花は桜木 人は武士
殿は誠に桜がお好きなお方でございました。
咲き誇る姿、潔い散り際、散っても尚美しいその様に殿はその様な武士でありたい、と憧れの様な思いをお持ちであったのだと私は思うのでございます。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。その様な残酷な歌を詠む事で冷徹で残虐な面を持たれている、と恐れられておりましたが、その反面、裏切られても人を信じ続ける、と言う懐の深さもお持ちでございました。
そして下克上の戦国時代に於いてその懐の深いお人柄が殿の首を絞めることになるのではと私は案じておりました。
花は桜木 人は武士ー
一休宗純禅師の言葉通り、花は散り際が美しい桜が一番であり、人もまた散り際の潔い武士が一番である。殿はその言葉通りに散り際が潔い美しい桜を好いておりましたが、人は武士が一番、と言う解釈には納得がいかないご様子であり、人は民、地道に国の為、殿の為にお仕えする民こそが一番であるとの信念をお持ちでございました。それ程に殿は民を大切に思っておられたのです。
殿は家紋に桜を図案化したいと思うておられましたが、桜の様に潔くお家が散ってしまうのは好ましくない、との通説が常で考えられておりましたので、臣下の者は桜を家紋にする事を不吉だと眉をひそめておりました。
臣下の者達の意見により、殿の家紋は鳥の巣を図案化したものになりましたが、私にはそれがどう見ても桜に見えて仕方がございませんでした。
「殿、これは桜を図案化したものなのでは…」
そのように問う私を殿は、ははは、と愉快そうに笑われました。
「そう思い、そう見る故、そう見えるのではないか」
殿がそう仰られる通りに、誠に見れば見る程に私にはその家紋が桜にしか見えないのでごさいました。
それ程に桜をお好きな殿は私が案じていた通り、謀反により命を落とす事になられました。燃え盛る本能寺で自害され、桜の様に見事な、誠に潔い散り様であられました。
燃え尽きた寺の中についに殿の御遺体はあらず、正に桜の様に散っても尚美しい潔い生涯であったと私は誇りに思う次第でございます。
殿の亡き後、殿が何処で生きておられるのではと実しやかな噂が流れておりましたが、殿が再び御姿を現す事はございませんでした。
殿は誠に自害されたのか、逃げおおせて誰にも気付かれずに何処かでひっそりと桜を愛でながら余生を過ごされておられたのかは今となっては定かではありませぬ。
ただ何処かの寂れた村で、桜を愛で、花は桜木人は民、などと大うつけな事を説いている者があるとすれば、それはあるいは殿であったやも知れませぬ。
もしその者に私が、あなた様は殿でございますか、生きておられたのですか、と問うたとしても、
「そう思い、そう見る故、そう見えるのではないか」
と仰られ、私はあの時と同じく煙に巻かれるのでございましょう。
花は桜木 人は武士