キリノとヒイラギ
私は彼ではないから、彼の感情や思考やその他もろもろのことについては、想像するしかない。でも、おそらく彼は、とても傷つきやすい人だったんだと思う。そしてこの予想は、当たっているんだと思う。
幼馴染、という以外に何て表現していいのか分からなくなるほど、その言葉は私たちの関係を表すのにぴったりだった。
幼馴染かあ、いいなあ。穏やかに笑いながら、あるいは少しの羨望を滲ませながら、時にはじっとりと恨みを込めて見つめられながら言われた事だってある。幼馴染という関係の中にいたからこそ、みんなが口々に言う「いいなあ」の意味が飲み込めなかった。この、ただ幼いときから一緒にいたという関係のどこに、あこがれる要素があるというのだろう。時間をただただ引き延ばして、ずるずると惰性によって手を離すことが出来ない私たちを、何故みんなはうらやむのだろう。
理解が出来なかった。そして、この関係性に嫌悪感を抱き始めた。腐りきった生ぬるい、粘着質なこの糸をすっぱりと断ち切ってしまいたいと。しかし彼はそれを許さなかった、私も、確固たる意志で押し通すことは、やはりできなかった。
彼が一緒に行こうといえばきっと私はついていってしまう。彼が行かないでといえばたぶん私は歩みを止める。
それは抗うことが出来ない、さび付いた鎖のようなものだ。
私たちはいつも同じ場所で話す。一言も話さない事だってある。
気まずさは感じない、麻痺してしまったようだ。
そこは小高くなった丘で、周りを木々に囲まれている。電灯も申し訳程度にしかついていないから、見上げれば星たちの光が煌々ときらめいている。私はその丘を気に入っていた、おそらくは、彼も。
季節は秋で、虫がそこかしこで鳴いている。
彼は息を意識して吐き出しているようだった。そんなことをするのは初めてだったから、何かあるなと感づいた。彼がゆっくり吐き出すまで待ってやろうと座りなおす。絶対にせかしてはいけない、自分のペースを崩されることを彼は酷く嫌う。彼の準備が出来るまで、彼の目をじっと見つめながらひたすら待つ。
「キリ」
「僕が好き?」
私は笑って答える。うん、好きだよ。間を取ってはいけない、彼に不安を与えるから。これが私の中での不文律となったのは、いつからなんだろう。彼にいつも笑っていてもらうこと、怯えさせないこと、傷つくことから守ること。私が彼と一緒に居る理由が、そうなってしまったのは、いつからなんだろう。私は、彼の保護者になるために、この長い年月を過ごしてきたのだろうか。
凝った思いが胸をふさぐ。
「キリ、・・・キリノ」
彼はまだ何か言いたそうだった。直後に私の本当の名前を彼が呼んだから、びっくりして私は彼を見る。
いつも繊細そうな光を湛えた、儚く揺れる瞳は、そこには無かった。
「僕たち、さよならしないか」
彼は無表情だった、そのことがどれくらい彼の緊張と不安を表しているか、私は知っていた。それでも、放たれた言葉の意味が良く飲み込めず、ぽかんとしてしまった。
「キリノ、君は自由になるべきだ。・・・僕から」
そういって彼は、笑った。
顔が固まる、声が蒸発する。引きつった咽喉からは呼吸だけがひゅうひゅうと鳴り響いている。
「キリノは本当は笑えていない。僕の為に用意された仮面をかぶっているだけだ、僕はずっとずっと前から思っていた。君の笑顔が仮面だってことに」
「僕は、キリノ、本当に笑って欲しいんだ、君に。本当に笑った君を見て、その君と生きていきたいんだ。その君を僕は愛したいんだ」
「それができるなら、この関係性を崩してしまっても構わないと思ったんだ、そして本来の君になって、また僕は君に出会いたいんだ。今度は幼馴染じゃあない、もっと形を持った人間として」
彼はこの長い台詞を一息で言い切った。はあはあと荒い息を吐いている。なんて言葉を返したらいいのか、よく分からなかった。
ただ、うなずくことしか出来なかった。全て暴かれてしまった。弱いと思っていた、彼の両の目の前に、全て。私が隠し通したと思っていたこと、全てを。
呼吸はなかなか静かにならなかった、目の辺りが熱くなって、ぶわりとした膜が世界を一瞬のうちに覆い尽くす。どうやら震えているらしかった。
彼は知っていた。
すべてを知っていた。
「キリノ、さよなら」
彼は、―――ヒイラギは笑った。
キリノとヒイラギ