イップス

イップス

ゴルフをテーマにしたスポーツ物を書いてみました。ゴルフを知らない人には判らない用語が、少し出て来るかもしれませんが、雰囲気で流して下さい。
本当に書きたかったのは、やる人と見る人の視点の相違、プレッシャーの感覚や重圧などの話です。

数年前から暖めていた話ですので、冒頭のサッカーシーンは柳沢になって居ます。
まあ、中田英俊でも本田でも良かったのですが、数年前の表現にするためと、サッカーがメインでは無いので、あえて柳沢にして有ります。
このシーンを覚えてるのはサッカーマニアでしょうね。

 それは柳沢がシュートを外したシーンから始まった。食事をしながらダイジェストでも見ていたのだろう。母がそのシーンを目にして言った言葉が、妙に気に障ったのだ。
「あーあ、反対側に蹴れば入るのに・・・、へたくそ!」
その言葉が、彼女の口から悪意の塊のように吐き出された時、僕にはそれを打ち消すだけの反論が出来なかった。
確かに、日本代表として世界を相手に戦っている選手なのだから、国内の期待を一身に背負っている。勝てばヒーローだし、負ければ戦犯扱いだ。
だが、誰がそれを責められるというのだろう。少なくとも、ただTVの画面を一瞬眺めてそのシーンだけで判断を下す彼女に、その権利は無いだろう。
 オリンピックでもワールドカップでも、勝つことを楽しむ観客の目には、金メダルのみが映っている。どのくらい努力したのか、その選手がそこに立つまでにはどんな困難が在ったのかは、見えていない。そして結果が世界で4番目だとしても、それは負けとしてしかとらえられないのだ。

 みなさんは「イップス」という言葉をご存知だろうか?
ゴルフをする人なら知っているかもしれない。一流のプロ選手が、30センチのパットが打てなくなるのだ。神経症の一種だろう。それはきっと、僕の母のような観客には考えられない事に違いない。母ならばたぶん
「だらしない。自分の仕事なのに」
とでも言うのだろう。
プロになり、その競技で金を稼いでいる選手が、自分の職業での基本が出来なくなるのだ。この一打が、十万ドルの賞金になる、というプレッシャーが、その病気を勃発させる。それはどの競技でも、どんな立場の競技者でも同じだろう。
あと一人アウトにすれば、甲子園に行けるという高校野球のピッチャーでも同じだ。たかがアマチュア競技ではあるが、その肩にかかる重圧は、その人にしか判らないのだ。


 僕がそのゴルフコンペに参加したのは、そんな大きな意味はなかったはずだ。会社の社長杯、ゴルフをやる人間なら誰でも参加できる。もちろんお楽しみの大会なので、ハンディキャップは新ペリアで付くし、賞品も飛び賞やブービーの方が、豪華な事もある。
僕もゴルフをやっているし、そこそこのスコアで回れる自信はあったので当然のように、参加を申し込んだ。まあ会社のレクレーション大会のつもりだった。
八組程の参加者の中で、僕は最終スタートの組だった。組み合わせは、当日の朝発表になる。その組み合わせメンバーを見たときに、僕はちょっとした違和感を覚えた。
社内でもいろいろなメンバーとゴルフに行っていると、それぞれの実力も特徴も、それなりには解ってくる。中尾部長は大きな事を言うが、実力はいまいちだとか、川手課長は道具自慢だが、誰かがそれを見つけてくれるまで自分から言い出さないでいるとか、みんな癖がある。その中で、僕の組だけが、スコアが良さそうな人間が4人集められているのだ。
普通ならこういう大会では、そこそこの上級者と初心者が上手く組み合わされる。一組の流れがどの組も同じ程度になるように作るものだ。そうしなければ、上級者だけで一組作っても、前の組のペースで、各ホールで待ちになってしまう。それなのに、この最終組だけは、この大会参加者のなかで上位確実という人ばかりを四人集めて組み合わせてあるのだ。
総務部の花形係長は会社で一番のゴルフ好きで飛ばし屋で通っている。もう一人、総務の清水主査は経験が長く小技がピカイチの評判だ。そして僕と同じ技術部の星川課長もそつの無いゴルフでハンディはシングルだ。そしてもう一人が僕だった。
まあ会社の中では上級とは言っても、せいぜいハーフで40を切れるかどうかという程度だからそれほど自慢できるものでもない。だが総務部と技術部からは参加者も多かったのに、このメンバーだけを同じ組に集めたのは、どう考えても幹事が何か企んでいるような気がした。

 そんな嫌な違和感の中で、コンペはスタートした。前の組はナイスショットが出たり、コミカルなショットが飛び出したりしながらも、次々にスタートして行く。僕たちの組は、互いの腕を知っているので、妙な緊張感が漂っていた。
「この組には上手ばかり集めたものだな。まあ楽しくやろうよ。」
一番年長の清水さんがそんなふうに、誰にとも無く話しかける。
「足を引っ張らないように、頑張りますから、よろしくお願いします。」
「なに言ってんだ。伴野は今回の優勝候補だろうが・・」
そう言いながら、笑って僕の肩を叩いたのは、花形さんだった。
「とんでも無いですよ。こんな諸先輩方の間で、緊張でカチカチなんですから。」
そんな無難な会話をしながら、僕たちの組もスタートになった。
四人ともマナーも技術も不安がないので、それぞれにティーショットを打てばフェアウエイ、セカンドでは確実にグリーン、パットも無難に入るというプレイが続いた。前の組がトラブルで遅れても、焦ったりいらいらしたりもしない。口では本調子が出ないなどといいながらも、誰も大きく崩れることは無かった。
僕も3ホール目でグリーン手前のバンカーに捕まったが、幸いそこからのショットは2メートル程に寄せられたので、パーが拾えた。
星川さんは2段グリーンで3パットをしたし、花形さんはワンペナに打ち込んだりもしたが、4人とも互角に40位のスコアで午前のハーフは終了した。

昼食の時に僕らのテーブルを、先の組で食事を終えた部長が覗き込んだ。そして僕のスコアカードを眺めながら、僕に囁いた。
「伴野、頑張ってくれよ。この組だけはスペシャルマッチだからな。」
「えっ、どういうことです。」
「この最終組は総務部と技術部の代表戦なんだよ。お前が勝てばボーナス上乗せだぞ。」
冗談とも本気ともつかない口ぶりでそう言うと、笑いながら午後のスタートに向かっていった。
それからしばらく、僕の頭の中では、その言葉がぐるぐる巡っていた。まさか本当にボーナスに響くわけでは無いだろうが、部長が代表戦と言うからには、部の名誉やら部長の面子やらが掛かっているのだろう。
それは僕にとっても名誉なことかもしれないが、一方では大きなプレッシャーだった。  
どういう勝負なのだろう。二人ずつの総合スコアなのか、トップ争いなのか、いずれにしても勝たなければならない。というよりは負けては困ることになってしまった。
僕らが食事を終えて、ティーグラウンドに向かうと、総務部長もまだそこに居て、花形さんに何か囁いて、肩をポンと叩いてからスタートして行った。

 午後からのプレイは、どこか四人ともぎくしゃくしていた。最初のホールでは星川さんが池に打ち込み、そこからのリカバリイも寄らず入らずでダブルボギーを打った。
「いや、昼のビールが効いてるな。」
と笑っていたが、いつもなら大ジョッキで二杯飲んでも平気でプレイをする人だ。今日飲んだ中ジョッキ一杯程度で影響が出る筈は無い。ミスをしたことの照れ隠しだろう。
次のホールでは、今度は清水さんが右の林にティーショットを曲げた。樹の根元のボールは、ティーグラウンドの方向に戻すしか出しようの無い処にあり、何とか脱出したが、グリーンにたどりついたのは、4打目だった。僕のボールも、2打目でグリーンに乗ったと思ったのだが、行って見るとグリーンをオーバーして向こう側のバンカーに転がり込んでいた。なんとか出したがカップに寄らず、ボギーだった。
そんな緊張を孕んだプレイだったが、もとが上手な人たちだから、大きくスコアが崩れることは無かった。しかし、本来なら簡単なアプローチがなかなか近づかなかったり、パットが外れたりと、次第に四人ともスコアが悪くなっていった。
「いやいや、午後は崩れてきたな。」
大きくため息をついて、清水さんが言った。
「もう5打もオーバーしてるよ。伴野もなんだか、調子悪そうだな。」
「ええ、どうもパットの調子がダメですね」
確かに僕のパットは1メートルの距離からカップの縁を回って入らなかったり、そうかと思えば、エッジから5メートルを打ったものが、ピンに直撃して入ったりと、ばらつきがひどくなっていた。
「部長が余計なことを言うから・・」
思わずつぶやいた僕の言葉が、花形さんの耳に入ったらしい。
「なんだ、お前もそんな事、言われたのか。」
「そんな事って、花形さんもですか。」
「ああ。総務と技術での対抗マッチだってな。競馬の馬じゃないんだから、いい気なもんだ。」
「そうは言っても、緊張しますよね。」
「気にしなきゃいいんだよ。表向きは親睦大会なんだから。知りませんでしたって言えば。」
星川さんも話に乗って来た。
「そうそう。楽しくやるのが一番だからな。」
皆、事情は判っているのだ。
そのとき僕はふっと、先日の母の言葉を思い出した。日本代表チームに向けてサッカーのルールすら知らない母が発した「へたくそ!」という悪意の塊を。
どんな競技でも、負けるつもりでやっている選手はいない。しかし結果のみを常に問題視するギャラリーはどこにでも居るのだ。

残り4ホールの茶屋では、前の組に居る同僚の中川が声をかけてきた。
「調子はどうだい、技術部代表選手。」
「お前までそんな事を言うのか。プレッシャーをかけるのは勘弁してくれよ。」
「いや、皆がそんな噂をしてるからさ。本当なのか。」
「さあね。俺にも判らないんだよ。誰かが言い出した冗談なんじゃないのか。」
「まあいいさ、どうせこの組の誰かが優勝だろう。他の連中でスコアがよさそうな話は聞かないからな。頑張ってくれよ。」
「あのな、四人の中で最年少で一人だけ平社員の俺に、これ以上どう頑張れって言うんだよ。」
その言葉には答えずに、中川は僕の肩を叩いて、前の組の三人のところに向かっていった。

茶屋では星川さんが僕に尋ねた。
「伴野、お前のスコアはどうなってる。」
「はい、現時点で9オーバーです。」
それを聞いた三人が、それぞれにオーバーなアクションをしてみせる。
「どうしたんです。」
「いや、お前もか。今確認したら四人とも同じスコアなんだ。こんな偶然もあるんだな。」
「他の組では良くても90を超えるスコアらしいから、この四人で優勝争いっていう事だろう。」
「だってハンディがどうなるか分かりませんよ。」
「そうは言ってもベスグロは間違いないだろう。」
「さて、ここからが勝負かな。」

不思議な事に、そこからの3ホールは四人とも崩れずにパーセーブをした。
ショートホールでは、花形さんがピンそば1メートルにティーショットを寄せたが、カップに嫌われてパーだった。
最終のホールも皆が無難にグリーンに乗せた。打ち上げのグリーンは行って見ないと、それぞれのボールの位置が分からない。
四人でパターを手にしてグリーンに向かう。
「やれやれ、一日かけて最後の勝負は最終ホールのパットで決まるのか。実力拮抗だな。」
「おっ、一人だけバーディーチャンスだぞ。」
グリーン上ではひとつだけ、1メートル程の距離にボールがある。残る三つは、それぞれ5メートルほどの処だ。
皆でボールの確認をする。一番遠いボールが清水さん、次が星川さん、ちょっと近いが下りパットになる位置に有るのが花形さん、そして一番近いボールが僕のだった。

それを確認した瞬間から、逆に僕の中でプレッシャーが膨れ上がった。これを入れれば勝てるのだ。他の三人が1パットで入れても
同打数で並ぶだけだ。部長に言われた言葉が頭の中に響く。心臓の音が、周囲の人にまで聞こえる程に、大きくなった気がする。
ボールをマークしてカップまでのラインを見る。普通に打てば入る1メートルのラインだ。

最初にパットを打った清水さんはピンそば50センチまで寄せた。普通ならばそのまま、その50センチのパットを打つのに、今回はわざわざマークをしてボールを拾い上げる。
「清水さん打ちなよ。」
と花形さんから声がかかる。
清水さんは何度も素振りをしてから慎重に打って、そのボールをカップに沈めてパーでホールアウトした。
次の星川さんのパットは、カップの脇を通りすぎ、1.5メートル程行き過ぎて止まった。これもまた、何度も慎重にストロークを繰り返し、カップとボールの位置を確認してから打ちパーにした。
残っているのは、僕と花形さんだ。花形さんは難しいラインだがバーディーを狙っている様子だ。何度もカップ側とボール側からラインを読み、強めに下りのパットを打った。ボールは予想以上の速さでカップに向かう。このままでは最初の距離と同じくらい行き過ぎてしまう。僕がそう思った時、ボールはカップに向かい、カップの縁でポンと弾んだ。そのまま、カップから15センチ程の処で止まる。
「惜しかったな。ラインは合ってたんだが、強く打ちすぎたか。」
そう言うと花形さんはそのボールをあっさりとカップに沈めた。これで僕以外の全員がパーでホールアウトした事になる。

僕はゆっくりとマークの位置にボールをセットする。
これを入れれば、僕が一打差で勝つのだ。そう思った瞬間に、心臓の音が今までの倍の音量で聞こえ始めた。
普段なら何気なく打っても入るだろう。ボールの手前でライン通りに素振りをするが、指先の感触が無い。
三人の視線がボールに集中する。パターをボールの後ろに構えるが、動けない。
一度スタンスを外して、大きく深呼吸をする。
「おいおい、そんなに堅くなるなよ。ウイニングパットだぞ。」
星川さんが声をかけてくれる。
その声に押されるように僕はもう一度パターを構える。そして、最後のパットを打ったのだ。


あれ以来、何度かゴルフには行ったが、会社のコンペには参加していない。最近では、景気のせいか社内のゴルフ人口も減って、コンペの話もあまり盛り上がらなくなってしまった。
今でもあの時の緊張を思いだせる。そして、その当事者の気持ちがなんとなく解かる気がする。だから、最近では母と一緒にテレビでスポーツ観戦をする事は無い。何気なく母が言う言葉で、自分まで傷ついてしまいそうな気がするし、母を憎む事になりそうだからだ。

イップス

スポーツに関して、私が一番感じるのは、選手のプレッシャーと見ている人の無責任な立場のギャップです。
格闘技からマラソンまで、重圧の中で勝負を競っている選手に対して、TVで観戦してる無責任な観客は
「頑張れ!」「負けるな!」「あ~ダメだ!」「だらしない!」などと勝手な事を言います。

ワールドカップのサッカーから、地区の組対抗のソフトボールや運動会まで、応援する者は
自分が関わらない立場から、批評をしている事が多いように見えます。

高校野球で打たれるつもりで投げているピッチャーは一人も居ません。でも、打たれて負けた時に
TVで観戦している勝手な観客は「ああすれば良かった」「もっとこうしたら・・」などと
評論家のような発言をして、その選手を評価します。

そういう発言が腹立たしく感じて、ついこんなストーリーになってしまいました。


テストで悪い点を取った子供、マラソン大会で最下位になった子供、運動会のリレーで追い越されてしまった選手。
そんな人達の気持ちを、ちょっとでも感じられたらと、思っています。

イップス

会社のゴルフ大会に参加した僕は、幹事の企みに巻き込まれてしまったらしい。 自分でも知らないうちに、部対抗の代表にされた主人公の胸中は・・・ ゴルフだけでなく、全てのスポーツ選手の心境を語り、観客との感じ方のギャップを語る そんなスポーツストーリーです。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-16

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