First sweet
たまにはこんなのもいかがでしょう。原稿用紙20枚分ないくらいです。
プロローグ
…ねみぃ…
寝癖だらけの頭を持ち上げて、ベッドの上であぐらをかく。
「…アラーム鳴ってねぇな。」
今何時だ。壁に掛かっている時計を見る。
8時13分。
…待て、8時13分?
「…やっべぇ寝坊したっ!」
ベッドから飛び降りる。
ガンッ。
デスクに足をぶつけた。あまりの痛みに涙が出る。
「…今日土曜じゃん……」
今更気付いた。足、ぶつけ損。
てかなんでアラーム鳴んなかったんだ。
再びベッドに腰掛け、携帯を探す。
「…あった。起動…しないし。」
電池切れ。スマホの真っ黒な画面に寝癖だらけのなさけない顔が映り込んでいる。
充電器のコードをスマホに繋いで洗面所に足を運ぶ。
「あー。昨日の晩何してたんだっけ。飯食って、風呂入って歯磨いて、、あーそうだメールしてたんだ…」
徐々に記憶が蘇る。顔に冷たい水を被ると、ようやく頭が冴えてきた。
どうせ出掛ける用事も無い。寝癖は直さなくていいや。と思ったが、いやいや、休日だからといってそうも言っていられない、と思い直して寝癖を直しにかかる。
丁度寝癖を直し終えたところで、携帯の起動音が聞こえた。ようやく復活か。
その直後、連続五回の通知音。
「…あ。」
思い出した。メール、完全に寝落ち。
小走りで携帯を取りに行く。
「…こりゃ相当おかんむりだな。」
どうしましたかとか無視ですかとか、そんな文面が画面を埋めている。とりあえず返信しよう。
「わりい、寝落ちてた…っと。」
既読が付いた。早すぎない?
ぴぽん。『そうですか。』
返信の文面を考えていたら電話がかかってきた。
「はい。」
『電話かけてしまいました。』
「知ってます。」
『言うことは?』
「ごめんなさい」
『何度目ですか。』
「6回目です」
『前回反省したって言いました。』
「…ドーナツ2つ。」
『…タピオカドリンクも飲みたいです。』
「…Mサイズでいいなら」
『…許します。』
「ありがたき幸せ。」
『…明日。』
ーーいつも、こうだ。
「ヒマですよ。いつものように。」
嘘だ。いや、ヒマなのは本当だが、俺は日曜には予定を入れないようにしている。
『…午前9時。いつもの公園で。』
なぜなら、毎週日曜、この電話の相手が予定を入れてくれるからだ。
「わかりました。じゃ、また明日。」
…なぜ俺は電話では敬語になってしまうのだろう。顔が見えない無機質な電話越しの声にはついつい緊張してしまう。
電話を切って、明日着る服を決めるためにクロゼットを開けた。
…朝から何やってんだろうな。俺。
1
日付は変わって8時30分。俺が待ち合わせの公園へいくと、やっぱりあの人はすでに待っていた。ベンチに座って、細長いチョコレート菓子を咥えていた。
俺が知っている限り、あの人は暇さえあれば甘いものを食べている。にも関わらず体の線が細いのは極めて不思議だ。
「ごめん、待った?」
「…別に待ってません。」
何分前に到着しているのか、未だにわからない。事実、今ですら30分前だ。
「隣、座るぞ?」
こくり。菓子を咥えたまま頷かれた。彼女の黒く、長い髪が優しく揺れる。細長い形状の食べやすいものだというのに持ち手を両手で押さえて少しずつ菓子をかじる姿が、さながらハムスターのようだな。と思う。
…30分はこのままだ。確か5回目のときだったか。待ち合わせの10分前に着き(それ以前は遅刻していた…)、行こうか、と言ったら「まだ時間じゃないです。」と、10分間の足止めをくらった。しかし、すぐ隣に座りながらただじっと、、いや、たまに彼女に見惚れながら。時間を待ち続けるのもいいもので、以来待ち合わせの30分前に到着するようにしている。
「…あまり見られると、照れます。」
怒られた。いや、照れられた。しかし、照れますとは言いつつ眉ひとつ動かさないあたり、本心が一切見えてこない。まあ、そこがいいのだが。
「いっぽん、食べますか?」
…初めてだ。彼女が自分の食べ物を分けてくれたことは今まで一度もない。
「え、いいの?」
「…」
無言で、一本差し出された。が、持ち手の部分は彼女が持ち、チョコの付いた方が俺に向けられている。
「えっと…」
「…くち、あけてください。」
少し体温より低い温度のチョコレートコーティングが、口の中で溶けた。
この菓子って、こんな美味かったっけ?
「…サンキュ。」
「…いえ。」
つつ。
二人の肩の距離が縮んだ。
普段の距離では気付かないような、シャンプーの香りが鼻をくすぐる。
無意識に背筋が伸びてしまった。
ポキポキと細い菓子の折れる音。時々唇から漏れる息遣いの一つ一つが、いつもより大きくはっきりと聞こえる。
「…」
近い。いつもより。明らかに。
指摘するのも何だか恥ずかしいような、そんな気がする。
しかし、この状態を続けるというのも土台無理な話だ。
「…な、なぁ、いつもよりだいぶ近くないか…?」
首の向きだけで、不思議そうな顔(と言っても、ほぼ無表情だが)に、じっと見つめられた。黒く深い瞳に吸い込まれそうになる。
「…だめですか?」
軽く首を傾げた彼女の息が、俺の首にかかった。
「だめじゃ…ないけど…」
俺がそう答えると、彼女は首の向きを元に戻し、再び菓子をポキポキとかじり始めた。
しかし、何を思ったか、一本食べきると、食べかけの小袋を箱にしまった。その箱を綺麗に揃えた足の太ももに置くと、両手を行儀よく足の上にーーお菓子の箱を押さえるようにして。ーー置いた。
そしてその直後。
こてん。
俺の肩に、彼女の頭が触れた。
首から上の体重を全て俺に委ねるようにして、彼女はもたれかかってきた。
「…!」
俺は、いつの間にか自分の心臓が大きく、早く鳴り響いていることに気付いた。
薄いシャツ越しに、彼女の体温が伝わってくる。
それをはっきりと感じるにつれ、自分の心音が頭の中に強く速く響いていく。
目だけで彼女の方を見た。
髪が綺麗だな、などと月並みなことを考え、目を逸らしたいような、逸らしたくないような感覚に囚われる。
「…息。」
ふいに彼女が口を開いた。
「…息、なんで止めてるんですか。」
言われて、自分が呼吸を忘れていたことに気付く。え、あぁごめん。とかそんな言葉が無意識に口から出る。
「…えっと、、」
なぜこんなに近いのか、聞こうとするもいい聞き方が見つからない。しかし答えは聞くより先に返ってきた。
「…いつも照れさせられてる仕返し…です。」
そう言った一瞬、彼女の顔に、微かに赤みがさしたのを、俺は見逃していなかった。
俺はまた、呼吸を忘れた。
2
「時間です。」
感情の読み取れない声が、長いようで短い時間を終わらせた。
「ん、行くか。」
いつの間にやら30分も経っていた。いつもあっという間に過ぎる30分が、今日はさらに短く感じた。
ベンチから立つ。1秒、遅れて彼女が立つ。
一歩歩き出す。また、少し遅れて彼女が歩き出す。
俺から見て、いつも彼女は右斜め後ろを歩いている。いや、これは数少ない、俺が決めた習慣だったりする。理由はまあ、女性と並んで歩く時には左を歩けという父の教えだ。
…教えの意味はよくわからない。
「いつものとこでいいか?」
はい。と、後ろで彼女が言った。澄んだ声が後ろから俺の背中に当たった。
駅前のドーナツ屋。いつも、日曜に出かける場所は決まっている。
一つ150円のリングドーナツが彼女のお気に入りだ。
俺の家からだとそこまで店は遠くない。が、彼女の家からだと徒歩40分とかなり遠い。家の位置が悪いと愚痴を聞いたことがある。
…まあ、口数の少ない彼女から愚痴を聞けるのはなかなかレアなことだったりするわけで、若干嬉しいなとか思っていたら怒られたのだが。
「…どうかしましたか。」
後ろから声がした。
「へ?」
「…口角が上がってます。」
いけない。思考が顔に出ていた。どうやら俺は感情が顔に出やすいらしく、例の愚痴のときもそれで怒られたのだ。
「…なーんでも。」
何か言おうとした彼女を遮って更に続けた。
「ほら、そろそろ着くぞ。今のうちに何買うか決めとけよ?」
「…チョコときなこ。」
もう決めてた。じゃあ俺は…
「…あ、抹茶もちょっと食べたいかも…」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で彼女が独り言を呟いた。なんか操られてる感じがなくもないが…抹茶にしよう。
3
「はい、チョコときなこ。」
「ありがとうございます。」
ございます…ね、やっぱり敬語が少しさみしい気がする。
「オレンジジュースでいいですか?」
彼女がジュースの入ったガラスのコップを差し出した。
この店は2店舗一体化型で、ドーナツとドリンクは別のカウンターで買わなくてはいけない。二人いると都合がいいのだ。…まあ、そのせいでカップルの来客が非常に多いのだが。
「ん、サンキュ。」
コップを受け取って席に着いた。
「いただきます。」
ふと、最初に2人でここへ来た時のことを思い出した。いただきます、言わずに食べようとしたら怒られたっけな。
視線を向けると、彼女はまた両手でドーナツを持ってもぐもぐと口を動かしていた。
ドーナツにできた小さな噛み跡を見ると、ツヤのあるチョコレートソースが顔を覗かしていた。
何かを食べているときの彼女は、とても幸せそうだ。満面の笑みを浮かべるようなことはないけれど、少しだけ口元が緩む。この表情を見られるのなら、300円の出費なんて安いものだ。
「…なんですか?」
「え?」
「…じっと見られていると、照れます。」
「…いや、かわいいなーと思って。」
照れます。か。本当に照れてんのかね。と思ったのもつかの間、彼女は俯いて赤くなった。ついでに小声で馬鹿と言われた。俺なんか言ったかな。
下を向いてドーナツをかじる彼女を見て、やはりハムスターのようだなと思った。
オレンジジュースに手を伸ばす。青いストライプのストローを咥えて息を吸うと、甘いオレンジジュースが口の中に流れ込んできた。
そういえば、一人で来るときは甘いもの、頼まないな。これもある意味、彼女の影響なのかもしれない。
そんなことを考えながら、手元の抹茶ドーナツを1/5ほど手でちぎって彼女の近くに重ねてある紙ナプキンの上に置いた。
「…抹茶…!」
彼女は目を輝かせて…は、いなかったが、俺の顔を見た。その顔に喜びの色が見えたのが嬉しくて、ついつい口元が緩んでしまう。
「一口やる。」
「…ありがとうございますっ!」
食べ物が絡むと、彼女は表情豊かになる。
…まあ、その変化は些細なものでしかないのかもしれないが。
第一、まだ敬語…なんだな。
抹茶の香りが、ふわりと口に広がった。
4
カラン。
ドーナツ屋の扉に下がっていた鈴が、小気味好い音を立てた。
次はタピオカ。店の中で彼女と話し合った結果、駅の東口に最近できたドリンクショップに行くことになった。
カラン。後ろから別の客が出てきた。
美味しかったね。と楽しそうな男女の声が、彼女の横を追い抜いていった。駅に向かう横断歩道は、店から出てすぐにある。
車道の交通量が多いこの位置の信号機は、やたらと赤が長い。
信号で止まったそのカップルと横に並ぶのは…流石に気がひけたので、俺と彼女は少し後ろから信号が変わるのを待っていた。
左側に立っていた女性が一歩、右の男性に近づいた。
嫌な予感がした。
俺たちの前にいた二人の掌が重なった。
ーー俺は、未だに彼女と手を繋いだ事すらない。
落ち着いた雰囲気の、真面目という言葉のよく似合う彼女に、触れることができない。
あまりに純粋な彼女に、不用意に触れてしまうと、そのままこの関係が壊れていくような、そんな気がして。
さっき彼女が俺にもたれかかってきたときに俺が動けなくなってしまったのも、そのせいかもしれない。もし、あの時俺が…
鳥の鳴き声のような電子音が耳に入り、俺は我にかえった。
反射的に歩き出した。彼女の顔を伺う余裕はなかったが、少なくともさっきまでの嬉しさは感じられなかった。
駅に向かう歩道を、まっすぐ歩いていく。俺も彼女も、黙ったまま。
前からきた自転車が、俺の左腕を掠めていった。それを避ける微妙な動きに気付いたのか、彼女は俺のシャツの袖をつまんで俺の体を自分の近くに寄せる。
黙ったままだった。でも俺達はその近い距離で、そのまま歩いていった。
緊張はしなかった。それはきっと、歩いていくにつれ彼女の表情が少しずつ曇っていったから…だろう。
彼女の歩みが少し速くなった。俺の横に並ぶと、俺の速さに合わせるようにして、彼女は歩みを元に戻した。
いつもより近かったせいだろうか。
…手と手が一瞬触れて、離れた。
俺はそのとき初めて、自分が手をほんの少し、彼女の方に伸ばしていたことに気付いた。
…手、繋ごうとか、どうやって言ったらいいんかな。
そんなことを考えながら、俺はまた、何もできなかった。
5
一杯400円。タピオカドリンクって結構高い。しかし人気商品と銘打つだけあって、中身はなかなか多かった。
彼女が選んだのはココナッツミルクベースのものだった。…俺は飲んだことないな。
窓際の席に座った。隣の席で中学生が勉強している。新しい店だけあって、客の入りは上々なようだ。
大きなカップと太いストローが、彼女の小ぶりな手と相まってさらに大きく見えた。
大きな丸い形が彼女の口に吸い上げられていくのがシルエットで見える。
もぐもぐと口を動かした後、こくん、と彼女の喉が鳴った。
「…おいしい。」
そりゃよかった。と、我ながら気の効かない返事をする。
…沈黙。気まずい。
他の客はいる。そのはずなのに、彼女の息遣いや自分の心音ばかりが耳に入ってくる。
せめて何か話をしよう、何かあったっけ。
誕生日近いね…って話はメールでしたしな…
一口ちょうだい…いや、無理無理無理!難易度高い。
付き合い始めてどんぐらい経つっけ…よしこれだ。
「あ、あのさ」
ガタッ。
隣の中学生が立ち上がった。
カラーン。ありがとうございましたー。
さようなら俺の勇気。こんにちは挙動不審。
「…?」
「い、いや…なんでもない。」
「…さっき。」
「…え?」
彼女は、ドリンクを一旦机に置くと、こちらをまっすぐ見て言った。
「…さっき前を歩いていた人達、仲良かったですね。」
ぐさり。心のどこかに何かが刺さった。
「…はい。これ。」
視線を向けると、彼女がこちらにドリンクを差し出していた。
「…ひとくち、あげます。」
え…。待って待って待って待って。
「…いい、の?」
いろんな意味で。ストロー二本も貰ってません。
「…嫌…ですか?」
ーー初体験のココナッツミルクの味はよくわからなかった。
「…ん。あのさ。」
タピオカを飲み込んで話し出した。
「なんだその、あれだ。」
「…?」
うまく言葉が出てこない。
「あーっと、、付き合い始めてどんぐらい経つっけ。」
言えた。一回口に出すとスルッと出てくる。
「…280日です。」
返しにくい感じで答えてきた。日単位って。
「…ちなみにまだ手すら繋いでないです。」
…知ってる。猛烈に。
「…なんかごめん。」
「…いえ。」
彼女は目を伏せた。
俺も、どこか気まずくなって窓の外を見た。
人と人が行き交っている。日曜のこの時間なだけあって、学生らしい影もそこかしこに見られた。
ちらと視線を向けると、いつの間にか彼女も窓の外を眺めていた。
280日…だっけか。今思えば、その間彼女の事を考えなかった日は一度もない。
自分でも恥ずかしい程に、のめり込んでいる。
「…俺、お前の事好きだわ、やっぱ。」
…口からぽろっと零れ出た言葉は、彼女にもしっかり届いていた。
かあっと赤くなって彼女は下を向いた。
「…初めて。」
…?
「告白以来初めてです。好きって言われたの。」
…そうだっけか。確かに、恥ずかしくて言えたものではない。現に今、赤くなった顔を見られないように、俺は窓の外を意味もなく見ている。
それでもどうにか彼女の方に目だけ向けると、さっき以上に赤くなって俯いていた。照れるなっつの。俺も恥ずいんだから。
「わ、わたしも…です。」
彼女がぼそっと呟いた。
「…わたしも、好き、です。」
かあぁっ。無意識に頭を掻いた。
彼女の方を向く。
…目が合った。ぴったりと。
いつも無表情な彼女だが、今ははっきりとその表情を読み取ることができた。
…俺、今どんな顔してんだろ。彼女と同じような顔になっているのだろうか。
「ほ、ほら、早く飲んじゃえよ。」
せめてもの、照れ隠しだった。
エピローグ
「なあ。」
隣にいる彼女に話しかけた。
「なんですか?」
「なんか今日、おかしくなかった?」
彼女は不思議そうに、俺の顔を覗き込んだ。
「ほら、公園でお菓子くれたり…くっついたり。」
それを聞いて彼女は目を逸らすと、小さな声で言った。
「そっちから来ないなら、私からやってやろうと思いました。」
信号が変わる。
俺が一歩踏み出すと同時に、彼女も一歩進んだ。
いつもは斜め後ろにいる彼女が、今はすぐ右にいた。
繋いだ手に引かれて。
「…一回繋いじゃえば、どってことないな。」
信号待ちは、俺が勇気を振り絞って、なおかつ彼女がそれに慣れるのに十分なくらい長かった。
「初めてなんてそんなもんです。」
彼女はご機嫌な様子。
要するに、彼女も考えていた事はおなじだった訳で、
「…もうちょっとゆっくり歩いてくれませんか?」
「あ、ごめん、速かった?」
「…速くはないですけど…」
なぜ赤くなる。
話すこともなくなってきたな、と辺りを見ると、映画のポスターが目に入った。
「…来週、映画でも見に行く?」
ぴたっ。彼女が歩みを止めた。同時に俺も立ち止まる。
「…それも、初めてです。」
「あー、二人で映画行くの?」
彼女は軽く首を振った。
「あなたから誘ってくれるの、初めてです。」
…確かに、外出に俺から誘うのは初めてだった。
「そっか、、いつも誘わせてばっかだったもんな。」
彼女は、俺の方を向くと”微笑んで”言った。
「ありがとう。」
First sweet
この作品はフィクションです。実在する製品、団体、人物とは一切関係ありません。