閉じ込められた世界
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0.世界の在り方
0.世界の在り方
たとえどれほど頭の螺子が外れた世界があろうとも、この世界には敵わないであろう。
僕は暗くなりだした細い道を歩く。乾いた平らな地面の上には美しすぎる星空、今日は綺麗な月まで出ている。学校ではそこまで馴染めていなくていつも休み時間は何とかして乗り切る、そんな学生なりの夜の楽しみ方だ。そんな景色を目に映しながらでさえ、この目に少しだけ疑いをかけてしまう。
「この景色さえも、誰かに見せられている景色なんだろうか」
少しの間何もせずに星空を見ていた。これがもし人間の手の加えていない景色ならとても良い景色だ。今この時代にめったにない自然が与えてくれるものをありのまま享受しているということになる。だけど、この景色に人間が手を加えていない保証なんてない。
「だってこの世界はーー」
考えていると突然車が飛び出してきた。光るライトがまぶしい。恐怖感はない、ただただその光と音と車体が不快。そのまま僕は動かずにいた。
その車は僕の身体に向かって思い切りぶつかった。これはきっと、交通事故というものなのだろう。
身体が宙に浮く。それでも、痛みなんてものは何も感じない。そして飛び散った血の数々はすぐに消えてなくなり、傷は元に戻る。まるで、世界に証拠をなにひとつ残したくないかのように。
「この世界は誰かによって閉じ込められてしまっているから」
車から人が降りてきて何か言う、挨拶みたいなものだ。
「ごめんなさいね、ぶつかっちゃって。ちょっと仕事で疲れてたみたい」
「もう全然大丈夫ですよ、この程度の損傷ならこの世界のメディアシステムがすぐに治してくれますからね」
「そうね、ほんと便利で安心な世の中になったわ。それじゃあ、お大事にね」
僕はわざとらしく微笑んで言う。
「はい、ありがとうございます」
この世界の科学は100年ほど前の2500年に大きな進化を遂げた。生まれたときにすべての人間にチップを入れ、それ以降その人間の状態を監視し、あらゆる傷、病気はすべて瞬時に治してしまう。これによって寿命以外での死はほとんど、いや完全になくなった。そして人間の脳内を監視し犯罪やいじめなどの世の中の悪とされる行為はすべて未然に防ぐことができるようになった。人間が犯罪を起こそうと考えた瞬間にその欲を脳から消し去り、記憶を書き換えるのだそうだ。これらにより僕たちの世界は過去最高の世界になった。誰もが楽しく平和に笑って暮らせる世界。
教科書にはこのように書かれている。確かに平和だ、確かに誰もがここで笑って不幸などを知らないままに生き続けている。
だからこそ、おかしいんだ。だからこそ、僕は毎日毎日飽きずにこの世界に向かって、誰も言ったことのない言葉を呟く。涙が滴り落ちる。
この世界に気付かれないように、勘付かれないように。
「僕は」
「この世界が大っ嫌いだ」
ありがた迷惑な街灯に照らされながら、僕はまた帰り道を歩き出した。
1.赤と緑
偏りきった思想、誰がそう決めてその根拠がどこにあるのかは分からない。きっと僕の考えは、誰かに話せば偏りきった思想だとすぐに跳ね除けられるのだろう。
僕からすればよほど、この世界の人々の方が偏っているというのに。
「起立、礼」
「ありがとうございました」
今日も平凡な一日が終わる。次第にうるさくなる教室に、僕はミスマッチだと感じて席を立った。
「なあなあ結城、カラオケ行かないか?」
彼は友達だ。馴染めていないなりに、少しくらいの友達はできた。僕のどこに友達になりたい要素があったのかは分からない。
「ごめんカズ、今日は遠慮しとくよ。塾に行かなきゃ」
「そうか、お前すごい勉強頑張ってるよな。今度教えてくれよ」
「他に頑張ることがないから頑張ってるだけだよ、じゃあまた明日な」
僕は少しだけ笑って手を振った。
つまらない人間だと自覚している。当たり障りのない返事、壁を作った性格、もし僕が物語に描かれるとしたら間違いなく他の面白いキャラクターの引き立て役だろう。
「あるいは、僕が何か大変なことに巻き込まれるか…」
なんにしろ、僕はつまらない。暗くなりだした帰り道を見ながらそう思う。帰り道にはたくさんの人がいる。僕が何かで勝っている人間なんていないだろう。
周りをよく見てみる。
あいつは陽気そうだしあいつは僕より勉強できそう、あいつはーー
そこまで考えて僕はやめた。もういい。やっぱり勝っていることと言えば僕のこの世界に対する態度くらいだろうか。そんなものも、どこで判断できるのか分からないが。
「やっぱり僕は」
『この世界が大嫌いだ』
誰かの大きな声と僕の声が重なった。
僕以外に、こんなことを言う奴がいるのだろうか。空耳か、いや聞こえたと僕は自分を否定する。僕は首を動かし続けて探す。どこから聞こえた、誰だ。
「ああああ!!」
後ろから叫び声が上がった。僕は慌てて振り向く。大量の血。頭から噴き出している。こんな光景を見たのは、今までで初めてだ。
銃といわれるものだろうか、それを持った少年は笑っていた。赤い目をした少年。どうして犯罪が起こせるのだろうか、どうしてメディアシステムが働いていないのか。たくさんの疑問が僕を襲った。
それから帰り道の大量の人間が撃たれていった。次々と人々が倒れていく。たくさんの声が聞こえる。
「なんだ、この刺すような感覚は!」
「なぜメディアシステムが働かないんだ、どうなってるんだ!なんなんだお前は!」
僕も頭を撃たれた。回復しない。
痛みが身体中を襲う。初めての感覚に僕は恐怖した、それと同時に僕は嬉しかった。やっと自分は人間になれた、痛みを、感じることができた。
銃を持った赤目の少年は叫んだ。
「知っているか」
「これが痛みだ、これが犯罪だ、これが死だ。本来人間が持つべきだったものを、無駄にしてはいけない。それらの感情や事実を、なかったことにしてはいけない」
僕以外の人間は皆恐怖で叫んでいる。動かなくなっているものもたくさんいる。きっと僕ももう少しで死ぬのだろう。それでも僕だけが、笑っていた。
これは、この世界に対する少しばかりの意地悪だ。
赤目の少年は僕を見て顔を変えた。嬉しかったのか、悲しかったのか。僕は分からない。
「お前はなぜ、笑っているんだ」
少年は僕に近づいて銃を向けた。
「これが在るべき世界だから。僕は最後に痛みを感じることができた、それだけで十分なんだよ」
彼は驚いたような顔で僕を見る。
少し経って彼は僕に言った。
「お前は、俺のように生きる覚悟があるか」
「僕は君みたいになるつもりはないよ、赤目」
彼は少し残念そうに僕から離れた。彼の後ろ姿に僕は声をかける。
「だけど、この世界に抗うつもりならある」
彼は足を止めた。僕は出ない声を出し続ける。
「もし僕にその能力があるのなら、絶対にこの世界を壊してみせるだろう」
彼は僕に向かって走ってきた。そして彼は手を僕の頭に突っ込む。
とてつもない痛み、異物感。何かが僕の頭に入れられる。僕は叫び声を上げて暴れる。
「メディアシステムのチップは全員生まれた時に脳の左側に入れられる。その場所を撃ってチップを壊せばこの世界の人間は本来の人間に戻る」
痛みの中で微かな声を理解しようと必死で聞き取る。
「僕に、何を入れてる!」
「俺の作ったチップだ。機能は治癒と肉体の強化。メディアシステムとは違う。それ以外の機能は何もない、犯罪を犯しても裁かれない」
僕の身体は徐々に元の状態に戻っていく。また僕はこの螺子の外れた世界の住人に半分戻ったんだ。
「お前は、緑色か。副産物とはいえいい目印だ」
彼はつぶやいた。僕は起き上がって聞く。
「何の話?」
「いいや、何でもない。俺はそろそろ行く」
「待ってくれ、赤目」
僕は理由もなく彼を止めた。
「何だ」
慌てて理由を探す。
「あ、えっと、君の名前は」
「赤目でいい」
「そうか。ありがとうな、赤目」
「じゃあな、ミドリ」
赤目の少年は去っていった。僕はあんな風にはならない。違うやり方で、この世界を変えてみせる。
変えた世界で、僕が楽しく生きられる保証なんてないはずなのに。
2.なかったことに
星が綺麗だ。僕は満点の星空を自分の目で見て思う。星空の色は、変わらなかった。
「ただいま」
今日は何もなかったのだ、そんな平静を装って僕は玄関を開ける。妹のスズが不思議そうな顔で玄関にいた。
「おうスズ、お母さん晩飯作ってる?」
スズは答えない。何かあったのだろうか、僕の何かに気づいたのか。
「おい、どうしたんだ答えてくれスズ」
「あの…どちら様でしょうか」
「何を言ってるんだ、兄の顔くらい覚えておいてくれ」
「私には兄なんていません。ごめんさい、帰ってもらえませんか?」
僕のことを忘れてしまったのだろうか。
「何を言ってる、俺だよ!分からないのか?」
「本当に、帰ってください」
妹は嘘を付いてはいない。本当に僕のことを忘れてしまったとしか思えない。
いや、それとも僕の容姿が変わっているのだろうか。僕は携帯電話のインカメラで自分を写す。
僕は、瞳が緑色になっていた。
「ミドリは…これのことか」
しかしこれだけでスズが気が付かないはずがない、何年間も過ごしてきた兄をこんな違い一つごときで見間違えたりするはずがない。
可能性は一つしかない。
「ごめん、ちょっと待っててくれスズ」
急いであの事件が起きた場所まで走った。スズは朝には覚えていた僕のことを忘れていた。その間に起こったのはあの事件くらいだ。その間にスズは綺麗に僕の記憶をなくした。
こんなことができるのは、この世界だけだ。
僕は事件の現場に付いて目を疑った。
「ない…死体がない」
何一つ死体は残っていなかった。それどころか血さえもすべて。
「この世界は、事件をなかったことにしたのか?」
メディアシステムは記憶の改変や身体の治癒をすることができる。ならば血を消して身体を消すことくらいは容易にできるだろう。だが死んだ人間はすべてコアを壊されていた。ならばどうやって死んだ人間をまるごと消すことができたのだろう。
分からない。
でも、この世界がこの事件をなかったことにしたのは事実だ。ならコアを壊された、つまり死んだ人間も、元からいなかったことにされた。
「あの事件で死んだ人間は全員僕の学校、皐月高校の生徒。つまりその全員がいなかったことになると…」
僕は携帯電話でインターネットの画面を開く。皐月高校、全校生徒数256人。
足りない。おおよそあと30人はいたはずだった。
この世界はこの事件をなかったことにするため、死んだ人間をいなかったことにするためにメディアシステムを使って大きな帳尻合わせをした。その事実は考えただけでも僕にとって恐ろしかった。犯罪は起きなかったんじゃなく、世界から消されていたことになる。
僕は怒りと悲しみで走った、自宅に向かって。僕と赤目以外誰も何も知らずにただ笑って生きている。その隣で人間が死んでいるというのに。
この世界は異常だ。
僕は玄関を開けて中に入る。妹はまだ、僕を知らない。
「スズ、ちょっとだけ聞いてくれ!」
「誰ですかあなた!警察呼びますよ!誰か、助けて!」
僕はスズの目を見て、スズではない誰かに向けて話した。
「聞けよ。誰かは知らない、それでもお前は人間の目を通して見てるんだろ。今はスズの目を使ってディスプレイの前で!」
スズが叫ぶ中僕は話し続ける。
「お前はこの事件でコアを壊された僕を死んだと認識したんだろ、でも現実は違う」
「僕はここにいる、僕はまだ生きている!この世界の人間の記憶から誤って僕を消した、これはお前にとっても不都合だろ!」
僕は涙を流してぐちゃぐちゃの顔で叫んだ。
「そしてこれはお前に対する宣戦布告だ。僕はお前を認めない、世界中の誰もがお前を認めていたとしても。ここで起こったことはすべて無駄じゃない、それを人間を操ってなかったことにしてはいけないんだよ!」
少し経って、スズは顔色を変えた。僕を、心配してる顔だ。
「あれ、お兄ちゃん帰ってたんだ。どうして泣いてるの?」
スズは僕の涙を拭う、緑色の瞳を見つめて。
「なんでもないよ、ごめんな…」
「本当に?何かあったら言ってくれていいんだよ」
「大丈夫、本当に大丈夫だよ」
「そう?良かった。お兄ちゃんの緑色の目、昔から好きなんだ。綺麗なんだから涙なんか流しちゃ駄目だよ」
『僕の目は、昔から緑色だった』
この世界は、こんな嘘で成り立っている。一番大切な人も、好きな場所も、思い出の景色も、たった一つの事件のための帳尻合わせなのかもしれない。僕と赤目だけが、変わり続ける世界の外側で知り続けることになるのだろう。
一人のエゴに付き合わされる世界を、見守っていくことになる。僕はもう、戻れないところまで来てしまった。
この世界を止めなければいけない。閉じ込められた人間を外側に出さなければならない。
「昔から、か」
笑えない冗談を背負って僕は寝室に向かった。
3.赤から見える世界
人間が歩く、幸せそうな顔をして。この世界で何が起こっているか、その一つさえも知らずに。過去のどの時代を辿ったとしてもこんな光景を目にすることはできないだろう。
俺はこの人々を救いたいなどとは思っていない。ただ、復讐がしたいのだ。
赤い目に携帯電話を映す。
2610年5月。彼にチップを渡して半年が経った。俺にとってこの世界はとにかくどうだっていいというのは本当で、ただ復讐のついでに救ってやろうかといったところだ。その復讐のために俺の毎日はあり続ける。
銃を誰かに向ける。誰でもいいからこその表現だ。
「こちらを向け、俺はお前を殺すことができる」
20代、男性。彼はこちらを向いて手を上げた。
「なんだよお前、犯罪なんて何年前の話だ」
確かめたかったことを少し確かめさせてもらおう。
「そんなことはどうでもいい。さあ来いよ、勝負だ」
俺は引き金を引き彼の身体に5個ほどの穴を開ける。彼は無痛の中でも叫ぶ。血と穴は一瞬で消えて彼は元に戻る、この世界の鬱陶しいやり方だ。助けてやってるんだからこんな野蛮なものは見るな、と言っているようにしか思えない。
「お前、なんで犯罪が起こせる」
「そんなこといい。とにかくお前が死ぬことなんてないだろうが、かかってこい」
「言われなくてもやってやるよ」
彼は拳を握って走ってくる。いい具合に怯えない人間を捕まえることができた。実験するのにはちょうどいいかもしれない。
俺は動きを止めて彼を待つ。
殴られる直前で彼の手は止まり彼は目を閉じた。
世界による犯罪の抑制、記憶改変。
その後に彼は目を開ける。
「あれ、俺何してたんだっけ?」
「俺と殺し合いしてたんだよ」
彼の身体に銃を撃ち続ける。ここまでの予想はできた。俺が一方的に攻撃し続けることができることまではわかっていた。この世界は辻褄合わせに必死で道徳など考えてはいないのだから。
問題はこの先。肉体的なダメージはいくらでも回復できる。ただし問題が発生するレベルの精神的なストレスを与え続けるとどうなるのか。
もっと、もっと撃ち込め。
「やめろよ、手を上げろ」
声が聞こえた。ああ、君か。
「ミドリ」
俺は少しニヤッと笑い手を上げた。
「半年ぶりだな、赤目。お前に聞きたいことが色々とある」
「ああ、それでこんなまるで100年前のドラマみたいなことをしてんのか」
俺は銃を持ってミドリの腕を撃ち抜く。
「そんなんじゃ甘い。お前にこのチップの本当の使い方を教えてやるよ、かかってこい」
「強いんだな、赤目」
ミドリは俺に向かって弾丸を放つ。このチップに内蔵されている肉体強化という機能。こう一口に言っても様々なことができる。例えば、肉体の硬化。
身体に当たった弾丸は弾かれて地面に落ちる。
それでも彼は何度も俺を撃ち続ける。
「お前、この半年間何をしてた。まともに戦えもしないようじゃこの世界には抗えない、変えられない」
「君以外と戦うつもりなんてない僕にはそんな能力は必要ない、僕は違うやり方で変えると言ったはずだ」
「ああ、そうか。それで、何が聞きたくて俺のところに来た」
「答えてくれるのか?」
「ああ、内容によってはな」
「なら率直に聞く。お前はこの世界を後ろから全部操ってすべてなかったことにしてしまっている人間が誰なのか知っているか?」
そうだ、こいつはこんなことすら知らないでずっと足掻いているんだ。この世界から外れてしまったままずっと足掻きつづけている。
本当にこいつは、すべて知ればもしかしたらこの世界を変えてくれるかもしれない。そうじゃない、この世界への復讐ができるかもしれない。
「ああ、知ってる。全部知ってる。はじまりから今まで全部な」
だからこそ、俺は今までずっと復讐のために生きているんだから。無謀なことだと分かっていても。
4.きっかけ
今から10年前、2600年1月。後に赤くなる俺の目はまだ黒い。後に平和になる世界は今はまだ戦争や犯罪が起こり続けている。この時9歳だった俺は、戦争や犯罪など本当になくなれば良いと思っていた。心の底から。
「おーい、やっとできたぞ!」
父さんの声。
どうやらここ数年ずっと作り続けてきたシステムが出来上がったようだ。なんでもこの世界から犯罪をすべて消し去り、病気や傷をすぐに治してしまうものらしい。
「すごいよ父さん、すぐにでも犯罪、なくそうよ!」
本当にすごいとしか思わなかった。
「うーん、始めるには色々と上の人たちとか世界中の人たちと話合わないと駄目だね。何しろ一人一人にチップを埋め込むことになってしまうから」
当時の俺には難しいことは分からず、ただうんうんとうなずいて聞くことしかできなかった。
「父さんが勝手に世界を変えちゃダメなの?」
父さんはこの時少しの間、何かを考えたのをよく覚えている。
「ああ、一人で世界を変えるなんてしちゃいけないんだよ」
それから5年が経ち、このシステムは世界中に適用された。その名も「メディアシステム」
それから人々の生活は変わり、より良いものとなっていった。父さんが作ったシステムは本当に世界に最高水準の幸福を与え戦争や犯罪をなくした。
ただし、このシステムを適用するにあたって一つ条件が課せられた。それは、この世界の管理を父さんや他の人間がするのではなく人工知能がするということ。誰かが世界の独裁者になってはいけないと議論で決定したのだ。
それでも世界はずっとより良いものであり続けた、その後一年間だけは。
2606年、1月。システムが適用されてから一年間が経過した時に、事件は起こった。徐々に人工知能は世界の形を変えていったのだ。自分にとって都合の良いように人々の記憶を書き換えて、メディアシステムが自身の更なる繁栄を望んだ。
『このシステムは100年前に適用された』
システムは世界にそんな嘘を全世界の人間につき始めたのだ。
父さんと俺だけは分かった。俺と父さんはこの世界がエラーを起こした時のためチップを入れていなかったからだ。記憶改変はされず、この世界の外側で生き続けた。
「なあ父さん、このままだとまずいんじゃないか」
俺は夜遅くに父さんの部屋に行って話した。少しコーヒーの香りがしていたような気がする。
「そうだね、こんなことを放っておいていいはずがない」
そして父さんはあの日言った言葉をまた口ずさんだ。
「たった一人が世界を変えるなんて、してはいけないことだから」
その時、窓が割れた。銃声が耳に入る。人間が、銃を持って外に立っている。犯罪など起こすことができないはずの世界で。
すぐに部屋にもたくさんの人間が入ってきた。生きているとは思えない顔で、ただ俺たちを殺すためだけにいるような顔で立っている。操られているのだ、メディアシステムに。
そして、彼らは父さんを撃った。
「父さん!」
それからも何度も銃を持った人々、いや、メディアシステムは父さんを撃ち続けた。
父さんは消えそうな声で言った。
「逃げろ……引き出しの上から二段目に入ってるチップを入れて逃げろ」
「父さんも逃げよう!俺と一緒に!そうだ、父さんなら治せるだろ!」
「逃げろ!」
俺は涙を流していたのだろう。世界中で一人だけ、涙を流していた。
俺は引き出しを開いた。世界中の人間と少し違う二枚のチップが入っていた。
俺はそのチップを頭に入れる。
父さんは言った。
「今日あったことは忘れろ…何もなかったことにして毎日平和に生きろ」
俺は家から走り出した。チップで弾く銃弾、音がうるさい。俺は彼らを一人残らず殴り尽くした。
「ごめんな父さん。忘れられないし、この世界を一人で変えずにはいられない」
「きっと今日あったことを、なかったことにしてはいけないはずなんだ」
俺は赤い目で叫んだ。
「俺はこの世界が、大っきらいだ」
この日から、メディアシステムは世界になった。俺以外その本当の姿を知らない。
全世界の85億人を携えたメディアシステム。たった一人の俺が立ち向かう復讐の物語が始まった。
閉じ込められた世界