鮭の母川回帰にも似て。
先週末、ロサンゼルスで急死したホイットニー・ヒューストンが、生まれ故郷のニュージャージー州へ戻ってきた。遺体は、ニュージャージー州までプライベート・ジェットで運ばれた。テレビでは、大勢のファンが詰め掛けてロウソクを灯したり、幼ないときに一緒だった聖歌隊のメンバーからの追悼の言葉などを映し出していた。僕は、ホイットニーが生まれ育った教会のあるニューアークまで冬の冷たい霧雨の中、車を走らせた。
ホイットニーの葬儀は、当初、南部のジョージア州アトランタで行なわれると従姉妹のディディオンヌ・ワーウィックが語ったとの報道が流れたが、結果的には生まれ育ったニュージャージー州のニューアークで行なわれることになった。更に葬儀の場所は、ニューアーク市が2万人近くを収容できるプルデンシャル・センターを提案したものの、ホイットニーが聖歌隊で歌い、その歌の才能を初めて開花させたニューホープ・バプティスト教会に決まった。
ニューアークに着いた。正直なところ、この周辺は決して裕福と言える地域ではない。また、葬儀の行なわれるニューホープ・バプティスト教会の前にはテレビ・カメラか並んでいるものの、古い赤茶色のレンガ造りの教会は、建物全体が車の中から見えるほどの小さな教会だ。マイケル・ジャクソンの葬儀のようにテレビも入ってパブリックにも大勢の人が参列できるプルデンシャル・センターでなく、プライベートな葬儀に決定されたということが、この教会を見るだけで頷ける。
僕は、車を降りてホイットニーが幼いときに聖歌隊の練習に通った教会の周辺を歩いた。あのスーパーボウルでのアメリカ合衆国のホイットニーの国歌斉唱、亡くなった翌日のグラミー賞でジェニファー・ハドソンが追悼して歌った「I Will Always Love You」ほか数々のヒット曲、いずれにも共通するゴールデン・ボイスが放ってきた華やかさとは違う、まったく正反対とも言わざるを得ない哀しさをこの地に感じた。だからこそ、この教会での葬儀にしたのだろうか。
車に戻ってからもう一度だけ、霧雨に煙る赤茶色の古いレンガ造りの教会を遠目に見た。僕は、そのとき鮭が生まれ故郷の河川に必ず戻るという習性にも似たものを感じた。
鮭の母川回帰にも似て。