほどまで大学生だった僕の熱さが周囲に立ち込めているから思い出もまだ鮮烈な輝きを持って脳裡に浮かんでくる。その記憶もやがては薄れ、単なる郷愁(ノスタルジー)として美化されただけの意味のないものに変わり果ててしまうのだろうか? そうして僕たちは日常という日々に追われ一日一日良い大人への階段を上っていくのだろう。冷静に考えると数多くの社会人たちがそのような秩序正しい世界に暮しているように見えてくる。僕は愕然とした。もしそうならば結局は自分を見つめることなどまったく無意味なことになってしまう。
「ちがう何かがあるはずだ」
 突然何かが閃いて、僕はそう叫びたい衝動に駆られた。
オヤジを見ろ。父親の跡を継ぎ家族や社員のために良い会社を作ろうとしている。
あの遊び好きのガリョウはどうだ。自分の楽しみを潔く捨て去り、家族総てを支えようと努力している。
 デロリだってコミック・イン・コミックスを開業することを夢見て、大学という枠組みがむしろ足かせになると判断したはずだ。
 テツにしても差別のない社会を理想としつつ、厳しい現実の中で強く生きていこうと頑張っているのだ。
 それが答えを出すということではないだろうか。それなのに僕はといえばいつか自然に答えが出るだろうなどと逃げてばかりいて、積極的に行動したことなど一度だってないではないか。
 答えなどありはしない。答えが必要だとすれば自分で作ればいい。それだけのことなのだ。そしてそれは常に自分の考えを肯定するものであっても一向に構わないのである。僕だけではない。今ようやく原点に立ち社会という荒波の中に乗り出そうとしている青年はそこにもここにもいる。ふわふわと浮き漂う青年たちの心が被害者意識のような、あるいは加害者意識のようなどんな考え方を持ったとしても、僕たちがこれから否応なく乗り出さなければならない社会全体から見れば何の影響もないのだ。浮漂の原点はそれぞれの心のうちにあるのだから。

 亀戸駅で国鉄を降り都電に乗り換えた僕は、電話で連絡したより少しだけ早く大島一丁目に到着した。腕時計を街灯の明かりにかざして時刻を見ると午後七時半を指していた。
 高層住宅団地はすぐそこにあった。団地の敷地に入ると高層住宅の建物に囲まれた中央広場の方向からざわめきが聞こえてきた。叔母の住む棟へ行くには遊歩道を辿って公園を兼ねた中央広場を横切らなければならない。住宅ビルは16階建で中央にエレベーター搭を挟みその両側にそれぞれ各階15軒の世帯が入居している。一階だけは薬局や書店その他の店舗が営業しているが2階から上は居住区である。だからもし空きがない状態だとすれば高層住宅ビル一棟に450世が入居していることになる。見方によっては、エレベーター塔を胴部にした大きな鳥が羽を大きく広げて立つ姿にも見えた。それが5・6棟で団地を構成しているのだった。
 以前叔母を訪ねたとき「せめて100mくらい離れた所から見て、あれこそ我が家と言い切れる家に住みたいものね」と笑っていたことを思い出す。
 叔母の家に向かう途中の中央広場は数十人の野次馬が集まって、親しい者同士なにやらひそひそと話している。野次馬の向こう側の引き込み道路にパトカーと救急車が赤色灯を回している。事故でもあったのだろうか。野次馬達のほうに視線を戻すと、叔母の姿があった。
「遅くなってすみません」
 近付いて声をかけると、叔母は「おう。来たね」といった。僕と丁度ひとまわり、12歳違いの寅年生まれ。さばさばした性格の叔母だった。
「何があったんですか?」
「飛び降り自殺らしいよ。若い男性」
「自殺……ですか」
「叔父さんもお待ちかね。行きましょ」
 先にたって歩きかけた叔母だったが、ふと足を止めて若者が飛び降りたという屋上を指差した。
「でもね不思議なことなんだけどさ。あの屋上から飛び降りたらしいんだけどね、地面に叩きつけられるまで両腕を大きく広げて大きく大きく羽ばたいていたそうなの。よくわからない行動ね」
 叔母は自分の腕を渡り鳥のようにゆっくりと動かして見せた。
 僕は見上げた。四方からのしかかるように聳え立つ建造物によって四角く切り取られたような夜空が見えた。今日は空気が綺麗なのだろうか、無数の星がちりばめられ瞬いていた。
「どう? 恋なぞしてる?」
 叔母は突然話題を変えた。
一瞬僕はたじろいだけれどすぐ笑顔を返し
「ええ。まあ、しています」と、答えた。



            (了)    

青年たちの浮漂

 
……
 僕は故郷に戻り札幌市に本社を置く会社に就職した。理想的なものとは言い難いけれど、少し出世したところで僕は結婚して普通の家庭を持った。
 面白いもので会社が東京支店を開設するに当たって転勤を命ぜられたその勤務先は東京都八王子市。僕が青い時を過ごした神奈川県厚木市とは相模原市を挟んですぐ近くだった。
 僕は会社への通勤や何かを考えて、その相模原市に家を建てた。そういう理由で、子供たちも僕と同じように神奈川県で成人式を迎えることになったのである。
 いや、そんなことはどうでも良いことだ。とにかく僕はこの地で歳を重ね還暦を迎えることになった。それなのに僕はいまだに時々ふわりと宙に浮くような感覚を覚えて驚くことがある。
 残された日々の中で僕は果たして理性の季節を迎えることができるのだろうか……

青年たちの浮漂

いま、まるで流行り言葉のように聞こえてくる『古き好き(よき)昭和』……。昭和44年、開校して間もない大学に入学した僕は、新しい仲間たちとともに親元を離れた生活を始める。それぞれが皆青春の中にふわふわと浮き漂いながら何かを探しているようだった。何か特別なことが起こるべくもない平和な時代の中、いったい何を探していたのだろうか? そして僕たちはそれを見つけることができたのだろうか? 古き好き昭和。それが本当によき時代だったのかどうか……確かに時だけは総てを包み込んで、ゆったりと流れていたのかもしれない…… ***『青年たちの浮漂』はこれで終了です。第二部『青年たちの憧憬』は投稿までまだ暫く時間がかかりそうです

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第1章 溝口屋敷の怪人たち
  2. 第2章 純白のカンバスに
  3. 第3章 古里にて
  4. 第4章 僕たちの時間
  5. 第5章 それぞれの道
  6. 第6章 別れと出逢いと
  7. 最終章 青年たちの浮漂