星に願いを(改1)
第一話『星に願いを』
街の外れにある天文台を訪れた頃には、もう陽もだいぶ傾き、街全体が琥珀色に染まりつつあった。
新美原市天文台は、天文台とは名ばかりで、申し訳程度の天体望遠鏡と天文関連の展示室が在る他は特に何か子供の目を引くものがあるわけではなかった。そんな場所に足を運ぶ物好きは僕くらいなもので、僕にとっても何か用事があって行くというよりはほとんど暇つぶしに立ち寄る場所という認識でしかなかった。
天文台のさび付いたドアをそっと……開けようとしたのだけれど、いつも通りにギイと派手な音をたててしまい、奥に居たササキさんから、おう坊主また来たか、といつもの調子で声をかけられた。
相変わらず、ロビーに繋がる展示室は雑然と良くわからない品々、古ぼけた地球儀とか、やたら複雑そうな構造の方位磁針(多分)とか、ガスがかかった星座の写真とかそういった類のガラクタ……もとい展示物が無造作に並べてあり、ここの主であるはずのササキさんはそんなものはお構いなしに、奥の小部屋というか物置でまた何か変な装置を弄ってるらしい。
ここを訪れる度に、誰かが来てもわからないなんて不用心だ、と説教の一つもくれてやろうと思うのだけど、このドアがあるから大丈夫だというササキさんの軽口を実証してしまう、という不本意な結果に終わっている。
「あけまして、おめでとうございます」
「うん。ちょうど良かった、そろそろ『便り』が来る頃だ」
敗北感に打ちひしがれながらも人並みに年賀の挨拶を奏上した僕に対して、返礼の一つもないのはいい歳をしたオトナとしてちょっと問題があるように思う。
「コーヒーでも飲むか?」
僕の胸中を知ってか知らずか、妙に機嫌の良いササキさんの好意に僕は素直に頷いた。
それには理由がある。ここのコーヒーは他所で飲むのと違って絶妙に美味いのだ。なんというかまあこれを飲んでしまうと普段僕らがコーヒーと呼んでるモノはただの泥水にしか思えなくなる。
いつだったか、ササキさんが自慢気に「市中に出回ってる代用コーヒーじゃ……」みたいなことを口走って、慌ててごまかした事があった。勘の良い僕はそこに何か危険な香りを感じたのだけれど、一体どこから仕入れて来ているのかは見当もつかないし、敢えて問いただそうとも思わない。
「目の前にある一杯の美味いコーヒー、それで充分じゃないか」ササキさんが目を泳がせながら言い放ったこの一言にはその真意はともかく僕も大いに賛成だ。
こんな世の中で星など眺めて何になるのか、中学生は道草など食わずにマジメに勉強しろ、と周囲の大人たちは口を揃えて非難する。
でも、僕は天文台通いを止めるつもりはサラサラない。自分の成績にも別に不満はないし、周りの大人たちにガミガミ言われるのも嫌だから、決して口にはしないけれど、高校なんて行けるとこに行けばいい、くらいにしか思ってない。
それよりも、僕はここで星を観察しているというササキさんの話が好きだった。僕は実のところ星にも天文学にもあんまり興味はない。ただ、喧騒とは無縁のこの場所が僕にとってひどく居心地が良いのは紛れもなく事実だ。
ササキさんはいかにもうだつがあがらないといった感じの、年齢的にはもう初老って言っていいくらいだろうか、まあとにかくズバリ言うならサエナイ感じのオジサンだ。一応ここの唯一の職員らしいけれど、掃除以外の仕事をしているのを皆目見たことがない。
それが今日に限っては妙にそわそわして落ち着かない雰囲気だった。
その原因が、部屋の隅に鎮座している古ぼけた装置だということは、ササキさんの視線からなんとなくわかった。
「便り、ってなに?」
「新地球、って知ってるか?」
ササキさんは頷く僕を横目に、電気ポットに水を注ぐとスイッチを入れた。腰に手ぬぐいというのは、例えばこういう時非常に便利だと思う。僕が学校でササキさんの真似をすると学級委員の倉田にダサいから止めろ、と一方的に怒られるのはやはり解せない。女の考えることはさっぱりわからない。
「ずっと昔、この星に見切りをつけて出て行った連中……正確にはその連中の子孫、ということになるのかな。当時は無謀とか散々言われたらしいが、なんとか安住の地を見つけたってわけだ」
ポタラカ、子供の頃に絵本で見たことがある。海の果てにある極楽浄土とかそういう意味だったと思う。たしか三百年くらい前の話だったはずだ。
その昔、星の海を渡る船があったというのも正直ちょっと実感に乏しいけれど、アテもなく未知の航海に出た人々が幸運にも移住先を見つけたというのもよくよく考えれば相当ラッキーなことではないだろうか。
「少し前までは、あちこちに天文台があってな、色々込み入った情報もやりとりしていたらしいが、先の戦争でそれどころでなくなってしまった」
十五年前の戦争の話は僕も学校で習った。
戦後、天変地異が重なり復興は思うように進まず、生活環境の改善……平たく言えば食料の増産が今の政府の最重要課題だ。
「困ったことに、どうやらあちらも似たような状況らしい。それでも細々と『通信』を続ける天文台は、お互いいくつかしぶとく生き残っているようでな。ここもその一つってわけだ。まあいつまで維持できるかわからんけどな……」
その時、「受信機」と書かれた古ぼけた金属の箱が、今にもかすれそうな音色で鳴動を始めた。
ポットからは盛大に湯気が吹き出していたが、ササキさんの視界には入らないことを知ってるかのように、パチンと音を立て独りでにスイッチが切れた。
「おっと、噂をすればなんとやら、だ。復号するからちょっと待ってろ」
そう言うとササキさんはポットにはお構いなしで、「受信機」につながる別の装置を見つめたまま、しばらくカチャカチャといじっていたが、受信した電文を読み上げた。
『明けましておめでとう! お久しぶりです。お元気ですか? こちらはなんとか元気でやっています。星暦二七六年一月一日。TEハイラル天文台』
そして今度は「送信機」と書いた装置に向かって鍵盤を叩き始めた。入力した文字列がモニタへ浮かび上がる。
『お便りありがとう。そっちも大変だろうけれど、こっちも似たようなもんだ。でもなんとか無事でやっています。星暦二七七年一月一日。新美原市天文台』
ササキさんは一通り『送信』の儀式を終えると、肩の荷が下りたと言わんばかりの弛緩した表情になり、やっと僕にコーヒーを淹れてくれた。
ちょっと苦みのきついコーヒーを啜りながら、僕はササキさんに『受信』の日付の間違いを指摘した。もう年も明けたのだから二七七年じゃないか、と。
ササキさんは苦笑いしながら教えてくれた。
「この通信機はだいぶ旧式でな、どうやら先方に届くまでちょうど一年かかるらしい。昔はもっと性能の良い装置もあったらしいがなんせこんなご時世だ。使えるだけでも有り難い、と考えるべきだろうな。あちらさんも似たような環境なんだろう」
――つまり、さっき打った電文が届いてまた返事が届くまで二年もかかるってこと?
僕がそう尋ねるとササキさんは少し寂しそうに笑いながら頷いた。
「なんせ遠いところだしな……。でもまあこの広い宇宙でお互い無事ってことが確認できた、この星空の中に同じことを考えながら星空を見上げている連中が居るってだけでなんだかちょっと嬉しくならないか?」
そう言ってササキさんは古ぼけた望遠鏡を覗かせてくれた。
僕はレンズの向こうで瞬く星に、一年後、ずいぶん間延びした年賀の挨拶が無事に届くことを願った。
===
第二話『星に祈りを』
寮長の僕は、十一月に入ると、寮生達の年末の予定を確認して寮監へ報告することになっている。
正直、面倒くさい仕事だが仕方がない。まあ具体的には先週配布した回答用紙の未提出者を個別に当たるだけなのだが、……結構その手の輩が多くて困る。
(四○一号室……三上か)
三上は同級生だが、かなりの変わり者で通っている一人だ。かなりの通信機マニアという噂で、自室は怪しげな機械で埋め尽くされていると評判だ。僕は奴の部屋に興味があったが、わざわざ訪ねて行くような間柄でもなかった。
僕が四○一号のドアをノックすると、三上はドア越しに僕へ部屋の中で待つように言った。
部屋に足を踏み入れた僕を待っていたのは、金属のラックに積み上げられた怪しげな機材の山……と言っては失礼かもしれない。それなりに整然とは配置されてはいるのだ。しかし、壁一面を埋め尽くさんばかりの無愛想な金属の塊たちに、僕はただ圧倒された。
僕が呆気に取られているのを察してか、部屋の奥から三上が声をかけてきた。
「悪いな、いまちょっと手が離せなくて。もうちょっとだけ待ってくれるか?」
「いや、そんなに大した用事じゃないんだ。三上、一応聞いておくが年末はどうするんだ?」
こいつも俺と同じく戦災孤児ってやつで、帰省する宛はないはずだ。こういう無粋な質問をしなくてはならないのも寮長の辛いところだ。まあ、内地の学校とは違って、戦災孤児なんて特に珍しくはない。大陸の権益を求めて植民地化という名の侵略を進めて来た我らが大皇国軍と西域連邦とが衝突するのは必至だったし、今もなお北方二百kmの地点で皇国軍と連邦軍の睨みあいは続いているのだ。
「ああ、年末年始は忙しくてな。寮に居るよ」
「そうか、わかった」
用件はそれで済んだが、僕は三上の部屋に山と積まれた装置達に興味津々だった。
「なあ、これって何の機械なんだ?」
「通信機さ」
三上は何かの作業に没頭しているらしく、こちらに背を向けたままそっけなく答えた。
「通信って、どこと?」
「どこって、そりゃ色々さ」
「色々じゃわからねえよ」
食い下がった僕に、三上は作業の手を止めて振り向いた。
「う~ん、例えば別の天体とかだな」
「別の天体って……?」
「定期的にやりとりがあるのは地球だな」
「地球ってあの地球か?」
「そうさ」
地球と言うのは人類発祥の星で、今僕たちが暮らす星、ポタラカからは遠く離れた場所にある。
その昔、地球から新天地を求めて星の海を渡った命知らず共の末裔が僕たちってわけだ。
「バカ言え、五十光年は離れているんだぞ」
「ああ、TGだと一年くらいはかかってるな」
三上によると、TGと言うのは第三世代型恒星間通信システム、の略だそうだ。比較的低出力で通信が出来るのが特長だが、強い指向性がありお互いの空間座標を特定しないといけないのが問題点、だそうだ。
「最近ずいぶん進んでるんだな」
「何言ってんだ、二十年以上昔の技術だぞ」
三上によると、恒星間通信の主流が第四世代型、通称FGに置き換わったが約十年前。FGの特徴は中継ポイントを多数設置してネットワークを形成する点にあり、以後の世代もこのネットワーク型が主流になった。また、それによりピンポイント型であるTGは廃れたそうだ。
「じゃあ、今なんでネットワーク型を使わないんだ?」
三上はそんな事も知らないのかと言わんばかりの声色で説明してくれた。
「インフラが整備されてないからさ。ネットワーク型は中継局同士が定期的に座標データの交換しなけりゃただのガラクタになっちまう。しかしお上ときたら地べたの戦争に忙しくて、電信ごっこには興味がないんだろうさ」
「じゃあTGは?」
「TGは、相手の座標さえ特定できれば送信できる。もっともこちらが受信する為には相手がこちらの座標を把握しておく必要があるわけだが……一から座標計算するだけの能力を持った計算機は内地に数台あるかないかだな。ま、今は戦争の勝ち負け占いにこき使われてるだろうから、電信ごっこになんて貸しちゃくれないだろうがな」
「じゃ、どうしてるんだ?」
「簡易的には、何らかの電文を受信できれば、そこから座標データを逆算できる。そこから一年後の座標を計算することもな。それくらいならウチにある計算機でもまあなんとかなる」
「でもそれって、特定の相手が……」
「居るんだよ。そういう酔狂な奴が、あっちにも」
僕はいつの間にか三上の話に夢中になっていった。
冬休みに入っても、僕は相変わらず三上の部屋に入り浸っていた。
三上にしても、僕がバイト先から仕入れてくるコーヒー(断っておくが配給の代用コーヒーじゃなくて南方産の本物だ)が気に入ったそうで、お互い様ってことだ。
「三上、聞いたか? 連邦軍にハルハ要塞を落とされたって話」
「ああ、軍用無線も最近は暗号の掛け方が甘い。中には平文で打電するバカも居る」
この男はラジオ代わりに軍用無線を傍受している。これは奴曰く暗号の解読とセットで「純然たる趣味」なのだそうだ。摘発されたりはしないのか不安に思ったが、コチラから何か発信したり妨害したりしない限りは問題は無いそうだ。それにTGは送信先の天体以外への影響は皆無であり、地上で傍受されたりする怖れはまず無いと言う。
「最初は新手の攪乱作戦なのかとも思ったが、残念ながら違うらしい。第二次防衛ラインを突破されるのも時間の問題だろうな。そうなると、本格的に内地へ疎開を始めるらしいぞ」
それから三日後、任意ではあるが全寮生に疎開勧告が出た。
「三上、お前残るって本当か?」
正直どうするかを決めあぐねた僕は、三上の部屋を訪ねた。
「やることがあるからな」
三上の言葉に迷いの色はなかった。確かに今のところ疎開は任意だし、特に僕ら学生が優遇されてるだけから市中の機能は当分今のままだろう。しかし、三上が傍受してる情報からすると、軍の対応は少し呑気過ぎるような気もするのも事実だ。
「もし、仮にだけど、連邦が攻めて来たらどうするんだ?」
「まだ決まったわけじゃないさ」
「たかが電信じゃないか? 生きてりゃまた再開できるだろ」
「年末年始が地球との交信チャンスなんだ、逃すと座標の再計算が必要になる」
もちろん、それは地球との交信の機会をほぼ永久に失う事を意味する。それは僕にもわかる。
……しかし、だからって。そう思った僕の心を見透かしたかのように三上は言葉を続けた。
「俺たちは地球人だ。故郷を遠く離れてもその心を失うわけには行かない」
地球人、その言葉に僕は何か細くて強い絆のようなものを感じた。理由はよくわからなかったが。
「手伝うよ」
僕の申し出が意外だったのか、三上は一瞬目を見開いたがすぐにそっぽを向いてつぶやいた。
「無理に付き合う必要はない」
「良いんだ、どうせ帰るとこなんて無いしな。それに僕のコーヒーが飲めないと寂しいだろう?」
「勝手にしろ」
どうやらまんざらでもなさそうだ。幸いコーヒーのストックはまだまだ余裕がある。
年が空け、元日の夜も大分更けたが、僕と三上は通信機の前で何杯目かのコーヒーを啜っていた。
三上によると、今夜遅くに地球からの電文が届く可能性が高いということだ。まあ尤も相手の送信タイミングにもよるから一概には特定出来ないが、相手もマメな性格の様でここ数回のやり取りでの受信時刻の誤差は約六時間前後。これは通信そのものの精度とほぼ同じ数値だ。
コーヒーの効き目も薄れ、僕が船を漕ぎ始めた直後に「受信機」が鳴動を始めた。
「三上?」
「ああ、受信してる。バッファリングが済んだら復号してくれ」
「了解。『お便りありがとう。そっちも大変だろうが、こっちも似たようなもんだ。なんとか無事でやっています。星暦二七七年一月一日。新美原市天文台』やった!」
「よし、予定通りだな」
三上は、送信機のコンソールに向かうとキーボードを軽やかに叩き出した。
『HappyNewYear! 今回は残念なお知らせがあります。詳細は五分後に送信する第二信をご確認下さい。星暦二七八年一月二日。TEハイラル天文台』
「送信完了。第二信の送信準備。座標修正+4、+8、-12」
「了解。座標修正+4、+8、-12……」
僕は、寝不足の眼にチカチカ刺さるコンソールの星たちに、この電文が無事地球まで届く事を祈った。
====
第三話 『星を継ぐもの』
お葬式、というものに慣れていないせいなのだろうか?
揃って悲痛な表情を浮かべた大人たちを尻目に、僕は悲しさよりもササキさんが亡くなったという事実に対する現実感のなさに対して戸惑いを感じていたのだった。
ササキさんのお葬式はまるでずいぶん前から予定されていた行事であるかのように淡々と進み、ササキさんの亡骸を乗せた車を見送ってしまうと、後には大人たちの煙草の煙の匂いだけが残った。
僕は、しばらく成す術もなく立ちすくんでいたけれど、ここに居てもどうしようもない事に気が付くと、形見分けしてもらった古ぼけた通信機を片手に、最寄駅行のマイクロバスに乗り込んだ。
バスを降り一人になった僕は、慣れないネクタイを緩めてポケットへねじ込むとふらふらと改札を抜けた。
こういう時だけは決まった制服のある中学にしとけば良かったなと思うけれど、首元から入る冷えた空気の心地よさがそんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。
「三番線に到着の電車は、樫丘行き各駅停車です」
反対側のホームへ電車が到着を告げるアナウンスが構内に鳴り響くと、ふと、そのまま逆方向の電車に乗ってしまおうか? という衝動に駆られたけれど、結局どこに行くあてもない事を思い出して、大人しく家路についた。
車内に差し込む二月の夕方の生暖かい日差しと電車の揺れ心地に、僕は少しまどろみながら膝の上の通信機をぼんやりと眺めた。
通信機は、生前のササキさんから特に僕宛に渡してほしいと奥さんに言伝があったそうで、僕がもらっていいのかちょっと躊躇したけれど、遺言とあればそれを拒むのも何だか気が引けて、結局僕が引き取ることにした。
しかし、困ったことが一つある。僕にはこいつの使い方がわからない。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ニ年前の冬休み、僕は宿題の作文に苦しみもがいた結果、天文台のことを書いた。その事はまあいい。
その時は特に何ともなかったのだけれど、三年生になって「卒業アルバムに皆の作品を載せよう!」などと甚だ迷惑なことを言い出したバカがいて、否応がなしに僕の作文もまた皆の衆目に晒されることになってしまった。せめて卒業してから配布すればいいものを、折角だからリライトしろとか皆で読み合わせしようとか、そういう余計なお世話を思いつく奴(いや、正確には女だけど)はどこにでも居る。
TG方式による星間通信というのは、僕の予想に反して皆の好奇心をくすぐったようで、更に困ったことに、僕の作品をたまたま読んだ教育委員会のエラい人が地元の新聞記事になんかしちゃったもんだから、市内でもちょっとした話題になってしまったのだった。
まもなく援助運動推進の声が上がり、設備の維持にまとまった予算が付くことになると、閑散としていた天文台にも足を運ぶ人が増えた。先の戦争の後、なんとなくだけど閉塞感の漂う世間に射した希望の光、みたいな雰囲気になってしまったのだ。
そして今日一月三日は「返信」が届く予定日とあって、天文台には多くの人が押し寄せた。
「やれやれ、騒々しくて気が散るな」
ササキさんは、きまりが悪そうに頭を掻くと受信機のダイアルを弄んでいる。素人目には設定の微調整をしているようにも見えなくはないが、単に手持ち無沙汰なだけであることは僕だけの秘密だ。
「賑やかでいいじゃん、おかげで予算も付いたんでしょ?」
「まあ、そうだけどな……」
その時、通信機が待望のデータ受信を知らせる鳴動を始めた。
「よし、復号するぞ!」
ササキさんは勇躍して作業を始めたのだけれど、その内容は僕らの期待に適うものではなかった。
『HappyNewYear! 今回は残念なお知らせがあります。詳細は五分後に送信する第二信をご確認下さい。星暦二七八年一月二日。TEハイラル天文台』
「何だって……?」
ギャラリーの中に不審な空気が漂ったけれど、ササキさんはまるで目もくれずに第ニ信の受信準備を続けた。
きっかり五分後の第二信はかなりの長さだった。要約すると、情勢が悪化し来年の送受信ができない可能性があることを示唆していた。
夢見た新天地もまた戦禍に脅かされているという事実が皆の胸に失望の陰を落としたのかもしれない。ギャラリーの面々の表情が見なくてもわかるくらいに消沈しているのが僕にも伝わってきた。
一人、二人と立ち去ってゆく観客たち。そして、遠のいた客足は再び戻ることは無かった。
「なあに、元に戻っただけさ。静かでいい」
悪びれもせず軽口を叩いてみせるササキさんだったけれど、僕は何だか得体の知れない不安を感じたのだった。
そして、それはひと月も空けずに現実となった。
学校の帰り、二週間ぶりに天文台を訪れた僕は入口のドアに奇妙な張り紙を見つけた。
『公金の無駄遣いはやめろ』
『食料事情と治安の改善が第一』
僕は衝動的に張り紙を引き剥がすと、部屋の中で呑気にコーヒーを啜っていたササキさんに突き付けた。
「なんだよ、これ?」
「ああ、また嫌がらせか。ここんとこ毎日だ。昼に片づけたとこだったんだが……」
「毎日?」
「そうさ、一昨日のはなかなか傑作だったな。えーっと『星をいくら眺めても、決して腹は膨れない』とさ」
自嘲気味に笑うササキさんに、僕は思わずカッとなり、張り紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱へ投げつけた。
「笑い事じゃないよッ!」
「まあそうカリカリするな。そう考えるもんも少なからず居るってことさ」
「だからって!」
「まあ、気にしても始まらん。ほっておけ」
「……」
その日、僕はササキさんのコーヒーを飲まずに天文台を後にした。
翌日も、その次の日も、僕は何だか気が進まなくて天文台には足を運ばなかった。
そんなある日の放課後、天文台に行こうかどうか逡巡している僕の横を、消防車が何台もサイレンをけたたましく鳴り響かせながら駆け抜けて行った。
(火事……天文台の方だ!)
夢中で駆け付けた僕が目にしたのは、燃え上がる炎と黒煙と灰の入り混じった煙に包まれた天文台の姿だった。
「おじさん!?」
ササキさんの姿を探そうとして、思わず叫んだ僕の背後から聞きなれた声が聞こえた。
「坊主! こっちこっち!」
煤けた格好ではあるが、とりあえずは無事そうなササキさんを見つけて、僕は少しほっとすると同時に怒りが込み上げて来た。
「ちきしょう、いつもの連中の仕業か!」
「坊主、人の事を根拠もなく疑うんじゃない」
だって、と言いかけた僕をササキさんは珍しく真剣な眼差しで制した。
「それより、逃げ出すときにちょっとヘマしてな……」
例の通信機を持ち出すときに足を挫いてしまったようだ、と呻いたササキさんに、僕は無言で肩を貸した。
翌日、入院したササキさんを見舞いに行った僕は、ササキさんの口から最も恐れていた事態を知らされた。
「天文台は……」
「廃止だそうだ。再建の予算はつかないらしい」
「そんな……」
「仕方がないことさ、そんな辛気臭い顔するな」
幸い、怪我は大事なさそうでよかったけれど、落胆を表に出さずに明るく振舞おうとするササキさんにかける言葉を見つけられず、気まずい空気に押し出されるように僕は病室を後にした。
ササキさんの訃報が届いたのは、その三日後のことだった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
僕は、電車を降りた後も何だか白昼夢を見ているような気分から抜け出せないまま帰宅すると、そのまま自分のベッドに倒れこんだ。
(あ、手紙……)
僕は、葬儀場で通信機と一緒に預かったササキさんからの手紙のことを思い出し、寝転がったままその封を切った。
『
井崎 謙君へ
この手紙を読んでるってことは、おそらく私はもうこの世にはいないのかもしれない。
君にはずっと言えずにいたが、私は心臓を患っていて、医者には余命いくばくもないと言われている。
騙すつもりはなかったんだが、いや、申し訳ない。
さて、通信機だが、暫く預かって置いてほしい。今となっては貴重な装置なんだが、残念ながら素人の手におえる代物じゃない、無理に直そうとせず預かっておいてくれ。昔の知り合いに大山という男が居る。私にもしもの事があった時には君のところを訪ねる様に伝えてあるから、不躾で申し訳ないが、それまで預かって置いてくれないか。
天文台の事は残念だったが、生きていれば、そりゃ色々あるさ。
良いことばかりでもないが、世の中を嘆いて不幸ぶるのはつまらんものさ。
私が昔、恩人からもらった言葉だ、困ったときには思い出すといい。
人間万事 塞翁が馬
笹生 克己
』
(了)
星に願いを(改1)